セミリアイア「晩年」日記

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2022.10.28
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カテゴリ: 哲学論考


そこで、彼が「細胞壁の内側には自己ならざるものがあり、それが他者だと……」と繰り返すようなら、後は放っておくしかないだろう。

しかし、「他者とは自己ならざるものである」という命題は、一つの出発点となり得る。本当にそうだろうか。

「自己ならざるもの」の具体例をあげてみればいい。海王星や冥王星は、「他者」である。それは、そうだろうが、天文学者ならともかく、肉眼で見たこともない惑星を我々は決して「他者」と感じはしないだろう。

どこか日本ではない島国の歴史上の人物は?これも歴史学者でもなければ、やはり「他者」と感じはしないだろう。

それでは、テレビに映るアジアやアフリカの聞いたこともない部族たちは?彼らは「他者」であり得る、つまり、そう感じてUNISEFのマンスリーサポートに応じる人もいる。しかし、多くの人にとってそれは意味ある「他者」ではない。

同じくテレビに映る相対的貧困と呼ばれる新たな下流の人びとは?多くの人は、それを「他者」と感じるだろう。彼自身がその新たな下流の中にいても、それは彼自身ではないのだから「他者」である。

つまり、「他者」とは、通常は同時代を生きる、そして自分の射程内に収まる(考えが及ぶ)人たちのことである。

そしてさらに重要なのは、誰を「他者」と感じるかは、その人の「自己」感覚と密接に関わる。曖昧な言い方だが、「自己」感覚が強ければ強いほど、「他者」感覚は弱く、「自己」感覚が微弱であれば、「他者」感覚は強い。

次項ではこの問題、つまり「自己」感覚と「他者」感覚の関係を考えてみたい。





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最終更新日  2022.10.28 06:20:35
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