あま野球日記@大学野球

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2008.10.17
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カテゴリ: 大学野球

阪神球団、 岡田彰布 監督(北陽高-早稲田大)の後任に、
OBでもある 真弓明信 氏(柳川商高)が決まったようだ。


今日の日刊ゲンダイではこんな記事が出ていた。
「特に野球理論を持っているわけではない。
監督に押された理由は、たんに『顔』。
近鉄バファローズのコーチ時代にも、梨田昌孝氏や小林繁氏と
トリオを作って女性ファンを獲得していたし、
他の候補者と比べて『花』があった」


他の候補者、最後まで監督の座を争ったのは 木戸克彦 作戦兼バッテリー
コーチ(PL学園高-法政大)。一部の報道では、 広澤克実 打撃コーチ
(小山高-明治大)や 平田勝男 二軍監督(長崎海星高-明治大)などの
名前も挙がっていた。

木戸、広澤、平田。
この3人、阪神球団だけでなく、80年代前半の東京六大学リーグを盛り上げた選手たちという共通点もある。 
彼らの名前を聞いた時、ボクはその頃のことを思い出してしまうのだ。


当時の六大学リーグ。
ボクの記憶では、広澤や平田がいた明治大と、木戸がいた法政大が
ほぼ交互に優勝していた時代。早稲田大も慶應義塾大も現在ほど
強くはなかった。


明治大、広澤は4番にどっかりと座るスラッガーだった。
ただグラウンドで立ち振舞う姿はいつも飄々としていて、
一部のファンからは熱い支持を得ていたように記憶している。


※いま明治大で4番を打つ 佐々木大輔 (4年、日大三高)を
 広澤とダブらせてボクは見ていたことがあるけれど、
 残念ながら広澤の域まで達していないのが残念ではある。


そして平田、ボクにとってバッティングの印象はあまりない。
あるのはショートを守る彼のキレイなプレー。 早くから自他ともに
プロで活躍することが約束されていたような選手だった。


一方の法政大。
後にプロで活躍する選手、高校野球で名を馳せた選手など多彩だった。


木戸はいつも5番・捕手。クリーンアップはPL学園高出身者で固定されていて、
3番はひょうきんな性格で人気を集めていたレフト・ 西田真二
(現・四国九州アイランドリーグの香川オリーブガイナーズ監督)。
4番は1年生の春季リーグから常に4番だったファースト・
小早川毅彦 (現・広島打撃コーチ)。


その他には、

田中富生 (投手、元プロ野球選手、南宇和高)

池田親興 (投手、現・評論家、高鍋高)

川端順 (投手、現・広島フロント、鳴門高)

和田護 (投手、現・日本文理大付高野球部監督、日大藤沢高)、

武藤一邦 (外野手、現・成城大野球部コーチ、秋田商高)

そして、

センバツを制した左腕・ 樽井徹 (投手、現・浜松商高野球部コーチ)、

「バンビ」の愛称をもった 坂本佳一 (投手、現・会社員、東邦高)

甲子園で打球が直撃した 銚子利夫 (内野手、現・横浜フロント、市立銚子高)
らがいた。




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Last updated  2008.10.18 10:13:18
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