セミリアイア「晩年」日記

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2022.08.25
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カテゴリ: 仕事


CDが不調だったのか、再生機の問題なのか、朗読が一向に始まらない。「しょうがないなぁ。時間がもったいないからオレ読むね」と自分が読み始めた。「籠西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして虎榜に名を連ね、次いで江南尉に補せられた。」と読んでいく。もう数十年教えていて、論文も書いたくらいだから、ほぼ暗唱できるくらいにはなっている。それでも、数カ所は、今の言い方で言うと「噛んで」、20分ちょっとで読み終えた。

「マスク越しだからね、死ぬかと思った!ちゃんと聞こえた?」

生徒は「すごく聴きやすかった」と言う。まあ、そう言われると満更でもないのだが、プロの朗読に比べると、結局素人であることは自分で分かっている。ただ、放送局のコンテストの朗読指導などはしていたし、詩の朗読テストなどもしたこともあるので(コロナで3年ほどやっていない)、音読に関しては、自信はある。

教師が読むのを「範読」と呼ぶが、最近、英語などはほとんどCDでやっている。それは違うだろう、と自分は思っている。やはり、今はこれもコロナで無理なのだが、読み手の口元の動きが見えないのは、英語なら致命的だと思う。音声学的には、音だけで幼児は言葉を覚えていくというが、ある段階までは母親の顔をじっと見ながら、聴くことが重要なのは言うまでもない。自分の二十数分に比べたら、英語のセクション一つくらい、どうということもない。

「範読」しないのは、ネイティヴ信仰が、未だに根強いからだろう。アメリカ流の発音でなければいけないという思いが強すぎる。インド人、中国人などは日本人から見ると酷い発音で、どんどん話す。アメリカ人はそれを揶揄するが、彼らは堂々と自分の主張をし、それを通す。日本人は、アメリカ人の尻馬に乗って「酷い発音」だと笑うだけで、流暢な英語の使い手であっても何も主張しない。だから、彼らに置いて行いかれる。

話が逸れた。高校生の場合、自分が「範読」するのは、詩や古文、漢文に限られる。大概は生徒に少しずつ「指名読み」させて、読めないところを正すだけだ。1,2年生なら、古文、漢文は教え終わったところまで、必ず「斉読」させて授業を終える。

しかし、たまにはこうやって「範読」するのも悪くないと思った。





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最終更新日  2022.08.25 11:25:48
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