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2013.02.12
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カテゴリ: コラム記事
2月6日の「そうですね」に続いて、「こころの健康学」といういう新聞のコラムで、「でも、でも」という人間関係のデモに関する記事を見掛けました( 「『でも、でも』 前のめりの時 控え目に話す」国立精神・神経医療研究センター 大野 裕氏・2012年9月7日 )。


 前回紹介したように「でも」と「そうですね」という相手の反応を見ることで心に寄り添う会話が可能になる。それを私はある心理士に教わった。その心理士は、患者さんが「でも、でも」とデモをしているようだと役に立つ会話はできないと、事あるごとに若い医療者を指導している。

 こうした人間関係のデモが起きるのは、お互いに話を納得できていないからだ。納得できないまま相手の意見を押しつけられると、私たちは逃げるか押し返すか、どちらかの対応をするしかなくなる。

 どちらの態度をとられても、コミュニケーションは成り立たない。私たちは一生懸命になると、つい相手を押してしまいがちだ。わかってほしいと思う気持ちが強いと、相手の反応を考えられなくなる。話せばわかるとばかりに、自分の考えを一方的に話してしまう。

 しかし、会話というのは互いの考えを言葉にしてはじめて成り立つ。こうしてほしいと考えて話をしても、無理に押してしまうと、その気持ちが伝わらないばかりか、反発されることになりかねない。

 してほしいことを、してもらえなくなるのだ。部下に仕事をしてもらいたいと考えていても、逆の結果になる。子供に勉強してほしいと考えても、子供を勉強から遠ざけることになる。それではせっかくの思いが生かされない。

 気持ちが前のめりになっているときこそ、話し方を控え目にした方がよい。


「そうですね」と「でも」の関係は、大野先生の仰有られるほど然く簡単ではないようにも思われます。愚生のような偏屈は、意に染まぬ意見を聞かされた場合、それ以上議論しないために「そうですね」と軽く受け流して、話を発展させずに終わらせることがままあるからです。もっと話したいときは、「でも、でも」ではなく、「そうですね、でも( Yes,but )」を使うよう心掛けています。ただ、仰有られているように、前のめりになって話した結果のよくないということには、何度も痛い目にあっていますので賛成致します。


本編へのコメントです。

偏屈さん
フーテンの寅さんではありませんが、「思い起こせば、恥ずかしきことばかり・・」。
後悔先に立たずとは良く云ったものだ、と思います。
押しつけてきたよなぁ。
未だになかなか悪い病気は抜けないです。
これからも迷惑をかけるだろうなぁ。

(偏屈老人)
ミンキエッティさん
恥多き人生ですが、イエス様の仰有る「その日の苦労は、その日だけで十分である」という御言葉は、過去のことにも当てはまるのでしょうか・・。





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Last updated  2013.02.12 08:37:18
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