第7官界彷徨

第7官界彷徨

源氏物語の姫君


 私がいちばん好きなのは玉鬘。夕顔の忘れ形見玉鬘は、北九州から逃れて長谷寺に参詣してそこで源氏の女房になっていた乳母?と再会するんですね。きりりと人生を切り開いていくところが自立した女性の鏡です。
 次に好きなのは明石の上。決してでしゃばらず、自分の出自の悪さが源氏との娘,明石の姫君の出世の障りにならないよう、身を引くけなげさ。最終的には娘を天皇に嫁がせて、皇太子を産ませるという勝ち組。

☆花散里
光源氏の父帝の妃、麗景殿女御の妹君。 
取り立てて美人ではないが、お裁縫や姫君の養育なんかが得意な、心優しい人。人を見る目の鋭さもありながら、人に良い印象を与える人柄や人格をもっています。
 みかけは、「こんな人でも父は見捨てないのか」と、夕霧がしみじみ思うほどひどいという設定です。染色の達人で、源氏の家の家事の重要な部分をまかされていて、葵の上の産んだ夕霧や、玉鬘の養育をまかされていました。主婦の鏡ね。

☆葵の上
 光源氏が12歳で結婚した相手。左大臣の父と、皇女の母の間に生まれた、プライドの高いひと。鮮やかなまでに気高く、くだけたところがない、端正すぎるお姫さまと、源氏はうちとける事が出来ません。
 結婚10年目に妊娠した葵の上は葵祭のおりに車争いをした六条御息所の生霊に苦しめられながらも、夕霧を産みます。
 見舞った源氏は「美しいかたがひどく衰弱し、あるかなきかのご様子で横たわっておいでの様子は可憐でいたいたしい。御髪はひとすじの乱れもなく、はらはらと枕のあたりにかかった様子が、比べようもないほどなので今までのご様子は何が不満だったのだろうと、不思議に思うほどなのです。
 しかし源氏はそのあと、藤壷との間の子、東宮の顔を見るために参内してしまう勝手もの。そして生霊に取りつかれて葵の上は死んでしまうのです。

☆夕顔
 女でありながら女以上に異性の目で女を見ていた紫式部の作り出した、女っぽい女、それが夕顔。
 「華やかでない姿が可憐で、か弱気で、どこといって優れたところはないのだが、ほっそりとしてなよやかで、ものを言うしぐさも可愛らしい」その様子に、源氏は夢中になるのです。
 ひたすら従順で思いどおりになる女、そして六条御息所の生霊に殺されてしまい、そのなきがらはとても小さかったのです。
 夕顔の死後、乳母子の右京の話として、夕顔の身の上が語られます。三位中将の姫君だった夕顔は、父の死後心細く暮らしていたところに頭中将が通うようになります。玉鬘という姫も生まれたのに、北の方の権勢におびえてひかげの暮らしを余儀無くしていました。極端に内気な夕顔は、、頭中将におろそかにされても怒りもせず、源氏の誘いにものってしまうという、男にとってまことに都合の良い女性として書かれています。
 恋人であった頭中将は雨夜の品定めで、夕顔のことを「愚かな女」と断定していました。

 夕顔が源氏になにがしの院に連れて行かれる場面があります。
『まだ知らぬことなる御旅寝に息長川と契りたまふことよりほかのことなし


 まだ知らぬ・・・旅寝を引き出す歌ことば。
 息長川・・・歌ことば。息が長い「息長足媛命=神功皇后の名」をゆかりとして、人名や地名に使われている。

万葉集4458に
*にお鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも
 にお鳥はカイツブリのことで、息長く水にもぐっていられるので、息長川を引き出す言葉になった。
 新古今では琵琶湖のことを「におのうみ」と呼んだ。

☆六条御息所
大臣の姫として生まれ、東宮の妃となりながら結婚4年で夫に死に別れ、通わせた光源氏は彼女の地位にふさわしいもてなしかたをしてくれない。
 当世随一の教養人として名をはせながら、自分の思いを相手に言えずに胸の中で思い詰める。自分では気づかないままに、その恨みは怨霊となるまでに高まっていくのです。

☆2007年より、柏木の巻で女三の宮が登場し、柏木の死後、その妻落葉の宮と柏木の親友、夕霧の恋の顛末が書かれる、横笛、夕霧の巻に入りました。
 女三の宮は、源氏にとって物足りないこどもっぽすぎる姫君と書かれていますが、柏木との過ちののち、人生に悩み成長していきます。
 けっこうちゃんとした人なんですね。ただ、源氏とは年齢が違いすぎて価値観が合わないだけで、若者たちの中では素敵な姫君!

☆そして、昔の頭中将、今の左大臣の息子柏木が、罪の重さに悩み抜いて亡くなってしまったあと、柏木の未亡人の落葉の宮のお世話を頼まれた源氏の息子夕霧は、女三の宮の姉の落葉の宮に心惹かれていきます。
 ところが、落葉の宮は異常なほどのマザコンの姫で、母御息所なくては生きていけません。しかし、母は静養に行った小野の別邸で亡くなってしまいます。
 それも、言い寄る夕霧の対処に心を悩ませた末のことと落葉の宮は夕霧を恨むのです。
 夕霧の訪問に塗籠という小さな寝室に籠って、バリケード並みに拒否する落葉の宮の様子は、誰よりも自分が大事、というガーリッシュそのもの。
 源氏の時間に先生に申し上げたんですが、私の一番好きな源氏の姫君は、落葉の宮だと思います。世間知らずなくせに意固地なところなど、大いに共感できるのです。
 これは、2008年2月の感想ですが、また後で、宇治十帖まで読み進めば、大君がいい!なんて言うかも。



=娘は母の代理戦士=
 明菜ちゃんがベストテンのトップを走っていた時代、娘は母の「代理戦士」って言葉がありましたね。母親達が自分ができなかったことを娘に託す思い。いい学校へ行かせ、一流企業へ就職させ、キャリアとして社会に羽ばたいてほしい。または一流企業の社員と結婚させたい、芸術や文化での持ってる能力を花開かせたい、などなどバブル経済の勢いもあって母と娘の華やかな夢がいっぱいの時代でしたね。

 平安の昔、源氏物語にも母と娘のドラマが展開しています。
*夕顔と玉鬘
 母の夕顔はかれんな母、頭中将の思われ人でありながら、北の方に遠慮して宿を転々とし、頭中将には大事にされないで、源氏の誘いにものってしまうという自分を持たない女性です。
 娘の玉鬘は、母の死後乳母に連れられて北九州で育ち、苦労を重ねます。京に登って来て、源氏にひきとられ、あまつさえ言い寄られても、困ったことだと思いつつもそれをかわし、髭黒の大将に言い寄られても、それを正当な結婚と認めさせ、皇族出身の北の方にかわって北の方となります。そのための手順もばっちりです。華やかな容姿、すばらしい人柄、元気をなくした源氏を左大臣になった夫髭黒とともにサポートすることもできますし、なさぬ仲の子供達からも慕われるんです。この伏線として、若い日の苦労があるんですね。

*六条御息所と秋好中宮
 有名な車争いや生霊となってとり殺す怖い人、というイメージがありますが、本当は当世随一の教養人。姫が伊勢の齋宮になったのをきっかけに、伊勢におもむきます。
 姫は六条御息所の死後、光源氏に養女としてひきとられ、源氏と藤壷の間の不義の子、冷泉帝の9歳年上の中宮となります。絵が大得意の彼女は絵が好きな冷泉帝の心をつかみ、「母上とは違って、なんと幸運の持ち主!!」というラッキーな人生を歩みます。

*明石の君と明石の中宮
 明石の君は、源氏が失意のうちに須磨に流されていたときに出会います。もと大臣の家柄ながら、受領階級におちぶれてはいますが、父の明石の入道は「高貴な人との結婚」を娘に託し続けます。優美で上品に育った明石の君はしなやかなものごしは皇女といっても不足はないほどに育ち、源氏にみそめられるのです。姫をもうけ、京に引き取られながらも、自らの身分をわきまえて、源氏との間の姫を紫の上にわたして育ててもらうのです。
 琵琶の名手として成長した姫君は中宮となり、「一夫一婦の普通の家庭のように、後宮で並ぶものなく愛されて」皇子を何人も生み、明石一族は天皇の外戚として願を果たすのです。

 2008年3月11日
 源氏千年で売り出し中の今年(誰が売り出しているかは不明)、京都のもと料亭に保存されていた源氏物語の写本が見つかったとのニュースです。
 定家のものとは違う、鎌倉時代後期のもので、末摘花の巻ということです。昔はみんなが書き写していたので、原作とは違ってきてしまう場合も多いらしく、この写本は紫式部の原作により近いのではないかと推測されているそうです。

 源氏の姫君の中では、末摘花は、象のように長い鼻を持ち、その先が赤いというコミカルさでおなじみですが、私は、源氏の姫君の中で、一番が玉鬘、2番が落葉の宮、そして3番目くらいに末摘花を擧げたいです。
 なぜって彼女は本当の高貴な姫なんです。

 末摘花の巻では、若くて遊び盛りの源氏と頭中将が、どこかに素敵な姫はいないかと夜な夜な遊び歩く時に、高貴な孤児の姫の存在を知ります。
 そしてまめ男の源氏は頭中将に先駆けて、末摘花と結ばれるのですが、その姫の古風なことといったら。
 琴の名手ではあるけれど、曲も琴も昔ふう。源氏が歌を贈っても気の利いた返歌すらできず、女房たちもそれを補う才覚のあるものもいないのです。
 結婚して間がないある日、源氏は末摘花の姿をどうしてもみたくなって、見てしまいます。
 高く、長くて垂れ下がった先だけが赤い鼻。青白い顔に非常な痩せぎすで、着ている物は桃色の変色した重ねに、黒貂の毛皮を着ているのは、異様だけどこれがなければ寒さが防げないからだろうと思われる。

 でも、源氏はこの姫を見捨てず、かえって他の人たちよりも気を使って、こまごまと暮らしの世話を焼くのです。
 黒貂の毛皮を着なくてもいいように、絹、綾、綿、老女たちの着料、門番の老人のもの、生活費なども渡します。
 姫は自尊心も風流心もなく、気の利いた歌は読めず、物語の中にこころを遊ばせる趣味も何一つないのですが、そういうものは高貴な存在とは無関係だと、紫式部は言っているようです。

 そして、須磨に流された源氏が、許されて帰って来たとき、「蓬生」の巻で未だに源氏を待っていた末摘花が登場します。暮らしはいよいよ逼迫し、姫の血筋を利用しようという叔母が、任地へ同行させようと誘うのですが、たとえ困窮しても父の屋敷を守っていこうという末摘花。(守る、といってもそこにいたい、というだけですけど)

 源氏は全然末摘花のことを思い出さないのですが、ある日、見覚えのある崩れた土塀の家に気がつきます。誰も住んでいないのかと「惟光」を見に行かせると、廃屋ふうの家に姫がいたんですね。源氏は
「こんな草原のような中で私を待っていてくれたなんて。今後誠実さの欠けたふるまいはしませんから」と、感動するのです。

 廂もとれて忍ぶ草の生い茂った邸内に、昔通りの調度があるのも、親のしたままを保つ姫のいい所と源氏は思い、そののち、加茂の祭りや斎院のみそぎの頃など、源氏への贈り物が沢山集まると、源氏はその中から自分で末摘花の所の足りない物を選んで贈り、下男を派遣し、庭の蓬を刈らせ、崩れた土塀に板を張り、邸内を整えさせるのです。

 そして、新しい御殿を建築中だが、「そこへあなたを迎えようと思う」と末摘花に手紙を書くのです。
 紫式部は「何一つすぐれたところのない末摘花を、なぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのだろう。」
 そして、その後源氏の東の院に引き取られた末摘花のことを知り、意地悪な叔母さんや、離れて行った侍従がどんなに驚いたかを書きたいけど、頭が痛くなったので、またあとで。と書いています。

 ダイジェストにすると、黒貂の毛皮や長くて赤い鼻しか出て来ませんが、生まれ持った高貴な心の持ち主、それが末摘花です。

 今回公表された写本では、どんな末摘花の物語なのか、興味深いことです。

2008年8月
☆六条御息所
源氏を溺愛した父桐壺帝は、本当は帝の后になるはずの左大臣の姫の葵の上を、源氏に貰い受けます。これがドラマ大成功の発端となり、登場人物にとっては苦しみのもととなります。
 この桐壺帝の心は、紫式部の曾祖父、藤原兼輔の歌
*人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に迷ひぬるかな
 の影響を受けたらしいそうです。

 葵の上は左大臣のひとり娘で頭中将の妹。源氏より4歳年上で、帝の子とはいっても臣下となった源氏よりも位は上の左大臣家。端正で気位が高く、うちとけることの少ない夫婦でした。
 結婚9年目の春にはじめて懐妊し、左大臣家と源氏の喜びは大きかったものの、源氏が葵祭の勅使として晴れの役目をする日に、六条御息所との車争いがおきます。

 六条御息所は車を壊され、人々に顔を見られるという悔しさにさいなまれます。(源氏は、家柄がよく頭の良い六条御息所のような女性が好きでした。)

 葵の巻で生霊が現れる場面は、今のCGにも匹敵するほどの巧みな構成だそうです。隣の部屋では護摩を焚き必死のもののけ退散の読経がつづく中、源氏はひとり葵の上のそばにいて、励まします。すると葵の上の口から、「苦しいから、読経をやめさせて」という物の怪の言葉が出るのです。

 源氏が悪霊を追い払い、無事に夕霧が生まれたあと、家に居て御息所がその知らせを聞きます。
「御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひて、ただならず」とあります。
 男の子の出産を聞いて、心おだやかではありません。葵の上の命があぶないと聞いていたのに、なぜ無事に生まれ(てしまっ)たのだろうと(くやしさでいたたまれなく)思います。
 そして教養ある貴族の思いと女性としての素の人間の思いの葛藤にさいなまれます。

「御衣なども、ただ芥子の香にしみ返りたるあやしさに、御ゆする参り、、、」
 そして自分の着物に芥子(当時はカラシナの種を悪霊払いの祈祷に燃やした)の匂いがついているのに気がつき、髪を洗っても、着物を替えても、臭いがとれない自分を嫌だと思うけれど人には言う事ができない。

☆六条御息所のこういう気持ち、焼きもちや憎しみは1000年の昔からあったんですね。私はといえば、そういう考えを持ってはいけない、という観念にしばられてあんまり人をうらやんだり憎んだりの感情は希薄のはず。これって気持ちが解放されていないってことにも通じるかも。
 1000年昔の女性たちの葛藤に後押ししてもらって、素の自分を出してもいいのかも、と思った次第です。


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