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“Polka Dots and Moonbeams” by Connie Stevens 1958 8月7日が「鼻の日」だったので、nose (鼻) に因んだ曲をラジオで特集しようと思ったんですが、結局タイトルに Nose の入ったデイブ・ディー・グループの “Nose for Trouble” しか思い付きませんでした。 しかし放送後、リスナーの信州そばさんから “Polka Dots and Moonbeams” の歌詞に “a pug-nosed dream” というフレーズがあるとの御指摘をいただいた。 この曲はジャズのスタンダードナンバーとして、ビル・エヴァンスやコルトレーンの演奏が有名で、歌の方は気にしたことがなかったので、これには盲点を突かれたなあと思い、改めて歌詞を読んだ。 ♪ A country dance was being held in a garden I felt a bump and heard an "Oh, beg your pardon" Suddenly I saw polka dots and moonbeams All around a pug-nosed dream この最後の “a pug-nosed dream” は、1番から3番すべての最終行に使われていて、確かに大変重要なフレーズです。ここは慎重に訳さないと。前半は良いとして後半の2行ですね。 ♪ 突然眼に入った 水玉模様と幾筋かの月光が ぺしゃんこの鼻をした魅力的な人を包むように こんなんでわかるだろうか。 そもそも moonbeams はふさわしい訳語が無い。「月光」とか「月明かり」だと moonlight とか moonglow だろうし、この beam がね。sunbeam だったら「太陽光線」って言いますよね。まさか「月光線」なんて使えるとも思えない。・・・やはり広辞苑には載っていません。「月明かりが木洩れ日のように筋になって水玉模様に当たっている様子」なんですけどね。 次に、出ました “pug-nosed (獅子鼻の)”。これは訳し様によっては失礼な言葉になってしまう。でも、適訳が見つからない。結局は「ぺしゃんこの鼻をした」くらいに収めようか。 で、最後の dream ですけど、これは英和辞典に相談しました。 「dream (名.)の ⒋ (夢のように)すばらしい [美しい] もの [人, 事] (ジーニアス英和大辞典より)」・・・これですね。 というようなわけで、上のように訳しました。 歌詞全体的には、これを歌っている「私」と「鼻の低い人」とは、この屋外ダンスパーティーで出会って、その後末長く幸せになったのだから、めでたしめでたしというわけです。 この “Polka Dots and Moonbeams” という曲は男性にも女性にも良く歌われているんですが、詞の内容に合っているのは男性でしょうかね。 今回はうちにあったコニー・スティーブンスとフォー・フレッシュメンの聴き比べをしてみました。 “Polka Dots and Moonbeams” by Connie Stevens 1958 “Polka Dots and Moonbeams” by The Four Freshmen 1960 ********** 8月14日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. Vacation 2. See You in September (以上、シェリー・フェブレー) 3. Dreamin’ 4. You’re Sixteen, You’re Beautiful (以上、ジョニー・バーネット) 5. Don’t Doubt Yourself, Babe 6. Wait and See (以上、バーズ) 7. Polka Dots and Moonbeams (Connie Stevens) 8. Polka Dots and Moonbeams (Four Freshmen) 9. I’m Sorry (ブレンダ・リー) 10. California Girls (ビーチ・ボーイズ) 11. All I Really Want to Do (バーズ) 12. やさしくしてね (パティ・デューク) リクエスト曲は、7.&8.信州そばさん。9.酋長Kobaさん。なんくるタイムの洋子さん。以上、ありがとうございました。因みに7.&8.は、本日の聴き比べ。 上記以外は穴沢選曲。1.&2.夏休みの曲をシェリー・フェブレーで。3.&4.は、この日がジョニー・バーネットの命日(1964.8.14没.享年30)で。5.6.&11.は、この日がデビット・クロスビーの誕生日(1941.8.14生,80歳)で。10.~12.は、1965年8月14日付の Cash Box 上位の曲から。10.#7。11.#9。12.#6。 以上。次回も、よろしくお願いします。なお、8月21日の放送は旧盆特番のためお休みです。したがって次回は8月28日の放送になりますので、ご了承ください。
2021.08.20
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“A Song for You” by Leon Russell 19704月2日はレオン・ラッセルの誕生日、そしてバディ・リッチの命日に当たりましたので、“穴沢ジョージの Good Old Music” では、ちょっとした特集を組ませてもらいました。お送りした曲は、次の10曲です。 1. 四月になれば彼女は (サイモンとガーファンクル) 2. [風と共に去りぬ]タラのテーマ (サウンドトラック) 3. Don't Get Around Much Anymore (Judy Garland & Johnny Mercer) 4. Spicks and Specks (The Bee Gees) 5. A Song for You (Leon Russell) 6. Everybody Loves a Clown (Gary Lewis & the Playboys) 7. Superstar (The Carpenters) 8. This Masquerade (Sergio Mendes & the Brazil 77) 9. April Love (Pat Boone) 10. Moment's Notice (Buddy Rich) 1.~4. がリクエスト曲。1,糸満ろまんさん。この季節にふさわしい曲ですね。2.ちゃっぴさん。とにかく前を向いて行こうという気にさせてくれる曲。3.小禄の新垣さん。ジュディ・ガーランド、今回はこれにしました。4.ミスター・コーラさん。初期ビージーズ!春になると聴きたくなりますね。5.~8.はレオン・ラッセルの特集。5.は本人歌唱。6.〜8.が彼の筆になる曲。9.は4月になったので。10.はバディ・リッチの命日なので。お聴きいただき、ありがとうございました。次回も、どうそお楽しみに。 ********** レオン・ラッセルって、どうしてあんな声なんでしょうね。 もう一人同じような声の人がいますよね。 そうです。Dr. John (ドクター・ジョン) です。 二人の共通点は多いですね。声が似ている以外に、アメリカ南部の白人で、ピアノの弾き語りが得意で、いろんなジャンルにまたがって活躍している。そして、マルチな才能は作曲やプロデュースにも発揮されている。・・・などが挙げられるかと思う。 彼らがピアノを弾きながら歌う姿は、実にカッコよかったなあ。 見た目があまりにも違うのに、声は大変似ているから、もしもこの二人が一緒にやったらどうなるんだろうと思って調べてみたら、2011年に共演していたんですね。もう二人ともおじいさんですけど。 この写真の真ん中が Dr. John で、右端のロングヘアーが Leon Russell だ!左端は Elton John。マイクを持つのは、Lloyd Price ではないか。 この時の音源はあるのかと YouTube さんに相談したところ、出てきましたよ。これ↓ Jam from the Rock and Roll Hall Of Fame / 2011 (Elton John, Lloyd Price, Dr. John and Leon Russell) しかも、歌っているのが "Stagger Lee (スタッガーリー)" ですよ。すぐにダーレーン・ラブとアリス・クーパーとベット・ミドラーのユニットになってしまうので、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、やはり年を取っても声は似ていますね。 バディ・リッチの歯切れの良いドラムは、いつ聴いても軽快でついつい体が動いてしまいます。ちょっと疲れた時なんか、元気になれる気がします。 ライオネル・ハンプトンが共演したアルバム "Lionel Hampton Presents Buddy Rich" が大変よろしいです。 1曲目にあのコルトレーンの "Moment's Notice" やってます。元気出ます。 “Moment's Notice” by Buddy Rich
2016.04.07
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“ダンケ・シェーン” by 梓みちよ 1964 (Original:by ベルト・ケムプフェルト1959) 2月9日午後7時半、我が家の一員だった愛犬が亡くなりました。 あと1週間で20歳という大往生。 この20年は、本当に彼女抜きでは語れない20年でした。 様々なことが忘れられない思い出として蘇るけれど、今そこにいるのは、動かなくなったその痩せた姿。 でも、死んでもなお、その毛並みは美しい。 そして僕の中で生きている姿はいつまでも若く、その美しさは永遠だ。 しかし、寂しさが募るなあ。↑我が愛犬は、この子がまだ生まれて間もない頃から、本当の母親代わりをしてくれた。自分では子供も産んだことがないのに、母乳も出るようになってね。これからはお母さんを見習って長生きしておくれ。 ********** 梓みちよさんが亡くなった。 『いつもの小道で』や『こんにちは赤ちゃん』を初めて聴いたのは、毎週見ていた「夢で逢いましょう」の中でだった。 返信用封筒に切手を貼って送ると楽譜がもらえたのも楽しみでした。いくつか貰ったけれど、『こんにちは赤ちゃん』も貰った気がする。もちろん今は手元に無いが。 田辺靖雄とのデュエット「MYカップル」は実に似合いの二人で、当時中学生の僕は、彼らは本当のカップルだと思っていたので、後に田辺靖雄が九重佑三子と結婚したと聞いた時には、ぴっくりしたもんです。 当時、梓みちよさんが歌っていたカヴァー曲の中では、『ダンケ・シェーン』と『月光値千金』がやけに耳に残っている。歌が上手かったんだよね。 ご冥福をお祈りします。 “ダンケ・シェーン” by 梓みちよ 1964 “月光値千金” by 梓みちよ 1964 ********** 2月8日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. 愛しのラナ (ベルベッツ) 2. Lana (ロイ・オービソン) 3. ボッサ・ノバでキッス 4. プリンセス・プリンセス 5. 月光値千金 (以上、梓みちよ) 6. さよならデイト (梓みちよ&田辺靖雄) 7. バラ色の人生 (ルイ・アームストロング) 8. ダニー・ボーイ (トム・ジョーンズ) 9. 悲しき街角 10. 花咲く街角 11. 街角のプレイガール 12. 太陽を探せ 13. I Go to Pieces (以上、デル・シャノン) 14. ダンケ・シェーン (梓みちよ) リクエスト曲は、7.酋長kobaさん。8.なんくるタイムの洋子さん。ありがとうございました。 上記以外は、すべて穴沢選曲。1.&2.は、先週音が悪すぎて、新たにきちんとした音源をかけて、ついでにオリジナルのロイ・オービソンも「本日の聴き比べ」ということでお届けしました。 あと、前半に「追悼:梓みちよ特集」。後半は、この日が命日(1990.2.8没)の「デル・シャノン特集」をやりました。ラストは、再び梓みちよさんの『ダンケ・シェーン』を、ありがとうの気持ちを込めてお届けしました。 以上。次回もよろしくお願いします。
2020.02.10
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“It’s My Party” by Lesley Gore 1963 11月3日無事誕生日を迎え、いわゆる後期高齢者の仲間入りをいたしました。 その同じ日、時差はありますが、米国ではクインシー・ジョーンズ氏が亡くなったとの報。享年91の大往生ということですが、音楽界においてはあまりにも大きな存在でしたから、メディアの取り上げ方も大きいものでしたね。 中でもこれら↓はとてもよく書けていると思いました・ [Vogue Japan]クインシー・ジョーンズが死去。享年91歳 [BBC] “Quincy Jones, giant of US music, dies aged 91” [BBC] ’He changed my life’, Stars remember Quincy Jones ご冥福をお祈りします。 なお、9日のラジオではプチ特集も予定しています。 この曲↓をかけますね。 “It’s My Party (涙のバースデイ・パーティー)” by Lesley Gore 1963 ********* アメリカ大統領選でトランプ氏が選ばれてしまいましたね。 また4年間もあの顔をテレビで見なくてはならないのが嫌だなあ。 ネタニヤフは散々好き勝手やったので、たぶんガザでの戦闘を一旦停止するか、停戦交渉に入るでしょう。トランプが説得するという形をとってね。ネタニヤフとトランプって、ご存知のように刎頚の友ですからね。 なにしろ、大統領選の最中はユダヤ系の支持者の多い民主党のバイデン&ハリスはあまり強くイスラエルに圧をかけられないことをネタニヤフは利用して、4万以上の死者を出すという殺戮をしたのですから、初期の目的は果たして、あとはトランプの登場を待つばかりっていうところなんではないかしら。 で、トランプは「俺はネタニヤフを説得して戦争をやめさせた」って、踏ん反り返るという寸法さ。 ただね、そんなふうになったとしても、散々痛めつけられたパレスチナ人が安心して帰ることのできる場所はないんですよ。住んでいた家や土地は、徹底的に焼き尽くされてしまったんですから。 エルサレムに大使館を置いてしまったトランプのことだから、今度は何をやらかすか心配でならない。 それより、自分が撃たれて死にそうになったのだから、銃規制を真剣に考えてもいいだろうに。絶対そうはならないんだろうな。あーあ、憂鬱だわさ。 ********** ↓誕生日だから日付が大きく表示されたのか!・・・と思ったら、単なるいつもの時刻表示でした。1分後には 11:04 になっていましたので。 ********** 11月2日放送の「穴沢ジョージの “Good Old Music”」のオンエア曲です。1. Stranger on the Shore (Acker Bilk) 2. Tennessee Waltz (Eva Cassidy) 3. I’m Leaving It All up to You (Paul and Paula) 4. River of No Return (Marilyn Monroe) 5. Harvest for the World (The Isley Brothers) 6. Surf City (Jan and Dean) 7. This Diamond Ring (Gary Lewis & The Playboys) 8. My Guy (Mary Wells) 9. Wichita Lineman (Glen Campbell) 10. I Know a Place (Petula Clark) 11. Stop in the Name of Love (The Supremes) リクエスト曲は、4.酋長Kobaさん。5.尻焼原人さん。以上、ありがとうございました。 上記以外は穴沢選曲です。1.はこの日がクラリネット奏者、アッカー・ビルクの命日(2014.11.2没,享年85)で。2.はこの日がエヴァ・キャシディの命日(1996.11.2没,享年33)で。3.は「今月の歌」邦題は『さよならデイト』。6.~11.前回に引き続き信州そばさん持ち込み企画による「エレクトリック・ベーシスト、キャロル・ケイ特集(その2)」。今回は比較的軽めのポップなヒット曲を集めてみました。 以上。次回もよろしく。
2024.11.08
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“Oh, Carol” by Neil Sedaka 1959“Oh, Neal” by Carole King 1960“Carole” by Gerry Goffin 1959 2月9日、キャロル・キングが77歳の誕生日を迎えました。喜寿ですよ、喜寿。 ニール・セダカの “Oh, Carol (オー・キャロル)” が、高校時代に付き合っていたキャロル・キングのことを歌った歌であることは、夙に知られていますが、そのアンサーソングの “Oh, Neil (オー・ニール)” の存在は、随分後になって知りました。 もちろんキャロル・キング自身が歌っています。しかもその詞は、ちょうどその時期に彼女が結婚した相手のジェリー・ゴフィンが書いて、そのゴフィンは “Carole” という歌を書いて自分で歌っている。 ・・・、なんだか、ぐちゃぐちゃな感じですが、キャロル・キングはまだ十代だったし、そりゃあ色々大変だったでしょうね。 これが1959年から60年にかけてのことで、この頃から King/Goffin のコンビは数え切れないくらい多くのヒット曲を世に出すわけですね。 キャロル・キングが “Tapestry (つづれおり)” で、シンガーソングライターとして本格的に活動を始めた時には、ちょっとびっくりしたものでした。作曲家としての方が名が通っていましたからね。ああいうスタイルで僕らの前に現れたということがね。驚きでした。 その後の華々しい活躍について、いまさらここに書くつもりはありませんが、ニール・セダカやジェリー・ゴフィンと出会って、歌を書き始めた頃の彼女は、次から次へとメロディーが湧き出てきて、本当に楽しかったろうなぁと想像できて、こっちまで楽しくなってしまいます。 “Oh, Carol” by Neil Sedaka 1959 “Oh, Neal” by Carole King 1960 “Carole” by Gerry Goffin 1959 ********** 2月9日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. Carole (Gerry Goffin) 2. Oh, Carol (ニール・セダカ) 3. Oh, Neil 4. You’ve Got a Friend (以上、キャロル・キング) 5. Ball and Chain [Live] (Janis Joplin) 6. 夢見る想い (ジリオラ・チンクエッティ) 7. Sleepwalk (シャドウズ) 8. One Fine Day (シフォンズ) リクエスト曲は、4.糸満ろまんさん。5.座波ソーメンさん。 6.シュガーさん。リクエストありがとうございました。 上記以外は穴沢選曲です。1.~4.と8.は、この日がキャロル・キングの誕生日(1942.2.9.生)で、ちょっと特集しました。7.は、シャドウズのドラム、ブライアン・ベネットの誕生日(1940.2.9.生)で1曲。 以上、お聴きいただきありがとうございました。次回もよろしく。
2019.02.11
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“Arrivederti Roma”by Mario Lanza 1957 Original by Renato Rascel 1955 久しぶりに「ロック・366」をめくってみたら、一昨日 (10/6) は、マリオ・ランツァの命日だった。 もう 15 年ほど前のことだが、まだ東京に住んでいた頃の話。 下北沢北口の駅前にあった小さなディスカウント・ストアで、ちょっと怪しいベスト盤の CD が、当時としては破格値で(正確な値段は覚えていないが、480円だったと思う)売られていた。 その時買った何枚かの中に、"MARIO LANZA BEST (マリオ・ランツァ・ベスト)" があった。マリオ・ランツァは、名前ぐらいしか知らなかったが、『ローマよ、さようなら』や『フニクリ・フニクラ』『オー・ソレ・ミオ』『帰れソレントへ』のようなおなじみの曲とか、オペラの曲などが入っていたので、迷わず購入。 帰ってケースを開いてみると、この手のものにしては珍しくライナーノーツと歌詞カードが入っていて、ビックリ。あれれ、アメリカ人だったのか。イタリア系のね。なんだ、1959年に 38 歳の若さで亡くなっているのか。…などと感心しつつ早速聴いてみる。さすがに映画『歌劇王カルーソ』で主演した(←これもライナーノーツに書いてあった)だけのことはある。たまにはこういうものを聴くのもいいなあと納得しつつ、それ以上ライナーノーツなど読まずにいたんだな。これが。 で、今日、ちょっと奥の方になっていたけれど、"MARIO LANZA BEST (マリオ・ランツァ・ベスト)" を久々に取り出して聴きながら、じっくりライナー・ノーツを読み返してみたら、……。 『ローマよ、さようなら』マリオ・ランツァは、これを1957年に歌ったが、1955年には既にジョージア・ギブスによって歌われたとある。 なに~! "Arrivederti Roma (ローマよ、さようなら)" は、ローマ・オリンピックの時に作られた歌じゃなかったのか~!そりゃそうだよ。彼は1959年に亡くなっていて、ローマ・オリンピックは1960年だったんだもの。 僕の記憶の中にあるこの歌は、ザ・ピーナッツの日本語版も当時ずいぶん流行ったし、まさにローマ・オリンピックと結びついているのに。 そうか、前からあった歌を、たまたまローマ・オリンピックの閉幕に合わせて流したのかな。きっとそうだね(……本当は、閉会式で流れたという記憶も、実に揺らいできているのだ)。 僕の手元にある "Arrivederti Roma (ローマよ、さようなら)" の音源って、ずいぶん古いイタリアの音に聞こえるんだけど…。1955年より前のものなんだろうか。歌っているのは、レナート・ラシェル。でも、ジョージア・ギブスってアメリカ人だし、この曲、そもそもイタリアの曲なんだろうか。 というわけで、おなじみ Yahoo! UK さん& Yahoo! Italia さんで、ちょいと検索してみた。 まずわかったこと。ジョージア・ギブスが歌ったときは "Good-bye to Rome" という英語のタイトルで、1955年の 12月3日にはチャートの51位まで行った。ふむふむ。 作曲者が、Renato Ranucci で、作詞は Pietro Garinei and Sandro Giovannini の二人なんだ。なるほど。あれ、英語の作詞は Carl Sigman だって。やっぱりイタリアの曲で、後から英語の詞が付いたんだね。 おっと、エド・サリバン・ショーにマリオ・ランツァが出て、"Arrivederci Roma (ローマよ、さようなら)" 歌ったことがあるんだぁ。 1958年1月19日のエド・サリバン・ショー。ゲストの最初に、マリオ・ランツァの名前がある。 そうかぁ、ランツァ主演の映画 "Seven Hills of Rome" のことをエド・サリバンに話しているんだ。"Arrivederci Roma" を歌ったのは、このミュージカル映画で使われているからなんだ。 …とまあ、いろんなことが徐々に明らかになってくる。 ゲ~!それにしても、すごいなあ。エド・サリバン・ショーのゲストは、この頃も豪華だったんだなあ。興味のある人は、The Ed Sullivan Show - Episode Guide を試しに見てよ。とてもすごいメンバーが続々出演しているぞ。あ、話が逸れた。 ハリウッド・ミュージカル "Seven Hills of Rome" は、残念ながら我が国では上映されていないようだな。 "Seven Hills of Rome" 1957年作品。監督はRoy Rowland、主演は Mario Lanza, Renato Rascel。え!Renato Rascel って、うちにあるテープのレナート・ラシェルだよね。なんと、マリオ・ランツァと競演しているではないか。 次、英語サイトではまだルーツにたどり着かないので、イタリアへ飛ぼう。 作曲者の Renato Ranucci を手がかりにすれば何とかわかりそうだ。 おう、出てくる出てくる。 ……あれれ、何だってぇ。 Renato Ranucci って、Renato Rascel (レナート・ラシェル) のことだったのぉ?同一人物かよ。…弾厚作=加山雄三みたいなもんかぁ。 では、今日のまとめ。 "Arrivederci Roma (ローマよ、さようなら)" は、1955年イタリアのレナート・ラシェルのオリジナル曲で、同年アメリカでジョージア・ギブスの歌う英語盤 ("Good-bye to Rome") が流行る。 人気オペラ歌手マリオ・ランツァは、1957年、レナート・ラシェルと競演したミュージカル映画 "Seven Hills of Rome" の中で、この歌を歌う。 ペリー・コモ、レイ・チャールズ、コニー・フランシス、ディーン・マーチン、リュシエンヌ・ドリール、ザ・ピーナッツなど、世界中の様々な歌手によるカヴァー・バージョンがある。 お~~い、誰だ…。まとめだけで十分だ、なんて言っているのは! ……う~ん、確かに、その通りかもしれない。 アリベデ~ルチ! ********************** うちの日本語変換ソフトは、なかなか日本語に対する造詣は深いということを思い知らされました。ま、ようするに相当臭い変換も平気でしてしまうということですけどね。なにしろ『帰れソレントへ』のつもりで変換したところ、『帰れソ連と屁』と出ましたから。『譜にくり・腐肉ら』もすごいでっしゃろ。
2004.10.08
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みなさん、きのうはビックリさせて申し訳ありませんでした。いまだに『思い出のサニービート』は信じられないと思っている人も多いことでしょう。滑稽といえば滑稽ですが、よく考えてみると、これだって一生懸命考えてこの邦題をつけた人がいるんだと言うことに気づいたんです。ひょっとしたらこれを読んでいないとも限らない。でも、敢えて言わせてもらえば、やっぱりこの邦題は失敗でしたね。(笑) ******************** 今日はまず、どうしてこんな邦題が付いてしまったのか、僕なりに推測してみようと思う。おそらく邦題を付けるからには、それなりの根拠があっただろうから。 まず手がかりになるのは歌詞だろう。冒頭の2行を......。♪ From the mountain tops down to the sunny streets A different drum is playing a different kind of beat 山の峰々から陽の当たる通りまで いつもと違うドラムが変わったビートを刻んでいる 1行目に "sunny" 2行目に "beat"、だから『...サニー・ビート』。推測の域を出ないが、これで決定してしまったのではないだろうか。もしそうだとすると、あまりにも安易。とても一生懸命考えたとは思えないなあ。 ここでみなさんにご忠告申し上げておきたい。時には歌詞カードほど当てにならないモノはないということを......。特に日本盤だけに付いている歌詞カードには、ひどい間違いが発見されることが多いですよ。既に体験している人も多いでしょうね。 この "oblivious" も、英国盤の歌詞カードは、1箇所 "and" のところを "ahd" という誤植があったが、それ以外は全く問題ないのに対し、その後 87年に日本盤で発売された CD では、"obvious" のところを "oblivious" と印刷してしまったから大変。あとの日本語訳で決定的な誤訳を招く結果となった。オリジナルの歌詞カードを参考にしたようなので、このようなミスは、はなはだ残念だ。 つまり日本盤の CD を持っている人は、サビの歌詞を次のように直して、訳は僕の方を信じてください。下手だけど。(笑)♪ I hear your steps in the street It won’t be long before we meet It’s obvious Just count me in and count me out and I’ll be waiting for the shout Oblivious 通りを歩く君の足音が聞こえる 僕たちがもうすぐ逢うのは 明らかだね 僕のことは当てにしてもしなくてもいい 僕は待っているから 「覚えてない」と叫ぶのを ちょっと見ただけで、3行目の obvious と6行目の Oblivious というよく似た単語を意図的に配置して、更に韻を踏ませているのがわかる。しかも3行目がもし "It’s oblivious" だったら、意味不明になってしまうではないか。 ああ、それにしても "oblivious" という曲は、ギター・ソロが実にかっこいい。文字通り「かきむしる」という感じでありながら、繊細さと大胆さを併せ持ったユニークでメロディアスなフレーズは、若き日のロディ・フレームならではだ。 "oblivious" で、これはまさにロディ・フレームならではだと思うことがもう一つある。それは oblivious という言葉だ。およそそれまでのポップスで使われたことのないと思われるこの単語を、大胆にしかもタイトルにも使っていながら、決して違和感を抱かせることもない。 この "oblivious" を初めとする初期の aztec camera の一連のシングル盤、あるいはこれらの曲の入った "high land,hard rain" というアルバムで、若きロディの才能は、遺憾なく発揮されているのだ。 2nd アルバム "Knife" で aztec camera がメジャー・シーンに躍り出てから、言い換えれば、目を覆い隠していたロディの長い髪の毛が短くおっ立って、顔が前面に出てからは、「甘さとほろ苦さ」の混ざったあの「英国青春歌謡ぶり」が少し鳴りを潜め、かわりにポップでキャッチーなメロディーとマイク片手に歌いかける「歌手」ロディ・フレームがそこにいた。 もちろんそれがいやだったなどと言うつもりもないし、 "Knife" も好きなアルバムだ。けれど、成長を見守っていた我が子がいつの間にか自分の手を離れて、独り立ちしてゆくような感慨があった。 (文中訳:穴沢)
2003.05.09
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“Misty” by Erroll Garner 1954 インストの曲として世に出た楽曲に後から詞を付けるということは、よく行われてきたわけだけれど、実にうまくはまってるなあと、感心してしまうものも多い。 特に歌い出し。一度聴いたら忘れられないものもかなりある。 たとえば、”Misty” ですね。ジャズの名曲。作曲はピアニストのエロール・ガーナー。 この曲の出だし、印象的なあのメロディーに、「これだ!」とばかりに “♪ Look at me ~ ” のフレーズを当てはめた時、作詞者は「してやったり」と思ったことでしょう。 ほかには、今ちょっと思いつくところで言えば、映画音楽で「いそしぎ」のテーマ。 ♪ The shadow of your smile ~ とか。 チャップリンの「モダン・タイムス」で使われた、あの “Smile” の ♪ Smile, though your heart is aching ~ とか。 見事にはまった歌い出しになっているではありませんか。 曲作りでは、メロディーが先にできて後から歌詞をつけるのは、ごく普通のことだけれども、歌う前提の無いインストの曲に、かなりの時を経てから歌詞をつけることは、それなりの醍醐味があるでしょうね。 ↓ピアノの出だしに合わせて “♪ Look at me ~ ” って歌ってみよう。 “Misty” by Erroll Garner 1954 “Misty” by Ella Fitzgerald ↓うちのたま子(仮名♀)。5年前の写真ですよ。 ********** 3月7日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. So Much in Love (The Tymes) 2. So Much in Love (Polly Brown) 3. サンフランシスコの思い出 (ブレンダ・リー) 4. 想い出のサンフランシスコ (ジャンとディーン) 5. I Love You (ゾンビーズ) 6. 好きさ好きさ好きさ (カーナビーツ) 7. Misty (エラ・フィッツジェラルド) 8. Misty (エロール・ガーナー) 9. 夢のカリフォルニア (ホセ・フェリシアーノ) 10. 夢のカリフォルニア (ママズ&パパス) 11. わすれたいのに (モコ・ビーバー・オリーブ) 12. I Love How You Love Me (パリス・シスターズ) リクエスト曲は、7.酋長kobaさん。10.ウィンカー・ダッソーネさん。ありがとうございました。 上記以外は、穴沢選曲です。今回も前週に引き続き、全編聴き比べでした。3.&4.はもちろん “I Left My Heart in SanFrancisco” です。5.は、この日が作曲者のゾンビーズ・ベーシストのクリス・ホワイトの誕生日で(1943.3.7生)。6.は5.の日本語カヴァー。訳詞は、漣健児。11.は12.の日本語カヴァー。 以上。次回もよろしく。
2020.03.09
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“One Last Kiss” by Bobby Vee 1960 (日本語版 : 『キッスでまたね』by ダニー飯田とパラダイスキング 1962) ボビー・ヴィーのヒット曲で一番好きなのは “One Last Kiss (ワンラスト・キッス)” なんですが、本国ではあまり流行らなかったようです。この歌は「バイバイ・バーディー」の中で歌われた曲のカヴァーだったんですね。我が国では、ダニー飯田とパラダイスキング (パラキン) がよく歌っていたので、全米でもかなり流行った曲だと思っていました。 この曲の良いところを挙げるとしたら、まずは王道のコード進行。それとサビの2拍3連で流れるように歌い上げてゆくところ。どうしてアメリカで流行らなかったんだろう。 歌詞については、特にどうということもない、普通のラブソングですけど、「バイバイ・バーディー」の曲だけあって、流石にメロディーが素晴らしいですよね。 この歌のカヴァーはパラキンが佐野修のボーカルで出して、その時のシングル盤のタイトルは『キッスでまたね』だったそうです。 この年 (’62年) の春に佐野修が『電話でキッス』を歌い大ヒットしたので、「ここはもう一つキッスものを」と、思ったかどうかはわかりませんが、『電話でキッス(Kissin’ on the Phone)』は、ポール・アンカがヒットさせてすぐにカヴァーしたのに対して、『ワン・ラスト・キッス(One Last Kiss)』は、ボビー・ヴィーの本国での発売から、約2年経った ’62年の終わり頃のこと。 こう考えると、二匹目のドジョウ狙いだった可能性は大きい。しかもちゃんとそれなりに当っているではないか。 佐野修の独特な発音で歌うと、この「キッスもの2曲」は独壇場ですね。あのニコニコ笑顔が今でも目に浮かびます。 昨年の佐野修氏の訃報は、随分経ってから知ったので、ラジオで特集できなかったのが心残りです。 ボビー・ヴィーでもう1曲といえばやはり『サヨナラ・ベイビー (Take Good Care of My Baby)』でしょうね。 こちらは King/Goffin の作品で、ビルボード、キャッシュ・ボックス共に No.1ヒットを記録し、ゴールドディスクを獲得していますから、大ヒットしているんですが、当時日本語でこの歌をカヴァーした歌手がいたという記憶がありません。 誰もカヴァーしなかったんでしょうかね。確認できていませんが、なんだか勿体無い話ですね。いい歌なのに。 “One Last Kiss” by Bobby Vee 1960 『キッスでまたね』by ダニー飯田とパラダイスキング 1962 “Take Good Care of My Baby” by Bobby Vee 1961 雲南百薬 (別名オカワカメ) を西側にも移植してみました。緑のカーテン夢見て。 ********** 10月24日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. Devil or Angel 2. Rubber Ball 3. More Than I Can Say (以上、ボビー・ヴィー) 4. Swanee River Hop (ファッツ・ドミノ) 5. Blue Skies (ペリー・コモ) 6. 渚のデイト (コニー・フランシス) 7. Life Itself (ジョージ・ハリスン) 8. One Last Kiss (ボビー・ヴィー) 9. ワン・ラスト・キッス (ダニー飯田とパラダイスキング) 10. サヨナラ・ベイビー (ボビー・ヴィー) 11. Summer Symphony (レスリー・ゴーア) リクエスト曲は、5.酋長kobaさん。6.なんくるタイムの洋子さん。7.ミスターコーラさん。以上、ありがとうございました。 上記以外は、穴沢選曲です。 1.~3.および8.&10.は、この日がボビーヴィーの命日(2016.10.24没,享年73)だったので。4.は、やはりこの日がファッツ・ドミノの命日(2017.10.24没,享年89)だったので。因みに8.&9.は、本日の聴き比べ。11.は、夏の歌でした。 以上、次回もお楽しみに。
2020.10.27
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“Needles and Pins” by The Searchers 1964 (Original by Jackie De Shannon 1963)『恋の特効薬(Love Potion No.9)』でおなじみのサーチャーズです。この曲『ピンと針』は「カヴァーだけど素敵,第4騨」であると同時に「何だ!この邦題は,第3騨」でもある。なにしろ『ピンと針』なんだから、これほど痛そうな邦題はないって。いやいやそうじゃなくて、邦題と原題の語順をよく見てもらえば、誰でもすぐに納得できるでしょう。逆なんです。逆。原題は "Needles(針) and(と) Pins(ピン)" でしょ、どう見ても。『針とピン』でしょうに。とはいうものの、辞典によれば "needles and pins" と "pins and needles" のどちらの表現も存在するので、鬼の首を取ったように指摘するほどのことでもないか。"needlles and pins" または "pins and needles" っていうのは、しびれが戻るときのあの「じんじんした感じ」のことで、比喩的に「びくびくしている」とか「不安な状態」の時にも使うフレーズだ。日本語の「針のむしろ」とは意味は少し違うけれど、 "needles=針" を使った慣用句として、記憶にとどめておくとよろしいかと・・・。 しかしいずれにしても『ピンと針』という字面と、その響きは、かなりユニークで、当時雑誌などで見ては、不思議な感じがしたものだ。ところで、この曲は、アメリカ人女性ジャッキー・デ・シャノンが歌っていたもののカヴァーで、リバプールのサーチャーズは原曲よりいくぶんテンポを上げて、ミディアムテンポの秀作に仕上げた。彼らは、ジャッキー・デ・シャノンの曲をもう1曲やっている。『ウォーク・イン・ザ・ルーム(When You Walk in the Room)』だ。これが2曲とも実にかっこいい。『ウォーク・イン・ザ・ルーム』の方は、ジャッキー・デ・シャノンの持ち歌として、別の機会に取り上げようと思う。『ピンと針』は「以前好きだった人を見かけて、こそこそと逃げだし、早くどこかへ行ってくれとびくびくしている(needles and pins状態)」というような内容で、元々女性の立場でかかれたものを、"he(彼)"を"she(彼女)"の変えて男性側から歌っている。『恋の特効薬(Love Potion No.9)』もクローバーズのカヴァー曲で、ビートルズを初めとする当時のイギリスの他のグループ同様、サーチャーズも、カヴァーものでその真価を発揮したといって良さそうだ。それと僕は、ある時、フォークロックの元祖は、バーズでもサイモンとガーファンクルでもなく、このサーチャーズだということに気が付いたのだ。ふっふっふ・・・。
2002.11.13
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“Aim in Life”(1982) &“Sugar Bridge”(1983) by The Bluebells 80 年代前半にスコットランドから出てきた新しい音には、単に新鮮さを感じただけではなかった。彼らの歌う歌の中に、それまで溜まっていた何かを吐き出すような、若者の叫びが聞こえるようだった。 「叫び」とはいっても、別に文字通りシャウトしているという意味ではない。言葉を換えれば、「生の声」とでも言おうか。己の魂に逆らわない、ストレートな生の声だ。 このことは、当時僕が飛びついたスコットランドの若者たちを列挙してみれば、わかってもらえそうだ。 aztec camera,Orange Juice,Jesus & Mary Chain,Big Country,Friends Again,The Bluebells... まだありそうだが、とりあえず思いついただけでもこれだけある。 この中では、特に Jesus & Mary Chain と Big Country が、他の4つのアコースティック・バンドとは違う独自の音とスタイルを持っていたと言えるが、当時の僕にとって、スコットランドから出てきた新しいバンドという意味では、共通していたのだ。もちろん、スコットランドだから飛びついたというのではなく、飛びついたら、たまたまスコットランドだったということだったんだけどね。 ブルーベルズ (The Bluebells) には、非常にスコットランドのにおいを強く感じる。 ビッグ・カントリーのようなバグ・パイプを連想させるギター・サウンドを使っているわけでもなく、プロクレイマーズ のようにスコットランド訛で歌っているのでもない。でも、「スコットランドだ」と思わせる何かを持っているのだ。 これは初期アズテック・カメラにも当てはまることだが、ブルーベルズは更にスコティッシュ度が高いように感じる。それは、もしかすると、ブルーベルズというネーミングから来る先入観が、僕にあったからかもしれない。 バンド名の "bluebell" は、「スコットランドの釣鐘草(ツリガネソウ)」のことである。このスコットランドでもっともポピュラーな花を、そのままグループ名にしているのだから、ブルーベルズがスコットランドと結びつくのは、仕方ないことだ。 ところで、『スコットランドの釣鐘草』という歌はご存じだろうか。原題は "The Bluebell of Scotland"。日本語の歌詞が付いて、明治以降我が国でも盛んに歌われたスコットランド民謡の一つで、我々の世代から上の人たちにはとてもおなじみの歌だ。僕が初めてブルーベルズの名前を目にしたとき、真っ先に連想したのはこの歌だった。 ブルーベルズのレコードは、日本盤の4曲入りのミニアルバム "Sugar Bridge" を1983年に手に入れたのが初めてだった。それまでは、LONDON レーベルのコンピレーションの中に入っていた "Forever More" のロング・バージョンを聴いたことがあるだけだった。 この4曲入りに入っていた "Aim in Life" と "Sugar Bridge" は、初期の名曲と呼んでいいだろう。これがあまりによかったので、以降アルバム発売まで、出された12インチシングルを順次すべて買った。 (つづく)
2004.01.17
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