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次の狩猟のために、弾の予約を入れようと銃砲店へ電話を入れたら「そろそろ銃を買い替えない?」とすすめられてしまった。「う~ん・・・ほしいんだけれど手続きが面倒くさいからな・・・」そう答えると、「まあ、弾を取りに来た時でも、話そうよ」と銃砲店の主人が言って電話を切った。思い返せば、僕が所持する猟銃もかなり使い込んでいるので、そろそろ新しい物に買い替えたいんだが、釣具やゴルフのクラブを買い替えるように簡単にはいかない。まず、所轄の警察署へ行き、様々な手続きを踏んでからでないと買い替えることはできない。とにかく面倒くさいのである。だから、今年こそは買い替えようと思いながらも、ズルズル同じものを使ってしまっている。「猟銃は孫子の代まで使える」と言われるように、大切に使えば何十年でも使える。僕が、ヤマドリやキジ専門に使用している銃は、前のオーナーから引き継いで40年も使っている骨董品に近いものである。それを考えると、銃砲店はよく商売が成り立っているな~と感心してしまう。顧客数も激減し、商売の中心になっているのは弾の販売くらいのものであろう。決して経営は楽ではないはずだ。今年は1丁買っちゃおうかな・・・・
2004.11.29
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昨夜も遅くに猟友のM君から電話があり、狩猟に誘われた。しかし、そうそう仕事を休み遊んでばかりもいられないので、今日のところは遠慮させていただいた。そんなM君からつい先ほど猟果報告の電話があり、今日は山鳩4羽と田鴫5羽獲ったので、今夜、食べに来ないかとの誘いである。M君は、都内の一流ホテルで10年以上修行したフランス料理のコックさんで、現在は、神奈川と千葉でレストランを2店経営している。料理のほうもフランス料理一辺倒ではなく、日本の素材もふんだんに使った和洋折衷も得意だ。M君にかかると、どんな素材も最高級料理に変身してしまう。M君とは猟だけではなく、魚釣りにもよく一緒に行くのだが、外道として釣り人が捨ててしまうような魚まで必ず持ち帰り、美味しく料理して皆を喜ばせる。昨年だったか、東京湾で1メートル以上もあるお化けアナゴが釣れて話題になったが、釣り人は気持ち悪がって食べようとはしなかった。ところがお化けアナゴを釣ってきたM君は例によって皆を集め、「アナゴのムニエル」や蒸したアナゴに香の強い香辛料をまぶし野菜と混ぜた「アナゴサラダ」を振舞ってくれた。お味の方は絶品である。我われ素人とは違い、素材の味を活かすにはどのような料理法が良いのかということを長年の経験と天性の感覚によって分かるみたいだ。どんな素材であっても、料理の仕方によって最高の食材に変身する。獲れた山鳩と田鴫がどう変身して皿に並ぶか今夜も楽しみである。先日、弟からもらったボジョレーを持参することにしよう。
2004.11.28
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今日、仕事の帰りに電動ドリルを買おうと、千葉ニュータウンにある「ジョイフル本田」というホームセンターへ立ち寄った。とにかくでかい店で、日用品や工具、ガーデニング用具の他、ペットショップ、生鮮食料品売り場まであるビッグ店舗である(規模は東洋一とか世界一とか・・・)目的の電動ドリルを買ったあと、多少、時間があったので、2階の売り場へも行ってみた。2回には住宅設備や照明器具の売り場と文房具、工芸用品、アンティーク商品などが置いてあり、見るだけでも眼を楽しませてくれる。その一角に狩猟用ナイフや山刀などが売られているコーナーがあったので、店員にウインドーケースの鍵を開けてもらい、手にとって見ていると、50歳前後の男性が「その作者の山刀は、柄の作りにすごいこだわりを持っているんですよね」とか「このナイフの作者は刃の部分の曲線が以前は丸みがもう少しあったんですが、最近はこういう形で表現しているんです」などと親しげに話しかけてきた。そこで僕が「詳しいですね」と返事をすると、男性は「私はナイフを集めるのが好きで、こうして売られているのを見ると必ず衝動買いをしてしまうんです」と笑って答えた。「それならかなり沢山集まったでしょう・・」と更に聞くと、「まあ、ナイフばかりにお金を使えないので、大したことはないんですが、それでも70くらいはあるかな~」と目を細め、人懐こそうな顔で笑った。売り場で初対面の人との立ち話だったので、10分くらいの会話で終ったが、「好きほど物の上手なり」という諺があるように、驚くほどナイフについての知識は深かった。何でもそうだが、収集家とか研究家とか呼ばれる人たちの知識はすごいものがある。僕の親友に熱心な鉄道マニアがいるが、○○線のD51は、昭和○○年に煙突を改造し、標準のものより煙突が10センチ短いんだよ」とか「信越本線の碓氷峠で活躍した電気機関車は一次型と二次型はここが違う」などと話してくれる。それを聞いた僕は、よくマニアはそんな細かいことまで調べるなーと感心しきりである。「好きほど物の上手なり」・・僕も若い頃、学校の勉強に対してそうであったなら、今頃、違う人生を歩いていただろうな(悔・悔・悔)
2004.11.27
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年末が近づいてくると、年賀状のことが気になってくる。年賀状のあて先の内訳は、知人、友人、親戚関係で約400件、仕事関係で約500件の計900件くらいの数になり、その数も年々増え続ける一方なのだが、あらためて送付者のリストを眺めてみると、我ながら付き合いの広さには感心するやら呆れてしまうやらである。まずは、同級生やその他の友人関係、釣り仲間、狩猟仲間とゴルフ仲間に加え、更にこれでもかとスキー仲間に夏しか会わないマリンレジャーの仲間、ハイキング同好会のメンバー。仕事関係では取引先業者、商工会の面々に異業種交流会のメンバー、お世話になっている先生方(顧問弁護士、税理士、司法書士、設計事務所、土地家屋調査士など)に銀行関係、同業者、お客様等など。プラスアルファで親戚一同・・僕は全ての年賀状に手書きでコメントを入れることにしているので、年賀状書きは毎年最後の苦行難行である。しかし、よくよく考えてみれば、これだけ年賀状を書かなければいけないということは、それだけ豊な人脈に恵まれているということだ。自分で事業を起こしてから、何度か経営の危機に瀕した時も、全てはこれらの人脈の情けや助力よって助けられているし、仕事でも遊びでも目一杯楽しむことができるのもこれらの人々のおかげである。ならば、年賀状書きを苦行難行などと考えてはいけない。一枚一枚、丁寧に感謝の気持ちを込めなければいけないのだ・・・という気持ちで今年も年賀状を書こう。人脈と言うかけがいのない財産に感謝しつつ・・・
2004.11.26
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僕は、アウトドアやスポーツなどのほかに、古書収集という趣味を持っている。(高価なものは無いですが・・・)今から15年以上前、神田の古本街にある小さな古書店で、店の片隅で埃をかぶっていた古い日記帳を見つけた。何となく気になったので、その日記を手に取り頁を開くと、変色した古い白黒の写真が貼ってあった。その写真には、一人の兵士と、その兵士の妻と思われる女性と幼い子供が写っていた。兵士の着ている軍服から見て、ナチスドイツ軍の軍服であることはすぐに分かった。店の主人に、何故、こんな日記が売られているか訪ねたところ、明治大学へ留学していた外国人学生が、帰国の際、荷物になるということで、所有していた大量の本をその古書店に引き取らせたらしく、日記もその中に混じっていたとのことである。何故か、その日記には値札が付いていなかったので、値段を主人に聞くと、主人はちょっと困ったような顔をしながら「マニアだったら、けっこう良い値段で売れるんだろうけど、お客さんはマニアじゃないでしょ?う~ん・・・5,000円でどう?この手の日記は値段付けるのが本当に難しいんだよ。」というので、4,000円ならすぐ買うといったら、「まあ、置いといてもすぐには売れないだろうから、いいよ」と交渉成立であった。帰宅後、さっそく頁を捲ったが、万年筆で書かれた文字はすべてドイツ語なので、何がなんだか全く分からなかった。そのうち、ドイツ語の辞書でも買って自分なりに翻訳してみようなんて考えているうちに、再び僕の本棚でその日記は長く深い眠りに入ってしまった。それから10年以上経った頃、ネットで知り合い、連絡を取り合うようになったGさんにその日記の話しをしたら、Gさんが「僕が翻訳しようか。」と言ってくれたので、期限を定めないという条件で、翻訳をお願いした。Gさんは大学時代ドイツ語を専攻し、現在は商社に勤務してドイツ人への通訳も行っている。そんなGさんから日記が返ってきたのは、日記を預けて3年が経過した先月の終わりであった。Gさんから届いた小包を開封してみると、翻訳された文章がA4の紙、約60枚にワープロで書かれており、日記帳も3年ぶりに僕の手元に戻ってきた。ここのところ忙しかったので、昨夜、初めて翻訳された文章に目を通してみると、ポーランドに駐留していたナチスドイツ兵士の日記であることが分かった。まだ、よくは読んでいないが、日々の生活を記録形式で書かれているようで、いつ物資が届いたとか、無線が傍受しにくいとか、職務上のことを中心に記されているようである。情報が漏洩することを警戒したのか、作戦上のことや具体的な表現は記号とか、軍事呼称で書かれていたようであるが、ちょっと気になるのは、日記の随所に「処分」という単語が書かれていたようで、Gさんの翻訳でも「処分」という字で訳されていた。同封されたGさんの手紙によれば、ナチスの下級将校の書いた日記であるようで、「処分」という単語は「処刑」という意味の解釈も成り立つので、もしかするとユダヤ人に対して行ったことを意味しているのかもしれないと書かれている。さらに、ナチスは敗戦が迫ると、戦争責任を回避しようと証拠となるような書類や文献は焼却されてしまったものが多く、ナチスドイツ兵の日記帳はかなり珍しく、資料的にも価値があると思う・・とも書かれていた。もし、その兵士のことが分かり、本人が生存しているのであれば本人に、亡くなっているのであれば遺族に返してやりたい気もするが、自分を「私」と表現しているだけで、名前も記されていないことから、関係者への返却は不可能のようだ。この兵士がその後どうなったか・・・そんなことを想像するだけでも興味が湧いてくる。20年の間に集めて古書は約200冊。ほとんどが大正時代の日本の古書が多いが、ナチスドイツ兵の日記帳なんて、ちょっと珍しい逸品も本棚に眠っている。「なんでも鑑定団」に出してみようかな・・
2004.11.25
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疲れたから今夜は早く寝ます。
2004.11.24
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今日は、仲間6人と狩猟に行ってきた。いつものメンバー4人と、初参加2人の計6人だ。今日の猟は鳥猟なので、猟場に着いたら2人づつの3チームに分かれ、それぞれがここと思う場所へ犬を連れて入っていく。今日行った猟場は、非常に樹木が鬱蒼としている場所と、樹木より草が多いところが混在している場所であった。普通であれば、樹木の多い場所のほうが、鳥にとっても隠れ場所が多いので、ゲーム(獲物)と遭遇する確立が高いと考えるのが当たり前なのだが、僕ともう一人の仲間は、あえて樹木の少ない草葉の方を選んで犬を放した。結果は、僕らだけがヤマドリ2羽にキジ1羽、山鳩4羽という猟果で、別のグループはゲームがゼロと差がついた。結局、樹木の鬱蒼としている場所の方がゲームがいる・・・と考えるのは人間側の勝手な思い込みである。僕ら2人はセオリーに従わず、逆をいったことが結果として猟果に恵まれたのだ。なぜ、逆をいったかというと、狩猟解禁日からすでに1週間以上が経過している。ハンターは鬱蒼とした樹木側を狙ったほうがよいだろうという先入観を持っている。しかし、1週間の間にその樹木の中へ何人のハンターが入っただろうか。狩猟が始まると、狩猟鳥獣たちの警戒心は極限状況まで達するはずだ。当然、それらの鳥獣たちは樹木の中は危険区域となるわけである。そこで、僕らはハンターが感覚的に好ポイントと感じる場所と全く逆をいくことに決めたのである。要は、猟場はここしかないという「常識」からくる先入観を持たなかったからこそ、猟果に恵まれたと言っても過言ではないと思う。これは、全てに当てはまることで、仕事にしても案外「これが常識である」という先入観を持たない方がうまくいく場合が多い。人間はどうしても「常識」という観点から物を考え、出来る出来ないという先入観を持ってしまう。しかし、「常識」は人間が過去の経験や体験から作り出したものであり、未来に対して「常識」は絶対ではない。昔のマラソンは42.195キロを完走するのにペース配分を考えながら走ったが、現在のランナーは最初からハイペースで走り抜く。これは東京オリンピック時代のランナーには考えられなかったことであろうし、最初からハイペースで走ったらとても、42.195キロを走り抜くなんて無理だと思ったであろう。しかし、今のマラソンの常識は「スタートからハイペース」なのだ。僕が以前勤めていた会社に辞表を叩きつけ辞めた時も、ほとんどの人が「あいつは頭がおかしくなったんじゃないか」と言った。相談にいった銀行さえも「いま、このご時世に独立なんて自殺行為ですよ」と言われた。だけど、結果として、僕は生き残り、以前、勤めていた会社は5年前に倒産し、自殺行為と言った銀行も統合されてしまった。今日の狩猟を通じ、セオリーや常識というのは、参考材料としても、全てが正しいとうわけではないな・・と帰宅後、猟銃を磨きながら考えた次第である。
2004.11.23
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明日は、待ちに待った今期2度目の狩猟に出かける。狩猟は日の出と同時にスタートするので、場所にもよるが家を出るのは普通午前2時、遅くても午前3時に出発する。「朝寝坊や横着者はハンターにはなれないよ・・」それが先輩たちの昔からの教えだ。しかし、仕事で毎日、激務(?)をこなしている我が身には、真夜中に目を覚ますということが実に辛い。過去に猟友と待ち合わせをしていたにも拘らず、目が覚めたらお天道様がすっかり上のほうへ昇っていたことが何度かあった。今でこそ携帯電話があるから仲間に先に行ってくれと連絡できるが、数年前までは寝過ごしたり遅れたりしても連絡の取りようがなく、結果としてスッポカシになってしまい仲間に迷惑をかけた(かけられたこともあったが・・・・)また、寝過ごして慌てて家を出ると必ず忘れ物をする。一昨年なんか高速の料金所で財布を忘れたことに気づき、えらい目にあったこともある(今はETCにしたからその心配は解消したが・・・)だからと言って、早く寝ようと思っても睡眠のリズムというものがあるから、布団に包まってもなかなか寝付けず、寝よう寝ようと考えるとよけい寝られなくなる。(午前2時といえば下手をすれば普段の就寝時間だ)けっきょく睡眠不足のままで、重い鉄砲担いで山の登り降りをするから、猟の翌日まで疲労感や筋肉痛などが残り、職場でアクビばかりしている。狩猟と言うのは本当に重労働で疲れる遊びである。僕も狩猟のほかに、ゴルフ、釣りなど、いろいろな遊びをやるが、やはり、最もハードなのは狩猟ではないかと思っている。明日の狩猟だって、帰宅後はグッタリして口もききたくなくなることは分かっている。それでも、眠い目をこすりながら猟場へ向かう。植木等の歌ではないが「わかっちゃいるけどやめられない・・」のだ。
2004.11.22
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今朝は5時に起きて、久しぶりに包丁や狩猟用ナイフ、釣りのナイフの研ぎを行った。どうしても素人の僕が研ぐわけだから、あまり上手くいかないが、それでも研げばかなり切れるようになる。鋼の硬い刃物は荒砥から始まり、中砥、仕上げと砥石を順番に替えて行く。鋼の柔らかい刃物は中砥、仕上げという順番で研ぐ。刃物の研ぎは、釣り仲間の「板前」さんから教えてもらった。僕が子供の頃、当時住んでいた家の隣の家のおじさんが日本刀の研師をやっていて、よくその家に遊びに行っては、そのおじさんやお弟子さんが刀を研ぐところをみていた。仕上げまでの全工程が終ると、必ず刃の部分に薄い和紙で触れてみる。そうするとその和紙が、剃刀で切ったようにスパッと切れる。僕は子供ながらにその恐ろしいくなるほどの切れ味と、日本刀が放つ冷たい光に、恐怖心のようなものを感じながら、息を呑んで見つめていたことを今でも記憶している。中でも子供の僕に衝撃的だったのは、ある日、そのおじさんが刀の柄の部分に彫ってある字を見せてくれた。ハッキリとは記憶していないが、そこには「試斬」という字が彫られていて、昔、その刀の切れ味を試すために、斬首刑になった罪人の死体を斬ったことが記録されているものだと話してくれた。その刀は実際の人間の血を吸うことで命を吹き込まれているのだというおじさんの話に、日本刀に対して言いようのない恐怖心を感じた。僕は、刃物を研ぐとき、いつもその話しを思い出し、背筋にちょっぴり寒いものを感じる。
2004.11.21
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昨夜、同じマンションに住む、Iさんが石鯛の幼魚のシマダイを持ってきてくれた。Iさんとは時々、釣りにご一緒し、魚が釣れると差し上げたり、頂戴したりする仲である。Iさんに聞くと、東京湾の湾口の某所で、シマダイが群れているポイントがあり、昨日の雨の中、ボートでそのポイントまで行き、半日で120尾ほど釣ってきたとのことであった。大きさは30~40センチ、もう立派な成魚である。早速、三枚に下ろし、刺身で食べてみたが、脂がのって抜群にうまかった。石鯛といえば磯釣りの対象魚で、狙ってもなかなか釣ることが出来ない「幻の魚」と呼ばれている。僕も一時、石鯛の磯釣りに凝り、房総半島はもとより、神津島、三宅島等の離島へもかなり足を延ばしたが、初めて石鯛を釣り上げるまでには約2年の歳月を要した。磯からは滅多に釣れない幻の魚石鯛も、ボートで少し走れば、半日の間に120尾も釣れてしまうのだから、僕はIさんに「これじゃ幻の魚じゃないね」と思わず苦笑して言ってしまった。これは狩猟にしても同じようなことがある。鳥猟専門のハンターが目の色を変えて探し求めるターゲットに「ヤマドリ」という鳥がいる。以前は、どこの山にもかなりの数が棲息していたが、乱獲や開発の波に押し寄せられ、最近は、その姿をほとんど見る機会がなくなってしまった。猟期終了時に行う仲間たちとの懇親会の席上でも、ヤマドリに関して出てくる話は「一羽も獲れなかった。もうあの山にはいないのかな~」とか「一猟期中にやっと数羽獲れた」など、たくさん獲れてなんて話しはほとんど聞くことがない。しかし、本当にヤマドリの数が激減していると思えばそうでもないらしい。私の猟友で、一猟期中にヤマドリを30羽以上は必ず獲るという人がいる。詳しい場所については、公表しないことを約束しているので、あえて記さないが、ハンターがまさかこんなところにはいないだろう・・と思うような場所で獲っているのだ。しかも犬を使わないでである。よく、釣り人やハンターは「幻の魚」とか「幻の鳥獣」とか言って、海なら更に沖へ、山なら更に山奥へそれらの生き物を求めて進んでいくが、案外、僕らのすぐ足元で多くの「幻」は力強く生き抜いているのかもしれない。そして、それらの生き物たちは、「お前たち人間が勝手に幻だって決め付けているだけで、幻でもなんでもないよ」とすぐ近くから笑って人間をみているかもしれない。
2004.11.20
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昨日の午後、千葉市内の病院に入院しているT先生を久しぶりに見舞った。先生は御歳76歳で、僕の中学校の恩師であり、中学時代から今日に至るまで、ずっとお付き合いをさせていただいている。先生が入院したのは、先月中旬、夜遅く、自転車で走っている時に、道路の側溝に自転車の前輪を取られ、転倒して足を骨折したからだ。(酒好きだから酔っていたのか・・)とにかく先生はお元気で、早朝4時には起床、真冬でも風呂場で冷水摩擦を行い、ウオーキング5キロ、ジョギング3キロの計8キロを歩き走り回る「荒行?」を30年間1日も欠かさず続けてきた。柔道3段、剣道5段で夕食前に木刀の素振りを500回行うまさにスーパーハッスル爺さんだ。そんな先生も生まれて初めての入院ということで、病院へ入った当初はいつもの元気が失せていたのだが、昨日はちょっと様子が違っていた。と言うのは、隣のベッドで寝ている患者さんから、「マムシの粉末」をもらい、毎日、食後に小さじ一杯飲んでいたら、10日目くらいから、体中が火照りだし、すこぶる体調がよくなったとのことであった。骨折のため手術した傷口も、医者が驚くほどの回復ぶりのようで、このまま行けば、予定よりかなり早く退院できると喜んでいた。ちょうど、マムシの粉末をくれたという隣の患者さんもカーテンを開けていたので、いろいろ話しを聞いてみると、その患者さんは先生より2歳若い74歳で、農家をやっているとのことだった。その患者さんの話ではマムシの粉末は自家製で、今年の夏は暑かったので、自分の田圃の裏山で6~8月の間に、マムシを60匹近くも捕まえたらしい。それを燻製にして、すり鉢ですり、マムシの粉末を作ったそうで「売っているマムシの粉末なんて、半分以上混ざり物が入っているけど、これは純度100%だから・・」と言っていた。やはり、その患者さんも、腰の手術で入院しているが、医者が驚くような回復ぶりで、予定より早く退院できるらしい。昔から、マムシやハブなどの蛇は滋養強壮の薬として売られているが、お二人の話しを聞くと、それ以外にもいろいろと効用はあるようだ。半ば半信半疑で話しを聞きながらも、ふと「熊の胆」のことを思い出した。これは以前、何かの本で読んだのだが、医者もサジを投げた末期の癌患者が熊の胆を飲み続けていたら、いつの間にか癌が消え、担当の医者も奇跡とした言いようが無いと驚いていたと書かれていた。(誰にでも効果があるか否かはわからないが・・・・)現代の日本の医学は、病気になるとどうしても西洋医学にすがり、化学薬品に頼ってしまうけど、案外、もっと身近なところに病気を治癒させるための妙薬があるのではないだろうか・・自然の中にこそ良薬あり・・・自然の中で体に良いものを探索するのも面白いかも。僕のアウトドアライフも新しい領域が増えそうだ。
2004.11.19
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狩猟解禁日から今日で5日が過ぎた。とにかく、毎日のようにいろいろな猟友から電話が入る。僕に対して「猟には行っているの?」とか、「今度は何処へ行くの?」とか、「犬がアホでまるっきりダメだ」とか、内容は様々だが、やはり気になるのは猟友の獲物情報である。つい先ほども、仲の良いの猟友から電話が入った。その猟友は仲間3人と、朝からあるキジを撃ちに行き、山を歩いていたら、なんと2回も大猪に出くわしたとのことであった。残念ながら、キジが目的だったので、粒の小さい5号散弾しか持参していなかったから、何もしないで見過ごしたらしいが、今度は00Bかスラグ弾も持参して、猪を見つけたら絶対に仕留めてやると息巻いていた。そして、新しい獣道をいくつも発見したと詳しい場所を教えてくれた。僕は電話を切った後、すぐに地図を広げ、猟友の教えてくれた場所に印を付ける。狩猟でも釣りでもそうだが、この情報収集というのが非常に大切で、情報収集をするのとしないのとでは、大きく結果に差が出てしまう。ベテランのハンターになると、まったく知らないグループの無線(グループで猟を行う場合は、無線機で連絡を取り合うことが多い)まで傍受して、次の猟の参考にするらしい。まさか僕はそこまではしないが、猟友の獲物情報は全てノートに記録し、現在では大学ノート6冊分にもなった。「大物との出会いや豊猟に恵まれたいと思うのなら、情報収集から始めるべし・・・」これは、あるベテラン猟師の言葉だ。
2004.11.18
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昨夜遅く、神奈川に住む従弟から突然電話があった。その話しの内容では、どうもリストラの対象となり、来年、3月一杯で長年勤めた会社を辞めなければならないことになったらしい。従弟は17年ほど前に、大学卒業後、一部上場の会社に就職した。17年前といえば、日本経済はバブル景気の真っ只中で、企業が競って新卒者を獲得し、まるでお客様でも迎えるが如く、腫れ物に触れるような感じで従業員を雇用した。時は移り、バブル経済が崩壊すると、企業は一転して経費削減と組織の若返りを理由にリストラ政策に乗り出した。つまり、バブルという時代に溜まった贅肉をそぎ落とし、組織全体をスリム化することにより血流をよくして、会社全体の元気を取り戻そうと言うのだ。そこで、リストラの対象となるのが、古参社員と呼ばれる入社歴が古く、会社側にとって人件費の負担が高い社員と、先に書いたバブル採用組の社員である。とくにバブル採用組に関しては、かなり厳しい対応を取っている企業が多いようだ。「いつまでもお客さんを置いておくほど余裕はないんだよ・・」とでも考えているのだろうか。僕は、サラリーマン時代、自分自身が「カゴの中の鳥」だという気がしてならなかった。きれいな声で鳴けるうちや、飼い主に気に入ってもらえるうちは、黙っていても餌をもらうことができ、生きていられる。しかし、飼い主に飼う余裕がなくなったり、きれいな声が出なくなり、飼い主を喜ばすことが出来なくなると、お払い箱になり、カゴから放たれてしまう。カゴから放たれた鳥は、今まで餌を与えてもらうことしか知らず、自分から餌を探し、自力で生きていく経験がないからやがて、窮地に陥り死んでしまう。いつだったか、某デパートが倒産した時、30代後半の社員が出て「家族を抱え、お先真っ暗だ・・会社に裏切られたようで、もう自分はダメです」とテレビカメラの前で泣いていた。僕はそのシーンを見たとき「たしかにその気持ちは分かるが、いつまでもしがみついていても仕方ないのに、何か情けないな」と感じてしまった。家族を抱えているなら、お先真っ暗だとか自分はダメだなんて泣き言をこぼす前に、何とかするぞ・・という気持ちに何故なれないんだろうとも思った。これは僕自身のことだが、サラリーマン時代、白い物でも上司が黒だと言えば、それに合わせて黒だと言わなければならない。進む方向が間違っているということが分かっていても会社の方針には従わなければいけない。ハッキリ言ってつまらなかった。夢と希望を持って就職したにも拘らず、現実はまるで違っていた。「一生に一度しかない人生がこれでよいのか・・・」と自問自答の毎日だった。そして「これじゃダメだ!」と自分の考えが至った翌日、辞表を出した。その翌日から起業に向けて動き出したが、昨日までの毎日が嘘のように、意欲が湧いてきたのは自分でも不思議だった。最初は、金も信用もなく無我夢中だったけど、やれば何とかなるなるんだな~ということを知ることができた。「カゴの中の鳥」・・・それはそれで良いかもしれないけど終身雇用神話が崩壊した今の世の中では、カゴから放たれたとき、自分の力で生きていく強さが必要だと思う・・・最後に従弟にそう言って受話器を置いた。僕は綺麗なカナリヤより野生の鳥のように生きていきたいと・・・・
2004.11.17
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さんざんニュースでも報じられているように、今年は各地で熊が異常に出没している。台風や害虫などの大量発生などにより、山が荒れたため、餌が枯渇しているからという説、人間の生活様式の変化により、人間と熊の生活圏の隔たりがなくなってきたからだという説、地殻の異変が始まり、熊が生活圏の移動を始めたのでは・・(新潟地震がとの関連性からか・・)という説等々、諸説、様々出ているが、いまのところ、決定的な原因解明には至ってないようだ。だが、こうしている間にも、熊の棲息する山の近くで生活している人々は、熊にいつ遭遇するかという危険に瀕していることだけは確かだ。それらの地域の自治体や関係機関は、猟友会への駆除要請、子供たちの通学途中のパトロール、山と人里との境に高圧電量の流れる柵を設けるなど、考えられる様々な策を実施しているようだが、著しい効果を上げたという話しは今のところ聞こえてこない。つい先日も、テレビのニュースを見ていたら、捕獲した熊に「唐辛子入りスプレー」をかけて、熊を再び元の山へ戻していた。関係者は、人間は怖いということを熊に覚えさせれば人の生活圏へ近寄らなくなる・・とインタビューに答えていたが、僕は、その話にちょっぴり疑問を持った。スプレーをかけられた熊が本当に人間社会に近づかなくなるのだろうか・・・確かに、熊は頭の良い動物だから、学習させることによって人間への恐怖心は植え付けることはできるであろう。しかし、だからと言って人里へ降りてこなくなるとはどうしても僕には思えないのだ。まず、熊が攻撃を仕掛けてくるのは、自分の防衛範囲内に対して入り込んできた人間にだけである。これは熊に限らず、野生動物は自分の防衛範囲外で人間を発見した場合は、間違いなく動物の方から逃げていく(ライオンやトラなど猫科の動物に関しては一概に言い切れないが・・・・)熊は人間と出くわした場合のみ、自らの防衛本能で反射的に攻撃をかけてくる。つまり、防衛本能イコール恐怖心から襲い掛かってくるのだ。人間が怖いから人間に襲い掛かる・・・これは人間を含めた全ての動物に共通することだ。相手を恐れ、自分の生命に危険を感じれば自分がやられる前に、相手を倒そうとする。恐怖心を与えられれば、余計、攻撃力は増し、凶暴化するのではないだろうか・・・昔、青森へ「熊撃ち長さん」こと藤原長太郎さんを訪ね、お話しを伺ったとき、藤原さんは「熊で怖いのは子連れ熊、それより怖いのは手負いの熊だ」とおっしゃっていた。ハンターが熊を撃ち損ね、弾が掠っただけでも、その熊は人間を恨み、離れていても人間を見つけると襲い掛かり、凶暴性も普通の熊とは比較にならないほど増すという。スプレーで人間への恐怖心を植え付けるにはよいが、逆に凶暴性を助長させてしまうのではないかと僕は思うのだが・・・また、人間に恐怖心を持った熊は人里に下りてこなくなるというが、僕は絶対にそんなことは有り得ないと思う。山の資源が枯渇し、食べ物が不足して飢えた野生肉食動物は、最後には共食いまでするという。戦争中、南方へ派兵された日本兵が飢えて敵兵の人肉までを食べたように・・・一度、人里へ降り、食べ物があるということを覚えた熊は、空腹になるとどんなに自らの危険を冒しても、必ず、食糧のある場所へ餌を探しにくる。自らが飢え死にしそうになれば、撃退スプレーの恐怖なんか、何ともなくなるであろう。やはり、藤原さんから聞いた話だが、家畜を襲った熊は、一度、味を覚えると犬がいようが、何をしようが、必ず再び家畜を襲いに来ると言っていた。事実、熊は牛を襲わないと言う定説があるにも拘らず、マタギで有名な阿仁町で牛が殺されたというのを本で読んだことがある。僕自身、熊の生態についてはそれほど詳しくないが撃退スプレーで効果があると考えるのは、ちょっとばかり熊を甘く見過ぎているような気がしてならない。それから、各地で行われている猟友会を中心とした熊の駆除(射殺)に関して、野生動物の保護を叫ぶ人たちが、批判の声をあげているらしい。たしかに、むやみやたらに動物を殺すことは僕も賛成できないし、どんな生き物であっても命はあるのだから、その命に対し尊厳の気持ちは持たなければならないと思う。しかし、現実の問題もよく考えてもらいたいと思う。野生動物が増え過ぎれば、人間社会に大きな被害が生ずる。各地で被害が増大している鹿や猪、猿などの例を取ってもそれは明らかだ。ハンターが格好のゲームとして猟の対象とするキジにおいても、ここ数年、激減しているのだが、これは人間が獲り過ぎているからではない。野生のキツネやカラスなどにより、卵を食べられてしまうことが大きな要因らしい。(他にも原因は多々あるとは思うが・・・)最近のハンターはキツネを撃たなくなった。キツネを撃たなくなった理由の一つが、野生動物の保護政策があげられる。鹿にしても同じである。要は過度の保護が、生態系の破壊に繋がる場合もあるのだ。ただ、保護だ保護だと声をあげる以前に、いかにしたら、種を根絶することなく、自然界とのバランスを取りながら、人間と野生動物が共存共栄の道を辿ることが出来るかを模索していくことが、今、人間に与えられた使命だと思うのだが・・・
2004.11.16
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朝2時起床。猟具を車へ積み込み、仲間との待ち合わせ場所へ急ぐ。約束の時間より15分ほど早く到着したが、すでに全員が揃っていた。そして猟場へ・・・・今日は朝から生憎の雨で、雨具着用で山へ入る。山の気温は平地より3~5度低いような感じで、体の芯から冷え込んでくる。それでも歩き出して少しすると体が温まってきて、さらに歩き続けていると額から汗が噴出してくる。山へ入り1時間ほど経過したあたりで、犬が獣の気配を感じた様子で奥へ奥へと入り込んでいったが、かなり足場が悪くこれ以上、奥へ行くのは危険と判断し、各自、持ち場で待ったが、どうも別の場所へ抜けられてしまったようだ。獣道伝いをかなり歩いたが、今日は獲物の発見に至らず。最高齢のKさんが風邪気味ということもあり、あまり無理をさせることもできないので、本日は昼で終了。4時に帰宅して、今、事務所に出てこうして仕事してる。つい先ほど、鴨撃ちに行った猟仲間から電話があったが、狙いの場所にあまり鴨がついておらず、1日で2羽という貧果で終ったらしい。毎年のことだが、狩猟解禁日当日はいつも足慣らしといったところなので、これからに期待しよう。
2004.11.15
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今朝、北海道に住む友人から宅配便が届いたので、開けてみるとタラバガニとトド肉の缶詰が入っていた。早速、お礼の電話方々、トド肉の話しを聞くと、先週、仕事で知床へ行った際、宿で土産物として売っていたので、珍しいから買ってきたとのことであった。トドの肉に関しては、狩猟仲間が北海道へエゾ鹿猟に行ったとき、食べたという話しは聞いたことがあったが、まさか、実際に食べることができるとは、夢にも思っていなかった。北海道のトド撃ちは、ニシン漁の最盛期にトドがニシンを食い荒らすため、有害鳥獣駆除の一環として行われる。小回りの利く小さなボートにハンターが乗り込み、呼吸のためにトドが海面から頭を出した瞬間、その頭をめがけ、波の無いときはライフルで、少し波があるときは散弾銃を使って狙い撃つ。水族館で見るトドは、おとなしそうでいつも寝ているというイメージが強いが、野生のトドは非常に動きが俊敏で、獰猛かつ凶暴性も高いらしい。もし、弾が急所を反れ、半矢にでもしようものなら、ハンターの乗ったボートへ襲いかかってくることも稀にだがあるそうだ。しかも、トドは少しでも身の危険を察知すると、海面からなかなか姿を現さず、狙い撃つチャンスがなくなってしまう。したがって、トド撃ちのハンターはベテランに限られ、神経を集中させ、ワンチャンスを逃すことなく、一撃必中でトドを撃ち取る。そして、撃ち取ったトドは、海中に沈む前に銛を打ち込み、ウインチで船中へ引き上げ、血抜きをして港へと運んでくる。港へ着くとすぐに解体場へ運び、解体するそうだが、トドの毛皮は今でも珍重され、わざわざ買い求めに来る人もいるようだ。昔のアイヌはトドの皮で、靴や防寒着を作ったらしいが、今は何に使うのだろうか・・・昼に一缶開けて食べてみたが、何となく鯨の肉に似ていて、けっこう美味しかった。一般のハンターにトド撃ちが許されるかどうか分からないが、チャンスがあれば一度経験したいと思っている。明日は、待ちに待った狩猟解禁日だ。我が心はすでに猟場にある。
2004.11.14
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激しい米軍の攻撃と掃討作戦により、いよいよイラク中心部ファルージャ制圧も、時間の問題となったようだ(米軍側の発表によると・・・)ニュースのたびに流されるイラク激戦の映像は、戦争の恐ろしさを伝えるには十分余りあるものであるが、戦地で戦う兵士が最も恐れるものは、「狙撃兵」の存在であると何かの本で読んだことがあった。一昨日もテレビ東京で「スターリングラード」という映画をやっていた。ロシアの名狙撃手ヴァシリがモシンナガンライフルを使い、ナチスの将校たちを次々に葬っていく。業を煮やしたナチス側は、やはり狙撃の名手ケーニッヒ少佐を呼び、最後にヴァシリとケーニッヒが一対一で対決するという内容の映画なのだが、映画そのもののストーリーは単純に思えるも、ただのドンパチ戦争映画とは異なり、狙撃兵に狙われる側の恐怖が見事に表現されている内容には、思わずテレビの画面に引き込まれてしまった。戦地における狙撃兵の役割というのは、敵軍の部隊を統率するリーダー格(将校等)を殺害することで、指揮、采配機能を麻痺させ、兵士の士気が低下し、部隊そのものを弱体化させるという重要な使命をおびている。そのためには、如何なる劣悪な条件下でも、目的を完遂できる射撃の技術(例えば、風雨が強かろうが雪がふろうが、昼だろうが夜だろうが、1キロ先の目的物を確実に捕らえることができる射撃の腕)と、何ものにも動じない強靭な精神力(例えば、暑かろうが寒かろうが、近くで爆撃があろうが敵兵が3メートル横を通り過ぎようが、何時間でも何日でも身動ぎひとつしない・・眠らないなどの忍耐力)が狙撃兵には要求される。劇画「ゴルゴ13」やスナイパーもの映画などでは、狙撃手はスマートで格好良いものと描かれているのが常だが、実際の狙撃兵というのは、あまりにも危険で割が合わず、悲惨な末路をおくる場合がほとんどらしい。狙撃兵を敵陣へ送り出す側も、その狙撃兵が生還するとはほとんど考えないようだ。それは何故かというと、狙撃兵によって狙われた側は、銃を発射されたと予想できる場所へ、総攻撃をかける。その際、狙撃兵はライフル1丁しか持っていないが、総攻撃をかける側は、多数の人数で機関銃、大砲などを使い、何百発、何千発の弾を一人の狙撃兵に浴びせかける。大体の狙撃兵はそこで死亡するか、わずかな弾を撃ちつくし捕らえられてしまうらしい。仮にその場を脱出したとしても生きて自分の部隊へ戻れる確立は非常に低いらしい。捕らえられた場合も、他の捕虜と違い狙撃兵は、ほとんどが殺害される。その理由は、万一、逃げられた場合、狙撃兵は優れた射撃能力を有しているのだから、いつまた自分達を狙ってくるか分からないという恐怖と、狙撃兵は敵を殺すことだけが目的として養成された兵士であり、その狙撃兵を送り出す側も、捕虜になる確立が高い狙撃兵に対し、重要な作戦上の機密事項は教えていないということが常であるからだ。捕らえてみたところで、逃げられてしまえばいつ再び自分達の脅威になるか分からない、尋問したところで、大した情報を得ることはできない・・・それなら生かしておいても仕方がないから殺してしまう。戦地という極限の状況下でそう考えるのも当然である。昔、ベトナム戦争の写真展を見たとき、若い狙撃兵の死体が写っている写真があった。木の枝に引っかかって全身には蜂の巣のような弾痕があった。たぶん、木の上に潜んでいたところを機関銃でやられたのだろう・・・・・イラクの掃討作戦を展開している米軍は、狙撃兵が潜んでいると思われる建物や路地裏を徹底的に破壊し、殺戮を行っているらしい。敵にもみかたにも人を殺すための道具としか扱われない、狙撃兵の末路を思うと、ちょっぴり悲しくなる。
2004.11.13
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僕の知り合いに「面白い?」男がいて、皆はその男を「仙人」と呼んでいた。自称ナチュラリスト。妻に子供3人。髪はボサボサで「いかにも」と言った感じの口ひげを生やし、趣味はフライフィッシングとオカリナ造り。将来の夢は、人里離れた山奥の廃墟となった農家の家を買い取り、無農薬野菜の栽培を行い、自給自足の生活をすること。(アウトドア雑誌の読み過ぎか・・)得意なことは、子供の学校のバーベキュー大会やキャンプファイヤーで活躍すること。苦手なことは、経済力、生活力を持ち家族を養うこと。要は自然派ボケして、経済力、生活力もなく、趣味に生きているような男なのだ。定収入は無く、妻がパートをして3人の子供を養っていた。そして、金が底をつき、どうしようもなくなると、友人、知人を頼って金を借りて歩く。借りた金は返さない。そんな仙人がとうとう、女房、子供と別れ、借金を踏み倒して姿をくらましたことを知ったのは、昨夜、友人のからの電話によってだった。僕自身も仙人には数万円貸していたが、そんな生活をしている奴だったから、返してもらえるなんて思っていなかった。「ナチュラリストとか田舎暮らしとか、御伽噺はいいから現実の生活と子供たちの将来を良く考えろ・・趣味や自給自足だけで生きていけるほど、今の世の中甘くないんだよ・・ボケ仙人が・・・」今度、仙人に会うことがあったら、そう言ってやるつもりだ。今も仙人が借金のカタに置いていった、自作のオカリナが僕の手元に残っている。ずいぶん高価なオカリナだな~趣味や道楽も度を越えると身を滅ぼす・・・
2004.11.12
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今朝、出入りしている若い銀行員と雑談していたら「社長は休みも少なくお忙しいのに、よく、そんなに沢山の趣味をこなせますね・・」突然、そんな質問をされたものだから、一瞬、返事に詰まりながらも「私に限って言えば、忙しいから逆に遊びに熱中できるし、仕事が暇なら遊ぶ気なんて起こらないよ・・」と答えたら、「そういうものかな~僕なんか遊びを考える余裕も無くて・・・」とその若い銀行員は言った。サラリーマン生活が嫌になり、永く勤めた会社へある日突然辞表を出し、僅かの蓄えを元手に、今の会社を設立してから数年経つが、しみじみと自分のサラリーマン時代のことを思い返してみると、その頃は、「何故?」か仕事も遊びも不完全燃焼だったような気がしてならない。僕の一日の生活は、朝5時起床、7時には出社し、夜は大体、10~11時頃まで会社で仕事をしている。こうして会社のパソコンで日記を付けているのも「ちょっとティータイム」の時だ。会社自体は正月三が日以外は年中無休だから、社員は公休日を決めていても、僕は休みが決まっていないし、丸1ヶ月休み無しなんてこともざらにある。逆にサラリーマンだった頃は、完全週休2日制、その他、有給、祭日、冬休み、ゴールデンウイーク、夏休み・・・一体、いつ仕事をやってるの?と思うほど、休みが多かった。実際、その頃は、バブル景気も手伝い、家族サービスから始まり、月2回のゴルフ、月2回の釣り、狩猟期間は毎週休日ごとの出猟、年2回の海外旅行、スキー、マリンレジャーなどなど、遊ぶことには事欠かなかったが、「何故?」かいつも悶々としているものがあって、遊んでいても真から「楽しい」と思うことができず、「これでいいのかなー」といった一種の焦りというか不安というか、自分でも言いようのない嫌なものが心の中に燻っていた。、そんな自分の心に「何故?、何故?」と問いただしても答えを見出すことができず、この「何故?」という気持ちは、辞表を出すその瞬間まで消えることがなかった。結局のところ、あの頃の遊びは社会や仕事に対する不安や不満から逃避するための手段に過ぎなかったのかもしれない。山や海へ行くことで何か違った自分と出会えたような錯覚に陥り、自己満足を繰り返していたのかもしれない。そして今はどうか・・・・不思議な事だが、あの頃の「何故?」という気持ちが全く無くなっている。いや、無くなっているというか、そんなこと考える余裕すらないのである。余裕と時間が無いから、限られた時間の中で充実した遊び方をしよう、目一杯遊びを楽しもう・・・そんな心境に至っている。遊びを現実逃避の手段とするのではなく、真から自然を満喫でき、遊びを楽しむ。やっと最近そんな気持ちになることができた。
2004.11.10
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熊(熊鍋)鍋に白菜、椎茸、大根を入れ、ゆだったところへ熊の肉、内臓をどっさり入れて、味噌加えて1時間ほど煮込む。肉が柔らかくなったところへ酒を少量加えてさらに10分ほど煮込んで完成。癖や獣の臭いが一切無く、一般の人でも抵抗無く食べることができる。(脊髄の煮込み・・・ナガセ汁)熊の背骨を鉈でぶつ切りにして、丸一日煮込む。味付けは味噌、醤油など。脊髄から最高の出汁が出て、初めての人でも癖が無く美味しく食べられる(熊の焼肉)醤油に漬け込んだ熊の肉を「しちりん」で網焼きし、生姜やニンニクをつけて食べる。噛めば噛むほど奥深い味がして美味。牛や豚とは違う味がする。韓国風のピリ辛味噌をつけて野菜で巻いて食べても美味い。(熊の脂肪の刺身)少量の塩をかけて食べる。噛むほどに甘味が出てきて美味い。すき焼きで食べると柔らかい。火傷などの薬としても使う。(熊のレバー刺し)ニンニク醤油で食べると美味いが寄生虫に要注意。心臓も同様に食べる。(熊の串焼き)熊の肉を木の枝を削った串で刺し、遠火で炙って作る。味付けはしないので、多少、獣臭い。「モチグシ」と呼び、山の神信仰の供物として、秋田マタギは必ずこの料理を作る。ただし、山の神の怒りを恐れ、マタギの掟で、女性や子供には食べさせない。(熊の脳味噌漬)酒に漬けた脳味噌を、生のままで食べる。あまり味はしないが生臭い。(熊の血)解体の際、腹に溜まった血をそのまま飲む。味は薄い塩味だが、最近の若いマタギは焼酎などで割って飲む人も入るらしい。(その他)最近のマタギは、熊の肉をラーメンに入れたり、シチュウーなどでも食べる。熊の手は中華料理の最高の食材として有名。 ウサギ(ウサギ汁)皮を剥いだウサギをぶつ切りにして、味噌、野菜を加えて煮込む。ウサギの肉は柔らかく鶏肉のように淡白だが、多少、臭いがある。(カレーシチュウ)戦後からカレーにウサギの肉を入れて食べるようになったらしい。油で表面を焼いたウサギの肉をカレーに入れ、カボチャなどを加えて煮込む。肉は柔らかく癖が無く抜群に美味い。(ウサギ焼き)塩で塗したウサギの肉を焚き火で焼く。ウサギが獲れるとマタギは猟場で食事のおかずとしてよく食べる。さほど癖は無いが、表面が多少焦げるくらい焼いたほうが美味。(その他)ウサギのクリームシチュウは抜群に美味い。他にも沢山マタギ料理はあるが、代表的なものだけを記してみた。
2004.11.09
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ここ数年のアウトドアブームで、多くの人々が山や海へ繰り出し自然の中の遊びを楽しんでいる。それはそれで大変に結構なことなのだが、あまりにも自然に潜む多くの「危険」に無知な人が多い。昨年だったか、あるグループが増水した川の中州に取り残され、その内の何人かが亡くなり、残りは自衛隊と消防に救出された騒ぎがあった。助け出されたグループの一人が「まさかこんなに早く増水するとは思わなかった云々・・」とインタビューに答えていたが、地元の住民たちは、連日の大雨で増水警報が発令されているのに、河原でキャンプなんて自殺行為だと話していた。今年の夏、埼玉へ渓流釣りに入った時も、東京から来たという家族連れの女性の一人が、日差しが強いからといって木陰に入った瞬間、マムシに咬まれたと大騒ぎになっていた。その女性ときたらショートパンツの素足で、マムシに「どうぞこの足を咬んで下さい」と自分から言っているような姿であった。まさかマムシが潜んでいるなんて考えなかったとは思うのだが、我々の常識からすると、夏の河原に蛇がいるのは当たり前であって、マムシがいても別に不思議ではない。そこは携帯の電波が届く場所であったので、すぐに救急車を呼び応急処置後、直ちに病院へ運ばれたが、夏の河原に素足とは何とも無謀だな~という気がした。11月15日になると、全国の狩猟区域は一斉に狩猟解禁となるのだが、狩猟区域に指定されている山々へも、紅葉狩りやハイキングなどの人々がたくさん押し寄せてくる。「ここは狩猟区域ですよ・・」という看板があってもお構いなしだ。そして毎年のように事故が発生し、新聞やニュースを賑わす。我々ハンターも細心の注意を払い猟に挑むが、まさかと思うような場所から人間が姿を現すことがある。前に千葉の房総へキジを撃ちに行ったとき、人など入れないような草むらへ犬を放したら、突然、若い男女のアベックが飛び出してきた。(何をやっていたか知らないが・・・・)こっちは人がいるなんて思わないし、ガサガサという音でキジが飛び出すと思い銃を向けたら、それが人間だったものだから、額から冷や汗が噴出した。もし引き金を引いていたら大事故である。熊注意の看板が立っていても「熊鈴」などを持たずに平気で山を歩いている。(熊の怖さが分かっていない)熊以外にも、山は毒蛇、山蛭、蜂などの危ない生き物のほか、落石、滑落、狩猟者の仕掛けた罠など危険が一杯だ。視界が遮られ、方向感覚を失う冬山の遭難はとくに怖い。海は海で、波浪注意報が出ていても平気でレジャーボートを出したり、悪天候の中、今にも波に呑まれそうな場所で平気で釣りをして大事故に繋がる。(それもフローティングベストやスパイクシューズも履かないで・・・)遊泳禁止の場所で泳ぎ、毎年必ず死者が出る。「アウトドアブーム・・・・」自然と戯れ、自然と遊ぶことは素晴らしいことだが、そこに潜んでいる危険を熟知し、きちっとした備えをし、自然と接することが大切である。「自然は人を優しく包み込んでくれるけど、牙を剥いたら自然ほど恐ろしいものはない・・・」明日は「マタギの世界4・・・マタギ料理」の予定。
2004.11.08
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今日は射撃大会ということで、千葉県のSKB成田射撃場へ出かけた。午前11時少し前に到着したが、駐車場が一杯でかなり離れた場所へ車を止め、重い鉄砲と弾を担いで射場までとぼとぼ歩く。ようやく僕の所属している会で借り切っている射場に辿り着くと、「すぐに用意して」と言われ、息つく暇もなかった。今日の種目はトラップ射撃。トラップ射撃とは横一列に射手が並び、前方の左右、真中のいずれかにクレー(皿)が飛び、それを散弾銃で撃ち当てる競技である。1枚のクレーに対し2発撃つことができるのだが、見ていると簡単そうに見えて、これがなかなか難しい。久しぶりの射撃ということもあり、1ラウンド目(1ラウンドはクレー25枚)は銃の照星とクレーが重ならず、結構、外してしまった(点数は秘密・・・・)2ラウンド目からは多少、目が慣れ、体の回転が柔らかくなってきたせいか当たり出す(点数は秘密)「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」・・ことわざどおり。昼食を食べて食堂を出ると、昔の狩猟仲間であったTさんにバッタリとお会いした。Tさんもご自身が所属する射撃クラブの大会が開催されているので、同射撃場へ来られているとのことであった。Tさんとは7年ぶりの再会で、僕が狩猟を始めたばかりの頃、水郷の鴨撃ちにお供させていただき、いろいろご指導を賜った。久しぶりの再会で、本当なら昔話に花を咲かせたいところであったが、お互い射撃の順番があるので、次の再会をお約束し、今日のところは短いお話と握手のみでお別れした。共通の趣味を持ち、しかも暫くぶりの仲間との再会は、本当に嬉しいものである。狩猟解禁日まであと1週間、いよいよテンションが上がってきたぞ・・・・・
2004.11.07
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江戸の昔から継承されるマタギ文化も、戦後の近代化により大きく様変わりした。戦前までのマタギの姿は明治の頃から受け継がれたスタイルをほとんど変えず、「コナガイ」といわれる木製の大きなヘラを持ち、雪を掻き分けたり、時によってはカモシカをそのヘラで撲殺して獲ったらしい。ファッションも独特のもので、「ボッチ」と呼ぶ頭巾を頭に被り、カモシカなどの毛皮を防寒用に肩からはおる。そして下は、麻でできた袴を履き、カンジキを履いて雪の中を歩いた。江戸末期までは「タテ」と呼ばれる槍を持って、熊やカモシカを槍で突き仕留めたが、明治に入ると槍が火縄銃に変わり猟果も増えるようになった。当時、ご禁制だった火縄銃も、マタギだけには特別に所持が許可され、代わりに熊を領主に上納させた。しかし、火縄銃は雨や湿り気に弱く、弾が正確に飛ばず射程距離も短かったことで、いざ撃とうとして弾が出なかったり、撃ち損じて逆に熊に襲われたりしたこともあったらしい。明治も中頃になると、マタギの持つ銃も火縄銃から単発式村田銃へと変わっていく。単発式という意味では火縄銃と変わりないが、雷管の付いたケース(薬莢)に球状の弾を込め、銃のボルトを引いて薬室に装填することができ、火を使わずに発火させるので、雨の日の使用にも耐えられるようになった。また火薬も良質の黒色火薬を使うようになったことから不発は減り、射程距離も20間(37~38m)くらい離れた獲物まで正確に、しかも急所に当たれば確実に仕留められるようになった。それでも100%不発が無くなったわけではなく、撃ち損じて次の弾を装填できなかった場合は、腰に下げた山刀を抜いて勇猛果敢に熊に立ち向った。この山刀にも地方によって様々な呼び名や形状があるが、代表的なものに、秋田のマタギが使う「ナガサ」がある。「ナガサ」には2種類あって、柄の部分が木でできているものと、鉄でできていて棒を差し込むことのできる「フクロナガサ」があり、「フクロナガサ」は銃が壊れたりして使用できなくなったっ場合、木の枝を袋状になった柄の部分に差し込み即席の槍として使うことができる。武士の命が刀であると同様、マタギたちはこの「ナガサ」をことのほか大切にして手入れを怠らない。僕も秋田へ行った際、現役のマタギに「ナガサ」を見せてもらったが、切れ味は抜群で、紙を少し触れただけでスパッと切れ、日本刀のような感じがした。そんな、伝統的なマタギのいでたちも、太平洋戦争を境に近代化の波が山奥のマタギ集落まで押し寄せ急激に変化した。銃も外国製で性能の良い散弾銃や、スコープ付きで射程距離が300~400mの高性能ライフル銃に変わり、連絡は軽量の無線機で取り合い、昔ほど苦労しなくても獲物が獲れるようになり、古くから継承されてきた伝統的なマタギ文化も無くなりつつあるが、「ナガサ」だけは昔から同じものが受け継がれている。また、僅かではあるが、高齢の老マタギの中には、いまだに村田銃を使っている人がいるようだ。射程距離の短い村田銃を使うことで、あえて熊と一対一の命がけの勝負をする・・そんな老マタギの気質と脈々と受け継ぐ狩猟民の血に対する誇りが伝わってくる。秋田県阿仁町へ行くと「マタギ資料館」があり、昔からの猟具が展示されている。
2004.11.06
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マタギの信仰する山に神は、醜い女神という伝説がある。山の神は男根(男のオ○○○ン)を好み、ひどい「やきもちやき」と云われている。マタギたちは猟の前夜には絶対に女性と交わらず、祝い事(とくに結婚式)が集落で行われる日には猟には出ないとう昔ながらの決まりがある。山の神は、自分より醜いものを見ると喜ぶという教えがあるらしく、「山の神様より醜い生き物がおります」という意味で、オコゼ(海の醜魚)を供え、山の神を喜ばせることで、猟の安全、豊かな猟果を授かることができるとマタギたちは信じている。(コンプレックスの塊だな~山神様は)猟の当日、朝目覚めると水垢離を行ったあと体に少量の塩をふりかけ身を清め、さらに家を出るとき、木の枝に火を点けてその煙でお払いを施す。そして集合場所でマタギ仲間と落ち合い、シカリ(マタギのリーダーのこと)から一連の注意や指示があり、いよいよ猟場へ向かう。マタギの猟法は「ひとりマタギ」と呼ばれる単独猟と、数人~数十人で行われる「巻き狩り」というやり方の二通りがあるが、特に熊猟の場合は、ほとんど「巻き狩り」で行われる。猟場に到着すると、シカリがマタギの配置を行う。まず、シカリは、熊の歩く獣道に数箇所の「たつま」(射手が待ち伏せる場所)を決め、そこへ、ブッパ(射手のこと)を数人、配置する。そして残りのマタギたちに勢子(熊を「たつま」まで追いたてる役」の役割を指示する。勢子は可能な限り大きな声をあげて、熊を尾根ずたいに追い立てる。人間の声に驚いた熊は、獣道を伝いブッパの待つ「たつま」方向へ逃げ、途中で待ち伏せるブッパに撃たれ猟は終了する。終了後、マタギ全員によって熊の解体作業が始まるのだが、熊の体にナイフを入れる前に、「ケボケの儀式」が始まる。「ケボケの儀式」とは、獲物を授けてくれた山の神に感謝をする意味と、熊の霊を鎮め供養するためのものである。最初にシカリが「山言葉」という独特の祈り言葉を唱え、木の枝に火を点け、その煙を熊の体に浴びせる。次にお神酒を手でふりかけ「ケボケ儀式」は終わる。次にシカリが熊の喉元へ山刀を入れ一気に皮を剥いでいく。その後、マタギ全員によって、肉、毛皮、熊の胆などが解体され、その日の熊猟は終了する。家に戻ったマタギたちは、祝杯を上げるのだが、木の枝に熊の肉を刺して、焚き火で焼き山の神に捧げる。これを「モチグシの儀式」と呼び、捧げ終わったモチグシは男たちだけで食べ、女には絶対に食べさせない。とにかく山の神様は女が嫌いなようで、モチグシを女に食べさせると、祟りがあると信じられている。山の神(女神)信仰・・・・女の「やきもち」は恐ろしい。マタギの世界(3)はマタギの猟具を記することにしよう。
2004.11.05
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昭和30年前半頃まで栃木県を以南として東北地方には、熊を獲っては胆、毛皮、肉を売って生計を立てていたプロの猟師がいた。所謂、マタギと呼ばれる人々であった。マタギといえば秋田県の阿仁町が有名だが、その他にも青森、宮城、福島等々の山々にマタギ部落という集落が点在していた。小雪舞う晩秋に頃、マタギたちは熊猟を始める。そこには先祖代々受け継がれてきた、山の神信仰に基づく厳しい掟がある。そんなマタギの世界に興味を持った僕は、数年前に阿仁のマタギ宿「松橋旅館」に泊まり、主人の松橋さんにマタギの世界についてお話を聞いたことがあった。松橋さんは、マタギ伝統を受け継いだ数少ない現役マタギの一人である。マタギの掟、熊猟の仕方、受け継がれてきた伝統など、様々なお話しをお聞きすることができた。これから、数日間、マタギについて記して行きたいと思う。
2004.11.04
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先日、電動リールの調子が悪いので、近くの釣具店へ持っていったら店員さんが「お客さん、このリールはメーカーにも部品が無いから、修理はできませんよ」と言われた。仕方ないから家に持ち帰り保証書の購入日付を確認したら、なんと、昭和62年に購入していたことが判明した。修理がきかない以上、釣具殿堂入りとなるわけだが、傷だらけのリールをしみじみ眺め触れてみると、「長い間、よく働いてくれたなー」と何かとてもいじらしさみたいなものを感じた。ふと、考えてみると、他の釣具も長年にわたり、僕のために懸命に働いてくれている。黒鯛釣りに使用している磯竿や、ヒラメ釣りに使用している軟調の船竿なんか購入からすでに20年が経過している。よく仲間から「新しい竿に買い替えたら」と言われるが、いまだにそれらの竿を使い続けている。決して高価な品ではないけど、長年使い続けていると、魚が餌に食いついた瞬間にその魚の大きさや、その竿に対するハリスの限界などが分かるようになる。つまり、いつの間にか自分の腕の延長となり、体の一部になっているのだ。これは、釣具だけに限らない。狩猟で使う猟銃やナイフなどにしても、すべて同じだ・・・道具は長く使うと手に馴染み、さらに使い続けると自分の体の一部になり、道具に命を吹き込むことができる。物の豊かな時代に生まれ、育ってきた僕だけど、ひとつひとつの道具と末長く語り合い、それらの道具に命を吹き込み続けていきたい。
2004.11.02
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今朝、釣り仲間、Fさんの訃報を知った。釣り仲間といっても、Fさんは僕より30歳も年上である。Fさんとの初めての出会いは、かれこれ15年以上も前の平成元年春、千葉県内房金谷の通称、公園下の堤防であった。当時、磯や堤防での黒鯛釣りに夢中になっていた僕は、休日のたびに金谷公園下の堤防に通っていたが、その都度、Fさんをお見かけし、何度かお会いしているうちに、互いに挨拶や言葉をかけるようになった。そんなある日のこと、Fさんが突然僕に缶ジュースを差し出しながら、「黒鯛の釣り方を教えてくれませんか・・」と言われたので、「えっ?」と答えると、Fさんは「私も黒鯛釣りを始めて3年になるのですが、昨年、カイズクラスを1尾釣り上げただけで、あとはどうしても釣ることができないんです」と真剣な顔で話してこられた。僕は、そんなFさんの突然の訴えに少々困惑しながら、「だって毎週釣りにいらっしゃってるじゃないですか・・」と答えたのだが、ふと考えてみると、そういえば、Fさんが魚を釣られている姿を一度も拝見したことがないことに気がついた。何となくFさんが気の毒になり、「今日は時合いが過ぎてしまったから、多分、釣れないと思います。もしよろしければ、来週も来ますから、ご一緒に如何ですか?」と言うと、Fさんは「ぜひ、お願いいたします」と丁寧な口調で答えられた。そして1週間後、待ち合わせの時間に来られたFさんに、浮き下の計り方、コマセの打ち方、仕掛けの流し方などを伝授申し上げ、その日、Fさんは35~40センチくらいの黒鯛を2尾釣り上げることに成功した。Fさんはいつも浜金谷の駅まで、東京の亀戸から電車で通われていたのだが、その日から、帰路は途中まで私の車に同乗して帰宅するようになった。それから、約4年間ほど毎週のようにFさんと釣りをご一緒するようになったが、10年ほど前に、Fさんが自宅の階段から転落し大怪我をされたのをキッカケに年賀状と暑中見舞いのみのお付き合いになってしまった。今年いただいた年賀状には「冥土の土産に大きな黒鯛を釣りたいので、久しぶりにご一緒しましょう」と書かれてあったが、それも実現しないまま逝かれてしまった。はじめて釣り上げた黒鯛の体を、子供のような笑顔で撫でていたFさんが甦る。Fさん、沢山の楽しい思い出を有り難うございました。ご冥福をお祈りします。
2004.11.01
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