セミリアイア「晩年」日記

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2019.03.12
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カテゴリ: 評論
障害者自立支援法という法律がある。

この法律のせいで、国立視力障害センターへの補助が大幅に減額され、今はほとんど入所者がいなくなった。成人した視力障害者が鍼灸やマッサージなどの資格取得が可能な場だったのだが、それが実質的には失われた。自費負担が大きくなりすぎたのである。

「自立支援」といえば聞こえはいいが、要は「支援」を減らし、いつまでもそれに甘えさせず、「自立」を促すということである。

国の各省庁や地方の役所は、職員の障害者枠を埋めるために、該当しない人間をその枠で雇用しているという嘘をついていた。

企業や役所が一定の割合で障害者を雇用するというのは、自由主義社会の中で例外的に保障される「結果としての平等」の一つだろう。そのことは決して否定しない、いや、支持する。

ただし、それが「例外的」なのだということは、忘れてはならない。それを忘れると、例えば、大学入試選抜をやめて、入りたい者が入りたい大学に入学できるようにすべきだというような愚かな議論がまかりとおる。つまり、努力の末獲得した「差異」を認めず、それをすべて「差別」だとする議論である。

運動会で着順をつけるのをやめる愚かさと変わらない。もし、それを徹底すれば子どもたちは一生懸命走るのをやめるだろう。そして、もしかしたら速く走る能力の芽を潰すことになるかもしれない。

障害者であってもなくても、普通の人間は社会の中で、職業を持ち、収入を得て生活していく。そこにいたるまでには一定の努力が必要で、職業に就いてからもその中での努力は必要である。それを「自立」と呼ぶのは正しいが、「自立」は社会の仕組みが「支援」してこそ、達成される。単に歳を取れば「自立」が訪れるわけではないのは、中高年の「引きこもり」増加問題を見れば、明らかだ。彼らは自立の努力が足りなかったかもしれないが、社会が支援なしに自立を促した結果生まれたともいえる。

いずれにしても障害者の自立には「支援」がより厚く必要であり、「応分負担」という名目で、自立の機会を提供すると言いながら、その実、奪ってしまう自立支援法は、我々の社会の本音と建前の矛盾を露呈している。



ともあれ、自立を支援すると決定したのであれば、自らの職場に、教室に、近所に、障害者がいることが普通なのだという感覚を持たなければならず、そこに入ってくることを拒んではならない。





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最終更新日  2019.04.06 06:47:02


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