セミリアイア「晩年」日記

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2023.10.28
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カテゴリ: 哲学論考


が、社会的役割が、人間の演じるものである、という見方は、例えばフロイトの「意識ー無意識」という二世界観的なものの残滓がある。「与えられた役割(役柄)」ではない「本当」の自分は別の所にいるのだ、という少し前に流行った「自分探し」にも通じるところがある。しかし、探して簡単に見つかるような「自分」など「幻想」であり、それは自分の「役柄」を強要されたものと見なし、そこから「逃避」しようとしているにすぎない。あるいは、彼は「自分探し」というストーリーを演じているのだ、と言ってもいい。

しかし、そのように言ってしまえば、我々はいつも何らかのストーリーを描き、その主人公としての自分を演じているのであり、それを可能にするために、ハイデガー風に言えば、己の根源としての「存在」を「忘却」しているのだ、と考えることも出来る。

本稿では、今の自分の人間観に最も近い「演劇的人間」について、少しずつ論じてみたい。

(まあ、忘れなければの話なのだが)





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最終更新日  2023.10.28 07:57:26
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