セミリアイア「晩年」日記

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2020.10.30
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カテゴリ: 時評
この項、2回目だが、1回目の最後に書いた一律5万円のバラマキは、どうやらお蔵入りになりそうで、よかったなと思う。

結局、衆院選が近い一部議員の焦りが背景だったようで、さすがにGoToで出歩く人が2500万人にも達すると、一律給付の名目もどう考えても立たないと認めざるを得なかったのだろう。

さて、「自助」が近代市民社会を支えるのが自立した個人であるという前提に立つなら、最初に来るのは当然だと書いた。事実、大部分の日本人は自分で稼いだ金で生活している。

年金生活者の場合、賦課方式は現役世代の社会保障支出(控除)から年金が出ているのだが、積み立て方式なら完全な「自助」である。しかし、いずれにしても年金世代が現役だったころには、同じように高齢者の年金の原資を自らの稼ぎから負担していたわけで、その意味ではこれは世代間の「共助」というのが正しい。ただ、国会の作った年金法案に基づいているのだから、「公助」だという側面もあるだろう。

しかし、「生活保護」と同じなのだと言えば、多くの年金生活者は猛反発するだろう。年金生活者の意識としては「自助」であり、実態は「共助」なのだというのが、最も適当な見方だろう。

自分の場合は、雀の涙ほどの給料+年金+預貯金の取り崩しで生活しているのだが、やはり意識としては「自助」である。年金額は、こんなものかと思うのだが、それでも自分の今までの稼ぎの反映なのだから仕方がないし、いくらかの預貯金を加えれば、何とか自分たちの生活は賄える。たまに旅行もできる。外食も。孫にいろいろなこともできる。

「自助」でやっている限り、法令に違反するようなことでなければ、何をしても自由だ。

「共助」は例えば家族間の助け合いのことだ。娘夫婦にデミオを8年ほど前あげた。息子にも軽自動車をあげた。結婚や新たな就職、住宅購入など、まとまったお金のかかる局面で、親としてそれ相当の援助もしてきた。息子は自分も40年前に通った大学院にも籍を置き、年に数回ゼミに顔を出し、ドクターの称号を手にしようとしている。娘にしたのと同じように授業料は負担している。国立大なので年間60万ほどだが、娘と息子の教育費の総額がほぼ同じになるようにしている。今や、息子の方がはるかに年収も多いのだが、すでに博士号を持つ娘にもそうしていたのだから、これは当然と思う。

金銭のことを別にすれば、自分たちはこれまでいろいろな人に「助けられて」きた。特に40年も住み続けているこの家の近所の方、同僚、仕事上で知り合った方、等々。人生はお金がすべてではない。金銭に換算できないさまざまな「お世話」を受けてきた。

「自助」が可能な、いわゆる普通の人々にとって、次に大事なのは「共助」である。目に見える周りの人間との節度をもった助け合い、一方的に相手に依存するのではない相互的関係、それが近代市民社会のもう一つの土台である。






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最終更新日  2020.11.06 17:24:32
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