セミリアイア「晩年」日記

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2020.02.27
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カテゴリ: 評論
次年度からの「大学入学共通テスト」は、昨年暮れから迷走を続け、いまだにその全貌がよくわからない、という困った事態になっているが、まずもって、このテストがなぜ登場したのかを確認しておきたい。

背景には「新学力観」と呼ばれる、高校では2022年度からの新学習指導要領の新たな考えに基づく大学入試改革がある。

と書いただけで、このテストの奇妙さが分かろうというものだ。22年度から始まる新たな高校の学習に基づくテストを、なぜ20年度から実施するのか。センター試験や、共通一次試験では学習指導要領が変わる境目の年度の試験では、旧課程、新課程の両方の試験を作り、受験生に配慮した。始まってもいない指導要領の新学力観に基づく試験を次年度からやるというのは、どう考えてもおかしい。

それは置いておくとして、「新学力観」の内容を一言でまとめれば、「知識」から「思考・表現」に重点を移すということだ。そう言われると、多くの人は「それは、そうだ」と納得するだろう。些末な教科書の隅にも書いていないような知識を問う大学入試、膨大な暗記を強いる勉強に対する拒否反応は、依然として強い。

確かに現代は、そのような些末な知識は、ネット環境があれば、つまりスマホ一台あればすぐに調べられる。だから記憶しておく必要はない。

しかし、例えば、鎌倉→室町と武士政権は続くのだが、その中で応仁の乱は歴史上どのような意味を持つのか、なぜ室町幕府は衰退したのか等々は、些末な知識ではない。これは理解していなければならない日本の中世史の根本である。

どうも、そういうことまで意味のない暗記だと考えている人が多いように思う。そもそも「思考」は言語の産物であり、言語そのものだと言ってもいい。語彙が貧弱なのに、思考は豊かだなどということはあり得ない話だ。ある程度の語彙は、生活の中で身につくが、抽象度の高い語彙は、体系的な学習なしには身につかない。その最も効果的な方法は、教科書を通読することである。

例えば、山川出版の日本史の教科書を通読すれば、主として政治史による時代区分、経済史、文化史などは理解できる。理解できたものは多少努力すれば覚えられる。

もし、高校で教科書に沿って、さらに興味深いエピソードや詳しい史料を交えた授業に出会えれば、より十分な理解もできるし、暗記も容易だろう。



もちろん、学習指導要領は「知識」の習得を否定していない。その上に「思考力」と言っているだけなのだ。

それを「受験=暗記=無意味」という、それこそステレオタイプの見方しかできない者たちが、「新学力観」と騒ぎ立てている。騒ぎ立てた挙句の果てに、まず大学入試を変えてしまえと思い立ち、記述式の導入というどう考えても不可能なことを強行しようとした。それこそ「思考力の欠如」としか言いようがない暴挙である。





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最終更新日  2020.02.27 05:20:05


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