ルネサンスより未来へ
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70年150年周期説《超ルネサンス時代(現代から未来へ)・第2段階》 (中期、あるいは転換期、新段階) では次に、超ルネサンス時代の第2段階を考えてみる。起点となる1914年より70年経過した1984年頃の出来事として、 1・中国の経済的発展 2・イラン、イスラム革命 3・ソ連のアフガニスタン侵攻 4・世界で宗教テロが目立ち始める 5・イラン、イラク戦争 6・ロナルド・W・レーガン大統領 7・米ソ冷戦終結宣言 8・ベルリンの壁崩壊 9・湾岸戦争 10・ソヴィエト連邦の崩壊 11・EU(欧州連合)発足 アメリカ同時多発テロ事件 などがある。 1・中国の経済的発展 (1980年代)に関して以下のウィキペディアの記述にあるように、「中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)ととう小平時代(1978年 - )の二つの時代に分類することができる。」経済的発展を遂げるのは、とう小平時代(1978年 ~ )からである。ただし、とう小平時代と言われるのは1978年12月からなので、実質的な経済の発展は1980年代からと考えられる。出典「中華人民共和国」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。最終更新 2009年9月12日 (土) 17:33 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org/【中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)は、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家。東アジアのユーラシア大陸東岸に位置し、その国土の大陸部は、「中国大陸」とも呼ばれる。首都は北京市。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接している。また東シナ海を挟んで日本や大韓民国(韓国)とも接している。ギネスブックによれば最も多くの国と国境を接している国である。人口の94%を占める漢族のほか、チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家である。中略中華人民共和国成立後詳細は「中華人民共和国の歴史」を参照中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)ととう小平時代(1978年 - )の二つの時代に分類することができる。毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで大躍進政策を行なったが、多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。文革は、毛沢東の死と共に終結した。その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月第11期三中全会でとう小平が実権を掌握した。とう小平時代の中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長をした。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また、政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢をとり続けている。1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。1989年の六四天安門事件は、民主化要求の大規模政治運動であったが、当時ソ連ではゴルバチョフ書記長により、経済の自由化のみならず、政治の自由化まで推し進められようとしていたが、とう小平の自由化は経済に限定されていた。1985年にゴルバチョフが北京を訪れた際、世界はゴルバチョフを賞賛するとともに、とう小平の改革開放路線を中途半端なものとして批判した。この空気は、国内にもくすぶり、共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がるほどであったが、その延長線上で天安門事件が起こる。しかし、とう小平は、天安門広場に集まった学生に戦車と銃を向け「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」という強いメッセージを示した。ソ連が崩壊したのは、その2年後の1991年である。国家の維持と繁栄という視点からすれば、とう小平の選択はゴルバチョフを凌駕したといえる。その後、経済の開放を強力に推し進めた結果、国民の生活水準は大きく飛躍した。今でも、沿岸都市部と内陸農村部での経済格差は大きなものがあるが、内陸部の農村の生活は王朝時代から貧しく、電気も水道もない生活を近年まで続けてきたため、現在はその当時に比べれば雲泥の差のある生活を行うにいたっている。このため、都市部との格差が大きいからといって、その格差を糾弾する強い意識は生まれてはこない。昨今、市場経済を至近に見るにつけ、民主化すればするほどに、貧富の差がなくなるどころか、拡大してゆく現実を国民は知ってしまった。このため、かつての「民主化要求」はもはや革命の動機にはなっていない。後略】* * * 2010年現在、中国は世界金融危機、世界同時不況に巻き込まれながらも、経済成長を続けている。これは日本にとって救いともなり、脅威ともなる。10年後の日中関係はどうなっているのだろうか。
2011年02月12日
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