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私の好きな漫画家であり作品の映画化である。映画アニメの世界には、諸星大二郎のファンを自認する人はけっこう多い。宮崎駿が以前、影響を受けた作家として諸星大二郎の名前を挙げていたのを何かで読んだことがある。確かに、ナウシカでのドロドロに溶けてゆく巨神兵の姿には諸星の影響を感じることは出来る(あのシーンを手がけたのは庵野秀明らしいが)。ちなみにこの「妖怪ハンター」の第二話は17年前、塚本晋也監督の手で「ヒルコ」というタイトルで映画化されている。塚本晋也も諸星大二郎のファンとして有名である。「鉄男」で描写された人間と機械が融合する姿は諸星の「生物都市(手塚賞作品)」の世界と通底しているものだ。でさて、この映画について語る。「リング/らせん」と通じるようなダークな雰囲気で統一されており、ホラー映画として見ればまあまあの出来ではないか。冒頭の歯磨き粉のキャップが流しに落ちてゆくシーンはなかなかの出来である。「恢暗い・・・」の二番煎じという感じもするが。また、古い記録フィルムの中で村人が唱える「世界開始の科の御伝え」のシーンもなかなか怖くてよかった。もっともそればかりを期待して見ていたのでは最後は首を捻るだけだろうが。舞台となっている1972年当時の光景が見事に再現されているのにも感心した。小道具として登場する歯磨き粉のラベル、腕時計、主人公が肩から下げていたバッグといった小さなものから応接室の調度品・自動車に至るまで、「どっから持ってきたんだ」と言いたくなるくらいの見事な再現力であった。1972年にノスタルジーを感じている世代にはおすすめである。阿部寛の「稗田礼二郎」は良かったと思う。原作通りならば、トヨエツ(昔なら田村正和)あたりにやらせたくなるような長髪、黒ずくめの姿であるが、それと対極のような、短髪で黒縁眼鏡、白いワイシャツにネクタイスーツ姿の稗田礼二郎は型になっていた。もっとも、最近阿部寛は同じような役どころが続いており、この「碑田礼二郎」の役づくりには苦労したと思う。しかし、この映画が成功か失敗かといえばやはり失敗作品の烙印を押されるのではないか。残念だが。映画が商業作品としてクリアしなければならないハードルに幾つもけつまずいているからだ。ひとつはキャスティングである。主人公の女子大生、佐伯里美を演じた藤澤恵麻の未熟さである。セリフが平板で回りと全然かみ合っていないのだ。碑田と初めて対面した教会、何十年かぶりに静江と対面して会話を交わすシーン、新吉に向かってこちらの世界へ戻ること勧めるシーン、展開上すべて重要なところなのだが、藤澤の口からでてくる「里美」の言葉からは何も伝わってこない。この人、2・3年前のNHK朝ドラのヒロインとして仙台に所縁のある女優さんなので応援したい気持ちはあるのだがなあ。最近やはり映画化された「ラブ☆コン」で主演しているようだが、少しは進歩したのであろうか。心配である。気分はまるで親戚の叔父さんである。彼女の長々としたナレーションでこの映画は締めくくられるのだが、むしろこの部分をカットしててくれれば映画の印象はだいぶかわったのではないか。でなければ阿部寛か、(生きのびたであろう)神父役の清水紘治氏であれば。次が脚本の失敗である。この映画では原作にないもうひとつ別のオリジナルストーリーをくっつけた。わからぬでもない。原作の漫画は映画1本にするにはとても短いのだ。それは「神隠し」のストーリーで、神隠しというファクター自体は諸星作品のいくつかにあり違和感は全然ない。しかしそのふたつのストーリーが上手く噛みあわないまま進行し、そして解決しないまま(観客にはなにも提示されないまま)映画は終わってしまうのだ。一応、老婆から真相の示唆らしきものはあるのだが、では何故最後神隠しにあった子供達のうち新吉以外のはみなが「ぱらいそ」行きを逃れてこの世に舞い戻ることが出来たのかとか、静江は誰に対して祈りを捧げたのか?など、むしろ謎は深まるだけで、このあたりから頭の中が「?」だらけになり、観続けることに息苦しさを感じ始めてしまった。これがなければ、この映画の評価はもう少しは上がったのではないだろうか。むしろ神隠しそのものを、はなれの人たちの「見えない力」に集約させてはっきりと描いたほうがよかったのではないかと。作り手の、諸星大二郎の作品に対する思い入れはよくわかる。わかるがその愛情表現を間違っているような気がした。尊敬する清水紘治氏の演技力と滑舌の見事さもあって主筋のほうは解りよく、手際よくまとめられており、しかも原作ではまったくなかった「さんじゅわんさま」に対する新しい解釈もあったりで「原作オタ」の自分としても得たものはあった。あっただけにとても残念である。自分がこの映画の原作の漫画を最初に読んだのがもう三十年前のことである。そのあと何年かしてやはり諸星の「生物都市」が目的で創美社版のコミックスを買って、それがきっけで諸星大二郎の漫画にのめりこんでしまい、一時期は刊行されていた諸星のコミックスはすべて持っていたくらいだった。自分は人気小説が映画化されたときに沸いてくる「原作主義者」みたいなものだが、そういう立場でこの映画を批判しているのではない。「妖怪ハンター ヒルコ」もそうだった。原作は割とシンプルでわかりやすい漫画で最後にはちゃんとした納得の出来るエンディングが用意されていたのだが、映画の方は、尺を埋めなければならないというプレッシャーからか、余計な物をくっつけてくっつけてよくわからないものになってしまったのだ。「それなら何故最初から二話くらいのオムニバス映画にしなかったんだろう?」当時自分は周りにいる映画関係者に愚痴ったものだった。まさか十数年という年月を経て同じような愚痴をこぼす目に会うとは思わなかった。残念である。今から10年ほど前のことだ。清水紘治氏と下北沢にあった氏の経営するバーで話しをしたことが何度かあったのたが、その時に塚本晋也の「ヒルコ」について話をしたことがあった。そして、その清水氏が同じ「妖怪ハンター」の第一作である「生命の木」に出演しているのだ。極めて個人的な感想ではあるがこっちのほうがよっぽど「奇談」である。【スタッフ】監督・脚本:小松隆史/原作:諸星大二郎「妖怪ハンターシリーズより『生命の木』」【キャスト】藤澤恵麻/阿部寛/ちすん/草村礼子/柳ユーレイ/白木みのる/清水紘治上映時間 88分 2005年
2006年09月06日
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人づてに、昨日日曜日の朝の日テレの番組「ザ・サンデー」内で徳光和夫(敬称略)が清原の問題発言を擁護するようなことを言っていたとは聞いていた。ネット上に流れていた、その発言部分を今さっき見たのだが、徳光和夫の発言の主旨を要約すると「清原の発言の真意は打者の気持ちを代弁したものである。ピッチャーが内角を攻めるのであればちゃんとしたコントロールがなければならない。」となる。なんだかこういう無責任なことをテレビでのうのうと言われると、巨人ファンとして肩身の狭い思いをする。言うまでもないことだが二重にも三重にも間違っている「清原擁護論」だ、これは。昨年、清原は外人投手に内角攻めにあったときに一度はそのピッチャーに向かっていきかけたがそのピッチャーが逆に清原を挑発するようなポーズをとった途端にスゴスゴと引き返してしまった。だから私には、清原の報復発言がまるで狼の衣を借りた狐くらいにか見えないのだがな。そんな清原の発言に共感する打者なんてほとんどいない。まして清原の発言内で問題にされているのは「ぶつけられたらマウンドに行ってそいつを倒す。」というところであること忘れてはいまいか。というか徳光和夫は恣意的に清原の発言を捻じ曲げてしまっている。清原は、「守るべきものを守るためには世間の避難を覚悟の上で」と言っている。その守るべきものというのは自分の子供のことだ。決してチームメイトでもなければ打者達のことではない。もしそんな清原に一番良いアドバイスをするとすれば、今すぐにプロ野球の選手なんて危険な仕事は辞めてサラリーマンに転身してマイホームパパに徹すれば?、ということになるぞ。毎年パ・リーグだけで200近い死球が記録されている。なんか滅茶苦茶多いような気もするが年間136試合×6チーム÷2だから408試合で200個である。つまり死球は二試合に一個あるくらいの少なさである。毎試合、両チームのピッチャーは平均すると約150球の球を投げるので、だいたいの計算だが、死球というのは600球に1球あるかないかなのだ。こう見れば驚異的な少なさであることはわかると思う。それだけプロのピッチャーのコントロールの技術のレベルは高いものなのだ。それでも死球という事故は起きてしまう。これ以上の技術の向上をピッチャーに求めるのは酷というものだ。これではいずれピッチャーの生り手が無くなってしまうであろう、日本のプロ野球からは。もしピッチャーにこれ以上の技術のレベル向上を求めるとすれば、日本のプロ野球がやらなければならないことはストライクゾーンをアメリカ並に広く(特に外側に)することだ。徳光和夫の発言で自分が感じたのは、こんなことを言っている人間が「熱烈な巨人ファンです」とテレビで大きな顔をしているので我々(というか自分ひとりだなぁ)まで肩身が狭い思いをしなければならないという不条理である。なんか今ごろになって巨人が「清原一派」を放出しただけではなにも変わらないことに改めて気付かされた。巨人がまず再生するために必要なのは徳光和夫に代表される「奇形巨人ファン」を一掃するところから始めなければなるまい。
2006年04月24日
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モーニング娘。卒業メンバー10名が、新グループ「ドリーム モーニング娘。」を結成。春のツアー開催決定を記念して、本日1月28日に東京・中野サンプラザでファンや報道陣を招いてのお披露目イベントを行った。「ドリーム モーニング娘。」は、中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、石川梨華、吉澤ひとみ、小川麻琴、藤本美貴、久住小春からなるグループ。新加入と卒業を繰り返して進化を続けるモーニング娘。の歴代メンバー10人が揃った、文字どおりドリームチームの誕生だ。本日からちょうど13年前、1998年の1月28日にモーニング娘。はシングル「モーニングコーヒー」でデビューを飾った。グループにとって重要な意味を持つこの日を、彼女たちはあえてお披露目の日に設定。ファンクラブ会員500名の前に現れた10人は大歓声に迎えられながら、1999年発表のミリオンヒットナンバー「LOVEマシーン」を熱唱した。ライブ後のトークコーナーには、プロデューサーつんく♂も映像ゲストで登場。グループ誕生のいきさつについて「なによりファンが待っていたから」と話し、「今後のメンバー増員や脱退は?」との問いには「メンバーになるにはまずモーニング娘。に入って、卒業しなきゃいけない。名球会みたいなもんやから(笑)。でもあまりにもワガママなやつは、卒業もあるかも」とメンバーにハッパをかけた。彼は「ドリーム モーニング娘。が、再出発というより……始動します」とあくまで“ドリムス”が新しいグループであることを名言。「もしかしたら時代とマッチして旋風を巻き起こすかも」と彼女たちに大きな期待を寄せているようだ。ちなみに、初代モーニング娘。リーダーの中澤は37歳、そして最年少の久住小春は18歳と、その年齢差は19歳。平均年齢およそ27歳の“新人グループ”となるが、安倍なつみは囲み取材の席で「再結成ではなく新しいグループなので、新人賞を狙っていきたい」と力強く宣言した。盛り上がるアイドルブームの渦中で、彼女たちがどのような活躍を見せてくれるのか注目しておこう。ドリーム モーニング娘。は、まず4月20日に1stアルバム「ドリムス。(1)」を発表。このアルバムにはモーニング娘。の楽曲のリテイクバージョン、そして待望の新曲も2曲収録される予定となっている。そして4月23日より、全国ツアー「ドリーム モーニング娘。 コンサートツアー2011 春の舞 ~卒業生 DE 再結成~」がスタート。さらに秋の全国ツアー「秋の舞」も決定しており、春と秋あわせて全20カ所・計40公演が行われる。http://natalie.mu/music/news/44214こういうニュースはむしろなかったことにしたいくらい。「どう思いますコレなんか?」と水を向けられて、自分は深く考え込んでしまった。例としてこんなこと持ち出すとかえってややこしくなるかもしれないが、二十数年前、ロックバンド「イエス」在籍メンバー一同でバンドを組んでツアーを行うというニュースを耳にしたときとなんか同じような重いものを感じたのだ。アレだ。「無駄じゃね?」みたいな。こうして並んだ面子を見ると、いやイエスじゃなくてモーニング娘。OG の皆さん方のことだが、ひとりひとりについては特にどうこう思わないが、うちふたりとか三人が並んでいるのを見ると「ここらへんの調整はつかなかったものだろうか」とかつい考えてしまう。たとえば、飯田圭織と藤本美貴、このふたりははっきりいっていらない。理由は既婚者だから。[追記]同様、保田圭と小川麻琴のふたりも、どちらかひとりでよかった。少し事情は異なるが、久住小春の参加も「ついこのあいだ卒業したばかりじゃねぇか」という反発を招きそうだな。単なる同窓会的なものならばどんなメンバーで来ようがこちらも鷹揚な気分で見れたかもしれないが、固定メンバーで新曲のリリースもするグループ活動を考えているというのならばそのくらいの厳しい人選はしてほしかった。たとえばここからこの10人でオーディョン合宿を行って半分まで人数を絞り込むとか、インディーズレーベルからCDを出してそれを手売りで捌いて5万枚達成したらメジャーデビューさせるとかそういうセルフパロディ的な踏襲があったら、もしかして自分もノレたかもしれないのだが。[追記]そのままだとまるで既婚者差別に聞こえるかもしれない。しかし、そういうことではない。参加予定者の中に辻希美の名前があって「育児中のために参加見送り」となっていたからだ。これからそうなる可能性のある既婚者ははじめから除外したほうがいいだろうということ。もし本気で固定メンバーで活動を考えているグループならば。というか「飯田にしても藤本にしてもなぜソロ活動じゃあかんのやろね?」という疑問が噴出するだけだろう。
2011年01月30日
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