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2026年01月04日
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三月の劇場公開のときにもかなり熱心に勧められたが劇場で見るのは避けた。避けた理由は劇場版第一作のときと同じ。結局、この「映画」、土曜であるとか休日前日の深夜に見るから面白いのであって平日の午後や休日の昼間に見るようなものじゃないと思うんだよね。最近の日本映画、第二作目の方が第一作よりも出来が良いということはよくあるようで、自分もここ最近の映画を振り返って「あああれも二作目の方が出来はよかったな」と名前を挙げたくなるものが何本も出てきた。しかも何故かテレビシリーズの映画化だとか警察物という共通項があったりする。相棒劇場版とかSPだとかアンフェアとか。このあたりはどう考えればいいのだろう。単純に製作される日本映画の本数の激減したことと結びつけて語っていいものなのだろうか。もっとも、映画としての出来と興行収入は別物だ。この『LIAR GAME -再生-』はどっちなんだろう。DVDで見る分には自分の感想を言えばどっちもどっち。特にどっちが上であるとか断定できるレベルではない。ただ、続編としてみてしまうとどうしてもアラばかり目立つのは事実である。このような映画にリアリティを求めることが土台無理なことなのは承知の上である。がしかし、正編(テレビ)で服役を終えて刑務所を出所した秋山深一(松田翔太)がこの映画では大学教授として出てくる。いやいくらなんでもそりゃないだろう。日本のアカデミズムを舐めてはいけない。このあたりの設定ぐらいはもう少しなんとかしてほしかった。仮にだ、これは前作までの「正編」とは別設定のアナザーワールドなのだと開き直るのであれば、だったら福永(鈴木浩介)が招待状を持って秋山の前に現れて「お久しぶり~背伸びた?」と言ってみたり、浜田マリと秋山が「前回のゲーム経験者で顔見知り」というのを入れるなよ、って感じだよね。ここはこの「再生リボーン」というタイトルの一部にツッコミをいれたくなるところ。「再生してねーぞ おい」みたいな。まあそういう細かなアラはあるが、少なくとも一本の映画(のDVD)としてはよく出来たほうである。自分が前作より評価するのは、メインのストーリーである『椅子取りゲーム』のルールが前回の『エデン』よりシンプルだったこと。これで(第一作より)だいぶ楽だったという感想を持った人は多いのではないか。自分もDVDを観てて、ほぼデュアルタイムで、ゲーム参加者が何に対して怒鳴り散らし、絶叫しているのか。どうしてがっくりと膝を突いて号泣しているのかがちゃんと理解できた。そういう意味ではお年寄りにも優しい内容になったのではないか。自虐ネタだけども。ただねぇ、映画そのものに対しては高い評価を与えることは出来ても、自分はこの映画のサウンドトラック、つまり、中田ヤスタカの仕事には高い点数はつけられない。あいかわらずだが。正編もそうなんだろうけれど、映画を見ている人間をイラっとさせるのが目的だとしても今回のはあからさまに手抜きしすぎ。映画で「バトルシーン」で繰り返し使われている「テーマ」だけど、あからさまなくらい「ブレードランナーのメインテーマ」そのもの。どこかでクレジットでブレードランナーの名前を出しての「オマージュです」という逃げくらい打っているのかと思いきやどこにもなし。これじゃヴァンゲリスに訴えられるレベルだって。中田ヤスタカは、そういえばテレビ朝日の夕方のニュース番組のBGMも手がけている。しかしその曲が中田ヤスタカのパクリにしか聞こえないってのは相当に皮肉なものだと思う。最悪、中田ヤスタカ自身の「capsule」としての活動はどんだけ手抜きしてもいいけれど、せめて外注の仕事くらいはもっと真面目に取り組んでほしいものだよ。[追記]覚えている人はいるだろうが、このドラマの番宣のためのポスターで松田翔太は原作の秋山深一をなぞったような金髪に染めていたのを、刑務所から出所したばかりの男が金髪ではおかしいだろうということでわざわざ髪の毛を染め直している。(結果長髪でみょうちくりんな色になってしまったのはご愛嬌である)そこまでこだわるならば、前科一犯(容疑ではなくて確定して刑期を終えたということ)の院生がいかに優秀でも准教授どころか助手にさえなるのが不可能な今の日本の大学教授会のシステムの現実というものをもっとちゃんと踏まえたものにしてほしいということ。篠宮優(多部未華子)と秋山のつながりを大学の学生と教授の関係にする必要あったか?だったら篠宮の取っていた心理学の教授は第二部に出てきた秋山のかつてのライバル葛城リョウ(菊池凜子)にして、そこから秋山に会いに行くという設定のほうがよかったじゃない。少なくとも観客のひとりとしてはそう感じたね。篠宮が本箱とかひっくり返して出てきたのが秋山の本だったという導入のエピソードは残して置いてもストーリー的には充分つながったはずなのに。たとえば葛城が授業で副読本として使っていたのが秋山の書いた本だったとか、いくらでもやりようがあるでしょうに。そういうツメの甘さがとてももどかしい。(関連記事)ライアーゲーム・ファイナル(2010.11.10)LIARGAME 総集編+最終回三時間SP
2012年10月02日
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確か数年前にもこのアルバムについて書いた記憶がある。まあいいや。つい最近情報交換をしているフランス系の人からモーニング娘。の新メンバーのことを聞かれた。彼女が気にしているのは「(新メンバーの)小田さくらは日本のファンに歓迎されているのか?」というようなことだった。うーん、海の向こうの人にもそんな心配をさせてしまうくらいのものなのか。自分は、おりにつけて同じようなことばかり書いているが、結局、誰が入ってよかったとかダメだったとかそういうことは全然考えない。外側から(つまり一ファンとして)いろいろといいたくなることはあるのだろうが、そういう思惑というものは結局のところ時間という波に吸収されて無力化されるものだからだ。それ以上に、光井愛佳が抜けて弱くなってしまった「歌」の部分が(小田の加入で)解消されるのであればそれは大きなメリットだろう。そのくらいかな。そのフランス系の人から、だいぶ前にミッシェル・ポルナレフの「未CD化音源リスト」というものを頂戴したことがあった。「間違いがあったら指摘してほしい」という依頼だったが、当時(5.6年前かな)そのリストを見た限りでは自分には間違いがあるかどうかなんて全然わからなかった。過去のメールを刳っているうちにそのリストが出て来たので、ついでという感じで「このリストは更新(リニューアル)されているか?と尋ねたところ、「全然、変わっていないはずだ」という答えが返ってきた。リストは2006年にリリースされた最新曲「Ophelie Flagrant Des Lits」のあと、フランス原版の5枚組CDボックス「Les 100 Plus Belles Chansons」が発売されたところまでである。そののち何枚かのベスト盤や再発盤、寄せ集めCDは出ているが、初CD化のものは出ていない。結局こうなる・ライブ盤(テレビプログラム)・12インチシングルの別テイク曲・サントラに関してはまったくの手付かずのよう。それらを別にしても、何故かどのCDにも入ってないという曲が一曲だけ残っている。1968年にリリースされた4曲入りミニアルバムの最後(つまりB面二曲目)の「おかしなジョー」という曲だ。この曲、何故かフランス原盤アルバムには未収録のまま、ポルナレフが当時契約していた「AZ record」との関係悪化したために宙に浮いたようなカタチになってしまい、いまだにCD音源化されていない(らしい)。もっとも今ではこの曲、聞こうと思えば動画サイトなんかにアナログレコードを再生した音源で聴くことはできる。日本では1974年にそれまで日本で未発売・未発表曲だった曲を集めたコンピュレーション・アルバム「ポルナコレクション Polnacollection」に入っていた。しかし「ポルナコレクション」というアルバムリリースの経緯(日本で勝手に、というと語弊があるが本人の意思すら確認されずに日仏両レコード会社同士の契約関係だけで出されたといわれている)からCDされることなく現在に至っている。自分も昔このレコードを持っていた。現在「レコード」は所持していない。なくなってしまったのだ。いやまあなんていうのか「盗まれた」のである。犯人が誰かもわかっている。身内である(笑)。 盗んだ理由もはっきりしている。女に貢いだのだ。なにしろ当時でもすでに廃盤になってものすごく貴重なレコードでしたからね。中古屋で平気で「10000円」とかの値段がつけられて売られていた時代だ。まあここまでは当時も書いたことだし書けたこと。改めて記事にすることでもない。こっからである。最近知った(忘れていただけかも)ことなのだがこの「おかしなジョー」という曲の原題は「L'AFFREUX JO JO」なのだ。原題を直訳すると「醜いジョジョ」とか「奇妙なジョジョ」という感じか。つまり「ポルナレフが歌うジョジョの曲」ということになる。むしろ音楽ファンよりも、漫画方面とか別方面からこの曲のCD化の需要が出てくるような気がしますが。いかがでしょう。1.悲しきマリー/J'AI DU CHAGRI MARIE1968年発売のミニアルバム収録曲。日本では1973年にシングルとしてリリースされた。2.リンガディン/RING A DING同ミニアルバムに収録。3.哀れなギタリストの告白/LEPUAUV' GUITARISTE1967年発売ミニアルバム収録曲4.僕のベロニク/CHERE VERONIQUEデビュー曲「ノンノン人形」シングル収録曲(45RPMシングルではなく33RPMミニアルバムという説あり)5.侮辱/NE ME MARCHEZ PAS SUR LES PIEDS ポルナレフ、フランスでの最大のヒット曲「愛の願い」のミニアルバム収録6.おかしなジョー/L'AFFREUX JO JO初期ポルナレフ曲に多かった狂想的な歌詞とバンドネオン(アコーディオン)を使った変拍子のオケに乗せて歌う眼鏡大王の声が実にキモイ。もちろんそれが狙いなんだろう。なにしろタイトルが「おかしなジョー」だもの。「ジルベール・ベコーあたりに歌わせたい」と言ったのは故今野雄二氏だったか。7.ミカエルへの哀歌/COMPLAINTE A MICHAEL「ギタリストの告白」同様1967年発売ミニアルバムの収録曲 [B面]8.ファットマダム/FAT MADAME むしろ世界的に知られているポルナレフの曲は「バラ色の心」だろう。[註]その「バラ色の心」がA面一曲目のミニアルバムに収録された曲。9.海/La Mer インストルメンタル曲。これまた難しい選曲。なんでこんな曲入れたんだろうという感じ。そもそもはジャン=ルー・ダバディの風刺劇「ラブレ」のための書き下ろし劇伴曲として発表されたもの。そのうち3曲が再録音されて「渚の想い出」のB面として収録された。ちなみの残りの一曲が「シェリーに口づけ」。こんなオマケみたいな曲が結果日本でのポルナレフ最大のヒット曲になったのは皮肉としかいいようがないだろう。10.ショービジネス候補生/ENCORE UN MOIS,ENCORE UN AN名曲「ラーズ家の舞踏会」ミニアルバム同梱曲。タイトルを直訳すると「あと一ヶ月、あともう一年」11.ビートニク/BEATNICK 「ノンノン人形」のミニアルバム収録。この曲もまた「ギターを弾いているのはジェフ・ベックかジミー・ペイジじゃないのか?」という噂が立っていた。しかし事実関係はクロ。どっちでもない。ベースはおそらくジョン-ポール・ジョーンズだろう。そのあたりからそんな噂がたったのだと思う。(ペイジはファーストアルバムで何曲かギターを弾いている。もちろんレッド・ツェッペリン結成前のことだ)12.男は涙を流さない/LE SAULE PLEUREUR「バラ色の心」のミニアルバム収録13.アベク・ニニ/AVEC NINIポルナレフの隠れた名曲「今夜の列車/UN TRAIN LE SOIR」のシングルB面曲。この選曲に文句を言っていたひとが多かった。おそらくだが当時のレコード会社は「今夜の列車」をシングルで、つまりヒット狙いで温存したのだろうとのこと。(日本コロンビアに在籍していた某氏による証言)14.別れの理由/POURQUOI FAUT-IL SE DIRE ADIEU?この曲が「おかしなジョー」の収録されたミニアルバムのA面曲になる。今風にいうとタイトル・チューン。室内楽風ストリングスの実に良い曲だと思う。気に入らないのは「愛の別離」という邦題だけ。それで自分もこの曲には原題を直訳した「何故別れを告げるべきなのか?」から来たといわれている改題されたこっちのタイトルを使っている。[註]「バラ色の心 Âme câline」という曲は、むしろ後にレイモン・ルフェーブルによってイージーリスニングの曲としてヒットしているし、アメリカではペギー・マーチなんかがカバーしたことで英語直訳タイトルの「Soul Coaxing」という曲名で知られている。おそらくだが「Âme câline」に「バラ色の心」という日本タイトルをつけたのはレイモン・ルフェーブルの日本盤を最初に発売したレコード会社の人ではないかといわれている。CBS(エピック)ソニーで大量にポルナレフのレコードが再発されたときにはテイチクや日本コロムビアでつけていた邦題は相当に改題されたが「バラ色の心」が手付かずだったのは、この曲がルフェーブルのヒット曲のタイトルとして知られすぎていたからではないかと思う。
2012年10月01日
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それから30分が経っただろうか。まさにふらっという感じでクルマの前に大きな男の影が現れた。「おお!マツ!」と前の列の誰かが慌ててクルマのドアを開けた。マツと呼ばれた男は片手でクルマの屋根を支えにして靴を脱ぎ始める。どうやら相当なケガをしているようだった。「クルマどうした?」と聞くとマツは「流された、たぶん」とポツリと言った。マツのいうことでは、多賀城の明月というところで津波に追いつかれてあとはクルマを乗り捨てて走って逃げたが、波が膝あたりまできたときに激しい痛みと水圧に耐え切れず転倒してそのまま四つんばいの姿勢のまま波に攫われたのだという。「よく助かったな」というと、マツは「うん…まあな」というと何かをこらえるようにただ黙りこくった。マツは不思議なことを口にした。クルマで津波から逃走中渋滞に捕まっていたときに携帯の電話が掛かってきて出てみるとそれがこの自分からだったというのだ。しかし自分はそのころマツと携帯で電話などしていない。マツは「かまたさんが『いいからクルマ捨ててすぐ走って逃げろ!』」っていってくれたから踏ん切りがついてクルマ出られた」というのだが…
2012年04月10日
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自分はその女性のことは直接には知らなかった。ただ、さっき自分のPHSに電話をかけてきた男の口から、支払いのことであるいはなにかしら事務的なことなどで窓口になっているのが、30前後の既婚の女性であることをうっすらと記憶している程度だった。タカと呼ばれた男の口から、ついさきほどその不在の男から携帯電話が繋がり、彼がこれからこちらの駐車場に向かうというので、それまで国道45号線から少し入ったところ道端でクルマを止めてこれからどうしようか思案していたのだが決心がついてこちらに来たのだという。要するに、タカと呼ばれた男が行動をともにしていたもう一台のクルマにひとりで乗っていたのが不在の男その人だったということだ。「それにしても上手く繋がったねぇ」みたいにこちらの誰かが言うと「んだがら。びっくりしたよ!突然繋がってさ、またつうじねぐなったっのっしゃ!」と当時の状況を思い出し思い出ししながら答えた。そしてそれはさっき自分が体験した不在の男との携帯(PHS)での通話状態そのままだった。「だめなんだべねぇ電波とか電源とか全部」と言いかけてから、こちらを見ると「こっちかまたさんっていうんだけど…この人、PHSも持ってて…さっき◎◎◎(不在の男)から電話あったのっしゃ」タカという男はこちらを見て「ああ、あなたがかまたさんなのね、ブログで有名な…」と言いかけて、しまったというような顔になった。あるいはこちらがその話題だけは今ここでは止めてほしいという顔になっていたからかもしれない。
2012年03月16日
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それから五分も経たないうちに、まばらにクルマが停めてあったこの駐車場に一台のバンが入ってきた。他車のヘッドライトやらなにやらで時々浮かぶように暗闇の中におぼろげに見ることのできるそのクルマが仕事での知り合いが所有する自家用車だと気がついた者がいた。自分もそのこちらに向かってやってくるバンを見ていて何かがヘンだなとは感じた。凝視してよく見ると、クルマ自体の挙動もどこかおかしかったし、なにより色がくすんで見えていたのだ。「うわーボコボコじゃん!」二列目の席にいた男が声に出した。それは明らかに入ってきたバンのことを指していた。自分もやっと気づいた。クルマの全体、特にサイドが黒っぽく見えるのは塗装がところどころ剥がれていたり、まるで多重の接触事故をかいくぐってきたかのようにいたるところベコベコに潰れていたからだった。助手席側のドアをギコギコさせてからのバリッという破裂音をさせて扉を開けて男が出てきた。見覚えのある立ち姿だった。やはり前列二列目にいた男が「おー タカさんや・・・」と言うとスライドドアを開けるとクルマから駆け下りた。車内に冷たい空気がなだれ込む。「タカさん!」と呼ばれてバンの男はこちらを向いた。特に驚いた様子もない。クルマを飛び出した男が駆け寄る。タカと呼ばれた男が何かを伝えると、駆け寄った男はその場にまるで崩れるようにへたり込んでしまった。何があったのだろうか。おおよそは見当はついた。このふたりは仕事でも仕事以外でも一緒にいることが多かったので共通の仕事仲間、友だち、知人は多いはずだからだ。こちらのクルマの中で「誰かが行っちまったんかなぁ…」とか呟いた者がいた。おそらくは、そういうことなのだろう。タカと呼ばれた男は名取市にある仙台空港から利府まで移動のため、数台の車で海岸沿いを走行中に地震に遭遇したのだという。そしてそのうちの一台は空港近くにある直接の雇用主の派遣事務所の営業所に戻ってしまったらしいのだ。たまたまだが、ほとんど隣り合うような形で緊急停車したこのバンを含む二台は、このまま利府に向かって行くこと、そして海側からはすこしでも離れて内陸部を行こうということで意見が一致して、余震の収まった三時少し過ぎには動き出した。しかし彼らを待ち受けていたのは交差点ごとに段々ひどくなる渋滞だったという。この白いバンがすんでのところで津波に飲まれずに済んだのは、途中で道路の反対車線を逆走したり、明らかに民家、あるいは有刺鉄線で囲われたような私有地をまるでバリケード突破でもするようにして潜り抜けることができたからだという。やっていることは決して褒められたものではない。それはタカというその男の語り口ぶりで伝わってきた。タカというその男が一番悔やんでいたのは、途中まで同乗していた女性を彼女の実家があるという荒浜近くで降ろしてしまったことだった。
2012年03月16日
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2011年3月12日の未明まだ夜が明けない時間、クルマの中でウトウトとしかけていた全員のあいだに緊張が走った。ラジオのニュースで仙台市若林区から宮城野区多賀城の沿岸部までが2メートルの津波で壊滅状態であること、孤立して救助を求める人数が万単位で、その中には学校で閉じ込められ防寒対策も何もないままの小学校や重病人を抱えた病院も多数あることを伝えていた。ひとりが「ここでじっとしているより災害救助のために動くべきではないのか」というようなことを切り出した。再び車中を重い沈黙が支配する。「でも… 行ってどれだけのことが出来るのか俺たちで」ともうひとりが口にする。最初に口火を切った男が再び「わからんよ行ってみないとそれは ただ大切なのは 事実として 今でも凍えそうな救助を待っている人が何万人も ついそこに 沢山…」とそこで絶句してしまう。人の声や犬の鳴き声がしたのでふと外を見ると、並んで停めてある赤い乗用車の中が騒々しかった。夜半前に自分達のクルマがここに来る前にすでにその赤い乗用車はアイドリング状態のまま停めてあった。ドライバーシートの若い女性が曇ったガラス窓越しに見えた。ほかにも乗車しているのは皆同年代の女性だけのようだった。彼女達が交代でクルマを降りるとタバコをふかしながら携帯電話を掛けていたのを目撃していたからだ。「るっせぇなぁ」こちらの車中の誰かが呟く。別の誰かが「行ってきて注意しようか?」と言うと全員が「やめとけ」と口を揃えてたしなめた。自分も辞めたほうがいいと思わず口にしていた。その直後だったと思う。自分の携帯(PHS)が鳴ったのだ。回線全滅で死んだものと思い込んでいた自分のPHSが先日の午後3時以来はじめて突然音を立てはじめたのだから本当にビックリしてしまった。慌てて取り出して折りたたんだ端末の正面の小さな液晶画面を覗き込む。全員が無事を心配していたその男の名前だった。「今どこよ?」と平静を取り繕い問いかけると「(かまたさんたちの)仕事アパートの前」という答えが帰ってきた。自分達がそこから徒歩30分ほど離れた駅前の駐車場にいることを伝えると「じゃそっち向かうわ」と言うと電話は不自然な形で切れてしまった。回線の状態がまだあまりよくないからかもしれない。不在の男が無事であることを確認したために車中は一気に安堵に包まれた。気がつくとクルマのウィンドウをコツコツと叩く音がした。隣のクルマに乗車していた中の誰かだった。ウィンドウを開けると彼女は「携帯通じるんですか?」と聞いてきた。「うんさっき突然だけど」と答えると「どこの携帯ですか?ドコモじゃないですよね?メーカーとかあるんですかね?」と質問を矢のように浴びせかけてきた。自分が「それがウィルコムで」と言うと「あっ、そうなんだ…やっぱりウィルコムって別なのかな」とすっとぼけたようなことを口にした。聞けば、赤い乗用車の中は同じ店で働く女性とその妹の4人で、さらにそれぞれが飼っているペットの犬と猫計3匹も同乗しているという。
2012年03月13日
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○その数年前(1998年ころ)に下北沢の事務所にアルバイトとしてやってきた女の子が事務所でニルヴァーナのアルバムを大音量で流していたことが思い出される。自分はそのアルバイトの子に「とにかくその音楽だけは止せ!」みたいにかなり強い口調でCDプレーヤーの音量を落とすどころか「切れ」と命じたのだ。鳩が豆鉄砲を食らったようなキョトンとしたような表情になったその女の子は「なんで…、ねぇ?」みたいに側にいた同僚に了解を求めたが、その同意を求められた女性は顔も向けず、自分のデスクを向いたまま仕事に熱中していた。あるいは振りをしていた。不満顔の「何がダメなんですか?」という彼女の問いに自分は間髪を入れずに「ふたつあってね、音が大きいのと、ここにいる連中は(君と違って)このバンドの曲の詞の内容がわかるからね」と理由を挙げた。なぜ間髪を入れずにすぐに答えられたかというと、これが二度目というか二人目だったからだ。前に、自分とその事務所の新しい責任者がともに扱いに閉口していた女性アルバイトの子が好んで聞いたのが、これまた「JOY DIVISION」だったのだ。「(聞かされるこちらは君と違って)詞の内容がわかる」という言葉に相当のショックを受けたのだろう。それ以来彼女は事務所で自分の好きな曲を流すことはなくなったようだった。そして半年も経たない年の暮れには姿を消していた。辞めたのを聞いたのは年明けすぐのことだった。JOY DIVISIONとかNIRVANAの音楽はともかく、そういう特異点、つまりリードボーカルが絶頂期に自殺してしまったバンドとしてのみ捉えて語られることは、私たちとそして当時からの熱心なリスナーである人たちの気を滅入らせるものでしかなかったはずだ。むしろこういうのに喜んで飛びつくアフタカマーの若い人たちはバンドのフロントマンの自殺という出来事からこのバンドの曲になにかしらそういう「死」の臭いを嗅ぎとれると勘違いしているのではないだろうか。それは今でも思うことである。○自分が1994年4月、ニルヴァーナのバンドリーダーにしてほとんどの曲を手がけるボーカリストのカート・コバーン(コベイン)の自殺のニュースを知ったのは五反田のレストランみたいなところだった。「みたいな」という言い方も失礼だが。いつものようにして地下にあるその店のドアを開けると、濃厚なオリーブオイルと溶かしたバターの交じった濃厚な香りが鼻をついた。ドア正面にあるカウンターにいつもののように背を見せて座っている顔馴染みのギリシア人の男がこちらを振り返るとまるで挨拶のかわりのように「知ってるか?シアトルの左利きが死んだぞ。銃で自殺だ」というようなことを(もちろん英語で)言ってきた。「シアトルの左利き」というのは、彼も自分もともに左利きだからだ。ギリシア人の隣にいたあまりここでは見みかけたことのない男が流暢な英語で「彼に本物のニルヴァーナが来たんだ(The Nirvana comes true on him)」と皮肉なことを口にする。わたしは「冗談は止めてよ」というニュアンスで「ジーサス」と言い首を横に振ると、男は「なぜジーサス?ブッダじゃなくて?」みたいなジョークにもなんにもなってないことを口走った。そのカウンターに彼らと並んで座るのが嫌だったので、自分はあまり使ったことのない、店の隅の方のジメジメとした感じのする古い革張りの低い椅子を四つほど並べたボックスに席を取ることにした。注文をとりに来た真面目そうなウエイターのお兄ちゃんに「何、カートコバーン死んじゃったんだって?」と聞くと「ライフルでアタマぶち抜いたのが見つかったってさっき(CNNだったかの)ニュースでやってましたね」と神妙な面持ちで教えてくれた。「なんかイアン・カーティスのときに似てますよねぇ」と言われたのだけれど、そのとき自分はイアン・カーティスが誰のことなのかわからなくなっていて「誰だっけそれ?」と聞き返していた。「え?ホラ…あのぅ…ニューオーダーの前の…死んだリーダーの」みたいな感じの説明を始めた。彼もまた「JOY DIVISION」というバンド名のほうは度忘れしていたようだった。しばらくして四・五人の客が入ってきたのでボックス席をあけてカウンターに移った。そのときウエイターのお兄ちゃんに「イアン・カーティスって首吊りでしたっけ?」みたいな感じで聞かれた。自分もそのように記憶していたので「たしか…」とあいまいな返事をした。ウェイターのお兄ちゃんは「いやさっきあのガイジンたちがね、『アメリカ人は銃(ガン)を使いイギリス人はロープを使う』とか言ってるんですけど…それのことかなと」と付け加えた。「つまんねぇことを言いたがるヤツだなぁ」とその知り合いのギリシャ人と並んで座っている謎の外国人のほうをチラっとだけ見た。そのレストランを出て階段を登ると、そこには先に店を出たふたりの外国人がいた。目が合う。嫌な雰囲気だった。顔馴染みのギリシア人ではないほうの謎の外国人の男が声を掛けてきた。「さっきは済まなかった。仏教徒を屈辱するつもりはなかった。許してほしい」ほっとして自分も「いいよわかってるそれは気にしなくても」と言った。そして三人はゲラゲラと大声で笑った。通り過ぎる人が振り返って不審な顔でこちらを見てたのを目の端で感じていた。でもかまわない。おかしいものはおかしい。自分も「NEVER…」まで言いかけたところですで笑いがこみ上げてきていたのだ。そのあとではじめて紹介された。男はやはりイギリス人だった。「イギリス人はロープを使う」というのは自虐ギャグのつもりだったようだ。
2012年03月12日
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3月11日の日曜。大震災の日から一年が経ったわけだが、その日があまり「あれから調度一年」という感慨を持ちづらかったのはこの日が日曜だったことと、もうひとつは今年が閏年で2月29日があったためだろう。実際自分も「一年か」としみじみしたのはむしろ前々日の9日の金曜日だった。昨年の3月11日が金曜日だったからだ。その後、昔の知り合いと電話で話していてそのことを話題にすると向こうも「そうだよねぇ、金曜日だったよねあれ。だから帰宅難民があんだけ増えたんだもんね」という感じで当日の夜の自分の行動などを語り始めた。その日の午後から夕方、自分はいつも通り慣れた国道沿いに立ちすくんでいた。そしてたくさんの本当は見てはいけないはずのものを目の当たりにしていた。自分の目の前をありえないものが次から次にといくつもの通り過ぎてゆく。あれは本当に現実感のない不思議な空間だった。夜遅くにやっと連絡の取れた仕事仲間たちと、川からすこし離れたところの駐車場に停めた乗用車の中でラジオが伝えている各地の被害の状況を耳にして「これはとんでもないことが起きているのだ」ということをはじめて実感した。ラジオでは高荒葵というベテランの女子アナが淡々とここからわずか5キロほどはなれた海岸地区のことを事細かに伝えていた。どれもがまるで嘘のような数であり出来事だった。車の中の誰かは「嘘だろ だいたい、誰がどうやって数えたんだよ!」と憎憎しく半分怒鳴るように呟く。誰も反応できずに、ただ黙り込んでいた。おそらく全員がラジオの伝えていた惨状というものを頭の中に浮かべていたのだろう。自分もスピルバーグ監督のSF映画「宇宙戦争」でダコタ・ファニングの目を通して描かれたワンシーンのことがアタマをよぎっていた。そして、その耳からの情報がさっき目の当たりにしてきた光景と結びつき、「今この宮城の沿岸、それどころか茨城から岩手までのすべての太平洋岸のいたるところであのような出来事が起きているのだ」と実感したくらいだった。それからだった。それまで自分が生きてきて一度も感じたこともないような虚無感というのかどうしようもない寂寞感というものを感じたのは。これを言葉で説明するのはとても難しい。このクルマの中には本来ならばもうひとりがいるはずだった。その男が来るのかどうかをみながずっと気にかけていた。もし彼が戻ってこなければ、それは彼がどこかで命を落としているということになるのだろう。時間が経てば経つほどその可能性は高いということでもある。数年前、JOY DIVISIONというイギリスのバンドのアルバム「アンノウン・プレジャー」と「クローサー」の二枚のCDを手にしてその男は自分にこう言った。「聞いたらどっちもなんか陰気臭いだけなんですけど、これ本当に当時(1980年)売れてたんですか?」みたいな感じの問いかけだったと記憶している。彼がJOY DIVISIONなんて過去大昔のバンドのアルバムCDなんかに手を出したのはニルヴァーナがきっかけだったというのを聞いたときに、自分は「正直、趣味良くないね」と言下にそれを批判した。彼も「そういうのはわかるんですけど、やっぱりなんか…あるんですよ、そういうに興味を惹かれるのが」と困ったような顔で弁解をはじめた。これももうだいぶ前のことだが2006年に死んだ花沢という親友の男がやはり最後に電話してきたときもそんな感じのことを呟いてたことをふと思い出していた。そのころ つまり、1980年当時仙台市内の輸入盤レコード店で働いていた自分には良くない記憶しかない二枚のアルバムではあったが事実は事実である。「ああ売れてたよ」と答えた。そして「俺は嫌いだったけどね」とも付け加えた。男はぐふっという感じで脱力して相好を崩すと「ひと言余計っす」と言って、そして笑った。
2012年03月12日
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実に久しぶりにこのアルバムを聞いた。フルアルバムで聞いたのは15年ぶりくらいか。リミックスされたものが実に意外なくらいにオリジナルに忠実に(つまりスピーカーで聞いたときとの音像のズレがなかったという意味)再現されていて、15年前の、いや30年前、つまり1981年にこのアルバムをはじめて聞いたときに自分が感じた切なさみたいなものを思い出していた。それを説明するととてつもなく長いストーリーになる。割と最近、このNewOrderのデビューアルバムと、そしてこの前身バンドであるJoyDivisionの二枚のアルバムと「STILL」というラストアルバムに関わる自分の体験というか不思議な関わりみたいなものをかいつまんで(酒の席で知り合いに)はなしをしたら妙にウケたことがあった。「かまたさんのハナシって観念的っつーか、具体性乏しくてよくわかんないのが多いけど、これはイイ!」みたいな褒め方をされた。よく考えると批判されてるんだけどね。よーくと考えると。さらに最近もうひとつエピソードが加わり、自分の中での位置づけとして、このNewOrderのMovementというアルバムは決して抜かしてはならないものとなってしまっている。Bungee Price CD20% OFF 音楽New Order ニューオーダー / Movement 【CD】
2012年03月03日
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月曜日の昼間の休み時間なんかは、前の日つまり日曜日のテレビであるとかの話題になりそうなものなのに最近そういう話題にはならない。あっても今日みたいにスカパーで放送したハロプロの正月コンサートとかのほうが「話題として成立する」みたいな感じなのだ。仙台出身のモーニング娘。のメンバー石田亜佑美のパフォーマンスの話題だけで30分も話が咲くっていうのも…、まあなんていうのか、かなり世間ずれした集団だということには違いないだろうが。当然、月曜の昼間このNHK大河ドラマ平清盛の話題になったこともほとんどない。むしろ放送前のほうが多かったのではないかな。「○○よりはマシになるだろうね」という期待を込めたものだったが。じゃ誰も見てないかというとそうでもない。見ている人は見ているだろうし、なんとなくだが話題にしにくいというのが本音のところではないだろうか。端的にいうと「何をどう見ればいいのよ」という感じか。自分みたいに「源氏パートは結構よくできてる」なんていう評価をする人間なんて誰もいない。いたとしてもそれはあくまでも皮肉としてそう言ってみただけの人だろう。帰りのクルマの中でようやく気づいたのだけれども、この「平清盛」を録画したものを見ているという人はけっこう多いようだった。「ああ、なんとなく録画しておいて水曜日とかほかに見るものがないときに見る、みたいな感じっすかね」と言っていた人間もいた。自分もそれに近いか。大体は日曜日中に見ることはみるのだけれども。その友人もまた日曜八時に家族(や友人の家族)と一緒に見るということはほとんどなくなったという。なにしろ「こっちはともかくとして向こうが嫌がることが多い」というからだ。とくに若い女性がいるときなんかは八時になると容赦なくチャンネルがほかに替えられた、みたいな経験をしているみたい。前に書いた「家族とは見にくい」とぼやいていた病院のおじいちゃんたちと同じである。この第八回目、内容的なことをいうならば今までの中では一番見ごたえがあった。最大の功労者は藤原頼長の山本耕史につきるだろう。[追加]なんとなくだが頼長が出ている時間帯だけはこのドラマ実に安定していて楽しむことができていた自分である。頼道はこのドラマでは「腐敗した」とされている宮中にあって、その腐敗した宮中の中心に非常にちかいところで政(まつりごと)に携わってながらも、どこか居心地の悪さを感じながらもなすすべもなくただ学問の道に暮れていた人物として描かれている。ところが「平清盛」という異端児の存在によってかつての野心に再び火をつけられ、それをどうしてやろうか、どういう方向にもっていこうかと画策して源氏と平氏をともに利用しようとして、製作者サイドとしては「それが後の保元の乱の発火点になるのだ」ということにしたいのだろうが。
2012年02月27日
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第六回目 熱田神宮で物盗りたちに矢を射ったあとでの源義朝(玉木宏)のセリフだが「あれはやはり『民のもの』で正しいのではないでしょうか。自分もそう聞えました」という意見を頂いた。詳しい次第については下の記事(2月16日)を見ていただくのが手っ取り早いと思う。果たして義朝が物盗りどもに吐いたセリフが『神のもの』なのか『民のもの』なのかはむしろストーリーをよく考えれば明らかだろう。もしここで義朝が物盗りに向けて「民のものにまで」と言うつもりで『民のものにまで』に聞えるような言葉を吐いたら、側に仕えていた従者に「若君、そこは神のものでは」とやんわりたしなめられていたはずだ。というかもし自分が従者だったら直接口にはしなくても心の中でそう思っただろうね。「義朝、それ違うから」みたいな感じで。[註]そもそも「物盗り(ものとり)」って何なんだということになる。当然立場の弱いものから力ずくで金や食い物(米)を奪うから「物盗り」だろう。つまり「民のもの」を強奪するから物盗りなので、ここで義朝がわざわざ「よりによって」の感情を込めて「民のものにまで」とか言うはずもないのではないだろうか。そうは思いませんか。「民のもの」を強奪するのは普通の物盗りだもの。そうではなくて、義朝が怒りを増大させたのはその物盗りが強奪しようとしていたのが神社に運ぶ途中の奉納米だからだろう。だからここで義朝が「神のものにまで!」と物盗りたちへの怒りを露わらしたことが(視聴者も)納得できるのだ。というわけで玉木義朝がここではっきりと「神のもの」と聞えるような言い回し(とイントネーション)で「神のものにまで」ととうセリフを口にしていたのが正しくて(民のものにしていた)字幕のほうが間違っていたという結論なんだが。(字幕とおりの)民のものと受け取ったという人がいたとしてもそれはしかたないだろう。それはその人のドラマの見方に問題があるのかもしれない。字幕というのはあくまでも補助するものであってドラマの主体ではないのだから。もし玉木のセリフが「民のもの」に聞えたとしたら、それは自分の耳というか聴力であるとか日本語の聴き取り能力を疑ったほうがいい。(こういう人がいるのが問題なのかもしれない)中には(掲示板にあった書き込みらしいのだが)字幕はオリジナルの脚本と連動しているのだから脚本上は「民のもの」だったのではないかという意見というか推測もあるらしい。もしそうだとしたら(それこそただの妄想レベルだが)脚本を読んで「ここは民じゃなくて神でしょう」とばかりに現場で勝手に「神のもの」にしてしまった玉木宏は恐るべき俳優ということになるのでは。まあどうでもいいことだけど念のために付け加えてみた。結論。「神のもの」で正しいんだってここは。[註]何を言いたいかというと、つまり、義朝の従者としていつも画面に映っているのが鎌田正清(政清)ということになっているからだ。つまり「かまた」つながりね。
2012年02月22日
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あるコラムニストがこの「平清盛」のことを「画面の中に右下がりの折れ線グラフが見える大河ドラマ」と評していた。んーなかなか上手いことを言うものだと感心した。いやいや、感心している場合ではないのだけれど。なんだろうな、この見るたびにこちらの期待を少しづつ裏切るような微妙な展開というもの。さらに今回はタイトルも少し腰砕け気味だ。源氏物語の主人公光源氏にひっかけた「光らない君」。後に正室となる明子(加藤あい)と時子(深田恭子)を同時に登場させ、後妻となる時子の清盛の印象が「光らない君」というわけだ。いや、こうなるとドラマとして、つまりフィクション(嘘)だからいいとはいえ、このようなふたりの姫君の登場のさせ方では、あとあと「誰か」を悪役にしないと納まりがつかなくなりそうなのだけれどそれでいいのだろうか。不安だな。なんかこのドラマの作り、視聴者の興味を引くために用意したいくつもの仕掛けが、悪いほうに悪いほうにと転がってばかりいるような気がしてならないんだが。何故こうなったのだろう。思うに、やはりドラマの最初のほうで、宮中のドロドロとした人間関係をこれでもかとばかり露悪的に描いてしまったのがそもそものつまづきだったのでは。少し前のことだ。病院の待合室にいたら、テレビ(当然NHK1が流れている)で平清盛の番宣が流れていて、それがどういうわけかその宮中のドロドロエロエロなところばかりをピックアップしたようなものになっていた。自分の後ろ(厳密に言うと背中合わせのベンチ)にいたお年寄りたちがそれを指して「なんだがなぁ、こんどの大河はこういうのばっかり(つまり軽いエロ)で家族でみらんないんだもんなや」とぼやいていた。つい先日(土曜の午後)なのだが、自分は某ディスカウント店でこんな光景を見てしまった。テレビ売り場でいくつものテレビモニターでは平清盛の再放送が流れていたのだが、そういう、つまり三上博史の鳥羽上皇と璋子(金麦れい)とか得子(松雪)が出てるようなシーンになった途端、子供連れの母親が困ったような顔になり、子供の手を引っ張ってテレビ売り場を足早に立ち去ってしまったのだ。いや、この「平清盛」を作っている人たちがどんな思いでこんな宮中ドロドロをドラマのもう一方の柱として重要視しているのかはまだよくわからない。わからないが、結果こういう現象(おそらく日本全国中でだ)を生んでいるということだけは刮目して、少しでも見るものを減らことだけは避けるような施策をとるべきではないのか。また、自分の友人なんかはこうも分析している。「この平清盛、オープニングタイトル(CG)だけはここ数年の大河でもトップクラスの出来だと思うんです。あまりによく出来たオープニングを見せられてから本編に入ると…なんかしょぼいですよね、比較として」自分もそれはあるのかなと思っている。もう少し具体的に言うと、今回のオープニングのタイトルも、順番からすると先に音楽が出来上がっていて、それにあとから音楽にあわせた映像を編集しているのだろうと思う。その映像素材の「つなぎ」がとても工夫されているのだ。で上で触れた病院の待合室にいたお年寄りであるが、とても含蓄のあることも言っていた。「いくらドラマだとはいえ、皇室のことを悪くかいて、日本人が喜ぶとでも思ってんだべか?そんなのは韓国のドラマに任せてればいいのっしゃ」その言葉のオモテの意味と、もうひとつ裏にある意味を感じとった自分はただ「すげぇ そのものずばりの正論だなぁ」としみじみとしてしまった。まあ、この平清盛、史実まるっきし無視のなんでもありの韓流史劇ドラマと比べたらいけないんだけれどね。韓流ドラマと大河はそもそもの視聴者の層というか質がまったく違うからね。
2012年02月22日
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ここにきてこの大河ドラマ「平清盛」の評判がガタ落ちである。史実と比べてどうしたとかそういうことではなくて、ドラマとしてこの作りはどうなのよ的な、簡単に言うと「つまんないね」という感想が増えてきているという。まあ自分もそう思う。たしかに先週の第五回はちとひどかった。で今回の第六回目「西海の海賊王」が挽回したかというと…これが実に難しい。番組開始前からチラチラと言われてたことだがこれではまるで「ワンピース」か「パイレーツ・オブ・カリビアン」の質のよくない亜流ドラマだろう。 いいのかこれで。これを喜ぶ大河ファンはまずいないだろうし新規客だって食いついてはこないだろう。まあ自分なんかは「どんなつまらないドラマ」でもそこに潜んでいる面白さを見つけ出して楽しむことのできるかなり腐りかけたドラマウォッチャーとしての自覚があるので(自慢しているわけではないよ念のため)それでもなんとなく見てしまったが。[追記]自分がこの「大河ドラマ『平清盛』」で一点評価できるところがあるとすると、それは平氏とともにこの時代、武家社会の礎を築いた源氏側がどうだったのかを割りと多めに描写していることだろう。最近のゆとり教育のせいなのだろうか「頼朝・義経の父」としてのみ日本史の中で扱われがちな源義朝であるが、この源義朝の生涯をよく調べてみると、実にドラマチックというのか数奇というのか不思議なところがいくつもあるのを知るだろう。これも自分なんかは「おそらく後世の捏造も交じっているからじゃないの」と考えている。何が言いたいかというと、我々が学校の歴史の授業で「史実」と教えられてきて勝手に事実だと思い込んでいる出来事や人物も元を辿ればやっぱ「フィクションに過ぎなかった」ということが多いんじゃないのかなということ。その源義朝を演じている玉木宏の今回の演技について言えば、悪いが、90点はつけてもいいくらいだった。つまり松山ケンイチが気の毒なくらいだという意味。最近ではデジタル放送の恩恵で、ほとんどのドラマは「字幕つき」で見ることができる。しかし字幕つきで見てしまうと、今度はそれが役者のセリフのいい間違いや時には下手さ加減を計るバロメーターになりかねない諸刃の刃なのである。その点での評価でいえば、玉木宏は高い点数を取る役者だと思う。字幕とセリフのズレが非常に少ないからだ。それどころか玉木のセリフが逆に「字幕のミス」を指摘してしまうことがある。今回も熱田神宮のところで、字幕では「民のもの」と出ていたが、これは玉木のセリフの通りで「神のもの」が正しい。というか見ているこっちが「あっ字幕が間違ってる」とはっきりと認識できるくらい玉木は見事なカツゼツというかエロキューション(雄弁)だった。「いいぞ頑張れ玉木義朝!」みたいなちょい腐りかけドラマウォッチャーの自分などは、こっち(つまり源氏)を中心にこのドラマを見てしまいそうである。世の中、そんなに面白いことばかりがゴロゴロと転がってるわけがないじゃないの。それよりも自分に向かって転がってくるもののなかに何か面白いものがないかみつけようよなんかの映画のセリフみたいだが、これは数年ぶりに会った自分の知り合いが口にした言葉。ちょっと感心して「へぇ~、面白いこと言うね、いいねそれ」といったら相手は鼻白んだような顔になって「何言ってんのよあなたよそれ私に言ったのは」と返されてしまった。言われてしばらく考え込んだ そしてやっと思い出した。いやこれはシチュエーションがはっきりしないと何のことかわからないだろう。ふたり(つまり自分とその知り合い)がゲームセンターでコイン落とし[写真]をやっているときに相手が「もう世の中つまんないことだらけで…」みたいなグチをこぼした。目の前の円形の大型のゲームマシーンの中のレール上を転がる緑色の球体(オーブ)に例えて自分は「そんなに面白いことが転がってるわけないじゃないの」と軽い気持ちで呟いただけだったんだけど。○知り合いから指摘が来てた。ひょっとするとこれは大事件なのかもしれない。ドラマ中で挿入曲として使われているエマーソン・レイク&パーマーの組曲「タルカス」の件である。このブログの第一回目で「クレジットがキース・エマーソンとグレック・レイクなのはちとおかしい。このパート(噴火)の部分の作曲者はキース・エマーソン単独でいいはずだ」と指摘した。平清盛 久しぶりのNHK大河ドラマ2012.01.08そしたらなんと今回OPではその通りに曲目クレジットが「『タルカス』より『噴火』」と改められ、作曲者クレジットも「キース・エマーソン」になっていた。最初それを聞いたときは「だよね」みたいな極めて軽い感想しかなかったが、その知り合いが言うところでは、「NHKにこのことを問い合わせた人がいたとしても、結局のところネタ元はあんたのブログということになるぞ」ということらしい。どういうことかというと、「平清盛」で使われているタルカスの「噴火」のクレジットはキース・エマーソン単独でいいはずだと指摘していたのはこの日本であんたひとりだけだ、ということらしい。いくらネットで調べてみても、このことを話題にしているサイトとブログはほかに見つからないらしい。さすがに掲示板までは手が回らないだろうと思ってしまうが、なんとその知り合い「オレ以外にはいないはずだ」というんだな。要するにその知り合いがこのブログを持ち出して「(クレジットは)エマーソン単独が正しい」と某掲示板に何度か書き込んだらしい。まあだからどっちにしても(仮に掲示板経由だとしても)最終的に「ネタ元はアンタだよ」と彼は言っている。んー、そうなのか。いや別にそれが正しかろうが間違いだろうが自分はもうどうでもいいんだけど。それよりも上で書いた「転がってくる何か」みたいなことが本当の身の回りで起きてしまうことのほうが自分的には実におもしろい。[追記の追記]その知り合いから「記念だ取っとけ、よければブログにものせて下さいお願いします」という上からなんだか下から目線なんだかよくわからない本文つきで画像が送られてきた。ありがたい。が元の画像があまりにデカすぎて縮小加工がえらい大変でしたな。19インチモニターいっぱいにフル表示されてある意味デスクトップ画像に使えるレベルさえ超過していて、印刷して壁にはっとけとかそういうスケールの大きさでねこれが。2Mバイト画像とかどんだけなんだよ。第一話のOPのクレジット第六話のOP[追加の追加の追加]さらにこんな画像も送られてきた。今度は最初から縮小されていた。第二話と第五話のOPのクレジットである。これをみると、NHK側の苦慮みたいなものも少しは見えてくるか。推測に過ぎないが、おそらく挿入曲「タルカス」のクレジットの表記に関してはNHKと音楽家(とその所属事務所)、そしてレコード会社によるいろいろな話し合いがもたれていたことが伺われる。たとえばだが、もしかすると最初の段階では「タルカス」のほかの曲も使いたいみたいな音楽家側の意向みたいなものもあって作曲者がキース・エマーソンとグレッグ・レイクの併列表記は外せなかった、みたいなものが。第二話第五話(第三第四話ではこの曲が使われていないらしくクレジットはない)
2012年02月16日
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四回目にしてやっとドラマらしいドラマになってきた感じがする。役者ではやはり忠盛役の中井貴一がよかった。源為朝役の小日向文世の演技も超絶だったが、この為朝を演じる小日向文世が、源氏の宮中での足がかりを断たれた無念さゆえに凶行に走る表情を見ていると、どうしても10ヶ月前去年の3月11日からの一週間の出来事と被ってしまい忘れかけていたつらい気持ちが蘇る。あのときこの仙台の街、避難所や被害の大きかった場所には、こんな小日向為朝みたいな情けない顔でその場で泣き崩れる大の大人の男があふれかえっていた。みな真っ黒な汚れた顔をして、中には人目も憚らずに大声で泣き喚く人もいたのだ。自分はそんな人たちをただ遠くから見て通り過ぎるしかなかった。とにかく自分がすべきことをしなければ何も進まない。たとえその人にかまったところで、ここ以外の全ての場所にはこのような人たちは何百人も何千人もいるのだ。その事実を認めるしかないのは辛い体験だった。今でも、あのときのことを、夜毎あるいは就寝前に思い出すことがある。次々に目に飛び込んでくる、どこか現実離れした光景の連続だった。向こうからやってくる人々の行列と、大声で呼びかける若い自衛隊員の励ましの声などだ。誰かが言っていたがあのときあの場所はやはり「戦場」だったのだと思う。源平時代の出来事と現代の「非日常」をシンクロさせて語るというのもだいぶ無理があるだろうが、小日向為朝の顔があまりに強烈だったのでついこんなことも書いてみた。
2012年02月04日
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三回目にしてやっとこのドラマのこれからの行く末みたいなものが見えてきた。やはり三上博史の演じる鳥羽上皇とのちに後白河法皇になる親王との確執と清盛の宮中での出世を軸にということなのだろうな。いやまあそんなのどっちに転んでも結局は「フィクション」に過ぎないわけで、問われるのは脚本を含めての演出の術というものにかかってくるのだろう。そういう意味で、自分は第一回目と二回目の出来に対しては激賞はしない。「そこそこよく出来ている」といった程度。ただこういう低レベルな論争だけはやめてもらいたいものだと思う。『平清盛』に噛みついたネットユーザーを時代考証担当者一蹴- NEWSポストセブン(2012年1月23日16時00分)http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_82290NHKのドラマに噛み付く視聴者も視聴者だが、それにこのような返答をしてしまうNHKドラマ関係者もドイヒーなレベル。こんなのは「これはドラマです。フィクションですから」とひと言答えればいいだけのこと。というか製作の当事者がこういうアタマの固い人たちばかりだから昨年のみたいなみょうちくりんな大河ばかりが量産されるのではないのかと自分は疑いはじめている。
2012年01月23日
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日曜の朝から友人の家で酒を飲んだりしているのは、土曜の夜の夜勤を終えてそのままみんなで友人宅に転がり込むときぐらいだろう。二週続けてそんな感じで日曜午前からTBSでやっている「サンデー・ジャポン」を半ば強制的に見せられたのだけど、自分は画面の中の爆笑問題太田が何かを言ったりするのを目にしてある種の「終末」というものを感じていた。一緒にテレビを見ていた人たちはそれを「最近の爆笑太田はなんかイタい」というような表現で感想を口にしていたが、自分はそういう単純なもんじゃないだろうと思う。修復不可能な「壊し」で笑いを取ろうとする太田の身の上にはもっと根源的な何かが起きているはずだ。なんていうのだろうか。やや大袈裟になるが「やはり爆笑問題太田光はいわゆる『お笑い』のステージを降りちゃった人なのだろうか?」とかそういう感じのことだ。最近ではまったく聞かなくなってしまったのだが、だいぶ前からラジオでの爆笑太田光の「番組壊し」の言動は目に(耳に)余るものがあった。ツッコミとかボケとかの役どころ関係なしに田中と罵りあうだけの深夜ラジオ(1時間も続いたりする)とか日曜昼のラジオでは台本無視で延々としゃべり続けたりとか、なんていうのか、もしかして「聴取者をわざと減らそうとしているのだろうか?」と疑いたくなるような太田の振る舞いは確かに時折あった。それと今の太田がテレビでやってる悪ふざけを結びつけていいのかどうなのか。正直よくわからない。わからないがたとえばこういう感じのことをテレビでやっている太田を見てどう思うかだ。南海キャンディーズ山里亮太が進行するコーナーに乱入して用意されていたボードのマスキングを勝手に次々にめくってゆきコーナーを全部ダメにしてしまったり、笑いを取るのとはまったく逆のベクトルのことをしてヘラヘラ笑い転げている太田を見て誰が楽しいのだろう。あるとすればそれは山里のいじめられ芸を楽しむというかその程度のものだろう。そういう人がいじめられているのをテレビで見て人は「楽しい」のか。自分は単に不快なだけだし、山里の自虐ネタと、このような(半)身内によるイジメ芸が両立しないものだということぐらいはとっくに太田ならば気づいていそうなものだと思うのだが。(まんまとそのドツボに嵌ったのが品川祐だったわけだが)だから、自分は「何かが太田光の身の上に起きているのではないのか」みたいな邪推をしてしまうのです。たとえば、友人は「談志が死んじゃってから、太田は糸のきれた凧みたいになっちゃったねぇ」みたいなことを言っていた。確かにそんな感じだ。
2012年01月22日
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いまさら書くことでもないのだが。年が明けてからしばらく経ってから、知り合い・仕事仲間が録画してBDなんかに焼いた各テレビ局が年末にこぞって放送していた「東日本大震災・福島原発事故」に関する特集番組をまとめてみた。ひとことでいうと、どの番組も酷い出来だった。そういうしかない。かろうじてNHK-ETVで12月28日からまとめて放送していたものが、まあ「番組」として見れる程度。しかしこれは再放送だった。もっとも酷いと感じたのは、フジ系で30日に放送した「わ・す・れ・な・い」という番組。もうタイトルからして偽善臭がぷんぷんしている。単にお泪頂戴のエピソードを拾って脚色しただけの番組だった。自分は途中で何度も観るのやめようかと思ったくらい。もしこれが実際自分が生でこの番組を観ていた視聴者ならば、ためらわずにチャンネルを替えるかスイッチを切っていただろう。次にひどかったのが28日にテレビ朝日でやっていた古館伊知朗司会の報道ステーションの拡大版。この古館が仕切る番組全てにいえることだが、とにかく「司会者が邪魔」のひと言につきる。報道映像に関してならばまだまともといえるものの「原発事故」当時の首相周辺の動きを再現ドラマで構築した日本テレビの「1000年後に残したい」は、もう苦笑しか出てこなかった。こんなもの1000年残してなんになる。単に恥ずかしいだけだろう。全体的なことで言うと、何故テレビ(特に民放)は当時の菅政権に対してこんなにも優しいのだろうか。そういう疑問というか気持ちの悪い「謎」が浮上する。いろいろといわれているが、菅直人の首相としての大失態は、まず最初の段階で事態を甘く考えていたのだろう、判断が遅く、そして悪い判断しか出来なかったことだ。これは某通販の書評サイトでも書いたことだが、被災地にいる私たちが今でも憤慨しているのは米軍に対する災害救助の要請と上陸の許可が丸丸1日遅れたことだ。菅は周辺あるいは被災自治体から上がってきていた米軍に対する救助要請に対してなかなか首をタテに振らなかった。これは事実である。また、原発事故に対する初動も同様で、「日本だけで解決できる」と踏んで方策を最初から狭めてしまい、事態をかえって悪いほうに転がしてしまったのも周知のとおりである。突き詰めると、この菅直人のこの遅い判断というものが震災被害をかなり重篤化させてしまったのだ。こんなのは誰でもわかることだろうに。それにしても民放のこの手の特集番組、特に今回のフジの番組が露骨だったのだが、報道映像記録の上に効果音であるとかBGMを被せすぎだった。これでは「番組が何をしたいのか」「何を伝えたいのか」がよくわからないものになっている。きつい言い方になるが「くだらないお泪頂戴番組に成り下がってしまっている」のだ。もしある種の娯楽番組として、手っ取り早く数多くのエピソードを拾える宝庫として今回の大震災のことを捉えてこのような番組を作ったというのならまだ理解は出来るが、もしそうでなくて「マジメな報道番組を作りました。放送しました」というつもりならば「おまえらマジ鬼畜、キ◎ガイ(※)」としか言いようがない。そういう出来というか方向性をとっちがえた番組だらけでした。※3.13日の日曜日に行動をともにしていた仕事仲間のひとりが途中出くわしたテレビ局のリポーターに向けてこう怒鳴り散らしていた。家族の安否が不明の被災者に向けて残酷な質問を浴びせかけていたからだ。それを思い出してた。
2012年01月16日
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でその大河ドラマ「平清盛」の第二回目を見た。感想を言えば「親切すぎる説明描写が多すぎないか」ということだった。第一回目からすでに清盛は白河上皇の落胤であるということでストーリーがはじまっている。なんでこんなこと(バカ丁寧なまでの説明描写)が必要とされるかについて考えてみた。出た結論は「史実とフィクションのすり合わせのために抜かせなかったからだろう」という推測の域を出ないものだったが。しかしこういうバカ丁寧な説明的描写は時としてフィクションとしてのドラマの重しとなってストーリーの流れキレを悪くしてあまり良い効果は及ぼさないものなのだが。それ以外についてはまあよく出来ている方なんじゃないのかと自分は評価している。とにかく去年のがあまりにひどかったせいってのもあるだろうが。大河ドラマだけは時代劇の王道を歩むものであってほしい。そういう期待に応えてくれそうな感じはしてます。
2012年01月16日
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言われて気づいたのだが「平清盛」を主役に据えた歴史物ドラマ映画の数は極端に少ない。まあ「平家」そのものが主役にしにくいというか、頼朝・義経の父、源義朝を追い落とした張本人側であるから、どうしても日本歴史上の「悪役」になってしまうのだろう。で清盛も、頼朝が主役のドラマ・映画の仇役程度よくてラスボスの役割しか振られないというわけか。自分が大河ドラマを頭からちゃんと見るのは実は「風林火山」以来のことになる。大河ドラマというもの、特にここ数年は、内容よりも、主役の顔を見ただけで、それが一年付きあえるものかどうかがわかってしまうという面がある。平清盛が主役でなおかつこれまた松山ケンイチが主演の大河ドラマってのも凄いものがある。第一回目を見た率直な感想を言えば「微妙」なんだろうか。作る側が「史実」を踏襲するのではなく、あくまでも「フィクション」に重心を置いて作っていることを悟られたくないというある種の臆病さというものが伝わってくるからか。劇中海賊討伐のシーンで使われているBGMはエマーソン・レイク&パーマーの「タルカス」最初耳を疑った。空耳というかある種の剽窃(パクリというよりもパロディともオマージュといえる)ではないのかとか。ところが違っていた。ちゃんとクレジットもされていた。ただ、そのクレジットが「Emerson/Lake」になっているが、これはちとおかしい。このドラマで使われたパートについていうのであれば、「作曲キース・エマーソン」でいいはずなのだが。[追記]こういうのはよくある。たとえば似たような例でいうと、キング・クリムゾンのファーストアルバムの「エピタフ」であるとか「クリムゾン・キングの宮殿」の二曲の場合も、作曲の面子にグレッグ・レイクの名前が入っていたり入っていなかったりする。やはり権利関係が絡むとなるとこういうところも厳正にしとかないといけないということなのだろうか。気になるこれからだが、やはり次回以降も見ないとなんともいえないという感じ。悪くはないんだが。追記「なんのことかよくわからん」という意見があった。で追加説明をしておく。タルカスというのはELPのセカンドアルバム「タルカス」の(当時でいうところの)レコードA面フル20分以上に亘る「組曲」の名称。このドラマで使われているのはその組曲「タルカス」の一曲目「Eruption(噴火の邦訳がついていた)」で、この曲はキース・エマーソンの単独のクレジットになっている。グレック・レイクがクレジットされているのは2曲目「Stones of Years」 (Emerson/Lake)と4曲目の「Mass(ミサ)」 (Emerson/Lake)、6曲目「Battlefield(戦場)」(Lake)である。また、キングキリムゾンのデビューアルバムに収録されている名曲中の名曲の二曲もまた「エピタフ」は「理由なき行進」「明日又明日」という短い二曲が、「クリムゾン・キングの宮殿」は「火の魔女の帰還」と「人形の踊り」の二曲が組み入れられた組曲の構造になっている。従来方式のクレジットだと エピタフが「Fripp/McDonald/Lake/Giles/Sinfield)とメンバー全員が作者になっている。ところが最新の英米のダウンロードサイドなんかでは、ロバート・フリップ、グレック・レイク、マイケル・ジャイルズの三名の名前が抜けていることがあるのだ。 一方「宮殿」は (McDonald/Sinfield)と、つまり「イアン・マグドナルド作曲;ピート・シンフィールド作詞」という実にわかり易いものだったのに、EGmanagementによる公式HPなどでは、こっちもエピタフ同様メンバー全員の名前がずらりと並んでいたりする。このあたりで自分が思い出すのは、約30年以上も前のことだが、イギリスの音楽新聞「SOUNDS」に掲載されていた(当時フォリナーのメンバーだった)イアン・マグドナルドがインタビューの中で創成期キングクリムゾンの曲づくりのプロセスというものを半ば暴露的に語っていて「ほとんどが自分とピート(シンフィールド)が曲を書いていて、あと残りの3人はあとからちょこっとだけ手を加えていただけ」という証言だった。要するに基本となる部分は「マグドナルド/シンフィールド」で挟み込まれているインプロビゼーションに近い二曲は「残り3人」ということになるのだろうか。
2012年01月08日
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Disc: 1 1. Bricklayer's Beautiful Daughter 2. White Rain 3. Colors/Dance 4. Angel's Flight 5. Bradley's Dream 6. Afternoon Postlude Soliloquy 7. 2nd Gymnopedie (1888) 8. Homfeld Suite 9. Rickover's Dream 10. Variations on Clair de Lune 11. Oristano Sojourn 12. Clockwork 13. Peace 14. Aerial Boundaries 15. Egrets 16. On the Threshold of Liberty Disc: 2 1. Welcoming 2. The 19A 3. Montana Half Light 4. Shadowdance 5. Pittsburgh 1901 [Theme from Mrs. Soffel] 6. The Calling 7. Gwenlaise 8. Dolphins 9. Wishing Well 10. Theme for Naomi Uemura 11. Toys Not Ties 12. Close Cover 13. To the Well 14. Hot Beach 15. New Waltz 16. Processional 17. Woman at the Well 昨暮倉庫を整理していたときに出てきた二枚組CD。白かったケースが黄ばみ、プラケースもヒビが入っていたが中味は無事。スリーブとブックレットもキレイなままだった。おんなじ段ボール箱に入っていたCDには、本体は無事でもブックレットや紙スリープがダメになっていたものが何枚もあった。プチ奇跡か。信号面(いわゆるウラ)を確かめて、おそるおそるPC連結の外付けドライブにいれたところ、ちゃんと二枚とも認識して聴くことができた。1990年のCDである。「最初の10年」のとおり1980-1990年のウィンダムヒルを代表するアーティストの代表曲が年順に収められている。時代史としての価値はあるだろうが、どうだろうレーベルのオムニバス・アルバムとしてみた(聴いた)場合、この曲順には違和感を覚える。実際、このまた10年後にリリースされた「20周年記念」のCDセットは、それぞれ「ギター」「ピアノ」「ベース」「パーカッション」という具合に、楽器パート別のセレクションがされている。自分もそっちのほうが「正しい」という気がしてならない。このCDを頭から聞いていると、どうしても、自分はその1980年から1990年までの自分史と向き合わざるを得ないということになってしまう。うろ覚えだが自分が「ウィンダムヒル」なるアメリカのローカルなジャズレーベルのことを知ったのはその2年ほど前の1978年か1979年のことだと思う。きっかけはFMラジオの音楽番組で、たぶん、渋谷陽一がDJをしていたNHKの「サウンドストリート」かそのあとの「クロスオーバーイレブン」のどっちかだろう。カセットテープで残っている当時の「音源」は、シャドウファクスの「Linear Dance」だった。1980年から自分は仙台市内の輸入レコード店でアルバイトをしはじめる。[註1]そのとき、お客さんから注文をうけたりして「ウィンダムヒル」というレーベルのことを強く認識するようになっていたはずだ。但しこれは書いていいのかどうか迷うところだが、当時の日本の音楽評論、特にジャズ畑の評論家の「ウィンダムヒル」に対する評価はものすごく低かった。やれ「退屈だ」とか「テクニックがない」というような創立者ウィリアム・アッカーマンのギタリストとしての技量とごっちゃになったような迷評論をぶっていた有名ジャズ評論家がいたくらいで。しかし、やがてウィンダムヒルの名前は深く静かに知れ渡るようになる。そうなった最大の理由は、きっとリスナー側の強い要求があったためだと思う。ちなみに自分が「ウィンダムヒル」のレコードを愛聴するようになったのはその輸入レコード店を辞めた1982年以降のはずだ。今でも手元に残っているそのアナログレコード類に挟み込んでいた鉛筆書きのメモを見るとやたら「レコードギャラリー」という名前が残っていたりする。時期からすると「レコードギャラリー」がまだ広瀬通りにあったころだろう。当時始めたばかりの広告の代理業との関連で来たローカルラジオの番組の選曲とかスクリプト書きをしていたころはこのウィンダムヒルのレコードをずっと掛けっぱなしの状態だった。今でもジョージウィンストンの初期のアルバムの収録曲を聴くと、当時通っていた広告代理店の片隅で原稿をせっつかれて煮詰まっていた頃のことを思い出すからね。音の記憶というのはいやなものだね。このウィンダムヒルの音楽を仕事に使ったこともあった。これはだいぶ後年になるが、これまた関東ローカルのラジオ番組のお仕事で、リニュアルされたラジオ番組のオープニングとクロージングにこのウィンダムヒルから出たビル・クェストの「エリック・サティ作品集」をつかわさせていただいた。「頂いた」というのはレコード会社からの温情で使用料がほぼゼロだったからだ。(アメリカのウィンダムヒル側に知られたら大変なことになっていただろう)自分が担当を降りてからもしばらくはこの二曲はずっとオープニングとクロージングとして使用されていたようだが、ウィンダムヒルのレコード(もうCDだろうけど)を販売するレコード会社が変わったのを期にお役御免になったようだ。よくは知らないが。また葛飾の某ミニFM放送局で日替わりの覆面DJをしていたころ、ダロール・アンガーとマイク・マーシャルによるユニット「キアロスクアーロ」をフィラー(放送休止時間に流しっぱなしにする詰め物音楽)として使っていたりする。ほかにもウィンダムヒルと関わりのある(私的なことも含めて)いくつもの出来事を思い出していた。こうして振り返ってみると、あまり強くは認識していなかったが、この1980年から1990年までの10年の自分の音楽史の大きな位置を占めていたのがウィンダムヒルだったのは間違いがない。最後になるがあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。[註1]その直前までは塩竈市内のレコード店とオーディオ専門店と喫茶店(あと六本木館という名前のファンシーショップ)でバイトをしてはずなのだか、そのころの記憶がなくて困っていた。履歴書の職歴に例えるとすると「空白」の欄のままところがあるのだ。ところが、最近「あれっ」という感じで突然自分の「職歴」の記憶が繋がった。その繋がらない約1年間、自分は東京横浜川崎を転々としていたのだった。いわゆる無職というかそれとも浪人とでもいうのか自分でもよくわからない時代でした。二度目の大学入学を諦めて誘われるまま友人宅などで居候を決め込んでいたりした時代です。
2012年01月06日
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T.Rexの曲を全曲通しで聴いた。こんなことはレッドツェッペリンでもキングクリムゾンでもピーター・ガブリエルでもしたことがなかったのだが。結局4日ぐらいはかかったか。実は自分はT.Rexの曲はあまり好きではなかった。「T.Rexが~」というのは正しくはないかもしれない。自分が好きではなかったのはトニー・ヴィスコンティというT.Rexを担当していた名物プロデューサーが導入した大袈裟なオーケストレーションサウンドだったようだ。従ってというのか当然というか、初期と後期の曲のほうが自分にとっては合いますね。音的には。ティラノ時代ならば「UNICORN」、(ビスコンティとケンカ別れした)後期は特に「ボランズ・ジップガン」が良かった。まあなんていうのかマーク・ボランの歌い方と声質、バンドアレンジ、詞の内容が見事にきれいなまでにフィットしていたからだ。このように初期から後期までフルに通しでT.Rexを聞いてから、映画やテレビのCMなんかでよく使われている「20th CENTURY BOY」あたりをまるでT.Rexの代表曲のようにしてしまう日本のマスコミであるとか代理店の底の浅さばかりが気になっている。ついこのあいだも競馬のテレビCMでこの曲が使われていたが、あれはよく考えると競馬を小ばかにしたともとれなくもないからね。T.Rex後期のアルバムを聞く必要があったので知り合いのCD屋にでも頼んで借りようかと思っていたのだが連絡がつかなくて困っていた。そうしたところ、友人の知り合い(ゲーム関係の仕事)が後期どころかT.Rexの全曲、全アルバムを持っているとかで「なんなら頼んでみましょうか?」と言って来た。「んじゃよろしく」と軽い気持ちでお願いしたところ、数日後に「ネット経由で送りたい」と返事が来て、アップロードしたレンタルサーバーの場所(URL)とかパスが送られてきた。ダウンロードを開始してアタマをひねったのはファイルが1.8ギガ(つまり2ギガ以下に抑えたということ)程度のものが一個しかなかったことだった。だがダウンロードを開始してから受け取ったファイルの中身を覗いてみて納得したというかさらに驚かされた。なんとmp3ファイルに変換されていたからだった。しかもT.Rexだけではなくバンド名変更以前つまり「Tyrannosaurus Rex」時代とマーク・ボランのソロプロジェクトを含めて、全324曲をアルバム毎にまとめたサブフォルダーになっているという丁寧さ。礼をいうためにと伝言を頼むと「いや『編集するのがめんどくさいからそのまま送った』って言ってますが」という返事だった。PCで聴くために再生ソフトに読み込ませることを考えたが「何故か」自分がそれをしようとすると必ずといっていいくらいに失敗ばかりしていた。理由がよくわからない。その知り合いに聞くと「ネット回線をシャットしてからファイルごとにホルダー登録すれば大体はうまくゆく」とのこと。やってみたらその通りだった。最初は上手くゆく。しかしネット回線をログオンした途端ファイルの書き換えが始まる。一枚のアルバム収録曲が別々のアルバムになったり、逆に別の二枚のアルバムが同じアルバムとして処理されていたりするのだ。曲ごとにプロパティのアーティスト名、アルバム名、ジャンルを完全に埋めて、尚且つ一字一句(空白も)そろえておかないとそうなるらしいが、そうしておいてもやはりこのような症状が出ることがあるので始末に負えないのだ。推測だが、リイシュー盤やCD化されたとき、ボーナストラックがあったり収録曲数や順番が違っていたりするとこうなるのではないのか。随分と迷惑な話だが。「かまたさんの大嫌いなマイクロソフトのWindows media playerはそこのところは上手く出来てますよ」と言われた。別に嫌っているわけではない。立場上敬遠しているだけだ。あれはあれでユーザーの情報が筒抜けになるわけだから顧客情報を持つ身としては仕事では使わない。それだけのこと。ちなみに仕事と関係のないPCで試しにこのT.Rex全曲集をWindows media playerで読み込ませてみた。しかもフォルダ一括で。例外はあったもののほとんどそのまま読み込めた。謎だ。逆ならわかるのだが。マイクロソフトでダメでほかのサードパーティーのソフトなら上手くゆくというのは何度も体験済みなのだが。「それ偏見というか昔のことじゃ」と言われた。辛い。
2011年12月28日
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松島菜々子主演のテレビドラマ「家政婦のミタ」が大人気で視聴率も良いということは知っていた。全然見てなかったが。斉藤和義の新曲「やさしくなりたい」が有線なんかでよく流れているのもそのためなのだろう。前に斉藤和義の「ずっと好きだったんだぜ」(だっけ?)について触れたときも書いたことだが自分はこの人の曲はだいたいは好きだが、ときおり出て来るストレートなメッセージというかナマな感情そのままの歌詞が苦手である。この曲の二番あたりで繰り返される「愛なき時代に生まれたわけじゃない」とか「きみと生きたい」「強くなりたい」というあたりにくると、まるで大昔におった怪我の古傷を指摘されているような気がして苦しくなる。赤面してしまう。とりもなおさずそれは、自分が大昔にこの曲の主人公が繰り返す「やさしくなりたい」のやさしさから背を向けてしまった人間だからだろうね極端なことを言えばだが。でも日本の音楽シーンからこの斉藤和義がいなくなったら、誰がこういう等身大のストレートなメッセージロックというものを体現できるのだろうか。しよって立つことができるのだろうか。「ご参考にぞうぞ…」と渡されたBlu-rayに録画された「家政婦のミタ」10話を飛ばし飛ばし見ながらもずっと考えていた。
2011年12月17日
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東京にいたころだった。近所のスーパーで売っていた上海だったか台湾製の半練りタイプの 中華スープの素を、ものは試しとばかりに買ってみたのだけどあまり美味しくなかったということがあった。なんていうのか味のまとまりというのか、日本人が好むような「まろやかさ」がなかったような気がしたのだ。しばらくして、それを中華料理に詳しい友人にしたところ「ああいうのは何故か日本製のやつのほうが数段に美味い。特に関西には(中国製の中華スープの素とは)全然別物といっていいようなのがある」と薦められたのがこの味覇(ウェイパァー)だった。いや驚いた。「似て非なるもの」というのか、その友人が言ったとおりで全然違うものだったのだ。もちろん良い方向にだ。さらにこの「味覇」のよいところは、炒飯、野菜炒めにもそのまま使えるし、ラーメンのスープの素(いわゆる湯 - タン)としても使えるその汎用性の高さだろう。極端なことをいうと、この赤い缶ひとつさえあれば、中華料理ならばなんでも「お店の味」に仕上げることができるのである。謎なのは原材料だ。何を使えばああいう味になるのか誰も皆目見当がつかないようなのだ。自分はこの味覇を薄めて味わったときに「おそらく貝柱や牡蠣を素にしたようなXO醤のようなものが入っているんだろうな」と感じたことがあった。が、それ以上のことがどうしてもわからない。独特の甘味についても、ある人は「老酒とザラメかな?」と推測していたが、なるほどたしかにそんな感じもする。しかしどうもそれとは別の何かがあるような気がしてならない。最近では大手調味料メーカーA社からも似たようなコンセプトの半ねりタイプの中華調味料が発売されている。あれもあれでなかなかのものだが、やはり味覇に較べるとなにかが物足りない。仙台に帰ってきてからはこの味覇とも疎遠状態になってしまっていたが、震災直後に横浜の知り合いから送られてきた緊急物資のダンボール箱の中からこの味覇の赤い缶を2缶見つけたときは本当に涙がでそうになった。以前、横浜にいるその送り主と電話で話したときに「仙台に味覇を置いている店が少ない、あっても異様に高い」とこぼしたのをしっかりと記憶していてくれたようだった。お陰でそれから二週間、我々は相当に美味しい野菜炒めをはじめとする「本格中華」を食べることができていたし、それがこころとからだの健康の維持に繋がったといっても過言ではないだろう。今でもときどきこの赤い缶をを見ると当時のことを思い出すことがある。最近になって通販でもかなり安い値段(ほぼ関西のお店と同程度)で買えるようになったのは喜ばしいことだと思う。欠点というか気をつけなければならないのは、この味覇は生ものだということ。開缶したならなるべく早めに使いきるよう心がけなければならない。家庭用ならば一番小さな250グラム缶で充分だろう。その点ではそのA社から発売されている同コンセプト中華調味料のほうが扱いやすいと言えるかもしれない。TVで紹介されました!!廣記商行 味覇(ウエイパー) 250g◇このペースト状の調味料だけで炒め物やスープが激ウマの万能中華♪ウェイパァー文句なしの☆5つです!【廣記】【ウェイパー】味覇は味の王様!!万能中華スープのもと250g1023max10
2011年12月14日
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やくさんDeNAベイで横浜ファンやめたhttp://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20111105-859358.html自分はこのやくみつるという人が引用先の記事で言っていることの半分も理解できないでいる。球団の譲渡というものはどちらか一方が無理矢理にするものではない。売りたい側と買いたい側があって成立するものだ。もし、やくみつるという人が「売った側のTBSと買った側のDeNAの両方の責任」についてなにかしら言っているのならばもう少しは理解できたかもしれない。彼のいう「業種がダメ」というのが通るのならば、まあ、楽天もダメということだろうし、そんまんま「ソフトバンク」もだろうし、過去に実際に買収を目論んだことのあったライブドアもだめだったということだろうし、一時期名前の出た「ゆうせん」も全部ダメということになるだろう。ここに名前を挙げた企業全てが携帯ゲームのコンテンツに深くかかわりのあるものだからだ。それでもやくという人が「DeNAだけはダメ」というのならばその理由を挙げなければならなくなるだろう。はじめから「ボクは単純にこのDeNAが嫌い」とでも言ってればまだしもだ。こういうもっともらしい理由をつけるから話がおかしくなるし、ブーメランじゃないが投げた本人に攻撃の矢がふりそそぐことにもなる。それと、このやくみつるという人の中にあるのだろう、「親会社とチームとの関係性」の誤った認識が自分は気になる。プロ野球チームのファンはそのままチームの親会社のファンである必要があるのだろうかということ。全然ないだろう。たとえば北海道には「日本ハムは大嫌いだがファイターズのファンだ」という人はなんぼでもいるし、実際自分の知り合いには「ソフトバンクは大嫌いだがホークスは好き」という人間がいた。野球ファン、プロ野球チームのファンは親企業のファンなのではない。あくまでもチームのファンだから「野球ファン」なのだ。「親会社が携帯ゲームをやっている会社だからチームのファンを辞めます」というのは、なんの説得力もないし、下手をすればただの老人のわがままとおなじだろう。それこそ読売巨人軍の会長とこのやくみつるは同じセンスの持ち主だということでもある。自分は、なんとなくだが昔見た史劇物映画(テレビドラマかな?)の中の一シーンを思い出していた。それはローマ帝国に征服された小国の若い兵士が主人公の映画で、戦士隊の隊長になった若い兵士がローマに捕らえられ投獄されたところからのエピソードだった。主人公の兵士は同じ牢屋にいた老人の正体がかつて同国を連戦連勝に導いた伝説の軍師・戦略家であること見抜く。そして老人にともに脱獄して国の建て直しのための独立戦争への参加を申し出るが、老人はにべもなく断るシーンだ。老人はローマ帝国の警備士に捕獲される直前に年恰好と見た目がそっくりな別の男の戸籍と名前を家族から金で買い取り、投獄されてからは生き延びるために金で名前を買った男のふりをして長い牢獄生活を続けていたのだ。しかしそれがなんと、金で買った名前は盗癖のある魯鈍(ろどん)の男のものだったのだ。やがて主人公の兵士は、外部協力者との連絡を得て、警備の隙を見て脱獄出来るチャンスを得るのだが、その脱獄直前にもう一度老人を説得する。しかし老人は悲しそうに首を横に振る。そして呟く。「長年魯鈍のふりをしていると自分が魯鈍の振りをしているだけなのか、それとも本当に魯鈍になってしまったのかがわからなくなった…」と。誰が誰のことだという単純なメタファーは禁物だけれども。
2011年11月08日
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テレビの地上波放送も9対1くらいの割合でデジタル放送を多く見るようになった。今でもTBS系東北放送のチャンネルが1だったり、逆にテレ朝系の東日本放送が5だったりするのに違和感を感じているのだが、おそらくもうすぐそれもなくなるのだろう。さよならアナログ放送である。デジタル放送で避けたいテレビ番組というと、なんといっても夕方の民放ニュース番組である。そして、今日もうひとつが新たに加わった。それはアイドルの出る音楽番組である。アナログだと目立たない高齢の女子アナがアップもデジタルだと小じわであるとか厚化粧がはっきりとみてわかるというのは、なんていうのか んー、実に残酷なものだなという気がしてならない。今テレビで(CMで)芦田愛菜ちゃんがもてはやされるのはこういうところに原因があるのかもしれないと言っていた人がいたが、まあ極端なことを言えばそういうことなんだろうね。さて今夕、自分は友人の家でプラモデル作りをして、その後は夕飯をご馳走になったりしていた。NHKの日曜夕方にやっている若向け音楽番組「MJ」ことミュージック・ジャパンなどこういう機会でもなければ見ることもないだろう。(深夜のJ-MELOはたまに見ている)自分は久々に生で見たこの「MJ」という音楽番組に実に不愉快というか、ある種の危惧を感じていた。まあアイドルを集めて○×形式クイズ対決をさせるつかみの部分はどうでもいい。民放の音楽番組でもありがちなイージーな企画だな、くらいの印象しかない。怖くなったのはAKB48とSKE48のふたつのグループに歌を歌わせるときになんのためらいもなく「完全ボイストラック使用(いわゆる口パク)」を認めていたことだった。AKB48がテレビで完全口パクをやっていることぐらいは自分も知っていたし、そのくらいことでどうこう言うつもりもない。所詮「テレビ番組」である。しかし、この番組は事情が違いすぎた。AKBとSKEのあとから出てきたハロプロによる集合ユニット「モベキマス」だけは完全ボイストラックを避けて、何故か生歌で歌わせていたからだ。これではまるでAKB48(とSKE48)がただのさらし者にされているのと同じである。こういう残酷な仕打ちは許されていいものなのかと自分は少しだけ真剣に考えてしまっていたのだ。いやなにがかというと、振り返ってよく考えると、AKBの口パクがバレバレになってしまっていたことと、「モベキマス」がほとんど生うたで通したことがわかったのもまた「地デジ」のせいだからだ。それまで気づきもしていなかったことだが、それこそ50インチくらいのでっかいテレビで細部まで判別できるHD画質だと、目立たないような後列にいるメンバーの口の動きもはっきりと見え、全員がまったくシンクロしていないことがよくわかるのだ。こんなそろっていない口の動きで歌われたら普通はどんな出来になるかぐらいは誰にでもわかる。でいて見事な歌われっぷりをしていたら答えはひとつしか残らない。なんでこんなアホみたいなことになってしまうのか。少なくとも、テレビの歌番組でほとんどのアイドル畑の歌手は口パクを半ば強制的にやらされているのは周知の事実で、それは多大なリハーサル時間を省くため(つまり経費削減のため)と説明されてきた。自分もその程度のものだろうと軽く考えてきた。なのになのにである。穿った見方をすれば、テレビ(NHK)によるAKB優遇の期間終了の予告(友人談)ということなのだろうか。そのことをAKB側に通達するためにわざわざハロプロ「モベキマス」を利用したということか。だとしたらずいぶんと残酷なことをするものだなNHKも。というようなひねくれた感想になり、自分はこの日曜夕方の楽しいはずのテレビ番組から漂うある種の「終わり」のようなものを感ぜざるをえなかったのだ。これは誰のための「地デジなのか」と。あとこれは余談になるが、このあいだ加入したばかりのモーニング娘。10期メンバーの中のひとり、宮城出身メンバーの石田亜佑美(いしだ・あゆみ)が端っことはいえ最前列のかなりいい場所を与えられていた。たしかにダンスだけは飛びぬけて上手いわけだし、送り出す側とすれば「はやいうちに」という気にもなるのだろうが、こういうのが当人たちにとって不必要なプレッシャーにならないことを祈るのみである。
2011年11月06日
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テレ東系で木曜深夜(金曜午前一時)から放送している『美女学』というハロプロ提供・製作の30分番組がリニュアルして、そのものずばり『ハロプロ!TIME』というタイトルに改め、尚且つBSデジタル放送でもオンエアされるようになった。時々すすめられるままに、この番組を録画したものをなんとなく見ている。もう少し熱心にこの番組を見たり、あるいはこのブログで語ってもいいような人間なのだけれども、(※1)あれから(つまり3.11)いろいろなことがありすぎて、そこまで気が行かないというか、まあはっきりいって、こういう晴れがましいものに対してはどこか一歩引いたような目線でしか見れなくなっているようなところがある自分である。にしても、「モーニング娘。もう10期目募集かよ」みたいなある種のネガティヴな思いはどうしてもぬぐえない。つまり、ついこのあいだ9期を入れたばかりなのにすぐにまた10期を募集するということは、9期オーディションはあまり芳しい結果・効果はなかったと言っているのだと捉えられるリスクがあるからだ。人づてにこの『10期オーディション』の内容はなんとなく耳にはしていたが、「ハロプロ!TIME」番組内でこの最終審査の内容を詳しく取り上げていた。(9月22日放送)最終審査に残った応募者は8名。(※2)なんとその中の3名が宮城県からの応募者である。あからさまである。これではどう転んでも宮城県出身者のメンバーが誕生する確率は85%以上、つまりほぼ確実ということになるからだ。(※3)まあこれ自体は悪いことではない。ここで悪し様に叩くつもりはまったくないのだけれども。それにしても、モー娘。を10年以上見続けてきて、さらに2005年にこっち(仙台)に引越ししてきてから、モーニング娘。のメンバーが合格する以前に歌ったり踊ったりしている現場に遭遇するという可能性が自分の身の上に起きるとは夢にも思わなかったね。一緒に「ハロプロTIME」の録画を見ていた奴が「この子っすよ、このあいだ泉の○○で出てきたドロシー…いうアイドルグループで踊ってた子…」と言って指差した画面の端っこのほうに映っていた石田なんとかという小さな子(中二だとか)(※4)を見て、自分も「ああ…いたかもしんないねぇ…」と思わず呟やいたときに、ふとそんな感慨があった。(※1)美女学 0224放送(11.02.25の記事) (※2)最終選考に残ったのは10名だったがうち2名が辞退して8人になったという説明がなされていた。(※3)確率論に関する記述は長くなるし、最後に付け加えたとおりで余り意味のあるものではないので削除した。[※4]仙台発の地元密着アイドルユニット「ドロシー・リトル・ハッピー」というグループ。長い名前が覚えられなくなったね。この子の名前は石田亜佑美、ちなみに中二ではなくて中三だそうだ。他は田中風花(たなか・ふうか)中二、村上咲楽(むらかみ・さら)中一で計三名。田中もまたドロシーの研究生という扱いのようだ。もちろんもう辞めたということなんだろうが。【追記】9月29日、オーディションの結果発表があった。4名が合格になり、うち1名が宮城県からの応募者。やはり、上で書いた石田亜佑美さんが晴れてモーニング娘。のメンバーとなった。これは9期メンバーのときにも書いたことだが、今この時期にモーニング娘。のメンバーになるということは決してこれから明るい未来が約束されたということと同義ではない。それこそ自分の未来は自分で切り開かなければなにも始まらないし、決して安住の場ではない。そういう意味では、同年代の子となんだ変わりはないわけで、だからこそ自分は安易な「おめでとう」の言葉は使いたくはないの。
2011年09月26日
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3.11の大震災以降、自分や自分の周囲で、なかなか気がつきにくい、些細なことやいろいろなことが実は大きく変化していたりする。こころの問題としてだ。たとえば、これはつい最近のことだが、震災後長らく行動をともにしてきた仲間のひとりが背中(首のうしろ)と腕にタトゥー(刺青)を入れたことを知った。これがもし震災以前のことだったら、「何やってんだよ、いい年こいて…」と冷かしのひとつでも入れるところだろうが、彼とずっと行動をともにしていろいろなところでいろいろなものを見てきた自分は、すぐに「ああ、そうだよね…」と彼がタトゥーを入れた理由を理解することができた。皆怖いのである。やっぱり。もちろん、自分もだけれど。これも最近になってのことだが、長らく行方不明だった親戚のひとりの消息が判明した。しかも判明した時点ですでに「東京で火葬済み」という状態だった。それをはじめて聞いたときには、悲しみよりも先に、まるで絶壁から谷底を覘いたときのような恐怖を感じてしまったのだ。恥ずかしいことだけど。もちろん誰のせいでもない。誰が悪いというのでもない。万人単位の死者が出てしまう地震と津波、つまり震災とはこういうことなのだと受け止めるしかない。しかし、こういう悲劇であるとか、悲しい現実というものにいくつも遭遇してしまうと、せめて自分の肉体に一見して誰にでもすぐにわかる「アイデンティティ」というものを施しておくというのも、最悪の場合には小さな社会貢献になるのではないのか、みたいなことも考えてしまうのだ。まあ自分はタトゥーはダメだけど。代わりにといってはなんだけど、「軍隊みたいな『認識票』をつけようかな…」とか、いろいろとこころが傾いている。
2011年05月26日
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例の不正入試事件に関すること。犯人が仙台在住の予備校生だったということで、それまで自分の中では世間で起きているさまざま事件のひとつでしかなかったこの事件が、なにか突然に身近で起きてしまった事件であるかのような錯誤感に襲われている。もちろん全然身近でもなんでもないということだけは変わらないのだけれども。自分の知り合いの中には、この犯人の予備校生と同じ予備校に通っていたという人間も結構いるからね。(広い意味で自分もここのOBと言えるし)というか何故そんなことがわかるかというと、その予備校の前を通過したとき、いつもとはまったく違う人だかりができていて、大きなカメラをもっているという「明らかにマスコミ関係者」にしか見えない連中が、我がもの顔でうろちょろしていたりするからだ。なかには信号を無視して歩道横断の分離帯に入り込んで撮影していた連中もいたという。自分はこの手の連中が犯罪者にならないのはちと不公平だなとかそいうことまで考えていた。はなしを戻すが、いくら犯人の予備校生が仙台に在住だとしても、だからといってこの事件はやはり自分の身近で起きた事件では決してない。そこは本質的にはまったくかわらない。変わっていない。では何故そのような錯誤感に見舞われるかというと、そう、やっぱりこれもまたマスコミの報道があってそのように思い込まされているからに過ぎないんだと思う。で、そこのところを履き違えると、今ネットにあふれかえっているような、この事件と自分の関係というもの勘違いして書いているひとたちと同じ過ちを犯すことになるのだろう。それだけではない。テレビの報道にもずいぶんひどいのがあったよ。自分だって全部が全部に目をとおしたわけでもないしチラっと見ただけだけなんだけど、中には「それとこの事件どんな関わりがあるんだよ」といいたくなるような無理矢理なものもあったのは事実。しかもそれがまたフジテレビだったりするからねぇ。こいつら全然懲りてねぇな。※ この記事は別ブログの記事と重複しています。
2011年03月04日
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昨年の12月の記事でチラっと触れたハリウッド製忠臣蔵映画の製作発表がロンドンで開かれた。やっぱり本当だったんだね。監督を務めるカール・エリク・リンシュCarl Erik Rinschという人、聞きなれない名前だと思っていろいろ調べてみたのだが、まだ長編映画経験のない新人でこれが映画監督デビューとのこと。また公開予定の「エイリアン5」や、リメイク版「2300年未来の旅 ローガンズ・ラン」の監督とも目されていた期待の新人のようである。プロデューサーにはリドリー・スコットかトニー・スコット兄弟のどちらかが担当するのではないかとも言われていたが、これに関するアナウンスはまだされていないようだ。
2011年03月02日
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『笑っていいとも!』がキムチ鍋に続いてプルコギピザまでも1位に!このハナシを聞いたときはおもいっきり笑った。いろいろと感じることはあるが、まず第一番目はなんといっても「プルコギにピザは合うのか」ということだろう。もし「合う」のだとしたらそれはもう韓国料理でもなければもちろんイタリア料理でもなく日本発の「無国籍料理」となる。それだけのことだ。自分が「笑った」のはキムチ鍋に続いてプルコギピザまでもの絶妙なセンテンスの間みたいなものだろうか。「続いて、なのか」みたいな。さて真面目なハナシをしようか。なんでテレビはこのような浅はかな捏造を繰り返さなければならないかということだ。おそらく、それは来来年以降、民放テレビ局が放送収益だけではもう成立しないということを自らがよく知っているからにほかならない。TBSなんて表向き黒字ではあるが内実は皆さんよくご存知の通りで、関連する不動産事業部門の収益だけで成立しているようなものだ。フジテレビも例に漏れずで、事業の柱となるものは所有するコンテンツ・映像ソフトであると早々と決断を下し、渋谷恵比寿に「KPOP専用劇場」なるものを建設したりとその軸足を確実に「放送」から移しつつある。それにしてもだ。んーこういう嘘が悲しいのは提供協力をしてくれた会社、企業の顔にドロを塗りたくることになるのだということをテレビ番組製作の当事者のアタマの中からすっぽりと抜け落ちていることだろう。いや、実は昨日の昼時隣の席の人間がピザハットからピザを注文してたのだけれど、届けてくれたお兄ちゃんと話をしていて『アレ、ホント困りますわ 電話とかでも嫌味ばっかり言われているみたいで…』と顔をしかめて語っていたからだ。だよなぁ。同情するわ。
2011年03月01日
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長年ニューヨークに住んでいる日本人の知り合いがいる。その知り合いから相談を受けた。外国人に今の日本の政治状況を説明するのに的確なたとえはないかというものだった。彼のところに仕事やらなんやらで今の日本について公平な判断を求める外国人からの問い合わせが来て正直返答に困るとか。この日本にいて現在の政治状況がよくわからない自分が外国にいる日本人に対して的確な返答ができるとは到底思えないのだが。むしろ逆だろう。こっちが知りたいくらいだわ。一口に外国人と言っても、ヨーロッパと南米そしてアメリカ・カナダのいわゆる北米ではかなり温度差があるみたいだ。たとえばフランスの人なんかは割りと現在の日本の政治状況というものは(皮肉交じりではあるが)的確に見ているようだ。おそらくはフランスという国が中道左派政権がどういうものかを身に染みてよく知っているからだろう。ドゴールの死後、ポンピドゥー(ジスカールデスタン)そしてミッテラン、シラクそして現在のサルコジと政治の軸を微妙に左右にいったりきたりしているフランス人ならではの独特で的確な現在の日本の政治(民主党)評がそこにはあるような気がする。というか多くの知日フランス人から見ると、この日本の民主党政権はまぎれもなく「中道左派政権」に映るらしいのだ。もっとはっきりいうと「出来損ないの中道左派」である。目指しているものは「左派」なのだけど力(求心力というべきか)が及ばず、党内がふたつに割れて「なんとなく中道」でも重心は「左側」状態みたいな感じなのだとか。なるほどね。そしてそんな知日フランス人もよくわからないのが「モーニング娘。」に対する(日本)国内での低評価(シーデーが売れない)なのだそうだが。実際自分もフランス人(カナダ人かも)と思われる人から「モーニング娘。」や「Berryz工房」「℃-ute」に関する質問がきたりすることはあった。というかなんで今ヨーロッパや北米でモーニング娘。は(我々日本人が考える以上に)評価されているのだろう。むしろそこが自分にはよくわからない。向こうのほうが10年遅れているってことか?予算関連法案、年度内不成立の影響(アンケートでついに70%の人が菅内閣解散と総選挙を望むとの結果がでている)http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK054011020110228[ロイター発]
2011年02月28日
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必要があって仙台の東のほうにある大型ホームセンターに行った帰りに同行の人間が「ちょっと寄ってみたい」と言い出したのでそのHC近くにあるリサイクルショップに立ち寄った。土曜日だというのに客はまばらで比較的落ち着いて店内を見て回ることが出来た。中古の液晶テレビがかなり安い価格設定で売られていた。40型でも六万円とか七万円台とかざらなんだもんなぁ。もうひとつ目を引いたのが、20インチ程度の小型液晶テレビだと、それこそ国内メーカーのものでも二万以下のものがあったりすることだ。中でも自分が気になったものにM社製19インチの「新古品」15000円というのがあった。もちろん地デジチューナー内蔵で、BS・CSデジタルとアナログの地上波チューナーまでついていてだ。倍速デジタルでこそないが、LEDバックライト搭載のまあ最新スペックといってもいいような機能のものである。店員さんに「ずいぶん安いんだけどなんか理由でも」と聞いてみると「ハコが潰れていて、取扱説明書マニュアルがないのと保証期間が3ヶ月なことぐらいですね」という答えが返ってきた。よく考えるとちょっと「?」な感じの返答なのだが。同行の人間が用を済ませたと見えて二階から降りてきてそのままその店を後にしたが、車中でその話をすると「あー、ここに来て液晶テレビはどこもかも値崩れしてるね。中古もその影響受けているからでしょう」みたいな返事がかえってきた。一度そいつの家に行ってパソで念のためにネットで最近の液晶テレビの価格事情を覘いてみた。海外メーカーのものはさておくとしても[註]国産のメーカー製品でさえ前年同月比で見ると30%近く値下がりしている状況であった。発売日(2010年10月)からすると先ほどのリサイクルショップにあったのと同じものと思われるものの価格変動表をみると当初40000円くらいだったのが現在は28000円までに落ちてしまっている。しかも3月31日まではエコポイントが4000ポイントついてくるのでその分を差し引きをすると「新品でも24000円」というのが現在の市場での評価額となるわけだ。なるほど、そうなるとリサイクルショップでおいてあった新古品が「15000円」というのもうなずけることになる。にしても安いなぁ。10年前まではこの大きさならば10~15万はしていた液晶テレビが5分の一にまでなるんだもん。ちなみに昨日の日曜日、あまりに気になってそのリサイクルショップをもういちど覘いてみたらすでに売り切れたのだろう、なかった。なんとなくホッとした。何故ホッとしたのか自分でもよくわからないが。実はここだけのはなし、自分は1万5千円を持っていったのだけれど。[註]テレビとレコーダーに関してはどんなに安くても海外メーカー製品は薦められない。ほとんどの場合、リモコンが一台で兼用できなくなるからだ。共用可能な第三のリモコンってのもあるが、そういうのを使うと今度は機能制限の問題で「三台のリモコン」をそばに置かなければならなくなるという悲劇が待っている。
2011年02月28日
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知り合いの家でたまたま見ていた。有線放送のテレビ東京の番組。新規加入のモーニング娘。第九期メンバーの初のレコーディングの光景。自分が「おやっ」と思ったのはエッグから急遽昇格した譜久村聖(ふくむら・みずき)の仕草だった。左利きだからである。自分もそうだからよくわかるのだが、左利きの人間はテレビや映画に登場する人間の利き手に非常に敏感である。一緒に見ていた人間に尋ねると「そう彼女左利き」という。自分の記憶に間違いがなければおそらく歴代29人のモーニング娘。メンバー初の左利きということになる。いままでそれっぽい人間もいたことはいた。藤本美貴が在籍期間中に時折見せる斜め上を見上げるときの目の動きは右利きに矯正された左利き特有の症状そのまんまである。彼女の凶暴な性格を分析するのに、この矯正された左利き説、説得力があると思うのだが。いや、そりゃいくらなんでもないか(笑)。ほかにも、モーニング娘。ではないが、Berryz工房のキャプテンの清水佐紀も瞬間的に反射的に手を出すときに左手を出したりすることもあるので彼女は左右両利きなのではないかと自分は見ている。本題に戻る。それにしても新規加入でボイストレーニングもまだままならない彼女たち9期の四人をいきなり本番のレコーディングに参加させるというのも考えてみるとずいぶんと過酷なことだと思う。それでもそれをさせておかないと後から(コンサートで)ツケが回ってくることになるわけだからやむをえないことなのだろうが。興味深かったのはレコーディング終了後に届けられた自分らの歌の入った仮トラックを4人全員で耳をそばだてていたシーンだった。ほかの三人が楽しそうに聞いていた中でたったひとり譜久村聖だけが涙していたからだ。こういうところはなんとなくだが変則加入(昇格)もまたありなのかもしれないと自分が考えを改めたところでもあった。聞いたはなしだがこの「美女学」という番組、今まではテレ東系で地上波の番組しかなかったが、3月だか4月からはテレ東系のデジタル衛星放送BSJAPANでも見られるようになるとか。まあこれをどう捉えるか非常に難しいところでもあるのだが、この番組を見られることを喜んでいる層は確実に存在する。それは確かなことだ。【送料無料】[枚数限定][限定盤]まじですかスカ!(初回生産限定盤A/DVD(PV別バージョン+譜久村 聖ソロインタビュー)付き)/モーニング娘。[CD+DVD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】
2011年02月25日
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前に一度チネ・ラヴィータのレイトショーで見たのだけれど、これは「字幕で失敗したな」という気がしてしまった。とにかく冒頭から登場人物皆が早口でしゃべりまくりなものだから字幕が全然アタマの中に入ってこずに、後半になってからやっと面白くなったという感じ。二度目は吹替版を泉区にある某シネコンで見たのだけれどもこれも失敗。とにかく吹替の出来がよくない。結局、字幕版を見るのが正しかったようだ。いろいろと考えてしまった。このソーシャル・ネットワークという「映画」に吹替の需要はあるのだろうか、とか。ストーリーであるとか内容のほうはウィキであるとかほかのサイトでご覧下さい。感想をひとことで言えば記事タイトルのとおりでよく出来たフィクション映画といったところである。実在する人物を利用して映画向けに組み替えたフィクションストーリーといったところだろうか。世界最大のSNSとなったfacebook-フェイスブック-の創業者マーク・ザッカーバーグとビジネスパートナーの大学時代からの友人たちのサクセスストーリーと、その後訴訟合戦にまで発展した青春裏切り物語なのだけれど、自分がなるほどねと頷いたのはむしろ主人公ザッカーバークの趣味の悪さというものを映画を作る側が露悪的に描いていることだった。たとえばファッションセンス。とにかく着ているものがどこかダサい。付き合う女の子も、なんか傍からみると「なんでよ?」といいたくなる、まあなんていうのか実にマニアックな趣向の持ち主として描かれている。一方、ザッカーバークと対立を深める兄弟は典型的お金持ちのお坊ちゃまとして描かれていたりして、このあたりの対照というもの、人物像の描き方が映画のストーリーに妙なリアリティを与えている。ただ困るのは、こういう「奇妙なリアリティ」に釣られてしまったということなのかもしれないが、テレビやそれこそネットなどでこの映画を見ただけで「facebook」というものを理解したような気になって喋ったり書いたりしている人が結構いたりすることである。このあいだの日曜日放送していた宮根誠司司会のフジの番組は酷いものだったな。念のためにこれは強調したほうがいいだろうね。この映画はドキュメントじゃなくてあくまでもフィクションですからと。まあ映画のほうはそこそこ小気味のいい終わり方をしたが、現実のほうはそうはいかない。それどころかfacebookというものの現実世界に及ぼした影響力はとどまるところを知らず、ついには一国の政府を倒したその原動力といわれるまでになってしまった。むしろドキュメント映画として自分がみたいのはそっちの方かもしれない。85点 (字幕) 121分
2011年02月25日
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前にこの店の前を通ったときにそれっぽいお知らせが出ていたので驚きはしなかったが、なんにしろ「早いなぁ」というようなそういう印象。昔東京にいたときには何故か渋谷の店によく行っていた。やはり「味がかわったな」と誰でもわかるようになったころから足が遠のくようになってしまった。この仙台の店は新会社になってから店内をカフェスタイルにして、おしゃれな内装や演出で頑張っていたのだけれど、やはり肝心のカレールーの味だけは元に戻せなかったようだ。残念である。あいたこの場所に次どんなテナントが入るのかはよくわからないがこうなってくると、レストラン、食の店は入りにくいのではないのだろうか。四月までには新しいテナントがはいるだろうといわれているのだが。
2011年02月17日
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売れないDVD 洋画は4分の1に 地デジに画質負け映画の興行収入が国内で過去最高の2207億円を記録する中、DVDビデオの売り上げが減少している。DVDの画質を超えるハイビジョンの普及や不況の影響などが理由で、洋画DVD(販売用)に至っては5年前の4分の1。このため「洋画の買い付けや邦画制作費をDVDで回収する」という図式が崩れ、芸術性の高い洋画の劇場公開が見送られたり、邦画の企画が製作中止となったり、映画界にとって深刻な事態となっている。(岡本耕治) 日本映像ソフト協会(JVA)によると、昨年1年間のDVDビデオの売り上げは、販売・レンタル用を合わせて2203億円(速報値)。ピークの平成17年(3477億円)から5年連続で減少し、6割にまで落ち込んだ。次世代メディアのブルーレイディスクは473億円と前年のほぼ倍だが、映像ソフト全体に占める割合は17・7%で、DVDの落ち込みを支えるほどの成長は見せていない。 特に販売用の洋画DVDは16年には840億円だったが、21年には202億円と4分の1に。レンタルも7割に落ち込んだ。22年分は3月に発表されるが、下落が続くのは確実だ。 JVAは背景として、(1)「DVDで手元に置きたい」と思わせる作品が減った(2)ハイビジョンテレビが普及し、DVDより地上デジタル放送の映画の方が画質が上になった(3)安売りをやりすぎて映画ソフトが値崩れを起こし、客が離れた-の3点を挙げる。20年9月の「リーマン・ショック」以降の不況で、DVDは家計出費の“削減対象”となっている事情もありそうだ。 販売用DVDの売り上げは12年(19)ごろから急速に伸び、映画界ではその利益を見込んで洋画を買い付け、邦画を製作する体制が生まれた。しかし、DVDの不振で、今は劇場公開時の収入だけで全てを回収する必要がある。ある映画関係者は「洋画の極端な買い控えが起こり、一昨年のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作『白いリボン』ですら底値でようやく買い取られた状況。邦画も製作中止に追い込まれる企画が激増している」。 現状打開に業界は、ブルーレイの普及に期待をつなぐ。しかし、「ブルーレイソフトの急速な普及を望む洋画大手が、DVDのときと同じく、短期的にしか結果が出ない安売り攻勢に出ようとしている」との観測もあり、前途はやはり多難のようだ。産経ニュース 2011/02/15http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110215/ent11021523100014-n1.htm現在DVDという名前で製造販売されているものの規格が制定されたのは1994年ころ。このころ自分はDVDの規格制定会議のメンバーに名を連ねている某氏と知り合いだったのでいろいろとはなしを聞かせていただいていた。それでよく覚えているのだけれどもDVDの規格制定を急がせて現在のものになったのは実は映画会社(メーカー)からの強い要請というかはっきりいって横槍が入ったためである。彼らが何を考えていたかというと(その方の話では)規格の制定を急ぐ理由だが、はっきり言えばレンタルビデオ店潰しだというのだ。映画メーカー側の言い分が「レンタル店が(半分以上)なくなれば自分らの利益がちゃんと還元できるようになる」とか。だからその1994年当時ビデオレンタル店の店長だった自分はものすごく憤慨したし、新しく決まった規格に対してはひどく落胆させられた。実際、彼らの思惑は半分は正しかったし、そのとおりになったと言えるだろう。ビデオレンタル店の新店が激減し、逆に閉店廃業する店が上回ったのも丁度この直後のはずだ。しかし、現在のDVDが売れなくなった状況、DVD不況を招くその最初の「原因」をつくったのもまた彼らメーカーの思惑が甘かった(半分間違っていた)からだ。単純に言えば、映画会社、メーカー側にDVDの粗製濫造を許してしまった時点で、現在流通しているDVDソフト、DVDプレーヤーは早かれ遅かれいずれは衰退する運命にあったといっていい。だからもし「DVDが売れない」と悲鳴を上げている映画メーカーがいるとしたら「そりゃ自業自得だよ」と言ってやりたい気持ちだ。心の奥底に残っていた当時の記憶が蘇るからである。DVD規格制定までの経緯に触れているhttp://ja.wikipedia.org/wiki/DVD
2011年02月16日
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仙台市中心部 定禅寺通の遊歩道からの眺め。最近携帯電話を変えた。どうにも、この新しい携帯になってから電波が届かないことが多くなったような気がする。不意に切れたりすることも多い。この日も気づいていたら定禅寺通りのどまんなかで立ち止まって電話していた。そのまま向こうからの第二伸の電話を待ちわびてぼやっとして正面を見る。なんとなくデジカメで撮ってみたのがこの写真。ベンチに腰掛けてからバッグの中を見ると昼にコンビニで買ったおにぎりがあった。昼からなにも食べてないのでその場で食べた。不思議と人の目が気にならなかった。実は自分はこの定禅寺通りのこの場所が好きではない。なんか象徴的に嫌な出来事ばかりがこの場所でこの身の上に起きているからだ。二十数年前、二日町からこの通りを駅方面まで当時交際していた女性と歩いているときに向こうから突然別れを切り出されたこともあった。「どうしても実家(千葉)に帰んなきゃなくて」という理由で。また、ちょいと危なさそうな二人組と揉め事になってこの遊歩道を猛ダッシュで逃げまくったことなども思い出される。全然懐かしくもなんともねぇ。警察官から職務質問をうけてあやうく無実の罪でしょっぴかれそうになったこともあったなぁ。電話で用事を済ませてベンチ立ち上がってこれからどうしようかと考えをめぐらせ、ついさっきまで自分は「キリンジ」という「つけ麺」の店に立ち寄ろうと思っていたことを思い出したが、おにぎり二個でほとんど満腹状態。やっぱりついてねぇ。サイモンとガーファンクル「冬の散歩道」Time, time, time See what's become of meWhile I looked around For my possibilities I was so hard to please But look around Leaves are brown And the sky is a Hear the Salvation Army bands Down by the riverside It's bound to be a better ride Than what you've got planned Carry your cup in your hand And look around Leaves are brown NowAnd the sky is a hazy shade of winter Hang onto your hopes, my friend That's an easy thing to say But if your hopes should pass awaySimply pretend That you can build them again Look around The grass is high The fields are ripe It's the springtime of my life Seasons change with the scenery Weaving time in a tapestryWon't you stop and remember meAt any convenient time?Funny how my memory skips While looking over manuscripts Of unpublished rhyme Drinking my vodka and lime I look around Leaves are brown NowAnd the sky is a hazy shade of winter Look around Leaves are brown There's a patch of snow on the ground ...
2011年02月15日
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お笑い芸人の山里亮太(南海キャンディーズ)がラジオ番組で、かつて売り出しの頃先輩芸人(品川祐)にうけたイジメをネタにしたところ、その反響が大きくなり過ぎて、品川がツイッターを閉鎖したりの騒ぎになっている。この「山里=品川事件」の場合、事件が大きく膨らんでしまったその原因だが、端的に言えば「品川嫌い」の潜在層が多かったということだろうな。品川嫌いの人だが、自分もその理由は頷けるところがある。単純に言えば、この品川祐、テレビなどのマスメディア露出量に比較するとおそろしいくらいつまんないことしか言わないんだもの。小説がつまらないとか監督した作品が酷い内容だったとか、あるいは「家電芸人」を気取るわりには知識が浅いとか情報が古いとか間違っていたとかを指摘してそれを「品川嫌い」の理由として挙げている人もいたけれど、そんなの所詮あとづけだろう。品川祐がここまで叩かれる一番大きな理由、それは本業のはずの芸人のフィールドでの実績に問題があるからに他ならない。つまり、単純に言えば「芸人」としては「山里(南海キャンディーズ)のほうが品川祐(品川庄司)よりも数段面白いだろうと感じている人が多かったということなのではないのか。また、今回の騒ぎでの品川の対応も芸人として見た場合は最低の部類のものでしかなかったしね。そういえばこれは少し前のことだが、倖田來未がやはり深夜ラジオ番組で発言したギャグが高齢女性に対する蔑視と取られて本人が謝罪したりCMを降板したり休養に追い込まれたりしたことがあった。そのときの騒ぎと似てなくもない感じがする。責任の所在と処理の方法が決定的に間違っているということを含めて。
2011年02月11日
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モーニング娘。卒業メンバー10名が、新グループ「ドリーム モーニング娘。」を結成。春のツアー開催決定を記念して、本日1月28日に東京・中野サンプラザでファンや報道陣を招いてのお披露目イベントを行った。「ドリーム モーニング娘。」は、中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、石川梨華、吉澤ひとみ、小川麻琴、藤本美貴、久住小春からなるグループ。新加入と卒業を繰り返して進化を続けるモーニング娘。の歴代メンバー10人が揃った、文字どおりドリームチームの誕生だ。本日からちょうど13年前、1998年の1月28日にモーニング娘。はシングル「モーニングコーヒー」でデビューを飾った。グループにとって重要な意味を持つこの日を、彼女たちはあえてお披露目の日に設定。ファンクラブ会員500名の前に現れた10人は大歓声に迎えられながら、1999年発表のミリオンヒットナンバー「LOVEマシーン」を熱唱した。ライブ後のトークコーナーには、プロデューサーつんく♂も映像ゲストで登場。グループ誕生のいきさつについて「なによりファンが待っていたから」と話し、「今後のメンバー増員や脱退は?」との問いには「メンバーになるにはまずモーニング娘。に入って、卒業しなきゃいけない。名球会みたいなもんやから(笑)。でもあまりにもワガママなやつは、卒業もあるかも」とメンバーにハッパをかけた。彼は「ドリーム モーニング娘。が、再出発というより……始動します」とあくまで“ドリムス”が新しいグループであることを名言。「もしかしたら時代とマッチして旋風を巻き起こすかも」と彼女たちに大きな期待を寄せているようだ。ちなみに、初代モーニング娘。リーダーの中澤は37歳、そして最年少の久住小春は18歳と、その年齢差は19歳。平均年齢およそ27歳の“新人グループ”となるが、安倍なつみは囲み取材の席で「再結成ではなく新しいグループなので、新人賞を狙っていきたい」と力強く宣言した。盛り上がるアイドルブームの渦中で、彼女たちがどのような活躍を見せてくれるのか注目しておこう。ドリーム モーニング娘。は、まず4月20日に1stアルバム「ドリムス。(1)」を発表。このアルバムにはモーニング娘。の楽曲のリテイクバージョン、そして待望の新曲も2曲収録される予定となっている。そして4月23日より、全国ツアー「ドリーム モーニング娘。 コンサートツアー2011 春の舞 ~卒業生 DE 再結成~」がスタート。さらに秋の全国ツアー「秋の舞」も決定しており、春と秋あわせて全20カ所・計40公演が行われる。http://natalie.mu/music/news/44214こういうニュースはむしろなかったことにしたいくらい。「どう思いますコレなんか?」と水を向けられて、自分は深く考え込んでしまった。例としてこんなこと持ち出すとかえってややこしくなるかもしれないが、二十数年前、ロックバンド「イエス」在籍メンバー一同でバンドを組んでツアーを行うというニュースを耳にしたときとなんか同じような重いものを感じたのだ。アレだ。「無駄じゃね?」みたいな。こうして並んだ面子を見ると、いやイエスじゃなくてモーニング娘。OG の皆さん方のことだが、ひとりひとりについては特にどうこう思わないが、うちふたりとか三人が並んでいるのを見ると「ここらへんの調整はつかなかったものだろうか」とかつい考えてしまう。たとえば、飯田圭織と藤本美貴、このふたりははっきりいっていらない。理由は既婚者だから。[追記]同様、保田圭と小川麻琴のふたりも、どちらかひとりでよかった。少し事情は異なるが、久住小春の参加も「ついこのあいだ卒業したばかりじゃねぇか」という反発を招きそうだな。単なる同窓会的なものならばどんなメンバーで来ようがこちらも鷹揚な気分で見れたかもしれないが、固定メンバーで新曲のリリースもするグループ活動を考えているというのならばそのくらいの厳しい人選はしてほしかった。たとえばここからこの10人でオーディョン合宿を行って半分まで人数を絞り込むとか、インディーズレーベルからCDを出してそれを手売りで捌いて5万枚達成したらメジャーデビューさせるとかそういうセルフパロディ的な踏襲があったら、もしかして自分もノレたかもしれないのだが。[追記]そのままだとまるで既婚者差別に聞こえるかもしれない。しかし、そういうことではない。参加予定者の中に辻希美の名前があって「育児中のために参加見送り」となっていたからだ。これからそうなる可能性のある既婚者ははじめから除外したほうがいいだろうということ。もし本気で固定メンバーで活動を考えているグループならば。というか「飯田にしても藤本にしてもなぜソロ活動じゃあかんのやろね?」という疑問が噴出するだけだろう。
2011年01月30日
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日本サッカー協会は27日、アジア・カップ準決勝(25日)の日本戦で韓国のMF奇誠庸が得点後にサルのまねをして「日本人をばかにした」との批判を浴びている問題で、韓国協会に正式な抗議をしないことを明らかにした。日本協会が韓国協会に対して本人への聞き取り調査を依頼したところ、奇誠庸は「あのパフォーマンスは日本人に対してではない。(所属クラブの)セルティックでプレーしていて、相手のサポーターからサル呼ばわりされている。そういう差別発言をする人たちに向けてやった」と釈明したという。日本協会は韓国側から「結果として日本の皆さんに誤解を与えることになり、申し訳なく思う」と謝罪の意が伝えられたことも明かした。 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/headlines/20110127-00000031-kyodo_sp-spo.html サルのまね韓国選手処分も/アジア杯韓国代表のMF奇誠庸(キ・ソンヨン、22)=セルティック=が、国際サッカー連盟(FIFA)から処分を受ける可能性が出てきた。奇は25日の日本戦の前半23分にPKを決めた後、カメラに向かって頬を膨らませながら左手で顔をかくなどサルのまねをした。 奇は26日に短文投稿サイト「ツイッター」で、観客席の旭日旗を見て「私の胸中で涙が流れた」と説明し、その5時間後に「私は選手である前に大韓民国の国民だ」とコメント。日本人に向けて意図的に人種差別的なパフォーマンスを行ったことを事実上認めた。26日付の中央日報(電子版)は、旧日本軍が旭日旗を使用していたため、怒りを抑えられなかったとみられると指摘した。 奇はMF中村俊輔(横浜M)も所属していたスコットランドプレミアリーグ・セルティックに在籍。サルのまねは白人が東洋人などを侮辱する際に使うことが多く、FIFAがこれを人種差別行為と認めれば、何らかの処分は避けられない見通し。自身もスコットランドで人種差別行為を受けたことがあり、韓国では「軽率な行動」と批判する意見も出ている。http://www.sanspo.com/soccer/news/110127/scd1101270503001-n1.htm最初にこのニュースを見たとき自分は何が問題なんだろうと首をひねった。サッカーの国際試合で韓国の選手が相手を屈辱するポーズをとるぐらいはいつものことだろう。目くじらを立てるようなものでもあるまい。そう思っていた。ところがこの問題は意外な方向に飛び火したようで、ここらあたりでこのニュースを知ってしまったものだから自分は混乱してしまったようだ。サッカー韓国代表のMF奇誠庸選手の「サルまね」問題で、テレビ朝日が27日の情報番組 「ワイド!スクランブル」(午前11時25分)で「奇選手が見た観客席の旭日旗」として 紹介した写真が、別の試合のものだったことが分かり、同局は28日、同番組で寺崎貴司アナウンサーが訂正し、視聴者に謝罪した。 テレ朝によると、27日の同番組では、韓国のテレビ局SBSが報じた旭日旗の映像写真を フリップで紹介。 しかし、写真は昨年6月19日のサッカーW杯南アフリカ大会日本対オランダ戦での観客席の様子だった。同局は「内容確認が不十分だった」としている。 この問題では、奇選手は当初、サルまねをしたことについて観客席の旭日旗を見て「胸中で涙が流れた」などとツイッターで説明。韓国紙の中央日報は「旧日本軍が旭日旗を使用していたため、怒りを抑えられなかったと見られる」などと報じていた。 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110128/scr11012814040012-n1.htmようするに韓国の選手がついた嘘に韓国と日本のテレビ局がさらにそれを上塗りする嘘をついたということだろう。これもね、いつも言っていることだけれども「テレビ局というものは平気を嘘をつく」そんなの当たり前のことじゃないのかと。にしても自分が笑ってしまったのはこの選手の行為を「健全なナショナリズムの範囲内」としていたコメンテーターがいたことだ。いや待てって。それじゃ弁護にもなんにもなってないしむしろ韓国国民に対する屈辱行為になっていることにそのコメンテーターは気がつかなかったのか。コメンテーターの川村晃司のコメント(動画)http://www.youtube.com/watch?v=bydVppA3zm8#t=7m35sこのヒトの言う「健全なナショナリズム」ってのはなんのことなのだろうか。実に不可解すぎる一言だった。当然、じゃこの人にとっての「健全でないナショナリズム」とはなんなのか、とかも考えてしまった。思うに、これは「ナショナリズム」の問題なんかではないということを、おそらく川村本人も知っていながら、問題追及の矛先をかわすためについたいわゆる「やさしい嘘(麻木用語)」のたぐいなんだろうと自分は推理している。全員が嘘をついてしまうと嘘の中の嘘が本当のことに見えてしまうというまるで「嘘つき村のパラドックス」みたいして、このニホンでは「嘘」が事実として堂々とまかり通ってしまうということの恐ろしさだろう。選手も選手なら韓国の放送局もそうだし、それらの言い分を丸呑みして「事実」として放送してしまう日本のテレビ局とその局お抱えのコメンテーター…んー、なんかわかりやすい図式だなぁ、これ。こういうことがあるから自分は「テレビの人の言うことなんか本気にすんなよ。自分のアンテナで情報収集をしよう」と呼びかけたくなるのです。ああわかりにくかったですね。すいません。要するに、川村が言っている「韓国の健全なナショナリズム」ってのをそのまま解釈・理解しようとすると「韓国人は平気で嘘をつくってこと」になるだろうということです。これが「嘘の嘘は事実」になってはいないのかということね。
2011年01月28日
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通常国会がはじまったというのに大の大人が集まってする話題じゃねーだろうと思いながらも、モー娘。関連の話題だとどうしても吸い込まれてしまう自分が情けない。「もう六年も前のことになるのか」という感じだが、2006年に行われた第八回モー娘。追加メンバーオーディションで最終選考まで残りながら落選したひとりがこの吉川友だった。パターンとしては藤本美貴のソロデビューとよく似ている。当時はそんなにも深く考えたことはなかったが、友人のひとりで、モー娘。に対して情熱を傾けていた東京時代の知り合いが「(吉川という子を)落選させるなんて見る目がねぇ」とエラく憤慨していたのをリアルに思い出してしまった。その後、彼女はその才能を惜しまれてハロプロの育成機関入りをしてレッスンと地味ながらも活動はしていた。ハロプロの合同コンサートのDVDなんかを見ると、スポットライトが当たっているわけでもない吉川友に、みんな(全員が男どもです)が「何故か思わず目が行ってしまう」というのだから、やはりこの子はなにかしら人を惹きつけるものがあるんだろうな。本人の努力ももちろんそうなんだろうが、それだけではどうにも割り切れないものがあるのでこんなあやふやな言い方になるが。あと気にかかるのは、所属というかこれから吉川友が芸能活動をしてゆく上でのポジションがまだどうにもよくわからないことだ。所属プロダクションであるUFAの発表では「ハロー!プロジェクトからの卒業」というアナウンスがなされているようだし。デビュー曲の作詞作曲者のクレジットさえわかればなんとなく見えてくるのかもしれない。
2011年01月28日
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サッカーアジア杯日本代表合宿(26日、カタール・ドーハ)本田圭はマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた韓国戦から一夜明け、試合終了間際に追い付かれた場面を「持ち直すのに10秒くらいかかった」と振り返り、切り替えが難しかったことを独特の言い回しで表現した。 防げなかった理由については「一言でいえば力のなさ。うちのDFには4人そろってるだけで、崩せる気がしないというオーラみたいなのが足りない」と指摘。決勝に対しては「やれるところから1つ1つクリアして、いい準備をするだけ」と力を込めた。サンスポ2011.1.26 21:03この本田のインタビュー内容、無理矢理こじつければ、自分が「あいかわらず守備の穴が目立つ日本代表」という記事で指摘したことを本田が自分の視点で述べたということも出来るかもしれないが、本田の言いたいこととは、要するに「DFの選手ひとりひとりのせいにしちゃいかん」ということだろう。ただねぇ、なんていうのか、いただけないのはこの記事を書いた記者のセンスのほうだね。本田が述べているのは失点(二失点目)が防げなかった理由ではないだろう。そんなことくらいは本田のインタビュー個所をよく読めばわかること。本田が強調しているのはあくまでもああいう局面での(全員の)守備の重要さについてだ。それを本田は「ウチはなんかが足りない」と言っているのだと思うのだが。
2011年01月26日
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土曜深夜(日本時間)に行われたアジアカップ準々決勝のイラン-韓国戦をテレビで観た。結果はともかくもサッカーとしては酷い内容だったと言わざるを得ない。どちらにもチームとしてのまとまりはなく、中盤以降、単純な蹴り合いだけで5分を浪費するシーンが目に付いた。「これが一国を代表するチーム同士の試合なのかよ」と首をひねるくらい。冗談じゃなくて「近くにある女子高の方がチームとしては数段上だな」という感じなのだ。まあ「近くの女子高」ったって常盤木学園のことですけどね。日本代表の次の試合(準決勝)の相手が決まった。この試合の勝者の韓国である。この両者のこれまでの試合内容から「日本有利」と見ているサッカー関係者が多いのには驚いたしがっかりもされられた。「あいかわらずあっさいなぁ」というため息交じりである。サッカーがチームとしてのまとまり、技術だけで決まるものならば確かにそうなのかもしれないが違うだろう。そんなものだけでサッカーの勝敗は決まらない。ワールドカップの好成績(GL勝ち抜けだが)からか、どうも誤解をしている人(マスコミ)が多いようだが、この今の日本代表というチームには宿命的な弱点があってそれはいまだに改善されていない。それは守備意識の低さというものだ。特にこのアジアカップに臨んでの選手たちの動きを見ると「前に出ること=点に結びつく」という強迫観念に囚われているかのように感じることがある。ヨルダン戦とカタール戦で相手に取られた先制点がそれだ。それがその選手の責任とはいえないだろうが、本来いなければならない場所(ポジション)に明らかに人数が足りてないのである。もし自分がこの日本代表チームと戦うチームの監督(コーチ)だったらここをついて来るだろう。素人の自分でさえ「!」なのだから、韓国の監督も同じことをやってくるのではないか。おそらくは韓国に先制されたらこの試合九分九厘勝ち目はない。いままでのような鮮やかな逆転勝ちは望めないということです。いいですか。ここ大切なところ。試験に出ますよ。まあマスコミのバカどものことはほっといていい。いつものことだからだ。気になるのは「果たして戦っている選手たち本人は自分たちのこの欠点をわかっているのか」それだけだ。全部が全部そうだったとはいえないが、気になるのはMF本田圭祐の暗さというかプレーの精彩のなさであった。人は「不調か、それとも怪我なのか」と推理をめぐらせているようだが、案外彼のプレーを引っ張っているのは自分の後ろにいる味方選手の数がいつも少ないことなんではないだろうか。そんな気がしてならない。試合結果についてはもう皆さんもご存知かと思う。延長120分での結果は2-2のドロー。PK戦で逃げ切るという辛勝であった。このPK勝ちというのをどう評価するのかは実際難しいと思う。確かにGK川島のファインプレー続出でそれはそれで評価するべきなんだろう。しかし、くさすようで悪いが、今の日本代表をもっとも象徴するプレーは取られた二点目の取られ方だったと思う。一点目(と日本の二点目)のPKについては「論外」という感じなのでともに論評は控える。延長後半の試合終了直前に相手の運動量に耐え切れずに与えたパスミスがそのまま相手の得点に直結しているという点で2006年のワールドカップのオーストラリア戦を想起する人も多かろう。実際そうなんだと思う。基本的に日本代表の致命的な欠陥はなにひとつ改善されてはいないと捉えるべきなのではないか。もちろん自分は日本の勝ちを願う普通の日本人のサッカーファンであるから、この「勝ち」は喜んでいるが、次、そのオーストラリア相手の決勝戦となるとまたアタマとこころが痛くなるだけだ。特に「高さで勝るオーストラリア」みたいな一辺倒な表現しか出来ないマスコミ報道を目にすると、本当にある種殺意にも似た黒い感情を抑えることができなくなるのである。あんまこんなことは言いたくはないんだけど。日本人をミスリードして何が面白いんだろうね。この日本のスポーツマスコミに従事している皆さんがたは。2011.01.26
2011年01月23日
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4人前(四皿分)豆腐をすりばちですりつぶす。ここでエラい手間がかかった。選んでつかえるのならばここは絹ごしのほうを使いたいところ。すりミソ大さじ2と砂糖(上白)大さじ2程度。めんつゆ(濃縮タイプ)を大さじ2程度。すりゴマも大さじ2杯にしてみた。よく混ぜ合わせる。ここに豆板醤をほんの少量とすりおろしニンニクを小さじ1程度を加える。でここから少しづつぬるま湯で希釈してゆくのだが、味見を絶対に忘れずに。熱い湯はつかわないで、40度程度のぬるま湯にする。かき混ぜていると色が白っぽくなってくる。麺に絡むだけのつれだれとしての濃さは欲しい。最後に刻みネギと、あればカツオブシ粉を適量ミドリ色のタッパーの中身はすでにすりおろしてあるミソ。味噌汁用に結構な量仕込んである。これがあると朝の忙しいときでも味噌汁がインスタント感覚で作れるので便利です。これがあるのでつけ麺以外でも、まあたとえば和え物の酢味噌とかも簡単に作れる、はずである。作ったことはないけど。なんか「ラー油」とか映りこんでいるけどこのタレには入れていません。トッピングに今日は魚肉ソーセージを炒めてみた。塩コショウは抑えてそのかわりにこっちにカツオブシ粉をふり掛けた。ゆで卵と海苔そして炒めた魚肉ソーセージいりゴマは麺に振りかけた。豆腐や豆乳を使うのはタレのとろみを出すため。味噌も豆腐も(醤油も)まあ原料は大豆なので合わないはずがないということらしい。なるほど。豆腐豆乳ではなくてマヨネーズを使う方法が知られている。立ち上るあの独特の酸味をどう押さえ込んでまとめるか。難しいと思う。もちろん、酸味があるほうが好きだという人もいるだろうけれど。材料費(一皿)150円くらいか 内訳 めん78円(一袋) 卵30円(1個) 魚肉ソーセージ25円(一本100円)ごま(すりゴマいりゴマ)・みそ・めんつゆ・豆腐(木綿)・砂糖・カツオブシ粉・豆板醤・おろしにんにくなどは常備しているものをそのまま使った。レシピはこちら
2011年01月23日
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通販とか量販店で買ったほうがかなり安いのはもちろん知っていたが、溜まったポイントをこの際吐き出そうということで家の近くのツ○ヤで購入。ところがそこではセルのDVD単独は置いてなくてBlu-ray (ブルーレイ)とDVDのコンポしか置いてない。ここで(別の日に別のところで買おうかというような)逡巡はあったが、溜まったポイントを使うという大目的からブレることになるのも癪に触るのでその場で買った。でも、目的がDVDでオマケにブルーレイってのもおかしいよなぁ。絶対。実はBlu-rayも見れなくはないんだが、大型テレビじゃねぇし。Blu-rayの意味ねぇしみたいな感じです。まあ持ってればどこかで役に立つはずなんだけどね。でDVDだけれどもこのセットの特典映像はDVD単独のものとまったく同じ。だからDVDが目的でこのセットを買っても決してムダにはならないことは買ってから判明した。もちろん「買う」のならDVD単独の方をお勧めしますが。
2011年01月21日
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ウィキペディアこの映画の簡単な紹介。ストーリー(ネタバレなし)対象者が睡眠中に見る夢の中に入り込んで機密を盗み出すというコブ(レオナルド・デカプリオ)たちの犯罪グループは大企業社長サイトー(渡辺謙)から、サイトーと対立する大企業の次期社長に就任予定のロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィ)の夢に入り込み記憶を盗み出して新しい記憶を植えつける(インセプション)依頼を受ける。コブはミッションの成功のためにと、他人の夢の中に入り込んで夢の世界を構築する「デザイナー」アリアドネ(エレン・ペイジ)をスカウトして仲間に加える。コブたちの綿密な計画なもとで開始されたミッションは成功するかに見えたが、ロバートが実は記憶を盗まれないための防御訓練を受けているエキスパートだということが発覚して、ロバートの夢世界に閉じ込められたコブたちは全滅の危機に陥る。ミッションの成功を確認するために同行したサイトーが夢の中で瀕死の重傷を負ったのだ。もしサイトーが他人の夢の中で死んでしまうとサイトーは隔絶した深い無意識の世界に閉じ込められてしまう。この絶対絶命の危機を抱えながら彼らはアリアドネがデザインした複雑な層世界になっているロバートの夢の中のそのまた夢の世界に深く潜り込んでゆく。ストーリー構成、映像の迫力、俳優、音楽とほぼ全ての点において高い点をつけることの出来る映画である。 しかし、これを最初に映画館で見たときは「失敗した」と思った。「吹替のほうがいいよ」という知り合いの言葉を信じて日本語吹替を観たのだが、肝心の吹替のセリフがまったくダメダメだったからだ。せめて、日本語の吹替+日本語字幕で上映してくれてれば。そんな感じなのだ。その後レンタルDVDとネットカフェで見られる配信でこの映画を計二度見たのだが、それでもまだ自分は「なんとなくわかった」という程度の理解しかできていないようだ。いやぶっちゃけこの映画を一回観ただけで完全に理解できるという人がいたらそれは尊敬に値するような一種の「映画を見る天才」なんじゃないのか。負け惜しみでもなんでもなく。夢の世界の構築を自由に操れる「デザイナー」アリアドネがお戯れで世界を二つ折りにしてみせるシーン。PVでよく使われていたのでご記憶の方も多いだろう。これを映画館の大スクリーンで見るともうそりゃスゴい迫力だったわさ。まるで悪い夢でも見ているよう。というか夢なんだけど。「ダークシティ」との近似を指摘する人もいる。言われてみると確かに似ている。ジェニファー・コネリーとアリアドネを演じているエレン・ペイジもだが。残念なのは自分の映画を見て理解する脳内速度がこの映画に追いつけないことか。認めたくはないが、これは自分の老いなんだと思う。せめて最初の段階で字幕を見ていればという後悔はあった。しょうがない。DVD買おうかと。【送料無料】インセプション通販サイトでの値引率がどこもかも高くなっている。新品で2300円とか。その影響をうけてか中古市場でも価格が下がり始めてきている。今が買い時かもしれない。中には「中古なのに2300円」と「ずいぶん高いじゃん」と思ったものがあったのだが、よくと見たらブルーレイの初回限定セットだった。なんなんだそれは。「この世にはそこまで気がつくヤツがいるのか!」といいたくなるようなものすごい検証動画。Inception Music Comparison 映画インセプションの中で繰り返し使用されているモチーフ(短い曲)がエデット・ピアフの歌うシャンソンの名曲『水に流して』(原題は Non, je ne regrette rien いいえ、私は後悔していない)をスロー再生して音域を広げたものであることをつきとめている。ちなみにエデット・ピアフ自身、かつて殺人の容疑を掛けられたが裁判で無罪を勝ち取ったことでも知られている。このあたりも映画のストーリーと微妙にリンクしているのかもしれない。オシログラフで見てわかるシンクロ率市販のソフトで加工してみた(日本人)エデット・ピアフの歌でインセプションのプロモ映像http://www.youtube.com/watch?v=_D7g5dKDORA&feature=related
2011年01月18日
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内閣支持微増、21%=不支持は59%-時事世論調査http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011011400594支持率持ち直し 菅内閣は政策実現に全力を(1月16日付・読売社説)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110115-OYT1T00750.htm?from=y10「支持率38%」という数字を見たときには、これはなんかの間違いじゃないのかと思ったくらいだった。スタートした時点で約1/3しか支持されていない、そして半分以上の人が不支持を表明する改造内閣というのは聞いたことがないからだ。自分の周囲は実は割りと政治好きというか「政治の話」をするのが好きな連中が多い。それはそれで結構なこととは思うのだが、自分のような年寄りから見ると、彼らの語っている内容がどこかバーチャル的というか、まるでゲームのように政治を語っているような気がすることがある。要するに語っている内容のその背景というものが実に稀薄で「何を目的として」「何のために」が見えなくて困ることがあるのだ。「要するにおまえら、政治家のことをバカにするのが目的で単に面白がって政治を語ってないか」とか「一種のエンターテイメントとして政治のことをネタにしてない?」と感じるような連中がいるからだ。いや彼ら、そして私たち有権者が「面白がったり」「笑いのネタにする」のはまだ許された権利という言い方も出来るだろうが、許せないのは、マスコミまでもこの「政治を単に面白ネタ」にする風潮が出てきていることだ。いや本当にね、政治を語るとか言っているようなスタンスのテレビ番組報道番組のおおよそ半分は見る気が失せる。だってつまんないんだもん。エンターテイメントとして見た場合も、報道番組としても。というか、これは自分が前々から感じていることなのだが、今の民主党による政権というもの、このような「政治をネタとして楽しむ」という悪い風潮を受けて生まれてしまったものなんじゃないのかな。今回の菅改造内閣というものを一言で片付けると「ただのだまくらかし」だろう。「いざ政権をとりました。一年半やってきましたがマニュフェストとして掲げたものは実行できませんでした。でも政権は絶対に離しません。首相を変えてみました。やっぱりマニュフェストは無理みたいです。支持率は欲しいです。政治と金の問題は片付けられません。かわりに内閣の顔ぶれを変えてみました。どうでしょう」みたいな感じ。前に誰かが民主党のことを「風の谷のナウシカ」の巨神兵になぞらえたはなしをしたが[註]、今の民主党はまさにぶっ倒れながらゲロを吐きドロドロに溶けてゆくあの巨神兵そのものだ。菅内閣が、ではなく民主党がだ。ほとんどの人が菅総理(首相)の任期と民主政権は今年6月までだろうと言っているようだ。おそらく自分もそうなるんじゃないかと思っている。だが、これを自分は決してよいことだとは思ってはいない。憂鬱でしかない。この憂鬱というものを解消してくれるものがもしあるとすれば、強いていえばだが、彼らが「ごめんなさい」をして党そのものを解散してくれることくらいか。[註]2010年06月06日の記事「風の谷のナウシカを見た」
2011年01月16日
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【内閣改造】公安委員長に中野元衆院副議長 岡崎トミ子氏は問題山積で交代これはやはり朗報扱いなんだろうか。自分は岡崎委員長の退任を「ロジック=論理」的な朗報の一種だろうと捉えている。この人が何故ここまで嫌われるのかについてはいまさらのことだろう。自分も仙台に戻ってきた6年前からということだが、仕事関連やそうでないところでこの人の悪口や批判を相当に耳にしてきている。そもそもこの人の場合「公安委員長」の地位に就くことがそもそもの大きな間違いだった。そう言うしかないのでは。いや、この人が韓国で行われた元慰安婦らによる団体に招かれて、日の丸にバッテンのはいった日本国旗を背にして、日本政府に対する批判声明を出したって、それがこの人の政治信条に基づくっていうんだったら、そのことをとやかく言うべきではなかろうと思う。はっきりいえば「選んだヤツが悪い」だけのことであって。自分が醜いなと感じたのは、この人が国会でそのことを問われたときに「気がつかなかった」と言い放ったことだった。つまりこの人は、招かれた集会に到着してからずっと後ろ向きのままでいて、自分の演説の順番が来たときにはからだの向きをかえずに、後ろ向きのまま聴衆の前に歩みでて、そして自分の演説が終わったあとも、そのままずっと後ろ向きだったと主張していることになるからだ。自分の近くにそんなことを大真面目に主張する人間がいたら絶対にいやだけどね。こんなヘンテコな人を国会議員として送り出したのはどこのどいつなんだと言いたくなる。まあ宮城県民がいうことじゃないけどね。福島が産んだ昭和の名歌手春日八郎の代表曲「別れの一本杉」と「お富さん」のカップリングCD(カラオケ付き)特選・歌カラベスト1000::別れの一本杉/お富さん「死んだはずだよおトミさん」というこの曲の一節は当時日本全国でブームになった。小学生までがこの歌を歌うようになり社会問題化したという嘘みたいなエピソードがある。与話情浮名横櫛
2011年01月14日
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あれから外食する機会は何度もあるが(外では)つけ麺は食べていない。が、内食でなら何度か自分で作ってます。二度か。コメントで書いたことだけど、つけ麺はむしろ作って食べるほうが多い。もっぱらつけタレは塩でもなく醤油でもなくてゴマダレ(ごまみそ)。案外知られていないようだが、実はつけ麺のつけ汁は、ゴマダレの方が塩味や醤油よりも簡単に作れる。これは以前(四年くらい前か)別のブログで自家製のつけ麺のレシピを公開したときの、ゴマミソつけ麺のつけ汁のつくり方。その時は書き忘れたが、豆乳を使うのは実は豆腐の替わりである。でもこれ豆腐からはじめると、ミソと豆腐をすり鉢ですりおろしたりと面倒で。しかし、それをやらないとなめらかさは出ない。そこがむずかしい。だからこれは「豆腐の替わりに豆乳を代用したバージョン」になる。ミソをよくすりつぶすってのもヒト手間もふた手間もかかる厄介な手作業だが、当時(四年前)はまだポビュラーといえなかった「液状ミソ」がスーパーなどでも手軽に買えるご時世なので、そっちをつかったほうが楽だろうね。あと、マヨネーズを使うと酸味が出てくるので注意というのは「ぬるま湯の温度」に注意という意味。あまり熱い湯を使うとマヨネーズ独特の酸味臭がしてきますよということです。このつけ汁で普通の(スーパーなんかで売っている)黄色いかん水タイプ中華麺(細ちぢれ麺タイプ)を茹でて食べている。具(トッピング)はあまり載せない。それこそ、あれば「海苔」とか「ゆで卵」程度。[註]茹で方に特にコツのようなものはないが、強いて言えば麺はあまり長時間茹でないこと、あと、水洗いしてからよく水を切り、指先でつまんで持ち上げて分けて盛り付けることくらいか。そうしないとつけ麺は食べにくい。(昔撮った)写真でもあれば付けておきたいところだが、今は見当たらないので、今度作ったとき写真撮影してみます。[註]市販のチャーシューとか載せるといいんだろうが、そんなもの我が家には常備していない。替わりにというか家でやるならお薦めは「塩鮭の切身(焼)」とか「魚肉ソーセージ炒め」でしょうな。冷やし中華みたいなハムの千切を入れるとかえって貧乏臭い感じがするのに、塩鮭とか魚肉ソーセージ炒めにすると何故かむしろ味・見栄えともにリッチな感じになる。不思議だが。「チャーシューの替わりです」みたいな貧乏臭がしなくなるからか。(笑)
2011年01月12日
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