セミリアイア「晩年」日記

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2020.03.18
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カテゴリ: 評論
学校は小さな社会であり、そこで得る経験は民主主義社会の経験の雛型である、とその思想は問題解決学習など、日本の戦後教育に大きな影響を与えたジョン・デューイが考えたのは、もう70年前の話だ。

生徒会という組織があり、その会長候補が所信を述べ、生徒が一票を投じ、選挙管理委員会が開票し、当選者を決める、というのは、その一例なのだが、現在はどの中学、高校も候補者が複数立つなどということはなく、生徒会顧問に説得された者が、しぶしぶ立候補し、そのまま信任されるか、信任投票で信任されるかのどちらかのパターンがほとんどだろう。そして、生徒会は実質的には学校行事の請負機関であり、学校運営について権限を持っていない。中高生もそのことをよくわかっているから、立候補者の演説など誰も真剣に聴いていない。

しかし、そういう意味でも「学校」は「社会」の雛型である。総理大臣の言説を誰も真剣に聴かないし、国会議員選挙の投票率は50%すれすれであり、地方議会だと30%を割り込むことも珍しくない。誰も政治に期待していないという状況は、中高生の生徒会に対する態度と同じである。

自分が中高生だった頃は、生徒会長は一目置かれる存在で、決して先生の言うことを聞くだけの「いい子」ではなかった。小学校の児童会の会長は「いい子」だったが。自分は中学校で生徒会長をしたが、確か500票くらいの辛うじて過半数を取ったくらいだった。もう忘れてしまったが、何かのことで先生方とやり合った記憶がある。

高校は学生運動が下に広がっていて、自分の進んだ進学校の生徒会は解体していた。クラスの代表が集まり、いろいろなことを学校に「要求」した。先生方は、前年までの激しい学生運動に懲りており、大概は物わかりがよく、大半の要求は通った。一番覚えているのは、行事としてそれまで存在していなかった修学旅行を要求し、実現したことだ。それは、その後数十年、自分たちで計画を立て、業者と交渉する「クラス旅行」という行事の基となった。寮は「寮の自治」という言葉が普通に使われていたが、学校ほど過激ではなかった。やはり、初めて自宅を離れた寮生にとって、寮は家庭であり、そこではブラザーや寮母と甘えあう関係の中で、ちょっとした違反を繰り返しては小言を食らう、心地よい生活があった。

翻って、現在の中高の生徒会をみていると、決められたことをただ受動的に、教師の指示に従って請け負っている。その姿は、現在の社会の雛型だ。母校の寮には寮母ではなく寮教諭が入り込み、寮生の学習を学校から引き続いて管理しようとしているが、最近の進学実績は目を覆うほどの凋落ぶりである。

そんなことを考えていた折、紅野健介という人の『国語教育 混迷する改革』の後半の記述を読み、ああ、そういうことだったのか、と思い至ったことがある。

彼が言うには、学校が社会化したのではなく、社会の方が学校化したのである。イリイチなどの思想における学校制度批判は、学校制度が社会に適合する人間を育てていく機能を担う、という意味であった。学校は社会の価値観を内面化させていくための訓育の場だ。

そして、この機能が過度に働いた結果、逆に社会が学校化したのだという紅野の指摘は斬新である。彼は、この視点を大学入学共通テストや新学習指導要領の国語教育改革の問題を論ずる際に用いているのだが、この視点を敷衍すれば、現代社会のさまざまな問題を切り分けることができそうだ。






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最終更新日  2020.03.18 05:35:14


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