アラフィフ底辺を生きる毒親娘☆

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2023.07.02
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テーマ: 毒親(147)
実は、まーちゃんは命の恩人なんだ

まーちゃんは
私と似てる

何が似てるかって
男親のDVを見て育った
ところ
 なにかの記事で見た  

親が子供にDVを見せるのも虐待だって

確かに…


後の結婚生活にも支障をきたしたりする

まーちゃんとは
育った環境が似てる

そして私あずの毒親だなあと
思う部分は

無限にでてくる

小さな頃の記憶もトラウマだ

あずには歳の近い
弟もいて

もう一人少し歳の離れた弟もいる

典型的な長女なんだけれど


愛情欲しさにいつも母親の
顔ばかりうかがってた

思いつくままに
今から
羅列してみようかな



可愛がってもらった記憶がない

絵本なんて一冊もなかったし
読んでもらった記憶もない

小学生の頃までは夜ご飯はあった
でも朝ごはんはずっと小学生の頃から
なかった

中学生の時から家の夜ご飯作るのは
私あず←冷蔵庫の中身は使っていいことにはなってた

有り合わせをいつも作ってた
そうこうするうちにいつしか
毒親の母は食材の買い物すら行かなくなり
週に3回は某お弁当チェーンのお弁当
だった

高校生の時はお弁当を自分で早起きして
作って持っていった
私への
口癖は

我慢しなさい
自重しなさい
挨拶しろ
迷惑かけるな

写真には映るな←目立つなみたいな
誕生日祝いをしてもらったことない

うちはお金がない
が口癖で

私は何も買ってほしいと言えない
状況なのに

なぜか家の車は何百万の外車
が並ぶ 

自営業していて
誰のために働かないといけない
といつも脅されていた

私の父親と私が仲良くすると
機嫌が悪くなった

私が父親の友達のキャンプに連れて
行ってもらって
帰ったらそんなに父親がいいなら
出ていけと言われた

弟はかわいい
あんたは嫌い

て平気で言い続けた

私は本当に母親が怖かったし
大嫌いだった

でも逃げ場がなくて
必死には母親の愛を求めて
ばかりだった

私は母には召使いだった

今も思う

まだまだ今のはほんの一例に過ぎない

まだまだたくさんある

そんなことをまーちゃんに話したら
よく頑張って生きてきたね

て褒めてくれた

ただ生き抜いてにはきたことを
褒めてくれた

まーちゃんが私の心を
時々助けてくれて今も生きれてる

今、毒親の鬼母と接点はラインや
メールだけで離れれて
会ったり電話しなくなくなり
約3ヶ月 
ああ早くもっと早く

母親の呪縛から抜けれたら良かった

まーちゃんはいつもそうアドバイス
してくれてたのに
でも私は離れれて良かったよ

年老いた毒親母が
離れる時も毒をはいてきて
けれど

ここまで母の召使いを
果たして来たのだから
もう解放してもらって
神様も許してくれるって
思った

まーちゃんありがとう
いつも感謝しています☆





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最終更新日  2023.07.02 21:56:12
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