遊心六中記

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2017.01.18
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                                                                                  [探訪時期:2013年1月]
弐の門を入り、そこから二の丸へ向かうには違い枡形構造箇所を通ることになります。
つまり弐の門の通路からみると、右折-前進-右折-左折という鍵形通路を進まねばなりません。

その先には、 手前に二の丸への石段 、そして 正面に天守の石垣 が見え、 直進の道は花屋敷(花殿)の方に 向かいます。通路を直進し緩やかに右折し、その先で再び緩やかに左折して進んだあたりが奥殿と称されています。縄張り図をご覧ください。
花屋敷には幾度も折れ曲がり石段を下り、上がるという複雑な防御構造になっているようです。
(写真を撮りつつ、メンバーよりかなり遅れながら天守台に向かっていましたので、本丸から花屋敷側の写真を撮る時間がなく、割愛したのが残念です。)

手前の石段を上がり、二の丸(講武所)に入ります。



少し右手方向の石垣に近づいて、南二の丸、南千畳の石垣の眺め

二の丸から天守を眺めると・・・

二の丸を南西方向に進み、本丸への坂道を登ります。

本丸から天守には石垣に取り付けられた階段を登ったと記憶します。
                                                               (記録写真を取り忘れ。天守に登ることに気が急いていました。)



                                                             天守から北東~東の眺め
画像に写っている石標の位置からイメージができることでしょう。

天守の石垣隅に近づき、天守石垣下の平段の南側から南二の丸、そしてその先に南千畳へと続く縄張りの見事さが一望できます。


天守の南側面にある本丸(高見殿)と平殿を繋ぐ急な石段
ここを敵兵は攻め上り難く、上からの攻撃は容易ですね。しかし、ここまで攻め上られれば後は落城まで時間かせぎにしかならないでしょうが・・・・



南二の丸側から平殿の石垣・二の丸の石垣、眼下に広がる和田山に至る方向の眺め

南二の丸から平段・天守・本丸、そして右手に二の丸の広がる眺め


南二の丸から南千畳に進んだ石垣の近くに、碑が建てられています。
天守に向かう面に句が刻まれています。(説明板はありません。)


南千畳から南二の丸の石垣を眺めると、


            西側から東側にかけて、こんな感じです。 
そして、南西から南の方向に目を向けると、

遙かに山並みが連なっています。


南千畳の北側を眺めた景色


さらに南東よりに目を移すと・・・

南千畳からの眺めを次回もう少し続けたいと思います。



入手した諸資料によれば、織豊期以降の竹田城の最高所は勿論天守台です。
ここが標高353.7m。天守台をほぼ中央に配置した石垣城郭であり、南北約400m、東西約100mの規模で、その偉容を表しています。

山頂部から三方に延びる尾根上に曲輪が連続して見事に配置されています。
石垣は自然石を巧に積み上げた穴太積みです。安土城と同じ石積み構築方法が使われています。石材は現地並びに山麓付近から集められたもののようで、花崗岩。最大のもので推定5tだそうです。朝来市教育委員会作成の「竹田城跡」というリーフレットには、観音寺山の北側に石取場があったと縄張り図に表記されています。

「竹田城関係年表」によると、昭和46年(1971)から昭和55年(1980)にかけて、石垣復元工事が行われました。
この探訪の前に、坂本の町を探訪したことが契機となり、『石垣普請 ものと人間の文化史58』 (北垣聡一郎著・法政大学出版局) を読んでいたのです。その中に、「穴太積み」技法の真髄を伝承し伝える粟田万喜三氏が但馬竹田城の復元工事を手掛けられたという一文がありました。この年表を読み、その時期がわかった次第です。粟田氏は滋賀県大津市坂本の人。穴太流石積み工匠、明治44年(1911)2月1日生まれ。
本書筆者は、「但馬竹田城の石垣は、『布目積み崩し』という、文禄・慶長年間の特徴をよく伝える技法であるとみなしてよいであろう」(p273)と記しています。

この本の中に、粟田氏が家伝とみなされていることが記されています。「石積みには、まず、いちはやく使用すべき石(材)の声を聞けるようになることだ。そのためにはそのためには一本一本の石材の心を知ることが必要であり、そのことを心にとめて石の据え付けをするべきだ」(p266)とされるのです。同じ顔(石面)と形(形状と性格)をした石は、山から採石しただけで加工をしない割石にはひとつもない。「そんな石はそれなりに必ずすわらせてよいところがあるものだ」と語られたそうです。採石されたいわゆる野面石はそのような心得からあのような石垣に積み上げられたのでしょう。
「石が行きたいところに行かしてやる」(p268)

粟田氏は穴太積みの重点事項を8項目に要約されたと筆者は記しています(p268)。引用しご紹介します。
(1)まず堅固な石垣にせよ。
(2)石(材)を無理に据え付けるな。
(3)根石は天をみせよ。
(4)石の合端(合わ口)は「二番」より奥でつけよ。
(5)石(面)の最前端を「通り面」(とおりづら)にせよ。
(6)間石(あいいし)はなるべく二個を使用せよ。
(7)(石尻の)主飼石(おもかいいし)は水平に打ちこめよ。
(8)勾配は、真の勾配より、やや寝かせよ。

わだやま観光案内所でいただいた前掲の資料2)に、「穴太積み構築法 大手正面櫓台石垣」の模式図が載っています。この本にも、この櫓台石垣模式図が載せられていて、上記重点事項が具体的に説明されています。

この穴太積み技法の心得が竹田城の石垣復元に存分に発揮されたのでしょう。

この探訪では、じっくりと石垣を観察している時間が持てませんでした。限られた時間の中で、城の縄張りと城からの景色を眺め、山城全体の写真をできるだけ撮っておくことで精一杯でした。

つづく

参照資料
*「歴史と文化が薫る日本一の山城の城下町『竹田』へようこそ」
    (2007年3月 竹田地区まちづくり推進協議会作成)
*「但馬和田山 竹田城跡」 A4サイズ両面刷
*「国指定史跡 竹田城跡」 朝来市教育委員会社会教育課発行 A3サイズ両面刷

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
石垣の積み方  :ウィキペディア
穴太衆  :ウィキペディア
穴太衆積み石垣  :「大津市歴史博物館」
穴太積みの石垣について  :「近江の城郭」
『穴太積みの石垣』  :「知っ得!大津豆知識」
石積の各部の呼称、役石と勾配など :「NatureLand_9122」
新名神に穴太積み  2008.2.3 :「京都新聞」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 但馬・竹田城跡 -1 城下町筋・観音寺山城跡・北千畳 へ
探訪 [再録] 但馬・竹田城跡 -2 北千畳・三の丸・弐の門 へ
探訪 [再録] 但馬・竹田城跡 -4 南千畳 へ
探訪 [再録] 但馬・竹田城跡 -5 駅裏登山道・寺町通り へ







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Last updated  2017.01.18 21:58:02
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