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今使っている腕時計は、28年前に亡くなった父の形見の古いオメガの自動巻き、Seamasterです。父自身、買い求めたのは、昭和30年より前、視察団の団長として欧米を廻った時ですから、30数年使ったことになります。
この間、父もこの時計の分解掃除はしなかったと思いますし、少なくとも愚生は、この20年間一切メンテナンスをしていません。合わせて60数年間、よくぞ無事故で動き続けたものとただ感嘆。
この時計が先日、幾ら腕を振って自動巻きの働きを促しても、直ぐに止まるようになってしまいました。
遂に寿命が尽きたのかと半ば諦めつつも、修理に出す決断もつきません。
恐らくはウン万円という金額になることは確実です。
そこで、この時計に手を当てて、気を送りながら、「永い間働いてくれて有難う。永い間働いてくれて有難う」と呼び掛け、感謝の気持ちを念じ続けました。
そして、動いたり止まったりの時計を腕に付けた侭にしておきました。何日か経ってふと見ると、この時計、きちんと動いているではありませんか。
以来、今日も正確に時を刻んでくれています。
時計に感謝し、話しかけたのがよかったのでしょうか?
気を送ったのがよかったのでしょうか?
時計にも感情があり、愚生の気持ちに応えて老骨に鞭打ってくれているのでしょうか?
愚生が、このオメガの時計に拘(こだわ)っているのは、父の形見ということに加え、
聖書の一番最後、「ヨハネの黙示録」第22章第13節に「わたしはアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」とあるからです。