セミリアイア「晩年」日記

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2020.02.10
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カテゴリ: 評論
我々は出来事をそのまま記憶しているかというと、決してそうではない。

2001・9・11の世界貿易センターにハイジャックされた一般機が突っ込んだテロ。もう20年も前のことだが、その映像は衝撃的だった。自分は、夜中にたまたまテレビをつけたら、そのシーン。てっきり映画だと思ったのだが、そうでないと分かり、これは戦争になると確信した。戦争はイラクとの中東戦争、アフガニスタン紛争になったが、幸い中東を越えては拡大しなかった。

さて、その衝撃的シーンを見たのはいつか。半年後の調査では、73%のアメリカ人は9・11当日に見たと記憶している。しかし、実際のテレビ放映は9・12翌日である。

衝撃的で生々しい記憶ほど、そういう記憶違いが起こるそうで、脳神経学者のネイビーによれば、その原因は「想起する」、つまり「思い出す」ことにあるそうだ。記憶には「記憶する」「保存する」「想起する」という三つの局面があるが、9・11という日付が、あらゆるメディアで報じられるうちに「9・11に自分はあの事件をテレビで見た」という虚偽記憶が生まれるということらしい。

ネイビーは、それは必ずしも悪いことばかりとは言えず、例えばPTSDなどの自然な治癒にあたっては、虚偽記憶が有効に作用することもあるのだ、という。

しかし、その考えには賛成できない。「憎悪」「恐怖」などの負の感情は、むしろ虚偽記憶によって、強化されていくのではないか。自分の経験した残虐なシーンは、思い出すたびに、その残虐さを増幅していくということの方が、いかにもありそうなことだ。あるいは記憶自体を「抑圧」するという防衛機制が働く、というのはフロイトがすでに指摘している。

記憶が共有され、その出来事について、誰かと話をすることで想起されるときにも、記憶は変形されやすくなる。特にそこにいない第三者を非難するような場合、その人間の言動の酷さが誇張され、その誇張された言動が再記憶され、虚偽記憶となる。我々の人間関係の中では、常にそういうことが起こっているといっていい。

だから、「過去から切り離された今を生きる」という実存主義のテーゼは、一面の正しさを持っている。大切なのは「現在の他者に対する記憶」ではなく「現在の他者との関わり」自体だ。もちろん関わりたくもない記憶のある他者もいるだろうが、それはそれでしかたがない。

「関わらない」というのも一つの「関わり」の在り方である。





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最終更新日  2020.02.10 06:41:37


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