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腹が立ったので考えてみました。怒りを爆発させたくないのでいつもとりあえず、文章を書きます。今はだいぶ整頓できたので大丈夫です。ネコスケの精神的不調について、我が家の家系をさかのぼって似たような症状がなかったか、というのを実家の母に確認しました。それは、私より年長で、過去にあったことに私よりも詳しいからという理由によるものです。ただ尋ねただけ。そしたら「それ以来、心配でツライ」と電話してきて私にうったえるんです。誰がよ!?今ツライのはネコスケなんだよ!孫が心配でツライから、もちろん心配しているに違いない自分の娘に、自分の話を聞いてなぐさめろと!?意味がわかりません。そう、でね?書きたいのはグチじゃないんですよ。こうしたら、落ち着いたよっていうのを書いておきたい。世の中には、母子の関係に悩んでいる人も多いようですこし調べると、関わるな、ほっとけ、と、あなたの人生はあなたのものだと。それはもっともなんだけれども。他人の気持ちをおしはかって、共感するニンゲンにとって、それは、とてもむずかしい。優しいのは、わるいことではないと思うんですよ?でも、共依存は避けたいですよね。だから、親は自発的に、子どもの手を放す準備を、精神的にも物理的にもしておかなければいけないと思っていて、でも母に、そんな心構えも自覚もなかったことを察してしまうと、こちらがツライ。他のすべての人を理解して優しくできても、よりにもよって身内に優しくできないというのは、私が、ツライ。なので、私は、私がツラくない方法を考えました。自分がするべきだと思うことだけをします。手紙を書きました(実際はメモ書きに近いものだけど)私が冷静に心を込めて書いた文章を読解できないなら仕方ない、あきらめがつきます。すくなくとも私は、大人に育ったうちの三兄弟の言っていることを理解できるし、彼らを束縛やコントロールすることなく、彼らにほんとうに必要なときだけ手助けができればいいと思っています。そうできるように育てたもの。去年の成人の日前後に書いたらしい「安心してあなたの手を放すために」という自分の日記を読んできて「わかってるじゃん!w」と思いました。書いておくもんだね(^_^)過去の自分を信じろ!そして、文章に書き出してみると、自分が何に怒っているのかがわかります。そもそも私は、怒りたくないんだよ!いちばん怒っているのは、つらいネコスケをさしおいて、自分がツラくて、自分に迷惑をかけているんだから、あんたは私の話を聞いて私の気持ちをラクにしてくれるべきだ!という考え方です。何言ってんだよ、70もとっくに過ぎてるのに、若者を支えてあげることもできないのか?いつまで子どもなんだよ!ですね。(全部、自分に返ってくるんだよ、これが。反省する身には。)私も自分のことなら受け流せるんだけど、我が子がからむとガマンできない。というか!そもそも電話って、迷惑ですよね?もはやw 時代が代わったなw相手が何をしてようと割り込んできて話を聞け、と。そりゃ、若者はイヤがるわ、わかる。なので、私は紙に書いて送り付けました。(切手貼って送ってくれたのは、我が愛すべき旦那ちゃんだけどね)読む気があるなら読めばいい。読まないなら放置でいい。その代わり成長はないぞ!?ずっとそのままだ。(えらそう)母をどうすればいいのか、ずっと悩んではいたのですよね。旦那ちゃんなんかは、頼んでないのに好きでやってるんだからほっとけばいいと知らん顔。子どもに対してもそうだし。でも、母親としては、ホントに助けが必要なときには助けてあげたいと思いますよね。それが、身内だけでなく、みんなになればいいんだよなあ。そしたら安心だ。そういう社会にするにはどうすればいいんだろう、をこれからも考えることになります。私は、大丈夫、なんだよ(^_^)みんな、大丈夫でいてよ!ネコは自分で「絶対大丈夫」と言ってるので信用している。うんうんうん。←イッツオールライト観てね&聴いてね
2026年05月06日
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母親の私から見ても、正義感と責任感にあふれた穏やかで優しいうちのワンですが、学校でも先生から何か注意されることもなく、すくすく育って行きました。一応書いておくと、歴代の担任の先生と話すときの私の姿勢は、「うちのワンが、学校生活において、何かご迷惑をおかけしていることはありませんか?」あるなら、家で指導・訓練するようにします、ということですね。三兄弟、すべての子どもについて、そう話してきました。それが(親の態度として)あたりまえで育った末っ子のクマ(現役教員)などは、みんなそういうものと思い込んでいるところがありますが、ぜひ、世の中の保護者のみなさんには、そんな心構えでいていただきたいと願っています。家庭のなかで、自分の責任をはたして信頼され、ほめられる経験を重ねていない子どもに、学校でだけ活躍しろ!と言ってもムリなのですよ。訓練と習慣化ですよ(^_^)応援しています。もちろん、学校の先生方も、学校での生活で子どもたちの心身の成長を手助けしようとしてくださっていますが、丸投げはダメですよ?もしかしたら、自分が子どものころは、先生が何でも教えてくれたのに、と考えている保護者も多いのかもしれない。それはそれ、これはこれ。一長一短ですよね。私は、張り飛ばされるのはイヤだわ〜。そして、いつの時代も熱心な先生、知らん顔の先生どちらもいるのですよ。知らん顔も、考えようによっては、子どもの自立と成長を促しますね(^_^)そんなことを書こうと思ったのではなくて、うちのワン、3歳までまともに話しませんでした。声を出して意思表示をすることはあったし、そして、私と絵本やテレビを見て、共有する話題もあったので、母親にはわかる表現で伝えてくれていました。他の人には、わけがわからないw たとえばね、しまじろうを「はんむんむん」って言いました。他の人たちには「ハム太郎かな?」と言われてた。そんな単純な、大人の推測の常道を行くかい!w 説明する?しまじろうの絵本にピザだかケーキをはんぶんこしよう!ってページがあって、それを気に入っていたんですね。で、「半分こ!」が「はんむんむん」になった。ハム太郎のことは「やーやーやー」と呼んでいたwアニメの終わりの歌から。同年代なら分かるのでは?20代後半くらいのね?育児書の発達のチェックなどを見ると、目が合いますか?とか指さしをしますか?とか載ってますよね。そして1歳過ぎには一語文とか、次第に二語文とか、うちの母などはアイコは1歳過ぎにはベラベラ話していたと(代わりに差し出したものがあるのよ、それはw)次男のネコスケが産まれるころには、2歳半を過ぎていたワンは、まだ話さない。産科の看護師さんたちが「カワイイわねえ」とかわいがってくれて、つい「うん、でもこの子、まだ話さないんですよ」とグチったら「大丈夫よお、3歳過ぎたらせきを切ったように話し出すから」と笑われて、そうか、そうだよな。あせることないんだ。そしたら。3歳すぎたら、二語文どころか、フツーにべらべら話し始めました。ただし、話さないと思ったら聴こえてなかった、ということもあるそうですから、その「フツーじゃない?」の感覚は信じて行動してもらったほうがいいかと思います。何でもなければ考え過ぎの笑いごとで済みますから。できることは早いに越したことはないとも思いますね(^_^)べらべら話し始めたけど、彼の発音はあやしかった。幼稚園のときには、おかあたんとか、てんてい(先生)などと言っていて、入学時のことばのチェックでひっかかり、「言葉の教室」へ。「言葉の教室」というのは、発音の誤りや、吃音などの矯正訓練を早くから始めて、高学年になってからのいじめにつながるのをふせごうという意図もあるようです。子どもって残酷だな、いや、子どもだけじゃないな。リハビリ施設で会う90代の男性が自分は子どものころ「どもり」があって苦労したといまだにグチっています。早くに治せるものなら協力してあげたいものですね。すこし書こうと思ったのに長くなっちゃった。ですからね、新1年生の親御さんなどは、お仕事もあるのに、「言葉の教室」に付き添えとか無茶言わないでよ!なんて困っていることもあるかと思いますが、習ったとおりに練習して、世の中的に問題ない発音ができるようになれば終われるのですから、しばらく頑張りましょうね(^_^)過ぎれば、いい思い出になりますよ。違うよ「今」が大変なんだよな、知ってる、それは、よくわかるよ!センパイママさんたちがうちのチビたちを見て「カワイイわねえ!でも、もう一度やれって言われてもムリ!w」と話していたものでした。私もそれに共感して、そんな時期も過ぎ、いまや、みんなのおばあちゃんくらいの心境ですから、子供たちも、お父さんお母さんたちもみんなまとめてかわいいばっかり。先生たちのこともね。みんなに気楽に過ごしてほしいんだよ(^_^)美しいたましいは、言葉を話すのが苦手だった話、でした。
2026年05月03日
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すこし前に書いた「我が家は、ネコスケと私以外は音痴」で思い出したので書いておきます。中学生になった長男のワンが、合唱祭のクラス指揮者を引き受けてきたことがありました。「あんた音痴なのに、よりにもよって、何で指揮者なんて引き受けてくんのよ!」「うん、だって〜。 誰もやらないんだもん。」このことを思い出すとき、いつも「魂の美しいヒト」という言葉が頭に浮かびます。自分が音痴であることは知っている、けれどもクラスで、「指揮者をやる人!」との先生の呼びかけに、こたえる人はいない。時間だけが過ぎる。そりゃあ音は、はずすかも知れないけど、前で指揮するだけならきっとできるよね(^_^)そして、帰って母に報告だ。「えええ!ワン、三拍子は?四拍子は?」両腕を振ってみせる「お、できるんだね。ちゃんと譜面読んでよね?」(とりあえず音楽の授業で習ったレベルができればいいんだよな)本人がやると言ってしまったものは、仕方ない。責任持って頑張るがいいでしょう!自分の苦手をおしてまで、いつまでも決まらぬ役を引き受けるべきだ!と教えた覚えはすこしも、ありません。私が計算大会に出るようなものじゃん?くらいの困惑でした。親の言いつけでも、習慣でも、何でもない、ワン自身の内側に何か美しいものがいることを感じました。自らわいてくる気持ちだ。みんなのために、動く。誰かに言われてしていることじゃないのだ。わるいことではないよ、でも、大変だろうなあw 自ら仕事をひとつ増やした。しかも音痴だ、音楽は好きだけど、歌唱は問題あり。他人の音はずしにもむとんちゃくだろう。この子、何なんだ?と思った。もうひとつ、ドラマ「テミスの不確かな法廷」を観ていて思い出したこと。あのドラマで、お母さんの車の前に急に飛び出して轢かれた幼い安堂さん、お母さんが言うには、雨上がりで道に光がキラキラしていた、それに夢中になって飛び出したんじゃないかと。あ、それはなんだか、わかる、と思った。うちのワン、雨降りが大好き。雨降りが好きというより雨が好きだった。雨水がひとつの流れになって、雨樋を伝って、道路に流れ出して、どんどん進んで行く、それを追いかけてずんずん歩く。レインコートを着て、傘をさして。雨が降ろうが、男児のあり余る体力発散のためには、散歩は効果的。下のふたりも連れて傘をさして散歩に出かけた。そんなのイヤだとかムダだとか言ったことはない。ワンが行きたいなら、行くさ(^_^)そして、そうやって大きくなったワンは、高校生になっても、大雨が降るとソワソワして落ち着かない。台風がきて電車が止まって、高校の夏休みの補講に行けなくなった日、「ちょっと見てきていい?」と外の雨を見に出かけようとした。「いいけど。流されないでよ?」「うん!」張りきって出かけてしょんぼり帰ってきて言うには「川の水が道路に溢れていて近寄れなかったよ」「あっぶないなあ!」さいわい、無事だったのでよかったけど、幼子の好奇心というのは生命の危険を伴うことがあるので要注意ですな。でも高校生は幼子(おさなご)じゃないんだぜ?wそして、生命の危険があったかもしれない話。1歳過ぎのワンを昼寝に寝かしつけようとクーラーの効いた部屋で横になってお布団をトントンしていたら、母がウッカリ寝てしまった。気が付いて驚いて、また居間でTVに見入っているのかと探しに行ったら、カーテンがヒラヒラして、掃き出し窓が細く開いている。カギを開けて、窓から出たらしい、裸足で。あの子、ヨチヨチ歩きだぞ!?慌てて、玄関に靴を取りに行って履くと、私も窓から外に出た。見回しても見当たらない。大変だ!大きな通りに行ったら車も通る。名前を呼びながら付近を見回して、どっちだ?ワンはどっちに行く?赤ちゃんの足だ、そう遠くにはいけないだろう、とりあえず、窓と反対の玄関側に周って、名前を呼び続ける。そしたら、アパートの一階であるうちの玄関の上の階段から「あー」とこたえる声がする。ワンの気持ちを想像する「おかあさんだ!ボクをさがしているぞ、ここだよ〜!」ワン!何してるの!そこでじっとしてて。階段あぶないよ!?言う間に上に昇ってワンを抱えおろす。想像するに、いつも、アパートに入るとき、その階段を上がってみたいとうったえるけれど、おかあさんは「ダメだよ?お二階はよその人のお部屋だからね?遊び場じゃないんだよ?」←当たり前の注意だ。気になって仕方なかったんだね、きっと。薄着で蚊にボコボコにくわれたワンを抱きしめながら、やっと、わんわん大泣きした。心配なあまり泣くこともできなかった。安心して、後悔と反省で大泣きだ。そして、その後も、何度も考えた。あれは、生命の危険だったけれど、あそこで死なないのがワンの生命力だ。この先、私がどれだけジタバタしようが、そこで死んでしまうのなら、それもワンの生命力だ。できる限りのことはするけど、私は、この子の強い生命力を信頼していればいい。ワンの生命力と美しいたましいを実感したお話でした。人の身体は容れ物で、中に何か入っているよね?と思うのは、何ですか?コトバは好きだけれど、こねくり回すのは好きじゃない。コトバじゃなく、教えておくれよ〜(^_^)
2026年05月01日
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最近、教育現場で働き出したクマがグチることにはワルグチになっちゃうかもだけどさあ、と前置きして「みんな、もの忘れすぎ!」と、いかに周りの大人たちが、仕事上で自分が憶えていることを、ウッカリ忘れてしまうことか!と。「クマ?それはね、みんなできるのがあたりまえと思っちゃいけないのわれわれは、それができる代わりに差し出したものがあるんだよ、たしかに!」「そもそも、忘れることができるのも、大切な能力なんだよ?何でもかんでも覚えていたらつぶれてしまうよ」「みんなに、できることとできないことがあって、うまくまわっていくんだよ?」それができる、というのは、我が家の中でも、特に、クマと私のふたりは、人の名前を憶えるのが確実ではやい。そして、ものごとの段取りを決めるのも異様にはやいのだ。人の名前なんて、誰でも憶えられるだろ!と思う人もいるだろうが、たとえば、小学校6年生の私は、2年生の妹のクラスの子どもたちの名前も顔も、全部おぼえて言うことができた。その能力は、先ごろ倒れて入院するまで、続いた。なんなら、入院後も、看護師さんや他の患者さんの名前を憶えるのがはやいので、周囲には重宝された。リハビリ施設に通うようになった今も同じだ。(環境的にもねw)ひとつ確実に違うのは、今は、自分にできないことがあることを理解したってことだ。みんなにできることは、ひととおりできているつもりだったからね。できることを、もちろん若いときの私は、特別なこととは考えなかったしみんなできるものだと思っていたし、できない人は気合いが足らないと思ったしなんなら、ふざけているのではないかと思ったくらいだ。だからおそらく、今のクマの気持ちは、昔の私と同じだ。彼に必要なのは、自分にできることと、できないことを自覚することだ。どちらか片方だと、精神のバランスを崩しかねない。できることだけだと、周囲をみくだす鼻持ちならないヤツになる可能性がある。(私はそうならないようにと、気を付けて過ごしてきた)できないことだけだと、劣等感で寝込んでしまう。←これは昨年秋のワタクシ。苦手にする人も多いであろうことが、苦労なくできるのはたしかで、クマは、それを頼りにしていい。人の名前を覚えて間違えないのは、円滑な人間関係をつくるうえでは役に立つことだ。(たくさんいる担当生徒の名前もバッチリだ)我が家のなかの話ばかりで申しわけないけれど、旦那ちゃんは、特定の名前が正しく憶えられない。いつも漢字をひっくり返すのだ。脳のつくりの問題かな?数字には強い。勉強はやたらできて、学校の成績もよかったネコスケは、高校生のときに「ボクは、他人の顔が憶えられない、何かの障害かもしれないレベル」とグチっていた。それでも、部活の長が務まっていたし、自分なりに工夫していたのかも知れないね。ラインの返信すらも一向にしないネコスケは、周囲からは「そういう人」と認められ、受け入れられていたように思う。それは、下のふたりと私に共通することで、友だちづきあいというのが苦手だ。誰かに「正確にわかってもらう」ことをあきらめている、というのが正しいかな。だから、われわれ3人は、お互いの理解者として、仲間のようなものだ。いずれ近いうちに、そこから抜けることになる母は、心配なくあとをまかせられる人が現れるのを待望している。だからね、ヒトは、社会生活を送るために適した進化を遂げてきた。それを実感するよ。風さんがHelp Ever Hurt Neverという言葉をアルバムタイトルとして掲げて世の中に出てきたとき、出てきたあと、そんなのは、あたりまえなんだけどね、という感想を持った。そういう人も、世の中にはたくさんいると思ってるんだよ。信じられることが「希望」ではないかとドラマ「エルピス」でも言ってたよ?wコトバだけじゃなく、生き方の問題だよね。言葉を掲げるのはあまり好きじゃないんだ。ウソくさいから。私が最近クマに言うのは「自分にできることを周囲の役に立つように使って、役に立って生活していきなさい。困ったときは助けてもらえるように、自分も助けなさいね。お互い様だよ(^_^)」そしてあいかわらず、私は人の思い込みや先入観をぶっこわそうとこころみている。さいわい、障害者になりましたからね。さいわいって、何かな?
2026年04月29日
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先日、これが私の、史実ベースのドラマを観たときの違和感の正体ではないかと思いついたことがあるので、書いておきます。文句じゃありませんよ(^_^) 気付きです。現在放送中の「風、薫る」を観ていて、大山捨松さん、清水卯三郎さんが実際にドラマの主要登場人物たちと同時代に存在していた人たちだと知りました。主役のおふたりも実在の人物をモチーフにしている、とのことですね。で、ここで、じゃあ、ドラマ内で描かれることはすべて、現実に起きたことなのか?という疑問を抱く人がいてもおかしくない。でもそれは、実在の人物をモデルにしたフィクションと断っている場合、ある程度の史実と、ある程度のつくり話が混ざっているわけです。それは、テレビドラマや映画というエンターテインメントとしての特性上、仕方のないことだと納得しています。その点では、私は事実を前提にしたドキュメンタリーが好き。でも、まったくの作り物の「おはなし」も好き!作りものを本当のこととよそおった話は、キライ。まぎらわしいし、ウソつきだから。そして、ここしばらく、実在の人物を扱った朝ドラが続いているけれど例えば「ばけばけ」と「風、薫る」の違いは何だろうと考えてみたら「ばけばけ」にも、ドラマオリジナルの要素は多かったし(^_^)でも、書いちゃうと、「あんぱん」や「風、薫る」ほどの違和感は覚えなかったんです。で、端的に結論を書いてしまうと、歴史上に、実在するその人物が、実際に生きたその人生そのものを認めて敬意をはらっているかどうか、敬意をはらっているように、視聴者である私が感じられるかどうか、の違いだな、と考えたんです。最終的に「私が」と出てきてしまうと、あんた個人の考え方の問題かい!となってしまいますが、脚本を書いている人、ドラマを作っている人たちは、モデルの人生に敬意を払って尊重しているつもりでもそれを感じるかどうかは、観る人それぞれの感覚ですよね?だから、文句じゃないんですよ?要するに、モデルの人生をありのままにドラマにしてもお話にはなるのに(当然)この要素を足したほうが、ドラマとしてはおもしろくなるよね?の意図が強すぎると嫌悪感をまねくってことですね。その、フィクションとして足される要素が、モデルの人生とかけ離れている場合、実際の人生を軽んじているように感じるんですね。伝わるかしら。大関和さんと鈴木雅さんが、あの当時生きた姿を見たいと望んだんです。幼なじみと淡い恋をしながら配送業で成り上がったかなり年上の男性に実家のために嫁いで、というちかさんを模したらしいりんさんではなく、教会前に捨てられたみなし子が身元をいつわってうまいこと鹿鳴館に入り込む直美さんではなく、実際の人生に寄せたものが見たかった。「こっちのほうが、お話としては、おもしろいでしょ?」って言われてるみたいでイヤなんだな。よくわかった。私は、実際に生きた姿が観たい。だから、時代としては、この人に会っていてもおかしくないでしよ?みたいに登場する人たちには、申しわけないような気持ちになりますよね。なんか、残念。別に、自分で調べりゃいいんですね(^_^)そうするよ。ちなみに、少し前に放送された「ちるらん」を観ていた私は、朝ドラで軍人の小日向さんを演じている藤原季節さんが、新選組のちょっとアブナイ斎藤一を演じていたのを印象深く憶えている。だから朝ドラを観ながら「ちょっと直美さん、その人、鹿鳴館のなかに入れちゃって大丈夫なの!? 実は、テロリストなんじゃなあい?」まで言っていました。詐欺師だったねwつまり。このほうがおもしろいでしよ?と足された要素が、歴史上の人物の人生と大きくかけはなれているとき、それは、実在の人生を軽んじているように思われる、ということです。うん、でも、女性の人生の選択肢も自由も制限されていた時代に、看護という新たな技術と職業を切り拓いていった方たちの意味ある人生を軽んじることなく、この先、夏休み期間に子どもたちの目にも触れるであろうこともわかったうえで、堅実な進行を続けてくださることを期待しています。
2026年04月26日
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いくつか書いて置くべきことがあるので書きます。コーチェラフェス2週目の風さんのパフォーマンス配信を観て思ったこと。風さん登場前の、ケイシー・マスグレイブスさんのパフォーマンス中におそらく風さんのファンと思われる日本語のチャットコメントがチラホラ。ケイシーさんをほめたり、カントリーもいいね!とか、爽やかな朝にぴったり!とかね。別アーティストのパフォーマンス中に、その音楽を聴かずに、カゼカゼカゼ!と騒ぐのはマナー違反ですよ!という批判を受けてのたぶん、そういうマナーをわきまえない人たちをフォローしようという意図もあるんでしょ?私はそう考えながら黙って観ていたけど。これは、風さんの「優しくね」が良い効果を与えていると言っていいのではないでしょうか? 伝わってるじゃん。まあ、でもね、あの日、KAZEEE!!って騒いでたのは、英語コメントのほうがずっと多かったような?wなんだ、ワールドワイドも良し悪しねw まあ、みんな一緒だからね。それに、大好きなアーティストが登場するのを待ちきれなくて騒ぐ人に、そんなに怒る必要ある?(そもそも、ダメなのお?と思っている、ユルイヒト)マナーに関しては、世界共通なんでしょうね。世界の風ファンを、見習おうってなるといいよね。ごめん、風ファンのマナー違反は風さんの音楽にとってノイズって言ってわるかった、ごめんなさい。そして、優しいみなさんに、ありがとうございます(^_^)そう、そしてね、パフォーマンス終わりに、風さんが「テミンのファンもありがとね」って英語で言ったのも、非難される自分のファンをフォローする役割にもなったよな、と思いましたよ(^_^)後に登場予定のアーティストのファンへの配慮ですね。そんなの、好きになっちゃうじゃん!フェスだからね、そこに流れてくる音楽をただただ浴びて楽しむお祭りだよね。平和だね(^_^)大昔、結婚前に、スカ好きな、会社の先輩に連れられて、レゲエのフェスに行ったことがあるくらい、だけど。楽しんでいる人の話を聞くのは好きよ、もちろん。そして、「死ぬのがいいわ」前に、サラッとBIGBANGのbad boyを弾き語りしてみせたのも、音楽自体を楽しむ人たちと一緒に楽しんでいることを如実に表していて、心のなかで拍手を送りましたよ。同じフェスに出ていることを念頭に置いていたのでしょうね?風さんの真骨頂だよね、年取った感じの女子にただキャーキャー言われてる(アイドル的)フジーカゼという単純な先入観で理不尽に見下していた人たちに、風さんの実力をほんのすこしわかってもらえたかなあと思いましたよ。あ、そう、以前から風さんのライブ動画に、「音ハズレてる」ってコメントする人いるんだけど、???どーいうこと?わからない。もしかしたら、音源どおりにキッチリ再現していないと「音ハズレてる」って認識になるのかなあと考えたんだけど、ネコスケがそばにいないので、話し合う人がいないの。うち、ネコと私以外はあからさまに音痴だから。音はずすって、何のことを言っているの?風さんの歌にそう感じたことなんて一度もないんだけど。これは、わからないことなので、ずっと考えることになります。「歌ヘタ」とか、声量がない、とかは、それぞれの好みの問題なので、気に入らないからと文句つけてないで好きなのを聴けば?としかいいようがない。どんだけ声量があってもウルセー!って言う人だっているでしょ。声張るのが好きなのは、あなたの好みだから。押し付けないでくださいね(^_^)あなたの好きな音楽も、否定しないわ、もちろん。あとは〜、1週目のステージで、マイクを差したスタンドを振り回して、ドカッと落とした風さんが、2週目は、マイクを外して持ってスタンドを振り回すことにした、という光景を観ていて、「おお、風が反省して学習したよ」と喜んでいました。でも、機材を蹴ったのね、今回はw 一生懸命謝っていたね。風さんがうちの子だったなら、きっと何度も注意されることになったと思うけど、けとばすつもりはなくても、真似事でも、人に向かって足を蹴り出してはダメよ?と。寝そべり配信でもあったけど、行儀の問題だからね。いいんだけどさあ、いや、ダメだよ、やっぱ。ノリノリのロックスター的パフォーマンスゆえなのよね、わかるけど、それは、ホント。 私は、『Prema』からの曲をライブでバンドスタイルでパフォーマンスする風さんを、観たかったので観られてホントに嬉しかったです。コーチェラさん、ありがとう。風さんも、バンドのみなさんもすばらしいステージをありがとう。ファンカムをアップしてくださった方たちもありがとうございます。いや、すこし前に、「Golden hourにつながる連想ゲーム」という日記にアクセスいただいたようで私は「は?何これ、何書いたっけ?」とほとんど記憶喪失で、読んできたんだけど自分で、なんのことはない、あのコラボの経緯を河津さんが語っていないね?どういうことだったんだろうね?という話でした。あんなふうな、地上のラブソングを風さんが歌わないかなあと期待している。そうだ、R&Bも待っていますよ、エルミーンさんと何か作ったかな。楽しみだな。記録として置いておきますね。いつもながら、役に立たないけど。
2026年04月25日
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藤井風さんの新しいMVが、先ほど公開されました。日付を足したら「9」じゃん?またかな。It's AIright ←タップするとYouTubeに飛びます。(と、思うけど)サムネが貼れないけど、これでリンクはできたはず。観てほしいなあ。わけわからんが、いいよねえ。何度も観てしまう。曲は元々大好きだし。曲としての発表も紆余曲折を経て、やっと日の目を見たという話だし全然、オールライトじゃないのがおもしろい。(やっぱり)ニナ・マクニーリさんという外国人の監督さんが撮られたそうです。大昔のカルチャークラブのミスミーのビデオなんかもおもしろかったけどでもあれは、間違った感じの日本趣味だった。(観てみて)こちらは最先端かつ古典的な感じ?宗教味を嫌う人もいそうだけど、頭をやわらかくしてね(^_^)最後のほうの笠をかぶったお兄さんたちがウンウン頷く振り付けが好き。大丈夫な気がしてくるよ。この曲は、風さんのアルバム『Prema』初回限定盤に添えられていた『PrePrema』に収録されていた唯一の未発表曲で、今は、風さんのYouTubeチャンネルで『PrePrema』全体を聴くことができます。サービス良し!全曲、聴けるし、MVも観れるんだね(^_^)個人的には、去年アルバム発売早々に、この曲を聴いてとっても気に入って帰省していたネコスケに聴かせたら「おもしろいね」と反応してくれたのがすごく嬉しかった。音楽は大好きだけど、藤井風はガン無視するのだ、あの子w風さんのピアノと歌をちゃんと聴いてほしいよ。そして、そのうち書くけど、ネコスケは今だいじょぶじゃないので(←一般的には)大丈夫な気分になってほしいのね。さっそく観てくれと送り付けた。苦しい思いをしてる人も「No mud, No lotus」って思えばほんの少し気が楽にならないかな。「泥無くして蓮は無し」ですって。私自身は、苦しい思いをしないように、しないように生きてきた。私にも周りにも。それでいいと思っているよ(^_^) ともに笑おう!
2026年04月23日
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前回のつづきです。昨日、施設の職員さんと話していたら、新中1生になったお子さんがもうすでに五月病っぽいよ?と笑っていて、そんなに深刻な話ではなさそうだけど、毎日通学に持ち歩くリュックがものすごく重いと、あれでは疲れるよねーと測ったら10キロ超だったと。教科書をあんなに持って帰らなくちゃいけないのかと、(いわゆる)置き勉じゃダメなのかとグチるので、一緒に考えた。当然うちの子どもたちも重い荷物を持ち歩いていた。それが、「決まり」だからさ。決まりがある以上、それを守る習慣はあったほうがいい。守れないのは困る。決まりを守る、は社会生活を送るうえで、できないと困ることの上位事項だよね?守らなくちゃいけないって知らなかった、そうなんですか!? なんて新入社員はイヤだよねえ、大人としては。だけどね、世の中の決まりには、それがある理由があるんですよ。よく考えて、その理由が、他の方法でもかなえられる場合、その決まりは変更することができることになりませんか?具体的に言うと、学校に教科書を置いて帰ってはいけないという決まりがある理由は?持ち帰らないと、家で勉強、または、宿題ができない。持ち帰ったものを使うときには、学校に持っていかないと学校の授業を受けるときに困る。つまり、重くても毎日全部まとめて持っていって持って帰ることにすれば① 今日は宿題があるからこの教科は持って帰ろう、これは学校において帰ろう。② 明日の時間割はこうだから、こうそろえよう。このふたつを考える作業をまるまる省略することができるんですよ!あたりまえのことしか書いてませんよ?w 私が、クマに怒られるヤツです。で、問題は、このふたつの考える作業を、先生がするのか、親がするのかってなることなんですよね。お互いに大変だから、押し付け合うことになるんでしょ?大事なことを、忘れていませんか、子どもはどうしましたか(^_^)正直に書くと、うちの子らみんな、途中から上記の理由を自分で理解して、考えて、すべて持ち歩くことを回避するようになりました。そういう人も多いでしょ?それに、わかってて、全部学校に置きっぱなしの人もいたよね(勉強も宿題もする気なし)「ちょっと!資料集残ってるけどいいの?」「今日は使わないの、おかーさん、ウルサイよ」(高校生のクマ)なんてやりとりが聞かれるようになったら、逆に安心です。あとは、ウッカリ失敗したときにどうするのか、を相談しておけばヨロシ。おかーさんは、忘れたら、別のクラスの友だちのところに借りに行ったなあ。そんなこと一切したくないなら(または、学校がゆるさないなら)すべて持ち歩くのがまるい(とワンならきっと言うのです)無難で安心で、頭を使わない。頭を使わない代わりに、体を使うわけですな。何か文句を言う前に、首のうえについてるその立派な頭を使おうぜ。うん、でもね、そんなに重い荷物を持ち歩いていた中学生になったころの長男のワンが学校の図書室で借りてきたよ〜と『世界一美しい元素図鑑』を持ち帰ってきたとき、笑いながら泣きそうな気持ちになったよ。大荷物、さらに、図鑑だよ?でもおかあさんにも見せてくれてうれしかったよ(^_^) 買っちゃったじゃないかw ここにあるよ。以上、前の日記に書いた「自分で考える」ことができれば、重い荷物を持ち歩く必要がなくなるんじゃないのお?と思った次第です。でもね、実際そうしたら、忘れ物や、宿題忘れが続出して、先生方の仕事が増えたり学校への苦情が増えるというのが、今の世の中の理不尽な流れだと理解しています。そして、こんなこと今さら言われなくてもしっかりできる子どもがいることも知っています。私は!できなかったけど。だからできない子どもに共感するのです。
2026年04月22日
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私はこのブログを末っ子が小学生になったときから書いているので(過去の記事は消したし、途中何年かサボったけど)子育てに関する話などは「……と、思うけど、じっさい育ってみないとわからないよね」と考えながら書いていたことをよく憶えている。子育て真っ最中の人が自信満々に育児論などを語っていると、何を根拠に?と疑問に思ったものだ。わからんやん、そんなの。それに、なにが成功で、なにが失敗になるのかもわからない。でも最近大学を出て、中学教員になった末っ子のクマが、配付物の内容をよく読まずに、つまり理解せずに記名だけして提出する親子もいると愚痴っていて、はあ、何だかわかってないんだね、「ボクはわかってたよ。だって、お母さんに聞かれるから!」と言うのでなんだかやっと、自分のしてきたことが正しかったのだと実感できた。ありがとう、クマ。「おかあさんに聞かれるから」というのは、つまり教室で先生の配ったプリントを、何だかわからずにぼんやり持ち帰ると、母に「これは、なんだ?」「なんのためのお知らせだ?」「申し込みか?全員必要?」「要らない人も書いて出すの?」「要らなかったら書かないし、出さなくていいのね?」などと聞かれたときに困るのはクマ本人だ、おかあさんじゃない。ずらずら書いていて思ったけど、私は子供にとっては不親切きわまりない母親だったようですね。よくわからないことを何となくいい感じに解釈して処理することができないのだ。さいわい、学校からのお知らせというのは、ほとんどの場合、読めばわかるように、書いてある。読んでわからなかったときは、めんどくさい。先生が帰りの会でこう言った、という情報をしっかり理解して覚えて帰らなくちゃいけない。それが子どもに当たり前にできているものだとオトナは考えているかも知れないけど、できませんよ?w訓練が必要です。責任感も必要です。しっかり覚えて帰ってエライねえと褒められて自信をつけて、つづけてできるようになります。誇りを持つことができます。何も考えずに、ただ左のものを右に動かすだけなら、ガキの使いですがそれをずっと続けていたら、いつまでも卒業できません。ガキの使いを卒業するために、学校に通っている間に、「必要なこと」を聞き取って伝える技術を身につけましょう。訓練です。習慣付けが必要です。何だかわからないけど、おかあさんが見て何とかしてくれる?何とかしてあげているといつまでもできないままです。特に、シングルで育てている、とか、きょうだい児が多いとか、はやく自立してほしい!頼れる子どもになってほしい、なら練習、練習、一緒にね。そんなのめんどくさいから大人がやる、をやってると本人のためになりません。めんどくさいのは学校のせいだ!とただ投げ返すのもやめてください。まず、考えてね?学校というところは、基本的に、同じことを何度も何度もウンザリするくらいくりかえす場所ですから訓練にはもってこいです。だから、義務教育を終えているなら、みんなそれができていておかしくないわけですがなんか、そうでもなさそうなのが、残念ですね。で、おうちの人がその習慣を身に着けていないとしても(つまり、親がなんでも先生に問い合わせて「プリントに書いてあるじゃないか!」とコッソリ愚痴られるのが当たり前になっていたとしても)子どもたちには、できるようになってほしい。できるよ(^_^)こういうことを書いているとき、私は、できていない人に対して怒っているわけではなくてまったく、フツーに過ごして学校に通って育っただけで、できるはずのことができていない人がいることをとても残念に思っているだけだ。そして、訓練を積んでできるようにしてもらわなかった子どもには、心底同情する。同情するけど、子どもはいつまでも子どもじゃない。どこかで、自分の頭を使って考えることを習慣付けよう。そしたら、未来は明るい(^_^)がんばろう!
2026年04月21日
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先日書いた「わかる。」に続けて。今回は「知る。」について。末っ子のクマが中学生だった、10年くらい前のこと。ある特定の運動部に部員が殺到していました。そもそも多くの選択肢がないので。「ねえ、あんなにたくさん部員がいても、コートで練習できる子は限られてるわよね?」「そう、だからほとんどは、ランニングしてるだけ」まあでもね、それでも、体力も精神力も鍛えられると思うのよ。それを納得の上で参加しているならいいと思う。ところがある日、その部の保護者が集まって騒いでいる。うん?なになに?どした?←ヤジウマ。「うん、あのねえ、顧問の先生が、週末の練習試合の予定もなんにも、いれてくれないの!普段の練習もまともにみてくれないし。」「そうなのよお!ほったらかしよねえ」その場はすっかり「あの先生は怠け者」、という雰囲気に支配されていた。「ふうん、そっかあ、それは困るねえ」←保護者の気持ちが、「わかる」だけ。「だからね、保護者会をして話そうと思って!」うん、がんばってね。(話し合うことには意義がある)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ここで知っていなくてはいけないのは先生(中学校教員)の仕事に「部活動の指導」が含まれていないことだ。クマなどに言わせれば「先生の勤務時間の『定時』はとっくに過ぎてるんだよ?」つまり、部活動の指導・監督というのは、無償の有志活動だった。それはあんまりだという声を受けたのか、わずかな手当が出るようになったという話をきいたが、先生方の好意とやる気によって成り立っていたのが従来の部活動だった。親の立場としては、まさか、学校のような公のしっかりした組織でそんなテキトーなことをしているなんて、夢にも思わないわけだ。テキトーなんて言ってしまうと管理組織に怒られると思うけど、逆に「だって、やりたい先生だっているんだから仕方ないでしょ?」という反論も想定できる。管理者の責任、参加させる保護者の責任、に関わってくる問題がたくさんある以上、みんなにはっきりわかる仕組みが存在していないといけない。だから、部活動指導の地域移行というのは、単純な見た目の業務削減には歓迎されることかもしれないけれど、それならそれで、新しくはっきりした、みんなにわかる仕組みを作らないとめんどうなことになる。その仕組みは誰が作るのか?それも先生に投げたら、仕事増えてんだよなwだから、ただ知らないだけで、話せばもののわかる保護者のみなさんには「先生の部活指導に給料は出てないんだってよ?」とつたえれば、「まあ、それは、わるいわねえ」となったに違いないと確信するんだけどお金を払うってことは、それだけ内容のある指導を期待するわけで、上に書いたような苦情が出るのはわかる。逆の立場なら、タダ働きなんて誰がするか!と言う保護者は多いと思われる。ちなみに、保護者の気持ちを書いておくと、部活動は強制参加、だった。みんな、どれかの部活に入らなくちゃいけない。学校から入れと言われたから入れたのに、満足な指導もなくただ毎日走っているだけだったら意味ないじゃないの!だ。それは、よくわかる。たぶん先生方も親で、生徒の保護者でもあるわけで、そこの行き違いはよく理解していると思うのだけれど、そんな、学校の上部管理組織にもの申す、みたいなことは、ヘタに一般保護者に愚痴るわけにはいかない。だから、矢面に立ってただ、すみませんと頭を下げておくしかないのだ。でも言わないと世の中全体が動いていかないよね。じわじわと動き出しているのは誰かが気付いて動いてくれたんだね、ありがとう。でも私なんか、もうとっくに中学生の保護者じゃないんだから、そのときそのときに、必要な人に必要な情報が届くシステムとそれを理解する知力が必要だよね。私たちの世代がおじいさん、おばあさんになったときに、反省できるだけの情報があればいいなと思うよ。思い込みをそれが正しい!と押し付けるのは違うよね。情報はあったが、おかあさんが知らなかっただけだ、は、クマによく注意される。うん、でも、なるべく知ろうとしてきたけれど、みんなに知らせようとあえて公開されている情報以外は入ってこないよ?部活顧問はタダ働きですよ〜、なんて大声で言わないじゃん。で。私が、先生もひとの親と理解したのは、次男ネコスケの高校入学時の保護者会で、クマの中学校の先生が、同じ保護者として出席していて「役員、どうですか?」などと声をかけられているのを見たときだ。遅い。そりゃあ、部活の指導まで学校にいるのはいやだよなあと実感した。他の人の生活や気持ちを想像してみる、は役に立つことだ。まとめると、みずから知ろうとする姿勢は大切ですな。イヤなのは、自分は、タダ働きなんてまっぴらごめん、なのに、他人には、それくらいのこと、大事なうちの子のためにガマンしてよ!と言ってしまう人が増えることだ。それか言うとしたら、管理組織がちゃんと考えなさいよ!だ。自分がイヤなことは、他の人もイヤなのだ。わかってくだされ。で、だけど、私がイヤなことも得意で、さほどの苦なくできる人もいてそこを互いに補っていけるのが社会ってことよ。だから他人のことに口を出すよりも、自分の好きや得意を活かして伸ばして、世の中の役に立てることを考えたいよね。以上。温故知新。君子危うきに近寄らずってことばがあるじゃないですか。昭和のドラマなんかにはよく出てきたと思うんだけど李下に冠を正さずも同じようなこと?と考えて違うな、あえて、あやしまれるようなことはするなってことだもんね。で調べて読んでたら瓜田に履(くつ)を納れずもあるんだね、セットか、ほほ〜と思って出勤前のクマに聞いてみたら、知ってた。へえ。教えてないけどな、知らないんだから。ネコの高校くらいなら、受験対策に教えてたりして?と思ったけど、知らないってさ。ふうん。何でも知ってそうだけどな。そして、このふたつって人の邪推とか偏見を表してるよねと思って、すももの木の下で帽子をもぞもぞしたら「盗っただろ!」瓜の畑に入ったら「盗っただろ!」って思われてもおかしくないよ?だからしないんだよ?って教えてるわけでしょ?違うな、あやしまれるようなことはするなってことでしょってネコは言ってました。人の思い込みはこわいぜ!?っていう意味ではと考えるのは、私だけか。教室にいたら先生を困らせるヤツだなw 間違ってないけど、チガウ。AIによる概要に新楽府由来って書いてあったな、式部さんくらい昔の読み物かな?AIによる概要、やっぱ役には立ちそうだね。でもこないだドラマ「テミスの不確かな法廷」について調べていたクマが亡くなった検察の結城さんが遠藤憲一さん演と書いてあると言っていて私は、演じたのは小木茂光さんで、エンケンさんは門倉裁判官だと主張したんだけれども、ブログにも書いたし、よく憶えていて。もともとそんなに信用してないけど、クマの検索AIへの信用はますますどーんと下がったようだ。情報の真偽は、見極めなくてはいけないね(^_^)うのみはダメなのだ。まだ書く。ワールドニュースを観ていたらオーストラリアの大規模火災の報道を流していてrefineryということばがわかりそうでわからない。なぜなら、知らないから。なにをrefineするのかね?まではわかる。たぶん英語能力検定の上の方を持ってる人や大学受験勉強を頑張った人は知ってる。あとは、その業界の人ね。私の語彙にはない。製油所だって。知っておいて。これで終わる。藤井風さんのコーチェラフェスのステージの模様が、ありがたいことにネットで中継されるので大喜びで観ています。おもしろーい。演出はダッチさんですかね?マイクをさしたスタンドを振り回して、マイクをドカッと落として、音がワルイ!なんて、音響担当のみなさんにはやつあたりでしかないようなw おもしろいけど気をつけてね。風さんのYouTube動画のコメントを見ていると、「スカしたイケメンだと思ってたけど、かっこつけてなくて、自然体の自由な人なんですね」というような内容をよく見かけるのではあ、風さんはカッコつけてるんじゃなくて、ただそのままカッコイイのよなw と。まあ、カッコイイのは、私にとっては、おもしろい以外の要素じゃないのだが。うちの旦那ちゃんなどは、私が目をハートにして風さんを観ていると勝手に思い込んでいるのだが、わからん。私がヘッドフォンをつけて音に集中しているのを見ていないのか。見た目がカッコイイのはノイズだろ、いや、おもしろーい!まあそして、フェスにおける風ファンの振る舞いも風さんの音楽にとってはノイズになるんだなと毎回思うのだけれど、それとこれは別で。わかっていて息をひそめておとなしーく待ってるファンもたくさんたくさんいるのですぞ。それを知ってくだされ。(くだされがわたしのなかで、はやっている。)そして、風さんの見た目のカッコよさ、ファンの振る舞いに惑わされずに、ぴんときたら聴いてみてくださいね。私、何年か前に「世界語で歌う人」という日記を書いたんだけれどpremaはサンスクリット語で、My placeにはスペイン語?わからんけどラテン系のことばが出てきましたね。伝えるためのことばだからね。もっと聴きたいね。先入観や思い込みにとらわれず「知る。」日記でした。終わります。2回目のコーチェラステージがもうすぐ観られます。藤井風関連で検索してこられる方もいるようですがまあ、熱心なんだなあ!と、役に立たなくてごめんなさいといつも思っています。半泣き。ごめーん!詳細は、どこか確かなところで調べてくださいね。楽しみね
2026年04月18日
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今年の7月から続編を2クール続けて放送予定だという「VIVANT」の最初のシリーズをTVerで観たのと、2026年冬に観た「リブート」の感想を書いていないことが気になっているので、「日曜劇場」というくくりで少し書こうと思います。 TBS日曜夜9時のドラマ帯に「日曜劇場」という名称がついています。私がそれを意識して観始めたのは、つい最近。「アンチヒーロー」からかな。タイトルは憶えていても、放送年は憶えていない。アンチヒーローは、長谷川博己さんが主演のヤメ検弁護士の、冤罪を扱ったお話でした。北村匠海さんが、新人弁護士の役をやっていて、「ほお〜、北村匠海はいい役者になったなあ」とつくづく思ったのをよく憶えています。パラリーガル勢もよかったよね。大島優子さんの敵か味方か?という描写がドキドキでした。近藤華さんの名前はあのドラマで覚えた。芸能人(テレビに出てる人)の顔と名前を一向におぼえない旦那ちゃんも、ほら、あの娘さん役の、というとわかる。それくらいに印象的だった。で、この時間帯には、有名な倍返しの半沢直樹とか、あれは、タイトルは何?(←観ていない)「仁」とか、これは旦那ちゃんが観ていたので、少し観た。子どもたちの手が離れるまでは、落ち着いて連続ドラマなど観れないと思っていた。だから、ほとんど観ていないんです。無料のネット配信で観られる海外ドラマなどは、面白そうなものを教えていただくと時間を作ってよく観ていました。テレビ放送の時間にしばられない、というのは大きい。だから、観られない時期は、それでいいんだと思いますよ、世間で流行っていようがなんだろうが。何がどのようにおもしろかったは、私が語るからまかせてw(ただし、視点がスコシ変だけども)ですから、「アンチヒーロー」から、「御上先生」「キャスター」「19番目のカルテ」「ロイヤルファミリー」などを観て(観る観ないは、気分。全部は観ない)「リブート」を観ました。ここに書いたなかでは、いちばんおもしろかったのは「御上先生」かな。末っ子のクマが教員になりましたし。公立だけどね。「リブート」どうでしたか?おもしろかった?(聞くなよ)顔を変える、というのが、技術的に可能になって、映像もCGで作れるというので構想されたドラマだと、脚本家さんのインタビューで聞きました。私の感想は「おもしろくなくは、なかった」かな。出てる人に好きな人がいるなら観るといいのでは、くらいの。う〜ん、謎解き展開って、ネットがあるとむずかしいですよね。みんな、何か思いつくと書いちゃうし。あれを、かつては学校や職場で「ねえ、昨日のアレ観た観た?」って盛り上がってたんだと思うけど。脚本を書く人は、いまやネタバレされることを予想して書かないといけないよね。ドラマ内容のネタバレだけじゃなくて、この先の予想まで、当てちゃう人いるじゃん。スクロールしてるだけで目に入ってきちゃう。なので、まあ、びっくり、みたいなのはなかったかな。で、わかってみてても、鈴木亮平さんの中に松山ケンイチさんが入っていて話しているように観えるところもありましたよね。戸田恵梨香さんのなかに山口紗弥加さんは、そもそも隠してあったのだから、そう見えちゃいけなかった。だから、あれでよし。で、裏社会の描写が(スゴイ)って話があったけど、そういう描写や伏線回収に関しては、私は「シナントロープ」のほうがおもしろかったかな、私は、ね。そもそもくらべるようなものじゃないです。でも私の中の尺度では、そんな感じ。そして同じ黒岩勉さんのドラマなら全決のほうがおもしろかった。私自身がノッていけていないことが「リブート」を楽しめていないすべての理由ですね。で、せっかく日曜劇場でまとめるので、ここに書いておくとひとつめの「VIVANT」おもしろかった。筋書きが複雑すぎて、ネットの海を渡りきってこないのだな!wあれをひとことでまとめられる人とかいないもん。なんだ、スゴイとかおもしろいとかふつーなのね。何にも伝わってこなかったし、役所広司が〜とか、砂漠が〜とかくらい?初回放送が2023年だから、私は倒れて入院してたので、テレビどころじゃなかった。ただ、評判になっているのは、知ってた。どんな話かは一向に伝わってこなかった。自分で観られてよかったけど。TVerでも公開されてたし、続編の放送が宣伝されているし書いても、大丈夫かな。わけがわからないタイトルの「VIVANT」はバイカ国(アジア架空の国)の日本大使館で現地職員の人が警備指示を出すのに「ビキャン」と発音する言葉があったタイトルの「ビヴァン」はドラマ中でも謎のことばで、「ビキャン」を聞いた公安警察の野崎さん(阿部寛さん)が似てないか?今なんて言った?「は?」もう一度ひと通り話してみる、すると、ビキャンと聞こえるのは別館ということばだった。bekkanがモンゴル語でビキャンになるなら、ビヴァンになるのは何だ?bebban?日本語にそんなことばはないな、beppanなら?別班!自衛隊別班。日本国、裏の諜報組織だなるほど、あの謎タイトルにはそういう意味があったのか、なるほどね。そしてこの、変換候補にすら上がってこない「別班」を主役にしたドラマである、と。もしも評判は知ってるけど、観ようか迷っているという方がいるなら伝えたい。おもしろいよ(^_^)007とミッションインポッシブルを足して、そこにさらに「美しき我が国を汚すものは何人たりともゆるさない!」だ。スパイものなんてまったく興味ないよ、の人はやめておいたほうが……。は? そんな人いるのお?←バカ。堺雅人さんの一見ヘタレなビジネスマンが、実は超優秀な、頭脳戦にも強く実戦闘力も高い人だというのがとにかく観ていておもしろい。堺さんを観ていて「この人、じつはスゴイ人だよ?」って予想しないじゃん。カッコイイです。乃木憂介というキャラクターは発明ですね。お話のすべてをネタバレすることなんてできないし、したところで、つまんないんだよ。観たほうがいい。結末を知ったからって何?わかってても観るよ。そこを目指さないとダメでしょうね、これからの連ドラや映画は。いや、昔からかあ。語らせたらいくらでも語りそうな。もうやめます
2026年04月15日
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前回のつづきです。朝ドラ感想のつづき。「ばけばけ」書ききれなかったことを書きます。「オープンマインド」というのは、八雲のお孫さん(小泉凡さん)が八雲夫妻を描写するのに使っておられたことばで、私の理解では、偏見や先入観にとらわれない自由な心の持ち主という意味かと思います。で、それは、ドラマ内の描写でも表されていて、おふたりとも、自身の苦しい身の上をそのままに受け入れている、というか、受け入れるしかないよね。どんとこい!だよねw ただし愚痴は言いまくりだw 言っていいんだよ?それは。あー死にそう、働きすぎてもう死んでしまう(死なない)私がおふたりのオープンマインドを実感した描写は、トキさんの「呪い、おもしろい!」、あ、そのまえに最近いいことあった?という職場の同僚からの質問に「金縛りにあったくらい」って言ってたね。呪いも金縛りも笑いごとじゃないらしいですよ!?呪われてるって人を笑いものにして、なんてフザケたドラマだって、怒っておられる方がネットにいましたけど。残念ですね。呪いも金縛りも、科学的に説明がつくなら知りたいじゃないですか。わけわからないものは、正体を知りたいじゃないですか、純粋な好奇心ですよ(これは、私の場合だけど)トキさんは、あの時代に(みんなが、怪談なんてキモチワルイと見下してる時代に。イライザさんにはchildishと言い捨てられていたような時にも)おもしろいものは、おもしろいで、それを否定しなかったんですよ。ドラマとしての描写は、脚本家さんや演出家のみなさんの工夫も大きかったと思うけど、史実として、ギリシャに生まれて不遇なさすらいの人生を送ってきたラフカディオ・ハーンという人物が、日本の松江にやってきて、小泉セツさんに出会って結婚して、ふたりで怪談の本を完成させて人生を日本で終えたという事実があるわけですから、ポイントは現実として受け入れていいことだと考えます。ですから、偏見や先入観というものをトコトン嫌っている私には、最初から最後までひたすら興味深いドラマでした。ふじきみつ彦さんが、提示された4つの題材から八雲夫妻を選んでくれてよかったな、2025年のいい思い出になりました。ありがとうございます。さらに、八雲が帝大での職を失う理由になったんじゃないかとウワサされる夏目漱石、の「こころ」の英訳版まで、引っ張り出してめくっています。で、昔の文学者のドラマが観たいなあ、ですよ。そして私は英文が好き。大好き。自分の好きを再確認できるドラマでもありました。ベタなお笑い要素も好きよ。まあでも、朝ドラに盛り込むのは難しいんだなとレビューをのぞいていて思いました。私、放送前に、施設の職員さんと、このドラマの噂をしていて「阿佐ヶ谷姉妹も出るよ、大根役で」という心底わけのわからない大ウソをついて、ダイコンって何よwどこでどうなったんだかわからないけど、庭に植わってる大根かな?と思いこんでました。私の血の出た脳、意味わからん。蛇と蛙なら、納得ですね。白昼夢かな。なんか、ばけばけっぽい話だよね、ダイコン役。 おわり。「虎に翼スピンオフドラマ 山田轟法律事務所」こちらも観ました。本編にしっかりリンクさせてありました。映画にもなるんだっけ。土居志央梨さんのヨネさんは、ホントにハマり役ですね。怒り顔が魅力的なんだな。ドラマとしては「正しく怒る」ということについて考えさせられるものでした。怒ること自体はわるいことじゃないよ、あのドラマでも、ヨネさんは正義の味方だった。怒るということでいえば、「ばけばけ」のヘブン先生が、自分のことでなく、「他人を守るため」に怒るのがかっこいいという話がありましたね、忘れてしまった。高石あかりさんのインタビューだっけ?そうなんだよ、自分もだけど、誰かを軽んじたり理不尽にさげすむようなことは、許せないんだよ、見のがせないんだよな。それも、そうか、とらつばにもばけばけにもよく描かれていましたね。朝ドラ本編に出てきた俳優さんたちもスピンオフのみの俳優さんたちもお話にしっくりなじんでいてよかったですね。戸塚純貴さんも伊藤沙莉さんも器用な俳優さんだけど、こちらは特になじんでいる。あと、あれだな、主題歌。「さよーならまたいつか」の良さを再確認しましたね。素晴らしい。ワルグチは書かないようにしてるんだけど、今の朝ドラの主題歌、私にはイマイチです。歌い出しの「いつか〜この景色が」の「が」の音だけ離れる譜割りがキモチワルイ、毎朝。でも、あの曲が好きな人たちが喜んでくれているならいいと思うの、もちろん。どうぞ喜んでね。私は、いいや、もう何年もそう言っている。あ、それで、振り返ったらRad Wimpsのあんぱんの主題歌はよく考えられていましたね、としみじみ。今の朝ドラを観ながら、例によって、史実とフィクションの混ぜ方についてまた考えていて「あんぱん」からずっと考えているんだけど、まだ頭がまとまらないのでそのうち書きます。見上愛さんも上坂樹里さんも好きなので、朝のドラマは、欠かさず観ています。俳優さんたちについては、ついでにムリヤリ書くみたいなのはイヤなので、また、みなさんの印象深い役を見かけたときに書くつもりです。期待してます!
2026年04月13日
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NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)について書きます。まずは、先日放送が終わったばかりの「ばけばけ」から。「ばけばけ」2025年度後期。まず!大好きです。近年の大河ドラマが「光る君へ」「べらぼう」と文化系で続きましたし、こちらも小泉八雲をモデルにしたドラマとのことで、放送前から楽しみにしていました。大河が戦国ものに戻って、朝ドラも明治の看護婦さんたちのお話になって少しがっかりしていたら、次の朝ドラは宇野千代さんをモデルにしたものだと。「ばけばけ」が終わって「ああ、昔の文学者のドラマが観たいなあ」と呟いていた私には嬉しいかぎり。考えて、整頓しました。このドラマが伝えていたのは、人生=表裏一体、何でもない日の積み重ね✕(自分軸+オープンマインド)このドラマに人生の表裏一体を実感したのは、トキさんが地元の新聞で話題になってから石を投げられるに至る流れで、松江を離れればトキさんの苦しみがなくなるだろうと熊本行きを提案したヘブン先生に、自分は松江が、松江の人たちが好きなんだと涙をこぼしていてもちろん、意気消沈したトキさんを元気づけようと集まってくれた人たちは松江の人たちだけど「ラシャメンとおとしめて石を投げつけたのも『松江の人たち』なんだよなあ」と私はつぶやきました。人間のいい面とわるい面は表と裏のようにくっついていてひきはがすことはできない。それは、ドラマコピーの「この世はうらめしい。けど、すばらしい。」にもよく表れていました。昨日、旦那ちゃんと「ばけばけ」の話をしていて、彼はアンチ司之介なので、熊本の荒金さんの大豆のくだりでは絶対大損すると思って見ていたと「あれは、だまされたなあ」と笑っていましたよ。そして、最初に借金を抱える原因になったウサギのエピソードを振り返っていて、小日向さんの演じるおじじ様がウサギを操って「ひめ!ウサ衛門でござる」ってやってるのが大好きなんだけれども、あの後、両親は、借金でどうしようもなくなってウサギたちを食用にしてしまうしかない。「ウサ衛門・・・」と察したおじじ様が切なかった。ドラマとしては泣き笑いだよね。でも、そんなもんだな。いいことばかりじゃないし、わるく思えることだって同じようにやってくる、そんなもんだ。いいことばっかりの片面の人生は不自然だし、ウソだ。そして、何でもない日の積み重ね、これも、ドラマで描かれていたのは、何も起こらない毎日(ドラマなのにね)そんなもんだよ。何も起こらない愛おしい毎日だ。(宇多田ヒカルさんの『あなた』にもそういう表現が)そんな毎日が積み重なって人生になるんだよ。亡くなってから押しかけてきた人に「だいなしにした」なんて怒られるようなもんじゃないんだよ。あの、最終盤のトキさんの落ち込みは、私の去年秋の落ち込みとも重なっていて、私の(復活するための)結論はその1日、1日のひとつひとつの判断や行動を、自分自身が後悔しないように、最善のことをしたと思えるように暮らせばいい。その積み重ねなんだよ。過去の自分を信じろ。いつの日も信じられる自分でいろ!だ。私は、子どもたちと過ごした毎日に私の間違いがあったとは考えない。大筋オッケーでしょ。楽しかったもの。楽しかったなあという記憶を持てるのはしあわせだよね。それは、誰かの評価や、他の人と比べて成り立つものじゃないんだよ、知ってる。ドラマでは、トキさんはヘブン先生の姿が見えなくなった(亡くなった)あとも、しあわせな思い出を振り返って立ち直ったように見えましたね。ん?ちゃんと観れていないかもしれない。スピンオフも安定のおもしろさでしたね。あの、後半のインタビューの、出演者が畳の縁をふんでるじゃないかって意見が出ていましたけど、椅子を用意したスタッフさんがお若かったのかな?と想像しますが、年代というより、習慣の問題でしょうね。若くても、日本家屋で育って、幼い頃から言い聞かされていたら踏まないのはあたりまえですからね。だいたい、サワさんと庄田さんは、背格好が全然違うんだから、ああなるでしょうよ。まず、あんな場所によく椅子を置いたなあと心配になりましたけどね。。敷居にのっていないかな?と心配でした。忙しかったんでしょうね。忙しくても正しく判断できる力がないと困るのだな。うん、なんにしても、主役のおふたりも取り巻くみなさんも、とってもよかったですね。私の好きな円井わんさんを堪能できました。不機嫌そうなお顔があんなに魅力的なんて(^_^)貴重な俳優さんですね。全然、書ききらないから、つづく
2026年04月11日
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最近の私の口ぐせは、振り返って考えてみると「わかる」のようだ。「わかる」っていうのは、話し手の事情や気持ちを理解して納得することだ。大学を卒業して社会人になったばかりの末っ子のクマなどは私の「わかる」を誤解しているのではないかと感じられる。私の「わかる」は、単なる同意じゃない。私の場合だけでもないか?みんなそうか?何にでも同意して共感して、涙を流しているわけじゃない。同意って、同じ気持ちってことね?ただのagreeじゃなくてね。そうだよね、くやしいよね!うれしいね!そりゃ、同じ気持ちになることだってある。でもだいたいは、話し手がその気持ちにいたる背景や流れを自分なりに理解しただけだ。もしかしたら、人が求めているのは「わかってくれること」で、同意してくれることじゃないんじゃないの。同意や共感って、まずは、わからないとできないことだ。だから、同意や共感、反感以前に「わかる」段階が必要になる。そこをいいかげんにして、なんだかわからないけどよくない、などと言うのは短絡的だ。反感を示す前にわかる努力が必要だ、そして、やっと、自分の意見が表明できる。私の場合は「うん、うん、わかる」とうなずいていたと思ったら「うん、それのどこがイヤなのお?考え方によるんじゃない?」となるわけだ。でも、それで怒られたことはない。わからないときには、正直にわからないと言う。いろいろな人の気持ちを「わかる」ためにはそれぞれの事情や(社会的な及び個人的な)背景を理解できる知識や経験が必要だ。知識は、ウィキペディア頼みで済むものではない。だから私は、実地で体験した人の話を聞くのが好きだ。そのとき、どんな気持ちだったか。どんな感じだったか、をその人の持っていることばで表現してもらう。(あ、そう、だから、「ばけばけ」のヘブン先生がトキさんに、あなたのコトバでというシーンはよく「わかった」)私だって、子育て生活を通して現場で経験してきたことはいろいろあるけど、クマは「おかあさんの考えはいいんだよ」と横に置こうとする。まあ、しごく一般的ではないという意味では役に立たないかもしれないけどそれでも、私と同世代の、よくものを考えている人たちは同じように思うに違いないってことはたくさんあるんだから、聞いておいてくれてもいいのにな。昨年末あたりから私が興味深く聞いていたのは、広島の原爆被害で家族のほとんどをなくしたという介護施設の利用者さんの話で、私には想像もつかないような体験をしていて、貴重な話を聞けたという実感がある。人生に同じものはないので、それぞれの人生の話をきくのは興味深いものだ。そして、人は「わかってもらう」ためのことばも持たなくてはいけない。伝えることもできずに、「わかってくれな〜い」などと泣き言を言っていてはいけない。ただし、懸命に言葉にせずとも正しく想像してくれる洞察力のある人もなかにはいるのだがそれに甘えていてはいけない。わからなくても、他人を決して否定しない主義のひとだっているのだ。つまらないと思うけど、そんなの。何を言いたいかというと、問題を解決したいとき「何を言ってんだかわけわからん」人の言うこともまずは、「わかる」ことが必要だってこと。「わけわからん」ことを言ったりしている人のことを、切り捨てておしまい、では問題は解決しない。世界の現状で言うとトランプ大統領や、それに対する各国の首脳の反応などは、簡単にわかるものではないのだから、「わからない」ことを自覚しなくちゃいけない。そして、義務教育範囲の教育で、一定程度わかるようにすることが教育の役目だと思うけど、世の中の流れなんて一向にわからなくても立派に生きて行くことはできるので、最低限みんなが押さえておかないといけないことは何か考えないといけないよね。ここに書いたことで、再優先にすべきことは何か。伝えるための言葉を持つことか。相手を「わかる」ための知識を持つことか。要らぬ知識をみんなに教え込む必要はない。まとめると「わかれ、とりあえず、わかってくれ」だ。地球上の誰のことも。悪意には悪意が返ってくるんだよ。それは実際に見てきた。誰かをわかることも、自分をわかってもらうこともどうでもいいのは、ジャイアンの態度だ。実際には、ジャイアンにもいいところはあるんだよ?それは知ってる。日本人の共通認識にドラえもんがあるのは、強いよね(^_^)
2026年04月09日
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前の日記のつづき。なくしたもののゆくえにおもしろいものがいくつかあるので書いておきます。少し前に書いた長男のワンの持ち物にゆくえのわからないものがいくつかあった、という話、担任の先生に連絡帳に書いて協力を求めたしだいです。しかし、詳細は忘れてしまった。小学校2年生のときです。担任は大ベテランの先生でした。私の担任の先生だったとしてもおかしくないくらい。文房具がふたつと学年別のカラー帽子。文房具の片方は教室の落とし物入れに入っていたそうです。私が先生に協力を求めたのは、他の子の持ち物に混ざっていた場合、ワンがいくら探そうと出てこないと知っていたからです。先生からひとこと、「みんなのもちものにワンさんの持ち物が混ざっていませんか?」と聞いていただけると助かります、と。ぼんやりした子でお手数をおかけしますが。よろしくお願いします、です。ぼんやりで持ち物をなくすのは、ワンのせいというより、母親の私のせいでしょ、すまんな。できるようにがんばろうぜ。学年帽はみつからなかったんです。まあ、必要なものですし、1000円もしないものですから、さっさと買ってしまいました。(これも大人の判断ならはやいよね)そして月日が流れてワンが5年生になったころ、同じクラスの子がある日「これ〜」とわたしてくれたのだと。なぜ、いまごろ、出てきた!?わけがわかりません。その子のおうちの引き出しにでもしまいこまれてしまったのか。私がワンに言ったのが「まあ、持ってきて渡してくれてよかったよね。知らん顔して捨てちゃうことだってできたんだ。ありがとう、だね(^_^)」こんなの、いくら子どもを怒ったって何ともならんよねw うんうん。メデタシ。そして、中学2年になった末っ子クマの話、保健体育の教科書、ノート、筆記用具を持って、理科実験室かなんかに移動して、そこに教科書を忘れてきた。と本人が言う。「うん、わかった。じゃ、取りに行ったら?」「カギがかかってるんだよ〜」そりゃそうだ。先生に話して開けてもらったら?実行したクマ。ないよ〜、ないんだよ。変ねえ、理科実験室に保体の教科書なら誰か気付いて職員室に届けないか?聞いてごらん?ぼくの教科書届いてませんか?って。ないよって、言われたよ。そうか、困ったねえ、保体の教科書の使用頻度は?ときどき。ネコが使ってるのと同じ?うん?少し違うかな?←同じだけど版数が違う。マイナーチェンジだね。一学年上のネコスケが使ってる保体の教科書が、同じ中学を卒業したワンのお下がり。ネコスケは、もう使わないよと言うので、じゃあそれを使ったら?ネコ、使うときには言ってね?みんなとまるっきり同じじゃないけど、クマは気にしない。そういうタイプ。保健体育の教科書にそんなに頻繁な更新は入らない。そんなに新事実が見つかる世界ならすごいよね、ということをクマはよくわかっているのだ。そしたら、詳しくは忘れたけど学年末かなんかに出てきた。めぐりめぐって、クマの手元に返ってきた。(しかし残念ながらキミはもう用済みだ!)名前を、大きく書いておきましょう(教訓)書いてあったから、戻ってきたのだ。ワンの学年帽もね(^_^)何年も経ってから。なくしたことは責めないけど、なくされた持ち物の気持ちになって「ねえ、ワンの片方の手袋は、『ワン〜、どこに行ったの〜?』ってどこかでサミシイ思いをしてるよね」それが強迫観念になってはいけないけど、物を大事にすることは悪いことじゃない。想像していつも話した。素直なワンは、電車で落とし物をしても追跡してなんとか取り戻そうとしたけれど、出てこないものは出てこない。これは、本人が気を付けるしかないよね。失敗は誰でもするけれど、失敗したときにどう対処するかを育つ過程で親子で学べるといいよね。クマと私は、ほんとによく考えた。まずは、失敗した!と思ったときに、正直に話して相談できる人がいることが重要だ。話は聞くけど、役には立たないのが私(その自覚はある。笑うし。)そして大学生になってからも、パスケースを落としたりしてあわてることも多かったワンは、見つけて拾ってくれる人がいることに感謝していることだろう。日本では、財布を落としても中身もそのままで返ってくるというのが伝説のように語られるけれど、だってあたりまえなんだよなあ。あたりまえでいられるままでいたいよ。ね
2026年04月08日
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たくさんの人が新学期をむかえるこのタイミングで、私自身のくふうと私が子どもたちにしてきたくふうを、ここに書いておきます。子どもに「できない」ことがあるとき大人にできることは、「しっかり」「ちゃんと」「きちんと」「一生懸命」「真剣に(マジメに)」「頑張れ!(ばできるのに)」とガミガミ「しかること」ではなくて!子ども本人が「できるようになる」手順を、こどもと一緒に考えて、それができるように見守ることだと考えます。これは、私自身が子ども時代に考えたことを、私の3人の子どもたちと実践してきた内容です。【持ち物にはかならず名前を書く】名前の書いていないものを「自分のものだ」と主張されたら、何も言えないでしょ?と話したら、スンナリ納得してくれました。だって、誰のか、わからないものね?エンピツ一本から消しゴムまで、なくなったら困るものには何とかして名前を書きます。たくさん入ったファイル整理用の小さなシールもパックで売っていますから直接書き込めないものには貼り付けてセロハンテープで取れないように補強します。消しゴムは、ケースに貼り付けました。ケースを破損したり、なくしてしまったら本体に直接ネームペンで書きます。小さくなって、持主不明の消しゴムは、教室の落とし物入れにたくさん入っていたものでした。「自分の持ち物」に愛着と責任を持てるようにしましょう。なくなってもいいや、こわれてもいいや、と粗末にあつかう習慣はよろしくない。大事にできるように、文房具はできれば、子どもの好きなものを選ばせてあげましょう。ちなみに、うちの長男のワンが小学校に入学するときに買った手回しのエンピツけずり、頻繁に買い替えるものではないし、ヘタしたらこの先ずうっと使うことになるなと思いながら、好きなものを選ばせたら、全面にポケモンの絵のついたものを選んだ。「ワン〜、大きくなっても使うんだよ?ホントにいい?これで?」とても大事に使ったので、今は大学院生の次男ネコスケの手元にある。いまや、むしろうれしいよね、昔のポケモンw【勉強に必要ないものは学校に持っていかない】勉強に関係ない、大切なものを学校に持って行って、なくなっても知りません。先生に言ってもダメです。そんなの先生には迷惑でしかありません。やめてください。友だちに見せたい、などの場合は、休みの日や放課後などに、おうちの人の目の届くところで見せ合いをしてください。うちの子どもたちは、大切なものを学校に持っていくことはなかったので、持って行くと言ってきかない子どもに言い聞かせるのは大変かもしれないけど。基本的に、勉強に関係のないものを持っていっちやダメなんだよ?は、子どもたちが学校で先生に指示されているはずですから、先生の言うこと(決まり)を守るように習慣づけるのは、「しつけ」です。私は母親になってから何度も子どもたちから、言われました。「先生がダメって言ったよ?」母親からすると、意味があってすることもこどもにとっては、学校での絶対権力者である先生の言うことに反することは許されませんでした。それならそれでいいさ。お母さんは自分で先生と話すよw それくらいに(先生と対等に話し合えるくらいに)よく考えていなくてはいけません。思いつきをゴリ押すようなことはやめてね?そして、くれぐれも、そんなことをすると「先生に」怒られるよ?とおどすようなマネはしないでください。先生を悪者にして、親がいいもんなんてわけわからん。先生の言うことはきくように言い聞かせて学校に行かせてくださいね。た・だ・し、先生の言うこと、することにどうしても納得がいかなければ時間を作ってもらって、しっかり話をしてくださいね。それは別にわるいことではないし、モンペでもない。殴り込むのはダメです、もちろん。先生も、子どもや保護者の話を聞く耳を持ってくださいね(^_^)ガンバロ応援しています。【新学期に教科書を一緒に確認しよう】学校で先生と一緒に乱丁落丁の確認をしているはずですがおうちでもう一度、必要な教科の分がそろっているか確認を。ごめんなさい、うちは、もう育ったので、デジタル教材の状況がどうなっているのかわからないのですが、基本的には、同じかと思います。高価なものをあつかうことになるのは心配ですね。子どもが困らないように大人が考えてあげないといけませんね。紙の教科書を前提に、書いておきます。そろっていることを確認したら、子ども自身に、名前を書かせましょう。1年生は難しいかもしれない。2年生以上なら書けるかな?子どもは「上手にきれいに」書くことはむずかしいかもしれない。なるべく大きく、はっきりと書くことを目指しましょう。うち男子3人だけど、ずっとそれを習慣にしてきました。「自分のもの」という気持ちが強くなるようです。お家の人が書いたほうがきれい、とかお名前シールがステキとかそんな好みもあるかもしれませんが、習慣づけのためには、自分でさせたほうが、後々苦労がありません。教科書の裏面にデカデカと書かれた名前を「おお!ちゃんと書けたね。これで間違われることないね」とほめるのも習慣づけです。手放し準備よね、ある意味。【教科ごとのセットを自分で作ってみよう】国語、算数、理科、社会(生活) 英語? それぞれに教科書、ノート、ドリル、ドリル用ノート その他にもある?ノートは行数やマス目が指定されていることが多いです。できれば、最初は、決まりにキッチリそったものを用意してあげたい。いや、うちの母がね、これでもいいでしょ!?って言いがちだったんですよ。ただでさえ持ち物の管理ができない私に「これでもいい」が理解できるわけがないだろw みんなのと違うけど、これでいいのかなあといつも不安でした。母の考えが理解できるようになったのは自分が母親になってから、そして同時に子どもの気持ちもわかる。「ねえ、これでもいいと思う?」「うん、まあ、いいと思うよ?」「じゃあ、ダメそうだったら言ってね?」うちの子らはよく分かっている子だったが。新1年生は、じかんわり表を見て、各教科セットを自分でそろえる練習を。お知らせプリントはすべて連絡帳袋に入れること。各教科で使ったものはそれぞれの教科書かノートにはさむ。連絡帳を入れる袋(ケース)を使っていない学校とかないですよねえ。お知らせはすべて、保護者当てメールとか?それなら便利だけど。お知らせは、そこに入れるきまりにすれば、なくしものは格段に減ります。これは、うちの子ら3人みんなできました、雑な男子だけど。ときには、ランドセルに直接ほうりこまれていたこともあったけど、被害が大きくなる前に救い出しておきます。ランドセルに入っているだけ上等ではないかとも思います。記憶にないんだけど、どうしても見つからなくてどうしようもないときには、大人の知恵を発動して何とかします。同級生のお母さんに聞いてみるとか、コピーをとらせてもらうとか。そこは、お互い様です。子どもを怒鳴り散らしても見つからないものは見つからない。また同じことをしないことを目指そう。失敗は経験だ。まあそう、なんでも、できるように準備して練習してできるようにしよう。訓練ですね。そしてできることは、本人の自信にもなる。自信がつけばできることは増やせる(^_^)安心して手を放せるように。
2026年04月07日
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ドラマ「テミスの不確かな法廷」感想、まとめです。いま、最後の回を見直しました。松山ケンイチさんはほんとにいい(実力ある、魅力的な)俳優さんですね。周囲を固める役者さんたちもとてもよかった(表現が浅いけど)あの、前に並んだ3人の裁判官たち、遠藤憲一さん、恒松祐里さんも素晴らしかった。「普通」(健常)とくくられていながらも「個性的」な人たちを、演じるのも難しい。「個性」か「特性」か。私は「個性的」と言われることも、なかったですよ?変わってるねとは言われました。「変人」の部類ですかね。まあいいや。なぜ見直したかというと、冤罪→死刑執行、安堂さんの父親の死の流れが、流し見だと、よく分からなかったからです。流し見って表現がわるいけど、スマホやタブレットを操作しながら、ですね。で、ラスト3回は、何度か見直しました。ふんふん、なるほど。これでわかったぞ。ただ、冤罪は現実にあることで、これは、小説を元にしたドラマ。フィクションだから、そこをわかったうえで考えないといけない。物語として、現実生活に役立つことは何か、テレビドラマとしておもしろかったことは何か、を書くことがレビューになるわけですね。日記タイトルに、ドラマのタイトルを書かないのは、私がそこをよくわかっていないので、検索して来られた方が期待した情報を得られなくてガッカリすることを避けたかったからです。そのせいで何の話かよくわからないわけですがw 基本的に備忘録なので、私がわかればいいのです。で、このドラマについて書くのはこれで終わりにしたいので、その他考えたことを書いておきます。複数のことを同時にするのが苦手な(というより不可能な)安堂さんが屋外で、苦手な蚊と戦っているときに、外国の人に道を聞かれて、そこへ連れていきますよと申し出て、カバンを置き忘れて裁判資料を盗られたお話がありました。あのエピソードで、「責任感が足らない」「よりにもよっての、やらかし」と周囲からの非難がひどかった。あれを見て私は「安堂さん、わるくないじゃん。そもそも盗るヤツが、わるいんだよ?なんで?」とひとりで(!)ずっと怒っていて、そこはたぶん、フツーの考え方じゃない。もちろん!自分の特性を理解して持ち物を手放さない注意は必要だけど、特性自体は「悪」じゃないんだよ。盗みは「悪」だよ。そこを忘れないでほしいよ。そこが揺らがないのは、常識知らずの長所だと、勝手に思っていて、子育てにも活かせたと思う。「普通」の人が、反射的にする思考をしない、同じような表現が「アストリッドとラファエル」にもあってこないだまで放送していたシーズン4の「密猟者」というお話に。連続殺人の罪で逮捕された人の妹の家に行ったアストリッドが「私のことを共犯者と思ってるのね?」と言われて「いえ、あなたは殺人犯の妹です」と普通の声色で言います。「殺人犯の妹」はただの属性ですから、そこに、非難や嫌悪感はないのです。ただアストリッドの理解していることを言っただけ。この人は「殺人犯の妹」である私を嫌いで疑っているに違いない、というのは、普通の人が当たり前に考えることです。なぜなら、自分自身がそう考えるから。警察や検察は、それを廃したところで活動すべきだから、警察の仕事にかかわることになったアストリッドが、自分に確かめるように「わたしは、テキニン」(適任)と独り言をつぶやくシーンが何度もあって、テミスを観ながら、「安堂さんはテキニン」と私も言いました。そのドラマ中のアストリッドや安堂さんの言動は、勝手に被害者的な発想をしがちな旦那ちゃんと話すときにもいい参考になっています。あれと一緒だよ?と言うとわかってくれる。周囲の、特性に理解のない方に一緒に観ることをオススメします。ちょうどいい流れなので、優れた知能を持つ自閉スペクトラム症の人には、この(警察・司法)方面の仕事が向いているかもしれませんね。実際、どれもフィクションですから、現実的かは、わかりません。あ、医師を題材にしたお話もありますね、弁護士もある?現場で活躍しているクセの強い人物が実は、専門家から見たら特性持ち、発達障害ということはフツーにありそうです。そう考えると、隠さずに周囲に話して理解と協力を求めたほうがいいような気がしますが・・・現実には、カミングアウトすることで、収入か下がるとか職を失うとか問題はいろいろありますね。(いろいろでごまかすけど)うん、何にしても、偏見にとらわれないことが、世の中を、みんなが生きやすく良いものにしていくのだと思います。偏見の、いい例ってあるのかなあ?調べたいし、本を読みたいなあ。身体が不自由になって不便だけど、考える時間はいっぱいある。あ、イヤだ。ドラマの感想でまだ書きたいことがあったよ。←忘れっぽい。冤罪ね。こないだTVerで観た「エルピス」も冤罪を扱ったお話だった。あれ、ヤヤコシイよね。災いあるいは希望、逆だっけ?どちらに重点を置くかで順番が変わってくるね。逆か。あれは、実際のいくつかの出来事に着想を得たお話とのことでした。作中で眞栄田郷敦さん演じる悩めるディレクターさんが「正しいことがしたいなあ」とつぶやいていました。この流れで観るべきドラマでしょう。そしてNHKの未解決シリーズでは、現実に死刑から無罪になった方のお話をやっていて、それを観るとね?警察への犯人を捕まえろ、検察への捕まえて罰しろという圧がハンパないと、いや、ほんとに。そんなことで無実の人を犯人てことにして捕まえちゃうの?って思いましたよ。だって、そんなんで、真犯人じゃない人を捕まえて罰したって何にも解決しないじゃない。達成するのは、「犯人を捕まえろ」「罰しろ」の圧を無くすことだけでしょ。事件自体は解決してないんだよ。そんなことはわかってるけど、そうせざるを得ない事情が渦巻いているってことよね。そこをドラマ(テミス)では安堂さんの父親も、我が子のおこす騒動に振り回されて心の余裕がなかった、という描写になっていました。自白を強要するような取り調べをしていて。でもそれが、誤認逮捕の直接的な原因ではない。小説としては、よく考えられたお話だけれど、ドラマにするとどうしても複雑になりますね。うん、でも、真相のほうは、恒松祐里さんと市川実日子さんの仲悪げなコンビでおもしろかった。あれ、いつも名前を出す俳優さんが同じだなあ。あ、そして、鳴海唯さんの演じた小野崎弁護士はラファエルのポジションですね。よかったもういいかな。書き落としたことはないか。何か出てきたら追記します。It's AlrightのMVまだかなあ。みんな遠慮して書かないのが、エライなあと思うよね。慎み深い。コーチェラとのタイミングを見てるのかな?
2026年04月04日
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前回から、ドラマ「テミスの不確かな法廷」を観て考えたことを書いています。終盤の冤罪・再審請求にまつわるエピソードに、安堂裁判官の幼少時の描写がでてきました。原作でどの程度描かれているのかは分かりませんが、映像で表現するのは、かなりの挑戦になると思います。俳優さんたちは、子役さんも含めて、とても巧みに演じておられた。お父さん、お母さんの苦悩も、こどもが産まれた喜びから始まって、丁寧に描かれていました。そうなんだよ、無事に生まれてくれてありがとうって、ただただそんな気持ちだったはずなのに、要求はどんどんエスカレートしていく。うん、増長していく、日本語で行こう。「普通」ね、優秀でなくても、普通であってくれたらいい(いや、普通なら、もっともっと、優秀であれって言うよねw あなたのためにって。本当の 「あなたのため」 って何かな?)あの描写のなかで印象に残ったこと。お母さんの運転する自動車の前に飛び出してしまって、轢かれた幼い安堂清春さん。病院に駆け付けたお父さんは、息子の腕に残る、傷痕について聞かれます。今回の事故によるものではないようだけれど、日常的に虐待があったのでは?自分には心当たりがないお父さんは、お母さんにたずねます。「まさか」お母さんは心外だという様子で、虐待なんてしていない、しつけただけだ、と。「普通」にさせるために、腕の内側を捻り上げてムリヤリ言うことをきかせるしかなかった、と。お母さんの心の痛みがよくわかりますね。板ばさみだったのね。我が子を自由にさせてあげたい、でも、旦那さんに子どもを躾けろと怒られる。しつけってどういうこと?お父さんがお母さんの虐待を疑ったのは、そうしたくもなるであろう気持ちを実は理解していたということなんでしょう。でも、言ってきかせて「普通」にできない子をどうしたらいい?できないものはできねーのよ(どんどん口がワルイ)いやマジで。発達障害ということばを書いたので、ニトリの社長さんが子どもの頃からメガネを100個買い換えた(失くすから)とか、名前をひとりだけ漢字で書けなかったのが70歳を過ぎて「発達障害ですね」と診断を受けてなるほどと納得したという記事をオススメされました。うん、そうそう、それそれ。私も小学校低学年のころ、忘れものもなくしものも多すぎて怒鳴られ叩かれた。母が感情どストレートの人だから。もちろん、家族を怒らせたり困らせたりしたくないのは当たり前で、でも、できないものはできなかった。それは今でも残っていて、私の世界には異空間に通じる裂け目がどこかに突然存在してものが飲み込まれているんじゃないかと思えるくらいだ。ただし、対処はキッチリしてきた。私はその問題を考えて考えて、体の成長と共になんとか克服してきたのだ(克服したつもりだった)だから、私は、自分の経験から、「できないことがある子どもには罰を与えればできるようになる」というありがちな思い込みが大嫌いだ。あえて強いことばを使います。懲罰反対。小学生になった長男のワンが、いくつか物を忘れたり、失くしたりしたとき、私は原因を探って対策をした。もちろん、本人と一緒にだ。対策すること自体が自分でできるようになることが最終目的だからね。学校で使うものが見当たらなくて、本人にはどうしょうもないときには連絡帳に「御手数をおかけして申しわけないが、これと、これと、これのゆくえが分からないのでワンと一緒に確認していただけますか?」と書いて先生に協力をお願いした。丸投げはしない。してほしいことは限定する。先生の用事を増やすことは、なるべく避けたいからだ。そして、その事態を旦那ちゃんに話していて「痛い目にあえば自分でできるようになるんじゃなあい?」と言われたときに、私は気付かないうちにボロボロと涙を落としていて、自分がどれだけダメージを受けていたかを理解した。できないことは克服しても気持ちは傷付いたままだ。こんな育て方をしてはいけない。痛みや苦労を強いることで子どもが「良くなる」なんていうのはただの思い込みだ。気のせいだよ。(あなた自身も同じだよ。わざわざクルシイ思いなんてしないでね。)子どもに痛みを与えることで満たされるのは、言うことをきかせたっていう大人の満足感だけじゃん?そんなのを「当たり前」にしてしまったら悪循環しかないでしょ。痛みも苦労も与えずに、楽しく気楽に目標を達成できるように工夫しよう!それがもうずっと、私の態度だ。その手助けをするために私は存在する。ただし、痛みも苦労もなく大人になると、それはそれで問題という論議は理解する。だからといって、こんなに打たれなくてもいいと思うよ?適度な苦労で。真っ当な生活を送れることは、それだけで立派よね(^_^)いいよ、それで。ドラマの話に戻したいな。お父さん役の俳優さんが、安堂さんの幼少時描写でも同じ方だったのですごいなこの人、いくつなの?と調べたら、小木茂光さん、ん?まちがってたらごめんなさい。記憶だけで書いてる。一世風靡セピアのリーダーだったこともあるって?ますますすげー!世の中には摩訶不思議なことがあるものね。まあ、それはともかく。このドラマを届けるべきは、しつけと称して子どもに暴力をふるう人かと思うけど、届いてますかね。まあ、「普通」にできない子どもは、しつけがなっていないわけでも悪気があるわけでもなく脳の特性上、それしか出来ない「場合もある」という事実が広く伝われば、意味のあることだと考えます。悪気があって、しつけもされていない子どもをどうするかは、めんどくさそうですね(その言い方)まあでも、北風と太陽なら太陽だと思うんですよ、じっさい。専門家のみなさんの研究を待ちましょう。ワクワク。(わからないなら書くなよとクマなら言いそうだけど、自分の体験に基づいたことは書きたいこんなことがあったよ、は参考になると思ってるんだよ)なんにしても、タイミング的に、新生活を迎える人たちの背中を優しく押すかのような風さんの「It's Alright」が頭をぐるぐるしていて、大丈夫!な気持ちになっている。MVも公開されるのかな、楽しみですね(^_^)
2026年04月01日
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ドラマ感想つづき。「テミスの不確かな法廷」についての感想を書きたいと考えていて、何を軸にしようかと。 ドラマとしては、生来、自閉スペクトラム症の裁判官が、そのことを周囲に隠しながら日々の生活を送っていて、その心の葛藤や日常に起こる出来事(たとえば齟齬)、発達特性を持つ人が司法に携わることについて、など、たくさんの問題提起を含んだものでした。 ですから、それを踏まえて、ただ面白おかしいだけのお話を観たいのではなく、自分自身や家族、周囲の人に「普通じゃない?」という感覚をもったことのある人には、参考になるドラマだと思います。その観点からは同様に、フランス製のドラマ「アストリッドとラファエル」シリーズもオススメです(^_^)一度レビューを開くと、続けてオススメされるのでとりあえず片っ端から開いて見ていたのですが、みなさんの感想は好意的なものが多かった、というか、好意的なものしかなかった。たしか、放送開始直後か、開始前に見かけたレビューに、「自閉症の人は、他の人より高知能だという誤解をまねくのではないか」と書いている人がいて、まあ、そうね、どちらに振れるか分からないし、たしかに、そう思い込む人がいてもおかしくない。ま、でも、思い込みとしては、「自閉症の人はみんな知能が低い」のほうが圧倒的に多いのだろうから、そうでないこともある、ことが分かることのほうが、有用かと思いますね。 ドラマのレビューって、原作とは、別なんですよね。よくわからないんだけど、テレビドラマとしての質をとやかく言う視点を私は持っていない。そして原作は読んでいない。ですから、私に書けることを書きます。以下↓主人公の安堂裁判官は、子どものころ、父親に「どうして、普通にできないんだ、まるで宇宙人だ」と言われたことをよく憶えていて、おとなになった今もことあるごとに「ぼくは宇宙人」と考えている。それは、社会を恨んだり、憎んだりする感情ではなくて、社会を別の視点から俯瞰して見る態度だ。自分を卑下するわけでもない、フラットに「ただ違う」だけ、だ。それは私にはよくわかる。腹の底から納得のいくものだ。私自身は、発達障害の診断を受けたこともないし、昭和の中頃にはまだ、いまのように研究が進んでいなくて、発達障害や特性なんてことばも一般的ではなかった。でも、私がいまの時代の子どもならば、確実に何らかの診断名がつく子どもだったろうという自覚がある。かつては、重度の自閉症の人たちが、教室も別枠で存在していて、いまのように、「傾向」とか「特性」とか、つまり「スペクトラム」に含まれるような概念自体がなかった。だから、「あきらかに自閉症」ではない私は普通のことが普通にできているはずだった(でもできちゃいなかったのだよ、実は)最近でも、ネットの記事で、発達障害が疑われる、成績のいいお子さんを持つ親御さんが学校の先生から「何の問題が?診断など不要でしょう?」と言われた話を読んだが、本人の「生きづらさ」と親の「この子、なんかヘン?」と学力は、あんまり関係ないように思われる。勉強ができることと「普通にふるまえる」ことは、直接連関してはいない。博士に変人と言われる人物が多いのも自明のこと。もっと言えば、勉強ができればできるほど、常識人である、とは決して言えない。なんなら逆では? それは、論拠がないので、語れないけど。ですから、私はあのドラマを、安堂さんて、変わった人だなあと観るよりも「わかるわかる」と首をぶんぶんと縦に振って観ていたわけです。「アストリッドとラファエル」も、そうです。共感して、いいのかな?普通でないことには、何の違和感もないわ。そしてそれが何か問題だと考えたことはなかった。しばらく考えたんだけど、世の中には、わたしの目には見えない透明な枠組みが存在していて、うちの母などは、それが極太ワイヤーでできているくらいに、うるさいのだ。だから、それが見えていない私も見えている体(てい)で、うまいこと話を合わせてやってきたつもりだったけれど、じつはまったく見えていないし、見えてもいないものを我が子たちに教えることだってできなかったのだ、と去年の秋に思い至ったんですね。(このあたりの話は少し前に書きました)極太ワイヤーではないにしても、みんなにとって邪魔になることも多いその枠組みは、私には見えない、たぶん透明な綿菓子みたいなものだ。だから分かってるような顔をしながらガスガスぶっ壊して進むのだw 痛くも何ともない。だって、ないのだから。正確には見えない。で、同じような特性のある人たちには、やっぱり、見えない。でも、なかには、それが電気の通っだケーブルくらいにビリビリ痛みを感じる人もいる。その感覚は、人によって違うんだよ。感知しないものは、しかたないじゃん。そして、みんなに見えている枠組みが見えない人のなかには、まったく別の素材でできた別の世界が同時に存在していたりするんだ。それは、「普通」の枠組みの人間から見たら、ものすごく高度で想像を超えたものだったりするんだね。というのが、私の、このドラマを観た感想なんだけど、もういいやw疲れちゃった。長くなったので、つづきはそのうち書きます
2026年03月30日
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そろそろ終わりを迎えるものも増えてきたので、書いておきます。 2026年冬に観たドラマ、終わったものから。探偵さん、リュック開いてますよ。テミスの不確かな法廷未来のムスコラムネモンキー朝ドラばけばけあれ? こんなもんか?なんかやっぱり元気なかった感じですかね、わたし。あと終わってないのが、リブートでしょ。豊臣兄弟!はずっと楽しみに観ている。ひとこと感想でいいかな、ここは。「探偵さん、リュック開いてますよ。」はとても好きな感じでした。テレ朝は古いミステリドラマを延々再放送するなら、こんなのをずっと流してくれたらいいのに。終わってみたら、最初から最後の8話までしっかりひとまとめで考えられた良いドラマでした。私は好き。荒唐無稽だけど、フィクションだからこそできることをゆる〜く楽しんで作られたドラマ。それでも、ところどころ考えるべき社会課題も折り込まれていて、肉屋の小学生が主人公のお話では(サステナブルボーイだっけか?)はしゃいだ大人の尻拭いを、なんで僕らがさせられなきゃいけないんだよ!は耳が痛い。で、同時に観てた「ラムネモンキー」で、わたしもほぼ同年代のあかりさんが、自分たちは前の世代の犠牲者だとうったえていて、そんなの、グルグルまわってんだよなあ。誰かのせいって考えるのはむなしいよね。やっぱ自分にできることを(いつも同じことを言う)このドラマは ドンソク=Say something bad. でしょう。怒りのパワーを燃料にして走る乗り物。←見て。有効活用っていいね。私もかつて小学生男子たちのあり余るエネルギーを電力に代えてゲーム機を動かすようにすれば、運動した分しかゲームできないw いいじゃん?と考えました。実現できてないけど。ひとこと感想って何?長いけど、最終回のオダギリジョーさんのセクシー店長には笑いました。わけわからんね、そこがいい。テキトーでね。でもあの人が出てくるのを心待ちにして観ちゃうでしょ!プレステから今はSwitchに移植されたMoonの不可思議な世界に似ていますね。大好物。もっと観たい、けど相棒やドクターXがシリーズ化されても、これがシリーズ化されないのは世の定めと理解している。俳優さんたちはみんなよかった。これからも期待してみてますよん。どこに出てても観てるからね!(^_^)テミスは別の日に書きます。(発達特性関係で)「未来のムスコ」飽きずに観ました。子役さん(天野優くん?だっけ)が超高得点ですよね。かわいいわあ、すばらしい。お話は、颯太くんがすんなり未来さんとまーくんの子どもではなく、ひとひねりされてましたが、これは、まったくの私の好みの問題で、実の母が事故死、父が重病で急死、は、あまりに安易で好きじゃない。親を簡単に殺してくれるな。生きてる方向でお願いします。それ以外は、よかったですね。矢野真くん役の俳優さんがイケメンだと話題になっていたようですが、以前「私の知らない私」でやっぱり主人公の後輩役をやってましたよ、あのまんまでw(ごめん、同じ役かと。ウソ、失礼すぎるな)あ、そう、「シナントロープ」のハシビロコウが、颯太くんを未来に送り返す理学生をやってました。萩原護さん、よかったですね。傾向の違う役で。楽しみです、これからも。「颯太とずっと一緒にいたい!」ってやってましたけど、そんなわけにはいかないのよ。育てて子離れのタイミングの親にも葛藤はあるよと思いながら観ました。うちの子もムチムチしてかわいかったw「ラムネモンキー」途中でパターンに飽きたな、と思っていて、つまり妄想からの現在→じつは当時、が毎回同じだし。連続ドラマって、あーいうふうに(パターンを踏襲して)進行するのが常道なんですかね。あのワンパターンを減らしてしぼって、脚本を磨けば、映画にもできそう(かんたんに言う)ん?ということは、逆に言うと映画を引き伸ばして連ドラにした感じてことかな?まあでも、楽しんで観ましたよ。謎解き展開、要る?若手のおふたり福本莉子さんと濱尾ノリタカさんがとてもよかったですね(^_^)白馬さん好き。オジサンチームは特に感想なし。いや、あの時代を懐かしく振り返れる同世代なんて余程の妄想狂でしょ。恥ずかしいことばかりだよw 自分で振り返っちゃいけない。誰を回想と現在にもってくるかを考えるのはおもしろかった。現在パートの高橋恵子さんと梶原善さんは、端役じゃ終わらないと思ったら案の定の展開でしたね。潜入する話はハリウッド映画にもありがちだし。アホの八郎、過去役の俳優さんもよかった。こちらのドラマはなんとか社会課題を盛り込んだ感がありましたねえ。なんかすっきりしない。これは、ただ単に、私の現在の問題意識とまったく重なっていないせいでしょうね。木竜麻生さんは、とーってもよかったですね(^_^)他の人にはできないと思わせる。あ、ビデオ屋の店長の現在に生瀬さんも意外とハマっていておもしろかった。あの話はもう一度観たいな。消してしまったな。ばけばけも別日記にします。終わってしまってサミシイな。スピンオフも楽しみだ。新しいもの以外に、いまは再放送で八重の桜、アストリッドとラファエル、刑事モースを観ていてあとはTVerでもいくつか観たので、また別の日に書きます(のつもりです)暖かくなりましたね
2026年03月28日
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前回のせわしない選挙で、チームみらいが議席数を伸ばした理由を分析する記事を読んでいて思ったこと。インターネットでつながっている私たちは、それぞれが、自然発生的に存在して成長している。そしてそこに現れる光(みたいなもの)に共鳴して、世界中のあちこちで光ったり震えたり(共振?)しているのだ。かつてのように、一定の指導者の出現を待って、引っ張り上げてくれるのをただ待っているわけではない。おのおのがインターネット上に流れる情報を取捨選択して成長する。もしかしたら、ネット上の情報に一切触れなくても、同じ思考経路をたどって似たような考え方をする人もいるかもしれない。だからわたしは、そうやって、ネットでつながれた世界を構成する数多の(あまたの)点のひとつだ。そのイメージを可視化する能力はないけれど、ここに書いたようなものがたしかに存在していることを、私は感じる。私が正しいと考えることを同じように正しいと考える人が世界中に存在していることを信じられるのだ。孤独感の、反対、だよね。←おいおいおい。そしてそれは、あくまで、「それぞれ」の話だから集団化して分断や対立を生むことはない。いや、個人対個人も分断や対立はするのか?でも、みんなが、自分が責任あるひとつの点である自覚を持つことはネット空間を穏やかに保つことにつながらないか?と思ったのです。少なくとも私は、ここに、毒になるものを放ちたくはないと考えているけど。東北のある県で、卒業のお祝い給食のための赤飯が。保護者からの「大震災のあった日に『お祝い』のごちそうというのは、いかがなものか」との問い合わせにより大量に廃棄処分された、という話はみなさんご存知だとは思うけれど、そのことについては、それぞれの意見があって、理屈で何が正しくて何が間違いかを決めることはできない、できないか?個人的には、せっかく用意したお赤飯を捨てるなんて、それこそ罰当たりな話だと思うけど。それはさておき。私がクマと話したこと。「これこれ、こういう経緯で、廃棄されたらしいわよ?モッタイナイわね」←古典的母親ムーブ。「それとこれは別なんよ。卒業おめでとう!で、そこで震災お◯◯◯う、はダメなんだよ、もちろん」「クマ、それ、気をつけないと、学校でペラっと言ったら『震災お◯◯◯う』の部分だけ覚えて帰った子どもが、うちに帰ってお母さんに 今日ね、先生が『震災お◯◯◯◯う』って言ってたよって伝えて 保護者からのクレームになるんだよ。先生がこんなことを言ってたと子どもが言ってますけど!?(怒)」「切り取り文化、オソロシ」「あれでしょ?ナントカだしね!って言ったら、オマエ! ◯ね!って言ったな!って激怒されるお笑いのネタみたいな」「うん、お笑いのネタならいいけどさ。ホント笑えないよ?ちなみに、お母さんは文章書いてて、そうなっちゃうときには、別の表現考えるよ」つまり、書くべきでないことを、文字で残したくないときは書きません、が、今回は、けっこう考えました。書きたくないけど、書きたい。まあ、でもね、「豆ご飯を食べたくなかった卒業生は助かった〜だったかもね、みんなが好きなわけでもないでしょ?」と発言した私が、もっとも不謹慎でいいです。もうやめましょう。じゃあ、不謹慎つながりで(つなげなくていいんだよ)テレビの音だけ聞いていたクマが言うには「釈迦三尊像?シャカサンゾンゾウ、言いにくいな、なんかそういう早口言葉なかった?」「それは、新春シャンソンショー、たしかに似てるけど」釈迦三尊像、言おうとすればするほど分からなくなる。春のお彼岸ですけど、お仏壇も何もないわが家では「ねえ、じいちゃんがたまには◯◯のところにでも行ってみようかなと思っても何だ、何もないじゃないか、つまらんってさみしい思いをするんじゃなあい?」旦那ちゃんは、かわいいかわいい末っ子ですからね。末っ子チームと暮らす私。物理的には何もできないけど、お祈りだけでもしておこうかな。亡くなった義父さんのためにも、震災と津波で亡くなったたくさんの人たちのためにもん、ほかにもたくさんたくさんいるでしょ?祈りを捧げるべき人は。どうしようか。絶食しようか(しない。そりゃ、極端なんだよ)ケンカしないで、仲良く暮らしなさいよって言うよね(^_^)ね。
2026年03月21日
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2つ前の日記のつづき。「怒ること」自体については、私にいま考えられることは全部考えて書きました。また何か、新しく考えたくなる事柄に行き当たったら書いてみます。私の今のゴチャゴチャな頭のなかを整頓してみた感じ。どれだけゴチャゴチャだろうと、これをベースに、私が3人の男の子たちを育ててきたことに変わりはない。ありがたいことにみんな立派に無事に20代にまでなりました。子どもたち本人に、子どものころ、どう思ったか何を考えたかを聞いてみないとわからない。もしかしたら苦情が出るかもしれないし、苦情が出てもおかしくないなと思ったことについては、少し前に書いた「憂鬱」日記後に書いてあります。いや、あのね。「よその子を叱る」を、ひととおり書いた直後に、あるネット記事を読んだんですよ。その記事にコメントしろよって話かもしれないけど、長くなるので、自分のスペースに書くことにしています、もうずっと。だし、ピンポイントにその記事の状況に何かを言いたいわけではなくて、もっと広い話をしたい。でも私が読んだその記事の内容を正確に伝えられているとも思わないの。ポイントは押さえてると思う、というか、ここがポイントだねって思いながら読んでいる。そして一度は家族と話している。だから元記事の解釈自体が私の視点に寄ったものになっていることは、ごめんなさい(先に謝る)新幹線で家族そろって帰省?することにしたおうちの話、大人ふたりと子ども4人がすわるために指定席を5つ予約した。通路をはさんで、ふたつとみっつ、未就学児もいるので、それで足りる、と。でね、指定席にするか、自由席にするかを考えるのも、お母さんの仕事になってしまって、旦那さんは何を言っても「それでいいよ〜」だし、子どもたちはいちばん上でもまだ5年生だし、相談相手にはならない、と。う〜ん。追記;ごめんなさい。え、新幹線の3人席に「隣り」はないよね?どゆこと?わからない。そこに気付かずスルーするのが、私の弱点であるのは確か。頭が疲れたよ。5年生は(その下の3年生も)十分お母さんの手助けができると思いますがね、年齢だけなら。小さな子も含めて4人の子沢山なら、逆に、上の子に気を遣うところでもありますね?でも、そういう非日常の機会に頑張ってもらうためにも、「普段は」気楽に過ごせるように努めたい。一生懸命になりすぎて、つまらないことをガミガミ言ってないかなあと心配になった。まずは、4人の子育ておつかれさまって言いたい。すごいことよ!その苦労は、本人にしかわからないけど、想像してねぎらうことはできるよ。いやだよねえ、昔からみんなやってきたことなんだからできて当然、とか、自分の苦労話を延々聞かされるのも。そんなん知らんがな!そんなのより「大変だね、頑張ってるね」って言ってもらえたら、気持ちがすこし楽になるんだよね、わかるわ。あ、記事の内容はね、そうやって横並びに座ったら、2席チームのほうに座ったいちばん上のお子さんが、お父さんの隣りに飽きて、3席チームのお母さん&下の子たちのほうにきて、すぐ下の子に「おまえ、代われ」と言い出したと、ウロウロし始めてね?で、お母さんは、考えたあげく、3席チームの横に指定席を取って座っていた女性に「すみませんがあちら(旦那さんのいる席)と代わってもらえませんか?」とお願いしたら「あとから、友人が隣りにくるので」と断られたと。そのことには別に文句はないどころか、むしろ親切な人だったと。「代わって差し上げたいんですが(このような事情で)」と。若い人は感じいい人が多いわよね。つまんないことで、もめたくないしね、そもそも。(いいんだけど、私の理解力がないせいで、3席チームの横の横になぜ席があるのかがわからない!どういうこと?横の横は、いま子どもが座ってる席かな?)まあ、まだつづきがあって、これは別の記事に続いていたのだが、横並びの家族の後ろに座っていた年配の男性がパソコンの画面を見せてきてそもそも「指定券の交換は規則で禁止されていますよ?」と言うのだと。それは、いいとして、ひと言多いのが「あなたも人の親なんだからちゃんとしないと」とお説教されたのだと。ひとこと多いんだよ!!言うべきことは「お子さんをたくさん連れての移動は大変ですね」だろ。さらに頭のわるいことに=私が旦那ちゃんに、「これは、あなたがしそうなことねえ」と言ってしまったので、規則上はそうだけど、みんな、(指定座席交換は)やってるけどね?とからまれたw(私が旦那に)正論はさあ、言いたいから言っていいってものじゃないのよ。そこで論破して、どうすんの!私がそこにいた、この年配男性の奥さんなら「イジワル言わないの!」って全力でとめるわ。想像できますね、5年生の、見た目大きな子が、ウロウロして騒ぎ出して「なんで親は静かにさせないんだ」とイライラ、タイミングをみはからって「あなたも人の親なら」だ、感じわる〜い。間違ってないよ、間違ってないけど、ただただ感じわるいのよ。思い出したのが、2024年の風さんの日産スタジアムライブ、頑張ってチケットをゲットしたら、直前になって無料ネット配信がアナウンスされて、それに対しての愚痴が出てきた。最初から配信があることがわかってれば、と真夏で暑いし、自宅が地方で遠いし、と事情はそれぞれあるよね。だけど、現地に行けることは何物にも代えがたい価値があるのは確か。みんなわかってんだよ、それは!!で、あのときもネットがザワザワしたので、よく憶えている。私の結論としては、「分からせようとしちゃいけない」「分からせるんじゃなくて自分が分かる」ことを目指そう。neverはneverだ。 だからこの場合「あなたも人の親なんだからちゃんとしないと」と相手に「言い聞かせる」のではなくて(無駄無駄&自己満足)「親だからちゃんとしないとなあ」と、みずから考えてもらえるような声かけをしたいところ。簡単に言うなよな〜!!だけど、いつもこんなことばかり考えている私はうまくやる自信があるよ、それに、世の中には私なんかよりずっと優しい優しい仏様みたいな人だって、たくさんいるのさ!知ってるでしょ?まあ、いいや。あとひとつ書きたかったのは小学生は十分に大人の手助けができます。できないなら、そう育てていないだけ。ただ自分の都合で厳しくするのではなく、自分の(父母の)仲間として働いてくれるように仕向けよう。相談もして、されたら困ることも率直に話してお願いもして、守ってくれたらごほうびも約束しよう。そうしていくうちに、お母さんお父さんを助けてあげられる自分に自信を持つのです。頼りにされるってうれしいものじゃないですか?認めてもらうってうれしいでしょう?うん、そうはいってもうちの子、頼りないんですよという言葉が返ってくるのも予想します。あのね、お父さんお母さんのできないこと、苦手なことを正直に話して、助けてもらいましょう。できないことはない?そんなわけないでしょ。ウソだあ。そしたら、まず見つめ直しからだよね。うちの子らの小学校生活を見ていて思ったのが、グループ活動で、何も言わない、何もしない子もいるんだなあってこと。班で話し合ってみましょう、と言われても、誰かが発言するのを待ってるだけ?ゴメン、うちの子らは、「授業を滞りなく進めるために」必要なことを理解していたので、発言するし行動する子でした。(だってやること終わらないといつまでも帰れないじゃん!)自分の意見は言わないにしても、進行は、してた。「ボクのノートをうつすだけ」の子もいたとネコスケは話していたものでした。そんな頭を使わない人生(毎日)って楽しい?そんなわけない。すべての子どもに、誇りを持ってほしいんだよ。大人は、口うるさく言って子どもを守っているつもりに、なっているだけなのでは?これは、私が去年の秋に落ち込んだときに考えたことでもあります。客観的に見て問題なく、いまだ話していてめちゃ楽しい人に育った子らを信頼できていることを確認した私は、もはや何も心配しなくていいのだと結論づけました。 ここまでのすべてのまとめにしてもいいかしら?なんかなあ、物語でも書こうかな(言うだけ)長いばっかりじゃ、伝わらないよな。
2026年03月19日
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家でネット記事をながめていて、あっ!これは、と思ったけど、自宅にいて周りに話が通じる人はいない。次に病院に行ったときに、話さなくちゃ。(まずそれまで覚えておかなくちゃいけない)そうはいっても、予定が確定しているわけでもなく、会えるかなあ、いた!Aさあん!あちらも手を振って話しにきてくれた。「元気?」「うんうん、ねえねえ」「あ、そう、Aさんに言わないとと思ったんだよ〜」「うん」「chelmicoさんが、無期限活動休止だって?」「そうなんですよ〜、去年ライブ行ったんですよ〜」「ええ〜、いいなあ」(本気でいいなあと思っている)「まあ、ふたりとも赤ちゃん産んだし」「うん」(といいながら、え、レイチェルさんだけでなく?マミコさんもなのお?と考えている)「また復活するかもしれないし。それぞれソロもあるし」chelmicoさんというのはこのおふたりです。このCDに入っているらしいhighlightという曲が好きで「見たことがあるかい 人が恋に落ちる瞬間を」というフレーズを強めに歌うマミコさんの声がとりわけ(=特に)好き。MVを観るならYouTubeでどうぞ。リンクを貼れなくてごめんなさい「うん、でも、あのふたりの組み合わせだからいいのよね」でも、と言ったときに、自分の考えを否定したのではなく、自身の意見を言っただけと受け取ってくれる人と話すのは楽しい。「そうですけどねえ。そして!」「うん」「フジーカゼがフジロックに!サチモスとライブもするんですか」「そうみたいね?行く?」「行きたいですけどねえ、チケットがとれるかどうか」彼女が、私の退院したころに、フジーカゼは人気が出すぎて、もうスタジアムライブしかしないんじゃないかとそれはイヤだなあと心配していて、それは風さんの海外ツアー前だったから「帰ってきたらきっと日本でもライブツアーをやるわよ(^_^)」と話していて、フェスにも行くことがある、と話していた彼女にぜひ、フジロックフェスのフジーカゼを見てほしい!と思っていたのだ。「行けたら、どんなだったかおしえてね」「はい、行けたら報告しますねえ」行ったら張り切って教えてくれるだろうw 楽しみだな。「風ファンの集団が、フェスでまた嫌われなければいいけどねw」とウワサしていて、隣りでぼんやりと会話を聞いている旦那ちゃんに気付いて「それにしても、ほんとに聴く範囲が広いですよねえ」「いやあ、ぜひ話し相手をしてあげてください。わたしはまったくわからないので」「全然、広いわけじゃないんだよ、流行ってるものは知らないし」聞きかじったものをピンポイントで記憶にとどめることができるのは、わたしの能力らしい。イメージとしては、スパイダーマンの手のひらから放たれる糸に点々と水滴が付いて引き寄せられるような。見たことありますね?蜘蛛の巣に雨粒がキラキラと光っているのを、あんな感じ。音楽に限らず、本もマンガもドラマも映画も、すべての文章も、そうだ。ことばは、それがどこに現れたものであっても同じレベルで私に取り込まれる。キリがないので、思い付いたことを書いておくとchelmicoさんの曲にMeidaimaeというのがあってこれがたしかトーフビーツさんの作曲だったような。入院中にトーフビーツさんとchelmicoさんの名前を出したら、Aさんがびっくりして喜んでくれたのでした。明大前=Meidaimaeも味わい深いので、ぜひどうぞ。MVも好き。そしてトーフビーツさんtofubeatsさんで好きな曲は何だろうなと考えていたら「No.1」という曲が「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌であるstutsさんの「Presence」の最後のラップに使われている「少し暇そうにしてる君を連れ出したい」という素敵なフレーズの元ネタなんだよなと思い出して「No.1」って「君の1番になりたいそう思ってるけど」の「1番」なんだけど風さんのHachikoを聴いていたら「Seems like I'm the only thing that you need」って同じような意味だけど「いちばんになりたい」じゃなくて、「いちばんだよね!」って言い切っててあまりにもすがすがしくて笑えてしまう。いちばんみたいだね?かなwあれは、ハチ公と飼い主の先生のお話を下敷きにしているのだけれど風さんが言うには、風さんを辛抱強く待つ風さんのファンのことのようでもあるとのこと。いやマジでよ。いつも待っているんだよな。でも私は猫だからキャンキャン素直には待たない。知らん顔してソッポ向いて待つよ。私のYouTubeはこの流れでここに出てきた曲をミックスリストにしてくれたので助かる。Hachiko以降はフジーカゼばっかりだがなw なんじゃこりゃあ。間違いを直しました。おや、風さんからカナダで撮影終了のお知らせがきましたね。絶妙だな。
2026年03月18日
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わからないことは、わからないままに書いていきます、まとめなのに。無責任でごめんなさい。「よその子」を怒る前にまずは、自分の子を「しつける」ことに注力したほうがいいんじゃないですかねえ。みんながそれぞれ、それぞれの家族に責任を持って接するようにすれば、少しは変わるかもしれない。他人をどうにかすることを考えるより、自分を、何とかすれば?ってことですね。(いつもどおりかw)そして「私が」気をつけたいのは、感情を他人にぶつけないこと、伝えたいときには、冷静に伝えること、ただし、腹が立つことは、誰にでもあることだから、それを圧し殺すことはない。もし思わず怒ってしまったと思うときには、率直に謝ればいい。少し前に、「その正義感を、どうしようか」という日記を書いたんだけれど、そこに書いた他人の家の前に犬のフンを放置した人に、うちの旦那が注意することにはリスクがあることを覚悟したほうがいいと言ったんだけれど、それは、彼の口調に明らかな怒りを感じたからで、「怒っている人に冷静に注意することなんてできない」、と予想したからだ。そして、注意されたほうも当然、怒るのだ。想像できますね。逆ギレって何ですかね。私のお向かいさんに対する「自分だって」(前の日記)も逆ギレかな?そうかもね。逆ギレで攻撃してくる人もいるからね、ご注意ですよ。この「よその子を叱る」の最初の回に書いたスーパーでマナーのなっていない親子に怒る奥様の話。どうしたらよいのか考えたんですよね。どうにもならないよね。いちおう書いておきますか、よそのお子さんが陳列されたパック詰めされたイチゴを次々に指で押していた、それに気付いたその子の母親が言うには「買わされるかも知れねーからヤメロ」私(その奥様)は自身の子どもに「お店の人の大事なものだから触っちゃダメよ」と注意したものだけれど?ふうん。子どもに怒っているというより、母親に怒ってるのかな?両方かな?どうしたかったのかな?お店の人に言ってキツく怒って欲しかったのかな?そしたらスッキリしたのかな?本気で、わからないのだ、私には。そんなのダメだよね!と世界中から共感を得たかったのかな?私がいちばんしないことだな、解決したいんだよ。みんなが怒れば解決するの? ネット記事にすることで。これはもしかして、愚痴や悪口のたぐいでは?あ、そうか、マジメに考えちゃいけないのか。なんとなく共感して怒ればいいのか。えー、そんなことってある?どうなってるの、世の中。混乱するわ。ひとつ、私に書けることを書いておくと、お母さんがひとりで子どもを連れて買い物をしている様子を見るとき、いつも「大変だな、お父さんはどうしてるのかな?」と思った。子どもはひとりでつくるものではないからね。うん、でも人にはそれぞれの事情があることも知っている。でももしかして、「買い物なんて女がするのが当たり前だろ」と、大したことなんてないと思い込んでる人たちがいるなら、それは違うぜ!?と言いたい。私はまず、小さい子どもを公の場で行儀よくさせることよりも、連れて行かないことを選んだ。子どもたちは、私が買い物をしているあいだ、お父さんと一緒に公園遊びだ。それを考えて、子どもが時間をつぶせる場所のあるお店を選んだ。近くに公園があったり、(体を動かせる)プレイコーナーやゲームコーナーなど。今どき便利なのよ。だからそんな方法を選ばないのは、選ぶ余地のない(選べない)状況なんだろうと考える。少なくとも、お母さんがわざと子を放任しているとは考えない。だからそこで怒りの感情を持つことはないし、子を連れて買い物せざるを得ないお母さんをひそかに助けたい。子どもの行動に怒りを覚えるほど常識のある方なら、そこで、その「正義感」をいい方向に活かしてほしいのだ。それは、よその子に怒りたい人を信頼しているからこその発想だ。せっかくだから優しい気持ちになろうよ(^_^)お願いします。これではあまりにも役に立たないので(ただ、怒らないで優しくなって、とお願いしただけ)私が実際に経験したことを書いておきましょうか。下のふたりが小学校低学年のとき、小学校そばのパン屋さんで買い物をしようと立ち寄ってふたりには、店のそとで待機するように言った。店内から見えるし、かれらがその指示を守れることを知っているからできることだ。もっと言うと、かれらが選ぶであろうパンを母親がきっと選んでくれるという信頼もある。小さいパン屋さんなので、子どもたちがゾロゾロ入るとジャマだし、陳列してあるパンは子どもの目の高さだ。そりゃーこわいさ。触らないにしても、くしゃみやおしゃべりでパンを汚してしまうのでは? 考えすぎか? でも、たくさんのお母さんたちが、瞬時にそれを考える。そして考えて気を遣ってきたお母さんたちは、マナーを考えない保護者に怒りを覚えがちだ。それは、とてもよくわかる。そのとき、店のなかにはすでにふたりのお母さんと小さな子どもたちがそれぞれにいて、おしゃべりに夢中になっているお母さんたちは、子どもたちの様子に気付いていない、子どもたちは、こっそりパンに手をのばしていた。ハッとした私はどうしたか。「ダメよ!」って怒るべきでしたか?考えるのは、一瞬ですからね?店の外に待っている我が子たちに向かって大きな声で「あんたたち、パンに触っちゃダメだからね!」かれらはキョトンとした顔で「触らないよお?」ごめん、ごめん。でも、その声に、お母さんたちは、自分の子どものことを思い出したように「触っちゃダメよ」と注意してくれた。お母さんたちも子どもたちも、よそのおばちゃんに怒られないで済んだ。「豊臣兄弟!」みたいな。そんな、うまくいくかい!みたいな話だけど。ホントの話。でもね、そこで、よその人にガミガミ怒られることも貴重な経験だと思うんだよ。私は、よその子を怒らない不親切な人だし、我が子のプライドを傷付けるわるい母親だったかもしれない。そんなの、考え方によるんだよ。そして、あれこれわるく考えたあげく去年の秋に人生最大に落ち込んだんだよね。ははは、話をムリヤリ元に戻すよ。でも、もう少し書きたいな。
2026年03月14日
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その「注意」は本当に必要か?当初は、子どもに良かれと思って口を出していたことも、それが指示になり、命令になり、強制になる。大人の言うことは黙ってきくのが当たり前になっていないか、その「指示」が妥当なものであるか、考えたい。「怒らない子育て」で育てられた子どもは、スンナリ大人の言うことを聞かない迷惑な子が多かったと書きました。そしてそれが「わるいとばかりはいえない」とも。うん、ねえ、わるくないよねえ。なんでそのナゾ指示に従わなきゃいけないの?納得してないからきかないんでしょ?なら、子どもが納得できるように説明すりゃいいじゃん。大人本人も、なぜそうしなきゃいけないのかは説明できない、ヘタしたら、自分の気に障るからというだけで、こどもにあーしろこーしろ言ってないか?そんなのを私は、小さくても納得しなかった。今だって、納得できない大人の指示を黙ってきくのは、気持ちがオトナな、他人に優しい子どもたちが大人のプライドを傷付けないように配慮してくれているだけってこともある。情けないよな、そんなの。ひとつ具体的に憶えていることを書きましょうか。学校がお休みのお天気の日に、子どもたち3人、家の前でなわとびのなわを繋いで長くして大なわとびの真似事を始めた。3人とも小学生だから、小さいクマははしゃいで笑い声が大きくなる。でもまあ、昼間だし、我が家の真ん前だし、ケンカするのでもなければ飽きるまで遊ぶといいよ、と勝手口から様子をうかがいながら、私が家に入ったらすぐ、3人がつまらなそうな顔をして、ゾロゾロと入ってきた。「は?なに?どうした?」ワン「うるさいって」うちの真ん前ということは、もちろんお向かいの前でもあるけれど、そちらの真ん前ではないのだ。だいたい!「自分だって、(窓全開で)大いびきかいて大音量でテレビ観てるくせに!」うちでは、なんと母親がいちばん不遜なのだった!うちの子どもだけ見のがせとは言わないけど。すべての子どもたちが、ずっと子どもではない。自分が「ウルサイ」と思ったら「うるさい、静かにしなさい」って言っていいの?いつから、子どもはオトナの言うことをスンナリ聞かないといけなくなったの。(昔からか。私は、小さい頃から大人なんて、年を取っただけで偉いわけじゃないだろと思ってきたから。見た目に反して、実際は反抗的な子どもだった。)誰か私に、すべての大人を無条件に敬うべきだという理屈を納得できるように説明してくださいな。なんで、年をとっただけで威張れるんだろう。年を取って「賢人」「仙人」みたいな人もいるさ、でもみんながそうなるわけじゃない。そうじゃなくて、年だけとったわたしたちは反省しないといけないよねw(わたしたちって一緒にすんなよな)ええ、ですからね、子どもに注意したいなら、自分自身も注意できるだけの人徳を身につけていないといけないと思うんですよ。少なくとも「自分の気に触る」というだけで大人の権限で「やめなさい」はダメだよね。あ、いろんな反論が想定できる。授業中に立ち歩く子どもが「座りなさい」をきかないのはダメだけど、あの場合、彼らは学校に何しに行くのかを理解・納得していなかった。そして、そこまで(納得させるまで)は、家の人たちの仕事だ。そして、若くて指導経験の浅い担任の先生は、そんな子どもたちにブチキレて、椅子を蹴って関係ない子に当てたことがあった。(これは、体罰アンケートに答えてクマが私に教えてくれたこと)悪ガキの挑発にのってブチ切れる大人を子どもはさらにナメてくる。でもふだんは穏やかないい先生だったよ?私はクマに、椅子を蹴ったのはよくないよねって言ったけど、先生のワルグチは言わなかった。だって、現場の想像つくもの。災難だよね、先生も。いや、椅子が当たった子がいちばん災難だ。でも、そんなことがあったからか、クマはいまでも「手を出しちゃダメ。手を出したら負けなんだよ」って言っている。もうずっと。だから、私はクマを教育現場に送り込むことを、あまりこわがっていない。クマ自身が、いろいろ見てきたからね。行ってこい!だ。今回書きたかったことは、子どもに何か注意しようと思ったとき、それが自分の都合だけによるものじゃないかと考えたいな、ということです。子ども自身に考えさせ、判断させることは、子どもの思考力を伸ばします。(と思うよ〜?←ドシロウト)マイルールがムダにキビシイ人っていますよね。私はいまだに毎日、旦那ちゃんとたたかっています。「それって必要なの?」「どのような理由によって?」で、自分のなかの秩序を重んじるあまり、(オオザッパな)私にはサッパリ納得できない理由を滔々と述べ立てる旦那ちゃんを「宇宙人」と呼ぶうちの母は父が、「自分が使いやすいようにしまった食器をサイズごとにいちいち並べ替えるのがいらつく」と文句を言ってるわけです。まあ、それでもみんな愛すべき地球人だよ(^_^)そろそろまとめます。誤字や表現の誤りをチョコチョコ直しています。←3月9日追記 寒いねは降ってないよ。
2026年03月08日
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注意して注意して、伝わらなければ「叱る」「怒る」は怒りの感情を表すこと、それが、暴力や怒鳴り散らすことにつながるのはダメ「怒らない子育て」は、子に親の感情をただぶつけない、という意味では立派、でも、それでは「怒られるべきことをした」子が放任されることになるのが、問題、と考えました。では、一方で「叱る」は何だろう。私が考えるのは、落ち着いて注意する、その注意がすぐに伝われば、それ以上言う必要はない。つまり、私は、子どもを叱った覚えはない、ということになります。(怒ったことは、あるさ;前の日記参照)注意して分からない子はいなかったよ?(ありがたいことに)このあと書きます。うちの子らが通った公立の小学校では、ことあるごとに、こどもたちの校外活動の「見守り」に保護者が動員されました。それは当然でしょう。想像してみりゃいいじゃん!!あれだけの人数の子どもたちを数人の先生たちで面倒見きれるわけないでしょ?自分の子を、自分だけで面倒みることを考えてみる。まず、できることには限りがある。一緒に時間を過ごしてくれる人たちには感謝しかないさ。違う?どうして、そんなに不満があるの?わが子たちが、友だち(同級生)と問題なく過ごせるように訓練するには、ありがたい機会だ。そこでの成功体験は、彼らの自信になるだろう。失敗したら、乗り越えて進む経験になるだろう。経験の宝庫だよね(^_^)カンシャク持ちの先生もいるだろうし、我関せずの知らん顔の先生もいるだろう。「そういう人もいる」ことを知るために、学校に通うことは、とても役立つことだったと思っています。私は、母親としては「聞いてよ〜」と子どもたちが愚痴ってくることは当然、とかまえていました。おもしろがりだからさw基本的に怒るより笑っちゃうんだよ。いくつか憶えていることを書くと、校外でのクイズラリー的なイベントで、横断歩道に立って「見守り」オッケー、子どもたちが安全なように見守ればいいですね!赤信号を待つ子ども、当然のように、縁石の上に立った。この程度のこと注意しなくていいか。うん、いや、うちの子たちになら、そこから降りて待つように言うな。神経質かもしれないけど、車道ギリギリの縁石に子どもが乗っていて、ふらついて車の前に飛び出したら困る、うちの子どもたちには、何だったら、横断歩道ギリギリではなくて、歩道に入った、縁石の内側に立って待てまで言う。習慣の問題だし、普段は予想もしないことだけれど、車が突然歩道に向かって突っ込んでくるかもしれないし、そしたら、私は助けられない。でも、助けてあげたいんだ。保育園児の列に車が突っ込んだ事故とか、あるじゃないですか。突っ込むのは、わざとじゃないよ。でも、助けるためにはどうしたらよかった?そんなことを、大人の私は自分で飲み込んで咀嚼して、指示を出す。で「ああ、この子にうるさがられるかもしれないなあ」と思いながら、なるべくフツーの声色で「そこから降りようか?」「ん?」「そこから、降りて待とうか」そうかさねて言って、その子は縁石を降りた。ああ、よかった。安全な場所でなら、好きに遊んでください。おばちゃんは、かまいません、どうぞ。また別の話。通学路で子どもたちの下校を見守る。オッケー、子どもたちが安全に下校するのを見守ればいいですね!旗を持って見守るシルバーさんと一緒に曲がり角に立つ。すると、早めに下校してきたネコスケの同級生がガードレールに腰掛けて、そのおじいさんと私に話しかける。「うん、うん」と返事しながら私は気が気じゃない。車が通過するときに、その子がガードレールから前に飛び出したら危ないだろ、車道に向かってブラブラしてる足も危ないだろ。考えるのは、運転してる人の気持ちもだ。そりゃあこわいよね。小学生が突然前に飛び出したらよけられない。「そこから、降りようか?」通じない「とりあえず、降りよう、おりて話してよ、話は聞くから」通じない「降りなさい」いよいよ命令口調だ。だって通じないから。そしたら、シルバーセンターのおじいさんがわたしに向かって「まあまあ、そんなに怒らなくても」ここで、おじいさんのほうにプチっとなった。「うん、でも、危ないですから。ドライバーさんたちにも迷惑ですよ?」うるさく言って自分が嫌われるのがイヤだから、スルーするのか?子どもの安全はいいのか?このあとしばらく私の頭の中には「『甘やかす』のと『優しい』のとはちがうんだよ」ということばがグルグルしていた。最近の若者が「素直」であることが歓迎されるのは意見や忠告を素直に聞くことができることをもとめられるからだと読んだけれど、私が、彼らの安全を考えて注意したことを、彼らが「この人は、自分のことが嫌いで、ただコントロールしようとしているんだ」と卑屈に考えたら、従ってくれなかっただろう。従ってくれたのは、彼らが大人の愛情をしっかり受け取って大きくなった小学生だったからで、そのことにはお礼を言いたい。何回か前に書いた、何でも自分が被害者のように考えるクセをつけてしまうと面倒くさい。もう長くなってるけど、できれば、反抗された話も書いてみたかったですね。反抗されたことはないんですよ、でも。無理に言うことを聞かせようとしないし、その点では、私は冷たい大人だとも言える。そんなに他人の言うことをきくのがイヤなら、自分で責任持って生きてくださいって考える。自由と責任ってセットだよね。あとさあ、昨日施設でドリフのビデオ観たんだけど志村さんが、悪ふざけする子ども演るじゃないですか、あれは、怒られるわwふざけちゃあ、いかりやさんにガミガミ怒られるのをみて笑ってたんだから、そこまでセットだよね。あんなものを「怒らない子育て」はダメだわ。そりゃ嫌われるわw「怒る」ひとつとっても、いろんなパターンが考えられる。大変だな。まあ、納得するまで書きます
2026年03月07日
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前回のつづき。なるべく順に書いていきます。きれいに体系にならなくてごめんなさい。それは、ものすごく苦手。「怒る」のはダメなことか前の日記に「怒る」人の話を書きました(主にうちの母)ダメなのは怒りの感情を対象にそのままぶつけることで、その怒りをいったん自分で見つめ直す心の余裕がほしい。なぜ腹が立つのか、どうすればその状況を改善できるのか。でも現実には、カッとなる瞬間があることも私は知っている、もちろん。母ほど、瞬間湯沸かし器ではないし、暴力をふるったこともない。それはそういう感情や怒りにまかせた暴力の被害者としての強い決心によるものだ。ひどい目にあったと思うなら思うほど、同じことを他の人にしない、ことを心がけたい。そしたらより良い自分になれるよ(^_^)でも、怒りの感情があるのは確かで、誰にでも、怒らない人なんていないよ?って言える。私は子どもの頃から、できないことだらけだったにもかかわらず、責任感だけは、異様に強かった。自分に任されたことをハナから放り出すような態度を許すことができない。(昔も今も)だから、怠け者なりに、どうしたらいちばん苦労せずに任された目的を達成できるかをいつも考えていた。そしてそれは、周囲にも歓迎されるものだった。「めんどくさいよねえ、でも、せっかくだから、ちゃんとやりたいよねえ」という率直な態度の人間に共感して協力してくれる人は多かった。(だからずっとこれでいいんだと思ってきたんだよ)いくつか、子育て中にとっさに怒ってしまった話を書いておきましょう。小学校中学年になったころの長男ワンが、私の注意に対して「はいはい、わかりましたよ〜」と返答した。そのナメた物言いをここでスルーしたら調子にのるかもしれない。頭を紙のファイルでバンと音をさせて叩いて、これは大きな音はしても痛くはないと予想していた、「ワン、そういうクチは自分で何でもできるようになってから言いなさいね」ここで、自分にできていることと、親が世話してくれていることを考えてみることができたら上出来だ。そして、親の手助けを自覚せずに親をナメて反抗だけはすることを私は許さないし、怒る。その母親の怒りを、ワンは感じる必要があった。すべての子どもが、同じだと思いますよ?「怒らない子育て」は、子どもに親の感情をただぶつけないという意味ではとても正しく立派だと思うけれど子どもの成長に必要な、心を動かす影響を与えることができる力を、親の感情はたしかに持っていると考えます。あの頃も「怒らない子育て」は評判悪かったよねえ。そういう名目で育てられた子は大人の言うことをスンナリ聞かない迷惑な子だったからね。(それがわるいとばかりは言えない)「怒らない」って、何をしても放任って意味じゃないのよ。「怒らない子育て」の人に直接、聞いてみればよかったかwまあいいや、「よその子を叱る」に近付けていこうかな。末っ子のクマが3年生のとき、クラスに、授業中立ち歩く子が、3人、4人と出現して、もちろん先生の言うことは聞かない。立ち歩いて、教室を出ていく子どもを担任の先生が追いかけてたびたび授業が中断する。手に負えなくて、校長や学年主任の先生も動員されて、当時の教頭先生が言っていたのは「教室がモグラ叩きみたいだ」と。クラスの保護者から、交代で教室に見守りに行こう!という提案が出てその学年のPTA役員の長だった私にも声がかかった。(専業主婦でヒマだったからさ)ファミレスで集まって作戦会議するよ!と言うので、単に楽しいママ友ランチだったw(ダメです)戦力というより、授業中は立ち歩いたりせずに、先生の話をよく聞いて勉強しないとダメだよね?と子どもに教えている母親のひとりとしての信頼を得ていたから。そう、その見守り勢のなかに、PTA本部副会長もしていた3人の子を持つしっかり者のお母さんがいて、見守り呼び掛けの出どころでもあったんだけど、わが子と学校という関係の問題だけでなくすべての子どもたちのことも考えてくれていた。外でお仕事もしてたんだよね。そんな人もいるんだよ、すごいね。仕事があるからって、子どもの世話を学校に丸投げする人ばかりじゃない。そういう人をフォローするために、私みたいな人間がいるんだよな。「よその子を𠮟る」ね。その見守り中に、どうしても納得いかない行動をしている子がいたと。そのお母さん、「思わず」その子に「ねえ、何しに学校にきてるの?」と強い口調で言ってしまった、と。その後、注意した子のお母さんに、こういうことがあったと謝ったのだと、苦笑まじりに話してくれました。なぜこの話を書いたかというと、私も似たようなことをしたことがあったから。私のほうは、家に遊びにきた、ワンの友だち。雨降りだったのが、雨が弱くなってきて、そろそろ外で遊べそうかなというときに友人の◯くんから電話、「これから遊びにいっていいか?」と。ワンに「あなたは◯くんとうちで遊びたいの?」と聞くと「うん」と言う。じゃあ、いいよ。遊びにきた◯くんはイソイソとゲームを取り出し、「ひとりで」遊び始めた。(おい、何しにきたんだよ!は、私の心の声)ワンは、弟たちを相手にブロック遊びをしている。雨だからって昼からゲームしてもつまらないからね。私が知っているのは◯くんのお母さんが「友だちと遊ぶならゲームしていいよ」と子どもに言っていることだ。それは、ゲームの時間を制限したいけど、友だちの家でみんながゲームで遊んでいるのに自分の子だけ遊べないのはかわいそうだからという考えだった。それを悪用したんだよね、つまり。友だちの家でならゲームしててもいい;それは拡大解釈だ。雨がやんで、外で遊べそうだというのに、◯くんは黙々とゲームをする。ワンはそれをチラチラと見ながら(アナログな)ブロック遊びを続ける。それを見ていて、母親の私がプチっとキレた。「ねえ、ひとりでゲームするためにきたの?だったら、こなくてもいいんじゃないの(←これはただのイジワル)一緒に遊んだら?」その口調に含まれた怒りの感情に気付いたらしい◯くんはゲームの電源を切って、ブロック遊びに参加した。そしてその後はみんなで外遊びに行ったんじゃないかな?忘れたわ、ごめん。そして後日、私は◯くんのお母さんに経緯を話して、感じワルイ言い方をしてしまったことを謝った。でもそこでよその家庭の子どもだろうと、気持ちを伝えないでグズグズ考えて陰で文句を言うのはちがうと思う。あ、最後に。うちでは、遊び場として日常的に自宅を提供することはなかったから年に1、2度、友だちを集めて、みんなで思う存分テレビゲームをする日というのをつくった。そろそろ帰らなくちゃと、お昼の心配もしなくていいように、私が昼食を用意して、とにかく「それはダメ」と制限しなくていい日だ。楽しかった。子どもたちに居間でゲーム大会をさせながら、私もダイニングテーブルでゲームをした(大人が昼からゲームかよ)日常的でなくて特別な日だからイライラしない。うちが三兄弟で男子しかいないから、男子ばっかり10人くらい集まって。そこにいつも参加していた上に書いた◯くんが「中学生になったらもうゲーム大会はできないな」とさみしそうに言って、私が「なんで?中学生だってできるよ?おいでよ」と言ったら「だって部活もあるしさあ」と。忖度する、大人の事情をよく考えている賢い子だった。そういう知恵の回る子をお母さんは持て余していたのだな。親以外の大人とも話して、そういう考え方もあるな、と知ることは役に立つことだよね。なんにしても、私は彼らがかわいくてしかたなかった。あの子たちに、誇りを持った、世の中に胸を張って出て行ける大人になってほしかった。かわいいからこそ、𠮟ることもほめることもした。一緒に笑うのは楽しいことだ。さて、本題の𠮟る話に入りましょうか。次回ね。
2026年03月05日
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ずっと考えています。先日見かけたネット記事にも、スーパーで買い物中の親子の行動についてプンスカしている方のお話が出てきましたので、正直私は、そのマナーのなってない親子のことよりも、それを目撃してプンスカしている人のこころの動きに気を取られているのです。「プンスカ」という表現に違和感を持たれる方もいるかと思います。ごめんなさい、口がワルくて。つまり、腹を立てている=怒っている、ということですね。順に考えていきます。「怒る」と「叱る」私はずっと明確に違うものだと思ってきたけれど、「怒るのと叱るのは違うんだよ」という言説に「そんなの同じじゃないか」と反論する人もいるので、いま一度考えてみます。「怒る」(おこる)というのは、怒り(いかり)の感情を対象にぶつけることですね。これは、自分がなんらかの行為に腹を立てるわけですから、自分の問題です。「違うよ!マナーのなってないヤツが悪いんだろ!」は、「俺様を怒らせるお前が悪いのだ」ってことと同じになりませんかw どこの悪役だよw こじらせた正義感の行く末でもある。だから、そこで誰かに怒りの感情をぶつけることを、私は自分に許しません。そんなのは、いやだから。特に子どもには、しません。結婚してからのことを振り返ってみたら、子どもにはしてないけど、旦那には何度か爆発してるわw 自覚をもってw 故意犯ってやつだね。だって、それくらいに表さないと、怒っていることがわからないんだもの。それは、夫婦という関係性での問題だから、それを誰かに解決してもらおうとは思わない。ほっといて。だから、怒っているとき、それは相手の問題じゃなくて、自分の問題だと考えたい。相手の問題だ、私は悪くない!と考えたいときには「俺様を〜」とすごむ悪役を想像してね(^_^)私自身の子ども時代を振り返ると、うちの母親は、自分の気に入らないことにはことごとく怒っていた。それを、親の特権とばかりにぶつけられる要領のわるい長女の私は、とにかく怒鳴られ叩かれることになる。そして子どもの私は悩むんですよ。「ママを怒らせる私が悪いんだ。どうしたらいいの?」そうして悩んで悩んだあげくいまだに考えている。母を怒らせないことを、じゃなくて、怒りというものについて。こないだ病院に検査に行く予定だと言う母がその前日の夜に旦那ちゃんのスマホに電話をかけてきて、間違えてんだかわざとなんだか、どうしたってアイコにかわれってことになるじゃないですか。私はそもそもスマホで通話するのが嫌いなので「スマホで遊ばないで!明日寒い予報だし、暖かくしてよく寝て明日に備えて。あたしは明日リハビリだから、もう寝るよ?用事があるなら、いえでんにかけて!」もうずーっと母のグダグダに付き合ってきてその言い方なんだけど、それを聞いていたクマが「そんなに怒らないの!」って顔をしていて納得いかない。母はこれっぽっちも「怒る」と「叱る」の違いなんて考えたことはないだろう。もう、長くなったから、母のことを書いて終わろうかな。うちの母には、何度も、人前でブチ切れた前科がある。恥ずかしい。ヒトマエで怒りを爆発させるのは当然だと思っているらしい。まさに「俺様を〜」の悪役まんまよね。最近は怒ることが自分の寿命を縮めるという自覚があるのか、だいぶ怒らなくなった。それこそ、マナー違反だと彼女が考える行為をする人には怒鳴り散らす。そしてその様子を見ながら、私たち姉妹は、そんなに怒鳴らなくても解決方法はあるでしょ、と冷静に考えるようになった。だが、妹はいまだに母に対しては、ブチ切れて怒鳴り散らしている。お互い様である。おもしろい。ごめん。ああ、そうだ、実家の前に道路を挟んで学習教室ができたことがあった。そこに通う小学生たちが自転車を道路にはみ出して停める。そのたび通行できない車の運転手さんたちが騒ぐ(クラクションを鳴らして)まあ、そうすると、ウルサイ!と「勉強を教える前に自転車の停め方を教えろ!」と怒る(それは、あながち間違ってはいないのがヤヤコシイ)。あげく怒鳴り込んだ。学習教室の先生と険悪になりしばらくツンケンしていた。思い出したくないよ。うん、でですね、考えると、塾に通って自転車を公道に何台も放置したら迷惑だよな、と考えられるように育てるのは、本人のため、というより、社会のため、なんですよ。社会のために迷惑なら怒鳴り散らしていいのかって話ですよね。怒鳴り散らさずに冷静に伝えればいいんですよ。みんなの迷惑になるからやめてねって。できれば、どういうふうに停めてね、まで教えられるともっといい。そもそも母はそれを、大人の先生に伝えればいいんだから怒らなくていいじゃんね。うん、でもね!いま母が、見えてるみたいに電話してきました(キモチワル)。こないだ怒られたから家の電話に。で、今日も愚痴ることには、父が食器をサイズごとにキッチリ並び替えるのがムダでいらつく、のだと。ははは、そんなの好きにさせたらいいじゃないの、腹を立てるだけ損よって言いましたけど、父に同情します。子どもの頃から同情は何度もしたけど、結婚したのは父の意志だし、こんなにカワイイ(手のかかる)娘たちがいるんだから、いいじゃないの。そしたらね、そもそもカンシャク持ちは自分の父親(私の祖父)だって言い出すんですよ。さらに自分の長兄もひどかったと、たしかに、弟(母の次兄)に将棋で負けて腹を立てて将棋板を燃やしてしまったという逸話があった。いやだわ〜、そんな家。そして、私も思い出した。ピースの多いジグソーパズルで遊んでいたら、ようやく終わりが見えてきて「あれ、最後のピースがない?」妹がへっへっへと、にやけて出してきた(悪フザケが過ぎる)あのときは本気で怒ったな(私だって子どもだし)つまり家系らしい。でも、延々とそうだから、許されるって話じゃないよね、どこかで改善すりゃあ、いいのよ。まとめると、「怒る」行為は怒らせる相手が悪いのではなく、自分自身の感情をコントロールできない自分の問題。そして、怒ることには理由があって、できれば爆発して怒鳴り散らさずに伝えたい(そして怒らせるほうも、分かりたい)そして私は「怒る」と「叱る」は明確に違うものだと考えている。つづく
2026年03月04日
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子どもに限らず、メンドクセな下ネタで喜んで浮かれる人と相対しなくてはいけないとき私はどうしていたかを、考えました。参考資料は、ドラマ「ゆとりですがなにか」(ご存知山路先生の属性とまりぶのお仕事ね)ゴールデンカムイ特別編集版(金ローで放送)とひとつめの映画、ご存知の方はお分かりいただけるかと思います。(オソマネタ、旦那ちゃん、大喜び。いや、そんなに嬉しい?)これ以上、こまかく書かないよ? 伝わるかなあ。簡単に言うと、クレヨンしんちゃんみたいなのね?年齢が上がるとさらにエグイよねw 分からない人はテキトーにググってね。正直、私自身は、下ネタをおもしろいと思ったことはない。なぜそうやって連呼するの?とか、なぜ、それがおもしろいの?とか、ただ不思議に思うだけ。だから、そうやって浮かれる子どもをほほえましく思うと同時に同じように浮かれるオジサンのことはウザ、としか思わない、ごめん。だから、子どもに対しても笑えないし、まったく我慢ならない人がいてもおかしくはないよね。でも怒鳴りつけてやめさせるのは、根本的な解決にはならない。悪手でしょ。うちには3人の男の子がいたけれど、下ネタで喜ぶ子はいなかった。ちなみに「男子3人なら壁に穴があくよ」って言われたけど、壁にケンカを売った子はいなかった。大丈夫。(比喩だよ!そういう意味じゃない、たぶんね)旦那ちゃんは、クレヨンしんちゃんが好きで、私と知り合った頃には最初から大人だったけど、幼稚な下ネタで浮かれてウザかった。やっぱり。冷たいけどね。なんで子どもたちは、影響を受けなかったんだろうね?そういう旦那ちゃんと遊ぶことが楽しかったら真似したのかもしれない。でもそんなのは楽しくはなかったんだよな、きっと。父と一緒に工作したり、外遊びしたり、は好きだった。彼らは、基本的に、知的に遊ぶのが好みだったんだ。それは、彼らの誇りにつながった。だから、私は母親として、そんな子どもたちにあきれたように笑って対応する必要もなかったわけだ。でも、例えば、言うべきでないことを、言うべきでない状況で言ったなら、どんなに子どもが楽しそうでも真顔できっちり説明してやめさせたことだろう。めんどくさいけどね、お察しします。お疲れ様です。しかしいつも率直であることには、かわりないんですよ。それ以外できないんだから。ちなみに素直、じゃないですよ、率直、ね。これが伝わってないと困る。大きくしとく?めんどくさいなあ「そっちょく」です。ごまかしたり、遠回しに表現したりしないの。でも文字は残るので、書きたくないことは書きませんw話して伝えるときは、なんならことばも選ばない、とにかく子どもに伝わることを再優先します。で、考えてみて、気付いたんだけど、例えば性教育に関するような事柄を説明するとき私は、国語辞典的に率直なんですね。もっと専門的(科学的)には百科事典的に率直。恥ずかしがったり、冷やかしたりするような話題ではなくて、冷静にちゃんと話し合いたい。例えば、小さな男の子がニヤニヤするようなことって、どこかでそう刷り込まれているだけでまったく笑いごとじゃないわけじゃん。看護師さんとか、お医者さんとかならたくさん知ってる。そして、その様子を見て育ったクマは、動じずに生徒対応ができるんじゃん?と楽観視してるけどわかっているのと、できるのとは、違うよねえ。いや、困ればいいさ。困って成長するんだよ。いちばん下は小学生の3人のお子さんを持つお母さんの職員さんと話していたら「気付いたら担任の先生が年下だったわw」と笑っていて「そりゃあ、上手くいかないこともあるわよね。先生になって何年も経ってない」ですと。助かる。「そうね、ベテランの先生にも若い先生にも、それぞれのいいところがあるわよね」「うんうん」「保護者のみなさんも一緒に育てる気持ちでいていただけると助かります」←あんたは、誰なんだよ。私は、みんなに気楽になってほしいんだ。お母さんにも先生にも、両方の人だっているし、若者で先生もいるし、どんな立場の人にも気楽に過ごしてほしいんだ、そのために私にできることをするよ。愚痴を書き連ねないし、こんなこともある、こんな考え方もあるって思ってくれたらうれしいな、それだけだ。またしても本筋をずれている自覚はあるけど、思いついたときに書いておかないと忘れるので書きます。思い出した。母に学校でのできごとを話そうと追いかけ回していた小学生の私母(忙しい)「その話、 あとにしてくれない?」「話が古くなるう!」だそうです。何度笑われたか。なので流れを無視して書きました。ほんとは、よその子を注意することについて書きたかった。実体験もまじえて。憂鬱の話、どうしよう。もういいかw 気になるのは世の中で私だけで。暖かくなってきましたねクシュン
2026年03月01日
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施設の職員さんと話していたら、6年生のお子さんがスマホを手放せない状態だと。いつもそばに置いていて、ひっきりなしにピコンピコンと音が鳴っている。「はあ、人気者なんだね(^_^)」と思って聞いていたら、ある日、子の登校後にも、その置いて行ったスマホにピコンピコンと通知がくる。「登校直前までスマホいじってる子もいるってことだよね」「そうね。家が学校に近いのかな?」と想像してみる。不登校じゃなきゃいいけどね。ふ〜む、友だちとメッセージのやり取りをするのが楽しいのはよくわかる。私が子どもの頃にも『交換日記』というものがあった。ラインなどは、要はあれが、超・便利になっただけだと、ずっと思っている。それはさておき。他にも困っていることがあって?夜中の12時までおしゃべり(ボイスチャット)しながらゲームをして盛り上がっているのだと。うん、小学生が12時過ぎまで起きていたら、日中使いものにならないでしょう?眠くて。(実際、ショートスリーパーの割合ってどれくらいなのかな?)「そうなの。だから、相手が誰か聞いて、ちょっと貸しなさいって取り上げて、『こら!あんたたちいつまで遊んでんの!』って怒ったの、『はやく寝なさい!』って」そしたら、子どもらは「うわ〜、◯ママだ、怒ってる〜」と騒いでいた、と。「それでね、先生にも言ったの。先生からもきつく言ってやってください」って。「うん、いや、正直、先生は困らないからw」そうなんだよ。先生はべつに困らないよ?むしろ、「そちら(親御さんたち)こそ、よく言ってきかせてください」よ。困るとしたら、眠い子どもが、授業の妨げになること。くらいだよね?そのへん、理解していないのは、先生の仕事が何か考えたことがないからかな。私がいつも思うのは、子どもの生活態度を注意できるのは子どもを心底大切に思っているその保護者であって、その役目を、他の誰かに押し付けるのは筋違いもいいところだ、ということ。私もたくさんの子どもたち(うちの子らの同級生たち)を見てきたけれど私に注意できるのは、彼らが社会的に迷惑になることをしたときくらい(と、遊びにきたなら我が家に迷惑になることくらい)で生活態度にまで口を出すことはない。なぜなら、よその家庭の子どもの人生にまで責任を持てないからだ。だから逆に言えば、うちの子らの生活態度にまで口を出されるのは私にとっては迷惑だった。先生から言ってやってください、はナニ?つまり、うちの子の成長過程に責任を持ってくださいよってこと?それは、先生の仕事でしょ? なの?私は、教職について勉強したことがないし来月教育学部卒業予定のクマから聞きかじったことくらいしか知らないけど先生たちが、担当の年代の子どもたちと接するなかで必要な対応を研究して学んでいることは知っている。でもそれは、学校という集団生活を送る環境下で、問題なくスムーズに毎日を過ごすための技術であって、それぞれの子どもたちの人生にキッチリ責任を持つことが先生方の仕事ではないのだ。「それじゃ、うちの子がちゃんとした大人になれなくてもいいって言うんですか!?」とか言わないよね、やめてよね。子どものしつけはしないのに、先生に苦情は言うのかな?いや、↑に書いたような言いがかりをつけてくる人もいるのですよ。子の人生に責任を持つことを他の人に押し付ける(外注ってことばもあるけどさ)ようになったらどうにもならないよね。お願いだから、愛してあげてよ〜。日曜劇場の「御上先生」にもかつてのテレビドラマの熱血教師に憧れた先生が出てきたけどあんな「聖職」みたいなものに誰がその身を捧げたいのかね。そりゃ、中には、そんな志を持つ人もいるさ(はっきり言って迷惑だけどwというのは、かつてのクールな学生だった私、ほっといてくれ)でも、すべての教員にそんなことを強要されるのは迷惑だ。その「当たり前」の考え方は、ぜひアップデートしていただきたい。そんなことでは、いくら給料を上げようが見かけの仕事を減らそうがハードルを下げようが、教員志望者なんて減る一方だろう。まあ、でもね、じゃあ、誰の責任だよ!とか、ただ責任の所在を追及するのは全然違うと思っていていちばん考えるべきは、子どものためにできる最良のことは何か?だと思うんですよ。誰かの責任じゃなくて、分担がいいね(^_^)子どもにも、お母さん、お父さんにもいちばんいい方法を考えよう。ここには具体的に書けなかったけどこの後、我が家の場合、を書こうかな?でもまだ前の、憂鬱からの復活話が終わってないのさ、実は。風さんが絶妙のタイミングで「socially awkward wiredoで泣く」なんて言ったからさ、長くなってる。どうしようかな。
2026年02月28日
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「素」(す)でいていい自分でありたい、と言ったのは藤井風さんであれはいつのことだったかしら、どれかのツアーのドキュメンタリーに収録されていたかな?あ、もちろん私は、素でいようという強い意志よりも、たぶん、やむを得ず素でいるしかなかった、もうずっと。そうだよね、この流れで(読んでいただければ)。そして、世の中的には「率直であること」が人間関係で歓迎されるようになってきたみたいだよ?という記事をさっき読んで、それは、めでたいね、有難いことだと思います。社交辞令を理解しない私は「おまえは、馬鹿だね〜」と母に言われることもよくあったし、きっと、それはそれはいろいろやらかしてきたに違いないと思うんだけどそんなものをいちいち想像して反すうすると、それこそ泣きたくなるので(ごめんなさい。この日記は風さんのインスタストーリーに呼応しています。もし読んでくださってナンノコッチャと思われる方がいたら、ごめんなさい。この日記だけでも筋が通るようにがんばります)まあ、それでも、自分の気持ちをラクにするためには、ウソをつかないことが最善で、社交辞令だろうがウソには違いないので、言いたくないことは、言わない。う〜ん、思い出してみると、「遠野」の話を病院の同室のみなさんとしていたとき、私は方向オンチの地理オンチなので、場所の感覚がわからない。柳田國男が遠野物語を書いたことは知っている。で、控えめに参加しながら、前置きとして「あの、ものを知らなくて申しわけないんですけれども」「遠野というのは、どこの県になるんですか?」「うん、岩手よお」「そうね」教えてくれるみなさんは、ネットで言ういわゆる、マダムたちだ。気持ちに余裕があって優しい。知らないことを、知らなくて当然なんだから、教えてくれるのが当然だという態度では、教える方もちょっとムッとする(かもしれない)ものを知らない人間はそれを自覚してどうぞ教えてくださいなという態度でいれば、よほどひねくれた人でなければ、親切に教えてくれる。少なくとも私は、知っていることを伝えるときなるべく、教えることなんてなんでもないことですよと感じてもらえるようにしている。いや〜、恩着せがましいとかさあ、上から、スゴイでしょ感ありありの人とかさ、いるじゃん?それは、イヤなのよお。マダムしゃべりを真似してみる。脱線してもいいですか、するよ、脱線する気マンマン。旦那ちゃんが子供会の会長をしてたとき、地元で育ったお母さんが、何でもいちいち「教えてくれる」こうするんですよ、そういうもんですよ。そりゃ知ってんのは当たり前だよ、そこで育ったんだから。でも、昔ながらの方法が正しいとは言い切れないし、時代に合わせて変えたほうがいいことだってあるじゃん?まあ、とにかく前例踏襲主義だよね。それが正しいと思ってたんだな。そして、そうやって、「親切に教えてくれる」そのお母さんのことを、旦那ちゃんは「あの人はとっても親切な人だよ」と信用している。相手の思うツボだ。会長をコントロールできれば便利だよねwあの時期は、自分が会長をするより大変だった。余計なこと言うしさあ。かけひきができないんだよな。私もコミュ障の社不だけど、旦那ちゃんももっと典型的なタイプの社不で、わるいことに自覚がない。自称してる人と無自覚って違うよねえ、ひとのことは、つらいなあ。社不というのは社会生活不適合者のことです。いやいや、適合してるって胸をはれる人のほうが、コワイよねwそう、じゃ戻ります。その一見親切なお母さんが、恩着せがましかったよ、それはそれは。知らないんだから教えてあげますよ〜、しかたないなあ。でも、そういうタイプの人はもちろん、「物知りですねえ」って持ち上げてあげれば満足なんだから、そうすれば有用な情報源ではある。いや、その人に悪意は持ってないですよ、私は。旦那ちゃんが子供会の役員会で集中攻撃されたので、イヤな思い出ばかりで言葉がどうしてもトゲトゲします。だからさあ。大事にしなくちゃいけない大前提だけしっかり守れれば、何とかなりますよ。私は、他人に悪意を持たないし、相手が思ってもいない悪意をわざわざ感じないしもしも、それを感じたなら、聞いてしまいますよ。「わたし、何かマズイことを言いましたか?しましたか?」「もっといい考えがあれば教えてくださいね、ニッコリ」だ。ただし、これを実行するには、自分に自信を持っていなければいけない。「そのニッコリがキモイんだよって思われたらどうしよう」とか考えたらできないよね。実際キモチワルかったりするんでしょ?(あ、クマに怒られる)まあでもね、旦那ちゃんには聞いてみたことがあるんですよ、最近。あなた、世の中と少しズレてる気がしない?今までそう思ったことないの?って。そう、うちの情緒不安定な母が、言いたい放題で彼を「宇宙人」呼ばわりですよ。(テミス観てるんだって)そして彼は彼で「ホントにばあちゃんは分からない」って言うのね。板ばさみの私は、自覚ある(変な)地球人。フツーの人って誰のことよ?もういいよ、全員変人で。ほら、長くなっちゃった。分かってんだよ、そういう作りだ、私の頭。でも、書かなくちゃって思ったことを順に書いてんだけど。クマが言うにはネットのカキコミなんて8割ウソだよって。私はいつも、自分の考えが伝わるように懸命に書いておりますよ。ホントだよ!じゃあ、最後に。最近クマの使った言葉で、なるほどなと思ったもの。「ことばを選ばずに言うと(おいしくない)」ことばを選んだら「変わった味」とか「ボクには合わない味」とかになるのかな。めんどくさいね。選ぶのはめんどくさいけど、前置きすると多少の気遣いにはなるよね。なるほど。そして、ネット上のことばも出どころによってはしっかり信じている私は「よりよい自分になる」ことを目指しているという風さんはきっと大丈夫だと信じているしそう思っている人は地球上のあちこちにいるんだよ、と思っている。おわり
2026年02月23日
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ほとんど毎日思うことなので書かせてください。被害者意識の強い人の頭の中ってどうなってるの?うまく表現する言葉が思い付かないんだけど、卑屈、かな?聞きかじった会話を自分に向けてのことばだとしかも悪いほうに悪いほうに考える。そして、しまいには「自分のせいでしょ、そんなふうに思ってるんでしよ」ほんとウザい。これは使ってはいけない言葉だとクマ先生に度々注意されるのだけれど「おかあさん!言葉が強いですよ」って。そりゃ強いさ。わざとだもん。←中学生から進歩していない。ただし、旦那ちゃん以外に使わないし、外では、ある事象について、お互いに感じたことを伝えたいときに使うくらいかな。だいたいが、他人を言葉で攻撃しなくてはいけないような心理状態にはならない。ウザいもキモいも使うなって言うけど(チクチクことば、な)、その言葉でしか言い表せない気持ちってあるよ?発明だと思ったもの。すごいよ。この気持ちにぴったりのことばを見つけてくれてありがとう。いや、ネコクマなんかは、わろし、とか使ってたな。「あし」と「わろし」を使い分けるのねwせっかく古文を習うんだから、それくらいしたいよな。で、さっき旦那ちゃんに言ったんだけど「クマもあたしも、なんなら、自分に向けて悪口言われてたとしても何とも思わないんだよ?なんでそう、被害者意識が強いの?」その昔、「自称被害者」っていう日記を書いたことがあってつまり、先に「自分は、傷ついた」って言ったもの勝ちみたいな?そうすることで、相手を加害者にしてしまうわけじゃん。それはずっと納得いかなくて、気持ち悪いんです。育った環境によるのかなあ、それぞれの性格によるのかなあ、研究してる人いそうよね。なんだろう、対処法としては、ひたすらなぐさめるしかないの?いよいよ、イヤになったら見捨てられるよね。年取ってひどくなってる気がするんだけど。耳が聞こえにくくなって余計にひどくなるのかもな。いやいや、観察するわ。いつか改善するかもしれない。そして、上に書いた「悪口言われてたとしても何とも思わない」はそれが陰口である以上、気にする必要はない、ということです。改善すべき点を直接はっきり言わず、陰でコソコソ言い合う行為に振り回される必要はないじゃないかということですね。そこをきっぱり割り切ってしまうのが私たち親子のメンタル強いところです。まあ、弊害としては、気付いて改善すべきことに気付かないことがある、くらいかな?だから、今は私たち夫婦と同居しているクマに、何か言いたいことがあるなら本人にはっきり言いなさいよと旦那ちゃんに何回言ったかわからない。はっきり言って、皆が困らないようにすりゃいいじゃん。解決につながらないことをグズグズ言うのはキライ。ネットの記事を眺めていたら、「ばけばけ」熊本編の評判があまりよろしくないと。え〜?おもしろいけどなあ、十分。何、ニシコーリさんとおじじさまとおサワちゃんがいないからって。名探偵正木くんと丈くんのツッコミに笑い転げたけどなあ。なんでだよw 荒金さんのエピソードでも笑ったし。嘘はキライだけど、彼らのは、いい嘘、と熊本には書くことがないも嘘、もきれいに片付いていたし、まさか、焼き網のゆくえがスキマオチだったとは。ここにつなげてきたのか。あの、ヘブン先生日録の、スキマに箸が落ちたり、箸置きが落ちたりするの、これいるか?と思ったけど。まあ、いろんな人がいるよね。わたしはすごくおもしろいと思って毎日観てる。そして史実とフィクションの関係についてもすこし新しく考えた。けど、書かない、長くなるから。旦那ちゃんがタブレットを私に渡して出かけて行ったので書きました。すこし暖かくなってきましたね
2026年02月22日
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ドラマ「シナントロープ」第一話タイトル「俺たちは何者かになる」つまり、大学生の年頃の彼らは、成長したら、何かしらの名を残す存在になるだろう、なるぞ!という若者らしい考え方。つまり、今はまだ何者でもない。(いや、都成くんは5歳のときヒーローになった)去年の秋に最大限に落ち込んで復活した経緯を振り返っています。予想外にクルシイw ははは前回の日記は、「常識にとらわれない、は私の意志ではなくて特性によるものだったのでは?」と不安になりその後復活するまで。『常識』は、非常識であるよりは、あったほうがいいけどとらわれないほうがいい、というのは決して間違っていない、というのが今の私の考えだ。社会生活において、ね。これ以上、引っかかると長いのでやめます。ドラマ「アストリッドとラファエル」のアストリッドとか「テミスの不確かな法廷」の安堂さんとかを観ながら、いまでもずっと考えてはいる。そして、次に悩んだことは、何者にもなれなかったこと。三兄弟を生んで育てることを理由に、私はそれ以外のことを、ほとんど手放した。子どもたちが大学生になるまで、彼らが大学生になるのを見届けられたら十分、と考えていた。大学に入れば何でもいい、ということではない。本人が進む行き先が大まかにでも決められたらそれでいい、と思っていた。それを再優先にしていたので、自分自身のことはどうでもよくなった。そして、最初に残念に思った記憶は、ネコスケが大学生になったあと、サークルで演奏する英語楽曲の歌詞を私に見せて「これはどういう意味だと思う?」と聞いたとき。「これは〜、古英語だね。去っていった恋人を想う歌でしょ?」(ケルトの曲)「うん、そうなんだけどさ、他に何か隠れた意味はない?」「はあ? あるのかもしれないけど、お母さんにはわからないよ」「そっか、お母さんなら、何か知ってるかもしれないと思ったんだけどなあ」短大で少し英米文学の勉強をしただけで、あとは全部、私の趣味でしかない。言ってみりゃ、きわめて底の浅いオタクのようなもので、そこまで掘り下げて詳しいわけじゃない。好きなことに関しては好き勝手に語るだけだ。学校で勉強する範囲では子どもがおもしろがりそうな話はいくらでもしてあげた。「気のせいだよ」を英語で言ったら何て言うんだろうね?は子らが小学生のときに一緒に調べた。It's your imagination.だって。なるほどねえ。(言葉は、文脈によります)子どもたちを育てながら、働く(稼ぐ)ことも、勉強することも、研究することも、私の能力がもっと高ければこなすことができただろう。彼らはお利口さんだったのだから、私が自分のことにもっと時間を使っても彼らはうまくやり切ることができたに違いない。私が、そうしようとしなかっただけだ。特にネコスケの好奇心のためには、母親の私が、何かの専門家になれたなら、もっとたくさんのことを教えてあげられたんだ。機会を作ってあげられたんだ。私は、彼らと一緒に遊んで過ごしただけで、ほんの入口を示してあげることしかできなかった。(それで十分じゃないか!と今は思うよ?w)両親が、共働きで忙しくても、そんななかでも頑張れた自分、という自信を得る機会を逃したわけだ。彼らから機会を奪った、という後悔の念は大きかった。この時期、妹に「私はとんでもない毒親だったと思った」と書いている。そしたらユキちゃんから「毒親w」と返事がきた。そして彼女が言うには自分は親になれなかったけど、子供と親はまったく別ものだと思う、と。親のせいにするのは甘えだと。大人になってもいつまでも親に恨みごとを言うのはちがうだろ、という気持ちをもっているらしい(世の中に対してね)そうだよね、だし、私、子どもに何か文句を言われたわけでもないんだよ。勝手に心配して勝手に不安になってるだけなんだよな。それにさあ。何者かになりたいなら、今からでもすればいいのよ。←出たw今年55になるんですけどね。老人保健施設に混ぜてもらってリハビリしてるので、まわりには80代90代がたっくさんいるんですよ。とんでもない子ども扱いですよ、私w そりゃそうか。30.40違うんだからなあ。で、前向きに観察してやろうってキョロキョロしてるんですけどね。せっかくの珍しい機会だからさ。そして、うちの母は、おととしの終わりに大きな手術をして、今も再発注意の検査を受けている。そのたび、もともと、不安定な人だから、どうしようあたし、死んじゃうかもしれないって感じで動揺して電話してくる。スマホにかかってくると逃げられない。まあ、辛抱強く伝えるよ。うちはみんなドライだからなあ。年の順にいなくなるんだよってみんな思ってる。別れを惜しまれる人に自分から、ならないとね。ああ、そういえば、意識を取り戻したあと、ネコスケに電話したら、「メンタルがひどかったけど復活した」って言ってた。「ウツとかじゃないけどね」って。まだ学部生だったけど、あの頃大学近くで一人暮らししていたネコスケはお正月で帰省していて、まだ家にいる間に母親が救急車で運ばれたわけで、ふだんこれだけ仲良しだと、心配にはなるよね。卒論とか院試とか迷惑かけたに違いない。ごめんよ。学問的なことは教えてあげられないけど、笑い話ならいつでも。ネコは、今年のお正月には、帰ってこられなくて「何かしら食料を見つくろって送るからね、そのうち」と話したら、おとなし〜く「うん、ありがとう」と言っていて、キモチワルかった。おい、まだ送ってないんだよ、そのうちな。もうすっかり元気だけど、まだつづく
2026年02月21日
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順を追って体系的に書きたいと思ったんだけど、ダメだ。順を追うことに意味があるとは思えない。ぴょんぴょんと庭石を跳ぶように書いていきます。どこに跳ぶかは私のなかの秩序に従います。(それは秩序って言わないんだよ?知ってるけど。ある意味chaosだよね。日本語だとカオス・混沌・無秩序、発音はケイオスで。言い換えるとout of orderだ) 以前末っ子のクマが言いました。「大学は研究機関だからね」つまりうちの子らは、大学は研究する場所であって、ただ勉強する場所でも就職予備校でもないと理解して大学に進んでいたわけですね。たぶん、そう分かっている大学生は、全体のうちのどれくらいになるのか? それに、勉強と研究って違いは何か?大人にも即答できる人は多くないかもしれない。勉強って、これまでに分かったことを理解して自分のものにすること、研究は、新たに発見すること、知識自体は既存でも、新たな発見はできますよね。てことは、勉強は過去で、研究は未来ってことか。現在は、どちらにも含まれるよね、たぶん(知らんけど)。 そう、そして、公立の学校の勉強というのは、科目や内容を国が長い時間と人手をかけて検討して、これは理解・習得しておいてくださいねと吟味したものだと、私は理解しています。だから、そんなに多くないと思ってるの、私は。その限られた過去の部分を押さえることにも四苦八苦している人に勉強、さらに研究は向かないんじゃないかと思っています。勉強が苦手な人に価値がないとは、まったく思わないし、私も他人に決められた(例えば学校の)勉強は好きじゃないけど、そういう人にも、それぞれの得意なこと、好きなことがあると思うんですね。だから、みんながみんな同じように勉強して、大学に行く必要はないと考えます。そこを思考停止で、どんどん進め!進め!少しでも高ランク帯に!ってするから疲れるんじゃないの?そうしないと生きていけないなら、それはその仕組みが間違ってるんだと思うよ?勉強と研究は、得意な人にまかせりゃいいじゃん。 でも、世の中にはそんなこと何にも考えずに、あー、勉強めんどくさいなあ、やらないと怒られるからやっとくか。すげー、ナントカさんはまた100点だって。まあ、平均取れてりゃ問題ないよね。あー、勉強も仕事もしないで、ずっとラクして生きられたらいいのにね。って過ごしてる若者もたくさんいるよね。そういう人に、もっと勉強しなさい!とか、成績を上げなさい!って強いるのはムダ(徒労)だと思っていてだから、勉強がイヤな人は、最低限必要なことだけ押さえて…っていうと、義務教育範囲全般になるのかな?それくらいの気持ちで、私は自分の子どもたちの学校時代の様子を見ていました。そして、基本的に子どもというのは、「知ると楽しい、分かると嬉しい」生き物だと信じていて、楽しくて嬉しいことは、なんなら、とめても続けるんですよね。それの最たるものがうちのネコスケじゃないの?wだから、なるべく小さいうちに、勉強を楽しいものにしてしまえば、いくらでも自分でします。楽しくていくらでもするのに成果が上がらないなら何かしらの原因がある。それも、注意深く見ていました。漢字が苦手な長男のワンはへんとつくりを逆に書いてはべそをかきながら漢字練習をしていた。でも算数は好きだし、得意。自分でどんどん進める。真ん中のネコスケは、いろんなことに興味を持って自分の知らないことを知りたがった。「どうしてだろうね?お母さんも知らない。(この時点でみんなでよく考えてみる)調べたら教えてね!」そして着実に自分のものにしていった。小学校、中学校と積み重ねた学力は、フツーに、進学校に行くのに足りるものだった。ほんと、高校さまさま、よ。あとは、おまかせ。末っ子のクマは、少し、だいぶ、様子が違った。振り返ると、学校から電話がかかってきた回数はダントツでいちばんだ。そして、フツーの子なら、恥じるような、例えば、「言葉の教室」に6年生まで通っていたというようなことも「ボクは◯小でいちばん長く言葉の教室に通ったからね!」といばっていた。お母さんも◯小保護者でいちばん長く言葉の教室に通ったよ?3人分だし、一時期はふたりに付き添っていたしwそんなのも過ぎてしまえば笑い話だ。私が、クマには教員が向いていると考えるのは、できないことがたくさんあってそれをなんとか自力でこなす、という体験をたくさんしているからだ。失敗もした。せかせかと帰ろうとした昇降口で小さな低学年の女の子にぶつかってふっ飛ばしてしまって、相手が転んで頭から出血してしまった、とか。母が泣きそうだったよ。その子とそのお母さんの気持ちになったら。ほんとに半泣きでお詫びの電話をした。「たいしたこと、ないですよ〜」と言ってくれた優しいお母さんだった。お互いに「すみません、いえいえ、こちらこそ」と言い合った。まだまだあるぞ。いや、それは別の日に書こうか。何が起きてもおかしくない、と覚悟していたから、うちの子らがわざとだれかに危害を加えたということでなければ、状況を確認して、冷静に対応するしかなかった。逆もあった(謝られることも。お礼を言われることも)さいわい、私が本気で怒らなくてはいけないようなことは起きなかった。誇りある男子たちだったからね。以上を踏まえて、これっぽっちも自分が間違っていたかもしれない?なんて考えたことはなかったのに去年の秋に、不意にモーレツに不安になった。ちょっと待って。常識にとらわれないで、子どもたちを育てたつもりだったけどそもそも私、常識に沿った生活自体が、「できなかった」んじゃないの?しなかったんじゃなくて、できなかったんだ、なるほどね。「大豆田とわ子と三人の元夫」に市川実日子さんの演じる、かごめちゃんというキャラが出てくるんですよ。彼女がいつまで経っても、横断歩道を渡ることができない。で、それに気付いた小学生のころのとわ子さんが、手をつないで、手を上げて一緒に渡ってあげるんですね。それ以来、ふたりは大事な友だちになる。そして、あのドラマは、大切な人にある日突然会うことができなくなる、こともあることを描いたドラマだと、コロナ禍を踏まえて。そう、いろんなことを考えさせるお話でしたね。そう、で、その「できない」が本人にとって社会生活の不便な壁になるとき、障害と呼ばれるんでしょうね。かごめちゃんは会社勤めが続かなかった。私はいま、身体の左側が制御できない、これは障害、だよね。でも、昔からずっと常識を正しく理解できない、は、私にとって障害にはならなかった。自分に強要しないだけでなく、他人にも強要しないから、ただのゆるゆるした人だった。でもきっと、いらつく人もいたかもしれないよね。障害までいかなくても特性ではあるよね。(学校時代は、教科によってはやたら成績がよかったので、よほど素行がわるくなければスルーされた)そして、そのキッチリカッチリした常識というやつが一般社会では重視されていて、特に教育現場では必要なんだよなと思い至ったんです。そして落ち込んだ。私は、それを実践することも子どもたちに教えてあげることもできなかった。考えた、考えた、泣きながら。私自身が、もっと日本の伝統や暦を重視した丁寧な生活を送っていたら、彼らはどこへ出しても恥ずかしくない日本の大人になれたのに、と後悔したんです。あんた、休みの日は昼まで寝てる場合じゃないし、不摂生したあげく半分動けなくなるし。うん、でもね、後悔先に立たず。まだ、できる。今からすればいいんだよ、ね。努力しようよ。いちばん良い手を選ぼう。と旦那ちゃんに泣いてうったえていたのが、12月ごろ、かな?旦那ちゃんは終始「自分は(子どもたちを育てたのが)アイちゃんで良かったとおもうよ」と言ってくれていましたけど、彼もあんまり常識に詳しくはない。トホホ。まあ、でもね、クマは、何とかすると思うんです。マナー的な常識は、自分が知らないことを自覚してると思うし、何かを判断するときに大切なことは何かわかっていると思うし、それは三兄弟みんなに言えることだ。それを指摘して意見してくるような人のことはそれと素早く認識するだろう。そしたら、先手を打って指示をあおぐくらいのことはできるでしょwそれは、私がしてきたことだ。彼らはとっくに私を超えているのだから心配することはない。←イマココ。長くなっちゃったわ。文章が長いのは昔からだったよ、という話も書いていいかしら。役に立たなさすぎかしら。じゃあ、最後にひとつ。クマと最近話したこと。「ねえ、学校の調べ学習ね? ネット検索して最初に出てくるAIによる概要を丸写しして完了ですって、保護者から、そんなの意味ないじゃないかという意見が出てるようですぞ」「ん?図書館で本にあたれと?どんだけ情報が古いと思ってんだよ! なんなら、そのAIによる概要のほうが役に立つかもよ?」「そうねえ、それは実際に試してみないとわからないわね。誰かデータとってよ!比べるために。 これはまだまだ研究の余地がありそうね(もう誰かやってると思ってる)」ネット検索からの引き写しは、無意味というのは、我々の思いこみ。情報の有用性は調べてみないとわからない。ただし、「調べる」手法について、伝えたいことは伝えておくのがよろしいかと。しかし、自分のころの「調べ学習」の手法が「正しい」と押し付けるのは気をつけたいところ。そこにはかならず、思い込みが存在するのだ。おわり
2026年02月19日
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2023年のお正月に救急車で病院に運ばれてから、今年2026年のお正月で、まる3年が経ちました。脳出血は再発が多いから気を付けてね、と入院中もよく言われましたが、反省して生活習慣を変えたおかげか、今のところは無事です。書いておかなくては、と思ったのは、退院後2年半が過ぎた去年の秋に訪れた鬱々とした気持ちのことです。脳出血の前にも後にも、あれほど気持ちが落ち込んだことはありませんでした。そもそも、私は楽観的過ぎて、落ち込むことなど、かつてなかったのです。だから、正確には2年半経ったころだけど、キリがいいので3年で記録しておきます。私は、自分の現状を理解するまでに2年半を要したようです。今回ブログを休む前に書いた「まわる虫」という10月終わりの日記に「まわるのもやめそうな元気のない虫」に自分を重ねてしまったと書いたのですが、もう、とにかくそんな感じ。それは、自分をただの地上の生き物の一種類と自覚して、その生命活動を終えることを覚悟したということです。そして、自分のしてきたことが、ただぐるぐるまわる以上の何か価値のあるものだったのか、むしろ子どもたちにとって、害を与える存在だったのではないか、と考えて考えて、もう私はここで布団をかぶって「死んだふり」をしているくらいでいいのではないかと泣きました。何もできないなら暖かくなるまでは静かにしていたほうがいい、と考えたのですね。でもそうやって文字にしておいたおかげで、それが急に寒くなった秋のことだった、とわかります。そもそもタイミング的に、真ん中のネコスケが4月から博士課程に進もうと、末っ子のクマは教員として働こうと進路を定めた時期でした。そうです、どちらも、世間一般ではクルシイ!ジゴク!と言われる進路ですから、元気なときでも、母親なら心配になるところです。あげく、自分自身の「できない」道程を振り返ったのですから、ひとたまりもありません。脳出血で倒れてから、私は自分の身体の左側が不自由になっただけ、と考えていましたが、このころ、頭の働きにもできないことがいくつもあることに気付きました。それは、脳から血が出て損傷したから、できなくなったのか? いや違う もともとたいがいのことが満足にできていなかったんだ。最近特性を自覚した、と書いたのはその辺。ただし、このあたりのことは、「大丈夫。頭の中を整頓して復活するから」と旦那ちゃんに宣言して、いまはすっかり元気です。ひとつひとつ、なぜ大丈夫なのか、自分を納得させていきました。私自身が、綱渡りのようになんとかこなしてきた学校生活を今まさに過ごしている彼らが、ある日突然、自分のできないこと、苦手なことに気付いたらきっと、とても困るし混乱するのでは、と心配しました。子どもたちが、こころをとにかく強く保たなくてはいけないこのタイミングで、そんな思いをさせるなら、母親の私の特性のせいでは?と堂々めぐり。遺伝してるかも、だし。考えなしに無責任に産んでしまったから、わるいのは全部私だ。うん、そしてその頃、元気に日常生活を送っている人と話したい、と、妹にメールしたり、長男のワンにラインしたり、とにかく前を見て着実に歩みを進めている人たちに頼りました。ユキちゃんには、日に当たりなさい、と。ワンには、たのしそうなゲームをさがしなさい、と言われました。それらのアドバイスはしっかり実行しました。ひとりで黙って我慢しません。施設の職員さんにも相談して、そしたらしばら〜く心配されました。「やせたんじゃない?」「ごはん食べてる?」首の後ろを温めるといいよ、自律神経が整うよ、とか。みんなに相談して、脳外科の主治医の先生にも聞きました。「冬季ウツでは?と思ったんですけども」う〜ん、鬱の薬はめまいがひどくなるので、おすすめしません(片麻痺の人には特に)。「そうですねえ。大丈夫。暖かくなったらよくなると思います」そして、布団をかぶって暖かくなるまで「死んだふり」をするがいいか?と聞かれて「いいよ〜」と快諾した旦那ちゃん、「こんなに元気な鬱患者はいないと思うよ?」「うん、あたし全然、死にたくないの!」希死念慮というのがあるというけれども、寝るのも食べるのも何も問題なくできるので。眠れないとか、食べられないとか、まったくありません。やっぱり気の持ちようだよね、と。バカ過ぎた、あたし。何だろう、たぶん、そういう脳の作りなんじゃないの?鬱になる機能がない、とか。(なんだよ、それ)あ、そう。心配は、相手を信頼していないから生まれるんです。これは心配される側としての実感。私は、ネコクマをそんなに信用していないのか?それはない、世の中で最も頼れる人たちだ。どんなに苦しい道であっても、彼ら自身が選んだ道なら、そこを行くだろう。だし、苦し過ぎて死にそう!なら、その道を逸れることもしっかり考えるだろう、それも信頼できる。決めたことを簡単にやめるな、とか旦那ちゃんなら言いそうだけど、そんなのは命を再優先する歴の長い母親の私が全力で止める。だし、彼もいいかげん私の話を参考にするようになってきたし。実はワンのことも心配して、それ以前に何度か連絡したのだが、うるさがらずに安心できる返事をくれる。ほんとにいい子に育ったものだ。誰の子かな、あたしだよ!母親の私がどんなにできなかろうと、彼らは彼らの力でここまで進んできたし、この先も進んでいくだろう。それで。これから、元気になるまでの思考の流れをひとつひとつ書いておこうと思うんだけど。(ネタにするのかw)何かの役に立たないとも言えない。今回は、長いからもうやめるけど、ひとつ。前のタブレットのネット接続機能が壊れたらしいんです。それで、旦那ちゃんが、アイちゃんの調子が悪いのは、文章を書けなくなったからでは?とコナンくんみたいな推理力を発揮して、新しいタブレットを買ってくれました。3代目、これ。ムダ遣いだしいらないって言ったんだよ?彼にとって、電化製品は別腹らしい(日本語おかしいんだよな)まあ、それもなくはないと思うけど、新しい機械なんていじる元気、今ははないよ、と寝かせて1か月以上経ち、さすがに脳内が渋滞してきたし回復したので書くことにしました。ブログの存在を家族みんな知ってることになるけど、子らは忙しいし、旦那ちゃんは、役にも立たない長い文章なんて読むのはごめんですよ、なので(ほんと意味わからんよね)私の身に何かあったときのために残しておきます。クマに怒られないようなものを書きたいな。長いじゃん。学習しないな。今朝の「ばけばけ」おもしろかった。あやしさしかない荒金さん、いい人だったじゃん、そして有能だ。「まさか儲かるとは」とアンチ司之介の旦那ちゃんもびっくり。私は、錦織さんの弟さんが、後に工学博士という史実を押さえたおくまちゃんとの会話に感心。ほんとによくできてるなあ。まあ、そうだな、車夫の永見さんの「不器用ですが」がしつこくない?と思ったくらいかな。あれは何度も必要なの?何にしても明日が楽しみ。焼き網、どうしたんだと思う?は何でも予想して見ろ、のうちの習慣。思いつかない。旦那ちゃんが言うには焼き網がなければ白いごはんが食べられて嬉しい司之介さんのしわざでは?だって。どんだけアンチw つまんないでしょ、そんな展開。そして、「そりゃ、書けないさ。錦織さんのその後が気になって気になって」は書けないヘブン先生を心配するおトキさん母子を見て私が言ったこと。 おわり。おまけ:変換が簡単だから漢字にするけど本文中のやたら難しい「鬱」子どもたちは中学校で習っていました。3人とも同じ漢字プリントを延々とやらされていたから、憶えてる。鬱大きくしてみた。私は書けません。書くならカタカナだな。なんか不穏な日記になったな。TVerで「ゆとりですがなにか」が観られるので観ています。そのまえに「エルピス」も観た。ではでは ぼちぼち書くよ〜
2026年02月18日
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ネット(X)で見かけたかわいらしいお話。ただ、かわいらしいだけでは済まないのが難しいところ。うちの子の場合を、下に書いておきます。年中のお子さんが書いたひらがなプリント 文を読んで答えましょう。 そとで いぬが、ねています。 なにが そとで ねていますか?二文字の枠に、書きましょう。とってもきれいな字で「ねこ」これを見て、お母さんが反射的に「なんで!?」と笑ってしまったらお子さんが「なんで笑うの」とショックで泣き出してしまったと、反省。おもしろいなあ、うちのクマに話したら「絵は?」「ないよ、当然(なめとんか?)」「外で寝てるネコを見たことがあるのかもねえ? 頭のなかで置きかわっちゃったのかな」と真顔で。すげー、笑わないのか。教員の卵、ちゃんと勉強してんだなあ。(同じ経験をしたことがあるのかもね?母、自覚なしに笑うから)泣いてしまったお子さんの気持ちも、笑ってしまうお母さんの気持ちも、よく分かる。おばちゃん、よくわかるよ。どっちもなぐさめたい、大丈夫、つか天才、お子さん、うん。年中さんが、あんなにしっかり、むずかしい「ね」の字を書けるのが、まず、すごい。クマなんて小学校高学年まで、つなぎの「を」とあ行の「お」を混同してましたから。(さらすな)あんなにきれいにねの字が書けただけで褒めちぎっちゃうぜ。そして。お母さん、大丈夫、笑っちゃうのよくわかる。だっておもしろいもん。いぬとねこ、ね。絶妙。できれば、本気で謝っておいたほうがいいですね。バカにして笑ったわけじゃない、と全力で説明してね。伝わるよ。でもしつこいのは、ダメだよね。笑ってしまったことを謝って、さらっと流そう。天才的におもしろい。私も笑う、笑う自信がある。そして謝る、真剣に。ちなみに、「うちでこれをやるならネコスケだろうね」とクマが言うし思い出したので、私もネットの辺境でさらしておきます。同じような失敗をした人のために、しないためにも、書いておくよ。それならネコスケも許してくれるんじゃないかなwふだんの学校の成績は異様によかったネコスケ、中学3年の、実力テストかなんかが返ってきてしきりに首をかしげている。「これねえ、ア、イ、ウから選びなさいって書いてあるのにエって書いてんだよね。 どうしたんだろうねえ?どこからエが出てきたんだよ!」と本人が笑っている。いや、おもしろすぎて、ケアレスミスに気を付けろって注意する気にもならんわ、受験生。まだある。高校に入ってからの全国模試、「これさあ、変なミスしたよ。「専ら」←読み方を書きなさい。「もっぱらって書いたのね、そしたら『ら』は回答用紙に印字されてんだよ つまり、書かなきゃいけないのは『もっぱ』だよ。 そんなのある?もっぱらって書かせろよ!なんだよ、もっぱって」「いやそれは、ネコの注意力不足だよね、残念」←ネコスケのほうが成績ははるかに優秀。末っ子って。「まあね、仕方ない、けどさあ」母「まあ、読めてるからね、いいじゃん、今後は気をつけよう」それ以来、我が家ではケアレスミスのことを「もっぱらら」と呼ぶようになりましたとさ。これは、同じ学年で同じ目にあった人もいそうだなあ。でもさあ、印象深い間違いをすると、同じ間違いはしないよね! ←受験生のみなさんに届け。以上、ここに置いておきます。何にしても私は、勉強というものに取り組む人たちを応援している。勉強は、楽しいものにしたいよねえ。今を楽しんでね!そんなこともあるよ、大丈夫!大人になれば、ネタの宝庫だ!おもしろい話を聞かせてね(^_^)ではでは
2026年02月16日
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こんにちは。挨拶をしてみたよ。少し話を変えます。ドラマはあれこれ見続けているけど、感想はまた別の日に書きます。ブログを怠けることに抵抗がなくなった(よくない)でも、いくつか書きたいなと思っていることがあるので、忘れないうちに書いておきます。昔から、私が社会人になった頃には(ということは、平成が始まった頃には)よく言われていたことに、旦那さんは奥さんの話を聞くことができない、なぜならただ愚痴を聞いて共感するということができなくて、その問題を解決しようと考えるからだ、と言われていました。ハタチ過ぎの私はそういうものを見かけるたびに「あたしもいつも、『その問題を解決するには?』と考えながら聞いてるけどね?オンナだけど?」愚痴(や悪口)の多い母親の元で育った私の習慣だから単なる性差の問題ではないよ?といつも思っていた。ひとつ言えるとすれば、必要なのは、最初に共感することだ。「ああ、イヤなんだね、嫌いなんだね、わかるわかる」これがあるだけで、話し手はまず納得してくれる。学生時代も、社会人になってからも、私が聞き手として求められることが多かったのは、そういうことだろう。みんな、分かってほしいんだ、だから、ハナから「そんなの気にすることはないよ」とか「考えるだけ時間のムダだよ」と斬り捨てられたら悲しい気持ちになるよね。解決してほしいわけじゃなくて、共感してほしいんだ。そしてさいわい、そういう私とたくさん話して育ったうちの子らは、もうみんなハタチを越えているけれど、そうやってひとの話を聞く習慣がついている。もっと言うと、その、話し手が「イヤだ」という気持ちは理解するけれども、彼ら自身はそのこと(というのは、話し手がイヤだと言う事象)について何とも思わない、ことも多い、それも私と同じ。イヤ!が多い人は生きにくいだろうなあと思うよね。自分が生きにくいと他人に優しくなれないのさ。ひとに優しくできる、気持ちに余裕がある人がたくさんいる社会がいいよね、と思うんですよね、結局。ここまで前置き。それを踏まえて。健康のための習慣で、外に歩きに行った旦那ちゃんが帰ってきて言うには「犬の散歩をしてる人がいたんだよ。袋は持ってるんだよ?町内の他人の家の前に糞をさせてそのまま去っていくんだよ?どうよ?」「それはダメだねえ」と返事をしながら考える「そりゃあなた、玄関を出たらいきなり犬のフン、なんてイヤよねえ、でもね、私たちにできることって何だろう?その飼い主を呼び止めて『忘れものですよ』って言うのお?」「あのね、腹が立つ気持ちは分かるけど、でも、そこであなたが注意をする(要は、イヤミを言う)のはリスクがあることを自覚しておいたほうがいいわよ?」うちの旦那ちゃんは、他人への迷惑に気を付けることを重視して育てられているので、(つまり、つくづく世間体を気にする家だったんじゃないの?w←おまえの態度が、悪いんだよ)正義、最強、なのだ、別の意味で危険なオトコ。からんでくる人間を呼び寄せる。(もちろん経験あり)そもそも本人はゴミを外に放置しないし、もっと言えば、私たち夫婦の数少ない共通点として、犬が苦手ということがある。だから、愛犬家の都合なんて、これっぽっちも理解していないし、理解する意思もない。誰かが動物を可愛がっている様子を見るのは好きだし、微笑ましいとは思うけど、自分がしたいかといったら、わたしの長年の口ぐせは「生きものは子どもだけで十分」だったくらい、これ以上、自分以外の命に責任を持てないよというのが本音だ。だから、犬を飼うなら、他人に迷惑をかけないように世話してくださいよ〜、というのが、我々の気持ち。犬でも何でも「家族」として大切にする人の気持ちは否定しないよ、もちろん。で、考えた。犬を飼っている人たちには、フンの処理をどうするものだ、という共通認識があるのか?そもそも。もしかしたら、外にフンを放置してはいけない、という自覚や知識がないままに過ごしているひともいるのではないか?という疑問を口に出したら「そんなの、公園の張り紙にもあるじゃない、知らないわけないよ」とプンスカする旦那ちゃん。あげく、私が怒られるのね、ヒドイよ。「うん、でもね、私は、その人が『ここに犬のフンを残してこの家の人にイヤガラセをしてやろう』と考えて敢えてやってると、考えたくないのよ。どうしてそうなるのかを、考えたいの!」そこにない悪意をわざわざ見ない、も、もうずっと実践してきたことだ。「犬の飼い方講習会みたいなのって、あ、狂犬病の注射とかあるか、そーいう犬飼いがみんな行く場所でさあ」違うな、きっとそういう人は、自分の家の周りにフンを残されるのは怒るんだろう、てことは、自分には害のないことだからするんだ。決まりの問題じゃない(当たり前)世の中ではどうなっているのかな?←知恵袋を覗きにいく。ほほ〜、やっぱり、たくさんの人がフンの放置に怒っているな。条例で罰せられる自治体もあると。ん?フンを放置なんてするのは、田舎者か年寄りでしょうだと?失礼だなあ。地域差や年代の問題ではないでしょ。ん?そういえば、昭和の昔は、エチケット用のバッグを持ち歩いてる人なんていなかったよね。犬が電信柱にオシッコするのも当たり前だったし、だから、そこの雑草は汚いからさわるなって言われたさ、いつも。でも、それも、洗い流すためにペットボトルの水を持ち歩く人たちが増えた。人によっては神経質って言う人だっていそうだけど(そのうち雨も降るしねえ?)でも不快に思う人に配慮できる社会になったことは、私は、単純に、嬉しい。苦手なんだよ、犬。あちらは喜んでるだけかもしれないけど、キャンキャン騒がれるとイヤ。おとなしい、かしこそうな犬は好きよ。人間も同じじゃない?特性上(最近自覚した)あちこち話が飛んで長くなりますが、これは有用だなあと思った情報が、「最近は、犬は自宅で用を足してから散歩にいくのが主流ですよ」と。(知恵袋からだけど。)へえ。それはいいことを聞いた。それがいいですねえ。フンを外に放置して嫌われるなんて犬がかわいそうだ、とホントの愛犬家の人たちがなげいているようですから、外でしなくていいように習慣づければ…いや、ちょっと待って? 犬って、用を足すために、散歩にいくんじゃないの?(これは昭和の常識)温暖化で、散歩すらむずかしくなった昨今、いま一度、犬飼いのマナーも考え直す必要がありそうですね。これが常識!はやめて、昭和の、も平成の、もなしにして、いまの自分たちが困らない決まりを周知したら?何にしても、家の周りに大型犬の巨大なフンを放置されて怒る旦那ちゃんの気持ちはよく分かる。怒りながらも汚物を淡々と掃除できる旦那ちゃんを尊敬します。(ほんとエライ、さすがイナカ育ち)うちの母が長年愚痴っていたのが、赤ちゃん時代のわたしの便秘のコロコロウンチを、父がオエーッと言いながら処理していたと「カワイイカワイイアイちゃん(←これはイヤミ)のコロコロウンチなのにねえ」と悪口言い放題。ごめんよ、パパ。書きたかったことは、犬の散歩に行かれるみなさんは、自宅で用を済ませる習慣を犬につけてもらえるととっても助かります。犬自身のためにも、犬を飼っていない人たちのためにも。みんなのために、だよね。でも、自宅で処理するのかよ!?、は自分で考えてくださいね。それすらイヤなら、飼わないで。そして、犬飼いの人たち、犬自身のためにもそれがいいんじゃないかと思い付いてくださって、実行してくれている人たちにお礼が言いたい。ありがとうございます。大好き。これがひとつ。ふたつめに。私は、愚痴や悪口を好まない。言いたい人の気持ちは分かるし、共感してあげることはできるけどできれば解決したい。解決につながらないことをグズグズ延々話されるのは困る(それはうちの母)そして解決しようと考えるのは、当然男の人だけではないし、男女どちらにも、文句を言いたいだけの人はいるってことだ。愚痴ばかり言う人は解決課題だけを大量にまき散らしてスッキリするのだからタチが悪い。ブログに限らず、すべてのSNSには、解決にはほど遠い、ただ共感して欲しいだけの意見(愚痴や悪口)があふれていて、そういうものに、私は興味がないし、書くつもりもないので…あ、思い出した。以前、このブログに横断歩道は歩行者優先という話題を書いたら、そのことについて、ひととおり演説したあげく、ここを訪れるみなさんにも広めなさい、と言い出した方がいたので、そういうのは、ご自分でブログを書いてどうぞ、とお引き取りいただいたことがありました。目的が違うので。冷たいかな?と少し反省はしたけど、私は前向きにものを考えたいので、「あれがダメだ、これもダメだ」と言い合いたくはないのだ。だから、私の思考の助けになる話なら時間を割くけど、愚痴や悪口につきあうつもりはないし、私自身、愚痴や悪口を書くつもりもない。だから、そういうコミュニティをつくるために、文章を書いているわけではないので、無視していただいてかまいません。うん、そういう感じで盛り上がっているのも見かけますよね。まあ、前向きに盛り上がってたら革新的だと思うけどねw なかなかむずかしい。 こないだの選挙で高市さんが支持された理由に、他の人をディスらない、というのが大きかったという話が好きなんだけど、ほんと、あまりに長いあいだ悪口を聞かされて、いいかげんウンザリしましたよね。批判って悪口じゃないのよ。他人を下げて自分が上がろうとするのはキライ、もずっと言ってきた。「ひとを下げても、自分は上がらないんよ」は、最近のクマの発言。そうよ、そうじゃなくて、自分自身が上がれるように考えよう。タイトルの「正義感」は、悪口や愚痴の根拠が正義感によるものであるとき、その行為は正当化されることも多いのが、めんどくさいよね、の意図。結論:動物は無責任に飼わないこと
2026年02月15日
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2025年の秋ドラマの感想を書いておこうと思ったら、リアルタイムで放送中のものよりも、TVerで観た「大豆田とわ子と三人の元夫」が印象的だったので、2025年の終わりに観たドラマの感想、になっています。少し前にも書いたんだけど、「シナントロープ」がおもしろすぎて、終わったら困ってしまった。そこで、「大豆田とわ子と三人の元夫」を観たんです。東京03の角田さんが好きなんだと思う、私。どうしてあんなに器の小さい人を演じるのが上手なの?「ホットスポット」の最終回録画がテレビに残っていて、あの話でも、みんなに買ってきたと渡した缶コーヒーのお金を集金してましたね。そこは、おごるだろ!気を遣わせないようにじゃないよ!これは、脚本を書いた人(バカリズムさん)の才能ですかね。当て書きだよね。少なくとも「いだてん」のタクシー運転手さんは、あーいうキャラじゃなかったのを覚えている。そんなに観てないのでわからないけど。もともとそんなに真面目にたくさん観てないんだよな。本を読まなくなった代わりに空いた脳のスペースに、テレビドラマの情報を入れているようです。はい、では、本題の「好き」を共有する、について。大豆田とわ子と三人の元夫の後半に、オダギリジョーさんの演じる小鳥遊さんというキャラが出てきます。この人が、正体はともかく、数学がやたら好きな人で、日常にも数学を持ち込んで、ある日数式を書き散らした紙をばらまいてしまって、とわ子さんと友達になる。で、とわ子さんという人も、眠れない夜には高校数学を解くという習慣があって、もともと建築士だから、数学好き。そりゃ、好きになっちゃうよね。大人はあんまり、高校数学の問題、楽しんで解かないと思うんだけど、私はそういう人すごく好きで。私自身は数学苦手だから、解かないけど(解けないけど)同じようなパターンなら、英文を読む、まったくの趣味で。今すぐそこにインターステラーのノベライズペーパーバックがあるんだけど、冷静に考えてみると科学用語が、難しすぎて読めないわ。でも私が英文の本を読むのは、新しいことを知るためなので、日本語だろうが英語だろうが同じことなのだ。元気が出たら読もう。元になってる映画も観たい(そっちを先にしろや)そう、でね、そういう何かを心底好きという気持ちを共有できるっていいよね、とうらやましく思ったんです。「ばけばけ」もそうですね。ヘブン先生とトキさんは、怪談が好きということをきっかけに仲良くなったんですもんね。それまではなんだかよそよそしかった。貴重なこと、ですよね。あ、ちょっと本題からそれるけど、ばけばけ、おもしろいなあ、また終わる頃にまとめて感想を書きます。今日のお話は、ヘブン夫妻のゴシップ騒ぎがどうなるかというところで、食い逃げ県知事という記事が出てそちらに興味がうつる、という。あの、「わしは食い逃げなどしとらんがね?」と佐野史郎さんが、何度もしつこく訂正する描き方もたまらんw でもあの騒ぎもすぐ遊女と力士の駆け落ちの話題にうつると。うまくできてるなあ、ビアのときも、おサワさんが「だから違うって〜。あ、どうも、お邪魔してました〜」と登場するところで大笑いしました。ちょうど気持ちが沈んでいたところだったから、ほんとに助けられました。ありがとうございます。笑える朝ドラ、いいなあ。次の朝ドラは3月30日からなんですね。あら、まあ。もう終わりがみえてきましたね。泣き笑いしながら観ます!戻ります。私たち夫婦は、興味や得意分野が正反対なので、その共有感がまったくありません。例えばねえ、無重力を一緒に観ていたら、飛鳥さん(木竜麻生さん)が、仕事が忙しいためにあまり参加できない、スポンサーを獲得するためのプレゼンの準備をお詫びに私がするよ!そしたら案の定、当日職場で事件が起きてドタキャン。それでひかりさん(森田望智さん)とケンカになってプロジェクトが一時中断する。これに、怒るんですよ、旦那ちゃんが。プンスカ。「うん、そうね、当日行けなくなるかもって予想できることだから資料を作った時点で、誰かに預けておけばよかったよね」そんなのは、外で働いていた人には当たり前だし、そこを、あえてのドラマ脚本なんだからそんなに嫌わなくてもいいのに。あとは「ばけばけ」のお父さんにも怒るんですよ。あんたが借金つくったんだろ!って。あれは、それを知らん顔ですっとぼけているのがおもしろいのにねえ。とにかく、一緒に楽しんで観るということにむかない。だけど、一緒に観たがるのよね。いいよ、あなたは、アニメ観てなよ、とwあ、そう。ヘブン先生のおかげで借金完済で、お父さんが仕事やめそう、の予告で、蛇さんと蛙さんが声を揃えて「司之介!」あれを思い出すだけで、しばらく笑えそう、ありがとう、ありがとう、ほんとに。なんで呼び捨てされてんの?上からなの?分かるけど。日本全国から叱られてそう。「おいおい、働けよ〜」予告だけで2年くらい笑えそう。藤木さんも阿佐ヶ谷姉妹さんも岡部さんもみなさんにありがとう。そう、そしてね。私の、この創作物を楽しむ喜びを正しく共有されてしまったら、私の人生は完結してしまうので、いいんです、これで。わからない人にわかるように伝えることに力をつくします。おまけ:同音異義語を調べようと、40年前の私の常用国語便覧をめくっていたクマが言いました。「ここに、難読漢字って載ってるんだけどさあ」例えば、昵懇(じっこん)膾炙(かいしゃ)とか。「これは読むのが難しいんじゃないんよ、字が難しいのよ、そもそも難読っていうのは、読むのがむずかしいんだから十八番(おはこ)とかでしょ」そうね、たしかに。だいたい昵懇なんて、じきになくなるわね、使える人がいなくなる。誰が使うのかなあ?もはやネタだよね。そうか、うちには、こういうことを言う子どもがいるのだ。それで十分じゃないか、私が出会ってきたなかに、こんなにウルサイ指摘をした人はいないわ。そして今うちに残っているのはクマだけだけど、ワンもネコスケも、今だって、話は通じる。私の言いたいことをしっかり受け取って、欲しい回答をくれるのだ。中学受験に関する記事を読んでいたら、中学受験に成功する親子は相性がいい、と。友達として出会っても恋人として出会ってもうまくやっていけそうな感じがすると専門家の方が語ってらして。私たちもいい友だちになれそう。いや、怠け者すぎて愛想をつかされるかもしれない。そうならないように、まだまだ頭を使うよ、血が出たけど。そして、あの子たちに出会うためには、旦那ちゃんが欠かせなかった。そういうことだ。そういうふうにまわっている。OK、納得した。さて、今日は何をしようか。もうとっくに昼過ぎたぞ。
2026年02月05日
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統一する、ということが苦手です。タイトルがバラバラなのは仕様です。ごめんなさい。とりあえず書いておかないと、と思っているのは、ブログを休んでいる間に観たドラマについて考えたことと起こったこと。書いておくと、わたし的には役に立つのですよ。備忘録よね。先日(序)に列記したドラマについて、覚えていることを書いておきます。「いつか、無重力の宙(そら)で」たしか、他の秋ドラマより早い時期に放送が始まっていたように記憶しています。そして、これと「シナントロープ」を観ながら、イマドキの大学生についても書きたいと思ったことを覚えています。(観た人は分かると思うけど。というかわかって!)無重力には、自分たちで人工衛星を打ち上げるという夢をかなえようとする元高校天文部の女性たちに協力してくれる大学生たちが登場します。中でも大きな役割を果して、森田望智さんの演じるひかりが亡くなったあとに(ネタバレごめん)リーダーを務めることになる金沢くんという大学院生の役を奥平大兼さんが演じていて、とても印象的でした。よく考えて、今自分がすべきことを理解している賢い忙しい大学生の役でした。こちらのドラマは、そうやって、勉学と並行しながらプロジェクトに協力しようという真面目な学生さんたちを描いていました。うちの大学生たちは、こちらなんですよね。「今、何をするの?」という問いかけは母親の私が、いつもしてきたことでした。シナントロープのほうは、学業は置いといても、ほかに今やるべきことを優先している子たちだった。それも大事だし、必要なことだと思う。それで少し悩んでしまったことでもあります。(これは別の日に書きます。冬季うつ?かと思ったよ。でも気のせいだったみたい)そう、それでね、無重力のなかにこんなセリフがあって、意味のないこと(ムダになりそうなこと)をやりたくない、と言う金沢くんに、片山友希さんの演じる気持ち自由人のあまねちゃんが「金沢くんさあ、意味あることばっかりの人生って、楽しい?」そりゃ楽しくないよねw 私は、ナンセンス大好き。無意味にこそ意味がある、というのはあと付けの屁理屈だけど。でも、一見ムダそうに見えても、気持ちとして、それをやりたい人の気持ちは理解しているつもり。あー、具体的には…。雨降りの日に、朝、ワンを幼稚園バス乗り場に送っていくと、帰りに、下の2人が毎回公園のブランコ下の水たまりに引っかかって、泥まみれの水遊びをする。それに毎回付き合ってました。どうせいちど汚したら全部洗濯だし、それなら好きなだけ遊びなさいよ。雨の日の午前中は、それで終わってたw しあわせなムダの思い出。ヒマ過ぎて怒られそう。たぶん、役員仕事とかもそうだったんじゃないかなあ、自覚ないけど。優先することがフツーじゃなかったと思う。ん?「好き」を共有する、の件を書けない予感(最初にタイトルつけるなよw)書きながら、この時点で文字数に震えている。なんで私、話が長いの?おばちゃんの性質?いや、子どもの頃からだった。じゃあ、本題に入れなさそうということを自覚しながら。まあでも、あとは、ほんとに覚え書き。スルーしたものは特筆するほどの感想なし。「もしがく」放送前に、記念再放送された、同じ三谷作品の「王様のレストラン」も全話観ました。まあ、時代を感じますよね。あの時代のいろんな偏見を反映していた。今なら、あれをあのまま作れない、し、作ってもおもしろくはない。ということは? う〜ん、「もしがく」も懐かしさはあれど、あんまりおもしろい!とはおもわなかったですね。いいんじゃないですか? 作りたいものを作れば。脚本は古典で定番でも、演じる俳優さんたちが新しければまた別の魅力がある。うん、その理屈で、シェイクスピアとか観たいよね!古今東西の古典作品、放送希望!私も高校生のとき、戯曲読みにハマったことを思い出した、野田秀樹さんの。言葉遊び大好き。以前このブログに、蔵書から掘り出してきた「回転人魚」とか「半神」のレビュー日記を書いたら、結構アクセスありましたね。今や、自分の本を掘り返すのもひと苦労なので難しいけどなるべく書き残したいな。アナログのほうが残りそうだけど、手書きするの、大変なんだよな。デジタルデータの寿命は10年って言ってたのは俵万智さんだっけか?違うかな?(そう思ったけど、なんだか言わなそうですね、あれ?おかしいな)まあ、そういう時代を振り返ったお話が続くのかな?1988年を振り返った「ラムネモンキー」も観ている。今年の冬のドラマは終わった頃にまた感想を書きます、のつもり。(ヘブン先生か)「キントリ」何気にシリーズ開始当初から観ていて、女性が天海さんひとりで、周りはおじさんばかり、「ウエ〜イ」といういつもの掛け声に、うちの末っ子もよろこんでいました。彼はでんでんファン。私は、「豊臣兄弟!」「探偵さん、リュック開いてますよ」も観ているから、大倉孝二さんがあちこち続けて出ていることに感慨深く。大倉さんといえば、ケラさんとこの人という印象が強いので、ケラさんとナゴムレコードというのも埼玉から都内に思いを馳せたあの頃、馳せるだけで済んでいた高校生のころ、ハタチも過ぎた頃には、好きにあちこち出かけられるようになって、一気に世界が広がった。そしてアホのようにCDを買い込んだ。どうしよう、これ。本もCDも。捨てるには惜しいな。一定のポリシーを持って揃えたものだからなあ。でも必要ない人にはゴミなんだよ。「好き」を共有する、につながるけど。まあいいや、次「ちいかみ」小野花梨さんが好き、で、同性カップルについては、前の日記に書きました。出演者について。北村有起哉さんが、このところ、悪役とダメ父さんを交互にやってますけど、いや、ダメじゃないじゃん。いい人だったよね、あんさんのことが好きすぎる。しきりに反省してたけど、あんさんがもっと率直ならうまくいってた。やっぱりオープンじゃないとね。黙って「分かってくれない」ってイジイジするのはよくないよね。伝わってないと思ったら、納得するまで伝えよう!そして、後悔する、しない、は、誰かの責任じゃなくて、自分の問題だよ!自分で何とかできる。あんさんの一人暮らし、いいなあと思ったけど、私は何にもできないから、やっぱりそこを、助けてくれる人がいないとダメだ。すべての配役がよかったですね。でも、一人娘が孫を残して事故死する夫婦に感情移入はしたくない、こわすぎる。事故なんて、どこで起きるかわからないんだから。楽観的に、私たちは護られていると考えて生活するしかないよね。あ、そうだ。バカボンパパの「死ぬときまでは何しても死なないのだ」だよw それでも、いつ何が起きてもおかしくない、という気持ちでいないとね。いいこともわるいこともフツーに起きるんだよな。まあいいや、いい子が育った消防士さんだった小瀧望さんが、引き続き「未来のムスコ」で爽やかな保育士役をやってます。まあ、この辺も語ろうと思えば語れる。うちにも、育ったウルトラいい子がいるんだよ。泣くよ。これから水たまり遊びをするであろう弟たちに手を振っておとなしく幼稚園に出かけていったあの子だよ。「コーチ」以前、プライベートバンカーを観たときに、感想として、プライベートバンカーじゃなくても(渋くなった)唐沢さんのドラマが観たい、と書いたんですが、あの年代の、あのビジュアルの唐沢寿明が観られるのは嬉しかったですね。原作のあるお話ですから、しっかりできてました。顔ぶれもよかった。メンディーも予想以上によかったね。あれ?ウェルかめの女優さん、なんだっけ? いつも忘れる。(ボケ)あ、思い出した、倉科カナさん。好き、なのに忘れるのかい。いや、濱口さんの元カノ、と覚えている(ムダ)ただし、人が殺されるドラマにはあまり興味をひかれない、かな。刑事ものって、もはやコントに近い。どうして殺された?(how , why)みたいなことを延々と描かれても、どうでもいいがなってなる。これは、私の好みの問題だな。「ロイヤルファミリー」相変わらず、私に張り付いてドラマを観ている旦那ちゃんに「今期、どれがいちばんおもしろかった?」と聞いてみたら、こちらを挙げました。う〜ん、同じ早見和真さんの原作なら「笑うマトリョーシカ」よりはおもしろかったかな。お話が、長期間に渡るので、駆け足だともったいない。あとは〜、馬が可愛かった。←絶対、内容を理解していないだろw 怪我をしても、立ち直る無敵の馬を実写ドラマにするのは大変ですね。小説なら言葉でなんとかなるけどさあ。うちの、50代男性にはウケてたようですぞ。競馬が出てくると、毎回ビギナーズラックで少額儲かった話ばかりするのでめんどくさい。その話、前にも100回くらい聞いたよと言って嫌われる。まあ、そんな感じ。今回で終わらせるつもりだったけど、まだ2025年にお世話になった「べらぼう」について書いていないし「ばけばけ」についても書きたい。そして肝心な「好き」を共有する、というテーマは次回に持ち越します。それを書いたら、休んでいた分を取り戻せる気がする。まとまってないのにタイトルにまとめって入れるなよって思うけど。あと一回で25年秋のドラマ感想は終わる予定。
2026年02月05日
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つづいてんだかなんだか分からないけど、私のなかではつづき。そして思いついたことは書いてしまわないと頭がすっきりしない。だから、書きます。「ちいかみ」にとても仲の良い女の子どうしのカップルが登場します。すこし前に末っ子のクマと「生殖を前提としない人間関係」について話しました。つまり、それは人間どうしの関係として認められて当然だと思うけどそれが当たり前になると、子孫を残せないよね?それをどうするか考えないとね、と。そんな心配を私がしなくても、大丈夫か。そう考えると、あちこちにそういう描写が増えましたね?遺品整理のお話だったはずの「終幕のロンド」では、最終的なボスキャラになる、中村ゆりさんの演じたヒロインの、親友の女性、好きだから、彼女と家族になるために自分の兄の奥さんになるようにすすめた、で、離婚する、という話になったら、そんなのダメ、となんともむくわれない心の動きが表現されていました。なんか、ぱっと見よりも複雑な話だったんだよ。遺品整理どこ行った?ってツッコミもあったけど。それより、亡くなったお母さん(風吹ジュンさん)が不倫してた画家さんの俳優さんが城戸小左衛門じゃないかw 「豊臣兄弟!」を観ていて気になって仕方なかった。あんなにおだやかそうな人だったのに。城戸、目玉が転げ出そうなくらい目をひん剥いてましたね。もう退場しちゃったけどさあ。うん、じゃあ、風吹ジュンさんつながりで(?)「大豆田とわ子と三人の元夫」のとわ子さんの亡くなったお母さんの心に秘めた「恋人」、かごめちゃんと同じようにコロッケをくわえて登場しましたね。かごめちゃんととわ子さんの関係性も示唆しているように思いました。市川実日子さんも、いいですよね。書くとキリがないけど。まとめたほうがいいですね。えーとね、通じ合う人と人との関係って、生殖を前提にしたものとは限らないんですね。だから、結婚というものが、生殖を基本として動かせないものと考えられるのは、ただの思い込みなんじゃないのかなあ?それが当たり前、の人が大多数なら、それでよかったかも知れないけど、いまやそうじゃないんだよって声を上げている人がたくさんいるのだったら、違う形を選ぶことができるのが理想じゃないかと考えます。ケンカはイヤだなあ。ケンカしないで済むように考えよう。新しい仕組みを、面倒だから今までどおりでいいじゃないか、じゃなくて考えることができるはず。じゃあ最後に、2年前の入院中の出会いについて語ります。療法士さんと話していて、音楽の話を、何を聴くんですか?と、フジーカゼが好き、は最初に共通して、それから入院前にちょうどトーフビーツさんが好きで、よく聴いていたと話したら、「ええっ!私も好きですよ、ライブも行きますよ」「ひえ〜、そんなこともあるんですねえ」「そうですよ。トーフビーツの話を誰かとしたことなんて、初めてですよ!おすすめの曲はですねえ」「うわあ、すごいねえ。STUTSさんもいいよねえ」「そうなんですよ!」興奮するふたり。病院で他の人から何度もすすめられたのはミセスグリーンアップルさんでしたからねw前にも書いた。年代関係なく、趣味というのは、どこで通じ合う人に出会うか分かりませんね(^_^)私もすごく嬉しかった。自分の子どもほどの年ごろの女の子と、自分が育てたわけでもないのに好きな音楽の話ができるなんて、想像もしなかったよ。あちらだって、脳出血で片麻痺になった50代の患者と大好きな音楽の話ができるなんて予想していないでしょう。(わたしは変人だからさ、昔から。趣味の合う人なんていなかったしw)以前、確認したら、去年の7月に「私たちの最大の敵は、偏見」という日記を書いていて、それくらい「思い込み」や「先入観」というものに注意を払っている。なぜなら、そういう偏った考え方(偏見)が、個人や周囲に被害を与えている、と思う機会が多かったから。真面目な人ほど、守るべき決まり、従うべき慣習に縛られがちだ。でもそれは、本当に、変えられないことか?変えたらダメなことか?疑問を抱くことについて、みんなの意見を聞いてまわりたいと思うこともあるよ。でもきっと、私がここで考えるようなことは、日本中の人たちが同じように考えてくれていると楽観視もしている。だから、少しずつ少しずつ、良くなっているんだよ、大丈夫。この国の片隅の何者でもない私でさえ、そう考えるのだから。ですからね、私の育てた三人の男子たちは、物事を偏見に縛られることなく大きくなった。でもさあ、常識と呼ばれることの中にも、偏見と言っていいこともあるよね?というようなことは、もう育って青年になった彼らの知恵を借りながら考えている。常識というものを無視していいかはわからない。少なくとも「フツーはこうするよね」というようなことは私のなかでは、あまり意味を持たない。自分自身を楽にするためにも思い込みや先入観が、そこに存在すると気付くことがまず大切である、と考えます。何だっけ?同性カップルか。生殖を前提とせず、お互いを理解し合って、大切にできる関係を、私はうらやましいなあと思ってしまう、単純に。世の中の制度的にも苦しいことは多いだろうけど、そういうふうに思う人もいると知らせたいよ。あんな、ドラマみたいに見た目も可愛らしい人たちばかりじゃないだろうけど古い世代が反射的に嫌悪感を抱くような状況も、どこかの世代からはフツーなんだよ、大丈夫。えええ、長いなあw 長くなってしまった。いいかげん、まとめよう。いえ、クマがね、「コメント欄とかで、不倫した有名人にものすごく怒ってる人がいるけど、ボクはなんとも思わないんだよね、おかしいかなあ」「いや、不倫は犯罪じゃないから、何を基準に怒るかと言ったら、好き嫌いじゃない?」応援していた人が、一般的に「裏切り」と思われるようなことをしたら嫌いになるんじゃないの?ただそれだけだよ。バンドマンにもいるわね。糟糠の妻「そうこうのつま、分かる?」を売れたら置き去りにして若い子と付き合うとか。そしたら嫌われるわよね。そういう気持ちになる人もいるって、ただそれだけのことだよね。そんな人もいる、そういうこともある。基本的に、私たち親子は、許容範囲が広い。だからケンカはしない、議論はする。ものすごく話しますよ。ということがあったので、書いておこうと思ったのです。記録です。あ、ついでに書くと、「べらぼう」にもそのような描写(人間関係)がありましたね、あれはでも、歌麿の成育環境の複雑さもあるから、単純な話ではない。私は当事者として書けることはないのでもうやめます。しつこく、つづく まだ書く。
2026年02月01日
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これらのドラマを観ていて考えたこと。これら、は前の日記を参照のこと。 ちょっとだけヒーローの終盤に「歴史の改ざんって、どこ視点のだれ目線?」というようなセリフがありました。ごめんなさい、メモもしていないし、録画もないので、正確ではありません。要は、未来からの干渉ではなく、今現在を生きている当事者が自分の意志で起こす行動なら改ざんにはならないじゃん、という話ですね。そうなんだよ。いつだって私たちは当事者だ。現在を、もっとよくできる。未来から来たつもりで考えればいいのよ。私たちにはその能力が備わっている。そのことを伝える意味で、大変価値のあるドラマでした。子どもたちが観て、そんなことを考えてくれたらいいけどね。どうかな?うちにはもう、大学生がいるだけ。でも、この子の子供世代を想像しながらテレビを観ている。つづいていくかな?こっちのけんとさんの主題歌もよかったね。北村匠海さんの演じた方のチームにいた九条さん?という女の人がお名前を見ていたら「べらぼう」の歌麿呂のお母さんを演じてらした女優さんでびっくりしてしまった。あの役は相当の迫力でしたね。これからも楽しみにしています。岡田将生さんの兆さんもよかったけど、豆夫を観たあとだと、慎森がベストだな、と思ってしまいますね。あの役はいいなあ「自己紹介っていりますう?」いるよね、あーいう人。連想ゲーム的に書くと、私が高校生のときに考えたこと。転生ものが流行ってた。でも私は「生まれ変わったらとは考えない。生まれ変わって、今ここにいる、と考えよう。そしたら、いつも最善をつくせばいい」と決めました。そして一度決めたことはしつこく忘れない性格です。そういう人が観た「ちいかみ」仲間由紀恵さんの演じたあんさん、共感する人も多そうなキャラクターですが子育てを「こんなの私じゃない!」とは思わなかった。その毎日を楽しくするか無為にするかは本人次第。未来から振り返った私は「この子たちのこの姿が見られるのは、今だけ」と知っていた。しなくちゃいけないことは最低限にして子どもたちと笑って楽しく遊んで過ごすことを再優先にした。それ(子どもと笑うこと)は、今でも、幸せなことだ。なんなら、話しかけてきた子どもに「今忙しいからあとでね」と言った覚えもない。子どもの話を聞く以上に大事なことなんてなかったからね。まあ、それは、旦那ちゃんがしっかり働いて、私が育児に専念できる環境を作ってくれたからであんたがヒマだからよって言われてもおかしくない。外で働く人には、安心して働ける環境を作らないといけない。私は、ヒマだからこそ、幼稚園のPTA会長や小中学校のPTA役員もやったけど、私は無償奉仕の仕事、そもそも嫌いなんですよ、給料もらって働いてたんだから。だからムダだって言う人の気持ちはよくわかる。無償のボランティアなんてしたい人がすればいいよね。好きでやってる人が、やりたくない人に自分がやってるんだからあんたもやれって言うのは、迷惑でしかない。だから、みんなにとって何が必要で、そのためにみんなが苦しい思いをせずにできることはなにか、をよく考えました。そういう環境で彼らを育てられたことには満足している。もし今、後悔しそうなことがあれば、今できるいちばんいい手をとればいいんだよ?私も去年の秋はいろいろ考え過ぎて落ちこんだけど、何度も言ったのは「今できるいちばん良い方法を実践したい」ですよ。みんなにとっていちばんいい手、だ。少なくとも、私が泣き暮らして役に立つことなんてないよ。と言って、大真面目にドラマを観ている。あと、そうだ、同性カップルについても書きたかった。長くなるので、次回にします。つづく
2026年01月31日
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前回のつづき。書ききれなかったので。前回は音楽に重点を置いた観方。今回はそれ以外。列記しておくと、私が去年の秋に観たのは、 シナントロープ 終幕のロンド ちょっとだけヒーロー シバのおきて もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう(もしがく) 緊急取調室(きんとり) 小さな頃は、神さまがいて(ちいかみ) コーチ ロイヤルファミリーあとは、朝ドラばけばけ、大河べらぼうを、ずっと観ていました。この時期とは関係ないけど、たったいま「探偵さん、リュック開いてますよ」を観ていて真田十勇士タイムスリッパーだね、と、そして、旦那に「どれが観たい?」と見せた録画リストに魔改造の夜、「はたらく細胞」(実写映画版)、特別な契約もしていない一般家庭のテレビでこの内容が観られるとは。日本のテレビくらいじゃないの?と笑ってしまった。椅子が戦ってるし(国営放送でw)物理的に本のページをめくって読みにくくなった私が、時間をつぶすには最適。テレビ、おもしろくなったね!私は昭和のテレビっ子で、ほんとに小さいときからテレビを観て育ってきた。だから、動画に子守りをさせる親の事情や気持ちもわかる。ねえ、だからといって、私だって、全然ダメに育ったわけでもないと思うけど?w(これは開き直りか?)3時のあなたとか、午後のロードショーとか、小学生になったときにはフツーに観てた、なんなら、高学年には、両親と一緒に11pmも観てたな(どんな家だよw)。一日中家事以外でも、母も外で働いてたし。だから、実体験から、昭和のテレビと今のテレビを比較した感想を書くよ。率直に、昭和は下世話だったよね。下世話で下品で、物を考えていなかった(繊細な配慮がなかったのね)。というのは、単純に、私の育った家庭の品位をさらすようなものだけれど、まあ、いいよ。ゲヒンゲヒーンとバカボンを笑って読んで育ったんだから、実際。「うちは、食べ物を粗末にするから、とドリフを見せてもらえなかったよ」と、旦那ちゃんに聞いて、なんだかうちは何も考えていなかったみたいだなあ、と結婚後、改めて思ったよね。うちじゃみんな大笑いしてノリノリで観てたし。でもうちの父は飲食業従事者だったし、田舎の実家は農家だし、食べ物を大事にするのは当たり前だから、ドリフの人たちが投げてるパイが本物で、あれを現実生活で真似していいと思ったりはしなかったよ。そりゃ子どもをなめすぎだw私は、今が「ダメになった」とは全然思っていないよ。ずっとよくなってる、少なくとも、私は今が好き。ダメなのは、昭和を引きずってる古い人たちの発想だ。時代や年代による『慣習』は、ただの慣習であって(ならわし、かな?)絶対に正しい決まりじゃない。必ず守らなくてはいけないものではない、当たり前だ。そのときそのときでいちばんいい方法を考えればいいだけだ。そして、それを考えるときに、私は、私の子どもたち世代をすごく信頼している。いわゆるZ世代、というやつだ。彼らに優しい気持ちを渡せることを私たちは誇りに思わなくちゃいけない。偏見や先入観なく、他人に物を聞けて、教えられる(というのは、気持ちを伝えることね)世界になったことを喜ばなくちゃいけない。そうなんだよ?誰も卑屈になる必要はないし、まずは自分で自分を認めてあげてね(^_^)脱線したら長くなってしまった。読みにくいので日記を分けます。何に関しても書こうと思えば書けるんだよなあ、私の頭、どうなってるのか。誰かに読んでもらう価値があるかどうかは、ともかく。だからずっと日記なんですよ。まあ、おヒマならヒマつぶしに、どうぞ。常にネットの辺境で。 つづく
2026年01月31日
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前回の日記を書く前に、ドラマ感想を書いて、さて、下書き保存しようとしたら全部消えました。なので、「あ〜、もうイヤだ。書けない!」となってお休みにしました(打たれ弱い)2026年もよろしくお願いします。(←ものすごく遅い)元気です。めっちゃ。書きたいことはたくさんある。最初に、忘れないようにドラマの感想を書いておきたいな。まずは、下書き保存しようか。2025年秋に観たドラマについて。音楽が印象的なドラマが多かった。というか、今まであまり音楽も主題歌も気にしたことがなかった。書いておきます。NHKの「いつか、無重力の宙で」主題歌は吉澤嘉代子さんの「うさぎのひかり」ドラマは録画で観たけど音楽も飛ばさずに毎回聴きました。切ない曲でドラマの内容と合っていましたね。ちなみに、出演者の木竜麻生さん、片山友希さん、今放送中のフジ「ラムネモンキー」とテレビ朝日「探偵さん、リュック開いてますよ」にそれぞれ出演中。演じ分けで、俳優さんたちのすごさがわかりますね。おふたりとも魅力的、どんどん観たい。テレビ東京「シナントロープ」主題歌 柴田聡子&Elle Teresa feat.Le makeup 「ときめき探偵」エンディングテーマのS.A.R.「MOON」どちらもよかったですね。こちらのドラマも音楽も含めて何度も観ました。いいな、今の若い人たちは、こんなお話が観れて。まあ、昔もおもしろいものはあったさw もちろん。お話自体ものすごくおもしろかったですね。俳優さんたちもよかった。特に山田杏奈さんは、真相がわかるまでは、ツライ目に耐えてきた頑張り屋さんにしか見えなかったし彼女が実は「イエスズメ」であることがわかってからは、なんだかワルそうに見える。他のすべてのメンバーもよかった。やっぱり、染谷将太さんの折田Jrは、あの子役さんから育ったみたいに見えましたね。撮影時系列的に、そんなわけないんだけど。子役さんも上手だったんだな。まるで、子役さんの演技を踏まえたみたいに見えた。(やっぱり、というのは、以前、「べらぼう」の染谷さんの演技が、唐丸の子役さんが育ったみたいと称賛したのを思い出したので)あと書いておきたいのは、ドラマのなかで重要な部分を占めるバンド「キノミとキノミ」ですね。初回から登場する謎の目出し帽男のエピソードから、あの人が弱そうで、いい人そうで、毎回笑ってました。キノミとキノミチーム、良い人たちばかりでよかった。シイさんの「ビイノアンバイ」は、どこかで聴けるのかな?ボカロ曲ですかね。あとリュウちゃん&キュウちゃんのキュウ(嘲笑)「そんな変な名前のバンド売れないだろw」リュウ(冷静に)「売れたんだよ。武道館まで行ったんだ」というお決まりのやりとりで毎回笑いました(単純)終盤に登場するクルミさんの、中の人が石﨑ひゅーいさんなのが、どうりで、歌上手いと思ったら、でしたね。上手だった。全然、私の好みの音楽ではないけど、口を開けて聴きほれたwほんとにおもしろかったなあ。キュウちゃんが折田に殺されると思ってなかったので泣きながら観ました。続編作れそうだけど、また違うものになるでしょうね?アフロさんもまた、何か当たり役があるといいですね(^_^)そう、そして、「シナントロープ」が終わってしまって、何か観るものがないかと探してTverを観ていたら「大豆田とわ子と三人の元夫」を配信していて、シナントロープロスを豆夫で癒やす、ということになりました。これが、かつて、ドラマは観ずに、主題歌だけ好きで何度も聴く(MVを観る)ということをしたもので、こちらも曲も含めて最初から最後まで大笑いしながら楽しみました。STUTSさんとたくさんのラッパーさんたちと出演俳優さんたちの共演で、素晴しい出来ですよね、Presence 大好き。ドラマの内容については、また別の日に書きます。書きたいことがある。あ、ひとつだけ。長岡亮介さんが気の弱いシェフであり共同経営者の役で、まったく音楽関係なく出てくるのが贅沢ですね。まだ観れるかな?あと、最後にNHK「火星の女王」(2025冬)ドラマ内バンドとしてディスクマイナーズというアーティストが出てきます。これが、歌ってるのが、君島大空さん。ドラマ主題歌「記憶と引力」も何度も聴きました。こめんなさい、YouTube動画の貼り方がわかれば貼るんですが、いまだ頭が働いていない。それぞれ、タイトルはしっかり書いたつもりなので、ちょっと検索すれば聴けます。音楽に興味をお持ちの方はどうぞ。探して聴いてみてね!「火星の女王」は短く編集し直して今年再放送予定とのことです。フツーにおもしろかった。安定のおもしろさ、かな。渾身のSFドラマですね。各国俳優さんのなかでよかったのが、主演のスリリンさん、ルークマディソン役の何だっけ、アフリカの俳優さん、名前が難しいんだよな、日本人の私には。上手でしたね。英語のセリフはかろうじて分かるので、なに言ってるかわかった。かっこよかったね。まだまだ期待しています。ありがとう、おもしろかった。さて今日は、風さんがインドでフェスに出演しておられるはずですが、どうですかね。あ、今回のバンドメンバーには江﨑文武さんが参加してらっしゃるみたいですね。「シナントロープ」の音楽全般もよかったです。最終回が特に印象的。エイトジャムでピアノを清塚さんに横取りされる(違う、借りたのかw)様子もおもしろかった。みなさん、インド公演も応援しています。成功をお祈りします。風さんは、先日の未公開デモ?というエルミーンさんの曲を歌っているショート、が好きすぎてずっと聴いています。あーいうのを聴きたいなあ、ぜひぜひ。まあ、PREMAをひたすら聴く、聴いちゃあ、良く寝るうん。ではでは
2026年01月24日
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もう休んでるけど。タブレットの接続の具合と私自身の具合が回復するまで休みます。諸々回復して元気なら必ず復帰します。戻ってこなければ、そういうこと。書きたいけどなあ。いつもみなさんを応援しています。
2025年11月01日
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施設の床を、円を描くようにくるくると歩き回っている虫がいて、庭が広くて土や植物も多いので、虫は外からよく入ってくるのだが、どうしたのだろう、と眺めていると、次第に動きがゆっくりになって、通り掛かった職員さんが踏みつぶしてしまうのではないかと心配した。その職員さんに「〇さんは、虫、大丈夫なヒトだっけ?」と聞いたら「ん?」と足元を見て、すぐ気付いてくれた。さっとティッシュを取って、パッと捕まえる。一瞬、そのままつぶしてしまうのではないかと緊張したが、「逃がして来るね」と外に出しに行ってくれた。「ハサミ虫みたいだったよ。元気なかったね」急に寒くなったせいか、全力でまわっていたせいか、力を使い果たしてしまったのか。「ありがとう。逃がしてくれる人、助かるw ほんとに」小さな虫を反射的に握りつぶさないお母さんに育てられた彼女のこどもたちは、きっと、心優しく、世の中を支えてくれる良い大人になることだろう。愛情をたっぷり受け取って。うん、そしてね、私は、まわるのもやめそうな元気のない虫に自分を重ねてしまった。どうしたって元気いっぱいではないさ。一気に寒くなりましたね。目の前のことをひとつひとつやっつけていこうね。大丈夫
2025年10月26日
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最近、少し前に思ったこと。輪転機を作っている大きな会社が生産終了を発表したとのこと。輪転機というのは、大量の印刷に使用する機械で、すぐに思い浮かぶのは、新聞の印刷だ。紙に大量に記事を印刷して販売する新聞業が、存続の危機なんて、子供の頃は考えもしなかったけど、新聞も、テレビ局も、かつての盤石なメディア産業は、かつての無条件の人気に甘えず、今、その存在意義をもう一度考えるときなんだろう。いや、私が考えたこともなかっただけで、考えてきた人はたくさんいるんだ。なくなった産業や、安定していると考えられてきた職業はたくさんあるけれど。どれも時代と強く結び付いていて、その時代を生きるためにいちばんいい、自分にとっていちばんいい、とかんがえられることをするしかない。新聞は、紙に印刷して配ることをやめても、メディア本来のあるべき担うべき役割はなくならないわけで、それは、その意味をよくわかっている志ある人たちが紙以外の方法でも続けてくれることを期待している。他人任せだけど、私は、応援することはできても何でもできるわけではない。なんなら、何もできない。でも、様子を見ているし、応援しているよ。新聞もテレビも。以前、友達の小さな赤ちゃんがSIDSでなくなったときに何度も考えたのだけれど、あの子は何も悪いわけでもない、世の中の仕組みは「始まったものはいつか必ず終わる」ことに決まっているだけだ。それは、人の命だけではなく、すべての物事にいえることだ。いつか、はいつだかはわからない、誰にも。だから、終わりにこだわっていつまでも立ち止まっていてはいけない。また会おう思い込みから自由になるとできることはたくさんある。それは確かだ。タブレットが小復活しました。私だって、またいつ突然姿が見えなくなるかわからないけど、私の中のイメージとしては、愛のネットをほそぼそと送り続けるよ。スパイダーマンのあれみたいなwあれって言うなよw 調べてください(最近こればっかり)
2025年10月22日
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愛が何かの力を持つなら私が大切な人たちを思う気持ちも何かの役に立つだろうと毎日生活している。タブレットの調子が悪くスマホから書いています。アインシュタインの「常識とは」の話にも共感した。調べてください。なぜか、スピリチュアルよりも科学に惹かれる。はあ。
2025年10月20日
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最近考えたこと。先のことを考えても、何がどうなるかはわからないのだから、今は目の前に見えている課題をひとつひとつ着実にこなしていかなくてはいけない、退院後2年かけて体重が10kgも増えてしまったので、人生で初めて、毎日運動を続けるという経験をしている。そしたら、効果があるのだな、驚いた。単純な計算の問題だからね。摂取カロリーと消費カロリーの。(どれだけ食べたのか)「ちりつも」を実感した、ということでもある。(たいして運動していないが、着実に続けている)そう、だから、すこしのことでも続けることでたしかに力になるのだ。頑張ろうね。 風さんのPremaから新しいMVが発表されました。また、新しい世界に挑戦しましたね。私などはもはや、ポカンと口を開けて「ほお~」と観るばかりだけど、どれかの英語の記事に「グラムロック」との言葉があって、そうかなるほど、デビッドボウイか。そんなイメージ?そして、80年代の群舞ですね。そして考えたのは、風さんも「人生は喜ばせごっこ」を体現している。みんなが喜んでくれるなら、自分にできることなら、やってみせるさ、という心意気をひしひしと感じる。作った人たちも観る人たちもたくさん喜んでくれているといいよね。うん、そしていつか、風さんの好きなサムギャレットさんみたいになるのかなあ、今できることを、頑張っちゃってくださいね。体には気をつけて。英語のアルバムをまるごと聴けたのは嬉しいけど、もっといえば、私はぜひ、風さんの好きなJoeやMaxwellみたいなメロディの美しいR&Bの揃った英語のアルバムも聴けたらさらに嬉しいなあ。好きでしょう?最近でいえばシルクソニックみたいな。欲張りだな。正直、今手元にある作品だけでも一生ものだよね。そして気が向いたら日本語の曲を作ったっていいじゃないか。何でも聴きたいよ。passionは戻ってきたのかな。じゃなきゃ完成しないか。音楽っていいな。北米ツアーが終わりましたね。お疲れ様です。
2025年10月11日
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少し前に「秋の気配」という日記を書いて、今年の、涼しくなった目印にしようと思ったんだけど昔からの「暑さ寒さも彼岸まで」のとおりに少し肌寒いくらいになりました(それを覚えろよ)涼しくなって元気を出してリハビリ(運動)を頑張る気持ちになって張りきっていたら台風がきたせいか、暑い、暑いよ、暑いよ~。ま、真夏に比べりゃ涼しいけど。←ここ、重要。NHKの日本各地の名産や名物を紹介する番組で、岐阜の川のナマズが生息数を減らしていて現地の方がおっしゃるには「温暖化のせいではないか」と。「わかる。暑すぎるんだよな。生きる意欲を失うよな」自然のナマズに感情移入しながら。そんなこと(生きる意欲=気持ち)で、種は絶滅しない?、少なくとも人間には、いろんな人がいるし、いろんな体質も。少し前にぶっ倒れた私は、暑さにも寒さにも弱い。もう子孫は残さない。三人生んだ。「べらぼう」は引き続き、寛政の改革の真っ只中で、NHKスペシャルの、中国から南米を経てアメリカに移民として受け入れてもらおうとコッソリ入り込む人たちの切実な状況にも重ね合わせてせっかく同じ国に生まれたのだから、同じ気持ちで穏やかに平和に生きられたらいいのにねと思いながら、もしかしたら当然のように悪だと思っていることが、実はそうではない、という可能性はないものかと、いろいろ考えた。だいたいが私は、うまく乗っていく、ということができないのだ。それは、なんとか乗り越えてここに至るのだけれど、子とともに、追体験することになるのがツライ。しかも暑すぎてもっとツライ。NHKのドラマが、どれもおもしろいのが助かる。ありがとう。「ばけばけ」いいね。高石あかりさんは、見えない物が見えていそうな目をしますね。小泉八雲の奥様役に適任。楽しみです。おりしもツライツライと書いている私もウラメシイモードに入っているのかもしれない。ウラメシイけど素晴らしい、でいいじゃないか。弱音は吐きまくりながら進もう。大丈夫よ。
2025年10月06日
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終わったドラマの感想を書きます(いつも計画性がない)初回を観てやめようかと思った「スティンガース」フジ火曜最終回まで観てしまいました。元々コンゲームものが好きです。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「スティング」はなんなら人生一好きな映画かもしれない。そして「スティング」が好きすぎて生半可なものは観られない。ので、やめようかと観ていたら、最初の方のカップルYouTuberが登場するお話での森川葵さんの怪演にはまってしまいました。かわいかったね~というか、微妙に不気味でクセになる。そして、他の出演者のみなさんをそれぞれクローズアップしたいわば紹介回を経て、思い入れを増しながら、最後のエピソードでは、「べらぼう」の丈右衛門だった男だった矢野聖人さんも登場して、それぞれの俳優さんの演技を安心して楽しみながら、ストーリーは、まあ、そうだよね、と思うのは、単に私がフィクション読みすぎ。展開が予想できてもおもしろかった。続編がありそうな終わり方でしたね。続編が作られたら観ますよ。そして、朝ドラ「あんぱん」も好評のうちに終わりました。モデルがやなせたかし先生の奥さんとのことで、アンパンマンもやなせ先生も大好きな私にはおもしろくないはずがない。うん、考えたのは史実をフィクションに取り込むことのメリットとデメリットについて。書けるほどは考えていない。正直、ドラマに都合よく史実をつなぎ合わせたように感じられることに気持ち悪さはあり。俳優さんたちはみなさん素晴らしかったと思います。スピンオフ四話も観ました。ミセスグリーンアップルさんが登場されたおかげか、視聴者層が若かったという記事を読みました。(違うか、アンパンマン人気か)出演者の顔ぶれで喜んでくれた人が多かったならとてもいいことだと思います。よかったですね。私は、北村匠海さんと今田美桜さんの対談を観て、北村さんが今回「人生は喜ばせごっこ」というやなせ先生のことばをお腹の底から理解されたようなのをうれしく思っています。「逆転しない正義」よりも日常生活に役立つ概念ですよね。まあ、「逆転しない正義」についてはいわゆるネットの人たち(や苦情電話をかけたい人たち)に考えてみてほしいかな。その「正義」は、みんなにとっての正義か?もちろん自戒もこめて。おもしろくないはずがない「あんぱん」を越えて「ばけばけ」想像以上におもしろいなあ。録画して何度も楽しんでいます。明治維新こわい。先が見えない怖さに怯える今、かつてあった体制の崩壊と新しい時代の始まりを描いたドラマはためになるなあ。没落士族、悪くないやん。マジメに生きてただけなのに「時代が変わった」からと強制転換させられるのツライよね。先生になって、家族をささえたかったおサワちゃんが育って、私の好きな不機嫌そうな顔した円井わんさんになったの嬉しいな。そして岡部たかしさんと子役さんの共演は、ほんとにいいですね。嘘がないな。お父さんが10日帰ってこない展開には、久々に、次の回を心待ちにしました。無事でよかったね。ウサギたちの運命には、小日向文世さんのウサ右衛門操作の巧さも合わせて、(あんなに、孫娘が可愛いばっかりのおじいさんが上手だとは)まあ、ウサギならかわいそうでニワトリとか牛や豚ならかわいそうじゃないのかよ、という自分へのツッコミもありつつ、あの状況なら、わたしも子に食べさせるために同じことをするだろうと普遍的な母親の思考か、本能?について考えてしまいました。毎日楽しみなドラマが観られるっていいなとつくづく。楽しみにしています。史実とフィクションについては、観ながら考えます。そして私自身の話を書くと子が大学を終えるころになると心配は尽きない。でも、私は彼らを「親に心配をかけない」人間になるように必死で育てたのではなく「自分のしあわせを考えて無事に生きている」ように育てたので、これでいいのだ。心配は、かけるこどもたちが「悪い」のではなく勝手に心配するほうの取り越し苦労なのだ。みんなそう言うな、きっと。信頼して待つってツライよね。つらくないんだよほんとは。そもそも、信頼できる大人に育ったことをほめよう。えらいぞ私、えらいぞみんな。気になると口を出したくなるので、最近私が編み出した方法が「紙に書く」。意見や指示じゃなく、お母さんの今の素直な気持ち、考えを言語化して残す。読むも読まないも彼らの自由だ。人生の引き継ぎ案件は読んでもらう。そうすると、心配は落ち着く。彼らは賢いので、目を通せばお母さんが何を心配してるかわかる。彼らにも「世の中」を何とかすることはできない(そりゃ誰にもできないさ)わかっていてほしいのは、追い詰められた気持ちになるなってことだ。やけになる刹那主義はよくない。追い詰められてやぶれかぶれになるくらいなら頼れる誰かに頼ろう。私は子にとってそういう存在になりたい。私は頼りにはならないので旦那ちゃんといつもよく話して、そんな事態に備えている。言語化は私の安心を得るための大きな手段だ。で、書く。そして堪える。オススメ。来週の風さんのNHKの番組も楽しみですね。さっき、藤井風は大人を癒す役割を一手に引き受けたヤングケアラーでは、と書かれた記事を読みました。なるほどねえ、そう考えると私がかつて「風くんひとりに背負わせてはいけない」と書いたことを思い出します。いつまでもケアされる側でいちゃいけないのよ。潰れちゃうよ。しかし I need U backとIt's Alright のMVが観たいなあ、とコッソリ堂々と書いておく。
2025年10月04日
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