ストップ !! 「第二迷信」

ストップ !! 「第二迷信」

2007年01月07日
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 中学校の教科書では、織田信長が本能寺で明智光秀の謀反にあって「自害」した、と記載されている。(全社見てないが)
 客観的にみれば、寺に投宿する信長「手勢」と、岡山へ進軍すべき光秀「軍勢」の戦いでは勝負にならず、あっという間に血祭りにあげられるはずで、「自害」する暇があったのかどうか疑わしいし、たとえ、自刃したとしてもこれを「自害」というのかどうか。
 このころ備中高松城で秀吉軍の水攻めにあっていた清水城主は、自らの切腹とひきかえに城の水攻めを解いて兵士を助けてもらったのだから、「自害」(定義はいろいろだろうが)といえる。

 当時の武将にしたら、敵に討たれて首を取られることは不名誉なことで、「自害」のほうが美しいことにはちがいない。じゃあ、万単位の軍勢に囲まれた時点で切腹したのかというと、矢が尽きるまで応戦した、といわれている。ガソリンもない時代に、それから放火しても明智軍が突入するほうが火がまわるより早いはず。

 記録というのは、あくまでも、最後に勝利した秀吉の元に残ったものであって、客観的史実かどうかは疑わしい。織田側の記録で都合のいいものを残すのは当然。
 (「寺の奥に入って腹を切った」って、誰も現場を目撃しようがない)

 客観的には「本能寺で明智光秀に討たれた」で、いいんじゃないの? 教科書会社さん。


※なお、「本能寺の変」そのものには、いくつも「陰謀」説がありますが(私も陰謀だと思います。明智軍が首を取ってないのは事実だろうし)、とりあえず、光秀が謀反を起こして本能寺を襲ったのを前提に。







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最終更新日  2007年01月23日 20時30分25秒
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