偏屈老人独言

偏屈老人独言

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

偏屈老人

偏屈老人

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

聖書預言@ Re:殺人(冗句・その2336)(01/24) 神の御子イエス・キリストを信じる者は永…
aki@ Re:一番悲しむのは誰(冗句)(01/16) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
文化の日剣の舞に分化知る@ 自然数の本性 ≪…「目が四角になる」・≫の[四角]に、 …
jiyma21 @ Re:替え歌「泳げたいやきくん」(冗句・その1629)(06/13) はじめまして。久しぶりに笑いました。 完…
Edelstoff@ 迷走するだけでも・・・ はた迷惑なのに、暴走するから困るんです・…

Freepage List

2008.06.22
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
フェリス女学院学院長岡野昌雄氏の「イエスはなぜわがままなのか」という本を読みました。キャッチコピー効果を狙った、些か鬼面人を驚かすタイトルですが、中味は至極まともで、ノンクリスチャン向けにキリスト教の本質を分かり易く解説したとても良い本です。その本論についての紹介は、また別の機会に譲り、今回は、岡野先生が奥様を亡くされたことに関してお書きになっている箇所が、我が身につまされましたのでご紹介します。

 ・・・・

 キリスト教の神は、「全知全能の神」と言われ、すべてを知っていて、何でもできる存在だとされています。しかし神が何でもできるというならば、どうしてこの世界にはこんなにも残酷なことや不条理なことがあふれているのか、そんな疑問は常につきまといます。実際に私たちが住むこの世界には争いが絶えず、貧困や飢えもなくなることがなく、今でも多くの尊い命が犠牲となっています。神が何でもできると言うならば、こういったひどいことを解決してくれてもいいじゃないか、と思います。

 また、もっと個人的なレベルでは、たとえばつらい病気を抱えて生きなければならなかったり、大切な伴侶や子どもをなくしたりした場合、やはりいったいなぜ神はこんなひどいことをするのだろう。いったいあの人が、あるいは自分が何をしたというのだ、と憤りを覚えます。

 実は私自身、数年前に妻の死に直面した時、そういった思いになりました。お互いに憎み合っているのならまだしも、まだ離れたくないと思っているのに、死によって分かたれてしまう。まさか自分よりも若い妻が先に逝ってしまうとは予想もしていませんでしたから、妻の死はやはり私にとって不条理以外の何ものでもありませんでした。親しい人との死別は誰もが経験することですから、あるいは私と同じような思いを抱いた人もいるかもしれません。「なぜこんなことを」---神に対するこの問いは人間にとって普遍的な問いだと言えるでしょう。

 しかし、神が全知全能であり、世界のすべてをつかさどっているとするならば、私のこの命を与えたのも神です。妻の命を与えたのも神です。そしてさらには、私たちが生きていくうえで経験する喜びや楽しみを与えているのも神ということになります。つまり苦しみや悲しみを与えた神は、命そのものや喜びを与えた神と同じ神なのです。

 それに思いを馳せると、与えられたものを棚上げにして、自分たちには理解できないこと、納得がいかないことに関してだけ神を責めるわけにはいかない、と気がつきます。

 私の妻の死にしてもそうです。確かに妻の死は私にとって非常につらいことだったのですが、そもそもなぜこんなにつらいのかということを考えると、それは妻と過ごした喜びの時間があったからです。もし彼女と出会っていなかったら、そして共に過ごす時間が与えられていなかったら、こんな悲しみもなかったわけですが、ではその出会いからしてすべてなかったほうがよかったのかと考えれば、やはりそんなことはありません。与えられていたものがあったからこそ、それが奪われた時に大きな悲しみがあるのです。

 ですから、喜びが奪われたことへの怒りだけを神に訴えて、そもそもそれを与えてくれたことへの感謝を忘れ去ってはいけないなと思います。つらいことや悲しいことだけを切り取って、それに関してだけ神を責めるのは、偏ったものの見方なのではないでしょうか。



 ・・・・


岡野先生の文章を長々と引用しましたのは、嘗て小生が感じたこと略々その侭言い表してくれているからです。勿論このように論理的に考えた訳ではありませんし、今では、もっと違った風に考えることもあります。

同先生の所説の全てに賛成ではなくとも、「自分は神を信じる、信じない」というのは、あくまでも人間側の主観であって、信仰と主観は違う、「信仰」とは、神との関係性を表す言葉で、それは主観的な確信に左右されるようなものではない、神との関係は、私たち人間の判断を超えたところに存在しているというお考えは、信仰に思いをいたす上で大いに参考になりました。


本編へのコメントです。
(Edelstoffさん)
悲惨なことがおこるたびに、私たちは「なぜ神はこのような悲劇を見逃すのか、神も仏もあるものか・・・」と嘆きます。
然し乍ら、神様の視点は、私たちとはかけ離れていて、ある出来事の悲惨さの度合い、その出来事が起こる必然性を、私たちとは全く違った角度から見ているのかもしれない、とある知人が言っていましたが、そうかもしれません。
私たちは神の摂理によって生かされているわけで、私たちの都合にあわせて、無理難題を神様におねだりしても、物事は期待道理には運ばないでしょうから。

(偏屈老人)
Edelstoffさん
私たちに唯一できることは、「神様との会話」としての「祈り」か「瞑想」でしょうか・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.08.13 08:26:36
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: