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ここ数日続けてきた納戸整理で、しまい込んで忘れていたビデオテープが沢山出てきた。その中で「おっ!懐かしい・・観てみよう」と思ったのが、昨日、記した「比叡山・・千日回峰」と「熊撃ちドッコ」というビデオである。「熊撃ちドッコ」は10年ほど前に「ドキュメンタリー人間劇場」という番組で放映された「会津の老マタギ」の物語で、「蟹江敬三さん」が例の独特の口調で解説しているのがいい。主人公は「熊撃ちドッコ」こと、「独固直一さん・・93歳」である。福島県の阿武隈川源流に住む独固さんは、伝統ある会津マタギの数少ない継承者で、生涯を熊撃ちに賭けたマタギの頭であった。熊の足跡を追って、根気よくゆっくりした歩きで、しかも確実に熊を追い詰めていく姿には、我々のようなアマチュアスポーツハンターには、到底、及びもつかない迫力とプロの凄さを感じる。熊を撃つ瞬間の心構えや、若い頃熊撃ちに出かけ、銃の引き金を引いても弾が出ず、逆に熊に襲われて瀕死の重傷を負った時の話しには、テレビに思わず身を乗り出し聞き入ってしまった。独固さんも数年前に老衰でなくなったようで、実際に狩をされている姿にお目にかかることは不可能だが、「松葉豊さん」という絵本作家が「熊撃ちドッコ」という独固さんの生涯を描いた絵本を発行しているようなので、探してみたいと思っている。それと納戸整理で出てきたもうひとつの「お宝」は、約200枚ほどの「テレホンカード」である。携帯電話の普及でテレカを目にする機会はほとんどなくなってしまった昨今ではあるが、逆に数が少なくなればそれだけ希少価値が上がるはずである。出てきたテレカの種類として最も多いのが、所謂「企業モノ」というやつで、企業の行事の際、記念に配られたものや新商品の販売ツールなどで作られたものがほとんどを占めている。次に多いのが旅行先で購入したご当地紹介の記念テレカで、一枚一枚に昔行った旅の思い出が甦る。最後は、友人や知人にもらった「結婚記念テレカ」や「子供の誕生記念テレカ」などである。どれも懐かしいものばかりで、昨夜は時間の経つのを忘れ、昔の思い出に耽ってしまった。たまには納戸や物置の整理もいいものだなあ・・
2005.05.31
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昨日は成田射撃場で射撃大会に出場・・・なんて書くと何か代表選手のように聞こえるが、クラブ主催なので誰でも参加できる。結果は・・・う~ん・・まあいいか・・(下手な鉄砲数撃ちゃ当たる・・っていうのは絶対に嘘。参加することに意義がある<と自分を慰める>)最近、暇なときにやっているのは、昔のビデオをDVDに録画し直していること。納戸の古いビデオテープを整理していたら「千日回峰・・酒井雄哉」というタイトルのテープが出てきた。これは昭和63年に「NHK教育テレビ・・こころの時代」という番組を録画したものであった。酒井雄哉さんは比叡山延暦寺の高僧で、「千日回峰行」という荒行を2度も満行した「あじゃり」さんである。何故かすごく懐かしく思え、すぐにビデオデッキにいれて再生すると、20年前のビデオテープとは思えないほど劣化も無く鮮明な画像で、若々しい笑顔の酒井さんが映り出された。聞き手が元NHKチーフアナウンサーの飯田忠義さん(現NHKスクール・話し方教室講師)で、酒井さんに飯田さんが質問する「質問形式」の番組である。酒井雄哉さんは、軍隊から復員後、様々な職業を経ながら結婚するものの、奥さんが自殺したり、始めた商売が上手くいかなくなったりして、一時は自暴自棄の人生を送りながら、最後に辿り着いたのが「比叡山延暦寺」であった。そして39歳のときに得度(僧侶になること)し、それからは数々の荒行を自らに課して、比叡山の「大あじゃり」という高僧にまで昇りつめたすごい人である。酒井さんの経験した荒行を簡単に紹介すると・・・「常行三昧」90日の間、お堂の中をグルグル回り、休むことなく真言を唱え続ける行で、行が始まると90日の間、用便以外に座ることも寝ることも許されない、まさに人間の限界を遥かに超えた荒行である。その昔、やはり比叡山の修行僧がこの「常行三昧」に挑んだが、途中で倒れ命を落とした。そして、その死に際に「このような行は二度と行わないでほしい・・」と言い遺して亡くなったことで、比叡山でも長年、この「常行三昧」を行う行者はいなかったのであるが、酒井さんが復活され満行(行を成就させること)した。(飯田アナウンサー・・聞き手)90日もの間、体を横にすることもなく歩き続けていくと、どのような感覚になるんですか?(酒井雄哉さん・・答)最初は足がパンパンに腫れて、やはり限界が来ちゃうんだよね。そうすると、堂内の柱と柱の間に渡してある竹竿にもたれかかり、一瞬、ウトウトとするんだけど、すぐに目を覚まし、また歩き続けるんだよ。体力の消耗とともに、足はまったく次の一歩が出なくなるし、意識が薄らいでくる。それでも続けていくと今度は陶酔状態になり、体がフワフワしてものすごいいい気持ちになって、真っ直ぐな道をどこまでもどこまでも歩いているような感覚になってくる。そこを進んでいくと途中で魔物に刀で斬りつけられるような感覚になってどうしようもない恐怖心が湧いてきたり、さらに先へ進むと海岸の波打ち際を歩いているような気がして、遠くから誰かが「おいで、おいで」と手招きをしている姿が見えてくるんだよ(臨死体験というやつか・・・)(飯田アナウンサー・・聞き手)千日回峰という行はどのような荒行なんですか。(酒井雄哉さん・・答)延べ1000日を7年間かけて歩き続ける行で、最初の数年は毎年100日づつ比叡山の山峯約40キロを歩きながら途中にある伽藍や石仏、一草一木に念仏を捧げながら前へ進んでいくんだよ。この行は一度始めたら、病気になろうが悪天候だろうが何があっても途中で休んだり止めることは許されない「不退転」の行なんだ。もし、どうしても行を続けることが出来なくなったときは、腰に巻いている「死出紐」で首を吊って死ぬか、腰に下げている「短刀」で腹を切って死ぬしかないんだ。そして4年目に「堂入」という行があるんだけど、この堂入というのは9日間、お堂に篭って「断食、断水、不眠、不臥」、つまり食べない、飲まない、寝ない、横にならないを満じなければならないんだよ。(飯田アナウンサー・・聞き手)堂入を行っているときはどんな感じなんですか・・(酒井雄哉さん・・答)とにかく、食べない飲まない寝ないを続けていくと、体力が消耗してきて自分の体から異様な匂いがするんだよねえ・・ようするに「死臭」がしてくるんだよ。そして、いろいろな幻覚を見るようになる。たとえば自分が外国の上空を飛んでいたり・・・ね。いよいよ限界に達してくると、ものすごく気持ちよくなる。このまま目を閉じたらまさに「極楽浄土」だなと思うんだけど、堂入の行を行っている行者が一度、目を閉じたら二度と再び目を開くことはないという・・あっちフラフラ、こっちフラフラと比叡山へ辿り着くまではいい加減な人生を送ってきた僕(酒井氏)だけど、そんな落伍者だった僕を檀家さんや多くの人たちが応援してくれて、ここまで来ることができたんだから、目を瞑って死んでしまおうなんて考えるのは僕の勝手なエゴで、何としてでも生き延びてご恩返しをしなければならないということに気が付いたんだよね。結局のところ、人間なんて「死ぬ」か「生きるか」の二者択一しかないということにも気が付いたんだ。(飯田アナウンサー・・聞き手)行をするときの心構えは・・・(酒井雄哉さん・・答)べつに覚悟する必要もないし、気負うこともない。ただ、毎日同じことを繰り返し繰り返し、コツコツと続けることだね。そうすれば必ず「何かを掴む」ことが出来るし、「何かを得る」ことができる。そして真面目にやることだな・・人はいくらでも騙せるけど仏や宇宙を騙すことは出来ないんだよ。僕にとって行は「人生の砦」だし、昔から「無始無終」といわれるように、行には始めも終わりも無いわけだから、これからも行を続けていこうと考えているんだよ。人間誰でも生きることそのものが行なのだから、「行」特別なことではないんだよね。とにかく、何事もやるならやるで一生懸命やればいいし、やらないんならべつに寝ていても構わないわけだ・・・何かを始めたらリズムに乗ることが大切だと思うよ。人生において良いことがあれば悪いことがあるなんて当たり前のことだし、いちいちそんなことに気を取られず真っ直ぐに進めばいいんだよ・・・と言うような内容の講和だった。そのビデオを観て、何か久しぶりにほのぼのとした気持ちになり、また忘れていた大切な「何か」を思い出せたような気もした。ちなみに一昨年は、酒井さんのお弟子さんで「藤波源信さん」という修行僧が千日回峰を満行して晴れて比叡山「大あじゃり」となった。コツコツと繰り返し行うことの大切さを聞くと、今更ながら意志薄弱の自分が恥ずかしく思えてしまう。
2005.05.30
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「復刻版・狩猟界創刊号・・昭和32年6月号」・・狩猟界社発行日本国内で発行されている狩猟専門雑誌は「全猟」と「狩猟界」の2種類だけ。そのうちの「狩猟界」の創刊号が復刻版として発売された。同誌の創刊は昭和32年6月、僕の生まれるずっと前である。中を読んで驚いたのは、あの国民的英雄だったプロレスラー「故力道山」も狩猟をこよなく愛し、体験談などが質問形式で紹介されていたこと。そしてもっと驚いたのが現在の天皇陛下が皇太子時代に狩猟をやっていたことだ。そして、もうひとつ面白かったのは銃砲店などの広告である。当時、広告を掲載していた銃砲店はほとんど残っていないようだが、千葉市内にある「小佐井銃砲火薬店」の広告が出ていたのにはこれまた驚いた。昭和32年当時は都内にも店があったらしい・・「第十四世マタギ・松橋時幸一代記」・・甲斐崎圭著 1989年3月 筑摩書店発行アウトドア作家、甲斐崎さんの著書で、秋田県阿仁町のマタギ「松橋時幸さん」を紹介したもの。小説風の伝記はなかなか面白い。どちらかというとあまり専門的ではないが、そこがまた良い。「ザ・ショットガン」・・梶尾茂著1988年 狩猟界社発行これから銃を所持しようと考えている人には、必見の書。散弾銃をここまで体系的に説明した本は他には見当たらない。「銃器・火薬実用辞典」・・・津野瀬光男著1981年 狩猟界社発行銃の用語や火薬について詳しく説明されたもので、銃所持者はぜひ手元に置いておくべき本だと思う。また、実際に銃を所持しなくても、銃を知りたい人には解りやすく参考になる。「マタギ・森の狩人の記録」・・・田口洋美著1994年 慶友社知る人ぞ知る、マタギ研究家「田口洋美」先生の著書。かなり昔に出版されたマタギに関する本(題名は忘れた)から、引用したと思われる部分も多々あるが、秋田の阿仁マタギを知るには必読の書である。とくに、名だたるマタギが登場するので、昔から阿仁を知る人は懐かしく読める本でもある。マンガ「マタギ」・・・・矢口高雄著「釣りキチ三平」でお馴染みの矢口高雄さんのマンガ。一世代前のマタギの姿を描いたものだが、秋田県出身の矢口さんだけあって、よく調べているなあ~といった感じ。山で出会った猿が人間の言葉をしゃべるのには笑ってしまうが・・・
2005.05.28
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「熊撃ち一代」・・・狩猟界社発行 藤原長太郎著熊被害で悩む農民のために立ち上がり、熊撃退に生涯を捧げた藤原長太郎さんの自伝である。以前の日記にも書いたことがあるが、藤原さんとは数年間お付き合いをさせていただき、狩猟における心構えや鉄砲のことなどをご指導いただいた。グループに属さず犬も使わない全く一人で行う「単独猟」で、何百頭もの熊を仕留めた藤原流熊猟は、まさに「熊撃ちの神様」の神業と言える。とくに熊猟で使用する銃の解説は、我々みたいなアマチュアハンターにも大いに参考になる。藤原さんと銃を撃つ瞬間の話になると、「獲物を見つけ銃を構えたら、下っ腹で大きく息を吸ってまた吐く。そしてもう一度大きく息を吸い、次に吐き出す瞬間に息を止めて引き金を引くんだ。言葉で言うと簡単に思えるけど、それがなかなか出来ないんだなあ・・それは熊を見た瞬間に恐怖心が先に立ってしまうから。だから射撃場へ行って何千何万発も撃ちながら、その呼吸法と銃の片づけを体で覚えなければ獲物を撃ち損じてしまうんだよ。熊は誰でも恐ろしい、しかし熊だって人間が怖いんだよ。熊と相対したとき、どちらの気迫が勝るかで勝負は決まる」いつも話してくれた。藤原さんは自宅が火事で全焼し、その後、高齢のためにどこかの施設に入所されたと聞いたが、今ではその所在も不明になってしまった。本を読むたびに、しゃがれた甲高い声で何時間も熊狩りの話を聞かせてくれた藤原さんが甦る。
2005.05.27
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「狩猟」・・・・白井邦彦著白井先生は、僕が3年に1度受講が義務付けられている「狩猟者講習会」の講師である。ユーモアを交えながら語るその優しく丁寧な語り口には、ついつい時間が経つのを忘れ引き込まれてしまう。そんな白井先生の古い著書「狩猟」を横浜の古本屋で偶然見つけたのは、今から7~8年前のことである。たしか価格は600~800円くらいだっただろうか・・その本を某銃砲店の店頭で希少本として5000円くらいで売られていたのを見たことがあったので、古本屋で目にした時はえらく得した気持ちになった。本の内容は猟銃の選択から、鳥、猪、鹿、熊猟にわたり日本国内の狩猟に関する全てが詳細に書かれていて、僕の狩猟におけるバイブルの1冊にもなっている。前回、狩猟者講習会を受講した際、休憩時間に白井先生にその本の話を直接お聞きした。僕が古本屋でその本を入手したことを言うと先生は「へえー、まだ残っているんですねえ。あれはたしか40年以上前に書いた本ですよ。あの頃は今と違って狩猟者人口も多く、狩猟関係の本は他にもけっこう出版されていましたからねえ」と言いながら懐かしそうに目を細められた。そして、某銃砲店で5000円の値が付いていたと話すと「それは儲け過ぎだなあ~。500円なら解りますけど、5000円は高すぎるなあ・・」と今度は目を丸くして驚かれていた。僕は、狩猟期が近づくと必ず白井先生の著書「狩猟」を本棚から取り出し、深夜まで読みふけりながら、夢を膨らませる。「実戦・柴犬とヤマドリ猟」・・・狩猟界社発行期待していた割には乏しい内容の本だった。ヤマドリの習性や実際の猟法など、もっと詳しく書いてもらいたかった。とくに猟銃・射撃論の項は、スキート射撃のやり方と簡単な銃の説明に止まっているし、実猟には参考にならない。初心者向けの本かな・・・っていう感じ。
2005.05.25
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「あなたの趣味は?」釣り、狩猟、射撃、歴史散策、ゴルフ、音楽、マリンスポーツ(ボート)、格闘技観戦(主にキックボクシング・空手・ボクシングなどの打撃系格闘技が好き)、スキー(ここ数年行ってないが・・)、映画、読書など等・・・数えたらキリがない。要は何でも飛びついてしまうのが、僕の性格なのだ。だから「これをはじめよう」というような確固たる動機で始めるのではなく、何となく「やってみようかなあ、つまらなければ止めればいいや・・」くらいの気楽な気持ちで始めたものばかりだから、腕の上達は差ほど気にならず、かえってどれも長続きしているのかもしれない。基本的にどの趣味も独学で覚えてきた。先生に教わったといえば、ゴルフの覚えたくて1年ほど通った「初心者ゴルフスクール」と「スキー教室」くらいのものであり、射撃などは遥か昔に猟銃を所持した際に受講した「教習射撃」に撃ち方を教官に教わっただけである。当然、独学なのだから、僕にとっての趣味の先生は「入門書」から始まり「ステップアップ云々」などの関連書籍かビデオ鑑賞ということになり、買い求めた趣味関係の書籍は膨大な数になってしまった。そんな中で、数日間の日記は、僕が持っている書籍で一般にはなかなか知られることがない「狩猟」関連の本を紹介していくことにしよう(お宝的な書籍もあり・・)1、硝煙の軌跡・・・ 植木晃著 昭和63年10月8日 狩猟界社発行(読んだ感想) 著者の狩猟体験や猟銃に関する考え方を綴った内容で、愛犬とのエピソードなど実際に狩猟をやる人が読むと、とても身近な出来事に感じるはず・・とくに著者の愛犬「サリー」との別れには読んでいて胸が熱くなる。2、アフリカ殺人象を撃つ <日本人初のビッグハンティング実録> 藤田正男著・・・昭和40年11月15日 実業之日本社発行(読んだ感想)40年前に発行された古い本で、増刷はされていない絶版本。偶然、神田の古本市で見つけたので購入した。たぶん、海外の狩猟をここまで詳しく紹介したのは、この本が初めてではないだろうか。東京銃砲店の店主がアフリカの奥地で殺人象を撃ち取るまでのドキュメンタリータッチの内容。プロの「モノ書き」によるものではないので、余計な言い回しや肉付けがなく、かえって新鮮に思えた。3、山がたり <なぞの動物たち> 斐太猪之介著・・・昭和42年7月25日 文芸春秋社発行(読んだ感想)この本も絶版本。船橋の「ブックオフ」にて105円で購入。キジ、ヤマドリをはじめ、猪、鹿などの生態についてかなり詳しく書かれている。狩猟者必見の価値あり。4、秋田犬の父 澤田石衛門著・・2002年12月8日 木楽舎発行(読んだ感想)秋田犬を育てるために家族の反対を押し切り、山に移り住んだ著者のユニークな半生を描いた内容で、なかなか面白かった。今日はこのへんで終わりにします。
2005.05.21
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昼少し前に家を出て、まずは上野へ行き食事をする。日曜日に上野へ行った際、チェックしておいた中華料理店。その後、タクシーで江戸東京博物館へ・・・・前から見たいと思っていた「新シルクロード展」を見るためだ。期待していたよりは展示物が少なく少々物足りなかったが、それでも数千年前の遺物を間の前にしたとき、あまりの見事さにタメ息が出た。明日からは仕事だ・・・頑張ろう!
2005.05.18
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昨日食事をした横浜の友人が経営するレストランに、携帯電話を忘れてきたことを今朝気付いた。すぐに電話すると「あるよ~。何回か鳴っていたぞ」との返事。あ~・・・・。ということで、昨日と全く同じの津田沼発11:00ちょい過ぎの快速に乗って横浜へ。横浜まで約1時間の長旅(?)着く時間も一緒で、店に入ったのも昨日とほとんど同時刻。店に入り友人の顔を見たら「お前は相変わらずドジだな~」という感じで苦笑している。「どうせ店が暇だと思って、千葉から遥々飯を食いに来てやったんだ・・」と苦しい言い訳をしながら昼食を注文する。友人も携帯を忘れ千葉からわざわざ取りに来たアホな僕を哀れに思ったのか、グラスビールをサービスで付けてくれた。そして、これも昨日と同じ2時ごろ店を出たのだが、今日は昨日とは逆方向を京浜急行で南下して横須賀の衣笠まで足を延ばした。衣笠には昔の職場の同僚で、若くして病気で亡くなったFの墓がある。駅近くの花屋で花を買い、途中のコンビニでビールを買って10年ぶりにFに会いにいった。奴は職場内でもいちばん仲がよかった同僚で、一緒に働いていたころは、横須賀にある奴の実家へも時々泊まりに行ったり、我が家へ泊まりに来たりと公私ともに親しくしていたが、平成元年8月に突然逝ってしまった。もう16年も前の話だが・・。墓前に花を手向けビールを墓石にかけて「突然来たから驚いたろう・・」と僕が語りかけると、「本当に久しぶりだなあ、元気か・・」という声が返ってくるような気がした。ふと墓石の裏を見ると、奴の母親の名前が刻まれていた。平成9年没と刻まれていたから、お母さんが亡くなってからも8年経つのだ。横須賀の家に泊まらせてもらった時など、手作りの料理をご馳走になったりして、本当によくしてもらったので、お母さんの名前を見てショックを受けた。約30分ほど天国のFと話をして、さらに久里浜まで南下し、東京湾フェリーで千葉県側の金谷まで行き、浜金谷の駅から特急に乗って帰宅したのは夜8時近くになっていた。帰宅後、鉄砲仲間から「明日、成田射撃場に撃ちにいかないか」とお誘いの電話をもらうが、明日は「江戸東京博物館」の「新シルクロード展」へ行く予定なので断った。携帯電話を忘れたおかげでグラスビールを奢ってもらえ、10年ぶりにFの墓参りもできたわけだから、まあ、充実した休日だったか・・・連休3日目終わり
2005.05.17
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ゴールデンウイークはずっと仕事をしていたので、昨日から4連休を取り、今日は2日目の休みだった。休みと言っても別にどこかへ行こうなんて予定もなく、昨夜のNHKアーカイブスで宣伝していた「新シルクロード展」にでも行こうかなあ・・なんて考え、朝家を出たのだが、よくよく考えると、今日は月曜日なので公共の博物館関係は休みだということに気がつく。急遽、予定を変更して、友人が経営する横浜のレストランへ飯を食べに行った。午後2時頃、そのレストランを出て都内に戻り、知り合いの銃砲店を覘いて午後6時帰宅。まったく中身の無い連休2日目だった・・・・あ~あ・・明日は何しようかな・・・
2005.05.16
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僕のお気に入りに「地域情報誌・谷根千」という小冊子がある。これは東京都台東区の谷中、根津、千駄木周辺の歴史や街を紹介している雑誌で、「森まゆみさん」という作家が主宰する「谷根千工房」が1985年ころから発刊している。数ヶ月前に谷根千工房のHPを見ていたら、古いバックナンバーに、戊辰戦争江戸落城の一環としてその名が残る悲劇の義士「影義隊」を特集した号があり、早速、注文して取り寄せてみた。僕がまだ幼かった頃、母に連れられ上野動物園に遊びに行くと、西郷さんの銅像の側に「影義隊墓所」というのがあり、子供心に「誰のお墓かなあ」と何となく興味をひかれた。影義隊に関する詳しい歴史は、また別の機会に書き込むとして、影義隊が壊滅した150年前の「上野戦争」の戦禍の跡が、上野周辺にはいまだに残っている。代表的なものは、円通寺という寺院に保存されている「黒門」である。「黒門」は、幕末当時「不忍池」のすぐ脇に建っていたが、その後、影義隊の戦没者を供養埋葬した円通寺に移され現在まで保存されている。寺院脇に建てられている「黒門」を見ると、まるで蜂の巣のように無数の穴が開いている。その穴は、影義隊が黒門の内側に占拠していたため、それを官軍が突破する際に総攻撃によってできた弾痕の跡である。当時の官軍は「スナイドール銃」という火縄銃をはるかに凌ぐ、有効射程200~300メートルもの威力を持った西洋式の軍用ライフルを使用したため、弾の威力は凄まじく、ほとんどが弾の貫通痕である。弾痕は「黒門」ばかりではなく、当時の上野寛永寺山門「現国立博物館正門」にも何箇所か確認できる。その他、谷中のお寺や古い民家の柱などにも上野戦争の傷跡がいまだに残っているらしい。第二次大戦中も、防空壕を掘ると影義隊士と思われる人骨と刀がかなり出てきたそうだ。たぶん今でも「不忍池」周辺には、多くの影義隊士が眠っているはずだ。そんな歴史の悲哀とロマンを感じたくて、今日は早朝からブラリと上野周辺を散策した。小さな歴史探訪・・これは僕の小さな楽しみでもある。参考文献・・「影義隊遺聞・・森まゆみ著」「地域雑誌・谷根千・・谷根千工房刊」
2005.05.15
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通販で注文した故大藪春彦さんの著書、「孤高の狙撃手」という本が届いた。大藪さんのハードボイルド小説は昔から大好きで、その著書は全て本棚に揃っている。大藪小説と言えば、「銃」「車」「セックス」の三拍子をリズミカルなテンポで展開させ、いくら読んでも飽きることがない。とくに「銃」に関しては、驚くほどリアルタッチな表現を駆使し、読んでいると目の前で実際に射撃をされているような錯覚に陥ることさえある。そんな大藪小説の面白さもさることながら、大藪さんのもうひとつの顔「狩猟家・大藪春彦」の世界にもいつも心惹かれていた。世界中所狭しと大物を追い求め、「究極のハンティング」を追及したエネルギッシュな狩猟家の姿に「理想的な男像」を感じた人も多いことだと思う。銃砲店主であり、日本を代表するガンスミスでもある「ファーイーストガンセールス」の築地恵先生も、HPのコラムに大藪さんとの思い出を書かれている。大藪さんも晩年は体調を崩し、銃を撃つこともできなくなり、ひっそりと息を引き取ったようだが、遺された多くの作品には今でも大藪春彦の血が脈々と流れ続け、その精神も永遠に生き続けていくことであろう。今夜は水割りでも飲みながら「孤高の狙撃手」片手に、大藪春彦の世界に酔っていこう・・・
2005.05.14
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1ヶ月ほど前に「NHKアーカイブス」という番組で、「マタギ」のドキュメンタリーを放送していた。番組の制作年は1987年ということで、18年前の映像だったが、秋田県阿仁町の老マタギ「松橋金蔵さん・・当時83歳」の熊狩りをカメラで追った番組だった。たまに狩猟番組がテレビで放送されると、我々狩猟者はどうしてもその装備品に目が行く。とくに画面に映し出される「猟銃」には関心を持って、目を皿のようにして見入ってしまう。現在、日本国内で狩猟で使用する銃は、大きく分けて、「空気銃」「散弾銃」「ライフル銃」の3種類である。空気銃は空気圧によって弾を飛ばす仕組みになっていて、装薬銃(火薬の威力で弾を飛ばす)に比べ威力も弱く、主に近距離の鳥猟に使用する。散弾銃は「ショットガン」と呼ばれ、プラスチックで出来た短い筒状の薬莢に鉛やスチール製の球状の玉が何発も入っていて、狙う獲物によって弾を使い分ける。つまり鳥などの小動物を撃ち取る際は、弾粒は小さく数が多く詰まっているモノを選び、逆に鹿や猪などの大物を撃つ場合は、弾粒が大きく数が6~9発詰まっている弾を選んで使用する。また、大型の猪や熊などのには、「スラグ弾」と呼ばれる1発弾を散弾銃で発射し、撃ち取る場合もある。最後にライフル銃だが、これは誰もが承知のとおり、鉛や銅で出来たロケット形状の弾丸を火薬の力で発射し大型獣専門に使用する銃で、射程距離が長いことから、平場や見通しがきく主に遠距離射撃に向いている。空気銃や散弾銃は、講習を受け、所定の手続きと審査が通れば、誰でも(年齢制限や適正制限はあるが・・・)所持することが可能である。ただし、ライフル銃に関しては、散弾銃の所持経験が10年以上必要で、狩猟目的のみに所持が許されることと、それに併せて審査もかなり厳しくなる(狩猟免状の無い者は持てない。また、地域によってはライフルの所持がかなり制約されているとも聞く・・・但し、競技用ライフルは一定の条件を満たせば、狩猟免状が無くても所持が許される)番組には、10数名のマタギ衆が映っていたが、持っている猟銃は、散弾銃を持っている人、ライフル銃を持っている人と様々で、主人公の松橋さんは自動式散弾銃(弾を1発発射するごとに、次弾が弾装より自動的に装填され、発射された弾の残骸(薬莢)は、発射された際に発生する火薬のガス圧によって放出される機能を持った銃)を使っていた。僕ら都会人で、しかも趣味の域を出ないハンターは、獰猛な熊と相対するなんて滅多なことではあり得ないし、たとえ熊猟に参加する機会があったとしても、自らの命の危険を顧みれば、少しでも離れた場所から撃ち取ろうという心理が働き、近距離しか効果のない散弾銃を使うなんて考えられないだろうが、あえて松橋さんや多くのマタギ衆が熊狩に散弾銃を使用するのは、やはり、根っからの「マタギ気質」によるものではないかと、つくづく感じた次第である。1970年半ば頃までは、まだ「村田銃」という非力で単発式の銃を使用するマタギも大勢いた。やはり阿仁町の名マタギ「故鈴木辰治」さんは、マタギ人生の中で200頭以上の熊を獲ったそうだが、父親から譲り受けた「村田銃」だけを生涯愛用し、そのほとんどが2~3メートルの距離で、しかも1発で撃ち取ったそうである。熊は国内の野生獣で最も凶暴な動物である。その熊を非力な「村田銃」で確実に倒せる距離まで引きつけるだけ引きつけ、一瞬のタイミングも逃さずに確実に急所を撃ち抜き熊を即死させる。万が一にも撃ち損じたら、「村田銃」は単発であるからすぐに次の弾を撃つことは出来ず、熊の逆襲を受け命取りとなる。まさに恐怖との闘いであるだろうし、逆に自分の度胸を試す場でもあるのだろう・・・画面に映し出された松橋さんの愛銃に、名人の域を極めたマタギの姿を感じたのは僕だけだろうか・・・・
2005.05.13
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先日、猟銃所持者には3年に1度義務付けられている猟銃の「経験者講習」参加した。約2時間半ほどの受講で、銃刀法等の法規、猟銃の取り扱いと注意、事件事故例を扱った内容のビデオ鑑賞等などを勉強するのだが、自動車の運転免許講習と同じで、やはり講義を聴いていると基本的なことを忘れている自分にハッと気付くことが多々あり、身が引き締まる思いがする。受講者の中には、休憩時間に「面倒くさいなあ~。こんな講習はやめてしまえばいいのになあ~・・・」なんて言っていた人も何人かいたが、僕はけっこう狩猟や猟銃の講習は面白く感じ、楽しんで受講している。講習終了後、会場から出ようとすると、突然声をかけられてので振り向くと、顔見知りのSさんだった。Sさんとは、10年程前に「千葉県射撃場」で知り合ったのが縁で、狩猟にもお供させてもらったことが何回かあったが、ここ数年間はお互いに全く音信不通の状態で、失礼ながらも声をかけられた瞬間、名前も忘れて出てこなかった。以下、Sさんとの会話。Sさん・・「いや~久しぶりだねえ。元気でやっているのお?」僕・・「おかげ様で何とか生きていますが、Sさんはお変わりないですかあ?」Sさん・・「俺も何とか息だけはしているけど、歳のせいか体中にガタがきちゃってダメだよ。とくに膝が痛くて、前期の猟期は近場でハト撃ちだけだよ。ところで君は猟にいってるの?」僕・・「ええ。行くには行っているんですけど、相変わらず上達もせず、獲物がこちらを振り向いてはいつも笑ってます。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる・・・なんて、あれは嘘ですね(笑)」Sさん・・「だけど最近は、仲間がずいぶん減っちゃったねえ。みんな歳取っちゃったから、年1回の鉄砲検査に重い猟銃を背負って行くのも億劫になっちゃったみたいだし、第一、体がきつくて山を歩けなくなっちゃうんだよな~。歳は取りたくないよ・・・」そんな会話を30分ほどして、その日Sさんとは別れた。そう言われてみると、射撃場でよく一緒になり顔見知りになったシルバーハンターの面々を見かけることが少なくなったなあ。最近は、射撃や狩猟を始める若い人がほとんどいないと、猟友会幹部の方々もこぼしていたが、射撃狩猟の世界も深刻な高齢化が進んでいるようだ・・・
2005.05.12
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パソコンを入れ替えたり、いろいろ設定を変えたりして、しばらく休んでたけどまた再開することにした。例の鉄道事故では100人以上の方の尊い命が失われた。とにかく呆れるのは、JR西日本の歯切れの悪い答弁と、事故当日にやれボーリング大会やらゴルフコンペやらと事故の重大性を知っていながらも、駆けつけようとしない無責任さと言い訳に終始する関係者の醜態である。遺族の方と思われる初老の男性が、報道陣の質問に「JRの体質のみならず現在の社会そのものが緩みきっている」と声をあらわにしていた。人命を預かるという最も大切な意識が希薄になり「営利至上主義」のみに傾向することで起きた今回の事故は、鉄道会社や輸送関係の企業だけではなく、人と関わる全ての企業に多くの問題を提起しているのではないかと思う。その初老の男性の胸には、「弁護士バッジ」らしきものが付けられていた。弁護士と言えば、1989年11月4日未明に発生した「坂本弁護士一家殺害死体遺棄事件」の実行犯の一人である「岡崎被告」の死刑が最高裁で最終確定した。あの事件には、発生直後から関心を持ち続け、「救う会」の活動や犯人逮捕後の公判も注目して見て来たが、僕にはどうしても真相を明らかにすることなく、裁判を終わらせようとする検察、裁判所の意図を感じてならないのである。犯行当日、坂本弁護士宅の玄関ドアの施錠がされていなかったということに対し坂本弁護士の妻だった都子さんの父親がずっと疑問を呈してきたが裁判は、岡崎他、実行犯の自供に基づき、施錠はなされてなかったと認定した。しかし、坂本弁護士本人がオウム被害者連絡会の関係者に「オウムは夜間押しかけてくるから、家の戸締りはしっかりやっておくように・・」と事件の前日に連絡していた。それにもかかわらず坂本弁護士本人がカギを掛け忘れるなんてあり得るのか・・(都子さんの父親の著書「都子きこえますか」参照。犯行時、寝込みを襲われた坂本弁護士や都子さんは激しく抵抗、横に寝ていた当時1歳の龍彦ちゃんは大声で泣いたとあるが、隣や階下の人は物音をまったく聞いていなかった。事件の現場となった横浜市磯子区洋光台のアパートは、プレハブ造で普段から上下左右の部屋の生活音がよく聞こえ、さらに事件同日時は階下の主婦が授乳のために起きていたにもかかわらず音は全く聞こえなかったと証言。アパートの周囲は閑静な住宅街で、当然、住民も静寂な環境下での生活に慣れているにもかかわらず、誰も音に気付かなかったなんてあり得るのか・・・都子さんは几帳面な性格で、食事が終わるとすぐに食器を洗っていたと遺族や知人が証言したが、事件当日は夕食に使用した食器が洗われていない状態で、シンクに置いてあった。食事の後始末は毎日行うことで、習慣化されているはず。その日に限って洗わずにいたのはなぜか・・・事件前夜の3日午後6~7時頃、都子さんは茨城にいる実家の母親と電話で話をしていたが、途中で突然電話が切れてしまった。すぐに母親がかけ直したが話中で電話が繋がらず、しばらく間をおいてかけた時は、呼び出すものの誰も電話には出なかった。後日の現場検証で、電話機の呼び出し音スイッチがオフにされていた。普通、電話が途中で切れれば都子さんも実家に電話をかけ直すはずだが、電話はかかってこなかった。(その日は昼間一家で買い物に行き、夕方帰宅後は外出していないにもかかわらず、その電話が最後のものとなった。犯行時刻は、翌日の午前3時とされているが、それ以前に何かの事態が発生していたのか・・・)事件数日後、坂本弁護士の母親「さちよさん」が一家の寝室でオウムのバッチを発見した。しかし、それ以前に捜索願を受けた神奈川県警の鑑識課によって、現場検証が行われたのにその時はバッチは発見されていない。現場検証で見落とすなんてあり得るの?警察の現場検証って髪の毛1本だって見落とさないと思うけど、何故????現場検証の際、何箇所か坂本弁護士本人と思われる「血痕」が見つかったが、当初、警察は血痕を重要視しなかった。犯人たちは、アパート敷地内の駐車場に車を乗り入れて殺害直後に遺体を積み込んだと証言しているが、建物隣の駐車場にしかも深夜に車が入ってきて遺体の積み込みなんてやっていたら、住民の誰かしらは音に気付くはずだけど誰も気がつかなかった。とくにプレハブ造アパートの階段は人が歩いただけでもかなり響くはずなのに・・・遺族の証言によれば、坂本弁護士宅には、来客時に使用するお揃いの「湯のみ」が5個あったはずだが、3個無くなっていた。何故?(阿修羅というHP参照)隣人の証言によると事件前日、数人が坂本弁護士宅を訪れ、坂本弁護士本人と話をしていた声を聞いている。(上記HP参照)このほかにも、疑問に思うことがいくつかあるけど、裁判では犯人の供述のみを全て認定して、以上の疑問にはまったく触れていないんだよな・・・・別に話をむし返すつもりはないけど、今までの公判内容や供述内容をの話では、どうしても上記の事柄を納得するには至らない。これらの件については、坂本弁護士一家殺害事件を扱ったHP「生きて帰れ」や都子さんの父親、大山友之氏の著書「都子聞こえますか」に詳しく書かれています。久しぶりの日記も、まとまりがない内容になってしまったけど、また再開します。
2005.05.11
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