セミリアイア「晩年」日記

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2021.11.25
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カテゴリ: 言葉・コトノハ


古語では他に「逆接」という大切な意味があり、これも「彼は子どもながらに、切なさを感じた」という文の意味が了解されるのだから、現代日本語にも一部は残っている。

さらに、「【まるごと】のながら」と自分が呼んでいる使い方があり、「壺ながら得てしがな(壺のまま全部手に入れたい)」のように、体言接続で用いる。

などということを書く予定ではなかったのだが、以上は、話の枕である。

昨日、昼寝の後に、今日が事務に提出締め切りの扶養者等の書類を書いたが、相撲をテレビで見「ながら」だった。おかげで、「阿炎ー宇良」という11日目屈指の一番を見逃してしまった。あ、始まるなとは分かっていたのだが、年金と給与を足して、控除額を計算式に当てはめて・・・という結構面倒なことをしていたすきに、大一番はあっけなく終わったらしい。

自分の若いころは「ながら族」などと言われ、「ながら」は能率の悪いやり方とされていた。しかし、今、そんな言葉は聞かなくなっている。むしろ、一度に複数の情報を処理する能力が高いことが、賞賛されもする時代だ。シーズン3まで見終った「Good Doctor」では、命に関わる手術を「それで、リアとの関係は修復できたの?」などというプライベートな会話をし「ながら」、やっている。設定では全米屈指の外科医たちの物語だ。多忙な彼らは仕事と私生活を「並行」しながら生きている。

普通の人びとも、電車に乗りながらスマホをいじっている風景は、まさに「ながら」族であり、自分たちが若かったころに音楽を聴き「ながら」、勉強するという「ながら」とはまったく違う様相だ。

人間の一日を俯瞰すれば、実にいろいろなことをやっているわけで、生の本質は、全神経を集中して、やり遂げることではなく、いろいろなことが尻切れトンボのままに、行われ続けることかもしれない。だとすれば、「ながら」はそれにかなった生き方とも言える。





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最終更新日  2021.11.25 05:47:11
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