セミリアイア「晩年」日記

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2019.08.05
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カテゴリ: 評論
老年期は、「自己実現欲求」を満たす時期だ、と言ったのは心理学者のマズローだが、その前の段階が「承認欲求」であった。その前が自分の帰属する集団を得る「愛と帰属の欲求」。

マズロー説で大事なのは、この五段階欲求説の第4段階「承認欲求」までは、「欠乏欲求」であり、前段階の欲求が満たされないと、欲求そのものが生じない、ということである。しかし、それは違うだろう。

世間では一般的に「承認欲求」や「帰属欲求」を「自己実現欲求」と勘違いしているようだ。例えば、若者が「自分探し」と称して、定職にもつかずモラトリアムな日々を送るのは、一種の帰属場所を探し求めているのであって、決して「自己実現」ではない。マズローによれば、それが見つかり、そこで自分の能力や人間性を認められて初めて自己実現が可能なのだということだ。

しかし、そう一足飛びに周囲からその価値を承認されることはないし、大多数の人たちは、自分もその一人だが、十分には「承認」されないまま老年期を迎える。老人の繰り言や愚痴は、多くはそのことに起因する。

しかし、老年期を迎えたら、もう周囲に「承認」されることを諦めるべきだというのが、自分の考えだ。マズローの人間観はあまりに類型的、固定的に過ぎて融通が利かない。彼が晩年、自己実現欲求の上に、怪しげな宗教のように超越者との一体化というようなことを描いたのも、そのせいだと思う。

「承認」とは他者の評価を得ることであり、それは自分の思うままにはならない故に、完全に満たされることはない。しかもたいていの人は、自己評価が他者の評価よりも高いから、なおさら不満が募る。

いい歳をして「自分探し」などと言うと、笑われそうだが、自己実現は自分をもう一度構築することから始まる。いわば、自己による自己の再構築(リストラ)である。そのためには、ある時期までの人生を「これでよし」として自己肯定することが必要だ。さらに自己肯定するためには、これまで自分が得てきた「承認」をありがたいこととして受け入れ、それ以上を望まないこと、つまり「諦める」ことがどうしても必要だ。

自己の再構築といっても、老年期でゼロから始めることなどできない。今まで構築してきたもの、帰属していた場所、他者による承認の土台の上に、新たな自己を作り上げていくほかない。大事なのは今まで以上のことを求めず、他者に評価される自己ではなく、自分が評価できる自己を作ることだ。

さらに、それを「目標」としないこと。何かの目標に向かって日々を送るには、先が見えすぎている。言葉の正しい意味で「今日を生きること」だ。将来の何事かに向かって「今日」を生きるというのは、近代の進歩思想の負の影響である。「今」は常に「今」ではない「未来」の準備期間としてある、そういう存在のありようのおかしさは、もう100年近く前に実存主義者によって喝破されていることだ。





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最終更新日  2019.08.05 09:28:16


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