ここ数日 母は咳がでるとなかなか止まらない。仕方がないので 今日は病院に行こうという事になりました。
と言っても 極楽とんぼの我が母
早く行こうと思っているのに 着替えが遅い。
なにやってるんだと見れば 靴下の選定に15分
ゴムがゆるゆるの靴下でないといやだというので 段ボール一箱もある靴下箱で
選びあぐねている。
私は 夏は(3月から11月までか)素足 靴下は嫌いです。
足がほてって 靴もサンダル風ですごす。
合皮の靴なんぞ履けば 足が汗でぐっしょり
寝ていても 足だけ出して寝る。
母は とにかく真夏でも分厚い靴下党。
とにかくテキトーな靴下履かせていざ J医大へ
今月は ここに3回目だ・・・・そして後2回行かなくてはならない。
呼吸器内科の受診手続きをして 看護士さんからレントゲンやら 体温計れ
問診票の書き込みと いろいろある。
呼吸器は初診なので 仕方ないな。
母はこの病院でお世話になってないのは 外科系だけ。
眼と歯なども当然 お世話になっていないけど。
いつも 親切に面倒見ていただけるので 感謝ですね。
レントゲンから かなり昔結核をやった事はないかと聞かれました。
母は女学校時代に 水泳を習いこの時 肋膜炎と診断され
学校は休んで自宅療養していたそうで これは 当時結核だったと言われました。
完全に治癒しているけど 痕跡は残っているみたいです。
母の叔父が 結核で療養し 戦時中亡くなったのですが
母が主に届け物やら 身の回りの手伝いをしたので ここで感染したのでしょう。
戦前までは 肺病患者は 今のエイズなみの差別でしたからね。
結局、咳の原因は不明で 痰を楽にする薬程度の処方でした。
多分 そうだろうと思っていましたが。
母は若かったし 軽い結核だったので 医者も肋膜炎という結核ではない風に
言って 安心させたのでしょうね。
そう言えば 私の中学くらいまで 肺病で死んだという話はよくある事でした。
喀血して 幽霊みたいにやせて 死にました。
平成に入ってから 知人で東京に知り合いなしの若い子が救急車で
入院しました。
電話がかかってきて 「東京にいる叔母さん」と言うことで来てくれとの事でした。
パジャマやら着替えを買い お金を用意して行きました。
かなり山の中の病院で 車で2時間近くかかりました。
なんと 呼吸器専門とあるけど 半分は結核用の病院でした。
彼は 少しよくなって あちこち探検?をやって 結核病棟に紛れこみ
看護士さんから 大目玉を食ったそうで とばっちりで私も 見舞いのついでにお説教されました。
後で 結核の怖さを どっさり教育しておきました。
叔母だもん・・・・・
こいつ 私がPCを始めたころの師匠でした。
すぐ 追い越したけどね。
PR
コメント新着
フリーページ