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ペタンクジャパンオープン毎年この人が中心になってチームを組んで和歌山県の岩出市まで遠征しているのだが今年は事情で行けなくなった彼の代わりがなかなか見つからずやっと決まった所で・・・突然3日ほど前にその彼から行けるようになったので(やっと行って貰える事になっていた)ピンチヒッターに辞退して貰って自分が行く事にしたと云って来た。如何かと思ったがその後やれホテルは当日行くので前泊分をキャンセルしてくれ、やれ車に乗る人の配分を変更してくれ等々云いたい放題。それでも私は対応してきたが一緒に行くはずだったA氏が振り回された事に立腹して遂に切れてしまい行かないと言い出しチーム編成の1部に支障をきたした。私のグループではないので如何するかは関与しない事にした。誰かさん曰く「学校の先生は世の中自分が中心に回っていると思っている」だとさ。後に尾を引かなければいいのだが。
2010年04月30日
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香芳と香月(シャンファンとシャンユエ)親しくしている岡山に住んでいる若い中国人夫婦に双子の女の子が生まれた。 そこで早速家内とお祝いに行ったが5週間もの早産だったので赤ちゃんはまだ病院のため会えずパソコンで動画を見せてもらった。名前は香芳と香月と聞いた。幸いママのおっぱいは今のところ十分出るのでパパとママは毎日お乳を病院に届けているとの事だった。大連からパパの母親が来ていて今日も美味しい中華料理をご馳走して貰った上に私には好物の瓜子と中国茶(香茶)のお土産を貰った。謝謝。彼女とは5年前に初めて大連に行った時に会って以来の再会だった。 K一家と我的太太とご馳走
2010年04月29日
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夢中会ボーリング今クール2度目今日今クール5回戦で早くも0勝4敗ポイント0を2回記録した。このうち2試合はもう1メーヌスペアーを獲っていたら勝てた所を2回逸した事が悔しい。以前にもこのような事は何回かあって勝負には拘らず健康と楽しみのために投げるのだとは云ってはいたものの余りにもだらしないと矢張り面白くない。すっかり落ち込んだ所で夜のプロ野球で巨人がホームラン攻勢で大勝して少しは気が晴れた。ネタが無いのでこんな事を書いたが年がいもないかな?
2010年04月27日
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博士論文を貰って読んでみて吃驚した立派な表装の博士論文を貰った。まさか自分が貰うとは思っていなかったので吃驚。実にすばらしい日本語だ。浅学の私は内容を理解するのは難事なので時間が十分あるときにじっくり読む事にして先ず目を通したのは最後にあった「謝辞」だった。そこで予期せぬ事に私の名前を見付けてまたまた吃驚した。まさか博士論文を書きあげるまでに指導、支援された指導教官その他各方面の方々に対するお礼の言葉の中に私の名前があるなんて・・・私こそ引き揚げてきて以来60有余年ぶりに初めて生まれ故郷丹東へ連れて行ってくれた彼女に対して改めてお礼を言いたい。家内からもこの事はよく云われてきた事なのであるが。彼女は実によく頑張ったと思う。特に最後の1年間は社会人と学生を立派に両立させた。そして遂に博士号を取得した。よくやった。心から褒めてあげたい。そして私からも有難うと云いたい。恭喜恭喜。非常感謝。
2010年04月25日
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新博士と新旧修士の3人去る3月25日に文学博士になったばかりのHと同じく文学修士になったZ及び既に文学修士になっていて現在博士課程に在学中のTの3人とHの部屋で食事をした。そもそもは私がHとZのお祝いに食事会をすると申し出たのだがHが自分が手作りのご馳走をしたいと云う事になって3人で倉敷の彼女の所へ出向いたのである。私は遼寧省の丹東のHと河北省の石家庄の生家に泊めて貰いに行った事があるので家族の皆さんとも知り合っており皆が喜んでいる様子が想像できる。此方で就職しているHは来週会社の休暇に合わせて10日間ほど帰省すると云っていた。家族はさぞうれしい事だろう。 倉敷のHの部屋で記念写真
2010年04月24日
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2010年度日中友好西安、洛陽(上海)旅行記帰国の日(4.12)上海発岡山行きの航空機の時間がだんだん早くなっていてとうとう今回は早朝5時起きで6時過ぎにホテルを出発。朝食にホテルに頼んだ弁当をバスの中で開いたらカチカチに凍ったミニ巻き寿司がとても食べられる代物ではなかった。空港で時間があったので龍井茶や色鮮やかな女性用の携帯サックや小銭入れを買うことが出来た。岡山空港到着後数人で軽く食事を摂ってから駐車場に行ったら車がバッテリーがあがっていておまけに携帯の電源を切り忘れていた為使えずJAFを呼ぶことも出来ずターミナルへ戻ったら同行の高木さんの車も御同様との事だったので彼の連絡によって約1時間後小雨の中でバッテリーも交換して帰宅したが午後4時を廻っていたので家内が心配していたと云って叱られた。と云う事で今回の旅は自他ともに最後になってトラぶったが兎も角大過なく帰国出来た。なお「心花」の方々は大きな箏の持ち運びが大変だった事と思います。御苦労さまでした。謝謝 高校ゴルフ仲間へのお土産 中国人留学生へ(楊貴妃の図柄) 女性の知人へ 我が家へは龍井茶、太太へは特になし
2010年04月23日
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10年度日中友好西安、洛陽(上海)旅行記5日目(4.11)洛陽最後のこの日は恒例の白馬寺参詣で李洛陽市人民政府宗教局長の計らいもあって総勢26名と云う大勢にも拘らず印楽方丈の私室でお茶を頂き会長へは方丈の達筆の「寿」の書が送られた。 「白馬寺」印楽方丈「寿」を書く昼食は片岡会長が名誉院長である岡山済生会病院と友好関係にある河南省科技大学付属第1病院を見学した後院長主催の昼食会をして頂いた。但し院長は急用とかで居られず副院長が列席された。午後3時10発の航空機で上海に向かったが出発がかなり遅れた為夕食後ホテルへ入ったのは8時一寸前となり私は予定していた南京路での買い物が出来なくなった。幸いホテルの隣に食品スーパーがあったので閉店時間が迫っていた事もあって部屋に入る前に行ってお土産に上好佳等の飴を買った。何と一行の数人が私について来ていた。部屋入っで何暁麗の親友である趙蕾に電話したが留守で彼女の母親と中国語で話をしたが要を得ないので最小限彼女が帰宅したらホテルに電話するよう頼んで電話を切った。確実に私の中国語が通じたか否か不安だったので確認して貰おうと添乗の松井さんの部屋に行ったら同行の高木さんがバスルームで倒れて怪我をしたと云う電話があり話は中断した。同行の医師の高橋先生の診断で大丈夫と分り一同ホッとした。この騒ぎで部屋を留守にしていた所へ小蕾から電話があったので掛けたら今度は彼女がシャワーだと云うので待っていたが1時間後の11時にやっと彼女と話が出来た。しかしもう遅いし明日は早朝帰国の為ホテルを出るので今度も会えず持って行った浮世絵の風呂敷はホテルのフロントに預け彼女に取りに来て貰うことにした。 上海「東鼎賓館」泊は2度目だった
2010年04月22日
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中国高速鉄道「和諧号」について今年の岡山市日中友好協会恒例の友好都市洛陽への訪問旅行は矢張り岡山と縁の深い西安経由であった。そう云う事で西安から洛陽へは今年2月に開業したばかりの高速鉄道「和諧号」を利用した。従来は飛行機とか高速バスを利用していたがバスは所用時間が長く飛行機も郊外の飛行場までと搭乗までの時間が結構掛かる。列車だと乗るまでの時間も比較的短くて済むので列車のスピードが速ければネット時間の短縮が大きい。そのスピードが今回我々が乗った「和諧号」は日本の新幹線の技術をベースに中国独自の改良を備えた最高時速350Kmなので西安~洛陽館は僅かに1時間半でしかも高度高原を殆どカーブも無く走るので幾つかトンネルがあったが乗り心地は横揺れが殆ど無く快適であった。しかも軟座車(グリーン車)だったので乗客のレベルも上のようで一般列車の硬座車(普通車)の様な騒がしさも無く車内も綺麗だった。(もっとも私は硬座車の方が中国人の乗客との交わりが出来て面白いのだが)実は昨日7年ほど前にもう一人私と同郷の留学生小姐と63年ぶりに生まれ故郷丹東へ(大連経由)ご一緒して以来親交を続けている当地の大学の女性教授のJさんからマイブログで上記の西安、洛陽旅行記を読んだと云うメールを頂いた。そして今日そのJ教授から旅行記にあった「和諧号」についていろいろ聞きたいのでお昼でもいっしょにしないかと電話があり快諾した。そこで上記のような内容を話したのである。何か依頼記事の一部に取り入れられるらしいが御役に立てたかどうか。なお「和諧号」には2種あって専用線路を走る場合は最高時速350Kmだが従来線路を走る場合は250Kmである。ともに車体のデザイン等は同じである。和諧とは調和している、整っていると云う意味である。私は昨年北京~天津間、そして今回西安~洛陽館の2度乗ったが何れも専用線路で時速350Kmのスピードを経験した。 西安站の「和諧号」
2010年04月21日
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2010年度不二銀杏会東京支部会恒例の不二銀杏会東京支部総会に会長として出席してきたが実は今回が最後である。昨年の総会でやっと後任が見つかり本年最初の幹事会で報告し今年の総会で会長を辞任することにしたからである。当初会長就任直後に後任に定めていた去る幹事から会長就任を断られて以来なかなか代りが見付らず好むと好まざるとに関わらず9年の長きにわたり辞めることが叶わなかったがこれでやっと辞任が出来た。因みに不二銀杏会とは私が勤務していた会社の定年退職者の会の事である。 東京支部総会参加者一同
2010年04月20日
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10年度日中友好西安、洛陽(上海)旅行記4日目(4.10)朝7時50分ホテルを出発し今旅行の主目的の1つである洛陽牡丹祭りの開幕式に臨んだ。今回の我々の貴賓席は洛陽市長をはじめとする主席台のすぐ後ろだった。昨年ほどではなかったが大勢の観客と種々のアトラクションでにぎわった。私はカメラの予備のメモリーチップが見当たらず撮った写真の一部の消去作業に夢中になっていて空中遊泳等のアトラクションを見落としてしまった。午後はもう1つの主目的の小浪底の植林に向かった。予定では高校生が手伝って呉れる事になっていたが事情で不可となり代わりに地元の農民が来てくれていた。この植林は5年前に洛陽市の黄河流域緑化運動10年計画に岡山県と我々友好協会が賛同し毎年ボランティアで来ているものである。しかし植林と云っても我々は既に農民たちが穴が掘って呉れており樹の苗を支えたりスコップで形だけ土をかける程度の軽作業で或る。 洛陽 牡丹祭り開幕式 洛陽小浪底 心花の2人と植林する私作業を終えて地元の迎賓館で田舎料理を食し新安県申窪村希望小学校へ向かった。一行の中の西上、高塚両氏が中心になって支援して校舎校舎を寄贈した小学校で或る。今回はその募金の残余でパソコン2台を寄贈をした。全校生徒百数十名の熱烈歓迎の歓呼の中を入門し贈呈式を行ったが当日は朝から風が強く寒かった。この夜は劉洛陽市人民対外友好協会主任主催の歓迎夕食会が劉元洛陽市市長も参加されて行われ私は例によって口琴を吹いた。今回は黒住さんの洛陽讃歌の漢詩の朗読と橋本さんの尺八演奏もあった。夜ホテルに同室の川野さんに会いに来た洛陽博物館長の王綉(女性)から自分が出版した牡丹画の指南本を頂いた。彼女は牡丹画では中国第1級の画家だとの事だ。 洛陽 申窪希望小学の熱烈歓迎 洛陽最後の夕食会 口琴を吹く私
2010年04月19日
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清流会ゴルフコンペ会マイホームコースを舞台とするコンペだが最近ゴルフそのものに行くことが少なくなっていてこのコンペへも年数回しか参加ていない。その結果大叩きをしてBB賞をゲットしてしまったがINでパット数が12だったことがせめてものことだった。
2010年04月18日
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10年度日中友好西安、洛陽(上海)旅行記3日目(4.9)朝8時50分発の開業間もない高速列車(新幹線)で洛陽に向かった。僅か1時間半で到着。新西安駅はまだ建設中で従来の駅を使っていたが洛陽駅は未完成だが一応開業していた。洛陽対外友好協会主任以下のお迎えを頂いた。我々は龍門石窟(世界遺産)へ直行した。相変わらず大勢の観光客の中を順次見て回った。私はもう4回目くらいだろうか。例によって1番大きい(高さ17m)蘆遮那仏の前で集合写真を撮ったが私は今回初めて阿弥陀仏の写真を撮った。その前に私は途中ちょっと一考から抜けて土産物店で安物の玉のストラップを値切り倒して5ケ100で買った。 西安站高速鉄道「和諧号」 洛陽竜門石窟「阿弥陀仏」昼食後関帝廟を参観した。三国志で有名な関羽は主君劉備への忠誠心篤く死後神格化され関帝と称されて各地に廟があるが現在は商売の神様としても崇められている。なお廟と称されるのは孔子と関羽のみである。この後25弦琴奏者の「心花」の日中友好演奏会が行われる洛陽師範大学音楽院に向かった。音楽院生徒との交換演奏やガイドの李先生のお嬢さんの中国琴の演奏も加わって盛りあがった。劉元洛陽市市長、方洛陽市全人代常務委員等も聴きに来られていた。 洛陽師範大学音楽院の生徒との友好演奏会 演奏会終了後代表者達は洛陽市長を表敬訪問に行ったが我々はホテルへ帰り少し服装を改めて夜の洛陽市市長主催歓迎レセプションに参加した。フランスやロシア等6ケ国の洛陽訪問団であった。 洛陽市長主催晩さん会 「心花」の2人と高木さん私は昼食時毎年自作の八朔のマーマレードをくれる大酒のみの高校同期の友人への土産に洛陽銘酒「牡丹酒」を160元で買った。
2010年04月16日
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「心花」(ここはな)さんから手紙が来た今日ピンクの綺麗な手紙が自宅のポストに入っていた。誰からだろうかと裏を見たら何とこの度一緒に行ったプロの25弦箏の奏者の「心花」の二人からの手紙だった。早速開けてみたら私が洛陽で劉元市長主催の歓迎夕食会で吹いたハーモニカの演奏が素晴らしかったと書いてあるではないか。私は単なる趣味のアマチュアなのにプロの彼女らに褒められてはお上手だと分っていても一応嬉しかったと云いたい。 共演した洛陽師範大学音楽院の生徒に囲まれた「心花」の2人と小浪底で一緒に植樹をする私
2010年04月16日
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2010年度日中友好協会催行西安、洛陽訪問旅行2日目(4.8)6時半に起床8時にホテルを出発し世界遺産の兵馬俑博物館、清華池、大雁塔、吉備真備記念園を順次観光した。兵馬俑とは本来古代中国で死者を埋葬する際の副葬品の兵馬を形どったものを指すそうだが現在は秦の始皇帝稜の1部(全体は非常に広大だが全部は公開されていない)が兵馬俑博物館として1987年世界文化遺産に登録されている。発掘されている約8千体の兵士は多民族にわたり一人として同じ顔をしていない。1号館は歩兵、2号館は弓隊、3号館は司令部であるが未だ発掘が続いているそうだ。次に行った華清地は玄宗皇帝と楊貴妃が仲睦まじく過ごした温泉の地である。私は此処に来るのは3度目だが今回はグラマーな楊貴妃像と一緒に心花のお二人と写真が撮れて良かった。なお此処は西安事件として有名な蒋介石が1時期張学良によって軟禁された所でもある。次いで玄奘三蔵法師が往復17年かかってインドから持ち帰った膨大な量の経典を翻訳して納めた大慈恩寺の大雁塔に行った。なお塔は付近の農民が掘った井戸が原因で傾いたが現在は斜度約1メートルまで回復しているそうだが云われてみないと気が付かない位だ。次は弘法大師空海が恵果阿闍利から密教を学んだ清龍寺を参拝した。世に云う四国八十八寺の番外の0番だそうだ。最後は西安の中心地を廻っていてほぼ完全に残っている城壁の北門近くにある我が郷里縁の真備真備記念園に行った。一行はここで集合写真を撮った。今回時間がなく城壁には上がらなかったが南門には有名な大きい鐘楼がある。私は一昨年盛大な建立20周年記念の式典に石井県知事以下の県民訪中団に参加して西安名誉市民のキイを貰った。尚日本語のひらかなは空海が、かたかなは吉備真備が作ったと聞いた。そしてこの夜は西安市人民対外友好協会との交流会があった。翌朝我々は開業間もない高速鉄道で洛陽へ向かい僅か1時間半で到着した。 崋清池 「心花」の2人と私 楊貴妃像前にて 兵馬俑博物館3号館 司令官の載る馬車 大慈恩寺 大雁塔 吉備真備記念碑で草むしりをする僧侶のKさん
2010年04月15日
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朝日30会ゴルフとペタンク仲間の花見一寸遅かったが後楽園で花見をした。この所寒かったので桜花もまだ散らず結構綺麗だったが集まった連中の本音は花より団子ならぬ酒なので花は気にしていない。見物客の中に中国語が聞こえていたので聴いてみたら台湾から来たと云っていた。 本日集まった17名 皆うれしそうだ 桜の後楽園より岡山城遠望
2010年04月14日
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2010年度日中友好協会催行西安、洛陽訪問旅行今度の旅行は岡山県と友好関係にある西安と岡山市と友好都市の洛陽の恒例の牡丹祭開幕式に合せての旅行であったが25弦の琴を演奏する『心花』(プロ)の洛陽師範大学音楽院での交換奏会が行われた。今回は観光もあるにはあったが(私は両市とも何回も来ているので何れも皆行った事のある所ばかりである)親善行事が多くて何時もの様なガイドが案内する土産物店には1軒のみだったばかりか自由時間も全くなかった。初日(4.7)午前10時過ぎ岡山空港へ向かい今回特別参加の「心花」の2人の父親と両親の5人ほか日中友好協会会長夫妻以下総勢26名の顔合わせを行って定刻中国東航空機に搭乗し上海に向かった。上海浦東空港到着時西安のガイド王柯先生に迎えられそのまま専用バスで昨年よりずっと拡張されていた紅橋空港より国内線にて西安に向かった。軽い機内食を食べたが西安でもまた夕食を摂ってから4星のホテル西安柴金山酒店に入ったのは夜9時を廻っていた。ルームメイトは顔馴染みの川野さんと云う僧侶である。尚中国標準時間は西安を基準にしているそうだ。
2010年04月13日
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只今!今日午後帰国しました西安はそうでもなかったが洛陽は寒かった。洛陽では友好の訪問先やレセプションが多くて朝早くから夜遅くまでスケジュールがぎっしりで買い物はほとんど出来なかった。11日上海への飛行機が大幅に遅れ夕食を摂った後はホテル直行だったので予定していた買い物にも行けずホテルの近所のスーパーを一寸覗いただけであった。旅行記はぼつぼつアップするが取り敢えず帰国報告をしました。
2010年04月12日
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今年も中国旅行が始まります本年の訪中旅行は岡山市日中友好協会催行の西安、洛陽訪問で始まります。本日7日より12日までです。何れ帰国後旅行記をUPしますが今回の主目的は下記の2つです。 1.西安では「吉備の真備記念碑」のお参り。 2.洛陽では黄河の「小浪底ダム南岸(洛陽・岡山友誼林)の植林」。其れでは行って参ります。
2010年04月06日
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夢中会ボーリング今日は自分の出来も悪かったが対戦相手の出来が良すぎて全敗だった。2ゲームは普通だったら私が勝てる流れだったが後半イージーミスと割れが続きだめだった。つきも無かった。こんな事もある!!!
2010年04月06日
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また中国語の新学期が来た中国語の教室に通い出して何年になる?考えてみたが事実は私自身が思っていたより1年長かった。兎も角70歳以上使った老朽化した頭脳ゆえに若い人の何分の一かしか歩留が無いのは止むを得ない事とと諦めてほんの少しの進歩があれば満足して続けることに意義を感じている次第である。実はもう一つ私が続ける要因がある。それは生徒数が一定以下になると協会の採算が合わなくなるので講座が無くなる為先生である中国人留学生のアルバイトも無くなるのでかわいそうなのだ。私が講師に紹介した彼女の生活費の面倒を一人ではなかなか見きれないが生徒が何人か居ればそれだけで彼女の生活費の1部は助かるのだ。それにしても私の中国語も一進一退ではなくせめて3歩前進2歩後退くらいで行きたいのものだ。加油加油。
2010年04月05日
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訪中のお土産殆ど毎年フルアテンドして貰う洛陽市政府のF先生(当初外時弁公室副主任→主任→全人代常務委員)他へのお土産を買いに行った。昨年F先生より洛陽の地酒「杜康酒」をお土産に頂いた。買ったのは太太への北斎の浮世絵柄の小型風呂敷にしたが此れは毎年の定番になっている。中国人は風呂敷を使う習慣が無いのでスカーフとして使ったり壁に張ッたりするようだが知日的なので浮世絵を知っているので喜ばれる。
2010年04月04日
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岡山市ペタンク協会定例理事会平成22年度に臨み事務局の作成した昨年度の決算と次年度事業計画及び予算案の検討と承認が目的の理事会が昨夜実施された。私はアサヒクラブ代表として参加した。高齢化による2名の辞任と市協へ参加する新クラブが2つありそれぞれの代表者が新しく理事に就任した。昨年より新しくペタンクを始めた人が増えたのは一昨年会長に就任された岡山市議のU氏の市役所等でのPRの結果とみられる。岡山市が昨年政令指定都市になった結果県協から独立したこともあってメンバーが増えたことは極めて好ましいことである。10年前に私が入会した頃と比べると市協のメンバーが2倍になった。
2010年04月03日
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前回の翻訳如何でしょうか?それでは翻訳します。1.盆には何処へ行きますか?2.そんな無茶をしたらいけないでしょう。3.入ったら戸を閉めないといけないでしょう。4.連れなって出ようと云ったのに!5.大分遅くなったから早く髪を切りに行かなくては!せえじゃあまた今度=それではまた今度
2010年04月02日
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岡山弁の宿題回答編去雨定=きょうてい=怖い柄唖斉=つかあさい=下さい古志以=こしい=けち尾旦珍=おたんちん=おばかさん出意冷=でえれい=ものすごいでは次の文章の意味は?1.ぼにゃあどけえいきんさるかな。2.そねえなごじゃあしたらおえりゃあすめえが。3.へえったらとをたてにゃあいけめえが。4.つれのうてでょうゆうてゆうたのに。5.でえぶんおそうなったけえはようかみゅうつみにいかにゃあ。
2010年04月01日
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