セミリアイア「晩年」日記

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2019.08.04
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カテゴリ: 評論
「老い」が論考のテーマだが、「論考」というより「随想」風になってきてしまった。それだけ、自分に身近な問題ということだろう。

「老醜」という言葉がある。好きではない言葉だが、ある程度は、「老」は「醜」であることを認めなければならない、と思う。そうでないと、呼ばれてもいないのにどこへでも顔を出し、言わずもがなのことを押し付けがましくしゃべり、「老醜を晒す」ことになってしまう。

老いているからこそ、慎ましげに生きるべきだ。「慎ましげに」と言ったが、この「げに」が肝心である。もちろん「げに」は「気に」であり、「慎ましい」という形容詞を、形容動詞化する働きのある語尾だ。「慎ましく」生きるのではなく、「慎ましげに」生きるのだ。「気」は、実質ではなく、そのような様子、「雰囲気」である。

老人は、もうそれほど世の中の重要な構成要素ではない。重要な役割を担ったとしたら、いつ死ぬかもわからず、到底最後まで責任を果たすことなどできない。にもかかわらず、いつまでもその立場にしがみつき、偉そうに物を言うことを「老醜を晒す」というのだと、自分は考えている。

特に自分や上の世代の人間は、人口のボリュームゾーンであり、消費社会の主役の座からなかなか降りられない。テレビは、新陳代謝の衰えた老人のための特定保健栄養食品だの、オムツだの、そんなコマーシャルばかりだ。便秘に効くとかいう「なんとかの力」とかいうCFに出て、「ドッサリ!!」とか言って、喜々としている。あれほど「老醜を晒している」ものはない。そういう健康問題は確かにあり、深刻な悩みなのだろうが、あの姿はみっともないではないか。

老人には老人らしい生き方がある。それを探っていきたい。





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最終更新日  2019.08.04 04:07:22


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