セミリアイア「晩年」日記

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2021.02.20
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カテゴリ: 時評
​​​例のオリンピック委員会の会長は「女性が入ると会議が長い」という、どうしようもない失言で辞任に追い込まれ、新たに元オリンピアンの女性大臣が、その職に就くことになった。大臣はもちろん辞めて、今朝の報道だと離党までするらしい。

​​どうせあと4ヶ月くらいのことであり、急場なのだからそこまでしなくてもと思うのだが、マスコミの論調はそうでもない。オリンピックの「不偏不党」という理念に、特定の党の議員は合わないのだそうだ。

​​そんなにヒイヒイ言わなくてもいいじゃないか(あ、これも女性差別かな?いや、そんなことはない。男もヒイヒイ言うヤツもいるんだし)と思うのだ。そもそもオリンピックが「不偏不党」的に行われたことなど、一度もない。それは極めて政治色の強いイベントであったことは歴史が示すとおりだ。冷戦の時代、モスクワのオリンピックにほとんどの西欧諸国は参加をボイコットしたし、ロサンゼルスにはソ連を始めとした東欧諸国は不参加だった。

​​「アスリートファースト」とかいう理念も大いに疑わしい。近代オリンピックの本質は、壮大なスペクタクル、あるいは商業的「見世物」である。それでいいじゃないかと自分は思う。無観客はまだいいとしても、テレビ中継のないオリンピックなど、誰も関心を持たないだろう。ここにも大きな誤解があって、関心が強いからテレビで中継するというよりは、テレビ中継が大きな国民的関心を呼ぶのである。

​​マスコミは、オリンピックに向けてアスリートのさまざまなストーリーを垂れ流し続け、一般国民はそれで今まで見たこともなかった競技にも興味を持つようになり、そこで日の丸が揚がると、「鳥肌が立った」(お化けでもみたのか?と突っ込みたくなる物の言い方だ)と感動するのだ。その果ての「アスリートファースト」である。

​​しかし、オリンピックという4年に一度の壮大な「見世物」が東京で開催されるのだから、ぜひ見たいではないか。まだ、コロナのことで、今のところは開催に否定的な世論の方が強いようだが、ワクチン接種が始まって、おそらく開催否定論は急速にしぼんでいくにちがいない。実際、北半球の多くの国では、冬の終わりとともにコロナは終息に向かっていくだろう。インフルエンザと同じ理屈だ。さらにワクチン接種の心理的効果も手伝って、開催が決まれば、今度はちょっとでも感染者が増えると、オリンピックが開催できなくなっていいのかという脅迫めいた世論が起こり、自粛警察が今度は大義名分、錦の御旗を手に入れ、盛んに活動するだろう。

​​まあ、コロナとオリンピックの狂詩曲的二重奏の中で今年の前半は過ぎていくのだと思う。





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最終更新日  2021.02.20 04:34:43
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