セミリアイア「晩年」日記

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2019.07.26
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カテゴリ: 日々雑感
現実の世界は、例えば色のグラデーションのように、すべてが区切られることなく連続していく。しかし、人間はそこに区切りを入れて、ここまでは赤、ここからは橙などと呼称する。

ここまでは、いわば言語論の常識であり、そこから言語の恣意性、ひいては言語なしには成立しない思考の恣意性を指摘する。

だが、本当に区切られることのない連続世界、現実世界が正しいのか、区切ることでさまざまな有効性を手にしてきた言語の世界が正しいのか。

それは「正しさ」の定義による。この「正しさ」がコト・モノの正しさであれば、現実世界は絶対的に正しい。

しかし、この「正しさ」が倫理的意味での正しさなのであれば、区切ることは、少なくとも、大体において正しいとは言い得る。

どうも、哲学的なところから始まってしまったが、現実は以下の通り。

学期末で、担当の授業のまとまりを一応つけねばと、この2日間ちょっとバタバタしていた。『檸檬』は読み終わり、『山月記』は作者の意図についてのグループ討議の発表が終わり、『西洋近代の思想』はフランシス・ベーコンの経験論とルネ・デカルトの合理論を対比し、経験科学における純粋主観としての人間と、ボン・サンス(良識)を備えた、疑わしいものを排し、絶対的正しさに向かう倫理的主体としての人間を比較したところで終わった。

やはり、「区切る」ことはいつも一定の有効さを持つのである。少なくともひとまとまりの何事かを教え切った、という手応えを持つことが、仕事のやりがいを生むのだと思う。これが、毎日、毎日マニュアル通りの仕事をしていたら、「区切る」ことはできなかったかもしれない。労働時間の終了は、一つの「区切り」には違いないが、明日からまた同じことが続くのでは、手応えは感じないだろう。主体的、能動的に区切るからこそ、達成感が得られる。

さて、これから朝練。「区切る」意識は大切だ。今は、射のエイミングからリリースまでの一連の流れを、意識としてどこでどう区切るか、それが問題だ。





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最終更新日  2019.07.26 05:16:56


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