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2010.12.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
高校1年の時の英文法の授業でのことです。


  「 To err is human, to forgive divine. 」

そして、これを「 過つは人の常、許すは神の業 」と訳されました。

以来、座右の銘とまでは申しませんが、このフレイズが折りに触れ思い出されます。

この言葉は、基本的には、「マタイによる福音書」

7章1-2節の
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」


「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

にあるような、他人の過ちにどう向き合うかをそれとなく教えるものなのでしょう。

然しながら、自分に大甘の愚生の場合には、この言葉を、不信仰な行いをしては、
「神様ごめんなさい」と謝る、自分への甘やかしに使用することがままあります。
そのくせ、他人( ひと )には厳しかったりして・・。これって、最悪ですね。


本編へのコメントです。
(Edelstoffさん)
私も恥ずかしながら、自分に大甘、他人に超厳格な能天気人間ですので、耳が痛いです。
ところで、カトリックの懺悔システムは、どんなに悪いことをしても、神父様に
「xxxをxs回、主の祈りを10回唱えて懺悔しなさい。もう罪を犯すのではありませんよ」
と指示されて、また翌週性懲りもなく懺悔に通う・・これもかなりいい加減ですよね。


Edelstoffさん
一回一回の懺悔で出直し、それもまたよいのではないでしょうか?
愚生が、日々やっていることです。





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Last updated  2010.12.25 08:28:35
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