セミリアイア「晩年」日記

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2020.09.23
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カテゴリ: 評論
数年前に、「秋のゴールデンウィーク」として作られたシルバーウィーク。今年は、GO・TOと重なり、各地、大変な人出となったようだ。

自粛も我慢の限界に近かったところに、お上の肝いりで始まったGO・TO、その上の連休。観光地に人が溢れるのも無理はない。観光業も一息ついたことだろう。

万事めでたし、とは、しかしいかない。これで、また感染者が増加するという不吉な予想をしゃべりまくる「専門家」は、どのテレビにでも出ている。確かにそうかもしれない。しかし、同じ人間がつい数か月前、「感染者数よりも医療の逼迫が問題」と言っていたのではなかったか。

悲観主義者は「悲観」自体が目的であって、その手段はいくらでもある。前の手段と今の手段が矛盾していようと、そんなことは意に介さない。要は「悲観」を世の中に流布できればそれでいいのだ。しかも、その悲観を信奉する人間は多い。

言葉を選ばず書けば、信奉者は個人としての己の人生に不満である。不満だからこそ、パンデミックが彼から見れば幸福そうに見える大多数にふりかかることを、実は内心楽しんでいる。だから彼らは「悲観」の伝達者を買って出る。そのなれの果てが「自粛警察」だった。

そして、大衆はお上のお墨付きがあることに安心し、それでもおっかなびっくり周りをきょときょと見回して、ああ、みんな行ってるんだとなって、やっと出かけはじめる。

感染状況がそう変わらないのに、一か月前なら「非国民」扱いしていた外出行動を、今度は自分が堂々とやり始めることの矛盾は自覚していない。

コロナに関する稿で何度も書いたのだが、「移動の自由」は個人の基本的な権利である。その自由を行使するかどうかの判断はまったくその人の考えに拠るのであり、その判断を互いに尊重するのが成熟した市民社会なのだ。そう考えれば「令和」も依然として「ムラ社会」が続いているとしか言えない。





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最終更新日  2020.09.23 06:31:21


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