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誰かのために戦う。戦うことや怒りはネガティブなものを含む。でも、守りたい何かがあったときに、戦わないことのほうを恥じる。世の中の常識、尺度で考える必要はなくて自分の愛の深さで感じるままに。そこに守るものがあるのなら、必ず伝わっています。そして勇気付けられています。相手を屈服させることではなく、気が付かせるための行為。そんな勇者を身近な大事な人として縁ができたことを誇りに思っています。
2007/08/31
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自分が正しいと怒りに燃えているとき、案外と自分が発したものが戻ってきている。それもめぐりめぐって戻ってきている。悲しみや恨み、溜め込み、飲み込んだ思いも決して消えることはない。だからこそ、いやなことであってもそのままにしない。自分の中で解決をつけてあげる。自分を大事に優しくしてあげよう。それができないのなら、他人を大事にすることができない。憎しみの連鎖は別の憎しみを生む。どこかで、その鎖を断たないと。
2007/08/30
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ああ、自分だけの物語が強いと対話ができない。昨日の日付でも書きましたが、宮大工棟梁西岡常一氏が「木と対話する」ということをいわれていた。またなぜか、「口伝」の重みという本の中でミヒャエル・エンデの名前がでていた。そしてそこでも庭の木と対話しているのですが、母国ではばかにされてしまうと。日本では、それを口にしてもいい国だといわれたそうです。対話。これがキーワードかもしれない。自分と対話しているだろうか。自分の物語に浸っていないだろうか。不思議なことに私が私の妖精がでてきたのも最近です。(^^;)頭おかしくなったんと違う?と思いますけど、自分の想像の賜物なのでいいのです。自分だけの思い込みの物語もある。それはなかなか自分では気がつけない。気がつけたら、あとは簡単です。自分の物語の国から、這い出して、自分と対話していく。そして周りの森羅万象と。もちろん人とも。自分が自分の思い込みの国にいることをどうやって知るのか。変化があるか、ないか。新しいものを受け入れているかどうか。そして何よりも硬い城壁の中にいる限り、生き生きとしたダイナミックな喜びを感じられなくなり、幸せな気持ちを失われていくことでしょう。いつの時代も安定を求めていると同時に、冒険も人は求める。バランスかな。(^^;)私は圧倒的に冒険のほうがすきなようです。
2007/08/29
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自分は調子がよく見えるだろうなあと。(^^;)お調子者。でも、本気で人に対していたい。ああ、法隆寺の宮大工で棟梁だった西岡常一さんの本を読みました。木を知り、木と対話する棟梁だったそうです。感じることがたくさんでてきます。すばらしい内容ですので機会があればぜひ。宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み 日本経済新聞社そのなかに「強い木には、それだけの重さを。弱い木には、軽くしてあげないとかわいそうだ」といったようなことがかかれていました。まあ、適材適所なのでしょう。でもなにか、この言葉にすごく救われた気持ちがしました。私の背負うものは少ないけれど、それはそれでいいんだと。自分がこの世に生を受けて、どれだけの役にたっているのかもわからない。でも、自分の与えられた今を生きようと思っています。私の連なる人の思いながら、つながる人の思いながら。
2007/08/28
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以前にも話したことがあるかもしれない。人生はタペストリーだなあと。織物なんです。つむいで織っている際中は絵柄がわからないんです。特に必死で、大変で、ごちゃごちゃしているとき。全然わからない。でも時間がたって、終盤になってくると見えてくるものがあります。自分の中の隠された設計図があるんですね。案外と自分は過去の自分が感じていたことを漠然としてですがずーっと記憶しています。こうしたい、こうなりたい。そういったものが、すごく強くて。ただ私の願ったものは、簡単にかなうものではなかった。だから、その願いは消えてしまったのかと思っていた。まるで負け惜しみのように語っているのもわかります。(^^;)でも最近、だんだんと形をとり始めてきたんです。不思議なことに。こんな風にでてくるんだと。自分ができないけど、やりたいと思っていたことにだんだんとアクセスしている。つながってきている。すごおく遠回りをしたけど、すべてが必要なことだった。直接ではなくても、近いところに来ている。そして何よりも自分が願うようになってしまったり、願っていなくても、自分の中に悲しみや怒りに響くものがあるとそれを引き寄せてします。願っていなくても、自分の中にあるつらさや悲しみが引き寄せるのです。でもそれさえも最後にはつじつまが合うようです。タペストリーの柄は美しく織られていることを感じています。
2007/08/27
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自分の気持ちはよくゆれます。ゆれながら、どこかに定まっていく。「すべての現象に名前をつけることが、情報化する第一歩なんだ」というのを昨日教えてもらいました。モノや人だけでなはくて。自分なりにでいいけど。「でもね、名前をつけるときに、そのものを分析してよく理解していないと名前をつけられないんだよ」とも教えられました。とてもいろんな物事を日ごろから言語化しているだけあって、とてもわかりやすい説明をしてくださいます。いろんなことをいろんな人から学べて面白いです。でも自分も似たようなことをしているな後は感じました。ただ端的で、簡潔なんですね。無駄をそぎ落としている。楽しくてしかないです。^^
2007/08/27
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機会があって、ゆっくりと人と話すことが増えた。まだ接触する時間は短いのだけれど。不思議なことに、いろんなエッセンスを見出すことができて。何かに秀でている人は面白い。でも案外と、世の中では埋もれていたりする。面白くて、面白くて。言葉が通じる喜び。言葉の裏にある背景が似ているとわかり合えないようなことがわかることに気が付く。突き詰めた人間だから、妥協のない生き方をしてきたから。そんな中で自分の言葉、名前をつけるという行為をしてきたから。普通にしている会話の中で、ぽろぽろとすごい言葉があふれている。自分を知ろうとしている人。自分を知る人。面白いです。あ、そうそう人はみんなモノの実際の見え方が違うのです。情報の取り方が違う。みんな自分を当たり前に思っている。でも違うんですよ。きわまった人たちと仲良くなると、すごく突出したものがある代わりに、思い切りないものがある。例えば、数字にとても強いのに、文字を読むのが苦手な人。論理的思考や、文字には強いが、映像的認識ができない人。論理的思考や文字にも強いけど、聴覚認識が弱くて、文字に直さないとしっかりと認識できない人。ほかにもいろいろとあると思う。ゼセラリストになるというよりも、スペシャリストに多いのかもしれない。全般的にあれこれ平均的にできるというよりも、深く専門を掘り下げる。まあ、能力としてそうせざる得なかったのかもしれない。すべての人間にいろんな能力が備わっているといわれている。確かに、そうなのだと思う。訓練の賜物によっては、苦手とするものも克服はできる。ただ、最初からそれが当たり前だと思うと、気が付かないと、努力のしようもなかったり、せっかくほかにある、優れた面を見落としてしまう。だから、自分をよく知ることで、人に興味をもち話を聞くと、人と本当に見えているものが全然違うことに気がつけるのです。人とわかり合えないのではなくて、わかりあえなくて、あたりまえなのです。わかろうと近づく気持ちをもっていればいいのかもしれません。自分にない能力があって、そのフィールドで活躍できないだけなのかもしれません。だから誰も愚かしい人はいないのでしょう。どこに基準をとるのかどうか。相手の得意とすることが自分にはたいしたことではないと感じているかもしれないけど、またはまったく気が付かないのか。どこかすばらしいところがあるはずなんです。人は見え方も、感じ方も千差万別です。わからなくてあたりまえなんです。だからこそ、わかりあえてつながったときの気持ちがうれしいです。
2007/08/26
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このところ、あるきっかけでミャエル・エンデのファンタジーを読んでいる。有名な「モモ」「おわりない物語」など。ファンタジーというものの、見事なまでのたとえ話。あまりに、際立って。でも、おかげで自分の中にいる、妖精と対話できるようになった。ティンカーベルみたいなかんじ。本当にいるわけではなくて。でも呼べば、そばにいる。意外とご機嫌な気持ちになる。「モモ」は有名だが、「はてしない物語」のほうがすきだ。成功哲学に近い。なにを成功というのかにもよるけど。すべて、自分が発するものによる。欲するもの。ファンタジーは実は夢物語ではない。とても現実的です。私の妖精もリアリスト。私の脳がより理解しやすいように外部にでてくれたかんじ。自分の一部なのに、客観的です。
2007/08/25
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名古屋近辺で凶悪な事件があった。親しくしている人の友人が被害者だと知らされた。最近はネットでしか、世間の情報を得ていない。テレビはもっていないから。テレビはセンセーショナルな刺激的なことを主に取り上げる。私の過敏な痛みを覚えやすい気持ちには、負担をかける。だから、この事件もほとんどしらなかった。知るほどにやりきれない。そして近しい人たちの思いは想像に絶する。何を私たちに教えてくれているのだろう。数日間感じていた。何をしろというのだろう。被害者をしる友人を慰めることもできない。時間にお願いするしかない。冥福をお祈りするしかない。でも気が付いてしまった。凶悪な罪を犯した人間に連なる自分を。本当に金がほしかったのではないのだろう。圧倒的なつながりを絶たれたもの。罪は許せるものではない。でも、こんなことが二度と起きないように私たちができることは、少しづつでいいから思いやりと愛をまわりに注いでいくだけかもしれない。つながりを絶たれていると感じているもののために。足りないものは満ち足りた人間がわかるのかもしれない。悲しみの気持ち、怒りの気持ちが吹き荒れたあとで罪を犯したものと同じところにとどまってはいけない。と気が付いた。そして自分のこととして。試されている。生かされ、残ったひとたちにさまざまな形で。
2007/08/24
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己を知ることの効用とはなんだろ。自分の能力や立ち居地を知ることかもしれない。己の気持ちやこころのうち、望みを知ることかもしれない。なによりも、最終的に手に入れたいものは幸せな満足感かもしれません。最近というか、以前からですが、成功すること、お金持ちになることが幸せというワンパターンな目標というか、常識があるなあと。そこに到達すれば、満足すると。私においてもそうかもしれません。(^^;)それを追い求めていると思っていたのですが、どうも違うことにそろそろみんな気が付いてきているように思います。正直、大金持ちになって不安のない人生を歩んでいるわけではないのです。(^^;)でも最近、だんだんわかってきたことがあります。いままでできないということを時間をかけて、解決して、行動してきたことが私に今自信を与えてくれています。ただ人様に自慢できるようなものではないのですが。(^^;)いま友人や知人、クライアントさんと愛されているなあと感じています。ただはじめて、誰の世話もしなくてもいい状況にあるんです。自分のためだけに生きていい。当たり前のことなんでしょうね。でも、私はずーっと誰かのために生きていたんだなあということに気が付きました。誰かを愛していないと、生きていてはだめなんだと思っていました。一人では生きられないと。なんか世の中の常識と反対のことを言っているなあ。(^^;)誤解を招きそうですけど。不思議なことですが、常に誰かが私に心配をかけてきます。今も、音信普通になっていた大事な人から連絡が来て、助けを求められています。安易に応えることはできるのですが、大局的にみると手をだすのがいいことではないなあと。気持ちはあるのですが、きっとこのプランは双方を落胆させるものになるだろう。そう考えて保留にすることにしました。いくつかシュミレーションをしたのですけどね。大事な人だから要望には応えたいけど。距離が近いと目の前の要求に応えたくなります。でもそれが、繰り返された物語をつむぐ出だしになります。今まで繰り返された悲しみの物語。誰かの役に立たないと愛されない。これが私の物語のひとつです。無意識の海に眠っていたものが、ひとつひとつ海面に上がって昇華していった。隠しているつもりがなくても、隠している思い。押し込めている感情、記憶。それをひとつひとつ、丁寧に解放していく。結果今自分が手に入れているのが、安心感。私が今まで持っていたものはほとんど失ったけれど自分に対する、信頼と安心感が残りました。それができると他者に対してもできるのでしょうね。
2007/08/23
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今までできないとおもっていたことにいろいろと挑戦しています。あこがれていたけど、実際どうなのかという検証。気になっていたけど、どうなんだろうということを。時間は無駄になったけど、わかったことがたくさんあり、これから気になっていたことを考えなくてすむので、納得しています。人によって理解の仕方がいろいろとあると思います。私の場合は、体感型。実際に体感してみて、その結果を体感したい。だから、無駄がかなりあります。(^^;)でも、自分として納得しているので満足。正直言えば、私にお付き合いくださる方の器を問われているので、よく嫌われます。最近、とみに嫌われています。ただ、興味をもってくださるかたが、異質な業界であっても物の考え方が少数派だということ。(^^;)関係性を持つにも、共感の軸を得がたい人が多いのかもしれません。ただ実務面に優れている人が多くて勉強になります。また突出したなにかをもっている。ただそのレベルが突出しているがゆえに、周りに理解されない。それをみていると、私ができることは、それを理解し引き出し、必要とされているところ評価されるところ、評価されるような環境を作れたらいいなと感じています。あの立体の中に、隠されている無数の宝物、光り輝くものの光がひとり、ひとり、あふれ出るとすばらしいかも。
2007/08/22
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いつも一緒にいる人の影響は大きいなと感じます。その人だけがもつ物語が他人にも影響与えるから。自分が持つ物語も相手に影響を与えます。ただ、どこまでなのかは距離感なんだろうと思います。それと気持ち。相手を嫌いだろうと、好きだろうと関係ないのです。相手の中にある資質に自分が反応しているときに、影響をうけます。「あの人嫌い」というときに大体何か同じ質があるのです。「あの人好き」というときにもです。でも距離が近くなると、人をよく観察するようになります。虫眼鏡でみるように。でも距離があくと平面的にしか見えなくなることがあります。人が好きではない、つまらない、よくわからない。そんなことを思うとしたら、自分に対してなのかもしれません。己を知る。これが一番難しいなあと思います。ひとつひとつ、丁寧に紐解いていくことができて、気が付いたら、あれこれとわかってくる。物事も人も深さ、広さ、奥行き、3つのベクトルがあります。簡単なイメージの形とするとそれをいろんな角度から見る。またはいろんな場面でも違うことでしょう。状況においても。そして多次元に置いてみえるようになったときに、共通するものが見えてきて、本質がわかるのかもしれません。ただすべてはこんなにシンプルではありません。ひとつのものの考え方としてです。物事、人、あらゆる事象の本質を見出す。そのスケール、ものさしがどこにあるのかはまた別の話題。ゆらぎや多くの不確定要素をかんがみて、物事を考えないといけないのでしょう。では己を知るためには、どうしたらいいのか。それはまたいずれ。
2007/08/21
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人間の面白さを感じています。他人もですが、自分も。最近気が付いたのですが、人の可能性を決めているのは自分だなと。できないと思っていることがたくさんあるんですよね。自分のすべてを決めている。案外と前向きな行動をしているようでも、そんな感じ。私も積極的で、行動的と思われていますが、できないと思っていたことがたくさんあったなあ。自信がなかったんです。でもなぜ自信がついたのか。今の自分が嫌いだということに気が付いたのと、このままの人生で終わったときに後悔しないのか?と自分に質問したからかも。たくさんのステップがあって、ここにあるのですが、なんだろうなあ。セラピーの話をしないのに、最近私という人間を不思議そうに感じているのがわかるようになって。というか、どうしてそんなものの考え方になるのか、問われたりします。説明しにくいのですが、全然視点や視野が違うようなので。そして自分自身もどうもものの考え方が違うなあと自覚もし始めました。まあ、私の生きることを教えてくれるメンターに教えてもらってきたことなんです。うんうん。いい感じです。まとまっていないのですが、最近書いていないので。(^^;)書きたいことはたくさんあるんですけどね。手放したことで、見えてくるものがたくさんあった。短い時間でいろんなことを決断して、覚悟して行動しているから。全部自分が責任を負えるようになってきたからかもしれません。なんとかすればいいんだしなあと。なんともできないことは、人の生死ぐらいかなあと。自分で何とかできる範囲はかなり広いと最近感じています。ま、やりたいかやりたくないかはありますけどね。(^^;)
2007/08/20
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自分が何を求めているかは、今を見ればわかる。ただ求めているときの思い込み具合と、その人の無意識の優先順位があるのでタイムラグがあるようです。求めているものがそれぞれ連動していないと、自分が思っている形にならない。りんごケーキが食べたいと思っているのに、りんごに比重がかかっていたり、ケーキに比重がかかっていると、りんごとケーキと別々で手に入ることがある。たとえば、過去の私の例で言えば家を手に入れたいと思って、2度家を買っている。でも、そのなかの家庭は2度とも継続されなかった。最近も自分の中で継続するというイメージがないために、終わりそうなことがある。ただ、自分の中で本当に望んでいることがそこになかったというのも薄々理解している。どうも自分の心の奥底で願っていることや、自分の中で決めている物語がいくつかあると、どの物語が優先されているのかわからなくなる。ある意味、シンプルにひとつの物語を追える人は結果が出やすいのでしょう。いくつ物物語を持ち、なにか秘めたる物語がほしいとき、ままならない状況を招いているのだなと感じています。ただ以前よりも、意識の上で片付くものは片付けています。あえて、気づかないことで、何かを得ようとしていることもあります。自分のことに関して、できないことはないなあと思っています。したいとおもっていれば。したいと思うかどうかはまた別の問題として。(^^;)
2007/08/19
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よんどころないことで、計画していたことが延期になりました。あまりに偶然ではありますが、まあそれはそれで受け入れようと。そこにいたるまでの努力はしてきたし、そうすることで見えてきたものもありました。はじめからあきらめてしまっていたら、今の満足感もなかったことでしょう。確実に自分の中が変化もしてきているし、まあそのままを受け入れることにします。一つ一つの行動がどのような結果になるのか実は自分なりに意識しています。その上で、どちらに転んでもいいように考えていました。結果に対しては自分でコントロールできないというのもありますが、したくないというのもありましたから。ただ自分の思いや気持ちを伝えることに意味が確実にあるなと感じていて。その上での、計画の延期。自分の思いを超えたところの答えがでているかのようです。これに対して、もう受け入れるしかないなあと。最後選ぶのは私なのですが、流れに乗るということをしてみようと思います。流れに逆らうような行動をこれまでしていたのですが、逆に言うとそこまでしても最後にひっくり返されるほどなんだなあと。妙に感心してしまいました。そして面白いことに今感心を変換するのに、歓心という言葉に変換してしまったほど。(^^;)
2007/08/18
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昨日は娘と家でだらだらとすごしました。暑いから。(^^;)実は娘は私の作るご飯を食べたいらしくて。外だと気をつかうからいやなんですって。洗い物はしてもらっていますけど。(^^;)なにかといやがらずに手伝ってくれるので助かります。普通に家ですごす。でも彼女にとって一番うれしそう。これまで家にいられなかったぶん、出かけていたけど。ただなんというわけではなくて、家に一緒にいる。宿題をしたり、本を読んだり、絵を描いたり。昼寝をしたり。掃除をしたり、洗濯して、生活している。あたりまえに一緒にいること。彼女のためにご飯をつくること。お互いに足の裏をマッサージしたり。それが彼女が一番うれしいと思うこと。あたりまえに一緒にいることに幸せを感じる。宿題は私がいない一週間でしておきなよっていったのに全然してなくて。遊び歩いていたら、さすがにまずいとおもったらしくて自分ではじめました。(^^;)えらいなあと思ってほめていたら、国語はすぐに終わらせて。(^^;)自分でやる気になってやるんだと驚いてしまいました。私も読みたい本があって読んでいますけど。暑い夏家で過ごすのもいいなあと。毎日一緒にいると不満もでるんでしょうけどね。あ、つまらないことでけんかしてから、娘も私に協力的になりました。当たり前に。それまでは、お客様扱いにしていたからなあ。まあ、お母さんを期待しているだろうなあ。素直に「完璧なお母さんを求めないでくれ」って。(^^;)家のことを全部してもらいたいのなら、自分で髪の毛を切りに行って買い物も一人で行ってください。一緒に行ってほしいのなら、家事を手伝ってくれないと時間的にも、気持ちも無理って。疲れてしまうからと率直にお伝えしました。大人気ないけど、我慢して無理をして、いらだつ自分もいやだから。できることとできないことを素直に伝えました。それと自分のしたいことややりたいこともきちんと伝えるということも。相手のしたいことに全部合わせるのではなくて。自分のやりたいこともきちんという。私も娘相手に、かわいいからがんばっているけど、自分が行きたなくても、つきあっているんだから、私が休憩しながら待っていても気分を悪くしないでって。娘の努力も認めるけど、私の努力も認めてよねって。かなりぶっちゃけた気持ちを伝えて。娘が私をばかにしているのはわかっているけど、私なりにがんばっているということも全部説明しました。かなりそのまんまの私を出したから、彼女にはショックだったとは思いますが、負けずに言い返してくれて。(^^;)私も娘も相手の機嫌をとることもなく。そのあとお互いにふて寝をしましたが次の日には仲良くなりました。子供だからって、子ども扱いをあまりしないので、彼女的にはきついだろうなあと思います。でも受け止められる程度にしてありますけど。かなりありのまんまの私だから、娘としてはいやかも。(^^;)奇麗事を言わないし、自分なりですががんばっているというのも見せるしかないからなあ。まあ、彼女に残せるものは多くはないと思いますが、何か役に立つことがあればな後は思っています。
2007/08/17
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つらいなあと思うことを受け入れたのですが、そっか。って感じでした。(^^;)ずーっと準備していたせいかもしれない。まあ、すがすがしいくらいの気持ち。よくがんばってきたよなあって、自分にOKだしています。本当に。こんなにも静かでいられるんだ。我ながらびっくり。(^^;)まあ、これまで散々苦しんだからなあ。でも自分では精一杯努力をした。自分に恥じるものは何もない。ただ学びが足りなかったと思うところはある。知識が足りなかった。だから適切な処置をできなかったかもしれない。それに関しては申し訳なく思っている。まだまだ走り続ける。
2007/08/16
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親に仕返しをするために、不幸を選んでいたかもしれない。不幸というよりも、親の支配下から逃げ出すというのをしていたのでしょう。私にかかわる優しい近親者に、幸せな時間を少ししか与えなかったのもそうだったのかもしれない。近しい人間関係において、過去の近い人間関係のモデルを見出して、解消しようとする。次に近しい人間関係をもつチャンスがあるとしたら、もう仕返しはしないとおもう。親から逃げ出すのではなくて、対面して自分の気持ちを伝える。そこで折り合いが付かないとしても、自分の気持ちを伝えることと、親から嫌われることを恐れないこと。親から手放されても、恐れないでいられること。実際の親ではなかったけれど、自分が親と目していた人間関係が変化することを受け入れました。距離をおいておつきあいしようとなったというだけですけど。(^^;)自分にとっては怖くて。怖くて。これからはいろいろと無意識から変わることでしょう。かかわる人たちには申し訳ないですけどね。表層の意識に浮かび上がってきてましたが、それでも怖かったんですね。(^^;)何度も何度もこれまでも浮かび上がってきたけど、越えられなかった。セラピーで潜在意識のところでは感じて、浮かび上がりやすいようにしていたんでしょうね。それがリアルにもでてきて、モデルになる関係に忍び込ませて、そしてリアルに自分で解決させる。というような図式のひとつだと思います。セラピーで無意識の思い込みを浮かび上がらせて、仮想の脳内で解決させることでリアルにも影響させる。ただタイムラグがでることが通常です。いきなり自分が思うことが現実になると対応できないことが多くありますからね。私が時々、延々と感情的な、感傷的なことをこのブログに書いているのも、実は感情を感じるのにひとつの大事な作業をそのままにしているのでしょう。考えるというよりも、感じていることをそのままに出す。ありのままに。そのときに解釈や分析はできていません。長い時間のかけて、または短くても、漂っています。自分がどんな気持ちでいるのか、どんな体感をしているのかと。とくに体感を大事にします。体に違和感がないかどうかを。こころは嘘をつきやすいです。自分の心を守るために詭弁も脳にひっぱられるので。体感は本能的なものですから、大脳新皮質で処理される前に反射的にでてきます。だから嘘が入りにくい。自分で今、成功体験を刷り込ませています。距離が開くことにはなりますが、関係性がきれるわけではない。相手に嫌われているようですが、それであっても自分の気持ちやこころを守るという行為が私には必要だったんです。親に嫌われたくなくて、自分の気持ちやいろんなものを犠牲にしてきました。飲み込んできて。そしていやでも相手を優先することで、自分の居場所をつくる。その癖がいまだに続いていたんです。それを続けていては、近い人間関係がうまくいくわけがありません。早めに伝えるなり、ほかの改善案を提案すればいいのに。そして無理につくる人間関係ではなくて、自然な自分でいてつくられる人間関係をもてばいいんです。なのに無理をしているから、相手にも無理をさせてしまうし、落胆させる。だからもうやめようと思っています。そうはいいながらも、癖でしてしまうかもしれませんけど。(^^;)私はいつも近い人間関係に緊張やがんばりがあります。他人のほうが楽なくらい。今も娘に気を使って、へとへとになっています。(^^;)たまにしかあえないから、いろいろと後ろめたい思いがあるから自分の気持ち以上にがんばって無理しています。だから、相手にも無理をさせていて、けんかしちゃいました。(^^;)私が大人気なかったんですけどね。かなり。私の中の子供が思い切りでてきてしまいました。娘もびっくりですが、自分もびっくりです。娘とこんなに長く一緒にいることははじめてなので、無理もできなくて。お互いにいい距離をさがしながらいます。娘は小さいころの私そのままなんですね。(^^;)おかしいほどに。いろいろと行動が雑で。(^^;)自分をみているようです。今もそういう傾向がありますけど。ことさらに顕著で。本人がそれに気が付いていないようなので、伝えています。これって誰かにもよく指摘されていましたが、よくわかりました。気がないとか。(^^;)あ、本当にそうなんですね。ほかの事に気がいっているんです。でもやりたいことにはすごく集中をする。うーん。(^^;)そのまんまです。いいところはそのまま伸ばしてほしいですけど。苦労するのは、あなただから、気をつけたほうがいいよと伝えています。私みたいになりたくないんでしょ。って。私がそれで苦労しているので。この年になっても。子供ってすごいなあ。(^^;)親の鏡なんだなあって。いつも一緒にいないのに。不思議な感じがします。私が気をつけないとね。(^^;)でも以前の私と違うのは、あきらめなくなったこと。娘の数学の宿題を競争で解いているのですが、絶対にあきらめないでとくことをしています。だから、娘にも絶対にわかるから。とわからないままにせずにやり直しをしてもらっています。次に競争をしたときに、私のほうが勝つよって。わからないままにしていたら。時間がかかってもいいから、きちんと解こうよって。中学の娘と互角な私ですが。(^^;)数学は好きだったんだなあと。成績は悪かったけど。今回わかりました。簡単なルールさえ覚えていれば、解けるからでしょうね。一番面白いです。二人して熱中して、2ページを2時間ぐらいかけてやっていました。大人になったら、時間をかけないで早く解くことも大事だけど時間がかかってもあきらめないで問題を解くことが大事なこともあるんですよね。そして問題を楽しめるようになれば、生き方が楽にはなりますね。加えて問題に気が付いたり、力が付くようにと問題をあえてつくることも。子供のときと違って視野が広がっているから、問題の作り方に何を教えたいのかを観たり。大人になるのもいいですね。(^^)/
2007/08/15
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私にとって大事なものを失った。なのになんだろう、これほどの清清しさ。あんなにも恐れていたのに。自分が本当の意味で自由に強くなりつつあるのかもしれない。あらゆることを自分の責任で生きる。当たり前のことなのに、私はこれまでしたことがなかった。誰か私を庇護してくれるものを常に求めてきた。私の中では、それが当たり前だった。怖くて、怖くて。一人で判断することが。(^^;)仕事のことではなく、自分の生きる上でのことに対して。ぽつんとひとり。でも広大な白い平原に一人大の字になって寝ている感じ。誰にも干渉されない。ひとりの自分。白紙の上のひとつの点。そんな感じ。この紙のうえをどれだけ描きこんでいこうか。
2007/08/14
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ずーっと張り詰めていたものがゆるんで。何度も繰り返しながら、慣れていく。正しい答えはなくて。自分がどうみるかなのかもしれない。どうも、しんどい道を歩きたがる。恐れていることのなかに求めているものがある。そんなことをこれまでにも経験済みです。でも怖いんだよねえ。そんなときには、自分にとってのメリット、デメリットを書き出す。なにかとこの方法は本で読んだことがあります。時々使うけど、今回も使ってみた。どうしてもゆずれないものがあった。だから、ほかのデメリットについては泣こう。(^^;)自分が手に入れたいものは入れたい。ずーっとほしがっていて、恐れていたもの。順番は違っていたかもしれないけど、自分にとって必要なもの。これまでは怖くて、体も感情も受け入れられなかった。でも、今は大丈夫。受け入れよう。
2007/08/13
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何かを決めると、行動が変わる。そしてその先の物語もかわる。何度も繰り返しながら、慣れていく。乗り越えられないとおもっていることも、すこしづつ慣れていく。気持ちや感情も何度も何度も同じところを行き来して、慣らしていく。いきなりショック療法もありだけれど、ゆっくりと慣らしていく。自分のできるところまで、行動をした。その先は、相手のあることだから。でも今までできなかったことができるようになっている。今回で思いが果たされないとしても、それも受け入れる。自分としてがんばっていることにOkを出そうと思う。いきなりほしい結果にアクセスしようとして、行動できないよりも自分が許せる範囲までできたことに。時間をかけて。人の気持ちは簡単なものではないから。
2007/08/12
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毎日娘と遊び歩いています。(^^;)子供とならお台場がいいかもといわれて。お台場で遊んできました。フジテレビの催しはすごくならんでいてあきらめました。(^^;)かわりに映画をみてきて。「オーシャンズ13」詳しいことはgooの映画案内のあらすじから引用します。↓“オーシャンズ”のメンバーの1人、ルーベンが心筋梗塞で倒れた。原因は世界的なホテル王ウィリー・バンクの裏切り。だまされ、切り捨てられたショックで病に伏せたのだ。ルーベンの病床にかけつけたオーシャンやラスティーたちは、仇をとるべく行動を開始。狙う先は、バンクが新たにラスベガスに建設するカジノホテルだ。最新鋭のセキュリティに守られたこの場所で、バンクの全てを奪うための戦いが開始された…!!豪華メンバーによる“犯罪ドリームチーム”が3度目の結成!オーシャン率いる強盗チームが、友情と復讐のために強盗計画を実行していく姿を描く。ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモンら“オーシャンズ”のメンバーはもちろん全員登場。さらに前2作の敵役、アンディ・ガルシア演じるベネディクトが仲間となったり、アル・パチーノが憎たらしい悪役を演じたりと、キャスト、ストーリーとも過去のシリーズ以上のスケールとなっている。当然“復讐”計画も過去最大で、想像を絶する大仕掛けにメンバーが挑んでいく。コミカルなシーンも多数あり、笑いとともに楽しめる一級の犯罪エンターテイメントに仕上がった。私が観たくてというのと、時間的にちょうどよくて。まあ、勧善懲悪なルパン3世の豪華チームというかんじかな。中学生や高校生の子供とみても親子で楽しめます。(^^;)ただ会話を楽しむので、本を日ごろからよく読んでいる子でないとついていくのが難しいかもしれませんけど。字幕なら。今回はじめてこのシリーズを観たんですけど、チームな感じがよかったのと前回までのいろいろなところでつながっているという感じもすばらしかったです。誰も裏切らないんだよね。(^^;)でもそのつながりを持たせるだけの愛情のかけ方があったのだと思います。関係性があったからこそ。なんだろうなあ。あちこちのブログにも書かれていますけど、男くさい映画でした。(^^;)ただ大掛かりな仕掛けをしていくのですが、そのための準備が念がいっていて。それも仕事の上で役に立つ視点だなあというのと、日本のお茶や日本酒、すもうなど日本文化がかなり自然に入り込んでいる様がみられたこと。なるほどねえ。映画から学ぶ仕事的なものも大いにあるなあと。人間の感情のひだまでは描くタイプのものではありませんけどシンプルでわかりやすくて気持ちのいい映画かもしれません。
2007/08/11
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とっても大事なものをなくすことにした。かけがいのないもの。そのかわりにもっと大事なものを手に入れた。価値あるものに対価は必要なのかもしれない。すべてがエネルギーに換算できるとしたら、何かを得るのなら、何かを失うのだ。私のなかでかもしだされている自分の人生での実感哲学としてそう感じている。誰かの都合のいい自分は、誰かを自分の都合のいいようにしている。それがいいのか、悪いのかは別として。自分はやめよう。自分に戻ろう。言っていることと、やっていることとずれがないようにしたい。完璧にそうだとはいえないだろうけど。つじつまがあわないのはいやなんだ。自分がいやなの。人がどうであってもいいけど。話が変わるけれど、最近私の周りで結婚について話がされていることがよくある。「結婚って契約ですよね。」と独身の男性に言われて、私もそう感じていますよって。契約を結ぶときは、誰もが責任を負う覚悟で結ぶ。責任を負えないとわかっているとき、負いたくないとき契約を結びたくないものです。失うものが多いほどそうなんでしょうね。でも契約することで手に入るものと失う可能性があるもののバランスがとれれば問題ないんでしょうね。
2007/08/10
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なりたい自分。他人の中に見つける。私がなりたいのは、正直さをもって泰然とわが道を行くこと。自分や他人をごまかして生きるのはできない。すごくストレスがかかる。他人への配慮があってすべてを明らかにする必要はないけど。自分に対してごまかしたくないんだ。自分の気持ちや考えや、すべておいて。うそをつきたくない。だから、自分にとって不利になったとしても飲み込む。自分にとっての優先順位。嘘の反対は思いやりではないのということが前々回のセラピー説明会の話題に触れて懇親会でなされた。言葉が自分の思考を形作るから、言いかえを考えたときのこと。厳密なものではなくて、自分が納得しやすい解釈としての話題です。思いやりは相手のことを思ってなされるものではあるけど、往々にして相手の力が足りないと思っての思いやりだ。相手に嘘をつかせるのは私の弱さだ。強い人間になりつつある現在、もう相手からの思いやりは必要ない。相手の嘘に気がつけないのは自分が弱いからかもしれない。相手の思いやりに怒る必要はない。こちらがそれを要求していたんだから。相手に思いやりを要求していたから、こちらも要求されていた。もういいね。いらない。
2007/08/09
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潔くて。すっぱっと言い切る。自分の至らなさを反省できる。言い訳をしてもいいと思う。言い訳とわかっているのなら。言い訳しながら、でも本当は・・・。の本当はのあとを正直にいえるようになりたい。限界が見えてしまった。覚悟がないと、どこまでいっても同じ。愚直に生きてもいい。方向が間違ってもいい。どこかにたどり着くよ。(^^;)間違わないほうがいいけどね。でも自分が納得しているならいいよ。いまここにいる自分は自分が選んできた結果だよ。誰かのせいではないよ。でも言い訳していた。誰かのために力を出し尽くせなかった。本当にそうなのか?逆です。出し尽くしたくなかったから、誰かがいた。なぜだし尽くしたくなかったのか。いろんな理由があるけど認めたくなかった。自分に能力がないことを。(^^;)あれゆるね。ま、それも受け入れます。でも昔よりよくなっている。大丈夫。全然違う。さ、次にいこう。
2007/08/08
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自分の足で歩こう。決めました。
2007/08/07
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私の価値を決めるのは周りかもしれない。だからこそ自分の価値を自分で決めよう。高値で。
2007/08/06
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ずーぅっと言動が一致しない人が嫌いでした。(^^;)いま正直に言うと。それは自分。(^^;)完璧を目指しているわけではないけど、覚悟がなかった。自分の人生に対して。自分の価値がいまどれくらいなのかということに対しても。たいしたことないというのを自分で認めるのがいやだった。(^^;)いま認めることにしました。でもこれは逆に自分に自信が出てきたからのような気がしています。だから、自分をほめてあげようと思います。よおくがんばってきたから。大事な大事な自分。ずれがないようにしていこうとおもいます。これからはすこしづつ。すぐには変われないでしょうけど。私は素敵な大人になりたい。
2007/08/05
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夕立の中セラピー説明会にご参加ありがとうございます。(^^)/表層の意識と深層意識のつながりがイコールになるための方法みたいなのをお伝えしました。感情や体感をいかに否定せずに受け入れていくかということでした。むしろ積極的に意識以外の情報を取り入れるかをお話しました。不思議なことに今回私が話す直前におなかが痛くなって。あまりに直前だったので、痛みを無視して話をしたのですが途中でつらくなって、その旨を伝えてのおはなしをさせていただきました。痛いというのを伝えた後は少し楽になったのですが。(^^;)準備が足りないと思っていたのと最近がんばりすぎている自分に対して体からのメッセージだったようです。あまりにもタイムリーでした。(^^;)藤原さんからは評価されるまでのステップについて話をしていただいて。理想の上司が過去にいるのかどうかをみんなに聞いてみたら、ほとんどいなくて。(^^;)モデルがいなければ、自分がそうなればいい。とか。あと鈴木メソッドの話をしてくださって。継続ではなくて休まないという考え方を話してくださったりしました。
2007/08/04
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自分が人にとって価値がないとみられていることを認めるのはつらい。でも現状を認識してうごかないと、どこにもいけない。どこかにいきたいのなら、いま自分の現在地をしらないとね。ということで、自分にとっていままで決めがたいことを決めました。まあ、あいまいなままにしていてもいいかと思っていたんですけどね。(^^;)価値がないと評価されたことに甘んじようと思います。
2007/08/03
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わ人と深いところで話が通じ合えるのって気持ちがいい。お互いに尊敬しあえて、認め合う。そんな関係。なにかを協力しあってつくりあげていくときに感じられるものでもあるかもしれない。最近誰においても腹が立つということが減ってきている。いらだったり、腹が立つなあということがあるときには歴然と自分自身がいるから。相手を責める前に自分だったと早めに気がつけるようになってきている。逆にマイナスの行動に対しては自分を見ているのがわかるようになってはいるのだがプラスのときがまだわかりにくい。(^^;)とても惹かれてしまう人たちがいる。そこに共通するものが泰然としたものというのもあるのだが彼らに何をみているのだろうかと自分をさらに分析してみた。共通するのがわがままといってもいいくらい、自分の気持ちに正直に生きているところかもしれない。それは正直、自分の生活や仕事にかぶさってくるといらだちかねないもの。でもいらだつよりも、その見事なまでの自分を優先する姿、考え方に魅力を覚えてしまう。それは私をみているのかもしれない。私は人から優しいとか、わがままでないと評されることがある。だが、よおく私を観察している人ならわかるだろうことがある。人のわがままに振舞う様をわがままに観察したいがたまに、自分を抑えることをわがままに通しているのだ。(^^;)これとってもわかりにくいかもしれない。いい人に思われがちなのだが、全然違うのです。わがままな振舞う人をそのままにしているのを見ているのがすき。そのためなら、自分の我なんてどうでもいい。そんなところがある。相手に好かれたいとかではなくて。ありのままに振舞う人を見るのがすきなのだ。人を傷つけることがわがままではないことを言葉の定義として理解したうえでこの文章を読んでいただけるとありがたいです。以前にも書いてありますが、我のまま、我がそのままがわがまま。そのように解釈しています。案外とわがままなことを人は否定しますが、なにも害をあたえていないことが多いのです。ではわがままを嫌う人が多いのはなぜなのか。それは自分がわれのままにいられていないからではないかと類推をしています。わがままでいるひとは、人からの干渉やコントロールに乗りません。だからそれをしたい人からとっても嫌われています。(^^;)私は本来人の気持ちに敏感なので自然とコントロールされていたから余計とそういう人に価値をかんじるのかもしれません。だんだんと自分を知り、解除することでそうではなくなってきていますが。長らくそういう場にいました。いま誰からもコントロールされなくなりました。おそらく。(^^;)だからわがままです。あ、でもまだ嫌われたくないと思う人がいないわけではないので多少顔色を伺いがちです。逆にすかれているなあと感じるのが好きだからかもしれませんが。あ、いま少し思い出したけど、私子供のときにすごいわがままでした。(^^;)自分の我が通らないと怒ってばかりいました。(^^;)いまの娘がそうです。(^^;)すねて、怒って。我が子って自分の子供のときも映してくれているようです。3歳で別れているのに、不思議でしょうがありません。親子ってつながっているのだろうと感じます。もちろん私の親ともでしょうね。まあ、とにかくわがままに振舞う人に自分を見ていてそれはそれで好きなようです。多少自分に被害が被ったとしても。(^^;)たいしたことがないようです。それ以上におそらくは私のわがままな要求を飲ませているように感じてもいます。相手のわがままを通させるというのは、同時に私のわがままも通したいからかもしれません。お互い様ということですね。結局。(^^;)このエネルギーのバランスがとれていないとそうはならないのでしょう。
2007/08/02
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いやあ、子供ってありがたいなあ。(^^;)中学2年生なのですが、あれこれ家のことをしてくれて。昼間でかけているので家にいないので、あれこれお願いをするのですがしてくれます。(^^)/実は今回はじめてお料理をするということなんですけど、教えていないのにそれなりのものをつくってくれて。厳密に言うとこうしたほうがいいんじゃないの?というところがないわけではありませんがかなりレベルが高い。(^^)/はじめて?というくらいにきちんとできている。すばらしい。(^^)/彼女に家のことをしてもらうにあたって、どう気持ちよく動いてもらうか。そのときの言葉がけでかなり反応がちがって。実は初日、あれして、これしてではかなりいやがっていたんですね。(^^;)そして昨日は、カレーをお願いしていたのですが、私と彼女の判断と見解の相違でカレーはできていたけどすぐに食べられなかったんです。(^^;)まあ、正直おなかがすいている私はご機嫌が悪かったんですけど。笑いをいれながら、こうしてほしいなということもつたえました。そして彼女のがんばりを認めながら、私の気持ちを伝えたんですね。いくつか家のことをお願いしてあったんですけど、どれもやってくれていた。ただ片付けがされていなくて、「私が家に帰ってからしなくちゃいけないというのはあなたとの時間を楽しめないでしょ。だからいやなの。」「完璧になにかをしろというのではないのよ。気持ちじゃないかな」という話や。でもこのときに怒りはありません。(^^;)なぜなら、たまにしかいられない大事な娘に怒りなんて渡したくないし。そして全面的に彼女が悪いわけでもないので。でも何よりも一番うれしかったことを伝えました。「あなたがいて、家のことをしてくれるから、私にとって極楽だね。すごく助かるし、幸せだよ」これが彼女にとって響く一番動いてくれる言葉でした。「あなたのおかげでとても気持ちよくすごせる。ありがたいね。女性が妻をほしいという気持ちがわかったよ」なんて話をしました。本当に極楽でした。(^^)/昔の男性が結婚をしたがったわけだ。はじめて知りました。家のことをしてもらうことの心地よさ。自分がするのがあたりまえだったから、今回のことでなにかをしてもらう気持ちよさをはじめて知りました。本当にありがたい話です。だから娘がしてもらいたいことは何かを聞いて、そのオファーには応えて。お互いに気持ちよくすごしました。だから早くに寝てしまいました。(^^;)とてもためになる本を一冊読んで。お互いに好きなことをしているけど、近くにいる心地よさを感じながら。お互いに相手を喜ばせようと思う気持ちですごす。幸せな時間でした。そしてなにかしてもらうことで、相手に感謝と正当な評価を上手に伝えることも大事だなあと。なにもしてもらえなかったら、彼女の能力に気がつけないんですもの。お料理の上手さのなかに、丁寧さとか美的な感覚を見出せたことも伝えてあります。そしてはじめてというのに、教えてもらっていないのに、自分でそこまでつくりあげてしまうカンのよさ。いやあ、私は世界一しあわせな人だと思います。(^^)/私の周りの人たちも優しくて、魅力的な人ばかりですし。そして興味深い面白い話をしてくれるひとや、より向上しようとするひとばかりとすごせて。好きなことをして生きているのに、娘はこんなにもいい子で。息子は新しい彼女ができて、そちらのほうが大事だからいかないというけど自然な自立している頼もしい息子だし。(^^)/ありがたいなあ。本当にありがたい。なんでこんなに幸せなんだろう。人になにかしてもらうことってありがたいですね。私もたくさん娘のためになにかをしよう。そしてまたほかの人にも喜んでもらえるようなことをしよう。人からあれこれしてもらっている幸せをもっと、もっとお伝えしよう。いつも私と仲良くしてくださっている方へ、ありがとうございます。(^^)/
2007/08/01
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