セミリアイア「晩年」日記

セミリアイア「晩年」日記

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

q蔵

q蔵

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

2020.01.21
XML
カテゴリ: 倫理学講義
(1)個人と共同体 

 Ⅰ「なぜ、人を殺してはいけないのか」で書いた通り、私は個人主義者であると同時に、共同体主義者でもある。
 「個人」と「共同体」は二者択一の地平にはない。「個人」は「共同体」の中で誕生する。正確に言えば、人間は共同体の中で育ち、やがて個人となるが、最終的に自分が共同体の一員であることを強く自覚する。
 もし、生まれた時から「個人」であるとすれば、共同体とは個人間の契約に基づく社会であるという、社会契約説は正しい。しかし、実際は共同体の中から、個人は胚胎するのだ。「私」という人格の最も外側の被膜は「共同体」であり、核心的な内側の被膜は「個人」である。「私」はすでに「共同体」の価値を内面化してしまっており、そのコードに従って生きる。

(2)剥き出しのままの「個人」

 ところが、現代の状況は少し前とはまったく異なると言うべきだ。今、「個人」はいかなる共同体の被膜にも保護されず、いわば剥き出しのまま、「社会」に「たった一人で」置かれることが多い。ここで、「社会」というのは、所謂「近代社会」のことであり、特定の目的を持った集団のことだ。
 「共同体」とは、近代以前からあった地縁・血縁による人々の結びつきのことであり、「個人」-「共同体」-「社会」という順番に外周円を作るようにして、我々の生きるフィールドは構成されていた。少なくとも20世紀まではそうだったように思う。それが今世紀以降、共同体は消滅の一途をたどっている。
 「個人」が剥き出しのまま、社会に「たった一人で」置かれる、とは「個人」-「社会」という生きるフィールドの構成になってしまっているということである。ここでは「個人」は「社会」に保護されるというのは、例外的なことである。

(3)「社会」は「個人」を排除する


 会社の中で、役に立たない人間は解雇されるし、資本主義の中で役立たない会社も排除される。「目的社会」では、その目的達成に寄与しない人間に関心を払わないし、もしそういう人間が混入すれば排除するメカニズムを備えている。
 「個人」は「集団」の目的を達成するための手段であり、手段である限りは代置可能である。より性能のいい手段は、劣った手段を淘汰する。

(4)「個人」は「社会」を利用して生きる

 このことを個人の側からみると、自分が社会集団の目的に資することだけを人生の意味とする人もたまにはいるだろう。しかし、ほとんどの人は自分の全人格を会社に捧げるような生き方は選択しない。
 やがて年老いてゆけば、健康を損なえば、あるいは新たなシステムに適応できなければ、社会が自分を排除することは、ちょっと考えれば誰にでも分かることだからだ。
 自分がその集団の目的にどの程度寄与するかは、労働の貨幣価値として明確に示される。個人はその価値に見合う分だけ、労働を提供すればいい。そこで得た金銭と余った時間は、個人の楽しみのために使うだろう。会社に週40時間の自分の時間を差し出すのは、個人が生きるためであり、それ以上の時間、能力を提供する必要はない。会社が自分を手段化するなら、自分も会社を手段としてみればいいのだ。

(5)目的集団を疑似共同体とする。

 今、余った時間を個人の楽しみに使う、と言ったが、ではその楽しみとは何か。個人の純粋な孤独な楽しみもあるだろう。しかし、たいていの楽しみは他者との交流の中に見出される。
 その際、特定の目的のための集団であっても、以前は疑似共同体的な側面を持っていて、そこに楽しみを見出すこともできなくはなかった。昔は会社で遠足があったり運動会があったりしたと聞く。自分の職場でも、グループでスキーに行ったり、テニスをしたり、ということはあったが、ここ30年くらいはそういうこともなくなった。その30年は「リストラ」に始まり、「勝ち組」「負け組」、そして「正規」「非正規」という目的集団が疑似共同体的な仮面をかなぐり捨て、目的のそぐわない人間を排除し、あるいは目的に少ししか貢献しない人間の価値を冷徹に査定しつつ、己の本性を露わにした時期であった。
 結局、利益目的集団の中では、その目的達成に貢献する力が職場内の地位や給与に反映されていく。仲間意識があったとしても、それは一時的なもので、職場を離れればもはや他人としかいえなくなる。現代の日本社会では、「正規」も「非正規」も仲よく社内行事に、などという光景はありえないだろう。
 この30年の動きは、終身雇用制が崩壊していく過程であり、その中で会社や役所は疑似共同体としての役割を果たそうとしなくなってきている。元来、会社などの近代集団の成立自体が、共同体とは正反対のベクトルを向いているのだから、これはこれとして、ある意味では正常な変化なのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.01.21 06:07:32
[倫理学講義] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: