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読レポ第878号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは4、なぜアサーティブになれないか(5/6)e、アサーションのスキルを習得していない 多くの人がアサーティブになれない最大の理由は、アサーションのスキルをもてないことがあると思われます。先に、私たちは社会に適応して行く上での、受け入れられやすい考え方や、行動様式をいつのまにか身につけていると述べたが、それが逆に、いろいろな場面に適切な行動の仕方、自己表現の仕方について、スキルや方法を習っていないということであります。これらのスキルは状況や場面に応じて、かなり具体的に、しかも応用がきくように習っていかなければなりません。たとえば、頼まれごとをしたとき断る方法とか、人との会話の始め方といった具合です。 多くの対人スキルは、子ども時代に身につけますので、子どもをとりまく親おとなの言動が大きく影響します。ある種のスキルをもたない親や、社会的スキルの訓練には無関心な親に育てられた子どもは、対人スキルが学習されてません。例えば一人っ子とか友だちと遊ばなない子どもは、観察学習の機会がないため、社会性が育たず、特に、社交的な場面でのやりとりが下手になりがちです。 それでも、思春期、青年期になって、同世代の仲間とつき合いが増えると、仲間からスキルを学ぶチャンスが数多くあるのですが、「どうすればいいか」を尋ねることはまれです。しかも、スキルのない多くの人たちは、他の人々のスキルが、幼い頃からの実行の積み重ねによって身につけたものと考えず、自然にできると思って、「自然にやれるようになりたい」と言ったりします。対人スキルも、ゴルフもピアノと同じように、学習し、くり返し実行するという訓練をしてはじめて身につくのです。身につくまで訓練したものが、他の人にはいかにも自然に見えるのです。 したがって、スキルを習得するチャンスがなかった人はそれを学び、訓練すればいいということになります。日常生活の中で、人は、あなたの自己表現のまずさに気づいてはいても、なかなかそれを指摘してくれません。一方、自分の言動は他の人が見るように、自分で見たり聞いたりすることは困難です。ただ、スキルがない人自身は、うまくいっていないことに、薄々気づいていることは多いです。したがって、問題は、具体的で建設的な指摘をどのようにして得るかということになるでしょう。とりあえずのところは、この本の第4章を読んで、スキルを学ぶことを始めてください。そして、適切なアサーションができている人の言動を観察してみましょう。それを自分の言動と比べてると、どんなスキルがあるのか、どんなふうに表現すればよいかが分かり、それだけでも、自分のスキル向上に役立つでしょう。それでもまだ分からないことがある人、具体的に自分の問題を訓練して解決したい人は、「アサーション〈自己表現トレーニング」を受けることを勧めます。と著者は述べています。 確かに私たちは無意識にアサーションは自然に身につくものと思っているかも知れません。アサーションが自然に身につくには、子どもの頃の周りの親とかた学校の先生、周りの大人がアサーション的な表現が出来ていれば、身につく可能性がありますが、そもそも、親とかた学校の先生、周りの大人はアサーション的などのスキルを持っている人は、かなり少ないです。 著者が言っているようにゴルフやピアノのような学習などの機会もないし、学校教育でもそもそもそのようなアサーションの概念などはないので、学校教育ではなされていません。これは、親とかまた学校の先生、周りの大人も子供の頃に教わっていないのですから。 そのため、さわやかな〈自己表現〉ができないで、自分中での思いや考え、感情に蓋した「非主張的」な人が増えて、顕在化して、その現れの一つが引きこもりや不登校、うさ晴らしの社会事件となっているだと思います。 アサーションのある社会にするためには、心理的な安全性が欠かせないと思います。そして、アサーション的な学びの機会をつくることだと思います。
2023.02.28
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読レポ第877号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは4、なぜアサーティブになれないか(4/6)d、考え方がアサーティブでない アサーティブになれない4番目の理由は、ものごとの考え方がアサーティブでないことです。たとえば、あなたは次のような考えを持っていますせんか。・愚痴をこぼしてはならない。・おとなは子どもより偉い。・先生は生徒よりすぐれている。・負けることはよくない。・上司に従うべき・人を傷つけてはならない などなど…… 私たちは、多くの常識といわれる考えや思い込みを正しいと信じて生活してます。これからの考え方は、親や先生などのおとなによって、、子どもの頃からさまざまな形で教え込まれます。よく考えてみると、それはおとなの都合のいい言いわけであったり、おとなが子どもを自分の考え通りに動かすために操作的な理屈であったりすることが多いのですが、子どもは受け入れられ、養育してもらうために、本能的におとなの言うことに従おとします。実は、それらの考えは不都合であり、誰にでも適応されるわけではないのですが、そんな関係を続けていると、それが当然の真理であるような気になり、それに合った行動しかとれなくなるのです。 他者の老いに合わせて、自分の希望や欲望を抑え、謹慎されることの多い生活を送ることになるのは、このような無数の不都合の考え方に縛られているからにほかなりません。不都合な考え方を基準にして生活するということは、自分を自分の内面でコントロールしているというよりも、外的な基準でコントロールしていることになります。もちろん、文化的、伝統的に大切にした考え方や、地域によって多くの人が守っている対人関係の知恵はあるでしょう。それまでも、すべてが悪いといっているわけではありません。 しかし、アサーティブな人は、それも含めて対人関係の場面で自分の考えや気持ちを大切にし、敵意やへつらいなく、それを言って見ることができるのです。 アサーションは、ものごとのアサーティブなとらえ方と、密接な関係があるということです。 考え方のアサーションについては、第3章でさらに検討します。と著者は述べています。 確かに「私たちは、多くの常識といわれる考えや思い込みを正しいと信じて生活してます。これからの考え方は、親や先生などのおとなによって、、子どもの頃からさまざまな形で教え込まれます。よく考えてみると、それはおとなの都合のいい言いわけであったり、おとなが子どもを自分の考え通りに動かすために操作的な理屈であったりすることが多いのですが、子どもは受け入れられ、養育してもらうために、本能的におとなの言うことに従おとします。」は、私も同感です。思春期に反抗期と言われるのは,私は大人が自分の考えの操作(コントロール)化から、抜け出す力がついたから、そのコントロールから抜けようとする時期を大人の都合で「反抗期」と言う、マイナスイメージの言葉で言われいるだけです。 「反抗期」を「自立期」と変えることが、必要です。 「自立期」と変えることで、親も自分の正しさを押しつけることが減少してきます。また、親もアサーティブな言動に変わっていくと思います。自分も子どもを互いに尊重し合える関係になります。
2023.02.27
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読レポ第876号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは4、なぜアサーティブになれないか(3/6)c、基本的人権を使っていない アサーションは基本的人権の一つです。言論の自由は生まれながらにして誰に対しても保障された人権です。アサーションは、相互尊重のフェアプレーの精神にもとづいた自己表現ですから、いわば基本的人権を守るための考え方と方法です。 しかし、多くの人は、「誰もが等しくアサーティブになってよい」というアサーション権があることを知らないか、忘れて生活をしているようです。 たとえば次のような状態に陥ったとき、私たちは混乱して、アサーティブになることに不安を覚え、アサーションの機会を見失いやすいのではないでしょうか。 友人が、夜かなり遅くなってから電話をかけてきました。彼は会社で大失敗をして、上司に叱られ、自分が悪かったことは分かっているものの、やり切れぬ気持ちになり、愚痴を聞いてもらおうとかけてきた。あなた、昨日半徹夜で残業をし、今日も厳しい一日を過ごして、かなり疲れてういて、早めに寝ようと思っていたところでした。ところが、友人はそんなこととは知らず、自分の窮状を話しだして、調子に乗ってきました。あなたは「ともだなんだから、そう冷たくできないし……」とか、「自分より彼の方が大変なんだから……」とか、「自分が大変な時には助けてもらうことだってあるだろうし……」などと自分に言い聞かせながら、聞いています。しかし、一方では、「早く話が終わらないかな……」とか、「よりにもよって今晩なんかに……」とか、「自分だって大変なのに……」と思っていて、話を聞くことは半分上の空になっています。 こんなとき、多くの人は「断ると罪悪感をもつし、だからといって引き受けると自己嫌悪に陥るし……」といったジレンマを体験します。 さて、どうしてたらいでしょうか。もし、あなたが電話を断ったら、友だちは傷つき、軽くあしらわれたと思うでしょうか。今後、友情を失うでしょうか。彼はあなたを利己的だと思うでしょうか。あなたは優しくないのでしょうか。断らなかったとしたら、どうしてこんなことをするのはやめになるのでしょうか。あなたはお人好しなのでしょうか、人と共に生きることには、これくらいの犠牲はつきものなのでしょうか。 このような内部葛藤は、自分がやりたいことと人の希望とかが一致しないときや、自分の希望と常識が合わないときに起こります。自己を通せば相手に間違っていると思われるかもしれないし、相手が傷つくかもしれません。そして、自分がやりたいことを通す十分な理由がないような気もします。つまり、相手の話しが聞けないほど、ぐったり疲れ切っているわけでも、病気で寝込んでいるわけでもないのです。このようにどちらかを立てようとしても無理な状態でこそ、適切な判断と成熟したアサーションが必要になります。そのアサーティブの原点は、アサーション権です。葛藤が起こったとき、どうするかに迷ったとき、「自分がやりたいことは人権として許される」というところに立ち戻ることができれば、そして相手も同じアサーション権をもっていることを確認できれば、次の段階に進めるでしょう。 つまり、相手の言い分を受け止める気持ちがあるなら、とりあえず、「今夜は疲れていて、もう寝たいと思っていること、頭がボーとしていて話しがよく聞けないこと、できれば明日の晩、電話をしてほしいこと」を伝えてみてもいいのです。もちろん、それを聞いた相手はあなたの申し出に対して、同意する権利もあるし、さらに別の提案をする権利もあります。したがって、相手の意見によって、またあなたは次の考えを言えばいいのです。これが話し合いであり、人間関係なのです。 アサーション権については、第2章でさらにくわしく考えたいと思います。と著者は述べています。 確かに多くの人が、さわやかな〈自己表現〉をためらっています。私の中にもあります。その要因は、相手から嫌われのではないか、相手に不愉快をさては、自分が逆の立場で困ったときに助けてくれないなどとで自分が利己的ではないかと思う傾向が私たちの中に湧いて、罪悪感を感じてしまうのです。 でも、ここの例のように自分が疲れているときの利他的行動は、自分の中にストレスを溜め込んでしまいます。そのストレスが溜まるに溜まると自分の身体や心に異常をきたしてきます。「自分は、疲れているから、対応できない」などの気持ちに蓋をしてしまうからです。溜まり溜まり、自分の体に溜まりきれないものが噴出してきます。怒りなどで家庭内暴力やDV、児童虐待などにもなることがあります。 そのためにも、さわやかな〈自己表現〉をしていくことが、必要です。今の日本には、様々な社会問題がありますが、その一部がさわやかな〈自己表現〉のアサーションをためらって、自分の表現したい事に蓋をしてストレスを溜めていることから起きています。 さわやかな〈自己表現〉のためには、まずは、心理的な安全性を社会の中で熟成して行くこと、さわやかな〈自己表現〉ができるアサーションを身につけることが大事なような気がします。 また、嫌われることに怖れを感じるのは、孤独になる事が怖いのです。孤独は決して怖いものではありません。孤独を楽しむ事もだいじです。社会は、孤独に「✕」つける傾向がありますが、生まれて死ぬまで、人間は孤独なのです。孤独に「〇」をつけましょう。 それには、孤独トレーニングが必要です。時間がかかりますが。孤独を楽しめるようになったら、さわやかな〈自己表現〉ができるアサーションがますますできるようになります。
2023.02.26
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読レポ第875号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは4、なぜアサーティブになれないか(2/6)b、結果や周囲をきにする 次に、自分のいうことが伝わるかどうかばかりを気にして、結果に気を奪われているとき、つまり失敗をおそれているときは、アサーティブになれません。自己表現で重要なことは、言いたいことが分かるかどうかではなく、自分の気持ちが適切に言えるか否かです。なぜなら、「伝わる」ということには自分の伝える行為と相手の受け取る行為の両方が関わっています。相手の受け取る行為は相手のものであり、受け取るかどうかは相手が自由に決めることができます。私たちは相手の自由を支配することはできませんから、伝わるかどうかは分からないし、それを怖れても仕方がないのです。つまり、失敗することを恐れていては、コミュニケーションは成り立たず、したがって、精一杯、自分のできる限りで、自分の気持ちを表現することに、まず、エネルギーを注ぐことが先決なのです。そして、伝わらなかったら、さらに、コミュニケーションを続けるしかないのです。 また、他人と周囲の状況の方を気にして、自分の気持ちや考えをおろそかにしていると、自分の言いたいことがいえなくなります。違った意見を言うともめごとが起きるのではないか、好かれるには相手の意見の意向にそって動き、思いやりのあるいい人になる方がよい、まどと考えていると、非主張的になります。この態度は、一見、相手を立てているようですが、そうではありません。なぜなら、ことを丸く収めるために自分のことを二の次にして、相手に嘘を言ったわけですから、それは相手を立てようとする自分の積極的な意思から出たものではありません。この行為は、相手を尊重しようとする自分の主体的決断による行為というよりは、相手の意向や気持ちに依存した、受身的、非主張的な行為です。特にこの場合、自分の気持ちをはっきり伝えないまま、相手に従っているわけですから、相手に誤解されたり、無視されやすく、結果的に相手の言いなりになったり、思いのままに動かされる「ことになってしまいます。自分から招いた関係でありながら、相手に操作されているような気持ちになります。 非主張的な言動をしていると、自分のことを分かってもらえない欲求不満がたまります。たまった欲求不満は、相手への恨みになります。「こんなに誤っているのに鈍感な人だ」とか「思いやりがない」まど、自分の自己表現していないことを棚に上げて相手を非難する気持ちがつのります。また、こんなに我慢したのだから、そのことを知らしめるやろうといわんばかりに、突然、相手の裏をかくようなことをすることをするのです。そうなると、自分のことや言いたいことが先だって、相手や周囲の状況が見えなくなります。欲求不満がたまってことによるストレスと相手の怒りは、自分を正当化することに向けられ、爆発することになりかねません。 その典型例をあげてみましょう。二十歳と五十歳の離婚を言い出す主婦です。恋愛結婚をして夫のためにといろいろ尽くしていた貞淑な二十歳代妻が、ほんのちょっとした夫の無頓着さに腹を立てて、大げさに実家に訴えに行き、親がかりで離婚してしまうとか、言いたいことや、やりたいことを我慢して、夫や子ども一筋に生きてきた五十歳代の妻が、子どもが自立した途端に、もう我慢できないと離婚を言い出すと言い出す例です。また、おとなしく従順で、働き者の会社員が、忍耐のあげくに、ある日突然、退職届を出すといったことです。 これらの例は、非主張的だった人が、欲求不満がたまってあまり、苦しくなって「キレて」いると解釈することができます。しかし、悲劇的なことは、離婚を言い出す主婦も、突然退職届けを出す会社員も、そんなに我慢していたとか、欲求不満がたまっていたとは理解されないことです。それまで、その都度自分の意見や気持ちを表現してこなかったわけですから、それも無理かぬことで、いつ、何を譲ってくれたのか、どんなことで我慢してくれたのか、相手にはさっぱり分かりかねないのです。 非主張的な人の気持ちの裏にある攻撃性は、また、八つ当たりとしても出てきます。先ほど述べた、外の従順な夫が、家に帰ると、子どもがオモチャを散らかしていると言って怒鳴ったり、夕食の準備が遅れたと文句を言ったりします。また、電車やバスの中で、前に座っている人の組んだ足がズボンに触れたと言って、足を下ろしてくれるように静かに言えばいいところを、罵倒したり、蹴ったりします。悪気もなく、不用意に足を組んいたかもしれないその人のことはまったく考慮に入っておらず、自分のいら立ちをぶつけtrいるのですが、実は、過去に何度も腹立たしく思っをそこで晴らしている可能性があります。 一生懸命に結果や周囲を気にして動いているはずの人が、気にしすぎの果てに「過ぎたる及ばざるが如し」の諺の通り、周囲に配慮が届かず、理解されず、区別なくあたりちらす、はた迷惑な人になってしまうのです。と著者は述べています。 確かに著者が言っているようにさわやかな〈自己表現〉のためには、「結果や周囲を気にする」壁が大きく立ちはだかっています。特に日本は、同調圧力が強い社会だから、周囲の関係性から、非主張的になりやすいです。とくに、儒教の思想の年上を立てる行き過ぎた考えが子ども時代に教え込まれて、「年上や先輩、専門家の人にあんなこと言って行けない」などと、年上や先輩、専門家を立てる呪文にかけられているのです。そのためにその人たちに異論が言いにくいために、非主張的な人が多い傾向があります。家庭でも男性を立てることが、近年までありました。 また、「そんなこと、言っても結果が失敗したらどうする」などの結果が見通せない事には、否定するし、上記のような年上や先輩を立てる文化の傾向から否定して、受容しない事が多くあります。ときには、言動に対して否定的な攻撃をされます。 そのために、日本人の多くの人は非主張的な人が多い傾向があるのです。私も若いときは、非主張的傾向でした。日本は、心理的な安全性が非常に弱い社会だったのです。 ここで言っている例のように、非主張的な人がドンドンと自分の言いたい気持ちや考えに蓋をしつ続けて溜めていくと、それが限界になり火山噴火のように突然噴火するのです。噴火して、攻撃的になることもあります。 その表れが家庭内暴力です。子ども時代の自己表現を抑える呪文にかけられて、非主張的な人になり、自分の言いたい気持ちや考えに蓋をし続けて溜めて、それが限界になり火山噴火のようになり、怒りとして家庭内暴力として現れるのです。 まずは、自分の自己表現を抑える呪文から解放されるために受容力とアサーティブ力を磨くトレーニングが必要です。
2023.02.25
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読レポ第874号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは4、なぜアサーティブになれないか(1/6) それは、私たちはなぜアサーティブになれることがむずかしいのでしょうか。a、気持ちが把握できていない まずは第一に、自分の言いたいことが自分ではっきりつかめてないときには、アサーティブになれないものです。自分の気持ち、言いたいことが不明確なわけですから、表現できないのは当然です。自分の気持ちを明確に把握することは、アサーションの第一歩というわけです。 実は、自分の気持ちを最もはっきり分かっていて、それを訴えることができているのは、生まれたばかりの赤ん坊です。赤ん坊は、言葉を知りませんので、泣くことしかできませんが、お腹が空いたとき、おしめが濡れて気持ち悪いとき、抱いてほしいとき、気分が悪いときなど、すぐ表現します。 しかし、それほど率直な人間の赤ん坊も、やがて、自分の訴えを聞き入れてくれないおやの態度や、禁止する親の言動に接して、素直な自己表現をしなくなります。特に、感情を軽視し、感情表現を嫌う親に育てられた子どもは、自分の気持ちを抑えるため、自分の内面に鈍感になります。そうして、親に受け入れられる言動だけを選んで身につけていくのです。親との付き合いは長く、濃厚である場合が多いので、よほど柔軟で、幅広い行動範囲をもった親の下で育たない限り、子どもの中では親に認められた一定の気持ちや考えを表現することだけが強化されます。逆に、表現しない気持ちや考えは強化されないので、だんだん薄れ、忘れ去られていきます。ときには、そんな気持ちや考えがあると、表現できないときに苦しくなるので、自分の中で否認して、すっかり心の奥底に抑圧して、それはないことにしてしまうこともあります。その結果、自分の気持ちがはっきりせず、また、把握できなくなるのです。と著者は述べています。 私も日本社会では、著者の言っているように、自分の気持ちや考えが自分自身で把握できてないから、アサーティブな表現ができないと人に溢れていると思います。 それは、やはり子どもの頃に親の受け入れられない言動・態度や禁止言動が要因だと思います。子どもの頃は、親の庇護の元で育てられるので、親の影響は大きいです。残念ながら、日本のほとんどの親は、子どもに行き過ぎた愛情から、自分の正しさを押しつけるので、子どもは庇護されている立場からは、親に対して逆らう事などできないからです。 成長して親の庇護から卒業できる時期の中学生や高校生時代の思春期になって、自分の気持ちや考えを主張的する表現をしてきますが、ちょうどそのころに、脳の前頭前野が中途半端な発達なので、怒りのコントロールが暴走することがあるのです。それが、親の方からは「反抗期」とレッテルを張っています。脳の前頭前野は感情のアクセルとブレーキの役割をしているのです。脳の前頭前野が中途半端な発達時期では、子ども自身も感情が上手くコントロールできないのです。大人になるための成長の過程の通過地点です。 親が子どもの考えや気持ちを受容できれば、アサーティブな表現ができるようになるチャンスはありますが、親が子どもを相変わらず支配コントロールするような状態なら、アサーティブな表現ができないままです。 子どもは自分の中で自分の湧いてきた気持ちや考えも自から否認して、自分の気持ちに蓋をしてしまい、それが、無意識の領域にまでなります。 その自ら否認が苦しく感じて、引きこもりや不登校の要因の一部になっていると思います。 アサーティブな表現の社会になるには、自分の気持ちにも他者の気持ちにも素直に受容する事が必要です。自分にも他者にも尊厳的なコミュニケーション社会には、アサーティブな表現は欠かせません。
2023.02.24
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読レポ第873号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは3、全般的に非主張的、または攻撃的な人 ときとして、どんな人に対してもどんな状況にあっても、全般的に非主張的であったり、攻撃的である人がいます。 いつも非主張的な人は、一見して恥ずかしがりで、ほとんどの状況や人に対してオズオズと、引っ込み思案な態度をとっています。人が嫌がりそうなことや、人の邪魔になりそうなこと。葛藤がおこりそうなことは決してやらず、親や権威者が言った通りの言動をとります。自分独自の意見や気持ちを表現することは不安で、適切なアサーションができません。自分が傷つけられなれたり、自分の権利が侵され、多くの人が抗議するような場面でも黙っています。また、ときには一般的に当然だと思われることにも、いちいち許可を得ようとします。だから人に無視されたり、利用されたりしやすいのです。 このような「全般的に非主張的」な人は、自己否定的で、自尊心が低く、いつも不安で、緊張に満ちた生活を送っています。ストレスの多い生活は、硬い表情や生意気のない笑顔、浅く速い息づかいを招きます。神経性の頭痛や腹痛を起こしやすく、ひどい肩こりや下痢に悩まされることになります。また、うつ的になって、気分が落ち込んで、食事がすまなかったり、眠れなかったりすることもあります。 このような人とは反対に、どんな状況でも、ほとんどの人に対して攻撃的になる人もいます。アサーションを攻撃的に行動と誤解して区別できないでいる人、人に負けることが嫌いで、常に勝ち負けでものごと判断しようとする人などは「全般的に攻撃的」になりがちです。 「全般的に攻撃的」な人は、一見、自信がありそうで、状況をうまくつかんで、バリバリものごとを進めているように見えます。古いタイプの男性イメージに、多少強引でもすべてを支配できる強い人がたくましく頼りになるというものがありますが、それを信じて行動しているような人です。 このような人は、人の意見や考えを軽視して会話を独占し、無意識のうちに自分の意見がいつも結論になるように話を進めます。こんな状態ですから、人を傷つけても無頓着なので、多くの人に敬遠されたり、嫌われたりします。人に対して、優位な状態でいないと安心できないので、人の批判や反応をひどく気にし、きわめて敏感です。ちょっとした反応でも、排除されそうな雰囲気を感じると、落ち着きを失い、イライラして、周囲の人に怒鳴り散らしたりします。権威的で、自分の命令に従わない父親が、無視されたり、軽視されたりすると、突然怒りを爆発させるなどはこの例です。「全般的に攻撃的」なひとは孤立しやすく、いつも愛情飢餓に陥っています。そして、人をつなぎとめておくために、さらに命令的に相手を自分に引き寄せようとするようとするのです。優しく、穏やかに、つまりアサーティブに人から愛情を得る方法を知らないので、愛情を得るにも、同じ命令的なアプローチになって、人から敬遠されるといった悪循環に陥るのです。 ときには「全般的に非主張的」と「全般的に攻撃的」な態度を交互にとる人がいます。「内弁慶」といわれるような、会社では何ごとにも逆らわない従順な人が、家庭では暴君という場合です。男性の子女虐待や不登校児の家庭内暴力、日頃はおとなしく目立たない子が、突然、殺人を犯すといった場合などがそれです。 「全般的に非主張的な人は」も「全般的に攻撃的な人」も、表現方法はまったく違って見えますが、心の奥では同じ不安定な気持ちを味わっているでしょう。つまり、対人恐怖の人や人から恐れられる暴君は、表面的な平静さや強がりの裏 には、不安、緊張、孤独感などの隠れた気持ちがあり、常に気を張っていなけれければならず、ここが落ち着く余裕がありません。また、そのような気持ちの不安からくる「こころの疲れ」や、自己嫌悪の気持ち、投げやりな気持ちなどにさいなまれることもあります。 このように、他者と生活全般にわたって緊張を強いられている人は、まず、そこから抜け出す手だて「や、自分の好きな援助が必要です。つまり、不安や緊張、「こころの疲れ」などを安心して出せる人のもとで、ありのままの自分をみつめること、引っ込み思案にならまくても人は耳を貸してくれることを理解できるように助けてもらう必要があります。個人的にカウンセリングや心理療法をうけたり、または、アサーション・セラピーを受けることが適切だと思います。と著者は述べています。 日本人の多くは、非主張的な傾向があります。私も以前はそうでした。このような人は、著者が言っているように神経性の頭痛や腹痛を起こしやすく、ひどい肩こりや下痢に悩まされることが多いです。私の場合も下痢や十二指腸潰瘍、肩こりが多かったです。 今の日本人の若者の自尊心が低いのは、その現れです。また、引きこもりや不登校の要因の一つになっていると思います。 攻撃的な人は、著者が言ってるように、「非主張的」の人の一部がマイナスの感情を溜め込んで立場が上になる状態のときに火山噴火のように「攻撃的」な態度をする人がいます。そのような人は、「非主張的」と「攻撃的」な態度を交互に繰り返しぶり返しています。私の身近に今でもいます。 相変わらずそのようなg人が、自覚もなく「非主張的」と「攻撃的」な態度を交互に繰り返してるのが現状です。そのくり返しを断ち切るためにもアサーションのようなさわやかな〈自己表現〉の教育が必要だと思います。 パワハラなどの減少や民主的な話し合い、新しいモノや解決策を生み出す話し合いにもアサーションを見つけることで、日本人、一人ひとりが健やかな日本社会を作っていくでしょう。
2023.02.23
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読レポ第872号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、C、 アサーティブな自己表現 〈アサーティブ〉とは、自分の相手も大切にした自己表現です。アサーティブな人は自分の人権のためには自ら立ちあがらろうとしますが、同時に相手の人権と自由を尊重しようとします。アサーティブな発言では、自分の気持ち、考え、信念などが正直に、率直に、その場にふさわしい方法で表現されます。そして、相手が同じように発言することを奨励しようとします。 その結果として、互いの意見が葛藤を起こすこともあり得ます。つまり、互いに率直に話しをすれば、自分の意見に相手が同意しないこともあるし、また、相手の意見に自分が賛同できるとは限らないのです。むしろ、率直に話して意見や考えが一致すれば、それはラッキーなことです。葛藤が起きたときは、すぐさま折れて相手に譲ったり、相手を自分に同調さてようとするのではなく、面倒がらずに互いの意見を出し合って、譲られたりしながら、双方にとって納得のいく結論を出そうとするのです。 このような言論は、余裕と自信に満ちており、自分がすがすがしいだけでなく、相手にもさわやかな印象を与えます。また、相手は大切にされたという気持ちをもつと同時に、二人の努力に対して誇らしい気持ちをもつでしょう。また、アサーティブな人に対して尊敬の念を覚えるでしょう。 アサーションには、歩み寄りの精神があり、多少時間はかかっても、互いを大切にし合ったという気持ちが残る会話があります。また、話し合いのプロセスでは、より豊かな創意や工夫が生み出され、一人の提案よりは、むしろ満足のいく妥協案が掘り出せる可能性さえもあります。そんな相互尊重の体験をすることがアサーションです。 アサーション(assertion)という単語を英和辞典で引くと、「主張」「断言」と訳が出てきます。この説明でも分かるようにアサーションの意味を正確に伝えていません。アサーションには、「自他尊厳の自己表現」という意味があるからです。アサーションには、自分も相手も大切にするコミュニケーションですから、「話す」と「聴く」の相互作用が含まれます。つまり、互いに率直に、正直に自分の気持ちや考えを伝え合い、聴き合うという意味があります。したがって。本書では、アサーションをそのままカタカナで表記することにし、あえて日本語にする場合は〈自己表現〉という言葉をつかうことにしています。 さて、あなたの日頃の言動がアサーティブであるかを知るには、あなたと日常的に関係のある家族、友人、職場の上司や仲間、先生、隣人、親戚などと、どんな付き合いをしているか、思い出して、自分の気持ちに正直に耳を傾け、検討してみることです。その関係の中で、誰か特に支配的な人はいますか。逆にあなたは誰かを利用したり、軽く扱ったりしていませんか。普段、自分の気持ちをオープンに話しますか。それとも、状況によって、相手によって、自己表現が変わることがありませんか。 多くの人は、誰か特定の人との関係や特定の状況で、アサーションができなくなることがあります。ある人に対してはきちんと言えるのに、同じことでも他の人にはいえないとか、状況によって言えたり言えなかったりするなどです。それは、長い間に特定の特定の人や状況に対してつくられ習慣化された行動パターンが、似たような人や状況の下で表現されている可能性があります。親とか権威者にはどんなことがあっても従うべきだと思っていると、自分が子どもの立場や地位のない立場にいるとき、従属的または非主張的になります。逆に、自分が親や権威者の立場にいるときは、攻撃的になる可能性が高いのです。また、過去のある状況下でとったアサーティブでない反応が身についてしまっていて、それを無意識にくり返している場合もあります。 いずれにしても、特定の人や特定の状況でアサーションができない人は、そのことに気づくことが大切です。自分の攻撃的または非主張的な言動を意識することで、行動を変えるチャンスをつかみやすくなります。チャンスがきたら、変える努力をしてみましょう。また、アサーティブな表現法を学ぶのもよいでしょう。なぜアサーティブになれないか、その理由を知ることも役立つかもしれません。そんなとき、この本が参考になるでしょう。また、「アサーション〈自己表現〉トレーニング(第6章参照)に参加して、実際にアサーティブな行動を身に付ける練習をすると一段と効果があるでしょう。と著者は述べています。 著者が言っているようにアサーティブな〈自己表現〉は自分も相手も尊重し合える言動行動ですが、お互いにアサーティブな言動には、時間がかり、相手の攻撃的な言動に反応してしまいがちになって、こちらも攻撃的な言動になってしまうので、アサーティブな言動になるには、トレーニングが必要と思います。 とくに家族間では、関係性の近さでの「当たり前」の癖でコミュニケーションを省く「察し」の文化がアサーティブな言動の壁になっています。 相手のご機嫌が気になることもあります。自分のなかで相手がどんなことで機嫌がわるいのかと葛藤してしまいます。この葛藤は「察する」文化のための非主張が引き起こしています。まずは、相手のご機嫌は、自分の物ではないことを認識することです。相手のご機嫌は、相手が自分でご機嫌をとるコトで、自分が背負うことは、ありません。 ご機嫌は自分が作り出すものです。機嫌や不機嫌は本人が選択するものです。他者が背負うべきコトではありません。それが、アサーティブな言動の壁になるので、そこからの認識を変えることです。私も他者のご機嫌を気にしていました。いまも、修行中です。とくに家族間では高い壁にぶつかるのですが、粘り強くトレーニングすることです。
2023.02.22
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読レポ第871号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、b 攻撃的自己表現〈攻撃的〉とは,自分の意思や考え、気持ちをはっきりということで、自分の言動の自由を守り、自分の人権のために自ら立ち上がって、自己主張してはいるのですが、相手の言い分や気持ちを無視、または軽視して、結果的に相手に自分の押しつけつける言動をいいます。 したがって、それは、相手の犠牲の上に立った自己表現・自己主張であり、自分の言い分は通じても、相手の気持ちを害したり、相手を見下したり、不必要に支配したりすることになります。 このような言動をしている人は、一見、表情豊かで、はきはきものを言っているように見えますが、相手を無視、あるいは軽視して自分のことだだけを主張していることになり、相手を踏みにじっていることになるます。その場の主導権を握りたいだけで、「自分が一番」とか「あなたはダメ」といった態度をとり、相手より優位に立とう、「勝ち負け」でものごとをきめようとする姿勢が見え隠れしています。 つまり攻撃的とは、たんに暴力的に相手を責めたり、大声で怒鳴ってたりするだけではなく、相手の気持ちや欲求を無視して、自分勝手な行動をとったり、巧妙に自分の要求相手に押しつけたり、相手を操作して自分の思いどおりに動かそうとしたりすることをいいます。もちろん、不当な非難、侮辱、皮肉、八つ当たりなども含まれます。また、雑談や何気ない会話をしているときの「だめ押し」や「ひと言多い発言」なども、自分の優位を示すための攻撃的主張となることがあります。また、年齢や役割が上の人(親・教師・上司など)、権威、権力がある人(専門家、男性など)が、その地位や力を意識的、無意識的に使って弱い立場にいる人に自分の意向を押しつける「パワハラ」や「セクハラ」は、攻撃的言動ということもまります。 このような言動をしている人は、堂々としているように見えるわりにはどこか防衛的で、必要以上に威張っていたり、強がっていたりして自分に不正直です。また、自分の意向は通っても、その強引さのために後味の悪いことが多く、それが自分の本音ではなかったことに気づき、後悔することになります。 また、攻撃的な対応をされた相手は、自分の意に反して服従された気持ちになり、軽く見られ、バカにされた気持ちが残るでしょう。その結果、傷つき、恐れて相手を敬遠し、同時に、怒りを感じて、復讐心を抱くかもしれません。 いずれにしても、お互いの関係は、相互尊重にはほど遠く、ギスギスしたものになりがちです。と著者は述べています。 確かに攻撃的な人は、,自分の意思や考え、気持ちをはっきりということで、自分の言動の自由を守り、自分の人権のために自ら立ち上がって、自己主張してはいるのですが、相手の言い分や気持ちを無視、または軽視して、結果的に相手に自分の意見や考えを押しつける言動をしています。 自分の正しさを相手に押しつけているだけです。 防衛本能の行き過ぎです。 私も昨年○○から、攻撃的な言動を浴びせられました。自分の正しさを罵詈雑言を吐き出して、攻撃的な言葉を言ってきます。その正しさの経緯を求めても、「自分は正しい」とだけ主張して、その経緯については一向に話してくれません。 ここで著者が言っているよ○○氏はギスギスした気持ちで、自分の気持ちが騒めいて、自分で自分の機嫌を悪くしています。 そんな攻撃的な言葉には、こちらまで攻撃的な反応をしてはなりません。火に油を注ぐことになります。その攻撃的な言葉を受容することです。そのためには、トレーニングが必要です。とくに親子関係では、かなりトレーニングが必要です。 また、攻撃的な自己表現の人は、何度も自分で自らの機嫌を悪くしていることをぶり返します。自分のご機嫌は自分がとることです。ご機嫌は、他者がとるのでありませんし、他者がとってくれないとダダをこねるようになるのは、お門違いです。 自分のご機嫌をとるには、アサーションを身に付けることだと思います。人生を幸せに生きるためには、アサーションを身に付けることです。
2023.02.21
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読レポ第870号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、a 非主張的自己表現 〈非主張的〉とは、自分の気持ちや考え、意見を表現しなかったり、しそここなりすることで、自分から自分の言論の自由(人権)を踏みにじっているような言動をいいます。これらは、自分の気持ちや考えを言わないだけではなく、あいまいな言い方をしたり、言いわけがましく言ったり、他人に無視されやすい消極的な態度や小さな声で言うことも含まれます。このような言い方は、一見、相手を立てているようだったり、相手に配慮しているようにみられますが、暗に「私の気持ちや考え、言っていることは取るに足りません。無視しても結論です」と伝えているようなもので、自分の気持ちに不正直で、もちろん、相手に対しても素直ではありません。非主張的な言動をしているときは、相手に譲ってあげているように見えながら、自信がなく、不安が強く、それを隠して卑怯な気持ちになっていることが多いものです。 非主張的な言動をした後は、「自分はやっぱりダメだ」といった劣等感や、「どうせ言っても分かってもらえないに決まっている」といったあきらめの気持ちがつきまといます。また、相手に対しては、「譲ってあげたんだ」といった恩着せがましい気持ちや、「人の気持ちも知らないで」といった恨みがましい気持ちが残ります。もし本当に相手を配慮し、尊重して同意したり、譲ったりしたのであれば、自分の決断でそうしているので、気持ちはさわやかで、未練は残らないはずです。逆に非主張的な言動をした後では、分かってもらえなかったと思う気持ちや傷ついた感じが残りがちなので、惨めになります。そもそも自己表現していないンおで、相手に分かってもらおうと期待することは欲ばりなのですが、つい「黙って引いてあげたのに」とか、「相手を立てたのに分かってくれない」といった甘えや、「思いやりのない人だ」とか、「鈍感な人だ」といった相手へ軽蔑の気持ちをもったりします。 このような不快な体験が重なると、不快感は欲求不満や怒りとなって心の中に溜まって行きます。たまった怒りは、何度も同じ思いをさせている相手への恨みとなり、あるいは関係ない人への不当なやつあたりや意地悪となって表現されることがあります。いわゆる「キレる」とは、「もの言わなぬは、腹ふくるる技」のあげく、非主張的な言動に転じて、ある日突然、攻撃的になるのです。 また、不快な体験をじっと我慢して耐え続ける人もいます。相手との関係に波風を立てないようにするには、自分でその場を治める責任をとろうとするのです。過剰なストレスを自分にかける結果、頭痛、肩こり、神経性の胃痛などの心身症やうつ状態になったり、人と付き合うのがおっくうになったりします。その場では優しく、いい人なのですが、生き生きした感じはなく、無表情で、慇懃無礼な振る舞いをしたりすることにもなりかねません。 一方、非主張的な対応をされた相手も、結果的に被害を被ります。まず、同意してくれれば自分と同意見、譲ってくれたときは相手の思いやりをありがたいと思うでしょう。よほど猜疑心のある人でない限り、それが素直な反応です。ところが、そう受け取っていたら、後で恨まれたり、軽蔑されのではたまったものではありません。また優先されてばかりいると、相手は優越感や憐みの気持ちをもったり、逆に、従わせてしまったという罪悪感やいら立ちを感じるかもしれません。と著者は述べています。 確かに非主張的な自己表現をくり返すと、マイナスの感情がドンドンたまったり、ここで言っているように心身症などになります。 マイナスの感情がドンドンと溜まると、陰口をいったりして、時には怒りが爆発して攻撃に変貌します。非主張的な人は、一見みたら大人しい人にみえますが、マイナスの感情がドンドン溜まると攻撃的な言動や行動を突然します。 私の同級生でも普段は大人しいのに、車のハンドル握ると激し乱暴な運転に変貌する人がいました。 非主張的な自己表現をくり返す習慣がつくとマイナスの感情がドンドンたまったり、心身的影響があれわれるか、攻撃的な言動や行動をしてしまいます。 日本人は、同調圧力の強い社会なので非主張的な自己表現になりがちなので、アサーションを身に付けることが必要です。
2023.02.20
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読レポ第869号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、(3/3)[親子関係] あなたには高校生の息子がいます、夏休みのあるある晩、友だちと花火大会に出かけ、夜中の二時に帰ってきました。あなたは、十二時に帰ってくると思っていたので、何が起こったのではないかと心配して、イライラしながら待っていたのでした。非主張的 帰ってきたのを見て、息子には何も言わず、黙って眠りにつく。攻撃的 「一体、今まで何をしていたんだ!今何時だと思っている!一晩中人を寝かせないつもりか。まったく思いやりもない奴だ」と、いきなり怒鳴る。アサーディブ 「とても心配したよ。十二時に帰ると言っただろう。だからすごく気になってね。大丈夫だったのか?遅くなると電話してほしかったな」と相手を責めるのではなく、しかしはっきり自分の気持ちを伝える。 右の例で、アサーティブとはどんな言動かがおよそ分かったと思いますが、ここで、非主張的、攻撃的、アサーティブの三つの言動についてまとめておきましょう。と著者は述べています。 この例は親子関係でよくある例です。私も子ども時代も今もたまに、母親から「攻撃的」な言動を浴びせられることがあります。 もちろん、約束した時間に戻れないことは、交通事情や友人関係など様々な理由で遅れることがあります。大幅に遅れる時は、私は、電話をいれるようにしています。 母は、「心配」の感情からのマイナスの感情が溜まり続けて、「攻撃的」な言動になるのです。「心配」の感情はマイナス側に考える傾向があるからです。 また、普段から多くの日本人の親は子どもにYouメッセージで伝える癖があります。 このアサーティブな例のようにIメッセージで自分が、心配している事を伝えることでアサーティブに伝える事ができます。 そして、自分の怒りの感情も消えてしまいます。 ちなみに、Youメッセージとは「あなた(You)」を主語にしたメッセージであったことに対して、Iメッセージは「わたし(I)」を主語にしたメッセージです。
2023.02.19
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読レポ第868号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、(2/3)[友人との間で] 佐藤さんは大学三年生です。彼女は、授業にもよく出てノートを取り、まじめで優秀な学生で、ゼミの先生の友人たちからも認められ、尊敬されていました。ある科目の学年末試験が間近かに迫ってある日、同じゼミの三島君から、ノートがなくて困っているので佐藤さんのものを貸してほしいと頼まれました。佐藤さんは、今から帰ってその科目の勉強をしようと思っていたところでした。佐藤さんは……非主張的 自分の勉強の計画が潰れそうになることの不安を押し殺して、彼が困っていることに同情し、「ええ、字が汚くてもよければいいわよ」と言う。三島君はもちろん、「それでいい」と言うので、貸すはめになる。その日は、試験勉強ができないこと悔やみながら、漠然と過ごす。攻撃的 明らかに不愉快な顔をして、「今頃ノートを借りようなんてちょっと常識ないんじゃない。今まで何してたのよ。私、そういう人には貸さないことにしてるの」と言い捨てて、その場を立ち去る。後になって、佐藤さんは三島君を侮辱したことが気になり、罪悪感で、試験勉強に手がつかなくなる。三島君も、そんなに言われる筋合いないと情けない気持ちになる。もちろん、その後、二人の関係はぎこちないものになる。アサーティブ 「今から帰ってその勉強しようと思っているところなの。だから今回は貸してあげられないわ。このつぎからもう少し早く言ってくれたら、貸してあげることができると思うわ」と、ていねいに、しかしはっきりとその頼みに応じられないことを言う。佐藤さんは、無理をしなかったこと、自分の意思を伝えられたことに満足する。また三島君は佐藤さんのいうことに納得し、自分の不用意さに気づく。と著者は述べています。 このような、他者(友人や知り合い)から頼み事は、あるものです。頼まれると大半が「非主張的」な例のような気持ちになるのではないかと思う。それは、小さい頃から「人には親切にしないとね」と言われているからです。もちろん、他者に対して親切にする事は大事ですが、まずは自分の事も考えて「自他」とのバランスを考える事です。行き過ぎた親切は、自分の中に「やらなかったらよかった」という後悔や「自分が損するから、次回は親切などしないでおこう」との思いが湧いてきます。 また、攻撃的な例は、相手の話しを途中で遮断して、相手の話しを最後まで聴かないで受容しないで、その人の過去の振るまいや、行いからから見て、ついつい強い口調でのマイナスの感情とプラス、小さな頃からの「勝ち負けの」の感情が合わさり、言ってしまったり。上記の「非主張的」な反動からでも、攻撃的な言動になります。 もちろん、私も上記の「非主張的」や「攻撃的」な言動はありましたが、だいぶ心理学や脳科学を学んでから、減少してきました。 それは、自分の感情のコントロールが多少なりとも出来るようになったからだと思います。 アサーティブな言い方になるには、感情のコントロールが出来るようになってたからだと思います。特に感情のコントロールには、自分を俯瞰するメタ認知力が必要です。 そのメタ認知した自分の状態で、例えば「私は、今、勝ち負けの感情になっている」と認知ができて、自分を冷静に見ることができます。それにより、言動を冷静に判断することができるのです。 その結果から、時には「怒る」ことだってOKですが、お互いにとって尊重しあえるアサーティブなコミュニケーションの判断の機会が生まれてきます。 アサーティブは、何度ものトレーニングが必要です
2023.02.18
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読レポ第867号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは2、アサーションとは、(1/3) それではここで、アサーションとはどんなことか、アサーションとそのでないことの違いはどこになるのかな、どうしてアサーションとアサーションができるのか、などについて考えてみましょう。 あるアメリカの心理学者は人間関係の持ち方には、大きく三つのタイプがあると言っています。第一は、自分より他者を優先し自分のことを後回しにするタイプ、第二は、自分のことだけを考えて他者を踏みにじるタイプ、第三は、第一と第二の黄金比率ともいえる在り方で、自分のことをまずかんがえてるが他者に配慮するタイプです。 アサーションとは、第三のタイプをいいます。そしして、アサーショントレーニングでは、第一のタイプを「非主張的」または、「ノン・アサーティブ(non-assertive)」、第二のタイプを「攻撃的」または、「アグレッシブ(aggressive)」、第三のタイプを「アサーティブ(assertive)」と呼びます。 では次に、いくつかの事例を取り上げながら、三つのタイプの言動について理解を深めることにしましょう。以下に、日頃私たちがよく体験する状況について、三タイプの反応を記してあります。 また、状況を読んだら、あなたならどんな反応をするか考えてみましょう。 次に三タイプの反応を読んでください。それぞれの反応は、典型的なものにするために、やや強調した表現になっていますが、自分が考えた反応、日頃とりがちな反応は、どれに近いでしょう。[外食中に] 中村氏は故郷から上京してきた友人と、銀座のレストランで夕食をとっています。さきほどステーキの焼き加減をレアで注文しましたが、ウェイターが運んできたステーキは、ウエル・ダンで焼きあがっていました。中村氏は……非主張的 友人に「こんなにやけてしまっている。もうこのレストランにはこないぞ」と愚痴をこぼすが、うぇたーには何も言わず、笑顔で受け応えをする。せっかくのステーキはまずく、注文通りのものを要求し直さなかったこと、こんなところに友人を連れてきてしまったことを後悔する。何だか自分がすっかり萎縮してしまった感じになる。攻撃的 怒ってウエイターを呼ぶ。そうして、注文通りでないことを必要以上に大声で怒鳴り、もう一皿注文通りのステーキを要求する。中村氏は自分の要求が通った料理には満足したが、怒鳴ったことでその場が気まずい雰囲気になってしまい、友人に対してはきまりが悪く、また、夕食の雰囲気はすっかり台無しになってしまう。一方、植えたーは侮辱された感じがして、不愉快な気持ちになる。アサーティブ ウエイターに合図をしてテーブルに呼び、「自分のステーキをレアーで注文したこと、しかし、ウエル・ダンのステーキがきてしまったと」を伝えて、ていねいに、しかしはっきり「レアのステーキととりかえてほしい」と頼む。ウエイターは間違いを誤り、まもなくレアのステーキを運んでくる。中村氏も友人も夕食を満喫し、中村氏は自分のとった言動にも満足して、夕食を終える。もちろん、ウエイターも客が気持ちよく過ごしたことで、気分がよい。と著者は述べています。 確かに外食では、この「非主張的」「攻撃的」「アサーティブ」などの3つの現象は、自分の過去の中にもあったな。特に愚痴はこぼさないが「非主張的」な気持ちは、よくあったな。 この気持ちは、大半の日本人の中にあるのではないかと思う。 この気持ちは「言っても、無駄だ!」という気持ちがあるからです。この気持ちは、日本の社会の話し合いの作法が民主主義に低いからです。実権を握ってる人に異なる意見を言うと否定されるからです。 だから、日本人は「非主張的」な傾向になるのです。 また、「攻撃的」になってしまうのは、マイナスの感情が蓄積した影響があるのです。体がクタクタになって疲れていたり、ついてないコトがあったり、上手く行かないことが続いたりして、マイナスの感情がドンドンたまると、「攻撃的」な傾向になります。 環境によって影響を受けてアサーティブ的になれない事があります。 自分の中で、非民主主義な場所は避けるようにしたり、疲れているときは、体を休めるコトなどすることです。ついてないコトがあったり、上手く行かないことが続いたりしてたりしたら、ひとまず、好きな音楽を聞くなりして自分のご機嫌を取ることです。 そうすると、アサーティブ的な行動の傾向になります。 前回のアサーショント度もしだいに〇が多くなっていきます。
2023.02.17
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読レポ第866号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所第一章アサーションとは1、あなたのアサーション度は?〈朝しょんとは何か〉を理解する前に、まずはあなたの今現在における自己表現について簡単にチェックしてみましょう。 後のアサーション度のチェックリストに答えてください。あなたが普段どうしてるかを考えて、文章の後の(はい・いいえ)のいずれかを選択してください。 さて「いいえ」の数はいくつありましたか。「いいえ」と答えた項目は、あなたが自己表現できていない、あるいは苦手な領域です。「いいえ」が半分以上あった人は、普段からの生活や人間関係にやや支障を感じてるかもしれません。 次に「はい」とこたえた項目については、もう一度チェックしてください。その「はい」が相手に対して否定的な感情をもったものだったり、腹立たしさを攻撃的に表現していたり、相手を無視する意図が潜んでいたりしてはいないでしょうか。もしそうであれば、その「はい」は◎にしておきましょう。その項目は、自分の意思や気持ちは大切にしているものの、相手を配慮していない言葉をしていない言動をしている可能性を示しています。そのチェックがすんだら、〇印の数えお教えてください。「はい」の数が、10以上あれば、あなたのアサーション度は、普通以上ということができます。 あなたのアサーション度については、また後で、あらためてくわしく調べることにします。【アサーションチェックリスト】Ⅰ自分から働きかける言動1、あなたは、誰かにいい感じを持ったとき、その気持ちを表現できますか。(はい・いいえ)2、あなたは、自分の長所や、なしとげたことを人に言うことができますか。(はい・いいえ)3、あなたは、自分が神経質になっていたり、緊張しているとき、それを受け入れることができますか。(はい・いいえ)4、あなたは、見知らぬ人たちの会話の中に、気軽に入っていくことができますか。(はい・いいえ)5、あなたは、会話の場から立ち去ったり、別れを言ったりすることができますか。(はい・いいえ)6、あなたは、自分が知らないことや分からないことがあったとき、そのことについて説明を求めることができますか。(はい・いいえ)7、あなたは、人に援助を求めることができますか。(はい・いいえ)8、あなたが人と異なって意見や感じをもっているとき、それを表現することができますか。(はい・いいえ)9、あなたは、自分が間違っているとき、それを認めることができますか。(はい・いいえ)10,あなたは、適切な批判を述べることができますか。(はい・いいえ)Ⅱ人に対応する言動11、人から褒められたとき、素直に対応できますか。(はい・いいえ)12、あなたの行為を批判されたとき、受け応えできますか。(はい・いいえ)13、あなたに対する不当な要求を拒むことはできますか。(はい・いいえ)14,長電話や長話のとき、あなたは自分から切る提案をすることができますか。(はい・いいえ)15、あなたは話を中断して話し出してた人に、そのこといえますか。(はい・いいえ)16、あなたはパーティや催し物の招待を、受けたり、断ったりできますか。(はい・いいえ)17、押し売りを断れますか。(はい・いいえ)18、あなたが注文した通りのもの(料理とか洋服など)がこなかったとき、そのことを言って交渉できますか。(はい・いいえ)19、あなたに対する人の好意がわずらわしいとき、断ることができますか。(はい・いいえ)20、あなたが援助や助言を求められたとき、必要であれば断ることができますか。(はい・いいえ)と著者は述べています。 わたしもアサーション度チェックリストを直感的にやってみたが、「いいえ」は2で、「はい」は16、◎の「いいえ」は2でした。 アサーション度は、おそらく良い方だろうが、問題は◎の「はい」です。ついつい、自分の行為が批判されたり、不当な要求には、腹立ちの感情が湧いてきて、自分の正しさを押しつける言動をしてしまうことがあります。相手の話しをしっかり受容するように聴かずに、「自分は正しい」とジャッジするのです。 これは、小さいころからの「勝ち負け」の価値観を刷り込まれた影響です。誰もが大なり小なり持っています。それが、相手の尊厳を傷つけて人間関係を悪くすることがあります。 そのような小さいころからの「勝ち負け」の価値観の長年の呪文を上書きして書き換えることです。それには、長いトレーニングが必要です。私もトレーニングです。 完ぺきな人間などは、いませんからね!完璧主義にとらわれないことです。ありのままの自分を受け入れることから始まります。
2023.02.16
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読レポ第865号改訂版アサーション・トレニンーグさわやかな〈自己表現〉のために著:平木典子発行:㈱日本・精神技術研究所改訂版への序 本書は、一九九三年に刊行された同名の書の改訂版です。初版版当時は、アサーションという言葉は意味不明であるながら、適切な訳語がなかったこともあったままカナ表記にするという冒険をしましたが、出版の主たる目的がアサーション〈自己表現〉トレニンーグのテキストであったことが大きな関わっていました。 初版から十五年を経て、アサーションという言葉もかなり広まり、それが〈さわやかな自己表現〉〈自他尊重のコミュニケーション〉を意味することを徐々に理解されるようになったと思われます。 一方、この十五年の間に、日常生活での身近な家族や友人との会話、買い物や交渉ごとでの関わりなどにおいて、また、課題や成果を追及する学校や職場などにおいて人間関係とコミュニケーションの問題は人々の悩みの第一位を占めるようになり、また、それらの問題を象徴するような事件が続出しはじめてました。アサーションの広がりは、その意味の理解と共に、おそらく「自他尊重のコミュニケーション」という関わりを切望する現代人の思いに支えられてきたとも想像されます。 今、私たちは、物がもたらす豊かさと便利さは必ずしも心を豊かにしてくれず、人間関係が豊でないことがいかに日常を貧しくしているかに気づき始めています。いくら成績を上げても、立派なものをつくっても、それに喜び、愛でてくれる人がいないとき、私たちの満足は半減するでしょう。そこに人間にしかできないこと、つまりお互いの思いを受け取り、返すというコミュニケーションの意味があるのでしょう。今、私たちに必要なことは、ますます機械化され、単純化されていく現在のコミュニケーションに、豊かな人間の関わりをもたらすコミュニケーションを取りもどすことだと思われます。 この改訂版は、第一に以上のような思いを盛り込んでかかれています。アサーションは、いつの時代にも、どこでも通用するコミュニケーションの基本的考え方法ですが、その意味は時代により、場によって異なってくるでしょう。この改訂版では、日本におけるアサーションの十五年の実践の歴史を踏まえ、その現在的意味を考えてみました。 改訂版の第二に意図は、一九八二年に開始した「アサーション〈自己表現〉トレーニング」の成果をなんらかのかたちで本書に盛り込もうとしたことです。任意の小さなグループで、主としてカウンセリングと心理臨床家によって実施されいたトレーニングは、今や臨床家だけでなく教師や看護師、コンサルタントや企業の研修担当者などトレーニングの資格を取得された人々により、さまざまな職域や対象に実施されるようになりました。この間の多くのトレーニング参加者のトレーニングにおける反応とトレーナーの方々の工夫は現在行われているトレーニングにはもとより、もちろん本書にもフィードバックされ、アサーションをより身近なものにする上で、かけがえない宝になってきました。多くに支えが反映されていることを、本書から受け取っていただければ嬉しいです。 さて、今、初めて本書を手に取られて、アサーションの意味がわからない方もいるでしょう。その方には、初版の序で紹介した文章が役立つかもしれませんので、一部引用しておきましょう。 今、あなたはデパートで買い物をしようとしています。カウンターに商品を持っていったところ、他の客が支払いをしていたので順番を待ち、さて、自分の番になったら、よこから他の人が割り込んで買い物をしようとしました。こんなとき、あなたはどうしますか? 久しぶりの休日に、前から読みたいと思っていた本を読みながら、ゆっくり休日をすごそうと思っていたら、友人から映画を見に行かないかと連絡が入りました。 「今日はでかくないな」と思っているのですが、その友人にあなたは何と言いますか? 帰り道で、長らく会っていなかった友人に会ったので、夕食まで帰宅する予定を変更して、友人と夕食をして帰ろうと考えました。家に電話をしてそのことを伝えたところ。家人からひどく非難されました。その非難が不当だと感じたとき、あなたはどんな対応をしますか? この状態に出会ったとき、あなたは、まずその場で自分の言いたいことを意識できますか。意識できるとして、そのことを言えますか。いいそこなって無力感を味わったり、言ったとしても強引に主張しすぎる関係がまずくなったりして、後味の悪い思いをすることはないでしょうか。 私たちは、誰しも家庭や職場、日常の人々との接触の場で、気持ちよいコミュニケーションを交わし、分かり合って過ごしたいと望んでいます。しかし、例にあるような些細なことでも、うまく表現できず関係性が崩れそうになったりします。自分の思いを率直に表現しながら〈さわやかな〉人間関係を結ぶ方法がアサーションです。 最後になりましたが、アサーションの意味も訓練法もまったく知られていなかった十五年前、大胆にもこの言葉を書名にした本書を世に送り出してくださった日本・精神技術研究所の冒険に対して、まず前社長の内田順平氏に心から感謝いたします。 また、本書の初版の出版には、日精研の部長でトレーニングを開始し、強く本書の執筆を進めた小川信男氏の絶大な支援がありました。悔やまれることは、執筆者の遅筆ゆえに、改訂版を持ってくださっていた小川氏が先日ご逝去されました。あらためて言い尽くせぬ思いの気持ちを込めて、本書をご霊前にささげます。二〇〇九年七月 平木 典子と著者は述べています。 私がこの本に惹かれたのは、演劇系自己表現の師匠から「アサーティブ」と言う言葉を教えてもらったのがきっかけです。 アサーティブとは、「自己主張すること」という意味です。 ただし、ここでいう自己主張とは、自分の主張を一方的に述べることではなく、相手を尊重しながら適切な方法で自己表現を行うことを指します。ということでした。 アサーションも同じ意味で、名詞ではアサーションをつかいます。 このアサーションに関心を寄せたのは、「人間関係では、人は変えられないが、自分は変えられる」という言葉からです。 特に私は、家族との関係では、相手が自分の正しさを押しつけて、私を強引に変えようとして、時には怒りの罵声を浴びせて、自分の正しさを押しつけて来ます。 でも、自分自身も家族にそのようなコトしていないかと思い、自分の自己表現を自分や相手の互いの尊厳を大切にした自己表現ができないかと思っていたら。この本を見つけました。 この序にも書いていた、例での買い物での割り込みは、私にも経験があります。でも、相手に伝えることができず。結局、相手が先に会計を済ませされてしまったことがあります。自分の中での自己表現ができなかったことがありました。自分も怒らないで、相手も怒らないで、お互い尊厳的にさわやかにコミュニケーションができればいいなと、この序文からも、思いました。 この本でお互い尊厳的にさわやかにコミュニケーションを学んで行きます。自分の自己成長のためにもです。
2023.02.15
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読レポ第864号ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎エピローグ あるとき、わたしのカウンセラー・トレーニングに参加した、五十代の女性がいました。その方は、かつて高校教諭をしていた方でした。生徒さんとトラブルになって心因性で声が出なくなり、教師を辞めたそうです。「カウンセリングを学んで人の役に立つ仕事をしたい」と願ってトレーニングに参加されたのでした。体は細く少しやつれた感じのする方で、顔には深いしわが刻まれていました。 わたしがカウンセリングのデモンストレーションをするとき、その方が話し手役をしてくださいました。カウンセラー役のわたしに、受講生らの前で、過去のつらかった出来事や、今の悩みを話してくださったのです。彼女の人生は、ぶり返す怒り、さびしさ、自信のなさ、悲しさなど苦しい感情でいっぱいの人生のように思えてました。 トレーニングのあと、わたしのカウンセリングを受けたい、と申し出てこられました。「癒されないこころの苦しみが、いろいろあると思うんです」と。 あいにくスケジュールがいっぱいで、新しい来談者を受けることができなかったので、待ち人リストに入っていただきました。 それから一年後、カウンセリング日に空きができたので、その方の自宅に電話をしました。ご家族が出られたので自己紹介をしたところ、「あの、本人は亡くなったんです」とのこと。「えっ!?」 思いがけない言葉にびっくりしました。その方がカウンセリングを希望されていたことをお伝えしたところ、「そんなことを言っていたんですね…」 電話のあと、わたしはその方の人生はどんな人生だったんだろう、と考えました。苦しい感情がぶりかえして、つらいことがたくさんあった人生だったんじゃないのかな…。もしそうだったら、とても残念なこと……。 看護師の占部久仁子さんがこんな話しをしてくれたことがあります。 彼女は、淀川キリスト教会病院のホスピス病棟で末期患者をケアする仕事をしています。占部さんによると、人は死を身近に感じると、つぎのような思いに駆られるそうです。最も大切なことを始めなくては、と思う。真実なもの、価値があるものを求める。不条理な人生に深く怒りをもち、過ぎ去った多くのことを後悔し、深刻な虚無感にとらわれる。わたしがこの本を書いたのは、「一人でも多くの人が、苦しい感情がぶりかえす不幸な人生に怒りと後悔を感じ、虚無感で生きるのではなく、死がちかずづく前に、最も大切なもの、真実ななもの、価値があるものを大切にし、幸せな人生を生きてほしい」という願いからです。 もしも、今でもつらい感情でくるしむことが多かったとすれば、その人生には意味がなかったのでしょうか? いいえそうは思いません。喜びと幸せの人生に意味があるように、苦しみにも意味があります。人は喜びと幸せから成長するとともに、苦しみからも成長します。 人生には、暗闇でしか見えないものがあります。 最後に、わたしがかって受験生のときのラジオで教わった言葉を紹介します。昨日のあなたが今日のあなたでないように明日の君はもう今日の君ではないはずだ わたしたちはいつも変化しています。自分でももっと好きに思える自分になるために、ともに歩んでゆきましょう。 本書を読んでくださったあなたに深く感謝するとともに、あなたの人生に幸多からことをこころからお祈り申し上げます。 長野県戸隠村にて 古宮 昇と著者は述べています。 私もこのタイトルの『ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる』に惹かれてこの本に手が伸びました。自分の中にも、ぶり返す「怒り(イラとも含み)」がありました。アンガーマネジメントを学んでも、一時的には怒りの感情は、収束するが。もちろん、怒りは、防衛本能の一部だし、相手に怒るコトで相手が気づくコトもありますから怒るのが全てが悪いことではありませんが。必要の無い怒りが、ぶり返します。 ぶり返すのは、この古宮先生が最後に述べている「昨日のあなたが今日のあなたでないように明日の君はもう今日の君ではないはずだ」というコトにこめられ居るとおもいます。ようするにいつまでもマイナスなコトを手放ばさないことに問題があると思います。上記の言葉からも手放すコトです。人は毎日成長、変化するので、過去のマイナスを手放すことが、穏やかで幸せな人生を終えられるということを古宮先生の本を読んで改めて確信しました。 私のブログを読んでくれた方、ぜひ、古宮 昇先生の『ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!』を購入して読んでみてください。 お会いした事はありませんが、古宮 昇先生には、感謝しております。次回は、別の本の読書レポートになります。
2023.02.14
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読レポ第863号ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡α、「心理カウンセラーに話してみよう」(親に対する「偏った思い」を癒す) 親に対する「怒り、憎しみ、悔しさ、残念さ」などのマイナス感情も、あるいは、その反対の「理想化、あこがれ、甘え」などのプラス感情も、親の真実の姿がみえていない偏った認識から生まれ、こころの制限や重荷や苦しみの原因になります。そのことに関連して、五十代の女性心理カウンセラー二人がつぎの体験を語ってくれました。 お二人とも、ご両親への深い感謝の気持ちをもっておられました。でも感謝の気持ちと同時に、お母さんに対して軽蔑心と不満も抱いていたそうです。でも、お母さんが亡くなったことがきっかけとなり、こころに変化が起きて、マイナス感情が和らいだそうです。すると、こころの歪みが取れて、お母さんの遺体を見たときに「こんなにきれいな人だったんだ」と驚いたそうです。 二人の女性カウンセラーのうち一人は、葬儀場が混雑していたため、自宅に三日間も遺体を置いていたそうですが、日を経つにつれてお母さんへの怒りが和らぎ、お母さんへの愛を深く感じるようになったそうです。すると、お母さんの顔がどんどん美しく見えていったと言っています。 もう一人の女性カウンセラーは、お母さんとの間で起きたことを振りかえるにつれて、お母さんへの軽蔑心が薄まり、本当はどれほどお母さんが強く優しい女性だったかが初めて理解できた、と言っています。すると、焼き場でお母さんのお骨を拾うとき、「こんなに白くてきれいなお骨は初めて見たわ」と思ったそうです。それとともに、お母さんへの愛が今までより強くわいてきたそうです。 二人とも、このときから、人に対してより優しい気持ちになり、人の欠点を受け容れる器が大きくなった、と語っていました。 もし、親が生きている間に親への怒りや傷つきを癒すことができれば、親との関係がもっと良くなり、人生も人間関係もさらに豊かなものへと変わっていきます。 前述しましたが、こうした変化を助ける優れた方法に「ディマティーニ・メソッド®」があります。「ディマティーニ・メソッド®」 は、こころの苦しみを解決して成長するための効果的な方法です。あらかじめ用意された質問に答えていくことによって、人や出来事や自分自身について、実感をともなった新しい気づきを得て感情が大きく変わります。 「ディマティーニ・メソッド®」を行う資格持って活躍するファシリテーターは全国にいます。「ディマティーニ・メソッド®・ファシリテーター」で調べ、手伝ってもらうと良いでしょう。と著者は述べています。 確かに、親に対する「怒り、憎しみ、悔しさ、残念さ」などのマイナス感情や、その反対の「理想化、あこがれ、甘え」などのプラス感情もあります。どちらかというと、マイナス感情に偏った感情になりやすいです。私も以前、亡くなった父に対してマイナスの感情を介護する前には、持っていました。 でも、介護の前の1年前から心理学を学ぶためにメンタルトレーナーの講座に通い、その講師の師匠から毎回、「愛情」が一番メンタルトレーナーには、重要だと毎回に述べてくれて、自分の中かに「愛情とは何か?」の問いがでてきて、父へのマイナス感情よりもプラスの感情の方を意識するようになってきてきました。 また、同じ頃に自己表現の師匠にも久に合うコトができて、その師匠は、「過去のマイナスを手放すコト」。過去のマイナスを手放さないから、マイナスにフォーカスしてしまい、プラスが見えて来ないのです。人は、ついついマイナスのコトにフォーカスしがちです。 過去は取り戻せないので見方、捉え方を変えて手放すことです。それには、トレーニングが必要ですが、見方、捉え方を変えて手放すことができるようになったら、自分のこころが豊かになって行きます。自分の人生が、穏やかで幸せな人生になって行きます。 過去のマイナスの見方、捉え方を手放すコトです。
2023.02.13
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読レポ第862号ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡α、「心理カウンセラーに話してみよう」(助けが必要なこころの状態とは?) なお、強烈なマイナスの感情がぶり返して止められなくなる人のなかに、「境界線性パーソナル障害」というこころの苦しみを抱えている人たちがいます。この障害は、次のような特徴が見られます。 慢性的な空虚感を感じている。人から見捨てられる可能性にひどく敏感で、見捨てられと感じてときには過剰な恐怖や怒りがわく。また、人に対して、極端に好きなったり依存的になったりしたかと思うと、同じ人に対して突然、激しい怒りや恐怖を感じたりすることがある。自殺、リストカット、むちゃ食いなど、自分を傷つける行動に衝動的に走ることがある。感情の浮き沈みが激しく、ふぃだんからイヤな気分を感じていることが多いし、怒りが爆発することがある。 このような特徴が当てはまりそうに思えたら、ぜひ専門のお医者さんに診てもらうとともに、プロ・カウンセラーの助けを得るといいでしょう。境界線パーソナリティ障害や、それに近いこころの状態にある人は、地道に治療を続けると良くなる可能性が高いことが研究でわかっています。と著者は述べています。 確かに、空虚感又は虚無感を感じている人は、います。最近みていると、若い人やサラリーマンに多くいるような感じがします。 まず、空虚感とは、それまで存在していた価値のある何かが欠けていることへの虚しさを感じているところで、虚無感は、全てのものごとに対して価値や意味を見いだせないことによって虚しさを感じる状態です。 空虚感と虚無感は、価値や意味が 「なんとなく、欠けている虚しさを感じる」と「なんとなく、全てが虚しさを感じる」との違いがあります。 どちらも、「虚しさを感じる」を感じているのです。その背景には、自己肯定感が低くなっているのです。自分には価値があるとの自尊感情が低下して、自分自身が好きでないとか無価値であると何となく思ってしまう、感情になっているのです。 その感情に囚われているのです。その感情に支配されているのです。 まずは、晴れている時に公園へ行ったり、川辺に行ったり、海岸に行ったりして余白を作ることです。ボッーとしているうちに、公園なら小さい子が思いっきり遊んでいる姿や、風に吹かれている木の葉、空を見上げて浮かんでいる雲をみるなどして眺めることです。 それをくり返すうちに、余白がしだいに出来てきます。まずは、自分の心の中に余白をつくることです。余白ができてくると、マイナスの感情に囚われていた感情が薄らいでいきます。 まずは、余白を作るコトです。日本語の中に「間」という言葉があるように余白を自分の感情の中で作ることです。
2023.02.12
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読レポ第861号ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡α、「心理カウンセラーに話してみよう」(カウンセラーは話しやすく優しい人たちです) そうは言っても、カウンセラーに会うのは抵抗があるものです。「自分の悩みは自分で解決する主義だ」「こんな悩みで相談に行くのは、『ヘンなひとだ』と思われたりしたらどうしよう?」「何を話せるばいいかわからないし……」 プロのカウンセラーと話に行くなら、こんな心配は不要です。カウンセラーに会ったときに、話ししたことが出てくれば何でも話せばいいです。悩みごとでも、日常のささいなことでも、何でもかまいませんし、話をする気にならなければ無理に話す必要さえありません。 専門の心理カウンセラーに定期的に会って対話を続けると、こころの痛みがだんだん癒され、今よりも元気になっていく可能性は十分にあります。ぶり返すつらい感情を止めて、人間関係をより良くし、もっとラクに生きる助けになります。そして幸せをつくるちからがわいてきます。 ただし、カウンセラーがあなたを成長させたり、こころの痛みを取り去ったり、癒したりしてくれるわけではありません。ここの痛みを解決することに取り組むのはあなた自身であり、カウンセラーはそのサポートをします。なおカウンセラーとは、相性が合わない、ということもありますので、もしも合わなければ、別のカウンセラーに替えてかまいません。早いうちにプロのカウンセラーに話しに行ってみると、力になってくれるはずです。と著者は述べています。 確かにカウンセラーに会うのは抵抗感が、特に日本人の中にはあります。「こんな悩みで相談に行くのは、『ヘンなひとだ』と思われたりしたらどうしよう?」「何を話せるばいいかわからないし……」 とくに男性には、「男は、自分で解決するものだ」とか、「男は、弱み見せてはならい」とか「男は、強くならなければ」との強い文化が無意識にあります。男性の自殺者が女性の2倍もあることが物がっている。一人で抱え込んでしまうのです。 私は、特に男性に勇気を出して心理カウンセラーに会うコトをすすめたい。もちろん、著者が言ってるように心理カウンセラーと相性が合わなければ、別な人に変えて構わないです。誰にも、何となく理由はないが相性が合わない人はいます。 気軽に心理カウンセラーなどに会い、心の健康を保ちましょう。心理カウンセラーなどの心の専門家の力を借りましょう。
2023.02.11
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読レポ第860号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡α、「心理カウンセラーに話してみよう」(こころの傷の治し方は?) こころに抱えている傷を癒すには、意思のちからではどうにもならない面があります。なぜなら、こころの傷の根本は、自分でコントロールできる意識の領域ではなく、無意識の領域に抑え込まれているからです。このように、こころの底にある傷を癒すために、専門家の心理カウンセラーがいます。彼らは、臨床心理士、サイコセラピーなどの肩書を使っていることもあります。 心理カウンセラーが有効なのは「異常な人」や「病気の人」だけではありません。誰のこころにもある傷の癒し、誰もが抱えている悩みを解決するためのものです。「人の目がすごく気になる」「人と会うと緊張する」「人に優しくしたいのにできない」「見返りを求めないで与える自分になりたいのに、なれない」「こんなことで人に怒ったり、落ち込んだりしたくないのいに、そうしてしまう」「前向きになりたいのに、自己嫌悪や罪悪感が出てきたり、うつっぽくてやる気がおきない」「もっと強くなりたいのに、いざとなると弱い自分が出てしまう」など。と著者は述べています。確かに、こころに抱えている傷を癒すには、心の専門家の力をかりるほうがいいです。それは、著者も言っているように自分の無意識の領域の中に潜んでいる習慣・癖だからです。 ただし、病気である精神疾は、まずは精神科や心療内科の医師の力をまずは、借りることです。医師以外の心理カウンセラーなどは、医師の指示下でなけれなりません。 後半に述べている「人の目がすごく気になる」「人と会うと緊張する」「人に優しくしたいのにできない」などのノーンクリニックの分野のメンタルヘルス(心の健康)が心理カウンセラーなどの主な分野です。 日本人は体の健康には、意識がありますが、心の健康にはあまり意識が向いていません。欧米人は、心の健康管理のために気軽に心理カウンセラーなどの力を借りています。日本人は、体の健康のためにジムに行って、トレーナーの元で体の健康維持をしてますが、心の健康管理はしていないのが現実です。 心の健康管理は、無意識の領域での習慣化した癖などで、なかなか気づくことはできません。要するに、客観視はなかなかできないからです。もちろん、少しは「なんか、おかし?」とか「どうしても、マイナス傾向になる」と入口での客観視には、気づきますが。本人が、強固な強い意思を持って、心理学や脳科学を深く深く、学ばなければ、自分の力では、心の傷を癒すことはハードルは非常に高いです。 私も高校の外部講師として、子どもたちのやる気のなさに気づいて、それは、メンタルの問題と気づき、5年前から、心理学や脳科学の本を何十冊も読んだり、心理学系の講座に通ったりしながら、実践をしながら学び続けています。
2023.02.10
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読レポ第859号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(紙に書き出すことが肝心!) つらい感情を生んでいる不幸せな思考を明らかにしたら、必ずそれを文章にして紙に書き出してください。その思考に、①から⑫のどの歪みが含まれているかを点検します。そして、その歪みを修正する現実思考をその下に書きます。 一つの思考に複数の歪みが含まれることがよくあります。その場合は歪み一つひとつについて、現実思考へと書き換えていく必要があります。 頭で考えるだけでは歪みを修正することはできず、イヤな感情も変化しません。紙に書くことは絶対です。くり返しますが、頭で考えるだけでは変わりません。必ず書き出しましょう。と著者は述べています。確かに今までに紹介された①から⑫の不幸せ思考パターン(癖)には、一つひとつ自分の中で点検する必要があります。著者の言っているように紙にそれを書き出してその歪みを修正することですが、ついつい頭で考えて、思い浮かぶ事ができないことが多いです。 それは、不幸せ思考パターン(癖)が邪魔をしているからです。頭だけで考えるのではなく、体全体で考えることです。体全体で考えると言っても何のコトを言っているのか解らないでしょうが。私たちは、本来は頭だけではなく、体全体のセンサーも使い考えているのです。 不幸せ思考の多くは、頭だけで考える癖になっているのです。 その歪みを取るためには、コチコチした固くなった体と脳を緩めるコトです。 それには、体や頭を緩めるイメージワークなどの体操や、窓から見える空眺めたり、時には、自然が感じられる公園や川辺、海岸などの野外に出かけて、ボーと眺める時間で余白をつくり、頭を緩めるコトです。そうそう、自分のお気に入りの音楽を聞いてワクワク、ノリノリすることもいいです。 また、ためらわずに勇気をだして、心理カウンセラーなどのメンタルの専門家の支援を受けることもよいですね。
2023.02.09
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読レポ第858号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(12/12)〔⑫他人を変えられる、という信念他人を自分の望むように変えることができる。と信じているため、そうならない現実に憤る。〕(例)ある女性は夫への不満タラタラで、夫を責め続けたり周りの人たちに愚痴を言ったりし続けている。(現実思考)「夫に要望を具体的に伝えるなど、わたしにできることをしよう。夫がそれを聞き入れないなら、夫婦関係をこのままつづけるかどうかをわたしの責任で決めよう。夫が変わらないからって、自分の人生を台無しにするのは、お断りよ」と著者は述べています。この「他人を変えられる」という信念を持っている人は意外にいます。例えば、子育てなどでは、、「しつけ」と言う考えで、子ども、つまり他人を変えられると強い信念を持って、「自分の正しさ」を押しつけています。愛情の行き過ぎですがね。 そして、無意識の事が多いが子どもをコントロールして、支配するのです。そんな親の口癖は、「言うことききなさい!」と弱い立場の子どもに自分の正しさを押しつけ支配します。 さらに、言うこときかないコトで、エスカレートすると、子どもに対して言うこときかせるために蹴ったり、殴ったり、閉じ込めたり、食事を与えないと虐待をしてしまうことの場合もあります。 多くの子どもの虐待は、親が自分の正しい信念を強く持っているからです。 「他人を変えられる、という信念」を強く持っているコトからです。
2023.02.08
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読レポ第857号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(11/12)〔⑪個人的な責め望み通りにいかないことがあると、誰かを悪者にして責める。〕(例)ある子どもは、両親が離婚したのは「わたしがいい子じゃなかったから」と自分を責める。(現実思考)「お父ちゃん、お母さんが離婚したのはすごく悲しい。でも、お父ちゃんもお母さんもできるだけのことをして、こうなったの。誰が悪いわけでもないわ」と著者は述べています。ここの例は、日本人の子どもをもつ夫婦間の中で、子ども事での育て方の考え方の違いや子育ての事を母親に任せきりで、相談しても父親が「お前に子育ては任せているので、俺は……」などと言ってたりして、母親の気持ちを受け取てくれないことで、よく子どもの前で夫婦喧嘩をするから、子どもは、「自分がいい子じゃないから、夫婦喧嘩になっているだ」と自分を責めてしまうからです。 そのような環境が多いから日本人は、自分を責める傾向が多い人が多いです。夫婦喧嘩は、日本人の話し合いの作法の意識がないからです。また、日本の文化では子育ては女性がするものとの文化があったからです。 また、望み通りにい叶えらないことに、誰かを悪者にして責めてしまうことも少なからずあります。それは、子ども時代に自分の望みが親からしっかり受け止められないことが、何度もあった背景があったからかもしれません。子どもは、自分の望みを叶えらないようなときに「だだをこねる」ます。それは、自分の望みを受け止められていないからの現象です。 受け止めるとは、その人の言ってること、受け取ることで、決して叶えることの有無ではありません。 受け取る事は大事です。他者のコトも自分のコトも受け止める事は大事です。 自分を受け取るとは、「今、自分は嫉妬しているな!」とか「自分は、怒っているな!」などの気持ちを否定しないで、その自分を受け入れることです。心理学ではメタ認知といいます。 受け取る事は大事です。他者のコトも自分のコトも受け止める事は大事です。
2023.02.07
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読レポ第856号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(10/12)〔⑩マイナスのラベル自分や他人について、事実や正しい描写するのではなく、「バカ」や「自分勝手」などといったマイナスのラベルを貼る。〕(例1)取引先との会議に重要な書類を忘れたOLが、「バカだわ」と自己嫌悪に陥る。(現実思考)「大切な書類を忘れたわ。同じ失敗を防ぐためにどうすればいいかを考えよう」(例2)ある妻は、連絡もなく帰宅が遅くなった夫を「あなたは自分勝手よ!」と責める。(現実思考)「遅くなるときは連絡をしてね。あなたに何かあったんじゃないかと心配になるかえら。今日も心配だったわ」と伝える。と著者は述べています。 ここでのマイナスのラベルを貼ることは、不幸せ思考の人にはよくある事です。。それは、自分が何度も失敗をくり返すと自己を責めてしまう癖になりがちになるからです。私も、そのような事が過去には沢山ありました。 他者にマイナスのラベルを貼るのは、思い込みでよくある事でもあります。よく観察しないで単純に決めつけたり、マイナスの感情が相手を決めつけるのです。例2のように、心配や迷惑などかけている事を相手は意識していない無意識が何度もあり、相手にその事を伝えていないから又はその事で対話がしていないことから、思い込みのレッテルを貼ることがあるからです。特に家族感では、「当たり前」や「阿吽の呼吸」と無意識があると、伝えなかったり、その事で対話しなかったりするからです。私もありました。 伝える事や対話ができないときは、私は事実や相手の日頃の言葉や行動を観察してマイナスの決めつけをしないようにしてます。 人は、マイナス傾向の思い込みの癖がつきやすいです。事実や相手の日頃の言葉や行動を観察してすぐに決めつけないことです。または、伝える事です。
2023.02.06
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読レポ第855号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(9/12)〔⑨感情により決めつける自分の感情が、物事を正しく写し出したものである、と決めつける。〕(例)ある男性は、「自分は大して価値のない劣った人間だと感じる。だから本当にそうに違いない」と決めつける。(現実思考)「自分は大した価値のない人間だと感じるけど、だからって本当にそうだという証拠にはならない。ぼくの長所と可能性を可能性を書き出そう。えっと……まず、優しい人だとよく言われる。大学の学歴がある。仕事に真剣に取り組む。まじめに勉強するほうなので、それを活かして簿記の資格を取れば、キャリア・アップにつながるかもしれない。友だちが多い。これからも人間関係を大切にすれば出生する可能性は十分にある。えっと他には……」と著者は述べています。確かに感情が高ぶっていると、感情に支配されて、自分又は相手のマイナスな所にフォーカスしてしまい、決めつける。状況や事実さえ、見えなくなる。 例えば、自分の大切な物が無くなっているときに、誰から怒られたり、いやな事があって感情が高ぶっている状態やその感情が収まっていないときなど、「○○が持っていったんだ」「あいつが、俺の大切な物を盗んだ!」などと、決めつけてしまう。 感情が高ぶってる時は、いったんコーヒータイムをとったり、他の事をして体を動かしたり、公園に散歩に行ったりして高ぶった感情を鎮めることです。 また、普段からいやな事ばかり溜まっていると、自分又は相手のマイナスな所にフォーカスしてしまいます。本人は、そのフォーカスしたところしか見えないので、そのフォーカスでみえたことが「正しい」と執着してしまうのです。この執着を手放すには、捉え方や解釈を他の角度から見ることが必要です。 それには、落ち着いて見れる、決めつけない信頼ある友人やメンタルの専門家に話してみる事です。そうすると別の角度からの捉え方に気づいていきます。不幸せ思考から離れて行くには、第三者の力を借りることです。 ただし、決めつけて視野の狭い第三者に相談してしまうと、さらに感情により決めつける傾向が強化されるので用心が必要です。 視野の広い見方をする利害関係や忖度しない自分を受け止めてくれる受容力がある人に話をする事です。
2023.02.05
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読レポ第854号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(8/12)〔⑧マイナス未来予知物事は悪いほうに行くだろうと予想し、不安になる。〕(例)あるOLは、「資格試験に落ちたらどうしよう」と不安になる。(現実思考)「試験に落ちるかどうかはわからないわ。そんなことを気にして不安になってもしかたない。今出来る事に集中しよう」と著者は述べています。 これは典型的な、不幸せ思考の癖(習慣)の思い込みで、その背後には不安があるからです。人は防衛本能から不安が生まれて最悪のことを考えがちになります。不幸せ思考の癖は、脳の過剰になりすぎた防衛本能からです。だから、マイナス未来予知の方へと考えるのです。 過剰になりすぎた不安は、幾つものマイナスの感情になった経験が不安を増大させるのです。マイナスの感情の経験を軽減するには、トレーニングです。まずは、公園や川辺、海岸でもいいので草木や鳥の鳴き声、風、海岸の波を感じる事です。 まずは、自分の心の中に余白をつくることです。
2023.02.04
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読レポ第853号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(7/12)〔⑦マイナスの拡大望み通りのことが起きなかったとき、それを極端に大ごとみなす。〕(例)ある女性は、離婚をきっかけに「ああ、最悪だわ!」と考えてうつになった。(現実思考)「離婚したのは残念だわ。でも、この出来事から大切なことを学んだし、離婚しても幸せになる人はたくさんいる。これから幸せになろう」と著者は述べています。 確かに、人はついつい、マイナスの方に捉えがちになり、マイナスを拡大してしまいます。捉え方を変える習慣をつける事です。まずは、一つとしては、自分一人で自然の中へ身を置くコトです。風の音や雲の流れ、咲いた花などを見る事です。公園や海岸、川辺で十分です。それを何回も自然に身を置く、トレーニングを重ねることです。 それをくり返すうちに、プラスの捉え方に変わって行きます。正直、マイナスの拡大への捉え方は、そう簡単にはプラスへの捉え方には、変わりません。幾度ものトレーニングが必要です。そうずると不幸せ思考から離れていきます。
2023.02.03
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読レポ第852号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(6/12)〔⑥べき「物事はこうあるべきだ」とか「自分はこうするべきだ」とだこだわり、とこだわり、その通りにならない現実に憤ったり、自分のことを嫌いになったりする〕(例)女性たちで集まるランチ会に、一人が遅刻した。あるメンバーはそのひとにいいて「時間にルーズな人って許せない!」と憤る。(現実思考)「いつもすべてのひとがかならず時間通りに来れば理想的だけど、そんなことありえないいわ、わたしだって、いつもすべて完璧にできるわけじゃないし、イヤな気分になるなんてソンだわ、わたしは楽しく過ごすことにしよう」と著者は述べています。 アンガーマネジメントでもコア・ビーフという、個々が正しいと思っている、その人の中核にある信念や価値観のなかで「べき」が怒りに関係していると言われてます。 でも、個々が正しいと思ってことには〇も✕もありまません。「べき」は、その人の価値観だからです。人によって、価値観は個々によって違います。その違いを受容することだと思います。受容とは、受け止めることで、自分が認めることではありません。相手の価値観と自分の価値観の違いで振り回されないことです。人は、一人一人価値観の「べき」がズレている事がおおいのです。 自分軸で生きることです。もちろん、わがままを奨励してるわけではありません。相手の価値観を聴いて、自分の価値観で修正が必要だったら修正すればいいのです。 つまり、相手の価値観を受け止める聴く力が必要だと思います。 不幸せ思考にならないためにも「聴く力」を磨くことです。
2023.02.02
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読レポ第851号 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!著:心理学博士 古宮 昇発行:㈱すばる舎 第3部つらい感情を洗い流す!「5つのセラピー+α」♡5、「不幸せ思考」を「現実思考」に変える(12の不幸せ思考パターンを現実思考へ!)(5/12)〔⑤マイナス読心術確かな根拠もなしに、他人は自分の事が嫌いだ、と結論づける〕(例)ある大学教授は、知っている学生とキャンパスですれ違ったとき、「こんにちは」と挨拶したのに無視された。そのため「ぼくは学生に嫌われている」と、自分の人気のなさに落ち込んでいる。(現実思考)「あの学生があいさつをかいしてくれなかったのは、他の事を考えていて気づかなかったか、ぼくだとわからなかったかもしれない。それに、すべてのひとが好かれるのは不可能だし、ぼくをすきではない学生がいたところで、クビになるわけでも給料が下がるわけでもない。あの学生に嫌われていたとしても、何の不都合もない」と著者は述べています。 このように、「おれが挨拶をしたのに、無視した」と捉える方もいます。それは、自分の都合や立場のみを考えて行動する自己中心的な無意識の見方があるか、「みんな、なかよく」の呪文に侵されているからです。著者が言っているように、すべての人たちから好かれることは不可能だし、説明できないけどもなんとなく相性が悪い人もいます。 私もたまになんとなく相性が悪い人もいます。「みんな、仲良く」という呪文からは、抜け出しましょう。現実をみれば、なんとなく相性が悪い人はいるものです。 そんな事に自分のフォーカスを当てるのはもったいないです。もっと、プラスの事にフォーカスにあてることです。もっと、自分を成長させることにフォーカスをあてることです。
2023.02.01
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