遊心六中記

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茲愉有人

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2022.01.19
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カテゴリ: 探訪
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三門から天王殿に向かう石條(参道)から分岐して通玄門に向かう 参道脇に数多くの鉢 が並べてあります。 通玄門側から三門方向を眺めた景色 です。
これらの鉢の植物が咲く頃は境内の雰囲気がまた変わることでしょう。

境内を横切って南に向かうと、この白亜の があります。
右側手前に 「黄檗文華殿」の石標 が立っています。
東面に 黄檗文化研究所 黄檗山萬福寺宝物殿 」と刻されています。
門の向こうに、西向きに立つ同種の門が見えます。

こちらの 門の左側に「賣茶堂」の石標 が立っています。門の向こうに見えたのは売茶堂の門です。
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門をくぐり、文華殿を通り過ぎて 南側から眺めた文華殿の全景 です。

文華殿 は、 黄檗山萬福寺の宝物・資料の収蔵保管と展示を目的として 、開山隠元禅師300年大遠諱を記念して、昭和47年(1972)に建立されました。今年が350年大遠諱ですから、50年が経ったことになります。 (資料1)
黄檗文華の殿堂 ということです。
私はまだ拝観したことがないのですが、年に2回、春と秋に特別展が企画されて一般公開されているそうです。今年は多分特別展にも力が入るのではないでしょうか。私にとっての次の機会はこれかな・・・・・。

手許の小冊子には、隠元禅師の画像を多く描いた喜多元規の作品、伊藤若冲や池大雅の名画、隠元禅師の遺品、中国伝来の品々などが収蔵されていると説明しています。既にご紹介したものとして、范道生作韋駄天像と二代目の魚?も収蔵されているとのことです。


         文華殿の正面階段の左側(南)で目に止まったのがこれです。
表面が鏡面になって築地塀が映り見づらいですが、嵌め込まれた顕彰碑文の上部に歌が刻まれています。
ゆきの原雪をしとねのゆきまくら
雪をくらひつゆきになやめる

雪山道人河口慧海西蔵旅行歌碑 」が平成25年(2013)6月に建立されています。

河口慧海(1866~1945) が仏典を求めてチベットを探査したという程度は何かで読み知っていたのですが、 黄檗宗僧侶だった ということは、この歌碑の碑文から初めて知った次第です。
「黄檗版大蔵経を読み漢訳の不備を感じ、サンスクリット語原典と、漢訳より忠実なチベット語訳の仏典を求め、ネパール・チベットへ入国し、大量の仏典・仏像・仏画・植物標本・民族資料などを蒐集請来した。帰国後、チベット・ネパール・インドの宗教・社会・歴史・地理等を紹介し、仏典を邦訳し、啓蒙書を著述し、 日本のチベット学の基礎を作った (碑文を一部転記) のです。
チベット旅行は明治30年より大正4年かけて二度亘り、足かけ19年におよんだ (転記) そうです。
河口慧海は 日本最初のヒマラヤ踏破者 になりました。(資料1)
月台の傍にある2本のヒマラヤ杉 は、慧海の帰朝(大正4年)と隠元禅師250年大遠諱(大正6年)を記念して植樹されたものだそうです。当初は月台上に左右一対として植えられ、後に下に移植されました。 (碑文、資料1)

文華殿前から三門に戻ります。
三門を出て放生池前から南の方角を探訪 してみました。

真っ直ぐに進むと、築地塀に挟まれた通路があり、その 南端に総門と同じ形式の門 が見えます。


「天真院」と記された扁額 が掲げてあります。 黄檗宗の塔頭の一つ です。
門前に、天真院の「客殿・経蔵・表門(江戸時代)」が京都府指定文化財に登録されているという京都府教育委員会の掲示板が設置してあります。

天真院は、延宝7年(1679)に 了翁道覚禅師を開基として 建立されています。 (資料1)
了翁道覚(1630~1707)は、弟5代高泉禅師を師と仰ぎ、法統は仏国派の僧侶で現在の秋田県出身の人です。 (資料2)

まとめていて一つ気づいたことがあります。塔頭を通常「 たっちゅう 」と発音しています。手許の辞書も「たっちゅう」で載っていますが、黄檗山で購入した小冊子には「 たっとう 」とルビが振ってあります。辞書を再読しますと、「ちゅう」は「頭」の唐音だと付記されています。
隠元禅師は明時代の中国文化を導入されたので、漢字の発音も異なるということなのでしょう。


ここは拝観できない塔頭でした。門前から 境内の景色 を撮りました。
ここの参道の石敷 もまた趣の違うもので、おもしろい。


(まから) と鬼瓦​


天真院へは両側が築地塀の通路を進むのですが、 東側築地塀の北端寄りにこんな門 があります。

門をくぐると、 左斜め先に三門 が見えます。 「銀杏庵」 と表示が出ています。
すぐ右に転じて歩むと、

京都国立博物館の東の庭で見る事ができる石像と同種の像 「石人」 が出迎えてくれました。

砂利敷きの庭の先に 暖簾のかかった建物 が見えます。赤い毛氈のかけられた床几も置かれています。景色を眺めて、引き返しました。

調べてみると、ここも 普茶料理のお店 でした。「黄檗山萬福寺伝統の四季折々の宇治の里の野菜を使った精進料理」 (資料3) と記されています。「中国風の境内でゆっくりと・・・・」と説明されています。
総門を入り、三門までの区域の南端にありますので、もとは塔頭だったところかと推測します。

今度は逆に、 再び三門前を通り過ぎ 、総門を左に眺めつつ参道を横切って、 北に向かって みました。
 こちらも両側が築地塀。
左の角に 「黄檗二代木庵老和尚塔所」と刻された石標 が立っています。

門の手前に木標と鬼板 があります。褪色して文字が読みづらくなっています。
後で写真を観察すると「 京都府指定文化財 萬寿院表門 」と記されています。観光行政を考えるなら、こういう表示は定期的にリニューアルしてほしいですね。

こちらも 総門と同じ形式の表門 です。

表門の屋根の摩伽羅 が見やすいです。対で撮ってみました。

(2016.4.10 撮影)
こちらは 大阪城 を探訪した時に撮った 天守閣の屋根に置かれた鯱 (しゃちほこ) です。
対比的に見ると興味深いです。

降棟の先端は 鬼板 で、文字が陽刻されています。「万寿院」の 壽(寿)という文字 を図案化してあるのでしょうか。 傍に獅子の飾り瓦 が置かれています。これも桃の実と同様に魔除けの機能を担っているのでしょう。

向かって左側に置かれている獅子の飾り瓦。


表門の両側の柱には聯 が掛けてあります。内容は判読できません。
残念なことに額を取り忘れました。たぶん、塔頭名の万寿院と記されているのでしょう。

正面に玄関口が見え 西側にお堂 が見えます。東側に庫裡が配置されているようです。

万寿院は第2代木庵禅師を開基として 延宝3年(1675)に建立されました。
ところが調べてみますと、満寿院の南西側に位置する 紫雲院 もまた木庵禅師を開基として、万寿院より1年早く、延宝2年(1674)に建立されていると説明があります。 (資料1)

そうすると、築地塀の角に立つ石標に記された「木庵老和尚塔所」はいずれなのでしょう。
塔頭は「高僧の墓所に建てられた塔、あるいはそれを守る小庵」「祖師の塔所の域内に建てられた子院をいう」 (資料4) とのことです。
塔所が墓のある場所と考えるなら、墓はどちらの塔頭にあるのでしょうか。
調べてみた範囲では、 木庵禅師は法系としては「万寿派」 と考えられています。 塔頭万寿院が塔所 だそうです。 (資料5)
角に石標が立ち、その道を直進すれば、満寿院の表門ですからやはりそうでしょうね。


境内には入れそうでしたので、 内側から表門を 拝見。
総門とはことなり、裏面に円相は象られていないようです。

門の構造が分かりやすくて参考になります。

満寿院も表門の近くを拝見しただけで、萬福寺境内と直近の場所の探訪を終えました。

萬福寺の北西側に位置する塔頭も序でにいくつか訪れてみました。

つづく

参照資料
1)『最新版フォトガイドマンプクジ』 萬福寺発行 萬福寺売店にて購入した小冊子
2) ​ 了翁道覚 黄檗宗僧侶名鑑 ​  黄檗宗資料集 :「黄檗宗・慧日山永明寺」
3) ​ 銀杏庵 ​ ホームページ
4)『岩波仏教辞典 第二版』 中村・福永・田村・今野・末木[編集] 岩波書店
5) ​ 木庵性瑫  黄檗宗僧侶名鑑 ​  黄檗宗資料集 :「黄檗宗・慧日山永明寺」

補遺
黄檗宗大本山 萬福寺 ​ ホームページ

黄檗山萬福寺文華殿 ​  :「京都府ミュージアムフォーラム」
黄檗山萬福寺第二文華殿 ​ :「TAKENAKA」(竹中工務店)
塔頭 ​  :「コトバンク」
木祖忌 ​  :「萬福寺」
隠元・木庵・即非像 ​ いんげん・もくあん・そくひぞう  :「文化遺産オンライン」
【県指定】紙本著色木庵画像 1幅 ​  :「北九州市」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -14 北西周辺の塔頭(萬松院・龍興院・宝蔵院・宝善院)へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
一覧表  宇治(探訪・観照)一覧

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Last updated  2022.01.23 11:29:39
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Re:スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -13 文華殿と塔頭(天真院・万寿院)(01/19)  
Jobim さん
今年が隠元禅師の350年大遠諱ですか、意外と新しいんですね
日本の多くの宗派は鎌倉時代やその前からありますから

河口慧海の話は小学校(あるいは中学校か?)の教科書で読んだ記憶があります
禁を犯してチベットに入国し、言葉も習得して現地人のように振舞っていたんですね
唐の玄奘三蔵も国の許可が下りないままに密出国したそうですが、みなさん命がけだったんですね

(2022.01.19 21:28:01)

Re[1]:スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -13 文華殿と塔頭(天真院・万寿院)(01/19)  
Jobimさんへ

玄奘三蔵、河口慧海、その意気込みと情熱がすごいですね。
そして、その目的が成就されたということも・・・・。

そうですね。宗派としては相対的に新しいことになりますね。
仏教の日本的変容の中で、やはり新風を吹き込んだのでしょうね。 (2022.01.19 23:14:28)

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