セミリアイア「晩年」日記

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2019.03.08
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カテゴリ: 評論
「障害者」を「障がい者」と表記することが多くなった。「害」という字が差別的イメージを助長するというのが、その理由だろう。

しかし、それなら「障」という字はどうなのか。「障」の訓読みは「さわル」、「差し障りがある」という言い方がある。つまり「不都合だ、具合が悪い」というほどの字義だが、もっと語源的にいえば、「超自然的な悪霊などに触れている(さわる)」という意味である。それなら「障」の字の方がよほど差別的ではないか、と思える。

世間の差別反対運動の薄っぺらさはこういうところに如実に表れている。「いや、こういうところから一歩ずつ変えていかないといけない」という議論もあるだろう。しかし、それにしても浅はかである。言葉は、人間の在り方を表す。表した言葉を変えても、在り方は変わらない。変えたいのは言葉なのか、在り方なのか。漢字から差別のニュアンスを含むものをすべて抜き去れば、日本語が失われる。

自分は常用漢字という制限的な取り決めには断固反対の立場だ。「讒言」を「ざん言」と、「誹謗」を「ひぼう」、「履行」を「り行」、「罹患」を「り患」と書けば、漢字が伝える意味が失われる。が、それについては別のテーマとして、また項を改めて書きたい。

いずれにしても「障害」を「障がい」と書いて差別をなくする一助だというのは、言語的にも中途半端な間違いだし、実際の問題としても不自然なかな書きはかえってその部分を意識させ逆効果でしかない。

しかし、「差別的な言葉を当事者に向かって言う」のは立派な差別である。いや「立派な差別」などと言うべきではない。「ひどい差別である」。世の中には「障がい」と書いてすました顔をしている一方で、当事者に面と向かって「障がい者であってもこんなに健常者と変わらずできるんですね」などという酷い言葉を投げつけるバカがごまんといる。

もしこれが「女性であってもこんなに男性と変わらず・・・」とやれば、たちまちフェミニストたちの餌食になるだろう。

さらに「健常者」とは何と差別的なものの言い方だろうか。「自分たちはそちらの側の住人で、そこからその向こう側の『障がい』を持った方に手を差し伸べるのですよ」という意識が透けて見える。「障害者」という言葉自体もそう古いものではないが、「健常者」はもっと後の言葉で、おそらく「障害者」の対義語として生まれたものだ。その言葉は、自分たちのテリトリーをまず確定しようという、狡猾さ、用心深さから発せられる。

言葉を変えることで、差別はなくならない。むしろそれを先鋭化させることにあまりにも無自覚である。





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最終更新日  2019.04.06 06:48:00


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