好きから始まったこと
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久々のブログ更新です。今日は書きとめておかなければ・・という思いから書いています。今日は広島の原爆記念日でした。私は広島で、2人の子供の母親になりました。私たちは平和公園の近くの古いアパートに住んでいました。私たちの部屋には1人の少女が住んでいました。たぶん、私たちよりまえから。時々、タンスの上や天井からじっとこちらを見ているそんな視線を感じていました。女の子があらわれるたびに、2号は原因不明の熱を出しました。心配で隣の奥さんに相談したら、どこかのお札を貰ってきてくれました。「これを2号君の布団の下に敷いておきなさい」このあたりでは時々あるのよ・・なにしろ一家全滅した家がいっぱいだから・・供養してもらえない仏様がたくさん・・ということでした。ある晩、また2号が熱を出しました。私が添い寝していると、2号の向こう側におかっぱ頭の女の子が座ってました。白いブラウスでズボンをはいた1年生くらいの女の子でした。はっきりとわかりました。私は、なぜか2号の熱の原因はこの子だと感じました。「どうしてここにいるの?ここはあなたのお家じゃないでしょ!今頃お母さんが心配しているわよ。はやくお家に帰りなさい!」私は必死で2号を抱き抱えて、女の子を拒否しました。私を見る悲しい目。今でも覚えています。その夜から、女の子は見えなくなりました。不思議なことに2号も熱を出さなくなりました。そのときは怖かったのですが、しばらくして私はあの女の子をとてもいとおしいと思うようになりました。どうして、もっとやさしく供養してあげなかったんだろうと・・若い母親だった私は、もしかして2号に取りつくんじゃないかとか思ってあの子の魂を拒否してしまったのです。あの子は原爆投下の日も、たぶん誰にも助けてもらえず亡くなってからも、助けてもらえなかったことになりますよね。8月6日には、せめてもの償いに私はあの子のために毎年、黙祷をささげています。私は今年になって、童話を書く勉強を始めました。いつかあの子のことを書いてあげたいと思うのです。まだまだ、力が及ばないけれど、私のところに出てきた女の子の生きていた事実を書いてあげなければ・・と思っています。人は亡くなっても、誰かに思い出してもらうことで誰かの心に生きていられます。でも、広島で亡くなった人の中には思い出してもらう人がいない人たちもいるのです。私たちは、忘れてはいけないのです。原爆が落とされたということよりも、そこで暮らしていた人たちのことを、忘れてはいけないのです。息子たちの小学校は修学旅行で広島に行き平和学習をします。そのときに必ず歌う合唱曲「広島のある国で」これを聞くたびに、何かしなければ・・と思います。
2007年08月06日