セミリアイア「晩年」日記

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2020.12.23
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カテゴリ: 時評


まず、いい点は写真や動画など紙の本では到底できない視覚的わかりやすさが実現できるだろう。また、資料の差し替えなども容易である。また、文章を読むという作業自体は、画面上でも、紙面上でも同じだとも言える。

ランドセルに教科書を3冊も入れれば相当な重さになるから、低学年ではありがたいかもしれない。

しかし、学力という面では確実に低下を招くと言えそうだ。というのは覚えた知識の再現性というのが学力の本質だが(この点については思考力、判断力重視という今の指導要領の理念にはまったく反対の立場だ)、それは現れて消えていく画面では著しく低下する。なぜなら、「どこに書いてあったか?」という問が立てられないからだ。

昔、大学生のころ、非常に学力の低い小学生を教えたことがあった。「今、算数はどこやってるの?」と聞くと、彼は教科書を始めからめくっていき「う~ん、う~ん」と唸っている。そのまま見ていると、最後のページまでいってしまう。つまり、彼は今、何を習っているのかが定位できないのだ。

指導はそこからだった。「今度、学校で習ったページに赤ペンで丸印つけておいで」と言ったら、数ページについている。「これ全部やったの?」「う~ん・・・」。

で、ひと月くらいで、ここには足し算の繰り上がりの計算、ここでは引き算というふうに、大体教科書のどこに何が書かれているかを、彼は言えるようになった。それだけでも彼にとっては「パラダイムの転換」だったはずで、聞きもしないのに「先生。今日はここやった。かけ算!」と報告してくるようになった。

ほとんど0点だったテストで、大体30点くらいは取れるようになってきた。教科書というのは、やさしいことから始まってだんだん難しくなっていくものだということが分かったのである。だから今やっていることが分かるためには、前のやさしいところからやり直すのがいいのだ、ということも。それで、「普通にできない」くらいにはなった。

お母さんが、喜んでお礼に来た。その後、家庭教師は終わりになったのだが、彼は今ごろどうしているかな、と時々思う。

デジタルではそれができない。知識が積み上がらないのだ。すべての内容が現れ、消えていき、その場その場では読めば分かるが、蓄積がなくなる。我々が、ネットで何かのことを調べるには便利この上ないが、それを調べようとする以前に、知識と思考の「蓄積」がある。それはもちろん生まれついて持っているわけもなく、主として義務教育の賜だ。

この項続く。





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最終更新日  2020.12.23 06:18:15
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