12月6日 ( 火 )6 時開演、練馬文化センター小ホールで演奏会。
ベタニアの家
「チャリティー・コンサート」
~ベトレヘム学園&ナザレットの家合築新築支援~
第一部の朗読と音楽「私の生きた恵みの分かち合い」は、多くの人に聞いて頂きたいと個人的に願っています。
主の生誕を祝う演奏会にふさわしいとも。
この作品をどこかで上演してくれる人や団体それに演奏者がいると良いのですが、現実は厳しいですが。
ヘイトクライム(憎悪犯罪)と言う言葉を最近よく耳にします。
衝撃的な事件として神奈川での事件は今も心に残ります。
障害者無用論。
問答無用と、戦後最大の事件と騒がれましたが、戦後最大と言えばハンセン病を忘れてはいけないはず。
この「朗読と音楽」は、ぜひぜひ皆さんに聞いてもらいたい。
ライ病の両親から生まれた子の軌跡を、耳を澄ませて聞いてもらいたい、そう思っています。
これはクリスマス・プレゼントだと思います。
「子どもが欲しい、子供を産みたい」という当たり前のことがハンセン病者には許されなかった。
療養所内での結婚は、子孫を残さないため、ライ病は「一等国」にはあってはならない病気。したがってライ病患者を死滅させるために出産は許されなかった。そんな時代がつい最近まであったという驚き。
それも国の政策で、また国民の総意だった。
あるライ夫婦は子供産みたさに、産める可能性にかけて青森の療養所を脱走し、新しくできた東北新生園にたどり着く。
電車を乗り継ぎ、身重の妻をかかえてある時は徒歩で、怪しげな風体の夫婦を好奇の目にさらしたであろう。当時は、不審者はサーベルをさげた警官に通報された時代。ライ者の脱走は大変な事件でもあるのだから。
そうして奇跡的に生まれた子は、すぐに親元から離され、ヤギの乳で育てられた。
妻は出産の重荷から病気が騒ぎ(重くなり)、まもなく失明する。
この子は25才の転機を迎える。
“25才までにライが発病しなければ健常者”と医者から言われていた。25才まではライの発病におびえる日々が続くということだ。
そして25才の検診で健常者とされ、あすへの進路にシスターの道を選択した。
そして今75才になられた。
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