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3月19日(土)国内のSARS-Cov-2の新規感染者数は一進一退の状況。感染者数が急増した時は、棒グラフが崖のように立ち上がりましたが、減少に転じた後はなだらかな下降線です。第5波までは、所謂、正規分布のような曲線でしたが、今回は山の高さも形も相当異なる様相。 そのような中、日本政府は22日以降のまん延防止等重点措置の全面解除を正式決定した模様。飲食業、観光業など一切の制限を掛けず、本来の経済活動を正常化するとのことです。COVID-19に対する知見は蓄えられ、ワクチン接種が進んで、COVID-19も過度に恐れる必要のない疾病になったということなのでしょうか。しかしながら、マスク着用、手洗い、3密回避等の基本的な感染対策は未だ必須です。昨日の全国の新規感染者数は5万人前後。第5波までの最高値をゆうに超えているのですから、未だに要警戒は間違いないですな。お隣の韓国は1日40万人だって。 世界の2割を占めるそう。悪い処は真似しないように気を付けましょう。ところで現在、COVID-19以上の関心事はウクライナの状況。停戦合意は近いともされますが、ロシアの攻撃は軍人同士の戦闘に留まらず、一般の住居や学校、病院等、民間の重要インフラも、ロシア軍の砲撃を受けているようです。避難所までもが。 それに伴い、夫人や子供も含め一般人が攻撃の標的となり、多数の犠牲者が出ているとのこと。 映像を見ると声を失ってしまいます。 ロシア・プーチンの真の狙いは何なのでしょうか。抗うことができない自然災害による犠牲とは全く次元が異なる惨劇に、人の存在とは一体何なのか、何故歴史は繰り返されるのか、深く考えさせられます。今日の日記のお題は「チバニアン」を示す地層のこと。令和2年1月、今から約2年前に世界的に話題になった事柄に係るお話です。ところで、「チバニアン」とは特定の場所の名称ではなく、長~い地球の歴史の中のある時代を指し示す言葉だったのです。これ勘違いし易いポイント。 「チバニアン」とはラテン語で「千葉の時代」。地球の歴史は、繁栄していた生物や気候、また地球の磁場の様子などに基づいてざっくりと分けられています。恐竜が全盛期であったジュラ紀や白亜紀などは、嘗て図鑑などで見た覚えがあるのではないでしょうか。この名称は、国際学会によりそれぞれの時代の特徴的な地層が選ばれ、その地層が存在する地域に因んだ名前が付けられてきました。例えば、ジュラ紀はフランス・スイス国境のジュラ山脈。白亜紀は欧州の地層によく見られるチョーク、ラテン語ではCreta:クレタ、日本語で白亜とされるものに由来します。しかし、まだ名前が決まっていない時代も幾つかありました。その一つが約77万年前から12万9千年前の間(新生代第四紀更新世中期)。この当時は氷河期と間氷期が繰り返された時代。マンモスなどの大型ほ乳類が生息し、旧人のネアンデルタール人から現人類ホモ・サピエンスへと移行した時代。その地層年代の名称が「チバニアン」なのですよ。そしてその時代を最も良く表す地層(GSSP:国際境界模式層断面とポイント)がここ。親爺も少々誤解していました。千葉県市原市のある場所の地名だと思っておりましたよ。といいましても、「チバニアン」の名称の元となったこの場所は、世界でも僅か3か所しか発見されていない稀有な場所なのです。で、ここは何処かといいますと、千葉県市原市加茂地区田淵の養老川沿い。今年のディスカバー千葉の旅の途中でちょこっと立ち寄ったのです。因みに前回の日記の「とある渓谷」とは、近くにある養老渓谷でした。では、世界で3か所しか発見されていないこの地層の特徴とは何でしょうか。地球は大きな磁石のようなもので、現在は北極部がS極、南極部がN極ですね。そして「チバニアン」ではこの地磁気が逆転していた時代なのです。この証拠を確認できる地層が、養老川が浸食して現れたこの地の地層ということ。GSSPは世界で74か所、日本では初めての認定です。斜面上の一番左側の杭の並びに注目。上から緑色、黄色、赤色と杭が打たれていますが、赤色の杭の部分が地磁気逆転の証拠を残している鉄鉱石を含むところなのだそうです。赤色の杭と黄色の杭の間から右上に向かって白い筋が伸びています。これは約77万年前の御嶽山の噴火によって降った火山灰が積もったもの。従ってこれより下は約77万年より前の地層だということが分かります。緑色の杭の部分は現代と同じ地磁気の時代。黄色の杭の部分は赤色と緑色の移行期。 地磁気の方向が曖昧なのだそうです。因みに、この「チバニアン」が地磁気逆転の最後の時代だそうです。比較的最近豪雨の被害を受けているようで、現場は少々荒れていました。左端の階段部分は立ち入り禁止となっていて、肝心な部分を近くで観ることは不可能。少しばかり残念です。市原市が設置した「チバニアン」の解説の看板が複数ありましたが・・・。はっきり言いまして、一見さんが全体像を理解するのはちょっと難しいとの印象。現在は国の天然記念物に指定されています。近くの養老温泉のお宿に宿泊しましたが、玄関前に設置された池泉にはきれいな錦鯉が多数放たれていました。とても人慣れしていて、口をパクパクして挨拶してくれます。上から水が流れ込んでいるのですが、このように流れ込みに向かって頭を並べている一群も。鯉のぼりのようでとても可愛らしく・・・。「チバニアン」、予習無しで向かうと理解が困難ですが、地球の歴史の概略をざっと学術的に理解するには最適ポイントかも。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2022.03.19
2月11日(金)現在、北京冬季オリンピックが開催中。米中の対立、台湾海峡問題など、日本に直接影響を及ぼす国際問題を抱えたまま。その上、ロシアがウクライナへの進攻をうかがうもきな臭い国際情勢。おまけに北朝鮮は日本海に向けてミサイルを撃ちまくって始末。オリンピックは平和の祭典といわれ、その理念は政治とは無縁のはず。少なくともオリンピック開催期間中は大きな騒ぎにならないことを祈りましょう。さて、オリンピックの中継番組を見ていて、北京市内の風景が一瞬映ったのですが・・・。場所は景山公園と故宮博物館のどちらをも臨む処。今から30年ほど前に、仕事で北京を訪れたことがありまして、一瞬懐かしい思い出に浸りました。オフタイムには故宮博物館や万里の長城、明の十三陵を見学。そして、人民大会堂(全国人民代表会議の議場)での晩餐会にもお招きいただきました。ホテルは日本のニューオータニ系の長富宮飯店。今思えば、国賓級の御一行様の端っこに運よく加えていただいたというところです。当時の北京はまさにこれから近代化に向かう準備段階。民主化を求めた天安門事件から数年後のことです。片や日本はバブル経済が弾けたとはいえ、まだ高度成長時代の残滓が色濃く残り、イケイケであった時代です。当時若造の自分がこのような形で北京を訪問できたのも、我が国が世界第二位の経済規模を維持していて、国力が盛んであったおかげと思います。さて、天安門広場を貫く長安街は片道5車線の大通りですが、自動車より自転車やオートバイの数が圧倒的に多いことに驚いたものです。また、何よりも人民大会堂や天安門等、市内の主要な建造物のスケールがばかでかいと感じられました。たかだか30年程度の時間が流れただけですが、中国の発展と大国化には目を見張るといいますか、本当に隔世の感を覚えますね。何故なんでしょう2008年の夏季オリンピック当時は全く感じなかったのですが・・・。今回は突然懐かしい郷愁のようなものが込み上げてきました。歳を重ねてしまったということなのでしょうか。それとも余りにも中国が変わってしまったからなのでしょうか。今日の日記はアクアマリンふくしまの続き。お魚水槽にスポットを当てます。下は人気のチンアナゴ。 ガーデンイールです。水槽の中に人が立っているよう。アクアマリンふくしまの大水槽の特徴です。大水槽の上部を外側からも観ることができるのです。逆に外にいる人を中から透けて見ることができるのですよ。上の方に固まって見えるものはマイワシの群泳です。多くの水族館で人気のアカエイ。 ニコチャンマークのようなお顔でキュートです。ところで、今回のオリンピックは疑惑の判定やら続出していますね。スキージャンプの男女混合団体戦のスーツ規定違反や、スケートショートトラック、スノーボードの失格等々、なんでやねん!という声が多いこと。開催国が中国、そのようなことを連想させてしまうのですが、現在の世界情勢も反映されているような気がするのは考え過ぎでしょうか。身近なところでは米中の争いに象徴されるナショナリズムの台頭。イギリスのEC脱退(Brexit)も象徴的な出来事。 中国による香港への対応もそう。そして現在は、ロシアのウクライナへの進攻も窺われる状況。要するにローカルの利益を最大化する行為(利己)が堂々と主張される雰囲気。半年前の東京オリンピックでは感じられなかったことです。そうはいっても、ほとんどの競技では公正で透明なルールとフェアな精神のもとに進行していますから、新たな感動が産まれていますね。 人の限界を追求する、これには心が動きます。カツオの小さな群れ。不詳の生物。マトウダイ。 体の側面に的のような模様があるから。正面から見ると思いっきり薄っぺらいです。ヌマガレイ。ヒレの模様がおしゃれですね。ところで「左ヒラメの右カレイ」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。ヒラメもカレイも平ぺったい体。 一見よく似ていますが、眼の向きがちょっと異なります。ヒラメの眼は左向き。 カレイの眼は右向き。 でもヌマガレイは少し例外。日本のヌマガレイはほとんどが左向き。 つまりほとんどが奇形なのだそうです。お名前に「ヌマ」とあるように汽水域や淡水にも生息可能。否、むしろ淡水に生息する時間の方が長いのかもしれませんな。キハダマグロとカツオのシンクロ。昨日の朝から夜にかけて、関東地方では降雪時間が続きました。幸い、我が家の周辺では夕方まで雨で、2~3cm程度の積雪で済みました。早朝に道路の雪を退かしましたが、それでも水分を大量に含んだ雪でやたら重かったですね。明後日から明々後日にかけて再び降雪の予報が出ています。積雪に慣れていないだけに、あまり酷い状況にならないことを祈っています。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2022.02.11
2月3日(木)今日は節分。 明日からは暦の上で冬を抜け出しますが、まだまだ気温が低く寒い日が続くようです。週末には一段と強烈な寒波が押し寄せてくるすから、皆様方におかれましても、くれぐれも御自愛なされますように。さて、日本全国のSARS-Cov-2の一日あたりの新規感染者数が、早晩10万人を超えようとしています。 昨日時点ではイタリアを超えていましたし、スペインやイギリスと肩を並べかけるほどの勢い。 こんな日が来るとは想像も付かず。そのような中、新たにみなし陽性者という新たな概念が出てきましたね。何だろうと思い調べてみると・・・。「感染者の濃厚接触者となった同居家族に発熱などの症状がある場合、検査をせずに医師の判断で感染者とみなすことができる仕組み」、なのだそうです。急激な患者数の増加により先月末あたりから、検査キットや試薬までもが品不足との状況であったそうですから、検査無しでも認定するという、このような措置も致し方無しなのでしょうか。類似の症状を示すインフルエンザが全く流行っていないこともありますし。どうも、発熱症状を訴える患者さんのほとんどがSARS-Cov-2の感染者だそうで。このような現状に鑑みると、なるほどと思われるのであります。一部の方々には、オミクロン株は重症化しにくいから心配無用、との緩い認識も芽生え始めているようですが、感染拡大は社会活動の制限に繋がっています。何はともあれ、未だピークアウトの兆しは明確ではありません。これだけ感染者数が爆発すると、検査も診療もパンクするのは自明の理。個々人ができることとして、まだしばらくは、感染しない、濃厚接触者にならない、ということに最大限気を配るに尽きるのでしょうね。そのようなことから、新年明けてからはほとんど家に籠りっぱなし。従って気になる処はおろか、家の周りの様子も余り分かっていない状態です。ロシアのウクライナ進攻問題も気がかりなところ。ウクライナは遥かに遠い国ですが、日本にとってもエネルギーなど経済に与える影響は大。また、中国・台湾問題にも波及しかねず、その動向、帰趨には心配が増すばかりです。今日の日記は「アクアマリンふくしま」のことですが、昨年末に見学したことの焼き直し。 出歩いていないので悪しからず・・・。2011年、あの東日本大震災の津波で、全館停電により多くのお魚が死滅するなど、壊滅的な大打撃を被ったのですが、僅か4か月後には再開するといった、驚異的な復興力を見せたのですよ。この前年の4月、いわき市を訪れ震災前の「アクアマリンふくしま」を見学しましたから、久し振りの訪問となり大変懐かしい思いを抱きながら展示を見て回りました。「アクアマリンふくしま」の目玉である大水槽は健在でしたし、大水槽の表層を泳ぎ回るマイワシの大群も、依然と変わらず真近で見られました。マイワシといえば、マサバとマアジ。こちらはこじんまりとした水槽でゆったりと泳いでいました。 コノシロ(コハダ)も一緒。そんなこんなを見学しながら通路を進むと・・・。クチバシが赤い見慣れない鳥がいました。 これエトピリカじゃないと少し興奮。今では日本国内ではほとんど見られなくなった幻の鳥。かつて、北海道では霧多布岬などで多数が繁殖していたということですが。今でも千島列島では普通に繁殖しているそうですから絶滅したものではないようです。残念ながら日本近海の環境変化によるものなのでしょう。エトピリカ村の片岡村長さんのお話では、冬に越冬しに来るカモ類など、その他の海鳥の姿も激減しているとのこと。温暖化の影響なのでしょうか。 残念なことです。こちらは同じ水槽にいたウミガラス。 なかなか可愛いお顔です。エトピリカよりは姿を見る機会は多いようですが、やはり日本ではほとんど繁殖しなくなってしまったそうです。エトピリカもウミガラスも冬羽です。夏羽のエトピリカはもっと派手ないでたちで、まるで歌舞伎役者のようなのだとか。写真で見ると確かに言い得て妙です。眼瞼輪かアイリングか分かりませんが虹彩の周りは赤く縁どられ、目の後方上部から白黄色の長い飾り羽がでます。 くちばしもより鮮やかなオレンジ色となり黄色い模様も目立ちます。冬羽の子の姿とは全く異なる種のようですよ。なかなか愛嬌のあるお顔。横から見るとクチバシは大きく見えますが、実はとても薄くて平たい形状なのですね。ツノメドリという種も似たような風貌ですがここにはいませんでした。この水槽非常に水深があったのですがその理由はすぐに分かりました。エトピリカもウミガラスも潜るのが大の得意。翼を羽ばたき、水中を飛ぶように泳いでいました。普段から水中に潜って小魚を捕らえ食しているのですね。盛んに潜ってその姿を見せてくれました。一番きれいに写った写真。さて北海道を中心に冬に渡ってくる海鳥には、ウミ○○という野鳥が多いのですよ。この子はウミガラスですが、ウミスズメ、ウミオウムとかも。その他、ケイマフリやウトウも同じ仲間。 みんな海に潜るのが得意です。翼以外は何処となくペンギンさんみたい。 空飛ぶペンギンなんてね。ウミスズメは、折り合い良ければ銚子や飯岡といった千葉県の漁港でも見られます。可愛くて人気あります。この子たちを観ていたら、また北海道に行きたくなってきました。真冬の北海道を訪問する勇気は今のところありませんが・・・。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2022.02.03
12月14日(火)10日夜、米国の西南部を広範囲に襲った竜巻。何とも大陸らしく大規模なものであったようですが、日本に例えると東京から仙台にかけてやられてしまったほどの規模。改めて被害状況を見るとぞっとします。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害に合われた多くの方々に衷心よりお見舞い申し上げます。100年以上前に出版されたアメリカの著名な童話、「オズの魔法使い」は、主人公のドロシーが家ごと竜巻に巻き込まれ、不思議の国に飛ばされたお話です。描かれた場所はカンザス州ですが、カンザス、テキサス、オクラホマといった中南部の州は、昔から竜巻の頻発地区として知られていますね。 竜巻街道(Tornado Alley)なる言葉もあるそうで、一般的にはロッキー山脈とアパラチア山脈に挟まれた地域を指します。ロッキー山脈に沿って北から降りてきた冷たい空気と、アパラチア山脈に沿って南から這い上がってきた暖かい空気がこの地域でぶつかり、スーパーセルと呼ばれる竜巻の親分が発生しやすい特質があるそうです。発生する時期は概ね3月~5月の春。ところが、今回の大規模災害が発生した場所は、ずっと西側のケンタッキーやイリノイ、テネシーといった各州。季節は言わずもがなの初冬。この季節としては異常なほど気温が高かったようです。テネシー州メンフィスでは、12月10日の最高気温を103年ぶりに更新する約26度を記録したそう。米中部を中心に各地で12月としては記録的な暖かさとなっていたとのこと。場所も季節も全くの想定外。超巨大台風が初夏に北海道を襲ったようなものですからね。そして時刻は夜。 それ故、被害も拡大してしまったのでしょう。これも気候変動がもたらしたものなのでしょうか。日記は鎌倉の続き。 何故、鎌倉に寄ったかは以下の通り。お墓参りの後、藤沢の「そば酒房 陽ざ志」さんに寄ることにしていたのですが。店主の渡邊充寛さんのFBを覗いたところ、高校時代からのお友達が沖縄に渡り紅型作家をされていて、鎌倉の浄智寺で個展をされていて、個展に行ってきましたとありましたので、奥様と親父も寄り道して覗いてみようということになったわけです。我が家の奥様、着付けの先生の免状を持っていて、提案したら二つ返事で「行こう、行こう」と相成ったのであります。会場は鎌倉五山の第四位である浄智寺。未訪問のお山ですから、こちらも興味津々であります。平日のことですから道も空いていて、渋滞もなく順調に到着しました。来年のNHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」でしたなぁ。主人公は二代執権・北条義時。浄智寺の創建は1283年ですから、義時の時代よりはかなり下りますが・・・。五代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、宗政の子・北条師時、宗政の妻と兄・北条時宗により建てられたされています。北条時宗は八代執権。 二度も元寇を退けた英雄として名高い執権です。そういえば、2001年のNHK大河ドラマは「北条時宗」でした。そのようなことを思い出しながら散策します。近くにある鎌倉五山第一位の建長寺と第二位の円覚寺の大伽藍とは異なり、山の斜面を利用したこじんまりとした境内。 お山の自然に包まれて幽玄を感じます。さて、訪れた目的は浄智寺そのものではなくこちらの催し。苔や山野草に包まれた坂道を上り辿り着いた会場の中。びんがた(紅型)工房「あしび」の主宰、阿部遼さんの個展です。「びんがた」とは沖縄固有の染色技術。工房は沖縄県の糸満市にあります。 ご実家は藤沢市でご両親もお手伝いされていました。とても目の保養になりましたよ。 家の奥様は何やら小物を買い込んでいました。夜は藤沢まで移動し、「そば酒房 陽ざ志」さんで夕餉をいただきました。ほぼ2年振りの訪問。 短いようで長い2年でしたね。 程なく店主のお父上もいらして、ご一緒にお酒を堪能させていただきました。海老名市の泉橋酒造のお酒。 久しぶりにいただきました。こちらは信州上田市の亀齢。先だっての旅行では失念していて飲みそびれました。秋田の銘酒、新政酒造の「No.6 S-Type」。懐かしのリボンオレンジと一緒に、「ハイポーズ」。山形県寒河江市にある月山酒造の銀嶺月山 大わらび棚田。大わらびの棚田とは、山形県山辺町にある棚田(千枚田)のことです。日本の棚田100選の一つに名を連ねています。新しいお蕎麦のメニュー。 「絶品!! 肉みそまぜそば」。「スパイシーカレー南蛮」も美味しそう。 否美味しいに違いない。次回訪問の際にはいただくことにいたしましょう。たいへんご馳走様でした。帰りには正月用のおつまみセットを予約しました。12月31日のお渡し。 また藤沢に行く用ができました。 しかし、お店は営業しません。 残念。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.12.14
12月1日(水)早いもので今年も残り一月となりましたが・・・。ほぼ2年に及ぶ SARS-Cov-2 と人類との戦いは、終戦を迎えるどころか、オミクロン株の出現で混迷の度合いを深めています。現存のm-RNAや抗体カクテル薬の有効性は、大きく損なわれる可能性が在るとの報道がこのところ続いています。その一方で、オミクロン株に感染した患者の重症化例は、南アでも今のところ比較的少ないようだと報告されているようですね。これが、オミクロン株の弱毒性によるものなのか、昨年から世界中で進められたワクチン接種の効果なのかは、何も分かってはいませんが。今夏、日本でも第5波をもたらしたデルタ株との戦いは、日本以外の多くの国ではいまだに続いている中、帰趨は何処へ向かうのか不透明です。今日になって、オミクロン株の故郷は南アなどのアフリカ南部ではなく、先月には既にオランダやイギリスといった欧州で市中感染が発生していたかもしれない、という新たなお話も出てきたようです。 何れにせよ今のポイントは毒性の強弱。先週金曜日から2日間動揺した金融市場も、日経平均株価は今日の午後から、やっとのことやや安定してきたようです。兎に角今現在では分からないことだらけです。2週間ほど経てば、様々な情報が整理されるでしょうから、取り敢えずは右往左往せず、感染対策を行いつつ冷静に行動するに尽きるのでしょう。日記は飛騨・信州の最後。 帰り際に寄った上田城です。戦国時代には真田氏の居城であったことで有名。 更に徳川軍を迎え撃つこと2度。寡勢の真田勢が2度とも見事にまでに完勝したことでも有名ですね。城主は真田昌幸、一度目は1585年のこと。 この合戦は知略謀略を駆使したとされます。支城の砥石城に配置した長男の信幸と連携し、完膚なきまでに攻城軍の徳川勢を打ち負かしたとして伝えられています。二度目は、関ヶ原の戦いに向かう徳川秀忠(二代将軍)をい足止めし、天下分け目の戦いに遅参させたということで、もしも西軍が勝利していたならば、歴史上非常に重要な合戦になるところでした。因みに次男がひと際有名な幸村(信繁)。 当時は人質として上杉謙信の元にいたようです。二の丸の東虎口。 城址公園にはここから入ります。前方に進むと本丸方面です。今は真っ平らに整備されていますが、敵の侵入を防ぐため、往時は石垣やら堀やら様々な障害が設けられていたことでしょう。右に進むと博物館がありました。本丸の東虎口の櫓門。 平成5年の復元。この櫓門を挟んで南北に櫓が建っています。本丸には8棟の櫓が建っていたと伝えられます。これらの櫓は、明治政府の城郭破却の方針により、1875年(明治8年)に民間に払い下げられ上田遊郭に移築。さらに1941年(昭和16年)には、東京の料亭に転売されてしまいましたが、その後上田城址保存会が結成され、2棟の櫓を買い戻され、1949年(昭和24年)に現在地に復元されました。その2棟が南櫓・北櫓と名付けられ、上田城跡のシンボルとなっています。南櫓です。復元された櫓や天守閣は、鉄筋コンクリート造りが多いのですが、この櫓は間違いなく木造。 内部を見学させていただきましたが、梁や柱がむき出しでした。櫓門を支える石垣に、際立って巨大な石が嵌められています。真田石と呼ばれているのだとか。櫓門を潜って本丸側から見た櫓門と南櫓。南櫓から見た上田市内。櫓門から二の丸の東虎口方面を見ます。弓狭間から外を見るとこんな感じ。この小窓から攻めてきた敵方を攻撃するのです。これは本丸の西虎口にある西楼門。この楼門だけは破却されず、建築当初のままに残されている唯一の建物。但し真田氏時代のものではなく、江戸時代初期に城主となった仙谷氏が建てたものだそうです。もう一度、下から見上げた西櫓。 トップの写真と同じ建物です。写真では分かり難いのですが、この壁面はかなりの高さがあります。上田城がお城として機能していた当時、石垣の下は尼が淵という千曲川の支流が流れていたそうです。この石垣は河岸段丘の崖を利用していたわけです。尼が淵は天然の要害としてる利用されていたのですが、千曲川の増水の際はこの崖を削ってしまい、櫓倒壊の危険が生じたそうです。そのような事情もあり、この石垣は洪水の被害を軽減するために築かれたんだって。他のお城とは、少々事情が異なるのかもしれません。上田城は真田昌幸の時代から江戸時代末期までほとんど城郭が変わっていないそうです。最初から完成度が高いお城であったことが窺えます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.12.01
11月29日(月)日本では、SARS-CoV-2の昨日の全国の新規感染者は僅か100人強程度。11月の中旬以降は、幾らかの増減はあるものの毎日この程度の数字が続いています。ところがアメリカや、ドイツ、イギリス、フランス等欧州、また隣国の韓国では、11月に入ってから再び新規感染者が急増してきています。このギャップに関して何ら科学的な証明が未だ無く、COVID-19はこれで終わりと手放しで喜べない、いわば騙し騙しの状況なのですが。しかし多くの日本人はすっかり気を許し、休日ともなれば、京都市など有名観光地には人が押しかけている様子がnewsで話題になっています。そのような中、SARS-Cov-2の新たな変異株が11月12日に南アで特定され、爆発的な感染状況と過去にない特異的な変異から世界が震撼する状況となっています。何でも表面のスパイクたんぱく質に30以上もの変異が確認され、これまで以上に感染力が強く、ワクチンが効き難いという可能性が示唆されています。WHOはこの「B.1.1.529」と呼ばれる同変異株に、ギリシャ文字の15番目のΟ(オミクロン)を割り当て「懸念される変異株」に指定。多くの国に散らばり感染者の急増につながれば、いや、既に各国で確認されていて散らばっている可能性もありますが・・・。仮にそうだとすると、再び医療システムが圧迫されるばかりではなく、経済活動の急停止や人や物の移動の停滞を惹起すると危惧されるところです。また2年前に逆戻りか思うと、うんざりさせられますがね。26日の金曜日には、日本を始め世界中の金融市場でリスクオフの動きが強まり、株価指数急落、債券価格急騰、長期金利急落、円高、原油相場急落と波乱の1日でした。このところ金融市場は膠着状態であっただけに、変化を求めて仕掛けた輩がいたのでしょうが、素人目には少し狼狽しすぎの感もありあり。さてさて、この「B.1.1.529」は一体何者なのか、現在分かっていることがほとんどない中、逆に恐怖心が掻き立てられたのかも。ファイザー社やモデルナ社などは、既存のワクチンが有効かどうか確認中とのことです。仮に有効性が低いとしても、最先端のm-RNAは再設計にかかる時間が1か月強、3か月余りで供給開始が可能となるとのお話も聞こえてくるところです。2年前の未知との遭遇とは異なり、過度に恐れるのではなく、これまでの知見を活かして、まずは公衆衛生の徹底が求められるところでしょうか。更に、新たな武器である治療薬も開発間近の昨今、SARS-Cov-2との戦いは新たなステージに入るのか、暫くは目が離せないところです。日記はまだまだ飛騨・信州の旅の続き。2泊目のお宿のことです。 上田市から松本市方面に向かった青木村の田沢温泉。文豪 島崎藤村ゆかりのお宿とのこと。まだ無名の若き藤村がここに宿泊し執筆したそうです。 頃は1901年(明治34年)8月。お宿の前は緩い坂道ですが、上方のお隣には田沢温泉の共同浴場。 有乳湯(うちゆ)とされています。不思議なことに、お宿の前の道は一晩中車の往来がありました。google map で確認しましたが、この先は行き止まりのどん詰まり。奥様とおかしな道だと話していたのですが、翌朝、大女将さんと話して解明しました。多くの方が車をとばしてこの有乳湯まで湯浴みに来るのだそうです。 一晩中。日中は込むので、空いている夜間に来る人が多いようです。実際、朝早く行かれた方のお話では、ものすごく込んでいて入るのを止めたとか。近在の方々が出勤前に一風呂浴びて行くのだそうですよ。 羨ましいお話です。有乳湯からお宿方面を見たところ。明治時代にタイムスリップしたよう。 下から誰かが馬車で登ってきそうですね。お宿の前を通り過ぎて今度は下から有乳湯方面を見ます。土蔵の手前の建物が島崎藤村ゆかりのお部屋がある建物。 3階です。土蔵とこの建物がお宿で最古の建物だそう。このお宿そのものは国の登録有形文化財とのこと。 歴史を感じます。藤村が泊まっていたのは120年ほど前。ですが、お部屋の中は調度品まで当時のそのまんま、だそうです。確たる証拠は見出していませんが、詩から散文へと作品が移行する過程に書かれた、「千曲川のスケッチ」を執筆していたのではないかと想像されるところです。「千曲川のスケッチ」には、このお宿が実名で出てきます。一番左側の建物の最上階が、藤村がお泊りになったお部屋。この下のお部屋に泊まらせて頂きました。因みに、長くなりますが「千曲川のスケッチ」の一節をご紹介。その五 山の温泉夕立ともつかず、時雨ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない。最早初茸を箱に入れて、木の葉のついた樺色なやつや、緑青がかったやつなぞを近在の老婆達が売りに来る。一月ばかり前に、私は田沢温泉という方へ出掛けて行って来た。あの話を君にするのを忘れた。温泉地にも種々あるが、山の温泉は別種の趣がある。上田町に近い別所温泉なぞは開けた方で、随って種々の便利も具そなわっている。しかし山国らしい温泉の感じは、反って不便な田沢、霊泉寺などに多く味われる。あの辺にも相応な温泉宿は無いではないが、なにしろ土地の者が味噌や米を携えて労苦を忘れに行くという場所だ。自炊する浴客が多い。宿では部屋だけでも貸す。それに部屋付の竃が具えてある。浴客は下駄穿のまま庭から直に楼梯を上って、楼上の部屋へ通うことも出来る。この土足で昇降の出来るように作られた建物を見ると、山深いところにある温泉宿の気がする。鹿沢温泉(山の湯)と来たら、それこそ野趣に富んでいるという話だ。半ば緑葉に包まれ、半ば赤い崖に成った山脈に添うて、千曲川の激流を左に望みながら、私は汽車で上田まで乗った。上田橋―赤く塗った鉄橋―あれを渡る時は、大河らしい千曲川の水を眼下に眺ながめて行った。私は上田附近の平地にある幾多の村落の間を歩いて通った。あの辺はいかにも田舎道らしい気のするところだ。途中に樹蔭もある。腰掛けて休む粗末な茶屋もある。青木村というところで、いかに農夫達が労苦するかを見た。彼等の背中に木の葉を挿さして、それを僅かの日除としながら、田の草を取って働いていた。私なぞは洋傘でもなければ歩かれない程の熱い日ざかりに。この農村を通り抜けると、すこし白く濁った川に随いて、谷深く坂道を上るように成る。川の色を見ただけでも、湯場に近づいたことを知る。そのうちに、こんな看板の掛けてあるところへ出た。 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 湯 ┃ ┃ 〼 み や ば ら ┃ ┃ 本 ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━┛升屋というは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞える楼上で、私達の学校の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。十九夜の月の光がこの谷間に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞えた。「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」理屈ッぽい人達の言いそうな言葉だ。翌日は朝霧の籠った谿谷に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具の銀笛を吹いた。そこは保福寺峠と地蔵峠とに挟まれた谷間だ。二十日の月はその晩も遅くなって上った。水の流が枕に響いて眠られないので、一旦寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味った。高い欄に倚凭って聞くと、さまざまの虫の声が水音と一緒に成って、この谷間に満ちていた。その他暗い沢の底の方には種々な声があった。―遅くなって戸を閉める音、深夜の人の話声、犬の啼声、楽しそうな農夫の唄。四日目の朝まだ暗いうちに、私達は月明りで仕度して、段々夜の明けて行く山道を別所の方へ越した。欄干から外を眺めていますと、120年前に藤村が目にした景色が浮かぶようで感無量になりますな。ヤママユ発見。 信州はヤママユ(天蚕)の本場。一山超えた安曇野には、天蚕センターがあって、江戸時代から行われて来た、天蚕飼育とその織物が紹介さて展示されています。奥様は着付けの先生の免状を持っていますので、お着物には割と造詣が深いのです。いつもこの方面に来た時には天蚕センターに寄ろうと思うのですが失念してしまいます。なにしろ巨大なお宿で慣れないと迷子になりそうです。このお宿、他にも話題がありまして。1998年に公開された「卓球温泉」という映画の舞台にもなりました。松坂慶子さんが主演。 家出した専業主婦が、卓球のイベントで温泉地を復興させるという人情コメディだそうです。 歴史を感じるロビー。明治初期の銅版画。現在の配置とかなり異なりますが、土蔵と藤村ゆかりの建物は認められます。朝食。夕食でもOKなぐらい手の込んだお食事でした。右上に見える鍋からは松茸の香りがプンプン。お宿のご主人とお話したところ、是非夕食も食べて頂きたかったとのこと。何故ならば、この時期はご主人自ら毎日のように松茸を採りに行くのだそうです。その松茸を夕食に出しているということです間違いなく地の松茸ですね。最近はこの近辺でもなかなか松茸は採れなくてたいへんなのでそうですよ。書き忘れてしまいましたが、温泉もツルスベで最高でした。田沢温泉は役行者の時代からあるのだといいますからこれまた歴史があります。役行者は弘法大師様のお師匠ともいわれていますからね。塩田平の歴史と同様、掘るとやたらと深い景色が出てきそうです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.11.28
11月23日(火)気が付けば早くも11月下旬。 あと一月もすれば冬至。夜明けの時間がすっかりと遅くなり、朝は何時までも暗いままと感じます。基本的に気温が低いのは苦手、明るい時間が短いのは心情的にいや、そして何よりもウィンタースポーツが苦手の身にとって、長い間冬は嫌であったのですが。野鳥たちに興味を持つようになってからは、どちらかというと冬は好きな季節になってきましたね。 そろそろ冬鳥たちが勢揃いしますから。関東地方が根拠地ですと、ガン・カモたちやカモメたち、猛禽たちなど、この季節になると種類や数が飛躍的に増えてきますから楽しみが増えてくるわけです。年がら年中近くにいるカラ類(シジュウカラなどの小鳥)も、落葉樹が葉を落とすこの季節は、随分と観察しやすくなります。今年は正月早々からCOVID-19の患者数が激増し、比較的人口密度が高いご近所の外出は必要最小限にしていましたが、現在の状況であればもう少し外出の機会を増やそうかなと思っています。稲敷市のオオヒシクイは、21日にやっと第一陣が姿を見せたそうです。利根川水系を主に下流方面に向けて、行き来の回数が増えそうな今日この頃です。ところで今年のサンマ漁もそろそろ終了。年々不漁の度合いが酷くなっているようですね。今年は昨年の大不漁を上回り、統計上過去最少の水揚げ高を更新しそうな勢い。夏から秋の太平洋沿岸の赤潮発生により、ウニや秋サケも大きな影響を受けた模様。日本近海の海面温度の上昇の影響もあり、北海道の漁業は壊滅的な打撃を受けていることでしょう。人は”Mother Planet”地球に何時まで住み続けることができるのか、それはそれは恐ろしい未来が想像に難くない、厳しい現実を認識する時かもしれません。さて、今日の日記はまだ10月初旬。 週一日記だとなかなか前に進みません。奥様と行った秋のプチ旅行。 上田市の塩田平にある生島足島神社のこと。偶々、松茸料理店の周りをウロウロしていた時に偶然傍を通りかかったものですが、これがなかなか由緒のある神社だということが分かり、食後に参拝することにしたのです。生島足島神社と変わった名前です。生島の生は生きとし生けるもの全てを生み、その生命を充実させること。そして、足島の足は人々の願いを充足させるとの意味があるそうです。御祭神は生島大神と足島大神の二柱。それぞれ命と願いを司る神様ということになりますね。遥か昔、平安時代中期に編纂された「延喜式」の神名帳には、宮中の神祇官西院で祀られる神々23座のうちに「生島神・足島神」が記載されていて、古来より朝廷との結びつきが強い神々とされています。また社伝では、建御名方富命(諏訪神社祭神:大国主命の息子)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり生島大神と足島大神に米粥を煮て献じたというお話があります。何せ神話時代のお話ですから真偽のほどは確かめようはありませんが、太古よりこの地で祀られ、国土の守り神たる神々であることは間違いないようです。そのようなことからも、この塩田平と呼ばれる地域は、古くから人々が住みつき高度な文化が開けていたことも間違いないようです。本殿は池の真ん中の神島にありますが、本殿に渡るには橋が2本架かっています。1本は我々下々の人が渡る橋。 もう1本は下の写真の橋、神様がお渡りになる御神橋。お渡りになる神様は建御名方富命。故事に倣い生島・足島両神に米粥を煮て献じるお祭り、御籠祭の時にお渡りになります。境内を貫て両側に鳥居が立っています。この2つの鳥居を結ぶ直線は北東から南西に抜けています。夏至の日には北東の鳥居の延長線上から太陽が昇り、冬至の日には南西の鳥居の延長線上に太陽が沈むのだそうです。下の写真は神楽殿。裏にちらりと見えているのは摂社の諏訪社。 古の故事を物語ります。神楽殿は本殿と諏訪社の間に在ります。 祭事などに意味がある配置なのでしょう。生島足島神社については、戦国武将の後北条家、武田家、真田家にまつわるお話など、まだまだ話題に事欠かないようが・・・。 今日はこの辺りにしまして。また上田方面を訪れる機会がありましたら記してみましょう。さて、この日のお宿は最寄りの別所温泉ではなく、お隣の青木村にある田沢温泉のますや旅館。若き日の島崎藤村が度々訪れ、「千曲川のスケッチ」にも登場する藤村ゆかりのお宿です。晩御飯は松茸小屋「二幸園」のお土産の松茸ご飯。軽く済ませてしまいましたが、ますや旅館の晩御飯を頂けば良かったと後悔してしまいました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.11.24
11月15日(月)このところ、我が家の近辺でも朝の冷え込みを感じるようになってきました。現在、日本列島の上空に寒気が入り込みやすくなっていることが原因らしいのですが。この現象は偏西風の蛇行が引き起こしているのだとか。日本付近では南に蛇行しているため、その流れに引っ張られて寒気が下りてくるということなのでしょうか。それでは何故偏西風が蛇行しているのでしょうか。エルニーニョとかラニーニャという気象用語を聞いたことがあるでしょう。どちらも太平洋上の海面水温の変化を表す言葉です。赤道域の東太平洋海域の海面水温が、平年より高くなりそれが一定程度続くとエルニーニョ現象。その逆がラニーニャ現象。 表裏のような関係にあります。インドネシア近辺の西太平洋に着目すると、エルニーニョの場合東太平洋とは逆に海面水温は低下。ラニーニョは逆。つまり西太平洋の海面温度は高くなることになります。このエルニーニョとラニーニャは、数年おきにシーソーのように変動していて、日本も含め世界の気象に大きな影響を与えていることが分かっています。さらにラニーニャの場合は、高い海面温度により西太平洋では強い上昇気流が発生します。この影響で偏西風の流れが蛇行し、日本付近では南に歪曲するのだそうです。気象庁のwebsiteのエルニーニョ監視速報を覗いてみますと、11月10日の発表では「ラニーニャ現象が発生しているとみられる」とあります。一か月前の10月11日の発表では、「 エルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない・・・」とされていますから、ラニーニャ状態に入ったのは最近のことのようです。話は長くなりましたが、このような地球規模の海水と大気の変動がもたらした冷え込みということです。この先ラニーニャ状態が継続すると、今年の冬は厳冬。 大雪に要注意だそうです。日記は10月初旬の飛騨・信州のプチ旅行の続き。奥飛騨クマ牧場でクマさんたちと遊んだ後、遅めの昼食で小腹を満たすことにしました。泊まるお宿に戻る途中に、新平湯温泉辺りで「良い処めっけ」と入ったお店。「うな亭」というウナギ屋さん。 この山奥では予想外の出会いでした。小腹満たしですから一番小さい「並」を注文。 何と1,000円ちょっとのうな丼です。幾ら少量とはいえ、ウナギ不足のこのご時世に、見たことも聞いたこともありません。もちろんこのお値段ですから、ウナギは1/3匹分なのだそうですが、関西風に蒸さずに焼かれた蒲焼は、皮パリパリで身しっかりの秀逸もの。奥様も関西風の方が食べ応えがあって美味しいとお気に入りのようです。お店の中も懐かしい雰囲気で落ち着きます。 射的場の景品並べた棚のようにも見えます。この時は知らなかったのですが、お店のご主人のお家はウナギの養殖が家業のようですな。地元でも評判の名店とかで、道理で安い、美味しいと言うことないわけですね。この山奥で目から鱗のうなぎ屋さんでした。遅い御昼ご飯を食べ終えてお宿に向かいます。再び神通川の支流の高原川に沿って新穂高ロープウェイ方面に向かいます。お宿の本館は高原川の向こう岸。かじか橋という橋を渡って行きます。食材等、重い荷物はどうやって運ぶのか疑問でしたが、どうやら右側のコンクリート部分が車道のようですね。 平水でも水に浸かっていますが。両岸にスロープが設置されていて、昇り降りできるようになっていました。かじか橋から下流を見ると、近くに巨大な岩石が転がっています。河原に転がっているものとしては、見たこともないような巨石です。何時、何処から転がってきたのでしょう。岩肌から小さな樹が生えていますから、随分と前からこの場所にあるようです。お宿の対岸、県道475号線側に貸切露天風呂があります。上の写真の巨石の裏側にあたる場所です。大きな浴槽が二つ。 ぬる湯とあつ湯。もちろん源泉かけ流し。 大量の湯の花が沈殿した気持ちの良い温泉でした。お宿でいただいた晩御飯は飛騨牛のホウバ焼やイワナの塩焼きなど、朝御飯も山菜のお料理など、とても美味しかったのですよ。翌日は信州の上田市まで移動し、上田名物の松茸小屋でお昼ご飯。長野県は日本有数の収穫量を誇る松茸王国。その長野県の中でも、上田市は王国中の王国ですな。9月に入ると市内各所で松茸料理がいただけます。 お店の数は10以上。店内に入りますと松茸の香りが充満し食欲をそそります。まずは松茸のすき焼。ところで、国内の松茸収穫量は年々減少傾向にあるようで。一番の原因とされているのが、「松の材線虫病(松枯れ)」の影響。松茸は名前の通り松林のキノコ。 日本の松茸はほぼ全てが赤松林に生えます。その赤松林はマツノザイセンチュウによる松枯れでどんどん減ってきているのです。マツノザイセンチュウは外来種。 1900年代初頭に北米からの輸入材にくっついて侵入してきたそうです。被害にあうのは、クロマツ、アカマツ、ゴヨウマツが中心。マツノザイセンチュウに取りつかれると、ほぼ確実に枯れてしまうといいますから厄介です。最初に被害が確認されたのは長崎県。在来種のマツノマダラカミキリを宿主にして次第に全国に広がりました。2000年代に入ってからは、温暖化の影響なのか、東北地方や中部山岳地帯などの比較的寒冷な地にも被害が拡大。昨年訪れた気仙沼市の大島では、立ち枯れたクロマツが目立ちました。長野県は近年被害面積が全国一。上田でも嘗ての面影はなくなりつつあるようで・・・。本当に地の物は手に入りにくくなっているようです。このお店は松茸の季節以外にも、1月~2月を除いて季節料理が味わえます。従ってお店の造りは仮設ではなく、しっかりしていてとてもきれいで清潔です。駐車場から見ても素敵なお店でした。お食事後、併設された売店を覗きます。大きめの立派な松茸が2本で ¥10,000- ぐらい。 産地でもお高いです。まぁ、買って帰って家で食べるほどのものでもありませんから勿論パスです。代わりというわけではありませんが、美味しい信州リンゴを買いました。この近辺は塩田平といって古くより人々が住みつき仏教文化が発展した地です。近辺には国宝の2基の三重塔を始め、多くの国指定重要文化財がゴロゴロ転がっていて、「信州の鎌倉」という異名も付いています。そのような多くの仏閣の中に、「生島足島神社」という古式ゆかしき信州屈指の古社がありました。お世話になった松茸小屋からすぐそば。 寄り道することにしました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.11.15
11月8日(月)COP26がイギリスのグラスゴーで、10月31日から11月12日にかけて開催されています。 環境問題に関する重要な国際会議です。ところで、COP〇〇ってよく聞きますが、何のことか正確に把握している人は意外と少ないのではないでしょうか。フルネームは ”Conference of the Parties”。特定の課題に限らず、国際条約を批准した締約国が物事を決定するための最高決定機関のこと。従って様々な条約に関するCOPが存在しています。例えば「生物多様性条約」に関するものでは、 ”COP-CBD(Convention on Biological Diversity)”となります。ラムサール条約のCOPは、 Ramsar COPって呼ばれます。それぞれ開催回数を最後に付けます。そして、今開催中のCOPは ”COP-FCCC”。略さないで表記すると、”Conference of the Parties to the United Nations Framework Convention on Climate Change”。日本語では「国連気候変動枠組み条約締約国会議」。今では、COPと言えばこの会議を指すことが多いようです。 今回で26回目の開催。 過去の ”COP-FCCC” では、COP3とCOP21が節目の会議。COP3では京都議定書、COP21ではパリ協定が採択されました。今回のCOP26の主要議題は、ざっくりというと、パリ協定の取り決めである温室効果ガスの排出抑制を実効性のあるものにできるかどうかです。日本は依然として多くのCO2を排出する石炭火力発電が大きなウェートを占めていて、脱石炭で先行しているヨーロッパ諸国と比較すると、周回遅れどころか2周遅れともいわれます。最近、地球規模で気候変動が原因と思われる災害が多発しています。特に今年は、世界各地で大雨による洪水の被害が相次ぎました。記憶にあるだけでも、オーストラリア、中国、ドイツ・ベルギー、イタリア・トルコ・スペイン。日本でも毎年のように、何十年に一度と言われる水害が発生しています。今年も熱海の土砂災害や佐賀県の大規模洪水が発生、今週は北海道・木古内町で午後1時35分ごろまでの1時間で136.5mmの記録的豪雨。気候変動問題への取り組みは地球全体の課題です。そして気候変動の原因が人の行動にあるとすればこれは全人類の課題。エネルギー、食糧、廃棄物など、個々人レベルでも取り組めることは多々あります。節電、アイドリングストップ、3R等々。 直ぐにでもやれることはやる覚悟が求められますな。今日の日記は奥飛騨クマ牧場のこと。ツキノワグマの写真を撮ることに夢中で、施設全体の写真を撮り忘れました。クマたちがいる場所は、よくある動物園のクマ舎と同様な感じ。このような場所が全部で6か所ほどありました。一か所で多くのクマさんが仲良く暮らしています。ご覧の通り日影がほとんどなくて、お天気の良い日はかなり暑そうでした。わずかにできた日陰でゴロゴロしている子もいます。何とも、あられのない格好ですな。 ここでは危険が全くないので油断しまくってます。この場所には人工の滝が設置されています。涼んでいる子もいました。他のクマ舎にも池があります。 やはり池に入っている子もいます。毛皮の色が真っ黒ですから、日光の熱を吸収して見るからに暑苦しそうですね。何とも愛くるしいポーズ。野生のクマさんを身近に見たことはありませんが、想像するにもっともっとおっかない表情なのでしょうね。このような表情だと、巨大なぬいぐるみのように思えてきます。園内ではクマさんの餌を打っています。固めのビスケットのようです。 多くのクマさんはおねだりポーズをしています。奥様は面白がって何度も購入してあげていました。これはコントロール良く投げられたほう。珍しく直接お口に入りました。奥様のコントロールがでたらめの上に、クマさんはもっさりしていますから、空中キャッチは至難の業でした。揃って立ち上がり、頂戴、頂戴のポーズ。しかしビスケットの行方は明後日の方向。皆、目で追いますが行動は本当にもっさり。それほどお腹が空いていないのか、がつがつしていませんね。この仕草がまた可愛らしい。と思いきや、何が原因なのか激しい喧嘩が勃発です。場所を変えて再び取っ組み合い。歯をむき出しにして吠え合っています。 迫力満点でした。帰りに寄ったお土産屋さん。飛騨地方は高山を中心に「さるぼぼ」というお人形が有名です。「さるぼぼ」はお猿さんの子供をデフォルメしたものですが、ここでは、モデルはお猿さんではなくてもちろんクマさんですよ。しかし、「くまぼぼ」とは命名されていませんでした。こことは別に、高山駅の近くには飛騨高山テディベアエコビレッジなる施設があるそうですが、こちらの施設では「くまぼぼ」を販売しているそうです。写真のような意匠ではなく、ツキノワグマらしくかなり濃い目の茶色。写真で見ると、これはこれで滅茶苦茶可愛いです。奥飛騨クマ牧場の施設全体の雰囲気は、昭和感満載で居心地が良いです。奥様は思いっきり喜んでいましたね。 兎に角クマさんの仕草が秀逸でした。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.11.08
11月1日(月)昨日は衆議院議員総選挙。 自由民主党が15議席減らしたものの、大方の予想を覆し、単独で絶対安定多数の261議席を確保し岸田政権はひとまず安泰です。凡そ9年間に及ぶ安倍・菅政権において、利権問題、政治と金問題、格差拡大問題、アカウンタビリティの欠如等々、政権与党が絶対多数に胡坐をかき、様々な点で国民を蔑ろにしてきたことは否めません。また、COVID-19への対応の不味さも加わり、ちょっとお灸を据えなければいけないなとの力学が働いたものかと思われます。その結果、幹事長や閣僚、閣僚経験者が小選挙区で落選するなど、一定の結果も出ましたが、戦前の予想ほど自由民主党の議席は減りませんでした。さて、この10年ほどの間に、日本の人心は荒んできていると言えましょう。昨日も列車内で刃物で切り付ける、液体を撒いて放火する等、見ず知らずの他人に無差別攻撃を行うといった自暴自棄的な犯行が発生しました。類似の犯罪は過去にもあったものの、最近は頻度が上がっている印象があります。少子高齢化の進展に伴い世代間の断絶も格差も拡大し、COVID-19による社会の混乱もあり、俄か資産家が増えた一方で、日々の生活に喘ぐ人が増えたことも事実でしょう。このような世相に、多くの方々が大きな不満や不安を抱えることとなり、いわゆる火山のマグマ溜りのような潜在的熱量が溜まったようにも思われます。その一方で、自由民主党が大敗し、政治、経済、社会がこれ以上不安定になることへの恐れも、ほんとうに多くの方々が共有した潜在的認識であったように思われます。それでは前者と後者のバランスはどうだったのでしょうか。今回の衆議院議員総選挙の結果を見ると火を見るよりも明らかでしょう。現状では、自由民主党を中心とする政権から、野党第一党の立憲民主党を中心とする政権に移行するというベクトルは、まだまだエネルギーが不足している、パワーが不足しているのだと感じずにはいられません。しかも、今回は与党も野党もその主張に大差がなく、争点ははっきりしないまま。政権選択の議論にはほど遠く、結局個々の議員の取捨選択で終わってしまいました。更に、立憲民主党は共産党との票稼ぎのための選挙協力という凡ミスを犯し、好機を生かせず両党で議席数を16も減らすという体たらくぶりを披露。自由民主党に対する不満票の受け皿にさえも成り得ず、このような姿では、政権を担う能力を持てるわけがないといわれても致し方無しでしょう。ということで、日本維新の会が予想以上に議席数を伸ばしたものの、やはり収まるところに収まったという、尤もな結果になったということですか結果は結果ですが、最近の自由民主党の政権運営に対して多くの厳しい声が上がっていることも事実。岸田総理大臣のもと、このような声を真摯に聞き党改革にも着手していただきたいところ。岸田さんなら丁寧にやっていただけるのでは期待しているところです。今日の日記は、新穂高ロープウェイの天辺の西穂高口駅周辺を散策した時に観察した植物のこと。標高が2,156mとそうとう高いので高山系の植物が見られました。其処彼処にこのような赤い実が生っていましたが、これはゴゼンタチバナの実。クリスマスツリーやリースに似合う可愛い実です。ゴゼンタチバナのゴゼンとは、白山の「御前峰」という最高峰に因んでいるといわれています。また、真っ赤な実をつける様子が「カラタチバナ」という植物に似ていたため、「ゴゼン」と「タチバナ」をくっつけて「ゴゼンタチバナ」とされました。このように小さな形ですが、ヤマボウシやハナミズキと同様のミズキ科の植物です。カラタチバナの別名はヒャクリョウ(百両)。ご存じの方も多いと思われますが、同様に赤い実をつける植物には、一両、十両、百両、千両、万両と別名を持つ植物があります。何れも縁起が良いと、お庭に植える園芸植物として珍重されています。ゴゼンタチバナは、ヤマボウシによく似た白くて可憐なお花が一輪だけ咲きます。しかし実は幾つも生っていますね。 これはミズキ科の植物の証拠です。ヤマボウシの実は一つのように見えますが、イチゴと同様多くの実が集まった集合果です。カラタチバナが属するヤブコウジ科は、一つのお花に一つの実が生ります。なりは似ていますがこのような違いがあります。白い菊のような変わったお花が咲くヤマハハコです。白い部分は花弁ではなく総苞片。 つぼみを包んでいたパーツです。寒冷地を好む北方系の植物ですから、関東地方、中部地方ではかなり標高が高い場所でないと見られないのでは。この辺りでも僅かにこの場所でしか見つけられませんでした。過去、記憶にあるのは、尾瀬の入り口である鳩待峠や北海道の霧多布岬。霧多布岬では沢山咲いていました。読んで字のごとし、ツルリンドウ。ツルのように伸びた茎にリンドウのようなお花が咲きます。お花が咲き終わった後は赤い実が生ります。九州から北海道まで日本中の林床や林縁に生えています。分布域は広いので、注意深く探すと意外と身近な処で発見できるかもしれません。ちょっと分かりにくいのですが、おそらくイワギキョウのお花のつぼみかと。 こちらは正真正銘の高山植物ですね。似たようなお花にチシマギキョウがありますが、葉っぱやがくに鋭い鋸歯があるのでイワギキョウかと思われます。普通は群生しているはずなのですが、この場所ではこの一輪しか発見できずでした。最後はマツムシソウ。 貴重な日本の固有種です。吸蜜している虫さんは、セセリチョウのお仲間かと思ったのですが良く見るとちょっと違う感じ。蛾の仲間のように見えますが種は分かりません。もっともセセリチョウは蝶と蛾の中間と言われますから区別は難しいかも。ところで、日本では蝶と蛾を区別しますがどちらも同じ鱗翅目の仲間。このうち、セセリチョウ科、アゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミチョウ科、シジミタテハ科、タテハチョウ科に属するものを「蝶」と呼び、その他が「蛾」らしい。このうちシジミタテハ科は日本には存在しないようです。さて、日本的な区別では、飛ぶ時間、とまり方、派手さ、触覚の形、胴体の太さ、鱗粉がはがれやすかどうか、2枚の羽のつながり方、繭を作るかどうか、などでざっくり整理されていますが、どれもこれも例外だらけでしっくりきません。まぁ、蝶と蛾といった区別をするのは世界でも稀なようです。英語圏でも蝶をバタフライ、蛾をモスと区別しますが、それ以外はたぶん×。区別しようとしても区別することはそもそも無意味なんでしょうね。マツムシソウとはマツムシが鳴き始める頃に開花することから。盛夏を過ぎて晩夏から秋にかかる時期のお花ですね。薄紫色のこのお花は如何にも秋に似合うお花です。さて、前述の通り日本固有種なのですが、30程の都道府県で生息数が減少傾向にあり各々のレッドリストにリストアップされているとか。生息数が激減している理由はよく分かりません。秋田県、京都府、大阪府、福岡県では、残念ながら絶滅してしまったと認識されています。さて、しばらく辺りを散策した後、お土産屋さんを覗きながら、再びロープウェイに乗り新穂高温泉口駅まで降りました。この日のお泊りは新穂高温泉のお宿なので、チャックインまではまだまだ時間がたっぷりあります。そこで奥飛騨クマ牧場に。 その様子は次の日記で。北海道の登別のクマ牧場はCOVID-19で閉鎖中でしたので残念な思いをしました。ということもあり、期待大、ワクワクで行きました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.11.01
10月28日(水)1週間前には熊本の阿蘇山が小規模な噴火を起こしました。この噴火は人々の生活にほとんど影響が出ずにすみそうですが・・・。ところが、8月13日の海底火山の大規模噴火は、今、沖縄や奄美諸島の海に大きな影響を与えているそうです。海底火山の位置は小笠原諸島の南部にある硫黄島の南。南硫黄島の直ぐ北にあります。この噴火によって馬蹄形の新島が出現したそうですが、国土が増えたと手放しで喜んでいる場合ではないそうです。この海底火山は福徳岡ノ場と呼ばれています。過去に何度も大噴火を起こし、新島を形成しては消滅を繰り返してきたとか。最近では1986年の噴火で新島が出現しましたが2か月ほどで消滅。今回もいずれ消滅する運命だとされています。それは新島の主たる構成物がマグマではなく軽石だから。風雨や波浪によってどんどん浸食されてしまうからなのですよ。そして浸食された軽石は、当然海に流出していきます。流れ出した軽石は、海流に乗って沖縄や奄美の海に流れ着き悪さをしているということです。産業技術総合研究所などの研究グループによると、鹿児島県の桜島が大隅半島と地続きとなった大正の大噴火に匹敵する、明治期以降としては国内最大級の大噴火であるとされています。この軽石によって船の航行に支障が生じるのだそうですよ。沖縄や奄美は海の中の列島ですから、交通や産業等に大きな影響が出ています。小型船舶のエンジンの冷却は海水を使用するシステムで、常にポンプで海水を吸い上げています。 軽石はこの冷却システムに詰まってしまうのです。同様に発電所や製鉄所も海水で冷却していますから要注意です。また養殖場の魚が軽石を餌と間違えて食べてしまって死滅という被害も出ています。今後黒潮に乗って九州、四国にも流れてくるとの予測が出ています。昨晩、台風20号が福徳岡ノ場の近辺を進行し軽石の更なる流出が心配されます。軽石は砕けてある程度の小さくなると沈んでいくそうです。しかし、それには2~3年はかかるそうなんですね。 観光業、漁業への影響は如何ばかりか。COVID-19がやっと収まりつつあり、観光業が盛んな沖縄は一息つけると安堵したところ。度重なる災難に現地の方々の落胆や如何ばかりかと思われます。海洋の生態系への影響も心配になり、いま暫くは予断を許さない状況ですね。さて、日記は今月の上旬に訪れた、飛騨、信州へのプチ旅行の様子。早朝に我が家を出発し、中央高速道路経由で向かいました。最初の目的地は新穂高ロープウェイの新穂高温泉駅です。位置的には、北アルプスの穂高連峰を挟んで、日本を代表する高原リゾート・上高地の反対側に当たります。表側の上高地と異なり、静かな雰囲気を味わえることを期待しました。標高が上の方は、既に紅葉が進んでいるのではとも期待です。このロープウェイは日本で唯一の2階建てです。従って駅も2階建て。 1階でも2階でも眺望に変わりはないようです。下の写真は活火山の焼岳。 上高地の大正池に写る画が有名。 左手側が上高地です。こちらは穂高連峰に繋がる槍ヶ岳の雄姿。手前には大喰岳(3101m)、中岳(3,084 m)、南岳(3,033 m)と、3000mを超える高峰が尾根状に連なっています。ちなみに槍ヶ岳は3,180mです。ロープウェイを2本乗り継いで西穂口駅(2156m)に到着します。駅の屋上には展望台があって見事な大パノラマが楽しめます。正面には西穂高岳(2909m)の姿。この新穂高ロープウェイを使うと、登山が比較的容易で入門コースといわれます。しかし3000mに満たないとはいえ、岩だらけの見た目はやたら怖そうです。期待した紅葉は冴えない色で、少々残念でした。今年は8月が雨降りばかりで涼しく、9月が真夏並みに暑いという変則的な気候であったことが災いしているのでしょうか。日光方面の紅葉も冴えないという話も風の便りで聞きました。西穂高岳の左の肩から覗いているのは、難所で有名なジャンダルク。奥穂高岳への縦走路の途中にありますが、登山初心者は寄せ付けないやばいところです。中級者や上級者でも、厳しい気象条件やちょっとした油断が遭難事故につながるところ。遠目ですが如何にもといった見た目ですね。奥穂高岳に行くには、この先にも「ロバの耳」とか「馬の背」といったおっかないところが・・・。ご老体にとっては見るだけで結構です。西穂高岳の全貌。右端が西穂独標、中央よりやや右側がピラミッドピークと呼ばれる場所でしょうか。この他大小様々な岩のピークが並び、相当に険しい道であることが想像できます。反対側には笠ヶ岳が丸見えです。トップの写真はロープウェイの乗り継ぎ駅から見た笠ヶ岳。当たり前のことですが、全く見え方が異なりますね。伏せたお椀に乗った少し潰れたピラミッド。 この山容が笠ヶ岳の名の由来。何処から見てもこのような形に見えるのだそうですよ。さて、山肌に横縞が何本も見えるのが分かりますでしょうか。笠ヶ岳はカルデラ火山だったとのこと。 今から7,000万年近くも前のことです。横に重なる縞々はカルデラ内に大量の噴出物が層状に堆積した痕。それが浸食によって表に現れてきたということでしょうか。 1,600mもの厚さだそうです。穏やかな姿に見えますが、切り立った崖だらけで一般の登山者はかなり迂回をしないと登れそうにありませんな。笠ヶ岳の下の谷は穴毛谷という可笑しな名前。 しかし冬季は雪崩の巣なんだそうです。 遥か彼方に白山が見えていました。間には高山の町並みや合掌造りの白川郷がありますが、勿論見えるわけはありません。嘗て高校生のころ、家族で上高地側から槍ヶ岳に登ったんですよ。まぁ、体力が有り余っていましたから、家族を励ましながら行ったり来たりしていました。自分の目で槍ヶ岳を見たのはそれ以来。 懐かしい思いでいっぱいです。新穂高ロープウェイは何時か乗りたいと思っていました。今回願いが叶いました。 その上、雲一つない快晴。 雨女の奥様同伴なのに。若い頃と違って、最近雨降りの威力が少々衰え気味このような年齢の重ね方もいいなぁと思いますよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.10.29
9月8日(水)関東地方は9月に入った途端、本当に涼しい日が続いています。本日は特に湿気も少なく、爽やかを通り越して肌寒さを感じる一日です。永田町方面も9月に入って政局が動き出しました。ジタバタと策を弄した挙句、打つ手が無くなった菅総理のまさかの不出馬。衆議院選を控えて自由民主党としては最善の手が打てたということでしょうか。とまで言ってしまっては不謹慎か。 野党の方々は臍を嚙んでいるかもしれません。さて今後、自民党総裁選、衆議院選挙と永田町劇場はどうなっていくのですかね。 高みの見物を決め込める身としては、楽しみな毎日が暫く続くことになりますよ。動き出したといえば日経平均株価。 8月末から8連騰。特に菅総理が不出馬を表明した9/3午後以降の急騰ぶりにはびっくりです。次期政権の経済対策への期待の表れなどとの解説が目立ちますが・・・。裏返して言えば、菅総理の政権運営は如何にも視界不良といったところであったのでしょう。少々過熱気味の感もあり目先一服する場面もありそうですが、当面選挙ラリーの間は、帰趨を追いかけるが楽しみになってきました。そしてSARS-Cov-2の新規感染者数が急激に減ってきましたね。ワクチン接種が進んだおかげか、個人個人の的確な対策のおかげか、明確な理由は全く分からないのですが、兎に角も良い兆候であることに違いはありません。そうは言いましても、重症の患者さんは未だ顕著には減らずです。マスク着用やソーシャルディスタンスの確保、大声禁止はまだまだ必須ですね。一刻も早く平時の経済を取り戻せるよう、今暫くは頑張りましょう。日記は未だに北海道。北海道から帰宅後、書くことがないのでだらだらと書いているのですが・・・。もう2か月の前のことですから季節感が全く合いません。大雪山系黒岳では、8月末には早くもウラシマツツジが真っ赤に紅葉しているのだそうです。北の大地は夏が短いことは頭では分かっているにしても、感覚の違いに戸惑うばかりですな。今日の日記の舞台は日本海。宿泊していた富良野からは決して近くないのですが・・・。「海が見たい」と突然出てきた奥様の我儘に応えるべく、「いいかげんにしろよ」と思いながらも、日本海かオホーツク海か太平洋かと地図を見ながら思案の結果、日本海に決定。嘗てニシン漁で栄えた、留萌や増毛に向かったのでした。美味しい海鮮をいただくのも大きな楽しみですね。距離は片道100km以上あったのですが、やはり北海道ですから然程苦労はしません。8時過ぎには留萌近郊に着いてしまい、黄金岬海浜公園で時間調整です。嘗て、もはや遠い昔ですが、北海道でニシン漁が盛んであった時分、黄金崎はニシン漁の見張り所だったそうです。この辺りからニシンの姿が消えたのは1950年頃。随分と前のことになります。 では、現在は全く獲れないのかというと・・・。1999年ごろから徐々に漁獲量が回復し始めているのだそうです。もちろん往年とは比ぶべくもない漁獲量ですが、春の産卵期には浜の水が白く濁るのだそうです。さて黄金岬ではハマナスのお花が満開でした。花壇ではチャイブのお花も満開。石碑には「波頭の門」と書いてありますが。冬の黄金岬は波の激しい事でも有名で、スコットランドのウイック、インド南部のマドラスと並んで世界三大波濤なのだそう。それを記念して「波濤の門」が建立されたそうですよ。美味しいランチを求めて、留萌から少し南の増毛に移動しました。増毛は古い町並みが保存されている情緒のある街でした。下の写真は2016年(平成28年)に廃止となった増毛駅跡。現在は観光・交流施設、駐車場として活用されています。下の写真は、明治時代に北海道・天塩(てしお)国随一の豪商と呼ばれた旧商家丸一本間家の建物。一代で財を成した本間泰蔵が、1902(明治35)年に完成させたもの。平屋、2階建て、3階建ての建物、全9棟合計で延べ床面積は1,300㎡だって。COVID-19の影響で閉館中。残念ながら豪商気分を味わうことはできませんでした。こちらは日本最北にして北海道最古の造り酒屋である、國稀酒造(くにまれしゅぞう)のお店。 酒蔵見学と利き酒のサービスがありました。1882年(明治15年)に前記の本間泰蔵が創設です。売店もなかなかのセンス良し。国稀の稀の由来は、乃木希典の稀なのだそうです。増毛は高倉健と倍賞千恵子が演じた映画、「駅STATION」の主たるロケ地。国稀酒造の奥座敷も登場しています。 映画は1981年の制作ですが往時のまんまです。ランチは近くのお寿司屋さんの「まつくら」。超人気のお店ですが、比較的空いていて待つことなく着席できました。こんなところは、不謹慎ではありますがCOVID-19のおかげかうに・いくら丼と特上生ちらし。いずれも美味。 ボリュームも文句無し。 ご馳走様でした。ところで緊急事態宣言はまたもや延長が検討されています。一方で、遅まきながら行動制限の緩和の議論も開始された模様です。飲食店や観光業界、はたまたエンタメ業界など青息吐息の1年半。またこの間、SARS-Cov-2との付き合い方に関して格段に経験値が上がっている人類。もうそろそろ何とかならないものでしょうか。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.09.08
8月31日(火)現在、二十四節季では処暑(しょしょ)。厳しい暑さも峠を越してほっと一息の頃のはずでしたが・・・。しかし昨日までは残暑が厳しく、相変わらず熱中症には要注意でした。72候では天地始粛(てんちはじめてさむし)。処暑と共通でようやく暑さが静まる頃を意味します。天気図に秋雨前線が現れる頃でもあります。北から冷たい空気が入り、夏の空気と押し合い圧し合いをしますね。今年は既にお盆前後に秋雨前線がかかり、秋の訪れは早いかと思わせましたが、そう簡単に夏は撤退してくれませんでした。関東地方では本日の夕方から涼しい空気が入り幾らか凌ぎ易くなります。また再び秋雨前線が南下し、大気の状態は不安定となりゲリラ豪雨に要注意です。さて、秋雨前線といえば、今年は梅雨前線も秋雨前線も超活発でしたね。梅雨前線では熱海市、秋雨前線では佐賀県や長崎県で大きな被害が出ました。9月は台風シーズンでもあります。アメリカはとんでもなく大きなハリケーンに襲われたそうです。風水害には気を抜けない日が続きますよ。日記は引き続き富良野滞在のこと。この日は奥様も早起きをして、大雪山系の主峰・旭岳方面に出かけました。反対側の黒岳同様、旭岳にもロープウェイが掛かっていて五合目まで楽して上がることができます。五合目付近には、1周1.7キロ、1時間ほどで歩ける姿見散策コースがあります。そこをのんびりとお散歩する目論見でしたが、やはり積雪が遊歩道を覆って行く手を阻んでいるようで・・・。しかも見上げると天空は雲の中。ロープウェイで上がるのは断念し、、標高1,100mの山麓駅付近をウロウロすることにしました。湿地ではちょうどミズバショウが花盛り。 尾瀬辺りと比べるとずいぶんとゆっくりです。それもそのはず、この辺りでも残雪がたっぷり。雪で空気が冷やされ地表近くだけ霧が・・・。 不思議な光景です。雪が残っていない横道に入ると、湿地でエゾノリュウキンカの群落を発見。漢字で書くと「蝦夷の立金花」。 北海道と北東北の特産です。本州以南ではリュウキンカ。 やはり湿地に生えています。どちらも直立した茎に、多くの黄金色の花が咲きます。 まさに立金花。エゾノリュウキンカは普通のリュウキンカよりも大柄です。この植物はキンポウゲ科に属しますが、キンポウゲ科には猛毒植物が多いですね。有名どころでは、トリカブトをはじめキツネノボタン、ウマノアシガタなど。ところがエゾノリュウキンカには毒がないのです。早春の北海道では重要な山菜とされ、美しくて美味しいとして重宝されています。糠平湖畔のお宿で夕食に供されましたが、全く癖がなくまことに美味でした。ところで普通のリュウキンカは残念ながら有毒。 食用可ですが食すと下痢、だそうです。残雪の上を慎重に進むと、右の林から黒い動物が飛び出してきました。 慌てて写真をパチリ。写った姿はどうもミンクのよう。 シルエットは二ホンイタチにそっくりです。ミンクは元々北アメリカ原産。 毛皮用に養殖されていた個体が脱走。野生化して定着しているそうです。 立派な特定外来生物です。リュウキンカとミズバショウは相思相愛のようですが、エゾノリュウキンカとミズバショウも相性ばっちりのようですね。ともに湿地帯を好み開花時期も重なります。久しぶりにミズバショウを至近でまじまじと見ることができました。イチリンソウの仲間のエゾイチゲ。エゾイチゲは漢字では「蝦夷一華」。 名前の通り茎の先に一輪咲きます。北海道と山形の月山、サハリンなどに分布しますが、北海道が中心です。道路標識の上にはキセキレイ。場所を移して美瑛の丘に。 こちらは電線に留まったホオアカ。美瑛には1900年代にCMに登場した樹を含め、映えるフォトジェニックな樹が何本もあって、丘の景観と相まって観光地になっています。下の樹はそのうちの一本、ケンとメリーの木です。日産スカイラインのケンメリのCMのロケ地で有名になりました。といいましても、1972年のことですから若い人は知らんだろうなぁ。大きな樹はポプラです。美瑛のパッチワークの丘は結構走りましたが、これはという素敵な光景にはなかなか出くわしませんでした。富良野も美瑛も、コロナ前はインバウンドの観光客で賑わっていたのでしょうが今は閑散としています。人嫌いの自分には好都合ですが、地域経済は大打撃なのだろうと思います。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.08.31
8月24日(火)今日はパラピンクリックの開会式。SARS-Cov-2の感染爆発が、何時どのように終息するのか見当もつかない中・・・。昨日から今日にかけての報道では、北海道、愛知県、岐阜県、三重県などを対象に、緊急事態宣言対象地域の再拡大を検討しているとのことです。一方、全国で重症患者数は連日うなぎ登りであって、毎日のように自宅療養(待機)で命を落とす方の事例が報道されています。我が町の地域でも、現状では入院医療が受けられるチャンスはほとんどないのでしょう。SARS-Cov-2に感染して発症したら、かなりの確率で命の心配をしなくてはならない。昨年の今頃でも、このような事態になるとは誰が想像し得たでしょうか。日本国憲法の第25条では、以下の通りに規定されています。1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。自宅で医療を受けられずに命を落とす方が続々出るこの事態は、厳しく言えば、政府が国民から負託された義務を果たしていない、これははっきり言って憲法違反ではないかと思うのです。取り敢えず今日の愚痴はこれぐらいにしておきましょう。日記は富良野の続き。富良野観光ではトップクラスのラベンダー畑、FARM TOMITA のこと。中富良野の富良野岳や十勝岳と向かい合った西側の丘にはラベンダー畑が広がっています。その中でも最も大きくて有名なのが FARM TOMITA です。 大雪山系の峰々に残雪が目立つように、富良野の辺りは未だ春浅きという感じ。倖の畑の路地植えのラベンダーのお花はほとんどがつぼみ。 花盛りは7月上旬ということです。温室の中のラベンダーは満開でした。ドライフラワーの舎に行ってみました。エントランスからきれいなディスプレー。 気分が盛り上がります。蓮やら瓢箪やら、素敵ですな。中もきれいに飾り付け。ディスプレーの中にお土産が並んでいます。写真ではお土産品は目立ちませんね。実際、写真よりも素敵なところでした。COVID-19の影響でしょう。 人影は疎ら。最近はあまり言われませんが、主要観光地の経済の落ち込みは深刻でしょう。特にCOVID-19以前の安倍政権下では、インバウンド観光の取り組みにイケイケドンドンでしたから・・・。このギャップは堪えるでしょうな。チャイブのお花は満開。チャイブというとあまり馴染みはありませんが、別名セイヨウアサツキとかエゾネギ。別名から想像が付く通り、ヒガンバナ科ネギ属の植物。 ですからお花はネギ坊主と似ています。卵料理やジャガイモ料理と相性が良いハーブです。一見マーガレットに見えますが、フランスギクのお花なのだそうです。向こう側にはルピナスのお花が覗いています。サクランボ。 人が食べられるものではありませんが。メジロやヒヨドリなどの小鳥の大好物ですね。続いて訪れたのは麓郷の森。1900年代の最後、20年余りに亘って絶大の人気を誇ったドラマ・「北の国から」のセットが保存されています。森の中にはカラマツソウのお花。FARM TOMITA のように、人為的に整えられたお花畑のお花もきれいですが、このカラマツソウのように自然生えの山野草の美しさも劣るものではありませんな。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.08.24
8月16日(火)オリンピック東京2020が閉幕して一週間経ちました。しかし、SARS-Cov-2の新規感染者数は一向に減らず微増状態。今回の第5波は過去に比較して圧倒的に患者数が多く、いくら感染している人はほとんどが重症化しにくい若年層といえども、分母があまりにも大きいため、重症者数は東京都でも全国でも過去最多数を更新中です。また、PCR検査を受けた方の陽性率も急上昇中。7月初旬では5%程度であったものが、直近の8月13日には24%まで上がっています。この陽性率の数字は、感染の波が来るたびに上昇し、波が引くに従って下降する傾向が見えています。何故なのでしょうか東京都のPCR検査数を調べてみますと、感染の波と関係なく、今年の1月以降は1万件前後でほぼ一定数なのです。これほど感染者数が爆発的に増加していてもです。分母はそれほど上下しませんから、分子が膨らめば当然数字は大きくなる。即ち陽性率が上昇するということです。もし検査数が実態に追い付いていないとすると、発表されている感染者数は実態を反映していない可能性が疑われます。この陽性率という数値も要注意ですね。さて、我が千葉県では連日のように感染者数の記録を更新しています。我が町でも以前では考えられないような数字が出ています。お隣の茨城県でも300人越えの日が出てきました。これでは緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の対象地域の拡大や期間延長もやむなしです。我が家は末っ子までワクチンの2回目の接種が終了し、取り敢えずほっとしていますが・・・。予断を許さない状況です。ところで先週木曜日から降り続いた今回の記録的大雨。九州から中部、関東までといった広範な地域に災害が発生しました。九州ではこの3年間に連続して何処彼処で河川氾濫の被害が出ています。広島でもしばしば土砂災害が起きています。 被災地の映像を見ると心が痛みますね。COVID-19も気象変動も人智を超える自然現象。 厄介な相手ですな。日記は相も変わらず北海道。 あと4、5回で書き終えられるでしょう。もう帰宅してから2か月経ちますから、早く終えなくてはと少し焦っております。今日の舞台は大雪山系を回り込んで、反対側に位置する富良野です。旭川市で奥様をピックアップし、まず向かったのは美瑛町の白金青い池。これは完全な観光モードです。COVID-19の影響で駐車場も売店も閉鎖。 人の姿はまばらでこれはこれで良かったですよ。白金青い池は人工的にできたもの。この池の左側には美瑛川が流れていますが、上流には活火山の十勝岳が聳えています。過去150年の間にも5回の大噴火を起こしています。最近では1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて本格的に噴火。この際、幾度となく火砕流が発生しました。その後、大量の堆積物による火山泥流災害を防ぐため、1989年末に美瑛川本流を横切るように複数の堰堤が建設されたそうです。何時しかそのうちの一つに水が溜まりこのような池が出来上がったとのこと。それでは何故このようにきれいな色をしているのでしょうか。難しいことは分かりませんが、アルミニウム化合物が関与しているそうです。立ち枯れたカラマツやシラカバの幹と相まって、独特の景観を生み出しています。池の畔に咲いていたベニバナイチヤクソウ。次は近くの十勝岳望岳台へと行ってみました。防災シェルターがあるのですが、屋上が展望台になっています。前方に見えるのが活火山の十勝岳。左手の溶岩帯にはナキウサギが生息しているようです。もう少し寄ってみますと、かなりの荒野が広がっていることが分かります。凡そ30年おきに大きな噴火を繰り返していますから無理のないところですね。こちらは大雪山系主峰の旭岳方面。次の日の早朝、お宿の近くの鳥沼公園でお散歩。湧水が水源の素敵な池がありました。公園の池といいますと大きな鯉がつきものですが、この池で泳いでいるのは大きなニジマス。さすが北海道です。鳥沼公園といいますから、さぞかし小鳥が多いかと思いましたが・・・。なかなか見つからず寂しい思いをしました。 この子はやっと見つけたアオジの♂。今思えば近くに巣があったのか、不審者を追い出すような雰囲気でした。クロヒカゲでしょうか。極めて普通種なのですが、よく見ると後翅の蛇の目紋がちょっと違うような気がします。個体差なのでしょうか。北海道では其処彼処の空き地で見られるルピナスのお花。今や北海道を代表するお花になったとの感がありますが・・・。本来は北アメリカや地中海沿岸を原産地とする外来種。冷涼な気候を好みますから北海道が気に入ったみたい。強健な性質ですから、気候が合えばあっという間に野良化して蔓延ったよう。その上大柄だから目立ちます。 まぁ、きれいだから良いか。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.08.17
7月21日(水)先の日記の最後は、クマさんとばったり会わなくて良かった、というお話で終わりましたが・・・。今年度の北海道でのヒグマに襲われたとみられる死傷者は、先週の7月12日までで9人(うち死者は3人)に上るのだそうです。年間の死傷者数としては、既に統計を取り始めた1962年度以降最多。この事態に、北海道庁では、異常事態発生として注意するように呼びかけているだそうです。札幌や旭川といった都市部でも、6月以降にヒグマを目撃した、襲われたという事案が相次いでいるそうです。北海道に限らず、本州でもツキノワグマの話題はしばしば目にするようになっています。兎に角クマさんは、ヒグマにしろツキノワグマにしろ日本随一の力自慢ですから、取っ組み合いになったら、人の方が間違いなく負けてしまうわけです。そのため、クマさんに襲われたというとこれが事件となり、市街地にうっかりクマさんが紛れ込もうものなら、警察官やハンターに追い回されて、恐ろしい害獣との汚名を着せられ、運が悪いクマさんは命を落とすことになるのです。恐らくクマさんと人との接触による事故は、昔からあったことは想像に難くないですね。そして大方の場合、そのような事故の原因は人側にあったのではないかと思われるところ。最近で言えば、開発による生息地や食料の剥奪、釣りや山菜取りに単独で行動、観光客のゴミ捨てによる餌付け、人のクマに関する知識の欠落などなど。札幌市の場合では森林の際まで住宅地が迫っていて、牧草地や畑などの緩衝地帯が少なく、人の目に触れる機会が多いのでしょう。北海道では平成元年から熊猟を禁じていて、これがヒグマの生息数の急激な増加をもたらしているそうです。何とか平和に共存する道はないものでしょうか。しかし冷静に考えると、人の最大の敵は人であって、他の生物にとっても最も凶悪な害獣は人でしょう。連日、事故や事件で何と多く人が命を落としていることでしょうか。紛争や戦争という大量殺傷行為は、今でも世界の何処かで行われています。そのようなことにも思いが至るところであります。日記は層雲峡への移動のお話。 前日までの予定では、糠平湖畔のペンションに更に3泊して近辺をじっくりと探検するつもりでしたが・・・。一泊目の夜はとても静かで快適にすごせました。ところが、2泊目の夕方にチェックインした団体が、夜遅くまで大騒ぎの迷惑三昧。札幌から鳶のお仕事で来ていたそうですが、すすき野でできない宴会を、この山奥で憂さ晴らししているのかい、という感じ。聞けば、同行している社長自ら扇動しているそうで。その上、しばらく滞在するとのことで、これはたまらんと逃げ出したのです。そもそも、宿泊施設と居酒屋では、当然立ち振舞いが異なろうというもの。そうはいっても、お宿を経営するご家族にとっては大切なお客さんですから・・・。幸いにして、このようなご時世ですから別の宿泊施設を探すのは容易です。お宿のご了解をいただいて、こちらから尻に帆をかけて逃げ出した次第です。次週には、旭川駅で奥様をピックアップする予定でしたから、旭川方面に移動します。ちょうど中間地点に層雲峡という有名な観光地があります。 移動先はここに決定です。糠平湖畔を抜け、国道273号線を北上していきます。途中の三国峠で小休止。 三国峠の三国とは何処という疑問が湧いてきますね。明治初期の区分では石狩、北見、十勝の三国で、現在の支庁による区分けで見れば、上川、網走、十勝の三支庁のことを指すそうです。今来た道を振り返ると、見渡す限りの大樹海。 これは迫力がありました。この峠は、北海道の国道の峠の中では一番標高が高いそうです。 1139mとのこと。三国峠を境にして、南側は十勝川水系の音更川の支流の中の川、北側は石狩川の支流の由仁石狩川です。音更川や中野川は支流とはいえ、十勝川の本流にしても良いほど立派な河川です。石狩川は北海道第一の長さ。 全国でも利根川に次いで第二位。そして十勝川は北海道第三位の長さ。 三国峠は北海道を代表する大河の分水嶺でもあります。その後大雪湖という大きなダム湖を通り過ぎました。トップの写真は三国峠からの眺望。 二枚目は大雪湖より手前の河原から見たお山。上のほうは雲に隠れて全貌は見えていませんが、おそらく白雲岳を中心とする大雪山系かと。地図では近くに赤岳、緑岳、黒岳がありますが、青岳は見当たりません。 色で言えば銀泉台という地名も見付けましたよ。さて、大雪湖を通り過ぎると石狩川は層雲峡という景勝地に入ります。 約3万年前に大雪山が大爆発した際、大規模の火砕流が発生し、石狩川が流れるこの辺りの谷間を埋め尽くしたそうです。これが冷えて固まる際に収縮し、四角柱や六角柱といった角柱が繋がる柱状節理が形成されたのですね。その地形が、石狩川に再度削られてできた地形が層雲峡ということですね。今思えば見所がいろいろあったようですが、急遽の訪問で十分な下調べがなく、幾つも見逃してしまったようです。その中で銀河の滝、流星の滝には気が付いたので寄ってみました。下流側にあるのが流星の滝。 下の写真です。滝の下側は樹に覆われていて全く見えません。そして上流側にあるのが銀河の滝。層雲峡は噴火による堆積物を石狩川が削ってできたものでしたね。最大で200mも削っているのだそうです。 そのため本流と支流の間に大きな落差ができました。支流の流れ込みは滝となります。 銀河・流星以外にも主に左岸側に多くの滝があります。滝と反対側の斜面に展望台があるということで登ってみることに。道端に咲いていた二輪草。 ひょろっとしていますが二輪草だと思います。二輪草は若葉を山菜として食する地方もありますが、猛毒のヤマトリカブトと葉の形状が似ていて、春先には誤食による中毒事件も発生しています。生育場所も似ているので注意が肝要です。展望台から見た流星の滝と銀河の滝。両方が一度に見られる場所はなかなかありません。現在の国道273号線(39号線と重用)は、層雲峡の中核の大部分をトンネルで抜けてしまいます。そのため、残念ながら国道からは多くの名勝をみることができません。このトンネルは全長3,388mの銀河トンネル。石狩川沿いにあった旧道は落石や崩落が頻発し、19897年には死亡事故も発生した、極めて危険な道だったそうです。この旧道、現在は銀河の滝より上流は完全な通行止めとなっています。したがって徒歩でも通行することはできず、雲井の滝などは見学できません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.07.21
7月13日(火)九州南部は、一昨日梅雨明けとなったようです。何とその前日の7月10日朝には、九州南部には線状降水帯が発生し、鹿児島、宮崎、熊本に大雨特別警報が発表されていました。鹿児島県の川内川では、危険地域では災害が発生しているのではないか危惧され、警戒レベル5相当だったのですが。一晩明けたらいきなり梅雨明けですか。 こんなこともあるのですね。今日は九州北部などで梅雨明けとされています。 例年より少し早めの盛夏到来です。関東地方でも先の土曜日にはいきなり晴れ間が出て、気温が一気に上昇してきています。今週中には梅雨明けかもしれませんが、上空に寒気が残り広範囲で急な雷雨襲来が懸念されます。ところで、私事になりますが先週の金曜日に、ファイザー社製のSARS-Cov-2 の第1回ワクチン接種が無事終わりました。第2回目は7月30日の予定。接種日の晩は若干腕が痛くなり倦怠感もありましたが、特に重篤な副反応は無し。少なくとも重症化や後遺症のリスクが軽減されると思うと、ちょっとだけほっとしています。 若い方々にもワクチン接種が早く進捗すると良いなぁと思います。日記は然別湖の近くの東雲湖探検の記録の3回目。2時間以上歩いて、目的地のガレ場にたどり着いたところからです。早朝ということもあるのか、小鳥たちも元気でした。写真の子はヒガラ。 シジュウカラの仲間では最も小さな体です。頭上には小さな冠羽があり、トンガリ帽子をかぶっているようですね。これが東雲湖。近くに人工物の気配は全く感じられず、確かに秘湖の雰囲気ありありです。反対側にはナキウサギが生息しているとされるガレ場。ところが地上には生体反応を感じられず。 植物が繁茂し見通しが悪いという悪条件も。2時間近く観察していましたが、ナキウサギの鳴き声すら聞こえずギブアップ。この日はご機嫌が悪いのだろうと、後日にかけることにしました。まだ朝の8時。 時間はたっぷりありますし、同じ道を駐車場まで戻るのも面白くない。その上、ガレ場に沿って山の斜面を少し登ってきたこともあり、来た道を戻らずに天望山というお山を越えて戻ることにしました。まぁ、たいしたお山ではないだろうと、なめていたわけではありませんが、これが意外と苦戦となってしまいました。意外と登る人が少ないのか、登山道は若干荒れ気味でこのような倒木もとうせんぼう。それぞれを超えるのはたいしたことはないのですが、200mm-600mmの望遠レンズを抱えている身には結構ダメージが蓄積します。カメラ込みで3Kg程度なのですが、運動不足の身には応えます。傾斜もかなりきつく感じて、50mほど進んでは小休止の繰り返し。日差しもきつくて暑い。 大汗をかいてしまいましたが持参した水は500㏄のみ。難行苦行となってしまいました。道端にはこのようなお花が可憐な姿を見せてくれましたが、次第に余裕も無くなり、鑑賞し写真を撮る気力も失せ、体を前に運ぶことに集中します。このお花はフデリンドウでしょう。喘ぎながら登り続けると、次第に稜線の彼方により高いお山の姿が見えてきました。このお山はウペペサンケ山でしょうか。こちらは十勝岳方面。 お山の名前は特定できません。まだ残雪の量が半端ではありません。天望山は双耳峰。 北側のピークを巻いて山頂を目指します。もうこの辺りでは青息吐息。 「登りは続くよ何処までも」と唄いながら・・・。やった。 山頂に到着。さらに眺望が良くなっていました。然別湖の向こう側に見えるウペペサンケ山。少し下ると十勝平野が良く見えました。秘境と言いながら意外と近くに農場が広がっています。可愛いミヤマオダマキのお花。下りは一面クマザサが繁茂。道を見失いそうになるわ、足元が良く見えないわ、硬い茎に足を取られそうになるわ。登り以上に歩きにくい。 下りなのにどんどん消耗が進みます。両足の腿が攣り始めました。 少々脱水症の傾向もありそうです。 だましだましの前進。ところどころにきれいなムラサキヤシオのお花。今度は、「下りは続くよ何処までも」と口ずさみながら・・・。やっとの思いで、天望山と白雲山の間のコルに到着。天望山山頂までコースタイムは35分とありますが、下りでももっと時間がかかったように思えます。 どんなに屈強な人間なのかと感心しきり。白雲山登山口とあるのが駐車場のところ。屈強な人間が歩いてまだ1時間5分もかかるのかと、少々うんざりなのです。白雲山方面から小学生の子供を連れた夫婦がやってきます。 これがまたペースが速いのなんの。あっという間に追いつかれ、あっという間に行ってしまいました。ということは、我がペースが異常に遅いのか・・・。兎にも角にも、子連れの夫婦には声をかける間もなく置き去りにされ、日頃の運動不足と加齢による体力低下を呪いながら、よぼよぼと歩を進めるのでした。さらに悪戦苦闘を続けるうちに、やっとの思いで然別湖の畔まで戻ってきました。頑張ったご褒美でしょうか。 そこで嬉しい出会いが。 そのお話はまた続き。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.07.13
7月7日(水)今日は七夕の日ですが、全国的にお天気は芳しくないようですね。毎年梅雨の末期にあたりますから、天の川が拝める機会は非常に僅少なのは当たり前。 ご案内の通り、元々は旧暦すなわち太陰太陽暦の7月7日。新暦でいえば、8月の何処かの日が旧暦の七夕の日になるのです。さすれば梅雨は明けていますから、晴天の日にあたる確率は格段に上がりますね。ところで、「伝統的七夕」という言葉をご存じでしょうか。2001年から、国立天文台はこの「伝統的七夕」の日を決めています。単純に考えれば約一月後の8月7日かと思われますが、旧暦の7月7日は、月の満ち欠けを考慮すると決してそうはならないのです。さて、七夕の物語を紐解くと、天の川の此方と彼方に隔てられた織姫星と彦星は、年に一度、船に乗って(諸説あり)天の川を渡り会うことができるのですね。この船がお月様。 だからお月様の形も重要なのです。船に最も近い形のお月様は、上弦(沈み際に弦が上向き)の月。 旧暦では毎月7日ごろ。月齢はおおよそ6で、正確には上弦より1日程度前で若干弦が凹んでいます。さて、旧暦の7月7日、つまり「伝統的七夕」は新暦では必ず決まった日にはなりません。国立天文台によりますと去年は8月25日。そして今年は8月14日、来年は8月4日となり、かなり日付が動くのですね。今日の日記は然別湖畔の探検の続き。他には全く人がいなくて、初めての場所なので今考えればプチ冒険だったのです。道端には相変わらずお花がいろいろと咲いています。下の写真のお花はおそらくヒメイチゲ。 イチリンソウの仲間です。当然、本州では亜高山帯以上の標高を好む植物です。非常に繊細で可憐なお花です。 イチリンソウ属の中では最小。 だから姫ですか。○○イチゲという植物は多々ありますが、イチゲとは「一華」と書いて一本の茎に一つの花が咲くという意味だそうです。これはツバメオモト。こちらも寒冷地仕様。 本州では亜高山帯の林地の中に分布します。葉がオモトという植物に似ていますね。 オモトは「万年青」と書くように常緑の多年草。スズラン亜科に属しています。 観葉植物として古来より愛されています。一方、ツバメオモトはユリ科の植物で、オモトとは縁も所縁もありません。葉っぱは似ていてもお花は全く異なります。途中に群生している場所がありました。ツバメオモトの花が咲く時期は短く、直ぐにしぼんでしまうそうです。このように咲くそろっている姿が見られるのは運が良いかもしれません。ノリウツギに似ていますがお花の付き方がちょっと異なる。種名不明です。白いお花が多いですね。湖畔を離れ上り坂になると、スミレの姿もちらほら出てきました。下のお花はエゾノタチツボスミレでしょうか。エゾノと名が付いているように北海道に多いのですが、本州でも寒冷な土地では生息しているようです。これも葉がハート形でタチツボスミレの仲間に見えますが、ミヤマスミレという種かもしれません。スミレは個体差が大きく、また品種もそこそこありますから奥が深いです。ズダヤクシュというユキノシタの仲間のお花です。ズダは「喘息」、ヤクシュは「薬種」。 富山や長野では種子を喘息の薬としたのだとか。下のお花は難問。 ミヤマシキミのお花のようですがしっくりきていませんな。調べてみると、ミヤマシキミは北海道には分布していないようです。北海道にあるのは、寒冷地仕様のツルシキミなのだそうです。どちらしにろ確信は持てません。こちらが実。2時間近く歩いてやっと東雲湖の近くまで来ました。比較的平坦な道でしたが、倒木があったり写真を撮ったりで思いのほか時間がかかりました。ナキウサギがいそうなガレ場に着いた時には結構草臥れていました。とりあえず一休みと思っていると、アカゲラのメスが飛んできて遊んでくれました。ここのガレ場はかなり大きく、どの辺りがポイントか良くわかりませんでした。幅もさることながら、斜面の高さもかなりありました。このような場合は、鳴き声を頼りに探すことになります。野鳥の場合と同じですね。さて、結果は如何に。 続きは次回に。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.07.07
7月4日(日)SARS-CoV-2 のワクチン接種券が、あと数日で手元に届くというこのタイミングで、暗雲垂れ込める状況が・・・。6月末、突然ワクチン不足のアナウンスが政府筋から出てきました。職域接種の申請が6月初旬から始まり、申請件数が予想以上に多かったことが原因だと説明していますが。相変わらずの無計画、無調整ぶりを露呈したうえに、余分に申請しているのではと、自治体や企業に責任転嫁の無責任体質も垣間見られます。元々日本におけるワクチン導入の遅れは、外交等の根回しを怠った政府の責任なのに。初めてのこと故、多少の粗相があるのは致し方ないとして、それに対する国民への説明の仕方というものがあるはずだと思いますがね。トップの首相をはじめ本当に説明下手ですよ。彼らにとっては一般国民の心情なんぞ、何の関心もないのでしょうか。4月以降、インド型といわれる感染力の強いデルタ株が広まってきています。1月以降広がったイギリス型とあわせ、従来型より感染力が強いと言われています。その上、若年層も重症化するリスクが高いとされていますね。さらにぞくぞくと変異種は見つかっていて、現在はラムダまで名付けられているとか。多くの方はすでに自粛慣れしていて、それぞれのご判断で活動し生活されていると思われますが、心の中ではやはり、なるべく早くワクチン接種を受けたいと思っているのですよ。職域接種という話が出れば、申請がどっと出てくるにきまっているじゃないですか。 想像力も欠如していますな。今日の日記は然別湖の一回目。移動日は、網走市(小清水町)を離れてから180㎞ほど走りました。お宿は上士幌町の糠平湖畔にある「森のふくろう」というペンション。考えてみたら「わし」から「ふくろう」への移動。 今頃気付きました。下の写真は移動の途中で見つけた、旧国鉄士幌線第四音更川橋梁の遺構。1925年(大正14年)の開通で、1987年(昭和62年)の全線廃止。真ん中がありませんが、崩れ落ちたのではないようです。中央部分は鉄製の桁橋であって、撤去されてしまったため空洞なのです。士幌線の遺構といえば、糠平湖畔に残されたタウシュベツ川橋梁が有名ですが、そのほかにも多くの橋梁跡や駅跡が残されています。大自然の中の人工物ですから、これはこれで頻繁にツアーが企画されるほど人気があるそうです。相変わらず北海道での移動は時間がかかりません。お昼ごろには糠平湖に着いてしまいましたので、お目当ての然別湖まで予行しました。地図上では短く見えますが、峠を一つ越えて25kmほどの距離があります。峠の名前は幌鹿峠。然別湖は大雪山国立公園唯一の自然湖で、標高は810mであって道内では最も高い場所にある湖です。もちろん目的は、北海道上陸初日に出会ったエゾナキウサギに再開すること。しばらく滞在して、何か所か訪れてみる予定にしていたのです。移動したその日は本当に予行だけ。 道程を確かめただけでお宿にチェックイン。翌朝は朝が明ける前にお宿を出発し、薄暗い山道を然別湖に向けて急ぎます。次第に明るくなってくるのですが、この道を走るのは面白かったですよ。エゾジカの群れは何回か道路に飛び出してきました。エゾユキウサギは100mほども車の前を走って先導してくれました。エゾライチョウの番は道の真ん中で遊んでいて慌てて飛んで逃げていきました。エゾジカとはあわや衝突するところでした。エゾジカの交通事故、そのようなお話をよく聞きますが、これかと思いました。何れも運転中ですから写真を撮ることは叶いませんが・・・。さて、然別湖畔の駐車スペースに車を止め、目的地に向かって歩き始めます。この日の目的地は東雲湖(しののめこ)畔。 ここにもナキウサギの生息地があるのです。東雲湖は北海道の三大秘湖の一つとされます。残りの二つは、阿寒カルデラのオンネトーと、支笏カルデラのオコタンペ湖。オンネトーは車で湖畔まで行けますし、オコタンペ湖は大都市札幌からそれほど遠くない位置にあります。そのような意味で、東大雪山系の手付かずの自然の中にあり、少なくとも片道2時間近く歩かないと行けない東雲湖は、一番秘境感が漂うかも。行程のほとんどは然別湖畔に沿って歩いていきます。ほとんどアップダウンのない平坦な道ですが、所々に倒木が行く手を塞ぎ、障害物競争のようです。ただ、道端には様々なお花が咲いていて目を楽しませてくれました。頭の上からはやたらと甲高い、金属を擦ったような鳴き声が降ってきます。「ヒーツーキーヒー」とか「ツーチーツーヒー」と聞こえます。これはエゾムシクイの鳴き声なのですが、姿は全く確認できません。その他には「チヨチヨグイー」なんて声も聞こえてきました。声の主はセンダイムシクイなのですが、夏の北海道ではどこでも聞かれますね。この鳴き声は「焼酎一杯グイー」などと聞き成しされますがかなり無理があるような。「チヨチヨ」の部分は「千代千代」とも変換できて、千代がセンダイになって・・・。他には「鶴千代君」と聞こえる方もいたそうで。 どちらにしても千代がポイントセンダイは仙台ではないとの説が有力ですね。 仙台の固有種じゃありませんし。江戸時代から既に「センダイムシクヒ」という呼称があったとの話も見つけました。この鳴き声は、昔から人々にとって馴染みがあるものであったようです。それはともかく、やはり姿は見当たりません。まぁ、姿が見えたとしても区別は付かないかもしれませんね。ウグイス系の○○ムシクイや○○センニュウや○○ヨシキリって、皆ぱっと見は良く似ているので、囀りの音色で識別するのが早道です。さて、このお花はミツバオウレン。 楚々として可愛らしいお花ですな。続いてムラサキヤシオツツジ。何れも寒冷地を好む、本州では比較的高原性のお花です。ミヤマハンショウズル。 まだ蕾です。これまた寒冷地仕様のお花。 当たり前かミヤマは深山、ミヤマクワガタのミヤマと同じです。そしてハンショウは半鐘のこと。 このお花の形からきています。紫色のものはどうやらがく片。 中に白い花弁があるようです。お花を愛でながら歩いていると、突然目も前の樹に黒く大きな野鳥が飛んできました。本当に突然です。 天然記念物のクマゲラが登場です。頭の天辺まで広範囲に赤いので、この子は♂なのでしょう。残念ながら思いっきり枝被りの位置関係。 しかもちょっと距離がありました。留まった樹の向こう側は然別湖。 したがって空抜けに近い悪条件。なんとかクマゲラだと確認できるレベルの写真ですが。全く期待していなかった出会いだったので、これでも幸せですな。このような出会いを楽しみながらテクテクと歩きましたが、東雲湖へはまだまだ遠い。 写真を撮りながらの前進ですから余計に時間がかかります。まだまだ先は長いということで、続きは次の日記で書きます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.07.04
6月28日(月)LAAの大谷翔平選手。 今年は打って投げて走って守って。漫画の主人公のような大活躍。 どこまで続くのか毎日楽しです。普段、MLBはおろか日本のプロ野球に対しても関心は無いのですが、この大谷選手の桁外れの成績には、同じ日本人として爽快感を通り越して誇りを感じています。現在のLAAは非常にパフォーマンスが悪く、特に守備のザル振りが目立ちます。そのせいか、投手としての成績はパッとしませんが、多くの場合は大谷選手の責任ではなかろうかと思わます。しかし、打者としての成績はほぼ個々人のパフォーマンスの結果です。現在、本塁打数26、盗塁数11、セーフティバントを敢行等、超万能振りを発揮していますね。自分がびっくりしたのは昨日の本塁打の映像。高い角度で上がった打球は、並の選手では浅い外野フライかと思われるようなもの。ところが、TVカメラも追えないようなこの打球は、レフトスタンドに飛び込んでいます。それもギリギリではなくて、かなり奥まで飛んでいるのではないでしょうか。これは25号なのですが、24号の軌道も尋常ではありませんでした。ミサイルのような弾道で、球場の壁に設置されたメンテ用通路(通称キャットウォーク)に突き刺さりました。アメリカの解説者の中には、もはや日本から来た地球人ではなく宇宙人だと話す方も出ています。 もちろんジョーク。審判の中には嫉妬して意地悪する人も・・・。まさにこの高揚感がスポーツの魅力なのでしょう。オリパラもね、COVID-19のことがなければ、世界中が心の底から楽しめたのにね。残念です。さて、今日の日記は小清水町の最終回。風景やらお花やら、らしいものを揃えてみました。まずはお宿のそばの北浜(正確には網走市)の夜明け。全面に広がる海はオホーツク海。 広大な砂浜が続いています。波打ち際には等間隔に人が並んでいますが、何をされているのでしょうか。普通に考えれば釣りでしょうか。近くにいらっしゃった方にお聞きするとやはり釣りでした。 対象はサクラマス。 サクラマスとは、渓流釣りの対象になるヤマメの降海型の個体群のこと。河川で孵化し海まで下って大型化し、性成熟すると再び河川を遡上し産卵し寿命が尽きます。この生活史はいわゆるサケの仲間と同じですね。ちなみに生物学的にいえば、サケとマスに区別はありません。敢えて違いを上げるとすると遡上する季節です。シロザケ(日本で一般的なサケ)は、アキアジと呼ばれる通り遡上時期は秋。これに対して、サクラマスの遡上時期は、春から初夏の5月、6月がメインです。この時期、桜色の婚姻色が出てくるのでサクラマスと呼ばれます。河川に遡上したものの捕獲は禁止されていますので、皆さん、遡上河川の近くの浜で釣りをするのだそうです。お隣の斜里町はサクラマスの水揚げで有名です。町内を流れる斜里川には、「さくらの滝」というサクラマスの遡上が観察できる場所があります。なるほど、納得ですね。海岸沿いにはJR釧網線が走っています。海辺に立つ警報機という、ちょっと珍しい姿を見ることもできます。濤沸湖と小清水原生花園にかかる朝靄。裾野が見えているお山は藻琴山。この山の向こう側は屈斜路湖だと思われます。知床半島方面の眺めです。 幻想的ですね。ピラミッドのようなものは、お隣の浜小清水駅の近くにあるフレトイ展望台です。ハマハタザオのお花。北海道の浜辺ではどこでも見られるお花です。泊まったお宿(わしのとまり木)のご主人・金指さんに、エゾタンポポやクロユリの咲いている場所を教えていただいたので探してみました。小清水原生花園の遊歩道沿いでは、エゾタンポポは一か所だけ発見。こちらは何となく微妙。全く別の場所でも発見できました。 しかし、どこも非常に小さなコロニーです。この辺りでもオオバナノエンレイソウが花盛り。ハマナスのお花は咲き始め。 やっと一輪見つけました。これがクロユリのお花。本州では高原に咲く、代表的な高山植物です。海抜0m地帯に咲く、北海道らしい生物分布を示しています。こちらはまだ硬いつぼみ。エゾノコリンゴのお花。 小清水町では6月にはそこかしこで見られます。たった一輪。 これも咲き始めのエゾキスゲ。よく似たお花はエゾカンゾウ。関東地方ではニッコウキスゲの名前で知られています。 標準和名はゼンテイカ。昨日、日光では満開を迎えたと報道されていました。こちらはおそらくエゾカンゾウのつぼみ。細めのアスパラガスのような雰囲気。 エゾキスゲとはお花の付き方が異なります。そしてエゾキスゲのお花はレモンイエローですが、エゾキスゲのお花はオレンジ色ですね。似たようなお花の上に、○○キスゲと○○カンゾウの名が交差し勘違いしがちです。小清水町を歩いたのは6月初旬。原生花園のお花はまだ時期尚早といったところ。今頃は様々なお花が咲き乱れ、それはそれは美しい景色となっていることでしょうね。この次に向かったところは上士幌町と鹿追町。今回の旅の最初に寄ったエゾナキウサギの生息地です。ここまでは主に海岸線を移動してきましたが、今度は北海道のおへそ、大雪山系の山の中にはまってきました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.06.29
6月10日(木)もう十日近く前のことになってしまいましたが・・・。なかなか前に進まない日記です。昨日、一昨日は快晴で、大雪山系黒岳の麓でのんびりと過ごしました。北海道のCOVID-19の新規患者数は、一時期に比べると大幅減少の傾向が見えています。北海道でも最高気温が30℃を越えた地点が多く、この10日間ほどの間に、真冬から真夏への移行を経験しています。層雲峡の近辺でも少し歩くと汗びっしょり。しかし、空気が乾燥していますから日陰に入ると爽やかに感じます。今日の日記は、知床半島の羅臼と反対側に位置する宇登呂周辺のことです。シマフクロウの観察場所を早朝4時半ごろに出発し、国道334号(知床横断道路:知床峠)を宇登呂に向かって登り始めました。羅臼に到着する直前に知ったのですが、知床峠はこの一週間ほど前の5月28日から終日通行が可能になったのですね。雪のことなど何も考えていませんでした。 開通していて助かりました。知床ビジターセンターを通り過ぎてほどなく、エゾシカの集団に出会いました。道東をうろついていますと、エゾシカ自体は何も珍しくはないのですが、皆が一斉にこちらを観ていてお顔が良く見えたので車を降りて記念撮影です。エゾジカの生態については良く分かりませんが、この集団は♀ばかり、野付半島で見た集団は♂ばかり。 今の時期はこんなものなのでしょうか。ぐんぐんと高度を稼いで知床島へに到着です。トップの写真は羅臼側。 海の向こうに択捉島が見えます。海上には霧が立ち込め雲海状態。 まるで陸続きのようですな。このような陸から見える近距離に、文化も言葉も風貌も異なるロシアの人々が暮らしていると思うと何やら不思議な感覚がします。何しろ日本の国土はぐるりと海に囲まれていて、普段国境を目にする機会など、飛行機に乗らない限りまずありませんね。さて、ロシアの実効支配は既に80年近くになろうとしていますし、よほどの事情が生じない限り、この状態を放棄することはまずないでしょう。政治体制が大きく異なる2国間のこと。お付き合いは簡単ではありませんが、少しでも良い方向に向かえると良いですな。独り言はこれぐらいにして・・・。反対側に目を転じますと羅臼岳の雄姿が迫ってきます。朝早かったせいもあるのですが、少々荒涼とした風景が広がります。まだ雪は残り、春遠からじ、位の季節感でしょうか。ギンザンマシコが舞う時期にはもう少し時間が掛かりそうでした。宇登呂側に降りてくると暑い位の陽気になってきました。まだ朝の6時頃。 以前はパスしていた知床五胡まで行ってみます。しかし、まだゲートが開いていない。 8時からなのですね。更に先のカムイワッカの滝方面は行けるということで行ってみることにします。道路から見えるカムイワッカ川は特筆するものはないのですが、ここを流れている水は温泉水なのですよ。 川が全て温泉ということ。上流の方が温度が高いとのことです。とても悪路のように見えましたので行くのは止しておきました。この川は下流で断崖絶壁から海へ落ちていきます。カムイワッカの滝と呼ばれますが、一般人は海上からしか観る手立てがありません。宇登呂から遊覧船が出ています。2年前奥様と見学しましたが、注ぎ込んでいる部分の海は変色していました。近くで囀っていたキビタキ♂です。 遠いです。知床五胡のゲート近くまで戻ってきました。知床連山が綺麗に見えています。 しかし左端の硫黄岳は画角に入りませんでした。8時ちょうどに知床五胡に一番乗り。 自慢してもしゃーないのですがね。ヒグマ出没中のせいか、奥まで散策することは叶わず。高架木道と呼ばれる部分限定の散策です。冬場お馴染みのアオジ。 複雑な節回しで囀りますが声量は控えめです。これは硫黄岳。カムイワッカ川はこの山から流れ出ています。高架木道が続きます。完全徹夜の後ですから、何でもない登りもフラフラ。足元は良くて助かりました。ここまで来ても硫黄岳は見えているものの画角に入らず。これは動物園の写真ではありません。知床五胡からウトロに戻る途中、道路の傍でヒグマがお食事中でした。当然のこと、通りかかる人は一様に車から降りて記念撮影。間に頑丈そうな柵がありましたから、人もヒグマも緊張感はまるで無し。この柵は雪止めのためのものでしょうか。左側に50mほど行くとこの柵は切れていますけど・・・。双方アクシデントの発生は一切考慮していません。 とても不自然な眺めでした。ヒグマさんは人には全く無関心。 ひたすら草を食べています。何を食べているかは確認しませんでしたが、何かの新芽が柔らかくて美味しいのでしょう。宇登呂港からは知床連山の全てが画角に入りました。知床半島は確かに手付かずの自然が残されています。ご案内の通り、ユネスコの世界自然遺産にも登録されています。一方で観光地でもあるわけです。多くの観光客が押しかけます。 特に宇登呂側はそれを強く感じます。我々のような一般人がアクセスできる範囲はとても人臭い。従って自然が満喫できると思ったら肩透かしを食らうことになるでしょう。範囲が広大であって、メカニズムが複雑でダイナミックであるだけに、ちょこっと行ってみただけでは、一部を理解するだけでも困難だと感じました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.06.11
6月5日(土)今日のお宿は網走市。 といっても東の端で小清水町との境目です。従って、小清水原生花園など小清水町の自然観察にたいへん適した場所です。昨日は知床半島の宇登呂から移動してきましたが、終日南風の強風の中小雨がパラツクという最悪の天候状態でした。そのため外歩きはせず移動とお買い物のみ。お宿のチェックインまで時間をつぶすのが大命題の日となってしましました。お宿に着いてからは、久し振りにお会いしたご主人と話に花が咲き・・・。すぐさま夕方になり、晩御飯を食べ本を読んでいたらあっという間に寝落ちし。記録しておくことはほとんど無しの一日でした。さて、日記はまだ霧多布岬のことが終わっていません。何とか最終日のことになりましたけどね。霧多布岬には4泊5日滞在したのですが、好天に恵まれたのは、移動してきた初日と移動した最終日だけ。2日目曇天のち雨、3日目濃霧、4日目強風とお天気に恵まれた覚えは無しですな。それでも広い大自然のフィールドですから、悪天候なりに楽しめました。最終日は前日の強風がすっかり止み、朝から穏やかなグッドコンディションです。早朝から岬の先端までお散歩に行ってきました。トップの写真は遊歩道の終着点で屯していたオオセグロカモメたち。朝陽が昇る海を見て、気持ち良さそうにしていました。 人がいるより似合います。追い出すのも忍びなく、そのまま記念撮影です。この句碑には以下の句が記されています。「かねてより あらきしほ路ときいたふの 島根にたかく よする志らなみ」この句は松浦武四郎さんのものとされています。江戸時代末期から蝦夷地を探索し、蝦夷地図や地誌を作成するなど大きな足跡を残すとともに、数少ないアイヌ人の理解者であり、北海道の名付け親となった方ですね。最近建て替えられたようでピカピカでした。 反対側のアゼチ岬(実際には見えていない)方面から嶮暮帰島を遠望します。ラッコの姿が見当たらず一度はあきらめて引き返しましたが・・・。駐車場で片岡さんにお会いし、早速ラッコを発見してくれました。多くの場合、岬先端に向かって左側にいることが多いのですが、この時は右側にいました。 偶にはこのようなこともあるようです。雌AとA子妹、雄Kと3頭で岬の先端に向かっていました。こちらも片岡さんと一緒にもう一度岬の先端に向かいました。A子妹は生後一月ほどということですが、もう一人でかなり泳げるようです。時々お母さんのお腹に乗せてもらってもいるようです。実はこれより前の二日間、ラッコたちの姿が全く見当たらなかったのですよ。度素人の自分だけではなく、プロの片岡さんや奥様も見つけられなかったので、行方不明だとたいそう心配していたのです。一昨年生まれのA子の兄は、自分が霧多布岬を離れた直後行方不明になったらしいのです。今回もまたもや。 疫病神説が浮上していただけに、母子の姿を確認できてほっとしました。こちらはアカエリカイツブリの夏羽。これまた片岡さんに教えていただいたものです。名前の由来となっている赤い首筋が確認できます。関東地方では冬に冬羽の姿しか観られませんから、繁殖地の北海道ならではの姿といえますね。これはノゴマの♀。喉元に赤い日の丸がありませんから区別が付きます。♂のようにソングポストで囀りませんから、発見するには結構根気が要ります。オオジュリンの♂も存在を誇示し始めていました。まだ頭が完全に黒くなっていませんね。 斑模様になっているところはご愛嬌です。つい最近渡ってきたのでしょう。 関東地方でもGW辺りには斑君を観ることがあります。エゾシシウドの枯れ木の先端に乗ってくれると絵になります。下の2枚の写真はおまけ。エトピリカ村のお庭に現れたコムクドリです。物置小屋に掛けられた巣箱でシジュウカラが子育て中だったのですが・・・。この近辺に住宅事情はなかなか厳しいようで・・・。その巣箱を巡って、シジュウカラ、スズメ、コムクドリの三つ巴の争いに発展。とても可愛そうなのはシジュウカラの番。最初は猛烈に抗議していましたが、そのうちスズメに乗っ取られ放棄した模様。続いてコムクドリが巣箱にいろいろ投げ込んだりして嫌がらせついにスズメからも巣箱の乗っ取りに成功したようです。この間、心優しき片岡さんは別に巣箱を2つ用意しましたが、スズメもコムクドリもお気に召さなかった様子です。一番の悪は、シジュウカラのヒナを死に至らしめたスズメかでも本当の極悪人はこのコムクドリかもしれませんな。エトピリカ村のお庭は野生生物の宝庫。居間の大きな窓からこの樹まで10mもありません。しかし、その先が直ぐに原野であって更に先が山まで続いているせいか、様々な生き物が姿を現すそうです。 最近はスグロチャキンチョウの集団も来たとか。この野鳥は、全国でも非常にレアな迷鳥なのですよ。実物を見たことがある人はほとんどいないはず。 写真も情報もほとんど無しその他、コミミズクやトラフズクといったフクロウたちや、ハイタカ、チュウヒ、ケアシノスリなどの猛禽類、ハギマシコやマヒワなどは当たり前。 エゾシカも来ます。まぁ、この居間の窓、おそらく全国でも屈指の面白さではないかと思っております。これはお許しもなく勝手に書いてしまった余談です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.06.05
5月31日(月)霧多布岬は、昨日は濃霧、本日は強風と、外歩きにはあまり適していない天候が続いています。そのせいばかりではありませんが、ラッコの親子には二日連続で会えませんでした。霧多布岬を散策していますと、種々の野鳥や季節のお花に出会います。これらを観察し愛でることも、大きな楽しみの一つとなりますね。今日の日記は、今、霧多布岬に咲いているお花のこと。トップのお花は、5枚の黄色の花弁の中心にオレンジ色が差しているとてもきれいなものです。正確には分からないのですが、チシマキンバイのお花ではないかと思っています。北海道の海岸線の岩場に生えることから、特徴はピッタリではないかと。○○キンバイと名がつくお花は、皆黄色で梅の花に似ているものです。本州の高山植物ではシナノキンバイやミヤマキンバイが有名ですね。しかしながら、シナノキンバイは名前やお花の様子は似ていますが、チシマキンバイやミヤマキンバイとは属する科は異なり、出自・由緒は異なります。チシマキンバイとミヤマキンバイはバラ科、一方、シナノキンバイはキンポウゲ科です。これは収斂進化と呼ばれるものに相当するのかもしれません。鳥類で言えば、オオタカとハヤブサのようなものかも。下の可愛らしいお花は、ユキワリコザクラという名を持ちます。山野草で有名なサクラソウの仲間です。 サクラソウであることは片岡さんに教わりました。霧多布岬では崖地の途中によく見られます。普通のサクラソウより小さくて、雪解けを待って咲くことから「雪割小桜」。北海道や東北のお花です。近くの根室市では市の花に指定されています。道東ではポピュラーなお花のようです。さて、ハクサンチドリのお花も見つけて嬉しくなりました。嘗てはもっと多く見られたそうですが・・・。自然環境の変化なのか、はたまた盗掘の被害なのか、めっきり数を減らしているとか。温暖化の結果、背が高い植物が繁茂すると忽ち消えてしまいそうです。2枚目と4枚目、そして3枚目と5枚目は、それぞれ同じ場所の同じ株の写真ですが、何処かが異なります。お分かりになりますか。周りのタンポポのお花が閉じているか開いているかの違いです。これは撮影時間が異なる結果なのです。 2枚目と3枚目は早朝、4枚目と5枚目は正午前です。タンポポのお花もパッと開いている方が艶やかでよろしいようです。ハマハタザオの小さな白いお花も合いますな。ここは一面のタンポポ畑になっていましたが、おそらく全てがセイヨウタンポポではないかと思われます。北海道でも御多分に漏れず、セイヨウタンポポが大きく勢力を伸ばしています。しかし本州と同様、在来種のエゾタンポポやシコタンタンポポは棲み分けをし生き残っているようです。但し混在するような地区では、何らかの遺伝子干渉が心配されるとのお話もありました。下のお花はオオバナノエンレイソウです。正確な種名はやはり片岡さんにお聞きしました。北海道と本州北部に自生するお花ですが、北海道を代表するお花だといっても過言ではないのでしょう。種名エンレイソウは、もっと小さなお花をつけますね。こちらは日本全体に分布します。 お花以外はオオバナノエンレイソウとそっくりです。ところで、オオバナノエンレイソウは北海道大学の校章のモチーフです。大学の北キャンパスの原生林には、このお花の大群落が見られるのだとか。3枚のがくと3枚の花弁が互い違いに並ぶ構造が特徴的。エンレイソウの仲間は、全てがこの構造なのだそうです。オオバナノエンレイソウは名前の通り、最も大きなお花を咲かせます。まとまって咲いていると見ごたえがあります。 岬の遊歩道の際にそこここで観られますよ。この植物は成熟するのに非常に時間がかかり、お花を咲かせるようになるまで何と10年もの歳月を要します。その後は20年以上もお花を咲かせ続けるのです。何とも長寿なお花です。 漢字で書くと「大花延齢草」。昔から生態が良く分かっていたのですね。 まさに「名は体を表す」です。次のお花はエゾエンゴサク。本種は日本では北海道の固有種。株によって微妙にお花の色が異なります。紫色が貴重ですが、赤紫から青紫まで多種が混在していました。オオバナノエンレイソウと同じような場所で観られました。下のスミレはシロスミレでいいのでしょうか。霧多布湿原センターの敷地内で見つけましたので岬のお花ではありません。 おまけです。岬では普通の濃い紫色のスミレのお花はありました。どちらも気象条件の影響か、極めて矮小化した個体でした。さて、北海道全般にいえることですが、本州の東北以南では高山植物とされるものが、平野部でよく見られます。やはり寒冷な気候のおかげでしょう。本州では高山帯にみられる湿原が、北海道では平野部に広がるのもそのためです。特に霧多布岬など道東地区は、特に寒冷なようですな。本日の最低気温は5℃、昨日は6℃でした。異常値なのだそうですが、真冬の寒さに震えてしまいました。まだストーブが活躍しているのですが、なるほどと納得させられました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.05.31
5月29日(土)関東地方では最高気温が30℃前後まで上がり、一昔前の真夏のような日になっているようですが・・・。今日の霧多布では昼間の気温が10℃に届かず。 おまけに午後から激しい雨が降っています。風が冷たいどころか、室内にいても少し寒く感じます。奥様がフリースを一枚持たせてくれましたので何とか凌げそうですが、これが無ければ凍えていたかもしれません。 感謝、感謝ですな。外歩きは真冬用のダウンジャケットで良かったかもしれません。フリースの上にウィンドブレーカーを羽織ってちょうど良いくらいですから。片岡さんのお話では、何時もこんなに寒いわけではないということですが・・・。聞き間違えでなければ帯広や釧路より気温が低いのだそうです。確かに見える景色は早春。未だ芽吹いていない樹々が見受けられますし、草地は茶色が目立ちます。さて、日記は霧多布岬のラッコのことです。昨日のお昼過ぎに霧多布岬のある浜中町に着いたのですが、お宿のチェックイン時間にはまだ早いので岬まで行ってきました。先行者は皆無です。オオバナエンレイソウやサクラソウの花を愛でながらゆっくり進みます。花の名前は片岡さんに教えていただきました。話が前後しますが、灯台のところで写真を撮っていますと片岡さんがやってきました。全くの偶然です。 1年半ぶりの思わぬ再会となりました。岬の先端まで観察に向かうということでしたのでご一緒することにします。片岡さんは直ぐに赤ちゃんを連れたお母さんラッコを見つけます。この母親を片岡さんは雌Aと名付けて識別しています。クラウドファンディングによって集めた資金で発行された、「ラッコ 霧多布で生まれたA子の物語」の主人公A子のお母さんです。A子は、昨秋無事に親離れをして独立していきましたが、雌Aは今春も出産していたのですね。 この赤ちゃんも雌。 だからA子の妹なのだそうです。この子も無事に育つと良いですね。 願って止みません。さて、泊めて頂いたお宿のエトピリカ村は、立地が最高、清潔、朝食が美味しい、野生生物の宝庫であるお庭、オーナーご夫婦が優しい等々、数々の美点がありますが、TVが無いということもたいへん宜しいですね。 自然と早寝早起きとなります。今日も朝の4時半に目が覚め(これでも寝過ごしたと思ってしまいました)、朝飯前の探検に出かけました。 早起きは三文の徳と言いますがまさにその通りに。しかしお天気は曇天。嵐の前の暗い朝。 海の色は最悪です。駐車場から幾らも歩かないうちに1頭のラッコを発見。直ぐに岩影に入り見えなくなったので、若干後戻りをして改めて見ると、今度は雌AとA子妹を発見します。これは幸先が良いですな。しばらく観ていると、最初に見つけた1頭が雌AとA子妹に接近していきました。 これは雄なのだそうです。最初は寄り添っていただけですが・・・。そのうちお母さんラッコ・雌Aに絡みだしました。A子妹はお母さんに必死にしがみついています。とてもしつこくて・・・。A子妹は海に落ちてしまい・・・。雌Aは怒り爆発です。 果敢に雄を追い払おうとしました。この間A子妹は為す術もなく、プカプカと浮いているだけです。雌AはA子妹のところに戻ります。 が、雄はなおもしつこく追いすがり。A子妹を庇うように再び雄と対峙します。A子妹はまたもやプカプカ。雄がまだ絡んでいますが、A子妹はお母さんの上に戻り。またまた海に落っこちてしまいます。やっと雄が離れていき、母子水入らずに。A子妹はおっぱいをのんでいるようです。途中からは片岡さんも朝の調査にやってきました。片岡さんに依ると、雄のこのような行為は、繁殖の妨げになる大変危険な行為なのだそうです。昨秋まで雌AやA子と一緒にいた雌B母子は、雄と烈しい闘争を繰り広げた後、行方不明になってしまったとか。霧多布岬ではこれまでに6頭の赤ちゃんが誕生しています。全て雌Aと雌Bの子ですが、このうち無事に育ったのは僅か2頭だけ。そして雌Bは現在行方不明です。このような失敗の原因の一つは雄の嫌がらせだと推測されています。7頭目となるA子妹は無事育ってほしいものですね。同じようなお話は野生のクマで聞いたことがあります。クマの雄も子育て中の雌を襲い、子供を殺してしまうことがあるそうです。子育て中の雌は当然のこととして、発情することがありません。そこで雄は子供を殺して雌を発情させ、自分の子孫を残そうとするのだとか。極めて残酷な自然の摂理ですが、人でも連れ合いの連れ子を虐待する例もありますから、理性を取っ払った挙句の行為と見れば、自然なこととして理解可能かもしれませんね。いやいや、このような落ちを付けてはいけません。人の場合は自分の子でも虐待しますから。 どこか妙な生き物なのです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.05.29
5月28日(金)突然ですが(いつも予告なし)、今日は霧多布岬(濤沸岬)にいます。3日間で900km以上を自走しましたから久し振りの神風ですが、意外とあっという間に感じます。26日の水曜日早朝に我が家を出発し、正午に新潟西港から出航、27日の早朝・4時半に小樽港に到着です。一昨年の2回に及ぶ北海道訪問は苫小牧航路を利用しましたが、今回は新潟 ⇔ 小樽航路を利用。 苫小牧東港行きと同じく新日本海フェリーの運航です。苫小牧航路は深夜出発で、夕方到着なので、到着後は苫小牧一泊となってしまい、移動に一日余分にかかってしまいます。小樽便は秋田港寄港もなく乗船時間が短い上、小樽到着後直ちに道内を移動できるので、一日得した気分になります。今後も来る機会があれば、小樽航路の利用がメインになりそうです。COVID-19については再び感染が拡大し、北海道全体が緊急事態宣言下。 しかも延長が必至の情勢ですな。我が家のある我孫子市もまん延防止等重点措置の元にありますが、自分自身は人嫌い、人が集まるところは避ける習性にあることから、買物、宿泊等は十分注意して行動することを肝に銘じ、今回の旅を決行することにしました。偶然なのですが、乗船日は皆既月食の日。揺れる船からの撮影は条件が悪すぎですが、少し写真を撮りました。小樽港に着いてから直ちに移動を開始します。高速道路は一切通らず、一般道をひたすら走りました。早朝なので札幌近郊も渋滞は全く無く順調です。国道5号線から国道274号線に入り帯広市を目指します。日高山脈を越える日勝峠を9時頃通過。展望台で時間を潰すも、このまま進むと余りにも早く着きすぎます。ということで、ちょっと寄り道をしてみました。帯広市の手前の清水町で国道38号線に入らず、国道274号線をそのまま進みます。鹿追町で道道85号線に入り目指すは然別湖(しかりべつこ)方面。今回の北海道旅行の目的は、日本では北海道限定で生息するエゾナキウサギを観ることもその一つ。道東をぐるっと一周した後、何日か観察日に当てる予定ですが、せっかく近くを通過するので、生息地を下見しようという魂胆なのです。一昨年、落石ネイチャークルーズでご一緒した方が、然別湖に寄ってエゾナキウサギを観ていくとおっしゃっていました。そのお話を聞いて、少し興味を持っていたのですよ。website などで情報を集めると、かなり難易度が高いとのことです。臆病だし、小さいし、保護色だし、すばしっこいしなどなど。そこで下見なのです。エゾナキウサギのことを知っている方は少数派でしょうね。 おそらくは。日本に生息している野生のウサギは4種。エゾユキウサギ、ニホンノウサギ、アマミノクロウサギ、そしてこのエゾナキウサギです。ナキウサギの仲間は氷河期から生き残っているとされ、とても歴史が古いのですよ。従って他の3種とは身体的特徴が随分と異なります。そもそも、身体の大きさは手のひらに乗るぐらいと極端に小さいです。耳も長くなく丸い形をしています。一見ネズミさんのようでもありますが、門歯(前歯)が4本とウサギの特徴を備えています。詳しいことはまた後程にして。昨日は帯広市の北方に位置する然別湖の近くの生息地を訪ねたのです。車が駐められる場所から、足場の悪い登山道を登ります。重い機材(三脚、望遠レンズ、カメラ)を担いでいますので、ふうふう息があがりました。こりゃ遠いとかなわんなぁ、と思いましたが15分ぐらいで到着です。初めての場所ですからどこで待ったらよいか見当がつきません。先行者もいないので聞くこともできず・・・。そこで鳴き声を聴いてみることにします。ナキウサギといいますから、ウサギのくせによく鳴くのだそうです。しばらく待つと別の場所で「チ、チ」という声がします。かなり大きな声です。 これだなと思い声がした方に寄って待機。一度、目の前に居るのに気がつかず、不用意に動き穴ぼこに逃げ込まれてしまいました。めげずに再度待機。 今度は鳴きはしませんでしたが、ちょうど真正面に現れてくれました。 何度か場所を移動しいろいろとポーズを決めてくれました。ウサギというよりコアラに見えるかな。 カピパラという説もあります。この子は左の耳が少しだけ欠損しています。 個体識別に役立ちます。かくれんぼ。 それともちょっと恥ずかしいのか。いやいや、怪しいおじさんがこっちを見ているので警戒か。何となく大丈夫そうかな。丸まっているとやはりウサギに見えます。頭が痒い最後の決めポーズ。この後後ろの穴ぼこに潜り込みサヨナラです。意外とあっさりとご対面が叶いやや拍子抜けです。しかし曇り空であったため、写真は暗いものばかり。この後、ナキウサギ訪問のため5日ほど日程を組んでいます。好天の日にも会えることを祈りましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.05.28
5月7日(金)今日もGWの続きでお仕事お休みの方もいるでしょうが、政府首脳や都道府県の首長の期待も虚しく、昨日からご出勤の方も多々いるようで・・・。GW中は首都圏の通勤電車の間引き運転が予定されていましたが、昨日の電車が余りにも混雑していて、今日から間引きは中止となりましたね。R東海の発表によりますと、GW期間中の列車利用状況は、概ねCOVID-19前より7割減と少ないものの、昨年よりは大幅に増加したとのこと。2020年比で新幹線は6倍弱、在来線特急は7倍強なのだとか。しかし、2019年や2018年のGWの平均利用者数に対しては2〜3割程度。昨年の緊急事態宣言は本当に効果があった、ということを改めて認識させられる、ものの見事なデータです。この傾向はJR東日本だけではなく、小田急線の特急「ふじさん」(新宿~御殿場)は前年比4254%(約42.5倍)を記録するも、23019年、2018年と比較するとやはり3割程度なのだそうです。昨年の乗客数はほとんどゼロであったのでしょう。高速道路にしても、昨年はほとんど渋滞ゼロであったと記憶していますが、今年は4日も5日も各所で渋滞が発生しました。 特に4日は酷かった。実は4日の夕刻、用事があって東名高速道路の上り車線を走っていましたが、御殿場インターチェンジから海老名までずっと渋滞していました。あまりの酷さに海老名から圏央道に逃げましたが、そのまま進んでいたら、更に横浜インターチェンジまで渋滞が伸びていたそう。こんなに酷い渋滞は過去経験した記憶がありませんよ。車での移動は安全との認識が広がっているとはいえ、今となってはステイホームの掛け声はほとんど意味無しということが言えるでしょう。もう一年以上も続くCOVID-19騒ぎながら、未だに人流の制限だの飲食の制限だのと、漠然とした手段しか示されないわけですから・・・。最早何おか謂わんやなのでしょう。 月末までの延長や地域拡大の効果は如何にです。本当、菅総理も知事連中もいったい何が言いたいのか訳が分かりません。今日の日記も花の福島。 舞台はやや南に下った白河の小峰城。最初の計画では考えていなかったのですが、末っ子の発案で城址巡りとなってしまいました。先にも書きましたが、白河小峰城は福島県に存在する三つの100名城の一つ。平山城です。 東北地方には珍しく、とても立派な石垣で構築されています。盛岡城、会津若松城と並び、東北三名城の一つとされています。この丘陵地に最初に城が築かれたのは南北朝期のこと。室町時代は白川結城氏の支配下にあったようです。天正年間以降は、二本松城と同様、会津の蒲生氏、上杉氏の会津領となったとのこと。1627年(寛永4年)に丹羽長重が棚倉城から移封され、1629年(寛永6年)より城郭の大改築に着手し、現在の姿に完成させました。二羽長重は織田信長の重臣・丹羽長秀の子であって、二本松城を整備し完成させた丹羽光重の父親。 親子二代で名城を二つ完成させています。江戸時代には、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部と度々藩主が変わります。この中で一番有名な方は、老中首座となり寛政の改革を行った、久松松平家の第三代・松平定信でしょう。本人は御三卿田安徳川家初代当主・徳川宗武の七男で養子に入ったそうです。石垣の上に見える三重櫓と比べると、石垣とお濠の規模が良く分かります。正面から左側。 この石垣の上が本丸。 下の段は二の丸です。正面から右側。 こちらの道を進みます。上の石垣の切れ目を左に曲がると、立派な城門が見えてきます。前御門とよばれ、潜ると本丸です。本丸側から。後方の三重櫓は1632年(寛永9年)に建てられた複合式層塔型3重3階の櫓。オリジナルは「三重御櫓」と呼ばれ、実質的な天守ですが、戊辰戦争で焼失。現在のものは1991年に復元されました。全国的にも珍しい木造での再建。 天守に相当する建造物では最初のもの。 戊辰戦争の激戦地となった稲荷山の杉を使って復元をしており、柱や床などあちらこちらに打ち込まれた鉄砲玉の弾傷が確認できます。残念ながら櫓の上には登れず、1階のみの見学です。本丸から西方の山々を。白河の町や新幹線の効果越しに、那須岳や三本槍岳の姿が良く見えます。本丸から角度を変えて櫓や門を見ます。本丸に入る櫻門跡。 桝形になっていてお城らしい意匠を感じます。二の丸から本丸を眺めます。白河の地は、古代には東北地方の玄関として白河の関が置かれたところ。要するに要衝の地なのですが、江戸時代には、丹羽氏以外は全て親藩・譜代で固められています。外様大名の上杉氏や伊達氏を見張るお役目があったのでしょう。そのような歴史的背景も思い浮かべながら巡るのも乙なものです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.05.07
4月27日(水)今週の日曜日から、三度始まった東京都の緊急事態宣言。それに伴い、お酒を飲んだりカラオケで歌ったりする飲食店には営業自粛、それ以外の飲食店には、午後8時までの時短営業を要請するのだそうです。その他、床面積の合計が1000平方メートルを超える大型商業施設は、生活必需品の売り場を除いて営業自粛要請をしているとのことですね。これには、百貨店、ショッピングセンター、量販店、映画館、劇場、スポーツジム、美術館、博物館、遊園地などなどが含まれます。同時に神奈川県、埼玉県、千葉県の一部もまん延防止等重点措置の対象に。こちらでは時短要請はあるものの、お酒の提供は自治体の判断により可能とのこと。まあ、そんなこんなで東京都では路上飲酒や公園内飲酒、東京都に隣接する町では東京都からの越境飲酒が目立つようです。先週は、駆け込み飲酒というのもあったとか。昨年の今ごろは、対象地域外のパチンコ屋に押しかけるとか、地方にコロナ疎開するなどという行動が話題になったものでした。そして今日からは、三県のまん延防止等重点措置の対象地域が36市町に拡大されました。我が街もその対象となったのですが、併せてお酒の提供は全面自粛になるらしい。 ということで、どうしてもお店で飲みたい呑み助は、利根川を渡ってお隣の茨城県まで行かなくてはならないようです。それにしても越境してでも行く人は行くのでしょうね。映画館や遊園地も同様でしょう。 思わぬ特需の発生ですな。行動を自制している人は普段から自制していると思われますが・・・。普段から自生していない人は、宣言も措置も関係なく抜け穴を探すのでしょう。2週間強の期間でどれだけ感染拡大が抑えられるか。ちょいと期間が短いようには思えますが、芸が無い政府対策の帰趨が見ものであります。さて、日記は福島県二本松市の霞が城の続き。今日のお話はお花中心ではなく城郭のご紹介をしましょう。上の石垣は三の丸のもの。下の石垣は本丸のもので、左側の一段と高い部分は天守台です。どちらも精緻で十分な高さを誇る非常に立派なものです。本丸の天守台下。 ただここには天守閣は一度も建っていないとのこと。天守台から安達太良山方面を観た景色です。霞が城は、元々は奥州探題職の畠山氏の居城でした。これは室町時代のこと。安土桃山時代の初期に、伊達政宗が畠山氏を滅ぼし領有。豊臣秀吉の奥州仕置後は会津領に組み込まれ、蒲生氏、上杉氏、加藤氏等の領地に。その当時、蒲生氏、加藤氏により石垣が築造され本格的な平山城となったようです。江戸時代には織田信長の重臣、丹羽長秀の孫・丹羽光重が白河から移封されます。丹羽氏は代々築城の名手で知られますが、二本松の城下も含め更に整備を進めました。明治時代に廃藩置県となり二本松藩が消滅するまで丹羽氏の居城となっています。二本松市は福島市と郡山市に挟まれた奥州街道沿いの町ですが、東北地方第二の経済都市である郡山市より、当時は重要な拠点であったことが窺われます。ところで、今の石垣等は平成5年から開始した全面修築復元工事をされたもの。戊辰戦争で灰燼に帰していますが、美しく修復され往時の姿が偲ばれるものです。下の写真は、三の丸御殿跡の広場から箕輪門へと向かう石段です。 先が虎口という仕掛け。道は右、右と180度曲がるのですが、上からはそのように全く見えませんでした。曲がりきると箕輪門に出ます。これは大手門ではないかと思ってしまうのですが、大手門はずっと離れた市中にあります。城郭そのものは城下も含む巨大なものであったようですね。箕輪門の外から門を見ます。ばってんに見える筋違いの紋は丹羽氏の家紋です。三層櫓、楼門、多聞櫓に囲まれた門外は、如何にも難攻不落の城門であったことを思わせます。門を破るまでに四方から狙い撃ちをされてしまいますね。箕輪門から続く城壁。駐車しているトラックと比べて下さい。見上げるような高さです。霞が城は「日本100名城」の一つに選ばれています。福島県では他に鶴ヶ城(会津若松城)と白川小峰城が入っています。先にも書きましたが、丹羽光重は白河小峰城から霞が城に移ってきました。日本100名城をハシゴした稀な武将といえましょう。白川小峰城は翌日に行ってみました。この日は福島市の高湯温泉にお泊りです。この温泉は前々から行ってみたかったところ。 念願叶ったりです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.04.28
4月8日(木)4月に入り退職してから丸2年が経ちました。自分自身に何か変わったことがあるのか、特に意識することはないのですがね。3月一杯で健康保険の任意継続保険の資格が終了しましてね、4月1日に市役所へ行き、国民健康保険の加入手続きをした際は、2年の経過を実感しました。その他では、確定申告の手続きを個人でやらなくてはならないことでしょうか。そのおかげで所得税や住民税に関しては少しばかり知識が身に付きました。現役時代には全く想像もしないし、考えもしなかったのですが・・・。所得税も住民税も、そして国民健康保険税までも、所得に応じて負担額が急激に増加する仕組みであることが分かりました。幾つになっても知らないことは尽きないものですな。さて今年の3月は、初夏を思わせるような気温の高い日が続き、関東地方だけでなく西日本から一気に桜前線が北上してしまいました。COVID-19に気を取られているうちに、近場の桜たちは、大方見頃を逃してしまいましたが・・・。写真の桜の樹は、国の天然記念物である福島県三春町の「滝桜」と呼ばれる銘木。先日、COVID-19に十分注意しながら満を持して見学に行ってきました。何故満を持してなのか、といいますと。この樹は10年以上も前にも観に行く計画を立てていたのです。ところが、その日は季節外れのドカ雪が降り、いわきまでは行っていたのですが、磐越自動車道などが通行止めで断念。その後、東日本大震災が発生し、福島第一原子力発電所の事故も重なり脚が遠のき、機会も無く時が経ってしまったのです。我が家からは常磐自動車道、磐越自動車道経由で3時間ほどの移動。北上するに従って満開の桜のお花が目に映り、時期的にはピッタリはまったのではないかと、期待は膨らむ一方でした。例年この時期に実感するのですが、日本の野山には自生の桜の樹が本当に沢山ありますね。普段はその存在を知ろうともしないのですが、今時は実に存在感があります。茶色っぽい野山のあちらこちらが桜色に染まる美しさはまさに癒しですね。 道はガラガラ。お花の咲き頃は、滝桜の周りの道は渋滞必死の覚悟が必要との認識でしたが、平日早朝のせいか、COVID-19のせいか、福島第一原子力発電所事故の影響か、駐車場も空いていましたよ。 これなら人が少なく滝桜の周りも密にならずに安心です。ご覧の通りちょうど満開でした。この滝桜は、岐阜県の「根尾谷淡墨桜」と山梨県の「山高神代桜」と合わせ、日本三大桜のひとつに数えられ、日本を代表する桜の巨木です。おおよそ100年前の1922年(大正11年)に国の天然記念物に指定されています。樹齢は1000年超とされています。 1000年前といえば平安時代中期。関東では将門の乱が勃発し、その後朝廷では藤原道真が権勢を揮った時代です。その当時のこの近辺はどのような様子だったのでしょうか。周りを反時計回り(左回り)に巡ってみました。滝桜の後ろ側は小高い丘。 お社が設けられていて周辺にも桜の樹があります。白っぽいお花、やや桜色が濃いお花、混じり合って絶妙な色合いでした。咲き始めの桜のお花は中心の赤が薄め。時間が経つにつれて濃い赤へと変化していきます。従って、ここの桜はもう少し時間が経つと散り始めそうです。お花の後ろにまたお花。 まさに満開の画です。菜の花と滝桜。滝桜の名の由来は、枝垂れた枝に咲く桜のお花が滝のように見えるから、或いはこの辺りの地名が滝だから、と諸説があります。こちら側からは幹が良く見えます。根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18mだそうです。保護のためか、柵でぐるりと囲われていて、近くまで寄ることはできません。しかしながら、遠目から見ても迫力満点の立ち姿ですね。大人が5人から6人、手を繋いでやっと囲めるぐらいの太さなのです。品種はエドヒガン系のベニシダレだそうです。エドヒガンは日本の野生品種の一種であり、非常に長寿であること、葉が出るより先にお花が咲くなどの特徴があります。現存する桜の古木の多くはエドヒガンだそうです。また、園芸品種の代表であるソメイヨシノの先祖であります。しかし、残念ながらソメイヨシノには長寿という形質は受け継がれていませんね。近くには水仙のお花も真っ盛り。土筆も顔を出していました。この日の朝方は曇り勝ちのお天気で、写真の発色が今一で残念でした。三春町の町内には、そこかしこに大きな桜の樹があります。「○○の桜」と名付けられた多くの樹が地図上に記されていて、車で少し走りますと次々と目に入ってきます。 珍しくないようですな。1年の内の10日間ほどのことなのでしょうが夢の国にいるようでした。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.04.09
3月25日(木)一都三県の緊急事態宣言が解除されてから4日目。桜満開や卒業の時期と重なり、予想通り都心では人混みが戻っているようです。 SARS-CoV-2の新規感染者数の微増傾向は、宣言解除前から見られていましたが、今週に入り更に顕著になっています。飲食店の営業時短要請は、8時から9時と僅か1時間延びただけであって、路上や公園などが俄か居酒屋となり、深夜には泥酔者がゴロゴロ転がって・・・。当然のこと、辺り一帯は騒然とし、取っ組み合いや喧嘩が続発。静かになった朝方には辺り一面にゴミが散乱。 混乱振りが加速しているようです。宮城県では感染者数が増え続け、過去最多を更新し続けています。お隣の山形県・山形市にも飛び火しているとか。2週間早く宣言解除となった大阪府や兵庫県においては、再び新規感染者数が急増し、今にも爆発しそうな気配が漂っています。首都圏においても来週以降の新規感染者の数字を見るのが怖い。というところが正直な気持ちです。 ワクチンの入手もままならず・・・。今日から聖火リレーが始まってしまったというのに・・・。一年以上も経って未だに感染防止がままならぬとは、想像を絶しましたな。日記は下田からの帰り道。トップの写真は泊まったお宿の外観。 館内は清潔。 経営されているご夫婦の気遣いは申し分なく。お風呂は蓮台寺温泉のかけ流し。 露天風呂もありそれぞれ貸し切りです。下の写真は朝食。 手作りのおかずが並んでいます。普段は食が細い息子も、しっかりと完食していました。 ごちそうさまでした。食後、しばらくお部屋で休憩した後、下田駅に向かって出発です。ご主人に車で送っていただきました。 可愛らしいお嬢さんも同乗です。蓮台寺駅でも下田駅でも、希望の駅から送迎していただけます。下田駅前でお宿のご主人と別れ、まだ時間が早いので港の方へブラブラお散歩です。巨大なクレーンを搭載した船を発見。 働く船も機能美がありますね。このような船はクレーン船というのだそうですが、調べてみるとこの程度の大きさでは序の口なのだそうです。クレーン船の横には海上保安庁の船舶が停泊していました。下田海上保安部所属の巡視船「かの」です。これは軍艦ではありませんし、全長56mと小型の部類ですが頼もしく見えます。最近尖閣諸島近辺において、中国会計局(China Coast Guard)の活動が目立ちますね。海上保安庁(Japan Coast Guard)は任務が大変でしょうが、海上自衛隊と連携し頑張っていただきたいものです。下田海上保安部の守備範囲は太平洋に面していて、隣国とは遠く離れていますから、比較的穏やかな任務に就いているでしょう。反対側の埠頭には下田港内を遊覧する「サスケハナ」号が戻ってきました。「サスケハナ」は、黒船来航時マシュー・ペリー提督が乗船していた旗艦の名前です。下田らしい黒船の遊覧船ですね。下田駅に戻り乗車する特急「踊り子」の発車を待ちます。今度の車両は、185系の後継であるE257系です。乗り心地が比較できますね。お宿から最寄りの蓮台寺駅前の景色です。何でも無い田舎の風景が広がっていますが、伊豆を代表する高級温泉旅館の清流荘や、千人風呂で有名な金谷旅館が点在しています。清流荘には1979年に当時のアメリカ大統領である、カーター氏がサミットで訪日した際、一家で立ち寄ったことでも有名ですね。さて、E257系の乗り心地は如何にですが、185系とは比較にならないほど秀逸なものでした。当たり前といえば当たり前なのですがね。社内は静かそのもので、ほとんど揺れません。時代の流れと技術の進歩をしっかりと感じることができました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.03.25
3月18日(木)一都三県の緊急事態宣言は、今度の日曜日、21日で全面的に解除となることが政府から表明されました。これ以上やっていても意味が無いということでしょうか。そもそも新たな手立ても無く期間を延長するだけで、COVID-19の新規患者の数が減少するものかと、2週間前の日記で疑問を呈しましたが・・・。しかも一部の穿った見方では、延長を決めた大きな動機が、小池都知事との関係性にあるとのお話もありました。本質的な議論でないところに嫌気をさしてしまいます。何をか謂わんやなのですが、今週に入ってからは、もう減少するどころか増加傾向が次第に明らかになってきましたね。また、東京や大阪の繁華街では、深夜まで飲酒をして騒いでいる若者の姿が目立っているそうですが。この若者たちの気持ちも分からなくはないですな。若者が抱きがちな基本的思想は、大なり小なり反体制に傾く傾向にあります。これが新たな社会を築く原動力になるわけですから、一概に問題行動とは言えませんが・・・。 尤も迷惑行動にまでなると×ですがね。ましてや現在のような社会状況では増幅されがちでしょう。COVID-19によって失業したり行動制限されたりとやたら閉塞感がある上に、国のリーダーなのだろうと思しき政治家や国家公務員を巡るスキャンダルの連続に、この人たちが言うことに従うには大いなる抵抗感が湧き上がるのも無理なからぬところか。国会では連日のように言った言わない、行った行かないの押し問答が続き、挙句の果てに半世紀も前に聞いたような「記憶にございません」の連呼でしょ。肝心な議論は進まずですからねぇ。 安心して未来に向き合えるわけがない。そうは言いながらも、若者の行動がCOVID-19の更なる蔓延に繋がるならば、これもまた、なお一層のこと多くの若者が安心して輝く未来を描くことが叶わなくなります。恐らく、今後少なくとも2週間ほどは、SARS-CoV-2 の感染拡大が続く可能性が大きいのでしょうし、緊急事態宣言はもはや人々の心に響かず、武器として無力であること証明され、政府において打つ手無しが、明白なことになってしまった思われます。経済再生にとっても感染拡大防止にとっても、再び悪循環の罠に陥いっていくことは止めようがないのでしょうかこうなれば、益々自己防衛を固めなくてはならないのでしょうね。さて、日記は下田行きの続き。 かいつまんで記しておきます。下田駅に着いた後、下田ロープウェイに乗車し寝姿山に登りました。この日が強い南風が吹いていたのですが、意外と下田は穏やかで、ロープウェイは全く揺れず通常の運行でした。寝姿山とは変わった山名ですが、遠くから見ると女性が寝転がった姿に見えることから付けられたそうです。自分で確かめたわけではないのですが、様々な website を見ますと確かに見えなくはないというところです。上に登ると絶景でした。 トップの写真は下田湾。丸見えです。 江戸時代末期には黒船を監視する見張り台があったそうです。遠くに見えるのは利島。更に遠くに薄っすら見えるのは新島、三宅島、神津島らしい。行ったことはないけれど、若い頃は新島ブーム(ナンパフィーバー)があり、思い出すと感慨深いものがあります。こちらは伊豆大島です。少し変わった形のフウセントウワタ(風船唐綿)の実。原産国は南アフリカとのことですが、園芸植物として世界中に広まっているそうです。丈夫な植物で、温暖な地では野生化するらしいですね。フウセンダマノキ(風船玉の木)という別名もあります。我が家のメンバーは、皆が初見ということで記念撮影です。ロープウェイの山頂駅に戻る途中、イソヒヨドリの女の子とばったり。ぴょんぴょん飛び跳ねて前を横切って行きました。ロープウェイから降りて昼食へ。折角下田まで来たので、美味しいお魚料理が食べたいところ。ブラブラ街歩きをしていると、なかなか良さげなお店を発見しました。後で調べてみると、地元の方にも人気のお店だそうで。運よくカウンター席が空いていました。下の写真は煮魚定食。 イナダ、マダイ、キンメダイの盛り合わせ。もちろん美味でございました。これは海鮮どんぶり。 ボリューム満点。更に刺身定食のお刺身の盛り合わせ。鮮度抜群の厚いお魚の切り身がゴロゴロしています。ごちそうさまでした。お食事後は、次の日に用事がある奥様とお別れし、末っ子と2人で街をブラブラ。有名なペリー通りまで行き、伊豆急下田駅の方までUターンです。伊豆急下田駅から各駅停車で1駅戻り、蓮台寺駅からこの日のお宿に向かいました。下田駅には「スーパービュー」の後継車両、「サヒィール踊り子」が停まっていました。お昼ご飯をたっぷりいただきましたので、晩御飯なしのプランです。部屋で晩酌していましたら、お宿のご主人がやってきて、ちょっとしたつまみを持ってきてくれました。このホタルイカは相模湾産。 初物なのだそうです。 ごちそうさまでした。ホタルイカは富山湾が有名なのですが、太平洋側の相模湾でも獲れるのですよ。藤沢の「陽ざ志」さんでも、相模湾産の干しホタルイカがいただけます。COVID-19のため、もう一年近くも訪問できずですからそろそろ禁断症状です。このお宿のご主人は、若い頃に我孫子市のある飲食店でお仕事をされたことがあるそうです。下田の地で思いがけずローカルな話題で盛り上がってしまいました。露天風呂も気持ちよくゆったりと過ごすことができました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.03.18
3月10日(水)昨日と今日の報道番組で、南東北地方に突然現れたカラスの大群に、地域住人が恐れおののいているとのニュースが紹介されていました。一月程前から、福島県の郡山市、会津若松市や、宮城県の石巻市、登米市、岩手県南部の金ケ崎町では、市街地中心部も含めてカラスの大群が我物顔に飛び回っているそうです。この地方の皆さんはカラスの大群を見慣れていないのか、「気持ち悪い」、「不気味だ」などの感想をもらしておられました。これは間違いなくミヤマガラスの大群ですね。 他のカラスも混じっているかもですが。ミヤマガラスは冬鳥で、秋に日本に渡って来て春になるとユーラシア大陸に戻ります。嘗ては九州を始め西日本への渡りが主。現在も佐賀県佐賀市や熊本市では、多くの個体が越冬し人との軋轢が生じているとのこと。鹿児島県出水市のツルの飛来地でも、ミヤマガラスの大きな群れがいました。大群が上空を舞っていますと、蚊柱のように見えたものです。1980年代から次第に飛来地が日本海側を北上し、今では東北や北海道でも観察記録があるようですが大集団は珍しいのかも。ミヤマガラスは集団性が強く大きな集団を良く作ります。そこが普段見慣れたハシブトガラスやハシボソガラスと違うところ。場合によっては何百、何千もの大集団になりますから、見慣れない人にとっては、非常に不気味に見えるのでしょう。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画、「鳥」を連想するのでしょうか。想像するに、今年の大集団の形成は、雪深いせいで生息地域が狭められ、必然的に局地的大集団になったものかと。さて、話題をガラッと変えまして、今日の日記は「特急踊り子」のこと。乗り鉄でも撮り鉄でもない我が家ですが、ヒョンなことから「特急踊り子」に乗って下田まで旅してきました。事の発端は現在大学3年生の末っ子の発案。昨年の夏前からインターンシップ活動に励んでいて、2月には第一志望の会社から内々定をいただき、早々と就活を卒業。COVID-19のために例年とは異なる苦労もあったようですが、取り敢えず目先の目標が達成され一安心。 我が子ながら頑張ったとは親バカですな。それはさておき、何処かに出かけたいと仰せになったのですが・・・。何処で聞き込んだのか、「特急踊り子」の世代交代が進んでいるとのこと。185系車両はもう直ぐ定期運行が終了するから、引退前にこの車両に乗って伊豆まで行きたいので、付き合ってくれとのことで・・・。因みに185系の定期運行終了日は来る3月12日のようであります。185系は1981年のデビュー。 まだ旧国鉄時代のお話であります。特急・急行から通勤・通学まで幅広い用途に対応可能な設計だったそうです。この40年間で高崎線、東海道線を中心に、特急或いは快速として親しまれてきました。踊り子号としては乗車したことはないのですが、曖昧な記憶では「特急かいじ」や「特急草津」として185系車両に乗車した記憶があります。この引退をもって、JR東日本から定期運行する旧国鉄時代の特急車両は全て引退となります。この日は2月最後の土曜日。 我が街からの直通列車もあるのですが、やはり鉄道ファンが押し寄せたようで、一週間前には既にほぼ満席状態。混んでる電車はCOVID-19罹患の懸念もありこれは断念し、比較的空いていた東京駅9:00発の「特急踊り子」3号をチョイスしました。10両が伊豆急下田行き、5両は修善寺行きでした。これは連結部分。 トップの写真は修善寺行きの最後尾車両です。我が家が乗車した7号車。東京駅で崎陽軒のお弁当を買い込み、発射直後に早速朝食をいただきます。これは横浜チャーハン弁当です。モハ185型は、モハ184形と電動車ユニットを構成する中間電動車なのだとか。基本型は31両存在するそうですが、30とは30両目というkぽとなのでしょうか乗り心地は流石に昭和の時代を感じます。最新型の車両と比べると、横揺れ縦揺れともに強く騒音も煩く感じました。しかし、これがかえって旅情を感じさせるのかもしれません。熱海駅で修善寺行きを切り離したのち、伊東駅で登り列車とすれ違いの時間調整。この先は単線の伊豆急線に乗り入れるためです。5分ほど停車するとのことでしたから、ホームに降りて写真を撮りました。11:50に無事伊豆急下田駅に到着しました。撮り鉄の皆さんが写真を撮っていましたが、思ったよりは少数でした。5分ほどでバラバラになり、ゆっくりと写真を撮ることができました。隣の伊豆急の車両と比べると、線路幅は同じなのにボディの幅は全く違うのですね。下田駅の改札を出たところ。185系が引退した後、この路線はE257系にバトンタッチするよう。もうすでに一部はE257系が走っていまして、上の写真の左端にその姿が写っています。従来「スーパービュー踊り子」として運用されてきた251系も、一足先の一年前に引退しているそうですね。 これは知りませんでした。後継は「サフィール踊り子」だそうです。JR東日本の website を見ると全車両グリーン席の豪華列車。当然高額な乗車料なのですが、何時かは乗ってみたいものです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.03.09
2月5日(金)一昨日飛び出した、森元首相のご発言。 正直呆れて空いた口が塞がりませんな。この方、何時まで世間に毒を撒き散らすのか 日本の恥とまで言うと言い過ぎか人権尊重や世界平和の上に成り立つオリンピックの精神と真っ向から反するものでしょう。何故このような方が 東京五輪・パラリンピック組織委員会 の会長なのか森喜朗氏でなくてはならない理由は何か 調整能力に長けているとの評価も聞かれますが本当なのでしょうか。COVID-19の状況に関係なく、東京オリンピックは開催以外選択肢はない、との趣旨の発言などからはこれまでも数々の奇行、失言で物議を醸してきた方。今でも印象に残るのは、首相在任時代の2000年の発言と2001年の奇行ですな。首相就任から一月余りには、「日本は天皇を中心にしている神の国」との趣旨の失言がありました。これは日本国民ばかりでなく国際的にも大きな衝撃を与えましたね。その一月後の衆議院選挙期間中には、「無党派層は寝ていてくれるといい」との趣旨の暴言を吐きました。そしてその年の秋には野党より内閣不信任決議案が提出されましたが、いわゆる「加藤の乱」を惹起し国政に大きな混乱を来たしました。翌年のえひめ丸(宇和島水産高校練習船)事故に際しては、第一報を受けたにも関わらずそのままゴルフを続けたことが大問題に。そんなこんなが重なり、任期中の支持率は超超超低空飛行を続け、就任後ちょうど一年ほどで辞任に追い込まれることになった、そんな御仁であります。高校時代はラグビーに熱中し、早稲田大学でも僅かな期間とはいえラグビー部に籍を置いていたとのこと。日本ラグビー協会の名誉会長もされた方。尤も日本開催のWC直前に謎の辞任をしていますがね。このような経歴から、森喜朗氏のラグビー愛は有名ですが、ノーサイドに表されるラグビー精神を本当に理解しているのか疑わしいですな。ラグビーに限らず、人種、ジェンダーなどを越えてダイバーシティが重視される現代国際社会の動き。特にオリンピックは、世界が一つに纏まる国際協調の象徴である祭典でしょう。それにしても、会議の進行の遅れをあたかも女性委員のせいととられる発言。そして女性委員を増やしたくないと婉曲的に仰っている態度。女性を一括りにし評価した暴言。 それも公式の場で世界に発信されて・・・。意図的かどうかは別にしても、あまりにも拙い表現力ですな。 知性が疑われます。ある意味日本を代表するお立場に居られるのですから、この御仁こそ良くわきまえて、今後はご発言をお控えいただきたいと思われるのです。衆議院議員といえば別名代議士。国民に選ばれ代理として国会の議事に携わる人です。 従ってその武器は言葉。その幹部、或いは幹部経験者が、次々とリテラシーの欠如を国民から指摘されるとは・・・。選ばれた方も選ばれた方ですが、選んだ方も選んだ方か。さて、今日の日記は「ディスカバー千葉」の3回目。和田浦の民宿に宿泊し翌日のことです。 前日とは打って変わってグズグズのお天気。我が家に戻る道すがら、何か所か寄り道をしました。ここは房総半島のほぼ真ん中、長生郡長南町笠森にある笠森観音です。お寺の website によりますと、784年(延暦3年)の開基。伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み、山上に安置し開基したと伝えられています。駐車場から続く石階段。女坂とされていましたが意外と長い参道です。両側の山を削った切通が続きます。 よく整備されていて歩き易いですよ。写真にはしっかりと写っていませんが、この3本は根元で繋がっています。根元にぽっかりと穴が開いた子授け楠。この穴を夫婦で潜ると子宝を授かるとされています。もう奥様と親爺には関係ありませんがね。 潜ろうと思っても潜れないでしょう。仁王門。観音堂は1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願により建立されました。その建築様式は日本唯一とされる「四方懸造(四方懸崖造)」。「しほうがけづくり(しほうけんがいづくり)」と読みます。懸造の代表は京都の清水寺本堂。 ほとんどの方は一度は訪れたのでは。頭の中で清水寺をの舞台を思い浮かべていただくと、崖造とは何かイメージが湧きますよ。要するに崖などの急斜面に柱や貫で床を固定しその上に建物を建てる様式。ここは四方崖造ですから、お堂の周り、四方が全て崖といういうことで・・・。何でこんな面倒臭いところに建てる気になったかなぁ、と思ってしまいます。急な階段を登ると本堂へと上がれます。笠森観音堂は1028年(長元元年)に、後一條天皇の勅願により建立されたと伝えられる歴史ある建物です。1,000年も前にどうやって建てたのだろうか。本当に不思議ですが、伝統的な日本建築の技術には驚くばかりなのです。観音堂の上から見下ろした境内の様子。 周辺の山々は開基以来伐採禁止とされ手厚く保護されてきました。千葉県では稀と思われる純天然林です。 本当に貴重な場所。「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されていて、1970年(昭和45年)には「国指定天然記念物」に指定され保護されています。しょぼしょぼと降る雨が煙り、水墨画を観ているようでした。階段の途中からは床下が覗けます。調べてみると、日本には意外と多くの崖造の寺院がありました。山岳信仰と真言密教が全国に広がった足跡なのでしょうか。国宝級、世界遺産級でも、上記の清水寺本堂を始め、奈良県の長谷寺本堂、滋賀県の石山寺本堂があります。1908年(明治41年)には「国宝」に指定。その後、1950年(昭和25年)には「国指定重要文化財」となっています。また笠森観音は、「坂東三十三観音札所」の第三十一番札所として古来より巡礼の霊場となっています。ここは朝寄った千葉県唯一の大規模な棚田。大山千枚田と呼ばれています。 想像以上に広大にして意外と緩斜面の棚田でした。今から10年前の3月下旬、この地を訪れる計画を立てお宿も予約していましたが、直前に東日本大震災が発生し、おじゃんとなっていました。10年越しの念願が叶ったわけですが、朝から降り続く雨のため、お散歩することはできませんでした。さて、今回の勝手にディスカバー千葉の旅。知る人ぞ知るといった穴場に近い場所を巡ってきました。千倉のお花畑以外は、観光バスが乗り付けるような場所ではありませんから、普段から酷い人混みはほとんど発生しないことでしょう。緊急事態宣言下、積極的にお勧めできませんが、お籠り生活に飽きてきたら訪れるのも有りかな、と思われるところでした。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.02.05
2月2日(火)今日は節分。 二十四節季では冬は終わり、そして一年の最後の日です。明日は立春、いよいよ春到来。 新春から始まる新しい一年の幕開けとなります。今週末はかなり暖かくなる予報が出ていますね。まだまだ寒い日は混じりますが、三寒四温を繰り返し本格的な春となることでしょう。2月2日が節分となるのは124年振りだそうです。例年は2月3日ですが、37年前の1984年は2月4日でした。 若干の誤差はあることから偶には1日の修正が入りますが、それにしても太陽と月と地球の運行の見事なまでのシンクロにはびっくりぽんですな。合わせて、古代より、この運行の解明にチャレンジしてきた数多の先人たちにも感謝感激雨霰なわけです。ところで、緊急事態宣言の延長が決まりました。徐々に SARS-CoV-2 新規感染者数が減ってきていますがまだ不十分という判断です。3週間ほど前のピーク時よりは凡そ半減で、かなり減ったと感じてしまいますが、これは数字に対して感覚が麻痺してしまっているということでしょうか。未だに全国では日々3,000人前後の方々が新規にカウントされています。この数字は年末年始辺りの数字ですが、当時はこのレベルでも驚愕だったのです。随分と前の話のようで懐かしい気もしてきます。一方、イギリス型、南ア型、ブラジル型などの所謂変異株の感染者が、海外渡航未歴無しの複数の県の方から出ていて、既に市中感染が広がっているのではと疑われる状況ですね。田舎に位置する我が市でも毎日10人前後の感染者が出ていて、ぼんやりとその辺りをうろつけないという、やや切迫した心理状態になっています。千葉県では主要鉄道網に沿って感染が広がっていて、南は木更津市西部、東は成田市、北は利根川を越えて茨城県南部までと、明らかに首都東京との往来が盛んな地域であることが明らかですね。感染は飲食の機会が中心であるとすれば、都内に通勤する方や学生さん方が都内で拾ってきて、家庭なり地域に移植してしまう構図が見えてくるわけで、やはり軽々に緊急事態宣言の解除は適わないというところが妥当なのでしょう。さて、今回の「ディスカバー千葉」のプチ旅行の言い訳ではありませんが、裏返していえば、房総半島の南部、或いは太平洋沿岸は感染者が極めて少ないのです。その意味でこの辺りは注意深く行動すれば、感染リスクはほぼ無いと言えます。特に屋外を中心とするならば尚更です。 地域経済への貢献という意味合いもあります。積極的にお勧めするわけではありませんが、「人の行く裏に道あり花の山」も良いのではないかと思いますよ。日記は我が夫婦の「ディスカバー千葉」の第二弾。ここも以前から訪れたかったのですが機会が無かった場所です。南房総市千倉町にある、日本唯一のお料理の神様を祀った高家神社。全国のシェフや板前といった料理人の方々には絶大の信仰を集めています。トップの写真は境内で出会ったアカハラ(亜種オオアカハラ)です。駐車場にあった看板。 高家神社のことなどがざっくりと分かります。御祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと):尊称・高倍神(たかべのかみ)。この神様は、第12代景行天皇が皇子日本武尊の東国平定を悦び、安房国に行幸された折の故事に因んでいます。同行した磐鹿六雁命が、堅魚かつおと白蛤しろうむぎ(はまぐり)を獲り、それを調理して景行天皇にお出ししたところ天皇はその美味しさにたいへん喜びました。この功績を称え、勅命をもって子々孫々、大膳職長(おおかしわでのおさ)に任ぜられたということです。その他、神社の由緒などは高家神社の website をご覧ください。https://takabejinja.com/index.html毎年、5月17日の春季例祭には、四條流千葉県支部たかべ社中の庖丁式奉納、10月17日の秋季例祭には、四條眞流一門の庖丁式奉納(旧神嘗祭)、11月23日の新穀感謝祭には、四條流石井派一門の庖丁式奉納(旧新嘗祭)と、年3回の包丁式が披露され観ることができますよ。包丁式とは平安時代に始まる、料理に関する作法、故実、料理法を纏めたもの。四條流は、藤原山蔭(四条中納言、824年 - 888年)が、第58代光孝天皇の勅命により庖丁式の新式を定めたことに由来するそうですよ。実際の包丁式は、一切手を触れずお魚を包丁と箸だけで下ろしていくものなのだとか。穴ぼこからは奥様にお顔を出してもらいました。本殿の前まで上がってきました。 大きな屋根の立派な社殿です。両脇に立っている竹筒は、夜間のイルミネーショ用のもの。竹筒に開けられた、デザインされた穴ぼこから漏れる光は幻想的、だそうです。駐車場からずっと感じていたのですが、実に清々しい境内ですな。目に触れる全てが調え(理え)られているせいでしょうか。流石に調理の神様がいらっしゃる場所だと感銘を受けます。境内の一画にはこのような石碑が立っています。これには高家音頭なる歌の歌詞が刻まれていました。歌手は湯浅みつ子さん。 少し有名な民謡歌手の方のようです。千葉県に多い湯浅姓ですからおそらく千葉県のご出身なのでしょうね。直ぐ横にスピーカー付のボタンがあって押すと歌声が流れます。踊り易そうな、盆踊りに最適な懐かしい歌でした。その石碑から横に目を写すと・・・。 黒っぽい大きめの野鳥を発見。アカハラという種ですが、頭から背面の濃い暗色から亜種のオオアカハラでしょう。冬鳥のツグミの仲間です。近縁では全体が白っぽいシロハラという種もいます。オレンジ色の嘴とアイリングがとてもチャーミング。途中からカラスの鳴き声がうるさいなと思い上を見上げると・・・。ノスリを2羽のカラスがモビング中。とても白く見えたので、一瞬ケアシノスリかと思いましたが、尾っぽに黒帯が認められないので普通のノスリですね。 光線の具合でやけに白く見えました。カラスを引き連れて次第に遠くへ飛び去って行きました。再びオオアカハラに目を戻すと、ずいぶんと近くまで来ていました。水仙ロードでは、「チェ、チェ」や「ポ、ポ、ポ、ポ、ポ」といった、シロハラの独特な鳴き声があちらこちらからしきりに聞こえましたが姿は見えずでした。この子は鳴き声は出しませんでしたが、長時間に亘ってしっかりと姿を見せてくれました。一般的にアカハラは「キョロン、キョロン」などと澄んだ綺麗な声で囀ります。地鳴きはツグミと同様に「ツイー」とか、「キョキョ」かな。 かなりの大声に聞こえます。さて、アカハラと亜種アカハラは生息地が若干異なります。アカハラは日本の高地など涼しい場所で繁殖し、冬は台湾、中国南部、フィリピンなどに渡って過ごす個体が多いようです。オオアカハラはもっと北方に生息する傾向があり、サハリンなどで繁殖し、日本には冬鳥として渡来し越冬します。アカハラも近所で越冬する子はいますが、傾向としては亜種オオアカハラの方が多いのかもしれませんね。そして我が家の近所では、シロハラよりも個体数が少ないように思われます。何れにしても落ち葉を掻き分けながらご飯を探す姿が愛らしい野鳥です。意外と身近な林縁にいますよ。 都市公園でも可能性大。ガサガサという落ち葉を掻き分ける音を目安に探して見ると会えるかもしれません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.02.02
1月29日(金)このところやや数が減ってきたように思われる SARS-CoV-2 の新規感染者。今後どうなることやら。 緊急事態宣言の解除は何時の事になるのでしょうか。そういえば、悪評高い GoTo ○○ は目下停止中ですが何か大昔の記憶のようです。今週に衆議院を通過した第三次補正予算案には、GoTo ○○ の6月までの延長に当てる財源1兆円が盛り込まれていますが・・・。菅総理大臣はあくまでもこの政策に固執する姿勢を崩しませんね。しかし感染の収まり具合が中途半端な状態で GoTo ○○ を再開すれば、またもや感染が拡大するリスクもあり、いつか来た道になりかねないわけです。ワクチン接種の準備は始まったところですが、これもまた不透明な要素が多く、一般市民の接種が終了するのは何時のことやら。何れにせよ感染者数、重症者数が減らない限り、GoTo ○○ が再開されることは覚束ないと言わざるを得ないですな。東京オリンピックも然りです。さて、我が千葉県では、GoTo ○○ に合わせて、ディスカバー千葉という、少しベタな独自のキャンペーンを展開しております。もちろん GoTo ○○ の停止に合わせ現在は停止中ですが・・・。さて、このキャンペーンに触発されたわけではありませんが、先の週末には、暫く訪れていなかった房総半島方面へ奥様とプチ旅行をしてきました。今日の日記はこのプチ旅行の記録です。居住地と同じ県内ですから、当然他県よりは訪れた場所は多いですね。しかし意外と知らない小場所や、行こう行こうと思っていて行っていないところも多いもの。今回はディスカバー千葉ですから、このような場所を選んで行ってきました。先ずは東京湾口に面する鋸南町から、早春のお花、日本水仙の様子をご紹介しましょう。鋸南町にはこの水仙の群生地が何か所もあって、知る人ぞ知る名所になっています。この群生地の存在は以前から認知していましたが、訪れる機会がないままでいたところです。江戸時代には船で東京湾に運ばれ、武家屋敷や町家で好評であったとか。千葉県は昔でいうところの安房、上総、下総(一部)の三つの国が合体しています。従ってとても大きく南北に長い県。 南北は200km近く、東西は100km以上もありますよ。その上、南総地区は暖かい黒潮が洗っていますからとても暖かいのです。ですから我が家の辺りが極寒でも、南総はぽかぽかのことが多く真冬でもお花天国。日本水仙の自生地は日本各地にありますが、特に有名な三大自生地は兵庫県淡路島、福井県越前町、そしてここ千葉県鋸南町なのですよ。この他、伊豆半島の静岡県下田市の爪木崎を上げる場合もあります。このお花は日本水仙と名付けられていますが、日本原産の固有種ではなく、古い時代に中国を介して日本に移住したようです。耐寒性があり日本の気候に良く合うのでしょうか、このような自生地が各地にある上に名前に「二ホン」とあるため勘違いされてしまいますね。日本水仙は房咲水仙の一種とされますが、元々の自生地は地中海沿岸らしいですな。シルクロードを経由して中国に渡り、その後平安時代に遣唐使とともに来たとか、東シナ海を自力でプカプカ浮いてやって来たとか、諸説あるようですが確たることは不明。日本水仙はヒガンバナ科のスイセン属の多年草。小学校の花壇などにはよく植えられているので身近なお花ですね。しかしヒガンバナ科の仲間だけあって球根を中心に全草が有毒です。さて、ここは保田の街から少し山側に入った江月(えげつ)水仙ロードというところ。これは河津桜の仲間なのでしょうか。 びっしりではありませんが綺麗に咲いていました。もう一か所、同じ鋸南町の大崩(をくづれ)水仙郷も見てきました。この場所は佐久間ダムという人造湖の畔に展開されています。今年の関東地方は昨年12月以降、極端に降雨量が少なく、南総地区の外房側では年末辺りから断水の危機が迫っていました。このダムの水は農業用に使用されるそうですが、ご覧の通り極端に渇水していました。(週末の雨でかなり水位が上がったそうです。)日本水仙を鑑賞した後、更に南下して南房総市のお花畑を訪れました。下の写真は千倉町白間津地区の様子。 向こう側には太平洋が広がっています。千倉町では温暖な気候ゆえお花の露地栽培が盛んです。ポピーやキンセンカ、ストックなどのお花が満開でした。花摘みができるのですがこの日は鑑賞だけ。更に千田地区のお花畑にも。このお花畑の向かい側には「道の駅ちくら潮風王国」があります。COVID-19の流行がなければ、道が渋滞するほど人気の場所ですが・・・。訪れている人は本当に疎ら。再び緊急事態宣言が発出され地元の人々は如何に思うのでしょうか。お花たちは、COVID-19など何処吹く風と咲き誇っていました。千葉県では湾岸沿いや総武線、常磐線沿いを中心にCOVID-19の新患が絶えません。しかし、房総半島の先端や太平洋側に行けば行くほど、患者数は少ない状態です。まぁ、首都圏の中でも最も近い過疎地域の一つですから、観光客があまり来なければ、普段の生活で自然と三密状態は避けられるのでしょうね。不要不急の訪問ですから少々気が引けましたが、密になる機会は全く無く、ちょうど良い気分転換となりました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.01.29
10月12日(月)7月末から始まった 「GoToトラベルキャンペーン」ですが、10月10日辺りから大手旅行予約サイト経由の利用条件が大幅に制限されることに・・・。例えば親爺が良く利用する「楽天トラベル」では、これまで当該クーポンの利用制限回数は無制限でしたが、 今後は一会員につき宿泊とツアーが各々1予約ずつの利用と制限されます。同じく大手サイトとして有名な「じゃらんネット」の場合は、回数制限ではなく割引上限額の大幅な引き下げをしています。こちらは回数制限はないものの、¥14,000から¥3,500への変更ですから、結構衝撃的な変更ですね。ただし、1泊¥10,000以下の場合は満額の35%補助となりますから、大手、高額に偏っていた利用状況の是正には効果的かもしれませんね。このことから、高額宿泊やツアーの場合は「楽天トラベル」経由。手頃なものを複数回楽しみたい場合は、「じゃらんネット」経由での予約がお得ということになりますな。更にヤフートラベルといったサイトも、じゃらんネットと同様の制限に移行するのだそうです。その他 Relux というサイトにあっては、なんと「GoToトラベルキャンペーン」の取り扱い自体が終了なのだとか。このキャンペ-ンの特徴がまたまた炸裂という感じですが・・・。その特徴とは、何かといきなり、出し抜け、急というところ。7月の始まりもそうでしたね。東京都を外す、入れるとの扱いに関してもそう。 そして今回もやられました。まぁ、複数サイトが足並み揃えてですから、何やら事情がありそうですが、その点に関しては明確にはされていません。謎にはまだ続きがありまして。JTB、日本旅行、るるぶ、近畿日本ツーリスト、HISなどの、大手代理店経由の予約には現時点で何ら制限がかけられていない模様。人気のサイトは早々に配分された予算が尽き始めらしい。それとも、そもそもネット系に配分された予算は少なかった全体の予算はまだまだ10%も使っていないとの話もあるで、旅行業者毎の予算配分には、何やら裏があるのではないかと勘繰りたくなりますね。地域共通クーポンでは偽造が出回っているとの噂もありますな。トラベルに限らず、イートにおいてもトラブル続きのこのGoTo事業。どうなっているのか、と突っ込みたくなる今日この頃です。さて、日記は「Go To の前に北陸旅行」の最後。立山・室堂平のお花です。トップバッターはイワカガミ。高山性でそっくりさんの植物はコイワカガミ。コイワカガミのお花は横向きに咲き、そして葉っぱの縁のギザギザは少なくわりと滑らか。室堂平のあちらこちらでみかけたこのお花は、そのような特徴はありませんのでイワカガミだと思います。これはツガザクラ。ツガザクラの中でも、お花が桜色ではないアオノツガザクラかな。ミヤマキンバイ。よく似たシナノキンバイは、葉がもっと深く裂けているので見分けられます。チングルマ。草花のように見えますが、バラ科の低木です。お花が散って果実が実った姿も素敵ですよ。ピンク色の果実が綿毛のようで子供が遊ぶ風車のような印象です。だから漢字で書くと稚児車となります。ハクサンイチゲ。白い花弁に見えるものはがく片なのだそうです。イワカガミの赤とハクサンイチゲの白のコントラストがきれいでした。おそらくハクサントリカブト。やっと見つけたハクサンチドリ。現在もマークのお花。 タテヤマウツボグサミヤマトウキかな。セリ科の植物は見分けが難しいです。この他、コバイケイソウやヤマハハコなど、昨年北海道の平地で見かけた植物が、この高山帯で多く見られました。とても懐かしい気分になりましたよ。さてこれで北陸旅行の記録は終わりにします。最近我が家の近所ではヒヨドリの姦しい声が響くようになってきました。あと一月もすれば、冬鳥が多数やってきますね。楽しみなことです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.10.12
10月1日(木)今日から10月。日本の多くの企業は4月~3月決算ですから、令和2年度、つまり令和3年3月期は今日から後半戦に入ます。前半戦は COVID-19 の影響を強く受け、経済活動全般のパフォーマンスは散々な結果であったのですが、そろそろ、せめて前年並みの水準を取り戻していただきたいところですが・・・。日本取引所グループ傘下にある東京、札幌、名古屋、福岡の各証券取引所において、共通の相場情報配信システムの障害により朝から全銘柄が取引停止となり、復旧の目処もなかなか立たないなか、結局終日機能停止となってしまいました。東京だけで一日平均3兆円ほどの株券の取引がありますから、経済に与える影響は大きく、いきなり水を差されたというか、派手に蹴躓いたというか、何とも・・・。明日からは正常に動いていただきたいものですね。日記は、ライチョウさんの生息地、立山・室堂平の景観です。室堂平までは、富山地方鉄道の終点、立山駅から、立山ケーブルカー、立山高原バスを乗り継いで行きます。高原バスが通る道路は、自然環境保護のため一般車両は通行禁止。従って、車で行く場合は立山駅前の駐車場に車を置きケーブルカー、バスのお世話になります。ほとんどの方(といってもパラパラでしたが)は、室堂ターミナルから立山登山へと向かうので、室堂平周辺を散策する方はほぼ皆無でした。上の写真では正面が立山で、右端の鞍部が一の越。 ここから最高峰の雄山に登るよう。親爺と奥様はこちらには向かわず、みくりが池の展望園地から、その辺りをブラブラとお散歩です。全く人が通らない裏道を行きます。正面の建物は立山室堂山荘。 この辺りに宿泊してのんびりするのも良さそうです。立山室堂山荘でUターンし、みくりが池の反対側(上の写真では左側)へと回り込みました。何故かというと、反対側にハイマツ帯が見えたからなのですよ。ライチョウさんに出会うには、ハイマツが生えている地帯を探すのが早道。遊歩道の脇にはこのようなハイマツ。嘗て日本にも氷河が存在していたことを示す痕跡です。ライチョウさんに出会ったのはこの辺り。みくりが池を反対側から見ています。もうひとつの池、みどり池越しの立山。みくりが池越しの立山。どちらも真に絵葉書のような景色です。室堂ターミナルまで戻ってくると、一羽の野鳥を発見します。イワヒバリですね。高山帯、森林限界より標高が高い草地、岩場に生息するので、登山をする人以外にはあまり馴染みのない野鳥です。そのような意味ではライチョウさんに似ているかも。くちばしに虫をたくさん咥えていました。ひょっとしたら子育て中だったのかもしれません。室堂平には多くの高山植物も咲いていました。その様子はまた次回。 そろそろ最終回にしないとと思っています。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.10.01
9月17日(木)7月の北陸旅行の記録も8日目のことに突入。進行が遅れに遅れているので一気に二日分です。 もう少しで終わります。 Go To トラベルキャンペーンは始まって間もなく2か月目。10月1日からは東京都も対象になることになりましたね。都民の皆さん、たいへんお待たせしましたというところでしょうが・・・。そもそも東京都を除外する必要はあったのか、という疑問が今でも残るところです。今回のキャンペ-ンは一人一泊、宿泊費の35%を国が出すというもの。上限設定はあるものの低額ではありませんから、当然料金がお高い高級施設が人気のよう。どうすればお得か、このような計算には長けた方が多いようです。財源は元々国民が納めた税金だ、と考えると、東京都だけ除外とか高級施設が有利とか、公平性の観点から少々腑に落ちないところはあります。さて、日記の舞台は金沢から能登半島の輪島へと移ります。トップの写真は景勝地「能登金剛」の「鷹の巣岩」。周辺には「厳門」、「ヤセの断崖」など、松本清張の「ゼロの焦点」のクライマックスシーンの舞台もあります。遊覧船で廻ることもできるようですがあいにく休業日でした。やたらと蒸し暑い日でありましたので、崖地を歩いて廻るのはパス。 根性なしです。能登金剛は30km弱に渡って続く奇岩、奇勝、断崖が続く景勝地の総称。日本は何処に行ってもこのような景勝地があるものだ、とつくづく実感します。下の写真は、県道60号沿いにある「道の駅 高松」から見た能登半島。この先には波打ち際を走れる自動車道、「千里浜なぎさドライブウェイ」がありますが、うっかり通り過ごしてしまいました。8kmほど続く国内唯一の道路。砂の粒子が細かく湿っているため硬く締まっているとのこと。車で走って駐車してそのまま海水浴や潮干狩りも可能。ちょっと残念なことをしました。ひたすら輪島を目指し、早々にお宿入り。荷物を置いて、近くにあった「輪島キリコ会館」に出かけました。「キリコ」とは能登半島全体で行われる夏祭りの主役となる大きな燈籠のこと。夏祭りは能登半島全体、3市3町において、7月初旬から9月中旬まで続きます。祭りの数は29。 存在するキリコの数は200以上と云われています。こちらは小型のキリコ。大型のキリコも展示されています。 最大のものは4階建ての建物ほど高さがあります。この中には現役のものから、歴史的文化財のものまで30基余りが並んでいます。会館の外に小さ目のキリコが引き出されてきました。お祭り期間ですので、その準備のためであったのでしょうか翌日の朝は有名な朝市の見学に出かけました。ご案内の通り、千葉県勝浦、佐賀県呼子と並んで日本三大朝市の一つです。例年ならば観光客で賑わうであろう朝市も、訪れる人はやはり疎らです。しかしこの直後の三連休は、かなりの人出であったようです。輪島塗のお箸屋さんでお土産を買いました。ここは朝市通りを通り抜けたところにあった輪島ドラマ記念館。朝の連続テレビ小説「まれ」のロケセットを再現しています。2015年に放送された朝ドラですから、親爺は見てはいませんでしたが、奥様は懐かしがっておりました。直ぐ脇のいろは橋。この橋も朝ドラでは何回も登場したようです。同じ輪島市内の白米千枚田(しらよねせんまいだ)にも行ってみました。読み方は「はくまい」ではなく「しらよね」。 白米町にあるから。日本海に向かって、小さな田が重なり海岸まで続いています。法面や畦道の方が田圃より広い印象です。実際に1,004枚ほどの田圃があるそうですよ。 正真正銘の千枚田です。能登半島は駆け足で通り過ぎてしまいました。本当は暫く滞在すると良いのでしょうね。 見どころ満載という感じです。輪島港からフェリーで渡る日本海の孤島、舳倉島にも何時か行ってみたいですな。この島は春・秋の渡り鳥の休憩地。 つまり野鳥の宝庫。 興味津々です。さて、この後は富山に向かって出発です。富山側から立山に上がるため。 室堂ではライチョウさんとご対面。その様子は次回以降の日記で・・・。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.09.17
9月9日(水)九州・沖縄方面に大きな禍をもたらした台風10号は北方へと去りましたので、日本周辺は穏やかさを取り戻しました、と言いたいところですが・・・。太平洋高気圧の位置は全く変わらず、30℃越えの厳しい残暑が続いています。昨日は最高気温が35℃を超える地点も多々あったようです。 仙台や盛岡も35℃ですか。溜息が出てきます。 今週いっぱいは我慢の日々だそうです。日本ばかりではなくアメリカ西海岸でも猛暑だとか。カルフォルニア州では50℃越えのところも。 ロスアンゼルスが49.4℃・・・。 ハァ~Death Valleyという恐ろしい地名がついた砂漠地帯では54℃越えだって。 ハァ~地球は本当に大丈夫なんだろうか、と思わざるを得ませんな。日記は北陸旅行の金沢市兼六園。石川門から金沢城三の丸を出ると目の前が兼六園の桂坂口です。しかし、開園時間の7時まで若干時間があったので、蓮池門口までブラブラとお散歩。 この辺りは江戸町と呼ばれています。江戸幕府第二代将軍秀忠の娘・珠姫の輿入れの際に、江戸からの随行した300人もの従者が住んだ所なので江戸町。今では茶屋や料亭が並んでいて、独特の雰囲気を醸し出しています。7時になり蓮池門口から入場。 他に入場した人は一人だけ。広い兼六園を3人で占領できそうです。ところで兼六園はご案内の通り日本三名園の一つ。残りの二か所は岡山の「後楽園」と水戸の「偕楽園」。三名園の中では巨木が一番多く野趣あふれる印象です。因みに後楽園は池と芝生と天守閣のコントラスト、偕楽園は梅林が見所ですね。兼六園の起源はもちろんのこと加賀藩前田家にあるのですが、当初は蓮池庭(れんちてい)と呼ばれていたとのこと。兼六園と名付けたのは寛政の改革を行った松平定信だとされるのが定説。しかし諸説あるようで真実は藪の中です。兼六の語源は、宋の詩人である李格非の『洛陽名園記』にあるそうです。この中で李格非は中国洛陽の名園・湖園を、「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」としています。その内容を簡単に言えば、宏大(広大)であれば、静けさ・奥深さ(幽邃)は少なく、人工的(人力)であれば、古びた趣(蒼古)に欠ける。また、池や小川や滝(水泉)が多いと、見通し(眺望)が得られない。この相反する六つの景観を兼ね備えるのは、唯一湖園のみである。となりますが、兼六園は真にそれに値する名園だ、ということなのでしょう。兼六園の象徴である徽軫灯籠(ことじとうろう)です。池は霞ヶ池。 真ん中には蓬莱島が浮かび、徽軫灯籠越しに内橋亭が見えます。徽軫灯籠は手前の虹橋とセットで鑑賞するのだそうです。 これは奥様の教え。虹橋をお琴に見立てると、灯籠はお琴の絃を支える琴柱。 だから徽軫灯籠なんだって。従ってこの撮り方が最も適切なのですよ。訪れた方は誰もが写真を撮りたくなる名スポットですが、この周りには親爺と奥様しかいなく、様々な角度から撮り放題でした。霞ヶ池に張り出した唐崎松。第13代藩主斉泰(なりやす)が、琵琶湖畔にあった唐崎松から種を取寄せ育てたものとされます。元祖の唐崎松は「近江八景」の一つであったそうです。園内にはこのような赤松が多いのですが・・・。唐崎松は黒松です。 幹の色の違いが顕著ですね。兼六園の冬の名物には雪吊りがありますが、唐崎松は最初に設置され最後に外されるのだとか。 最も大事にされているのです。唐崎松の傍にいたアオサギさん。 置物のようでした。反対側から見た徽軫灯籠と虹橋。 右からは唐崎松の枝先。左側は蓬莱島という小島。 右手には唐崎松。蓬莱島は亀を現し、唐崎松は鶴を現しているという吉祥の相。更に奥から徽軫灯籠方面を写します。霞ヶ池の水面に景色が映り込み、幽玄の世界が広がります。風が無く完全な鏡面状態でした。霞ヶ池を離れ園内をブラブラ。この松の大木は、見た目の通り「根上りの松」と命名されています。この松は自然にこのような姿になったのではないそうです。盛り土をしてその上に松を植え、後に土を取り除いて根上りにしたとのこと。手が込んでいますね。 剥き出しの根っこが迫力満点。根上り部分は高さ約2メートルもあるそうです。この松は13代藩主斉泰の御手植えと伝わります。キジバトさんの夫婦。再び徽軫灯籠まで戻ってきました。このアングルは正しくない例です。ツツジの植え込みに隠れていたヤマガラさん。大きな青虫をゲットしました。エナガの群れもいました。兼六園の見学はこれでお終い。桂坂口から石川門を潜り、再び金沢城に戻ります。 充実した朝のお散歩でした。ホテルで朝食をいただいた後、能登半島に向けて出発しました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.09.09
9月3日(木)暑い暑いと言っている間にもう9月も3日。少しずつ涼しさを感じるようになりましたが如何COVID-19の感染者数も次第に低下傾向ですが、最近目立つのはクラスターや家庭内感染のようです。 今しばらく細心の注意が必要ですね。熱中症だ、COVID-19だとおたおたしていたら、今度は大型台風が連続して襲来するという新たな脅威の季節となりました。今年も日本列島南岸沿いの海面水温が統計史上最高に高いそうで、これが8月の猛暑の一因であったのでしょうが、今後は台風のご馳走となることでしょう。昨日長崎県の西を通過した台風9号は非常に強い勢力でしたが、現在小笠原諸島の西をノロノロ運転している台風10号は、それを遥かに凌駕するまで発達し、日本付近を通過する頃には925hPa程度とされています。しかも台風9号と同様の進路が予想されていて予断を許さないところ。九州地方は7月豪雨で大変な被害を受けたところ。今度は最大瞬間風速が70m以上とも予想される強風が襲ってきます。海面水温の状況が今後も続くとなると、東日本以北も「対岸の火事」ではなくなりますね。一昨年は関西地方、昨年は房総半島や本州各河川と、連続して台風の被害は甚大。安倍総理の突然の辞任により、突如政局が動いていますが、誰が新総理になるにせよ、大雨、暴風に対する防災は喫緊の大きな課題となりますね。日記は遅々として進まない北陸旅行の記録。7日目のことです。 舞台は北陸一の都市・金沢の朝。以前バス旅行で金沢に来たことがありますが、その時は街中をうろつく時間はあまりなく、金沢城や兼六園も駆け足の見学。従って今回ゆっくりと見学しようという魂胆です。金沢城に向かう前に、まず武家屋敷群のお散歩です。 ここも観光の定番中の定番です。早朝のこと故、地元の人々も含め人影はほとんどありません。風情のある街並みを抜け、ホテルと反対側の金沢城に向かいます。目に飛び込んできたのは何やら目新しい橋。これは鼠多門橋と鼠多門。鼠多門は金沢城の西端の玉泉院丸にあり、金谷出丸(現在は尾山神社境内、トップの写真)と橋で繋がっていました。往時は武家屋敷群とはこの門と橋を通り通えたわけです。どちらもオリジナルは明治期まで存在していたそうですが、1877年(明治10年)に鼠多門橋が老朽化のため撤去され、1884年(明治17年)には鼠多門も火災により焼失し失われていました。一昨年より復元工事が始まり、2年の歳月をかけてこの度完成したものですが・・・。使用開始は7月18日(土)から。何とこの日は7月17日で、残念ながら橋を渡り門を潜ることはできませんでした。鼠多門から入れないことから、ぐるっと半周回って大手側に行き黒門から入ります。新丸広場という大きな広場を進みますが、途中の湿生園ではカルガモさんと出会います。ちょうど風切羽の換羽時期が始まっていて、全体が何となくみすぼらしくなっています。金沢城には主要な門が三つあります。所謂「金沢城三御門」ですが、河北門、石川門、橋爪門ですな。これはその一つ、河北門です。防御性を高めた桝形となっていて、門の手前で道が直角に左手に曲がっています。この門を潜ると三の丸。 城郭の主要部分に入ります。三の丸側から見た河北門です。河北門も約10年ほど前に復元されたもの。 大手側にある三の丸の実質的な正門です。こちらは五十間長屋。 約20年前に復元されました。他の城では一般的に「多聞櫓」と呼ばれます。武器や什器等をしまっておく倉庫です。左端には三御門の一つ、橋爪門が見えています。 この五十間長屋の先は二の丸となります。直進すると石川門。 これも三御門の一つ。三御門の中では、防御性が一番高いと云われます。1759年(宝暦9年)の大火で失われた後、1788年(天明8年)に再建。それが現存のものであり国の重要文化財に指定されています。きれいな桝形。攻め込むと右に曲がるのですが、三方から弓矢、鉄砲で狙い撃ちされ全滅ですな。石川門の外に出ると直ぐに掘割があり橋がかかっています。二の門は続櫓と二層二階の石川櫓で挟まれていて、桝形門の完成形の呼び声高いものです。橋を渡ると兼六園側に出ますが、全体像も優美なものですね。観光地として絶大な人気を誇るのも尤もなところ。後は兼六園の桂坂口の前。兼六園の夏場の開園時間は朝の7時です。ここに辿り着いた時間は、午前6時45分頃でした。周辺をブラブラしながら開園時間を待つことにしました。次の日記は兼六園と金沢城の続きです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.09.03
8月26日(水)8月中旬から、日本の COVID-19 新規感染者がやや減ってきた感じ。全世界では、未だに25万人/日の方々の新規感染が確認されていますが、今週に入いると、やはり僅かながらその数は減少傾向にあるように思えます。しかし千葉県では、GoTo トラベル 対象の宿泊施設でクラスターが発生。まだまだ予断を許さないところです。まぁ最大限の注意を払ったとしても、目に見えないウィルスとの関係ですから、改めて言うまでもなく、感染リスクはゼロにはならないということでしょう。一作晩発表されたドイツの4~6月のGDP改定値は、前期比△9.7%で1970年以降最大の落ち込みであったとのこと。他の先進諸国でも、ざっくり言うと前年同期比△10%弱。 似たり寄ったりです。7~9月は経済活動を徐々に再開した国がほとんどですから、おそらくここまでの落ち込みとはならないと思いますが・・・。政府肝いりの GoTo の利用者も予定よりはうんと少ないようです。経済活動全開バリバリはまだまだ先のことでしょう。さて新たな日常として、リモートワークやオンライン営業などが喧伝されています。しかし、経済活動の大半は、いまだに人や物が全く動かないわけにはなりません。人や物が動けば COVID-19 も動きます。 オンライン旅行じゃね、リアルにはとても敵わない。ところで最近のニュースによると、一度完治したにもかかわらず、遺伝子配列が異なるCOVID-19に再感染した香港在住の人がいるそうです。これまでにも似たような報告は幾つかありましたが・・・。COVID-19に関しては未だに解明されていないことだらけですね。こうなると、インフルエンザのA型、B型のように、開発されたワクチンが効果を発揮しない場合もあると想像されるわけで・・・。COVID-19とのお付き合いは本当に長くなりそうです。親爺の主治医の先生は、既に2月末に「COVID-19は風邪と同じ」、と仰っていましたが、今となっては真に言い得て妙だと感心するばかりです。日記は北陸旅行の6日目の後半。「東尋坊」は永平寺の悪僧でしたから、東尋坊の次は当然のこと永平寺です。東尋坊から南東におおよそ35kmほどの移動。少しばかり山に分け入ったところに位置します。緑が深く涼し気に見えますが、この日は木陰もあちっちでした。参道にあった永平寺の全景図。ほとんどの建物は回廊で結ばれています。寺院ですから主要な建物は七堂伽藍と呼ばれます。これが通用門。 一般の参詣者はここからでいりします。立派ですね。写真では見難いのですが、入って直ぐの場所に検温カメラが設置され、大きなモニターで体温が確認されていました。奥様も親爺も無事突破です。吉祥閣から館内に入り、続いて傘松閣に移ると2階には大広間が出現します。その規模156畳敷き、だそうですが「天井絵の大広間」と呼ばれています。下の写真では暗くて見えませんが、天井には230枚もの花鳥絵が飾られています。オリジナルの傘松閣は1930年(昭和5年)に創建。今のものは1995年(平成7年)に改築されたのですが、天井絵は昔の状態そのままに移されました。従ってこの天井の絵は、昭和5年当時の日本画家144名の手によるものです。荒木十畝、川合玉堂といった巨匠の作品も含まれています。230枚の中には5枚だけ花鳥以外の絵があるそうですが、この5枚を全て見付けると願い事が叶うとか云われています。栗鼠1枚、唐獅子2枚、鯉2枚だそうですが、照明が暗くてしっかりと見ることは適わずでした。大広間に続く廊下を抜けると、いよいよ七堂伽藍のエリアに突入です。永平寺の七堂伽藍は、山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、浴室、東司。山の斜面に配置されていますから、このような階段回廊で繋がっています。内側を見るとこんな感じ。七堂伽藍の中心となる仏殿です。歴史を感じる扁額。仏殿の中。 中央にはご本尊のお釈迦様が祀られています。永平寺はとてもおおらかなお寺さんで、ほとんどが写真撮影可能。ただし、修行をされている僧の姿はご法度とのことです。仏殿前から見下ろした中雀門と山門の重なりが美しいですな。一番上に位置する法堂です。修行僧や来客者の方々のお食事処、大庫院。この銅鑼を鳴らして食事の時間を知らせるのだろうか巨大なすりこぎも吊るされていました。山門のある一番下の段まで戻ってきました。趣のある階段が中雀門のある段まで伸びています。山門から見上げた中雀門。永平寺見学の後は北陸一の都市、金沢まで移動しました。金沢で利用したホテルは風変わりなホテル、その名も「変なホテル」といいます。フロントは無人。恐竜のロボットが出迎えてくれます。恐竜は動いていますが何かをしてくれるわけではありません。恐竜の前のモニターを操作して自分たちでチャックインを行います。チェックアウトも同様。with COVID-19 の時代にはマッチしていますね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.27
8月20日(木)今日は久し振りに涼しい一日。我が家の周りでも纏まった雨が降り、ぐっと気温が下がりました。それにしても、昨日までは暑い日が続きました。皆様におかれましてはお元気でお過ごしでしょうか。あまりにも暑いので気象庁の website で我が町のデータを確認してみました。7月の日照時間は合計でたったの49.3時間。 これに対して、8月は昨日までの合計は210時間。 一日当たり約9時間半ほど。ほぼ毎日、朝から晩までお陽様カンカンということになります。最高気温はどうであったかといいますと、7月の平均は26.9℃、8月は33.8℃でした。気温の比較では+6.9℃ほどですが、お陽様カンカン効果で数字以上に暑く感じるのでしょう。今週からやや過ごし易くなるとの天気予報が出ていますね。 期待大です。日記は北陸旅行の六日目。この日は梅雨の真中にも関わらず、9時頃から雲が取れ暑い一日となりました。お宿の朝食をいただいた後、早速出発です。お泊りだけで敦賀を素通りというのも味気ないので、お宿の女将さんに教えていただいた「気比の松原」に寄りました。「気比の松原」は「虹の松原」、「三保の松原」と並び、日本三大松原の一つとされ、万葉集や日本書紀にも登場するほど、古より愛でられてきた名所です。「一夜の松原」とも呼ばれますが、これは聖武天皇の時代の伝承に由来します。聖武天皇といえば東大寺の大仏を建立した方として有名です。大陸から異民族の大船団が来襲した際、この地に一夜にして松林が出現し、氣比神宮の神の使いである白鷺が、松の頂に多数とまったそうなのですが・・・。白鷺の群れを大軍勢の旗指し物と勘違いした異民族は、恐れをなして逃げ帰ってて行ったのだということなのですね。日本海側には古代の伝承が多々有り、長い歴史を感じることができます。これで今年は日本三大松原を全て訪問することができました。この後、カニで有名な越前海岸に沿って北上し「東尋坊」に・・・。この地は50年近く前に、家族で訪れた思い出の場所。 よく覚えてはいませんが。道の両側にはお土産屋さんが並び、今でも昭和の時代を彷彿とさせます。雰囲気は神奈川県の江の島と似ていました。 COVID-19の影響か人影は疎らです。お土産屋街を抜けると目の前に絶景が広がります。海も穏やかなので、大好きな遊覧船に乗ることにしました。船着き場は崖の下。階段を降りると船着き場があります。かなり狭い入江です。 船長さんは腕利きですね。入江の出口も狭いです。「東尋坊」は、輝石安山岩の柱状節理からなる奇岩。大規模なものは世界でも3か所しかないというもので、地質学的にも非常に貴重であり、国の天然記念物に指定されています。「東尋坊」とはまた不思議な地名なのですが、昔々、永平寺にいた暴れ者の僧の名前に由来があるそうです。沖合に浮かぶ島は雄島。 赤い橋で陸地と繋がっています。橋を渡り徒歩で上陸することも可能。 これも江の島と似ていますね。雄島に近付くと、やはり発達した柱状節理が観察できます。この奇岩は「蜂の巣」と呼ばれているもの。もっと近付くと真にアシナガバチなどの巣にそっくりです。下側は荒波による浸食で欠けてしまったのでしょうか。時計回りに更に回り込んでいくと、傾いた上に上面がスパッと切り取られたような形状の岩が見えてきます。東尋坊の柱状節理は上述の通り輝石安山岩ですが、雄島の柱状節理は流紋岩とのこと。どちらも火山活動で流れ出た溶岩が冷えて固まったものです。二酸化ケイ素の含有量によって流紋岩、安山岩、玄武岩と別れるそうですが・・・。雄島の北端にはこれまた形が異なる岩が見られましたが詳細は不明です。この小屋は海上保安庁所有の監視小屋。何を監視するのかといいますと、対象は密入国者なのだそうです。今より約30年前、元号が平成になった当時、ベトナム難民を偽装した中国からのボートピープルがが多数押し寄せた事件がありました。今でも密入国者がいるのでしょうか。遊覧船は雄島から東尋坊に戻ると、東尋坊の名所を案内してくれました。ここが東尋坊を代表する大池。 永平寺の悪僧、かの東尋坊が突き落された場所だとか。少し前までは「ちゃちゃちゃちゃーん、ちゃちゃちゃちゃーん」のオープニングテーマソングで始まる2時間ものドラマに良く出てきました。15年ほど前に放送が終了してしまいましたら今の若い人は知らないかもね。犯人が追い詰められるラストシーンの定番でした。たぶん東伊豆の城ヶ崎海岸も良く登場していたのでは・・・。話は戻りましてと。この日は波が静かなので、船は大池の奥まで入ってくれました。下から見上げる断崖も迫力があります。この他、ライオン岩や夫婦岩、蝋燭岩などの名所があります。下の写真はライオン岩。ライオンが伏している姿に似ていることから。後ろ姿の方がそっくり、という声もあります。遊覧船を降りてから、今後は大池を上から覗き込みます。海面までおおよそ25mほど。 吸い込まれそうな気分になります。間近で見る柱状節理がきれいです。空も海もきれい。 海外のリゾート地に来たようですね。しかしうっかり前進すると奈落の底に落ちてしまいます。すぐ前は大地の割れ目。ところで、東尋坊は自殺の名所でもあるとのこと。最近まで年間で何十人も飛び込んでいたそうですが・・・。今でも2か所ほど電話ボックスが設置されています。これは自殺を思いとどまらせる、「救いの電話」とか「命の電話」とされています。近くで見かけたイソヒヨドリ。 たぶん今年生まれの幼鳥です。全体的にフワフワの産毛(幼羽)が残っています。さて、「東尋坊」とは永平寺の悪僧・東尋坊のことだということが分かりました。ということでこの後、永平寺の見学に向かいました。永平寺は曹洞宗の寺院であって、総持寺とともに曹洞宗の大本山です。開山は1940年代の古刹。 趣がありました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.23
8月18日(火)北海道のサンマ漁は、今年も悲惨な出だしのようですね。7月上旬から始まった流し網による近海物は昨年以上の不漁。初水揚げでは、41,010/㎏というバカげた記録的高値が付いたそうです。これって、年末の大間の本マグロ並の価格でしょうか。このサンマ、魚屋さんの店頭では一尾5,980円のお値段だったそうな。初物の御祝儀相場だとはいえ、高級魚を通り越して超絶高級魚となりました。8月10日からは小型船による棒受網漁も解禁となりましたが、初出漁では全船漁獲量ゼロという未曽有の事態になっているのだそうです。昨年に引き続き記録的な不漁で終わってしまうのでしょうか。 心配ですね。イワシにしろサバにしろサンマにしろ、その他の魚種も含め、漁獲量の波は過去にもありました。今に始まった話ではありませんが、近年の猛暑などの気象変動や乱獲による資源枯渇と間違いなく関係があるのでしょう。今後も注視していく必要がありそうです。日記は北陸旅行の5日目。 丹後の宮津から若狭の敦賀まで移動です。この日は朝から天候が思わしくなく、厚い雲がどんよりと垂れ込めていました。若狭路は自然が豊かで寄り道したいところが多々あるのですが・・・。大方は端折ってしまいました。まず寄ってみたところが舞鶴港の赤レンガパーク。舞鶴港は、1901年(明治34年)に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁されて以降、日本海側を守備する軍港として活躍してきました。今でも、明治から大正にかけて建設された赤れんが造りの建造物が残っています。その中でこの北吸地区には、12棟の赤レンガ倉庫が遺されています。そのうち8棟が国の重要文化財に指定されていて、歴史的価値が高い日本有数の赤れんが建築群として見学自由の公園として整備されています。この倉庫たちは、現役時代は武器庫として使用されていたようです。倉庫の床に引かれたレールが、往時の姿を偲ばせるものがあります。明治期に造られた倉庫は、1901年(明治34年)~1903年(明治36年)に建造が集中しています。日露戦争における日本海海戦は1905年(明治38年)に起こりました。東郷平八郎司令官率いる連合艦隊は、大方の予想を覆しロシアのバルチック艦隊を撃破。その際、この倉庫から積み出された武器弾薬も使われたことでしょう。また東郷平八郎自身は、舞鶴鎮守府の初代司令長官として2年ほど住んだそうです。搔い摘んだお話しか分かりませんが、この倉庫群が、後の日本の更なる近代化に貢献したことは間違いないところでしょう。舞鶴東港は、今では海上自衛隊の舞鶴地方隊の基地であって、日本海側唯一の重要拠点として、その役割が見直されているところです。駐車場から護衛艦の姿が見られました。ブリッジ周りの形状から、イージス艦の愛宕と妙高かと思われます。日本の北方に点在する核保有国に対する、ミサイル防衛の第一線の任務を担っています。このような艦艇が配備されなくても済む、真に平和な時代の到来を願うところではありますが、当面は必要悪というところでしょう。舞鶴を立ち、若狭湾に沿って東進します。天候は悪化する一方。 時々雨が激しくなっています。三方五湖まで来ても相変わらず。レインボーラインという有料道路に入りましたが、標高が上がるにつれ雲の中で視界が無く。お天気であったらさぞかし素晴らしい眺めであっただろうと思い残念です。五胡の内の日向湖だけが辛うじて見えました。橋の向こう側は若狭湾です。さっさとお宿に向かいゆっくりすることにしました。長閑な風景に見えますが、この先には敦賀原子力発電所や高速増殖炉もんじゅ、また廃炉となっている新転換炉ふげんがあり、少し不気味ではあります。お宿の夕食。 新鮮なお魚尽くし。 美味でありました。量は多くなく少なく、ちょうど良い塩梅。個室を用意していただき、いたせり尽くせりでした。お部屋の調度もおしゃれです。照明も素敵です。天候に恵まれず自然との触れ合いはほとんどできませんでした。この点が大いに心残りなのですが・・・。トップの写真は、お宿の前の波止場にいたカルガモ。何処にいてもカルガモはカルガモなのですが、何時にも増して愛おしく思えました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.18
8月12日(水)昨日ほどではありませんが・・・。 今日も暑い一日でしたね。8月7日から既に二十四節気の立秋に入っていますが・・・。立秋の期間を更に七十二候に分けると、涼風至(すずかぜいたる)、寒蝉鳴(ひぐらしなく)、そして、蒙霧升降(ふかききりまとう)となるのですが、我が家の周りではヒグラシの声は聴いたものの、それ以外は気配を感じません。昨日と今日は、北関東を中心に烈しい雷雨に見舞われたようですが、これは季節の変わり目を暗示しているものなのでしょうか。雨は好きではないのですが・・・。たまには夕立が来ないものかと思っていましたら、短時間ですが今日は強い雨が降りました。お隣の埼玉県では豪雨だったようです。週一となってしまった日記は、北陸旅行の4日目の続き。もう一月ほど経ってしまいましたが、当面お題に事欠かなく助かります。天橋立ビューランドの丘の上から降りた後、天橋立の本体へと向かいました。天橋立は丘の上から見ると繋がっているように見えますが、陸とは2か所で切れています。 1か所は切戸と呼ばれ、もう1か所は文殊水道と呼ばれます。その2か所で奥側の阿蘇海と外側の宮津湾が、かろうじて繋がっているのです。南端にあたる場所には、知恩寺・文殊堂という大きな寺院があります。名勝の通りご本尊は文殊菩薩。 日本三文殊の一つとされています。文殊菩薩といえば、「三人寄れば文殊の知恵」との成句がある通り、知恵を司る仏です。境内の左側、文殊水道に面して「知恵の輪灯篭」と呼ばれる灯篭があります。頭を三回通すと知恵を授かるという云い伝えがありますが、どれだけ知恵を絞っても、よじ登る以外にどのように通るのかは不明ですな。この地名もずばり「文殊」。知恩寺は、寺伝に依れば808年(大同三年)の創建。 平城天皇の勅願時とのこと。歴史を感じます。文殊と天橋立を結ぶ廻旋橋です。左側の橋桁にはモーターが設置されていて、運搬船や観光船が通る際、橋の中央が廻旋して船の通り道を確保します。残念ながらこの日は観光客は本当に疎ら、企業もおそらく休業で船は全く通りませんでしたから、橋が旋回する姿は見られませんでした。知恵の輪灯篭の傍の船着き場からは遊覧船が出ているということで話を聞きに行きました。すると、行きは貸自転車、帰りは遊覧船というgoodなサービスがあるとのこと。これで天橋立を往復することに・・・。 もちろん、上の廻旋橋を渡りました。前方に見える青い橋は切戸に架かる大天橋です。全長3km余りのサイクリングです。 久し振りに自転車に乗りました。曇りがちながら雨も降らず、景色の良い気持ちの良い遊歩道でしたから、あっという間に走り抜けてしました。前方を走る奥様も軽快な様子。対岸の傘松地区には大きな神社がありました。籠神社といいますが、伊勢神宮の内宮、下宮が創建される前、天照大神と豊受大神はここに祀られていたことから、元伊勢とも呼ばれているのです。そもそも天橋立は、古事記の中の国生み神話に出てくる天の浮橋のことだ、とされることもあり、この辺り一帯が神話の世界なのですね。籠神社の境内を通り抜け左方向に進みます。すると、こちら側にも傘松公園という展望台がありケーブルカーの駅がありました。実は天橋立ビューランドに行った際、傘松公園との共通チケットを購入していました。別々に買うと合わせて1,510円ですが、これが1,200に割引されます。お買い得でしょ。 ということで出発です。反対側から見る天橋立は、また形が全く異なって見えます。ここから見える天橋立は昇龍観だそうです。 ビューランドは飛龍観でした。股覗きはこちらが元祖だそうです。かわらけ投げもありました。 親爺より奥様の方が好成績。大学3年生の末っ子の就職祈願です。帰りは遊覧船に乗って文殊に戻ります。無賃乗船のウミネコたちが慌てて追いかけてきます。お菓子くれないかなっと。ここのウミネコは心なしか目付きが柔らか。 可愛いです。船上から見る文殊地区。大昔は船に乗るしか近付く手段が無かったそうです。廻旋橋も全景が見えます。この後お宿に向かいましたが、その前に奥様のご希望でコインランドリーに寄りました。毎日蒸し暑くて、持っていったお洋服がぐっちょりでした。何だかんだと4日目も無事終了。翌日は京都府を離れ福井県に突入です。 ここからが本当の北陸路ですね。話は変わりますが、暫くは猛暑が続くようですので熱中症には十分気を付けましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.12
8月7日(金)一週間ほど前に長~い長~い梅雨が明けた途端、太平洋高気圧が元気元気。 連日夕立もなく日が暮れてもあっちっちです。COVID-19の感染状況は東京都では一進一退に見えますが、地方への拡散は進行しているようにも思え、未だに予断は許さないところですね。我が家の庭のヤマボウシの樹には、10匹近いセミが集まっていますが、大合唱されるとこれがまた煩いのなんの。大方は特に煩いアブラゼミ。 体感温度が2~3℃上がるように思えます。COVID-19の感染と熱中症を同時に心配しなくてはならないとは・・・。4月頃には想像も付きませんでした。さて、日記は北陸の旅の4日目。間人では2泊しましたが、この読み仮名超絶難解地名のいわれには訪れていませんでした。そこで出発する日の朝、立岩という景勝地に寄ってみることに。間人は丹後半島の北西部沿岸に位置し、立岩は間人港の北東にあります。丹後半島の主要河川・竹野川の河口にある巨大な一枚岩。遠景の写真では分かり難いのですが、なかなかの巨岩なのですよ。京都のエアーズロックとの異名も・・・周囲は約1km、高さは約20mという全国屈指の一枚岩だそうです。地下から上昇したマグマが固まったもので、垂直に伸びた柱状節理が発達しています。地質的にも貴重な存在で、山陰海岸ジオパークの一つに指定されています。川の河口にあるのですが、まさか上流から転がってきたわけではないでしょうね。この立岩の傍に母子の石像が佇んでいます。このお二人、子供はかの聖徳太子、母は実母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしうどのひめみこ)です。お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、間人(はしうど)の字が見えています。ここがキーワードなのですが、しかしながら、たいざとは読みません。伝承では、聖徳太子の母の穴穂部間人皇女(用明天皇の后)は、蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後に身を寄せたとされています。そして戦乱が収まり大和へと戻られる「御退座」の際、この地に自分の名「間人」を贈りました。 しかし、「はしうど」とそのまま口にするのは恐れ多いことから、間人を「たいざ」と読むことにしたのだ、と言い伝えられているのだそうな。「はしうど」という地名になる可能性もあったのですね。といっても、「はしうど」にしても難解地名になることは間違いなしですな。立岩には他にも伝承がありますが、長くなるので省略して先に進みます。下のトンボはおそらくアオモンイトトンボ。ごく普通に見られるイトトンボかな。 お宿の前の草叢に飛んでいました。間人港の芝生の上のイソヒヨドリのお嬢さん。最近は都市部、内陸部でも見られるようですが、やはり海岸が似合います。ユーラシア大陸では標高の高い岩石地帯にも分布しているそうですから、もともと環境適応能力が高い野鳥なのでしょう。間人を後にして向かったのは天橋立です。ご案内の通り、松島、宮島とともに日本三景の一つですな。日本三景が歴史に初めて登場するのは、江戸時代の初期、寛永20年(1643年)のこと。儒学者の林春斎が記した『日本国事跡考』の陸奥国の記述なのだそうです。天橋立は初訪問。 これで日本三景を制覇です。まずは小高い丘の上から全体を俯瞰してみることにします。リフトかモノレールで天橋立ビューランドに登るのがお手軽です。左側がモノレールの軌道。 珍しい形の車体です。途中で見慣れない大きな蝶々を発見。 クチナシのお花を訪花中。一瞬のことできれいに撮れませんでしたが・・・。 何処にいるか分かりますか関東地方ではあまり見ないモンキアゲハでした。南方系のアゲハチョウで、後肢に大きな紋があるのが特徴です。若いうちは白い紋ですが、成熟すると黄色の紋になるよう。だからモンキアゲハなのですね。 お猿ににているわけではありませんよ。リフトから後ろを振り返ると天橋立の全景が見えてきました。頭が大きなナマズのよう。ビューランドの上から見るとこんな感じ。有名な股覗きをすると、龍が天に登る姿が見えるとか。写真をひっくり返してみると股覗きで見た光景になるはずですが・・・。この景観は「飛龍観」と呼ばれています。空が海、海が空と見立てると・・・。この日は空も海も青さが足らなくてイメージが湧きません。西日本で盛んなかわらけ投げ。関東ではあまり話題になりませんが、伊勢原の大山では行われているそうです。小さな素焼きの土器を投げて、前方の輪に通すと願い事が叶うといいます。奥様に写真のモデルになってもらいました。 何度も挑戦して二人とも成功しました。かわらけは薄っぺらい丸い形をしていますが、これが結構歪なもので真直ぐ飛びませんから、目の前の輪に入れるのは難しいのですよ。こんなアングルも面白いものです。連日の雨で天橋立の内側(左側)は濁り水。この場所からは、天橋立は向こう側とこちら側が繋がっているように見えますが、実際には2か所で切れています。これは下に降りて実際に天橋立を通過すると分かります。長くなるので続きは今度の日記で・・・。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.07
8月1日(土)今日から8月。 子供たちがやっと夏休みに突入した地域もあるそうですが・・・。ところが、大方の期待に反してCOVID-19の感染者は増えるばかり。東京都のみならず、大阪府や愛知県、福岡県も東京化してきましたね。更には地方にも拡大する一方です。ここ二、三日は感染者が確認されない都道府県は10未満/47という有様。相変わらず飲食の場での感染が中心のようですが、家庭内感染や感染経路不明の割合も次第に増えてきていて、市中感染が心配されるところ。先週あたりから上場企業の四半期決算の発表されていますが、減収減益や赤字転落が相次いでいます。大企業でさえこの有様ですから、中小企業は推して知るべし。もう経済は止められません。 副作用が大き過ぎます。今まで以上に、「うつらない。うつさない」の心構えが肝心です。さて、今日の日記は北陸旅行の三日目。この日は朝からしょぼしょぼと雨が降っておりました。しかし予定は着付けをやっている奥様孝行。 丹後といえば日本一の絹織物、反物の生産地。ということで、織物工場の見学です。 お天気は関係なし。そのお話の前に、初日の日記で記した海浜植物の事。書いた時には分からなかった名前が判明いたしました。「タイトゴメ」でした。下の方が鮮やかな赤色だったのでピンとこなかったのです。「マンネングサ」の仲間ということで、やはりマンネングサに似ています。葉や茎がぷっくりとしている雰囲気が似ているのですね。この仲間は多肉植物で、乾燥や暑さ寒さに強いことが特徴。従ってこのような海水が被る岩場という、厄介な場所にも生えることが可能なのですね。もう少し成長すると、「マンネングサ」と同様に、小さな星型のお花を咲かせることも共通です。お話をお題に戻しまして・・・。向かった織物工場は「田勇機業株式会社」です。事前にお電話をして見学を申し込みました。何時でもどうぞということなので、早速お伺いしました。大女将さんが出迎えてくれましたが、工場内はご自由にご見学くださいということで些か拍子抜けです。事務所の横を通り抜け工場内に入ります。まず目に入ったのが、経糸を織機に仕掛けるために整える工程です。仕入れた生糸を糸巻に巻き取る工程が糸繰り。更に大きな糸車に織物の幅に合わせ必要な糸を巻き取っていきます。こちらは緯糸(よこいと)を織機の管に巻き取る上管巻の工程。緯糸はこの前工程で強い撚りが掛けられています。この緯糸の撚りによって、丹後ちりめん特有のシボと呼ばれる凹凸が生まれます。このシボはシワを防ぎ、しなやかな肌触り、絹の持つ光沢を際立たせる効果があります。丹後ちりめんの一番のポイントはここなんですね。この機械は緯糸に強い撚りを掛ける八丁撚機です。残念ながらこの時は稼働していませんでした。経糸、緯糸の調整が終わるといよいよ機織りの工程です。下の機械はこの工場で主力のジャガード織機。穴が開いた長細い板のようなものは紋紙と呼ばれます。この紐で繋げられた紋紙は模様の巨大な設計図。膨大な数の経糸は一本一本が針金の先の環に通っていて、針金の上下に合わせて経糸もそれぞれが上下するように仕掛けられています。そして針金の上下を操作するのが紋紙。紋紙の穴にあたる針金は穴を通って上方に。 経糸も針金に引っ張られて上に上がります。穴が開いていない部分にあたる針金は、紋紙に押さえられて上がりませんから経糸も上がりません。この上下する経糸の隙間を緯糸が走り抜けて織物になっていくわけです。このような複雑な柄も織り上がっていきます。織機の裏側を見るとこんな感じ。経糸が上下している様子が良く分かります。紋紙毎に上下する経糸が変化しますから、織柄が生まれていくのです。織機は高速で動いていますから、遅いシャッタースピードでは機械の動きを撮るのはたいへんです。この機械は紋紙ではなくCPで制御されています。大女将さんのお話では、CP制御の方が傷が多くて扱い難いとのこと。ですから少数派です。このデジタル全盛時代に、アナログの紋紙が勝っていることに何故かほっとしてしまいました。といっても、紋紙はパンチカードの原型。ごく初期のPCへの入力方式として応用されたお話は有名ですな。ジャガード織機を初めて見たのは、5年ほど前の京都の西陣。その時は仕組みが今一分かりませんでしたが、今回は良く理解できました。COVID-19の影響で着物の流通も芳しくなく、動きを止めている機械が多数見られました。COVID-19前はフル稼働だったそうです。 早く平時に戻ることを祈ります。工場の横にはギャリー兼販売店がありました。奥様は何やら買い込んでおりました。ギャラリー内には繭玉もありました。反物一反の大きさは、0.36m×12m。使用する糸の長さは少なくとも、何と3,600,000m。 3600kmですな。繭玉にすると凡そ3,000͡個に相当するのだそうです。田勇機業には立派な日本庭園蓬 蓬仙寿の庭 があります。京丹後の景観を表現しているとされています。昭和時代を代表する日本庭園学者 重森三玲氏 の1970年の作品です。重森三玲氏は東福寺の「八相の庭」などで有名ですよ。随分と大金を注ぎ込んでいるものと思われますが・・・。当時はガチャマン景気といわれ、繊維産業はとんでもなく儲かったのだそうです。今となってはお手入れが本当に大変なのだと、大女将さんがおっしゃっていました。庭園に配置された石は、阿波の青石だそうです。この石は中央構造線に沿って分布する三波川変成岩で、代表的な群馬県藤岡市の三波石は天然記念物で採取禁止になっています。田勇機業を出た後、丹後ちりめん歴史観を見学し間人のお宿に戻ることにします。丹後半島を一周しましたが相変わらずの雨模様で残念。途中で伊奈の船宿にも寄りましたが・・・。ウミネコの幼鳥が可愛かったですよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.08.01
7月25日(土)COVID-19の感染症に関し、最近新たな知見が加わってきたようですね。一つは弱毒化?、一つはかなり深刻な後遺症が残る症例があるということ。感染が広がり始めた頃から、呼吸器症状だけではなく血栓などの症状が出る方がいるとの情報は出ていましたが・・・。COVID-19のPCR検査が陰性化した後も、痛めつけられた種々の体細胞のせいで、疲労、呼吸困難、関節痛、胸痛、頭痛、発熱、咳嗽、痙攣など様々な症状が残る方々がいるそうです。記憶障害やPTSDなどの精神障害も・・・。やはりCOVID-19はかなり厄介なウィルスだということを改めて認識させられます。経済を回すために種々の Go To キャンペーンが用意されましたが、日本政府の感染対策は何となくおざなりに感じ、自己責任で行動してくださいと突き放されているように感じる人も多いと思います。感染経路不明の割合も上昇しているようで、市中感染が起こっているのかも。一つ目の新たな知見、弱毒化と密接な関係があるのかもしれません。あくまでも今の段階では憶測にすぎませんが・・・。 いずれにせよくわばらくわばらです。さて。日記は北陸旅行の二日目。 一泊した京都の朝からです。早起きをしてお宿から至近の清水寺に参詣。観光客が少ない上に早朝ですから人影は全くありません。ここは(清水坂)と三年坂の交差点を臨む位置です。前方に清水寺の三重塔の先端が見えています。大観光地の京都ですが、人の姿は全くありません。早朝の6時ですから、普段からそうなのかもしれませんが・・・。清水寺に到着しても同様です。もちろんインバウンドのお客さんも皆無。清水寺の参詣は6時からですから、ほぼ一番乗りですが・・・。地元の人々は抜け道から境内に入り込んでいるようですね。あくまでもアウェイの奥様と親爺は、品行方正に拝観料・¥400/大人一人をお支払いして入場します。清水の舞台も地元の方が一人おられる位。舞台の床板は現在改修中。 2017年から平成の大改修が行われていましたがそろそろ終盤。50年ぶりに行われた屋根の檜皮葺の葺き替えは、既に終了していてピカピカです。音羽の滝の前も人影はほとんど無く・・・。地元の方々が滝の水を汲んでいました。朝食の時間が迫ってきましたのでいそいそとお宿に戻ります。清水坂には、ちたほらと観光客の姿が出てきました。美味しい朝食をいただいた後、早速兵庫県と豊岡市に向かって出発です。京都縦貫自動車道を北上し宮津天橋立ICで降りあとは一般国道で一直線。11時過ぎには豊岡市の兵庫県立コウノトリの郷公園に到着しました。駐車場で車を降りると、早速人工巣塔の上にコウノトリの姿を認めます。コウノトリは極東アジアの固有種で、日本においても古より人と近い存在でした。ところが日本の田や湿地の環境変化により、1971年に日本における野生の個体は絶滅したとされてしまいました。1961年以降は人工飼育下で人工孵化を試みていますが、なかなか成功しなかったようです。その後ロシア(旧ソ連含む)から譲り受けた幼鳥たちを育て、繁殖にチャレンジしていますが、1988年には東京都の多摩動物園で初繁殖に成功します。翌年には兵庫県でも成功(以後毎年)し、野生復帰計画が夢ではなくなってきました。今では国内に200羽ほどが野生状態で暮らしているとのことですよ。今年も兵庫県内だけで26羽のヒナが巣立ったとのことです。下の写真では後ろに金網が見えますが、この集団は飼育されているものではありません。毎日給餌をしていますので、野外に生息している個体が集まってきているものです。全て個体識別用の足環が装着されています。コウノトリはとても大きな野鳥です。タンチョウヅルやマナヅルよりは小さいのですが、ナベヅルと同じ位でしょうか。.身近なダイサギより一回り大きいですね。くちばしが真っ黒で太くて長いので、ちょっと見ではもっと大きく感じます。水溜りの中にくちばしを突っ込んで採餌している姿です。外側の柵にはダイサギ、アオサギが多数留まっていました。コウノトリに与えた餌のおこぼれを狙っているのでしょう。再び最初の人工巣塔の上に居た2羽。この場所ではこのところ毎年子育てに成功しているそうです。巣立ちの頃のヒナは、親鳥とそっくりで足環を見ないと区別が付かないようです。従ってこの2羽は、番なのか親子なのか幼鳥同士なのか見た目では分かりません。我が街のお隣の野田市にも、こうのとりの里という飼育施設があります。毎年ヒナを放鳥しています。 関東地区にも定着してくれると嬉しいですね。そしてついに本年、野田市生まれのひかる(♂)が、徳島県から飛来した歌(♀)と番になり、渡良瀬遊水地の人工巣塔で2羽のヒナが孵りました。関東地区にも定着してくれると嬉しいですね。さてコウノトリの郷公園を離れ、この日のお宿に向かいました。場所は京都府の丹後半島、京丹後市丹後町間人です。「間人」は「たいざ」と読みます。 初見ではとても読めませんね。この地名は、伝承では聖徳太子の時代にまで遡る由緒あるもの。冬場は松葉ガニ(間人ガニ)で有名な漁港の街ですが今は季節外れ。もちろんお目当てはカニではありませんよ。で、道中の田圃の傍にコウノトリを発見。車を駐めて写真を撮ろうと試みましたが、接近の仕方が杜撰だったのか警戒されたすかさず飛ばれてしまいました。従って写真は後ろ姿のみ。程なく日本海に出ました。潮を被るような岩場に生えていた植物。これ何だ。 塩生植物には違いないのでしょうが種別は不能。久し振りにアオスジアゲハを見ました。 このお花に沢山飛んできていました。間人のお宿には2泊しましたが、何れも貸し切りでした。街中にも人影はまばら。 COVID-19の影響を色濃く感じることとなりました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.07.27
7月23日(木)今日から「Go To トラベル」 キャンペーンが始まりましたが・・・。昨日に至っても詳細は不明な点が多く、肝心の旅行会社の方々も対応のしようがない状態。ちょくちょくお世話になっている楽天トラベルさんでも、今日の時点では未だに対応出来ていないようです。そもそも8月から開始するとされていたものが、最近になって7月22日から実施すると前のめりになりましたが、準備が整わぬままの見切り発車では混乱を招くのは必至です。今日から暫くは事後に遡及的申請ということになると思われますが、本当に対象になるのかならないのか、多くの国民は疑心暗鬼になりますね。旅行業界の苦境を慮ってのだと一定程度は理解できるものの、一番人口が多く集客数も一番多いと思われる東京都は除外となった上に、キャンセル料を補償するだのしないだのとか、若者や高齢者の団体客は除外など、場当たり的なお話が続いていますから、益々絵に描いた餅となってしまったことは明らかです。営業自粛解除後には、既に多くの旅館・ホテルは感染対策にとても腐心されていますし、利用する側の旅行者にしても宿泊先を厳選し、また、自らうつらない、他者にうつさないことに十分気を配り、行動を制限し旅行をしている方々もいることも事実。しかし「Go To トラベル」キャンペーンが本格化すると、少々下品な表現ですが味噌の中に糞が混じることになりかねず、地方を中心に「Go To トラブル」になりかねませんな。緊急事態の解除、そして都道府県を跨ぐ移動が自由化された後、感染者数が再拡大し地方への拡散も進行しつつある現在、尚更のこと社会の混乱が危惧されるところ。実際地方の方々からは不安の声が多く聞こえるようです。また本日の観光地はやはりどこも人出は閑散としているようです。明日以降4連休ですからやや混雑するのではないかとも思われますが・・・。さて、県境を越える移動が緩和された6月19日以降、未だに訪れていない地方に行ってみようと計画していましたが、各地が空いているうちに行ってしまおうと、7月11日から20日までの旅行を決行してきました。 行先は兵庫県、京都府の日本海側から北陸三県が中心。 ずっと奥様同伴です。主たる目的は豊岡のコウノトリと立山の雷鳥に会うこと。どちらも目的は達成できましたよ。おいおい書いていきます。初日は京都泊まり。清水寺のお膝元、松原通(清水坂)に面したお宿です。例によって我が家を朝の4時前に出発。土曜日にも関わらず、首都高も新東名も伊勢湾自動車道も新名神も全てガラガラ。渋滞ゼロで午前10時ごろには京都に到着。 時間潰しにちょっと観光をします。京都を訪れるのも2年ぶり。少々懐かしい思いを抱きながらまずは、世界遺産「龍安寺」に行きました。この石庭をもう一度見たかったのです。境内の中は、空いているといえば空いているのですが、意外と訪問する方の姿がありました。この石庭は15個の石から構成されているのですが、通説によると15個全てを観ることができる場所は無いとされていますが・・・。実はこの場所の反対側の一点からは、全ての石が確認できるのですよ。しかし手持ちのカメラでは画角に入りきらず写真は撮れませんでした。これだけの中に黄金比や遠近法といった手法が込められているのだそうです。石庭は別名「虎の子渡しの庭」とも言われます。謂われは真に禅問答のようです。方丈の裏に回ると、石庭と同様名高い「知足の蹲踞(つくばい)」があります。これは江戸時代に水戸藩主徳川光圀公の寄進によるものとされています。「五・隹・疋・矢」がぐるりと彫られていますが、中心に穿たれた正方形を「口」とすれば、「吾れ唯だ足ることを知る」となります。ただ単に自己満足という意味ではありませんよ。禅寺ですからね。 但しこのような心境にはなかなかなれないものです。国の名勝に指定されている龍安寺庭園です。目の前の鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式庭園。鏡容池は境内の南側半分を占める大きなものです。もともと灌漑用の溜池でそれを池泉にしたとも言われています。嘗てはオシドリの名所だったそうです。お宿に入る前に周辺の散策をしました。清水寺は随分前に行きましたが、八坂神社にかけての地域は未経験なのでこちらを歩くことに・・・。まずは三年坂を下ります。三年坂は産寧坂ともされ、お産が安寧であることを祈って登った坂と云われます。一方、三年坂はここで転ぶと三年以内に死ぬとされていたからだそうですね。両側にはお土産屋、陶磁器屋、料理屋が並び純和風の良い雰囲気です。このお土産屋は昭和の香りが満載です。 ちょっと江の島と似ています。続く二年坂も同様。二年坂の先には高台寺があります。太閤秀吉の正妻、北政所ねねの方が秀吉の菩提を弔う為に建立した寺院。建立にあたって徳川家康が大変助力したことから、ねねが育てたも同然の加藤清正や福島正則らと徳川家康との結び付きを、後々強めた要因の一つとなったことは、時代小説で度々語られるところです。高台院の下を通る「ねねの道」から見た大雲院の祇園閣。八坂神社方面に見えます。 変わった形です。 先端は祇園祭の山鉾を象っています。昭和3年の建立だそうですが流石に京都ですね。 風格が漂っています。今年の祇園祭はCOVID-19蔓延の影響で、山鉾巡行が中止との事。疫病退散のためのお祭りが疫病でせいで実施できないとは何とも皮肉なものです。最後は法願寺八坂の塔へ回ります。この後お宿に入ってゆっくりしました。翌朝は早起きして朝飯前に清水寺を参拝。お宿は京都では普通の片泊まり。 朝食はとてもgoodでした。その後は兵庫県の豊岡市に向かいました。 コウノトリを観るためです。清水寺参拝以降の続きは、また続きの日記で・・・。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.07.23
5月25日(日)遂に緊急事態宣言が解除され、最終コーナーを曲がり最後の直線を走り切りゴールしましたね。北海道と神奈川県の新規感染者数の人口割合が気にはなりますが、概ね減少傾向にあることから、取り敢えず解除と判断されたようです。アメリカなどの現状に鑑みると、今後、平時の生活や経済活動を一気に再開させると、第二派の感染が始まる恐れもありますから、当面は様子見しながらゆっくりとということでしょう。とは言いながらもこの半年弱で、新型コロナウィルスとの付き合い方に関し、世界中で様々な実験が行われ知見が積み上げられましたから、たとえ第二波の感染が起きたとしても、十分対処の仕様はあるように感じています。有効性や安全性が確立された治療薬やワクチンが開発されるまでは、所謂三密状態の忌避、公衆衛生への配慮などが肝要なのだと思います。コロナウィルスに限らず、インフルエンザウィルス、病原性大腸菌など人に災いを為す微生物がいる一方で、麹菌、酵母菌や納豆菌、乳酸菌など発酵食品に用いられるお役立ちの微生物もいます。また種々の雑菌は自然界の生態系において、土壌菌に代表されるように縁の下の力持ちを担っていてくれます。この機会に、目に見えない様々な微生物たちも身近にいることを意識しましょう。同じ地球の上で供に暮らす仲間なのですよ。もっともウィルスは自己増殖できないので、生物として括る場合は仲間外れになるのだそうですが・・・。最近は ”with corona” 、正確に言えば、”with COVID-19” でしょうが、このような言葉遣いが出始めています。もう少し範囲を広げ、 ”with microorganism”と言っても良いのではと思います。今日の日記は九州旅行の番外編。大阪府の泉大津港に上陸した後、我が家に辿り着くまでの行程です。名神高速道路方面へ大きく迂回するのは大いなる無駄と考え、大阪府、奈良県、三重県を縦断し、愛知県、静岡県、神奈川県、東京都を経由し千葉県へ。大阪府、奈良県、三重県と静岡県は一般道を通りました。一日では走破しきれずに、途中、御前崎で一泊。お宿に向かう前に天竜川河口付近に寄ってみました。正確には右岸に位置する竜洋海洋公園です。平日のせいかほとんど人がいません。オオバンたちも岸に上がってのんびりと遊んでいました。砂浜に下りる護岸では、ホオジロがお食事中でした。暫くブラブラした後、御前崎に向かいました。下の写真は御前崎灯台下の磯場から見た太平洋の大海原です。夕陽が傾く中でウィンドサーフィンに興じる人影。御前崎灯台です。イソヒヨドリの♀。 のんびりしていました。一晩明けて、我が家への道を更に進みます。大井川の河口右岸に野鳥公園があるということで寄ってみることに。大きなハイドが設置されていましたのでそこから暫し観察しました。モズの番。 上が♀で下が♂ですね。翼に白い紋があるのが♂です。 過眼線も黒く教科書通り。アオサギ。カイツブリが大きなザリガニを捕まえました。しかし呑み込むには大き過ぎますね。 必至に振り回して細かくしていました。この子は昨年生まれの若者です。ホシハジロ。次に寄ったのは三保の松原。 羽衣の伝説のあの場所です。松林を抜け砂浜に出ると富士山が綺麗にみえました。松林の中にはビンズイの姿。松林が大好きですから居るべき処に居たということでしょうか。ビンズイの写真を撮るのは意外と難しいものです。松林の中は暗いことが多いのでシャッタースピードは上がりません。しかし、ビンズイはじっとしていることが少ないのです。また、特に警戒心が強いわけではないのですが、かといって容易に接近を許してはくれない。近付けばその距離だけチョンチョンと歩いて離れていきます。色味もこのようにかなり地味です。そんなこんなで、ブレの無いビンズイの写真はなかなか撮れないのです。松林の中はこんな感じ。三保の松原は佐賀県唐津市の虹の松原と比べると厚みがありません。富士山というおまけがありますけどね。 美しさは甲乙付け難しというところでしょうか。この最後の寄り道場所を離れ、あとは我が家に一直線です。そうはいっても、東名高速には向かわず国道一号線を走ります。この辺りの国道一号線は、ほとんどが立体交差になっていてまるで高速道路のようなのです。わざわざ高い通行料を払って箱根の向こう側まで迂回する必要はありません。そのまま一号線を通り箱根峠まで登り、箱根新道を湯本まで駆け下り、厚木小田原道路経由で東名高速に入り、その日の午後には無事我が家に辿り着きました。これでやっと九州旅行編はお終いです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.05.25
4月6日(火)本日この後、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく、初の「緊急事態宣言」が発令される予定です。対象地域は、東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県。明日の午前0時から発効となり、期間は1カ月程度。GWが終わる5月6日までを当面の目途とするそうです。我が町は千葉県の端ですが、緊急事態宣言の対象地域に含まれます。都内に通勤される方も多いことですし、常磐線沿いの近隣の市では、連日のように感染者が確認されています。都道府県知事が期間や地域を決めて、様々な要請や指示ができるようですが、その詳細は今のところ不明です。我が家では3月の中旬から、大学がGW明けまで休校となった末っ子と、既にお籠り生活をしています。非常事態宣言下に置かれても、基本的には何も変わることは無いと感じています。現在、特に強いストレスは感じていませんが、直近の問題は運動不足ですな。肩や足腰の関節が固まりそうで違和感を覚えています。これを機会に、室内でできる体操を生活に取り入れていこうと思っています。日記は平戸島の探検のこと。といっても平戸島は意外と大きく、ざっと回っただけですが・・・。まずは南に向かいます。南の端の宮之浦漁港は、橋で繋がる日本列島最西端の港。だそうですが・・・。ちなみに日本列島四島(北海道・本州・四国・九州)と繋がっているという意味です。国土交通省の定義では、日本本土というと沖縄本島も入りますが、この場合は沖縄など九州以西は除外されています。兎にも角にも野次馬根性で行ってみました。 宮之浦漁港のカモメはウミネコが主体でした。突堤の沖合では小魚がナブラを作っていました。ウミネコたちは海面の小魚を狙っていたようですが、あまりやる気が見られず不発。突堤では多くの人が釣りをしています。アジ狙いのかご釣、クロダイ狙いのコマセ釣り、アオリイカ狙いのエギングにルアーと、様々な釣法でお魚たちに挑んでいました。しばらく見学させていただくことに・・・。そのうちクロダイ狙いの方の竿が大きくしなりました。かなりの大物のようですが、上がってきたお魚はクロダイとは模様が少し異なるよう。これはアイゴというお魚です。 現地ではヤノウオと呼ばれていました。このお魚は見ての通り背びれや腹びれの棘条がとても太くて鋭く、その上毒を持っているため、うっかり触れて刺されると猛烈に傷みます。従って多くの地域では捨てられてしまうのですが、磯臭さが気にならなければ美味ということ。この子は30cmオーバーの大物でしたが、針を外された後、蹴飛ばされて海にお戻りです。突堤の内側にはコアジの群れ。見える魚は釣れないと申しますが、誰も釣ろうとはしていませんでした。東シナ海に面する最果ての地だからか、魚影は非常に濃いようです。水も澄んでいてとてもきれいでした。宮之浦漁港を後にして、平戸の街へと引き返します。途中でこのような道標を発見。平戸島も古くから西洋文化に接した地であり、また殉教者の血を受け継いでいることから信仰も篤く、島内に10以上の教会があるようです。下の写真は木ヶ津教会です。1962年の建築。 平戸の高校の体育館を買い取り移築したものです。珍しい木造の教会であって、独特の雰囲気を醸し出していました。こちらは紐差協会。 大きくて立派な聖堂です。長崎市内への原爆投下で崩れた浦上天主堂が再建されるまでの間、日本で最も大きな教会堂だとされていたそうです。この天主堂は1929年の竣工。入り口脇のステンドグラスの飾り窓。シンプルではありますが、外の景色が透けて見え、とても雰囲気のある設えです。更に北上すると平戸大橋が見えてきました。平戸島と九州本土を隔てる平戸瀬戸に架かる吊橋です。この橋は1977年の開通。開通の直前に修学旅行で訪れていたはずですが、橋の工事の様子は全く記憶にありません。何故か、フェリーに乗船した本土側の田平港の様子しか覚えていません。何か別のことに気を取られていたのかもしれませんね。2泊の日程で大急ぎで回った平戸島。他にも見所は多々あるようですが、丁寧に回ると一週間はかかるかもしれません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.04.07
4月1日(水)全世界での新型コロナウイルスの感染者は、遂に75万人を上回ってきました。死者の数も3.6万人にのぼり、終息の光は見えてこない状況です。直近の1週間でも凡そ倍増のペース。日本においても、首都東京とその周辺を中心に徐々にペースが上がってきました。感染者が確認された都道府県も44に拡大。 ほぼ全国にウィルスが存在する状況です。日本からの入国を制限する国・地域は180にもなり、一方国内でも不要不急の外出を控えるなど、人の移動に自粛の要請が多々出されています。著名人の感染や、医療施設・福祉施設、教育施設などでのクラスター形成が次々と報道され、もはや新型コロナウイルスは、日常的なそして身近な存在となってきた感があります。そのような中でも、極一部のノー天気(能天気)な方々は街中を徘徊しているようですな。日本政府や各都道府県の首長からの外出自粛要請は、何も本人のためだけではなく、周りの多くの方に迷惑をかけるリスクが高いので極力控えて下さいとのお願いです。本当に趣旨を理解した上での止むを得ない行動なのでしょうか。欧米の多くの都市では、強制的な封鎖状態にあるにも関わらず感染は拡大しているのです。昨年11月に日本を訪れたローマ教皇は、東京カテドラル聖マリア大聖堂でのスピーチの中で、このような状況を打破するための、示唆に富む幾つかのキーワードをお話されました。「最悪の貧困は心の孤独」 「重要なのは何を持っているのか、何を得ているのかではない」「誰のために生きるのかにフォーカスすべき」 「誰と人生を共有するのか」「いかなるガジェット(道具)を用いても魂のセルフィ(自撮り)は撮れない。」「鏡の中の自分ばかりを見ていると鏡は壊れてしまう」「大切なのは正しい答えを知ることではなく、正しい質問をすることである」 など。翻って考えてみれば、身勝手な行動をする者も、必ず誰かの世話になって生かされているのです。雨風を凌ぐ屋根や壁も、日々口にする食べ物も、身に纏う衣服も、移動するための電車やバスも、生きていくために必要なありとあらゆるものが、実に多くの見知らぬ方々に支えられ手に入り、また利用することができるのです。もっと考えを広げれば、人の存在は、私たちが乗っている地球や他の生物のおかげで成り立っています。このようなことにも思いを馳せ、自分の行動が他者にどのような作用を及ぼすのか、皆がぼんやりとでも常に意識することが求められていると思います。この未曽有の、少なくとも今生きている全ての人にとって未経験である災禍の最中、人や物の物理的な繋がりは方々で分断せざるを得ないのですが、せめて、人と人の心の繋がりは分断されないことを願うばかりです。さてこのようなご時世であって、少々憚られる気持ちもあるのですが、九州旅行の日記を続けます。景勝地「七ツ釜」の次に訪れたのが呼子の街。此処のイカはスルメイカではなくケンサキイカですね。 アカイカとも呼ばれます。昨今は全国的にイカが大不漁ですが、呼子もご多分に漏れずでした。昨年の漁獲量はピーク時の1/5以下まで落ち込んでいるそうです。 困ったものです。呼子といえば朝市も有名です。 日本三大朝市ともいわれます。他には石川県輪島市、岐阜県高山市、千葉県勝浦市があげられます。あらら、三大朝市ではなく四大朝市になってしまいますね。輪島と高山は異論がないようですが、勝浦か呼子は諸説があるようです。それはさておき、この日は出店数もお客さんも少々寂しいものでした。やはりイカの不漁や新型コロナウイルスの影響があったのでしょうか。この日の晩飯のおかずにアジのみりん干しを買いましたがこれはとても美味でした。トップの写真は露店の魚屋さん。赤いお魚、カサゴはまだ生きていてピョンピョン跳ねていました。お店のご主人が時々直すのですが、またピョンピョン跳ねて道路に落ちてしまいました。朝市道路を奥に進むと歴史的建造物を発見しました。案内板には鯨組主中尾家屋敷とありました。 呼子は戦前まで捕鯨基地でもあったようです。此処は江戸時代から捕鯨業を営み巨万の富を築いた鯨組主の御屋敷跡です。最盛期には、1,000人もの水夫が50艘の船で鯨捕りに出かけたのだそうです。現在は佐賀県指定の重要文化財です。中は見学が出来て、ボランティアのガイドさんが案内をしてくれました。唐津から訪れる唐津藩のお殿様を接待するお座敷もあります。座敷の欄間は「七宝輪つなぎ」の意匠。 窓から射す薄日によって影が壁に映ります。奥と庭の両側に窓があり、欄間の両側に影。 計算された美しさでした。その他、杉戸絵や桃の形の釘隠しも当時のままだそうです。残念ながら当時の文献がほとんど残っておらず、何のために造られたのか不明との場所もありました。復元された勘定場の建物には、捕鯨に関する多くの展示があり参考になります。羽差と呼ばれる銛打ちが使った銛のレプリカもあり実際に持つことができました。いやぁ、重いのなんの。 当時の人々は命知らずですな。隣に建つ離れでは、雛人形がきれいに飾られていました。次は名護屋城。豊臣秀吉が朝鮮出兵を命じた文禄・慶長の役の際に築かせたお城です。秀吉の死後、直ぐに廃城になりましたが、そのまま遺構として残されていました。呼子からは4km程の距離。 あっという間に着きました。下の写真は大手口から見上げた三の丸、東出丸に伸びる登城坂。正面左が三の丸。 右が東出丸になります。 城の本体は左側ですね。ここは三の丸と二の丸、搦手口を繋ぐ馬場。 右側の石組みは櫓の跡でしょう。突然目の前に出てきたジョウビタキの姫。 九州では至近距離でよく会いました。本丸に登ると玄界灘を臨む場所に天守台の跡がありました。本丸は三の丸や二の丸より広大な廓でした。 如何にも守りを考えていない城ですね。ただし、周りを囲む石垣は巨大でそそり立つようでした。天守台から見た玄界灘。 正面に見えるのは加部島です。この先に壱岐があり、更に対馬を経て朝鮮半島の釜山へと海は繋がります。秀吉も同じ景色を見たのでしょう。 何を思ったのでしょうか。狂気の出兵、領土拡張、国内集権化など諸説がありますが、当時の国際情勢を鑑みると、スペインの東アジア進行が進んでいました。そのため、秀吉はスペインが明・朝鮮を征服する前に、朝鮮半島を抑え緩衝地帯を造る意図があったという説はなかなか説得力がありますね。さもなければ、全国の大名が一致団結してこの事業に参加したとは思えないのです。日本に鉄砲が伝来したのは1500年代の半ばとされますが、その後、紀州の根来、難波の堺や近江の国友を中心に国内生産体制を確立し、信長、秀吉の時代を通して、あっと言う間に世界一の鉄砲所持国となったといった話もあります。秀吉はスペインに対して、日本の技術力と軍事力を見せ付ける意図もあったとされます。実際、江戸時代を通して鎖国を貫けたのは、この時の国威発揚のおかげであったのではないかとも思われますね。下の絵図は名護屋城跡にあった案内板です。半径2km以上に亘って諸大名の陣屋が築かれていました。その数160家。 人口は20万人以上に膨れ上がったそうです。唐津から呼子、名護屋城を経て、更に西進し平戸へと向かいます。平戸も高校の修学旅行の思い出の地。といっても、思い出すのはフェリー乗り場から見た海の中だけですが・・・。当時は何を考えていたのでしょうか。 今では全く思い出すことができません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.04.01
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