セミリアイア「晩年」日記

セミリアイア「晩年」日記

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

q蔵

q蔵

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

2019.12.25
XML
カテゴリ: 随想
今年は、大学入学共通テストや教員のブラック労働、今朝の新聞では小学校教員の受験者が過去最低、小中学生の運動能力が過去最低など、教育をめぐる報道が多い年だった。

今年の出生数は87万人。団塊ジュニアの世代は、ミリオン入試と言われて、センター受験者数が100万を超えると予想されていた(実際は、予備校が大げさに騒いだだけで、そうはならなかったが)。そのころからみると、子どもの数は激減している。

「子育て」という家族機能が外部化し、0歳児保育は普通のこととなった。というか、自分の孫もそうだが、1歳まで待っていると、保育園は満杯で入れず、待機児童組に回ってしまうから、0歳保育に入れざるを得ないのだ。

小学校はその延長線上にあり、教える内容は簡単だが、保護者からのクレームや、学級崩壊現象など、見るからにメンタル的に過酷そうな労働環境で、なり手がいないのも当然だ。しかし、公立校は、小学校だからといって、給与は低いわけではなく、考えようによっては中学高校のような部活動もないのだから、それほど残業や休日勤務はない。

ここから透けて見えるのは、日本人がひょっとしたら「子ども嫌い」になっているのではないか、ということだ。手がかかる子育ては、保育園や学校に預ける。その保育園も学校も、教員の担い手がいない。手間と時間が恐ろしくかかるから、というのがその理由だ。近隣に保育園が建つのを嫌がるなどの動きも多かった。

教育大学を卒業し、単に子供が好きだという理由で教師になった者はいくらでもいるが、彼らが定年の時期を迎えたころ、超氷河期と言われた就職状況は労働人口減少のために、超売り手市場へと好転し、教員の仕事は面倒で手間がかかり、成果が見えにくい、つまりは非常に魅力のないものに映りはじめたのだろう。

元はと言えば「単に子供が好き」というどうしようもなくレベルの低い理由を、職業生活の中で成長・深化させなかった世代に問題があるのだが、それは置いておく。

「単に子供が嫌い」という理由が、教員不足を招く社会の病理は相当に根深い。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.12.28 06:12:27


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: