犬・イヌ・いぬ(と、愛すべき動物たち) 0
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昨年、ayafuyaさんがこちらの記事http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201309200000/へのコメントで、「精神医療ルネサンス」という読売新聞の連載記事を紹介してくださいました。一時は、「このままお蔵入りか...!?」と懸念されたものの、昨年末に無事、出版社を変えて新書化されました。 【送料無料】精神医療ダークサイド [ 佐藤光展 ]このような問題提起の本をきっかけに、今までは泣き寝入りするしかなかった、弱い立場の患者さんたちへの待遇が、少しでも改善されればいいな、と思います。少しずつ、でも、なるべく速やかに、闇が光によって駆逐されていきますように。それまでの間、私たちにできるのは、昔ながらの「口コミ」や、こうしたネット上で得られる情報網をフル活用して、自分から積極的に「いい先生」「いい病院」を選んでいくこと、ぐらいでしょうか。ただ、急病や突然の事故など、自分で選ぶことができない場合もままありますからね。そうなると、患者は非常に弱い立場に置かれてしまいます。ayafuyaさんが教えてくださった、こちらの事例のように...。http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=39068上の竹下雅敏氏の時事ブログでも頻繁に登場する、カナダ人ジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏。こちらを初めとする氏の著書では、非常に興味深い話が読めそうです。(読んでいないので、それ以上のことは言えませんが。)【送料無料】これが「人殺し医療サギ」の実態だ! [ ベンジャミン・フルフォード ]作家の五木寛之さんも、「医者に行かない」ことが健康法、と、帯津良一先生との対談で再三再四強調されていますよね。【送料無料】健康問答 [ 五木寛之 ]ただ、五木さんの場合は、もはや「健康&代替/民間療法マイスター」の称号を送って差し上げたい程のレベルに到達した方。日本人の患者さんに(残念ながら)多い、「先生のおっしゃる通りに。」「出された薬は全て飲む。」といった、判断停止・思考停止状態とは全く遠いところにいらっしゃいます。「医者はだめ!」「病院へ行くな!」といった論調に即、共鳴するのも結構ですが、自分でできることはとことんやる。調べる。試してみる。という五木さんの姿勢も同時に見習いたいですね。それに、世の中にはどうしても西洋医学やそれを修めた専門家にしか対処できない分野だって、あります。(例えば、交通事故で大量に出血しているのを止めなければいけない、とか。)嫌いなのは結構。受けたくない、と拒むのも、それもまた、結構。でも、「××は絶対、だめ!」というところまで行くと、それは単なる「反西洋医学教」という宗教=ドグマに囚われてしまった状態、ではないでしょうか。何事にも、何人にも、【囚われてしまう】のは、自由を愛する者としてはあまり望ましい状態とは言えませんよね。必要に応じて柔軟に、自由に動き、判断を下せるだけの心は持っていたいものです。この先生の本も最近気になっています。【送料無料】精神科は今日も、やりたい放題 [ 内海聡 ]考えさせられますね。患者さんがどんどん薬漬けになっていくという、内海先生の言葉。利権や、業界のしがらみ、悪しき慣行...。一筋縄では解決できそうにもありません。ただ、こうした医療がらみの頭の痛い話は、日本ばかりじゃないですよ。問題山積、なのは、いずこも同じこと。私が住むアメリカだって、勿論、問題だらけであることは皆さんご存知でしょう。今月初め、こんなニュースが目につきました。2014年01月06日付 らばQ より「盲腸の請求書を見てぶったまげた...」アメリカ人のありえない医療費に対する海外の反応盲腸の手術を受け、それに対して請求された金額が、約550万円(保険適用前)。幸い、保険に入っていたおかげで、最終的な請求額は約111万円で済んだようですが。この記事を読んでまず思ったのは、「あぁ、入院して、手術したんだから、その程度にはなるでしょ。」ってこと。皆さんもご存知でしょうが、アメリカの医療費、ハンパじゃなく高い!!!です。15年近くこちらで生活し、小学生の子供を持つ親の立場から、それはひしひしと実感しています。日本みたいに、ちょっとした風邪や食あたり程度でいちいち病院へ行っていたら、家計が破綻するのは必至です!!!(だから、できるだけ市販薬で治しちゃおう、って発想になるんですよ。すぐに病院行って、おくすり出してもらう...っていう日本とは全然違います。)2ヶ月程前、うちの子供が朝、学校に行く時、あわてながらブーツを履いていたところ、バランスを崩してガレージへと下りる階段を踏み外し、数段下のコンクリート敷きの床へとしりもちついちゃったんですよ。幸い、背中に中身がぎっしり詰まったバックパックを背負っていた上、落ちた高さもそれ程ではなかったため、頭の方は打たずに済みました。(ほっ。)でも、本人がしりもちついた所、尾てい骨の辺りが痛い、痛い、と、泣きながら訴えるもんで、「大事があっては大変だ。」と、すぐに行きつけの小児科医に予約をし、数時間後に診てもらいました。診察自体は15分も無かったと思います。単なる打撲。この後吐き気などが無ければ、骨に異常は無いとみてOK。問題無し...ということでした。その後数日で、本人、何事も無かったかのようにフツーに動き回るようになりましたけどね。一件落着、です。で、つい先週。忘れかけた頃になって、そのしりもち診察への請求書が郵便で送られてきました。127ドルですよ、127ドル(約13000円)...。たかが15分程の診察なのに。しかも、保険適用の後の金額でソレ、です。15分ちょっとで127ドルなんですから、先のらばQ記事の盲腸手術への請求が保険後で111万円、保険前で550万円...って聞いても、別に驚かない...でしょう?こんなケースばかり何度も経験していると、感覚だって麻痺してきますよ。何かがおかしい。それは確かだと思います。うちはパパさんの雇用主のおかげで、割と条件の良い医療保険に入れているはずなのですが、それでこの請求額、ですからね。企業に雇われていない人々、つまり自営業者や、フリーランスの立場でお仕事されている方は、自腹切って医療保険に入らねばいけません。そうした方たちの毎月のべらぼーな負担額を考えると、なんとも複雑な気持ちになってしまいます。さらに気がかりなのが、昨今の収入減のため、高い医療保険に入ることもできず、【無保険】状態を余儀なくされている人々のこと。小さな子供や、いつ悪化するかわからない持病を抱える人々は、毎日心休まる暇も無いに違いありません。支払いのことを考えると、子供を病院に連れていってあげることもできないなんて。そういう方の苦しい立場を考えると、心が沈みます。うかうか怪我も病気もできないこの国って、いったい、どこが豊かなんでしょうね。オバマ大統領が最近ようやく導入に成功した医療保険制度改革・通称オバマケア。そうした無保険者層や、生活に困った人々に希望を与えるものとして、期待されています。まだまだ始まったばかりですが、どうかうまく機能していって欲しい。祈ることしかできませんが、でも、祈り続けましょう。
2014.01.28
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今回はひとつ、肩のこらない話と行きましょう。みなさんのお宅にねずみは出ますか?はるか昔、私が大学生だった頃、学生食堂の片隅にあった「皆様のご意見ボード」にこんな投書を見つけ、ぎょっとしたのを今でも鮮明に覚えています。「ねずみがでました。なんとかしてください。」...いかにも女子学生が書いた、って感じの几帳面な文字で、この二行だけ。それに対して、当時の学食の店長さん(俳優の三宅裕司さんを更に三段階気弱にした感じの、でも、とっても真面目そうな方でした。)は、「今後衛生管理をさらに徹底して...云々」と、平謝りの返答をされていました。そりゃそうですよね。そう言うしかないでしょう。相手がねずみさんじゃぁ、「今すぐ立ち退け」なんて通じませんし。前回の記事で、「うちの一階、隙間風が吹き込んですごく寒い」と書きました。築15年になろうという我が家は、二階建て一戸建て。この辺り一帯を牛耳っている、大手デベロッパーの分譲住宅なんですが、まぁ、使われている建材のグレードや当初の販売価格から判断し、良くも悪くも「中の中」ってあたり、でしょう。幸い、この地域の学校が評判・成績ともに良好なおかげで、次に売ることになってもそんなに値崩れはしないはずです...不動産バブル崩壊が起きない限り。3年前に購入しました。(*不動産価格と、地域の学校のレベルとの相関関係については、過去記事のこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201105130000/)【☆参考動画☆】ワシントン州最東部、アイダホ州との州境に近い街・スポケン近郊の売家広告です。めでたく「売約済」となったら消されるはずなので、その時はまた別のものと差し替えなければ。うん、雰囲気としてはこんな感じかな。うちと違って平屋ですけどね。間取りは4BR、つまりリビング・ダイニングエリアに加えて寝室が4つあって、ここがうちと同じ。映像を見る限り、建材のグレードや築年数もきわめて近そうです。高級でもなければ、かといって安物過ぎってわけでもない。中の中、って感じの家ですね。窓が多く、冬季でも明るい感じがする点については、大変気に入っています。点数をつけるなら、95点の愛すべき我が家、といったところでしょうか。ただ、日本のすぐれたハイテク窓枠と違って、こっちの窓枠って、正直いって作りが雑。スースー隙間風がひどいんですよ。それまで、左右&上階のあったかさの恩恵をたんまりと受けられたアパート暮らしだったため、一転しての「隙間風生活」、ちとこたえましたね。セントラルヒーティングはまともに働いているものの、温度を上げれば上げる程、二階ばかりが暖まり、昼間人のいる一階は寒いまま...という困った事態に。おまけに、先月の大寒波の時なんて、キッチンシンクのキャビネット下からも足元めがけてピューピューと冷風が吹き込む始末。「何でこんなところから!?」と驚いて、キャビネット内部を確かめてみました。すぐに「犯人」が判明。上水・排水パイプを通すために、内部の壁にぽっかりと穴が開いていて、そこから冷たい空気がキャビネットの内部に流れ込んで来ていたんですよ~。隙間を埋めようなんて、手間もお金もかかることはしなかった、という辺りが、この家が「中の中」たる所以ではないかと。(そこんところを自分で少しずつアップグレードしていくのが、アメリカ人の一つの趣味というか、得意技だったりします。マメにやる人はやりますよ~。玄人はだしの人もたくさんいます。)見にくい写真で恐縮ですが、右側の壁にある開口部、ご覧になれますでしょうか。ここから来ていたんですね。屋根裏、壁と壁の隙間から流れてきた氷点下の冷た~い空気は...。そうそう、この穴。一気に思い出しました。かつて、うちにもねずみさん軍団が毎日のように訪れていた時期があったことを。我が家がこの家を購入し、引っ越して間もない頃の話です。毎朝、見慣れない 1 5mm(2014.01.11訂正。そんなミジンコのように小さいねずみなど、いるわけがない...。)程の黒い粒々が、台所のキッチンシンク近くの床や、キャビネットの中に散らばっていたんですよ。お察しの通り、それがねずみの糞でした。(興味ある方だけ、「ねずみ」「ふん」の二語で、Googleの画像検索してみてください...。)何故、食料もほとんど入っていないような、空っぽに近い台所に、ねずみが?しかも、なぜ、戸棚の内部に大量の糞が???寝る時には必ず排水口にふたをする、食べ物はむき出しの形で外に出しておかず、必ず密閉容器に入れる...など、普段から気をつけてはいたので、なぜ、ねずみがキャビネットをこじ開けることができたので、不思議でなりませんでした。...こじ開けてなんていなかったんですよ。間もなくして、上の写真にあります、パイプ周りの微妙に大きな開口部に気付きました。確かに、これならねずみさん一家、余裕で出入りできますね。皆が寝静まった深夜の台所で、さぞや楽しく遊んでいたのでしょう。これは何とかしないと、まずいです。大体、夜、薄暗い台所でチョロチョロ...と走り回るねずみに出くわすなんて、真っ平御免です。寝室まで上がってこられたら、たまりません。何でも口に入れてしまう、ちょっとおばかさんで危ない老犬がいるため、殺鼠剤のような毒を置く、というのは問題外でした。ねずみの死体処理を考えると、伝統的なバネ式のねずみ取り器も、ちょっと、ねぇ...(ゴニョゴニョ。)はて、一体どうしたものか。そこで役立ったのが、アメリカに昔から伝わる「生活の知恵」を一般読者が投稿しているサイト、Dollar Stretcherにあった情報でした。元記事はこちら。http://www.stretcher.com/stories/06/06mar13a.cfmこの、Irish Springという、アメリカだったらどこのスーパーにでも売っている浴用固形石鹸。【Irish Spring】アイリッシュスプリング・デオドラント石鹸113g×3個パック 【オリジナル】 【RCP】【02P13Dec13】結構、「アメ~リカ~ン♪」な、強烈な匂いです。いかにも外国製の香料、といった感じ。好き嫌いははっきりと分かれるでしょうね。幸い、ねずみさんは明らかにこのニオイが嫌いみたいなんですね。だから、格好の撃退法として使える!というわけです。「Irish Springの固形石鹸をパッケージから外し、そのままねずみが出没する場所に大量に置いておく。場所の広さによって個数は加減すること。」効きました。(勝った!!!)キッチンシンク下部、醤油や調味料のビンの合間に気前良く一ダース程ゴロンゴロンとテキトーに転がしておいたところ、その日を境にねずみの糞を台所で目にすることはほとんどなくなりました。ごくたま~にではありますが、ニオイを物ともせず、侵入を試みる猛者ねずみもいるようなのですが、糞の量から判断する限り、長逗留はしていません。早々と退散してくれているみたいです。動物や小さなお子さんがいるご家庭で、ねずみの害にお悩みの方。今度、ハワイやグアムに行かれた時には、このIrish Springをた~くさん買い込んで来られてはいかがでしょう?ひょっとしたらひょっとして、輸入雑貨・日用品を扱っている地元のお店でも見つかるかもしれませんね。何種類かニオイのバリエーションがあるようなのですが、「オリジナル」と書かれた元祖版・Irish Springがやはりベストなようです。(比較検討したわけではないので、断言はできませんが...。)ご健闘、お祈りしております。
2014.01.10
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前回に引き続き、Naverでオカルト・スピ系の記事をまとめていらっしゃるayafuyaさんからの質問と、私なりにひねり出したお答えとを紹介させていただきます。(注意!)以下の米国内のキリスト教に関する記述は、★あくまでも私・黒犬べーやんの個人的な体験★を基にしています。予めご了承ください。西海岸の、リベラル色が強いとされている州の、そこそこ裕福で平和な郊外住宅地に14年近く暮らした末での印象です。*******************************************************************【2.日本では『開運!』『金運!』『トイレ掃除で宝くじ当選!』といった見出しや特集記事を前面に出して、我々の欲深さに訴える雑誌が出ているが、アメリカではどうなのか】考えたこともなかった(笑)。アメリカでは、「金欲しい!高級車欲しい!トロフィー・ワイフ(trophy wife:誰もが振り向くような美人若妻のことです。)が欲しい!」の、それこそ現世の垢にまみれたようなドロドロ欲望は、全て引き寄せの法則+「ザ・シークレット」その他類似品へと引き寄せられた模様...です。「ザ・シークレット」が前回取り上げたオプラ・ウィンフリーの寵愛を得たことで、「引き寄せコーチ」や「ライフコーチ」も雨後のタケノコの如くじゃんじゃん生まれましたね。それが今から5、6年前の話。そうそう。【ライフコーチ】ですが、2012.01.16の日記でも、オチの部分でも登場しました。もにょもにょ...。昭和40年代生まれの我々にとって「コーチ」と言えばやっぱり...エースをねらえ!Vol.5楽天ブックスで詳細を見る白状します。私、好奇心から「ライフコーチ」「コーチング入門」といった類の本を立ち読みしたこと、あります。でも、体育会系人生にことごとく背を向けてきた私のような者が、↑の方と同じ「コーチ」業を自称するだなんて、恐れ多くって...。想像しただけでも身震いです。話を戻しましょう。「開運系雑誌」ならぬ「引き寄せ系雑誌」がアメリカに無いのは、なぜか。まず、「雑誌」という形では営業的に成功しにくいと思います。それは、アメリカと日本の雑誌販売システムが根本的に違うからです。こちらは、スーパーやドラッグストアの一角とか、書店(最近、急速に数が減っています)の一角とかで、一号ずつのバラ販売は☆一応☆ 行っているものの、基本的に「一年単位」「二年単位」の定期購読を申し込み、自宅へ郵送してもらうというやり方が普通です。ごく一部のチープな女性週刊誌を除き、店頭での雑誌バラ買いはえらく高くつきます。だから、健康珍☆情報が得意な某M出版などのように、センセーショナルな表紙や見出しで客を釣る、って作戦は使えないのです。定期購読で成り立っているビジネスですから、新聞広告に雑誌の広告を載せる、っていうのも、電車の中吊り広告も(車社会ですからね)、効率が悪すぎて宣伝手段としては全く使えません。そ し て...アメリカは、たとえ外からはどう見えようと、多少リベラル方向へと傾こうと、実際暮らしてみると完全にキリスト教社会です。うちはユタ州じゃないんですが、近所にはモルモン教徒が多いんですね。←特に否定的に見てはいないのですが、黒いスーツの自転車お兄さん二人組でピンポ~ン♪と戸別訪問に来るのはやめていただきたいです…。子供が通うのは公立小学校なのですが、去年の担任の先生は朝、始業時に「忠誠の近い」を必ずクラス全員で暗唱させていました。"…one Nation under God"なんてフレーズ、その場に居合わせる度に「おいおい!八百万の神々の国から来た日本人はどうすればいいんじゃい!」と、心の中で突っ込んでいましたけど。そういう毎日の儀式に対して文句が出ない、っていうのは、この国は結局キリスト教一神教社会である、という、暗黙の了解の上に成り立っているってことをよく示していると思うのです。(そもそもドル紙幣にだって、"IN GOD WE TRUST"…我々は神を信じる…と印刷されているんですから。)この学校、アジア人児童もすごく多いんですけどね。だから、宗派(メソディスト派、バプティスト派、プレスビテリアン派...その他、細かい違いは本見ないと...。)の違いはあっても、キリスト教の教えというゆるい枠内に収まっていれば、信心の度合いは違っても、この国では「無難に生きていける」のだと思います。「変な人」と後ろ指さされることもなく。ただ、そういう枠組みに収まらない人々がいるんですよね。必ず。ゲイ・レズビアンと呼ばれる同性愛者のように、従来型の男女一対--->子供が生まれてハッピーファミリー誕生!…という図式とは違う人生を歩む、そういう人たちです。それから、犯罪歴のある人とか、オプラ・ウィンフリーのようにあまりにも苛酷な環境で育ったために「フツーの人」が主流のキリスト教コミュニティから歓迎されていると思えなくなっちゃった人とか。バーバラ・エーレンライクさんの本で教えられた(...と思う)のですが、そうした「はみ出しっ子」たちを無条件であたたかく受け入れてくれているのが、ルイーズ・ヘイなどのニューエイジ系グループ、もしくは19世紀後半~20世紀初頭にかけて勃興したキリスト教系の新宗教諸派(ニューソート、クリスチャン・サイエンスが代表格。)なんだそうです。この辺のアメリカ宗教史についての詳しい解説は、占い・精神世界研究家の伊泉龍一さんがこちらの連載コラム「スピリチュアル史解説」にまとめていらっしゃいます。社会の主流に馴染めず、傷付いた人たちが、ああした「あなたはあなたのままでいい」的な思想に次々と集まってくるんですって。今では大手出版社・ヘイハウスのCEOとして大成功を収めているルイーズ・ヘイですが、その人生は、DVだの、家庭崩壊だの、不幸の連続。しかも、がんに襲われ...と、「フツーにはなれない」要素があふれています。だから、「トンデモ本」と批判されることも多い一方で、大勢の人に支持されているのだと思います。【送料無料】ライフヒーリング改訂新訳 [ ルイーズ・L.ヘー ]オプラ・ウィンフリーの場合も同じですよね。「行き場の無い魂の受け入れ先」となったわけです。「ニューエイジ教・オプラ派」が。去年、記事にした時にカバーすることはできなかったのですが、「ポジティブ病の国・アメリカ」には、他にも面白い話がいっぱい載っていますよ。例えば、「メガチャーチ」と呼ばれる、巨大スタジアム級の会場を満杯にする程人気の牧師・ジョエル・オスティーン(貼り付いたようなお面のような笑顔が不気味で、私、旅行中にたまたまテレビで見た彼を直視できませんでした...。)などについての話など。お勧めです!【送料無料】ポジティブ病の国、アメリカ [ バーバラ・エーレンライク ]
2013.03.16
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コトバンクより...大立者 【オオダテモノ】「デジタル大辞泉の解説おお‐だてもの 〔おほ‐]【大立(て)者】 1 芝居の一座で最も実力のある俳優。2 ある社会で最も重んじられている人。「財界の―」 (C)Shogakukan Inc. 昭和の頃に遊んだ「人生ゲーム」で覚えた言葉でしたね、これ。 懐かしいな、大立者...。***************************************************************************先日、Naverでオカルト・スピリチュアル系の話題をまとめ記事にしていらっしゃるayafuyaさんという方からメールをいただきました。拙ブログで2011年から2012年初めにかけて書いたエイブラハム・ヒックス関連の記事を、まとめ記事の中に組み入れてくださったのです。Naverまとめ:《「引き寄せの法則」に釣られたYOUは読んじゃいなヨ★》御大ジャニーさんにそう言われちゃったら、読まないわけには...はっ、私ったら、一体何を。ayafuyaさんが記事の冒頭で述べていらっしゃいますが、【このまとめは、キリスト教が絶対だという主張ではありません。また、すべてのスピリチュアル・ニューエイジを否定するものでもありません。流行りに惑わされるのではなく、その思想がどこから来るものなのかを盲信する前に考えよう!というのが一番の主張です。】全くもって同意見です。拙文をそのような文脈の一部として組み込んでくださり、本当にありがとうございます。正直申しまして、エイブラハムに一時期かぶれたことは、私の中の黒歴史(笑)です。でも、私生活で落ち込み、正しいもの・良いものを見分ける判断力も低下してしまうと、あのように気持ちよ~くしてくれる麻薬のような【引き寄せの法則】や、それに類する【ニセモノ】にいとも簡単に釣られちゃうんですよね。(←経験者の声。)こちらのブログ上の「エイブラハム」関連記事は、私が釣られ、目が覚め、慌てて逃げ出した際の包み隠さぬ記録ですから、消さずにずっと置いておくつもりです。反面教師として、どうぞ皆様のお役に立ててくださいまし。そして、「あはは、バッカじゃーん!」と、笑い飛ばしてください。笑い飛ばせるだけの余裕があれば、あなたはきっと大丈夫。充分、まともな世界に住んでいらっしゃいますよ(笑)。ayafuyaさんと同じで、私も「キリスト教が絶対」「日本古来の仏教が最高」などと言い切るつもりはさらさらないんですよ。伝統宗教だから良い、世界中で一番メジャーな教えだから選ぶ、という態度はちょっと違うかな、と感じています。それでは、【引き寄せ】とその仲間たちへの盲信が、そっくりそのまま別の宗教への盲信にすり替わっただけ。霊的な学びに関しては、本当に自分にとって善きものかどうか、じっくりと検証するプロセスを経ていかないと、心から納得できるような人生の指針には出会えないと思います。時間も手間ひまもかかります。時には見込み違いをして、やけどすることだってあるでしょう。そうは言っても、長い歴史の淘汰を経て、綿々と生き延びてきた伝統宗教・メジャーな宗教には、やはりそれなりの魅力と、説得力がある。これは覚えていた方がいいかもしれません。いかにも本物面をした、正真正銘のまがい物に引っかかって、大怪我しないためにも。そうして少しずつ学ぶことが、海外に出ては異文化理解を助け、日本にあっては、人格を内側から輝かせる【真の教養】へとつながっていくのではないでしょうか。【送料無料】よくわかるキリスト教 [ 土井かおる ](←まだまだ勉強中。アメリカ暮らしでもなかなかわかりにくい、また、人には面と向かって質問しにくいキリスト教諸宗派の細かな違いまで、懇切丁寧に解説してくれて、助かります。)メールで何回かやり取りするうちに、ayafuyaさんからいくつか面白い質問をいただきました。アメリカに住んで通算で14年程になりますが、こちらにいると当たり前だと思っていたことが、日本の方にとっては新鮮な驚きだったりするのですね。私も、大変勉強になりました。その中から、二つトピックを選んで、ayafuyaさん宛のメールに少々加筆・修正を施した内容をこちらに載せたいと思います。今回は、まずこちら。【1.日本に比べて、アメリカでニューエイジ系の著者や書籍がメディアで大きく取り上げられるのはなぜか?】「オプラ・ウィンフリー」という、【メディア界の女帝】が取り上げれば、流行る。少し前まではこれが【掟】でした。恵まれない境遇に生まれたアフリカ系アメリカ人の女性として、あらゆる人生の辛酸を嘗め尽くした末、常人の何十倍もの努力と才能でもって揺ぎ無い成功を手にしたオプラ。誰が見ても、「すごい人」です。2012.04.09付 「ハピズム」より。彼女の人生、その影響力を簡潔に、わかりやすくまとめた記事です。[ビバリーヒルズ宗教白書]米メディア界の女帝オプラ・ウィンフリーはニューエイジ思想を広める救世主?Wikipedia日本語版:オプラ・ウィンフリーの項。そして、Oprah Winfrey公式サイトはこちら。仕事に、おしゃれに、学びに...と、好奇心旺盛で、向上心を持った女性たち(と、男性)へと向けた、旬の話題が満載です。(オプラが毎号表紙モデル&イメージキャラクターを務める「O」 Magazineの雰囲気、これで大体つかめるでしょうか。)今は地上波テレビ局でのトークショーは終了していますが、それでも、ケーブルテレビ局・ラジオ局のオーナーとして、雑誌「O」の中心人物として、メディア界に彼女が振るう影響は依然として物凄いです。こないだ、ランス・アームストロングの「薬、やってました」インタビューも、彼女が担当しましたね。こちらはDr.Oz Showという、アメリカ生まれのトルコ系医師(両親がトルコからの移民)・メフメット・オズ先生の名前を冠した、「医療・健康系うんちくバラエティーショー」。うちの方では午後3時からやっています。一昔前、みのもんたさんが日テレで昼間にやっていた「おもいっきりテレビ」の健康特集(指回し体操とかね。)をグレードアップして、専門的にした感じの番組...って、一部の人にしかわかんないか...。この大人気番組も、なんと、放送権はオプラが所有しているとか。昨日知ってびっくりしました。さすが【女帝】です。最近は、TM瞑想(ビートルズの4人も一時はまった...。)に傾倒しているご様子。オプラもやはり、色々とスピリチュアルな世界での遍歴を重ねた人。「キリスト教だけに絞り込む」、つまり、ごく平均的な南部出身のアフリカ系アメリカ人の初期設定にはもう戻れないのでしょう。根っからの求道者なんですね。これからどんな人・教えにスポットを当ててくれるのか、ちょっと楽しみでもあります。インタビュー中に出てくる「ハーポ(Harpo)」は、オプラ(Oprah)がCEOを務める総合メディアプロダクションの名前です。Oprahのつづりを逆から読んでみると...ね、Harpoでしょ。看板番組は終了してしまったものの、未だに圧倒的な存在感を誇るオプラ・ウィンフリー。本でも何でも、「オプラが推薦!」とあらば、即、売れちゃいますからねぇ。本屋に行くと、彼女の推薦本ばかりを集めた「Oprah’s Book Club」のコーナーが設けてあり、彼女が推薦する図書が平積みでずらり。しかも売れるんですよ、それが。エックハルト・トールも、オプラの全面的なバックアップを得たことで、バカ売れしました。(メグ・ライアンからトールの本をもらったことから全てが始まった、っていうのがスゴい。セレブな世界...。)私はこっちのエックハルトさんの方がしっくり来ます。ま、こればかりは相性ですから...。【送料無料】エックハルト説教集 [ ヨハンネス・エックハルト ]【引き寄せの法則(Law of Attraction)】を一気に流行語の域にまで高めたロンダ・バーンの「ザ・シークレット」もまた然り。オプラの番組で取り上げられたから、あそこまで話題になったんですね。その他、オプラに取り上げられたことでブレイクした人・表舞台に出れたニューエイジ系(スピリチュアル系)の業界人は余りにも多く、いちいち挙げていたらきりがない程です。「オプラのショーに出る!」というのが、ある種のステータスになってるんですね。うちはケチってケーブルテレビに入っていない上、地上波テレビも場所の関係でなぜかABC系一局しか映らない(オプラ・ウィンフリー・ショーはNBC系)ので、彼女のしゃべりを見るのはYouTubeぐらいです。それでも、やはりすごい女性だな、っていうのは前々から感じていましたよ。あれだけの逆境に負けず、今日の【米・メディア界の女帝】へと上り詰めたその不屈の精神には、尊敬の念を抱くしかないです。物凄く頭の良い方ですし、成功するのは当然でしょう。アメリカ人の深層に流れる、【開拓者精神】を体現し、ゼロどころか、マイナスから出発して、【アメリカン・ドリーム】を自力で勝ち取った、真の勝者...。それがオプラ・ウィンフリーという人なのだと思います。苦労人の彼女が言うと説得力があります。こうした名言の前には、ファンもアンチも、全員、ただ黙って平伏すしかありません。
2013.03.13
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前回の日記・コメント欄で、flowergreen8さんと「ハグ」談義に花を咲かせていたところ、突然、はっと気が付いたことがあります。>相手の存在を丸ごと受け入れるしぐさがハグですよね。>ほんとに素敵ですよ~(T0T)>日本ではなかなか浸透しないでしょうね~ハグって、する方の人間が【私は、基本的に良い人間だ。】と、自分を肯定していて、ある程度の心の余裕が無い限り、まず、発生しない動作ですよね? 【私は自分をあるがままの姿で受け入れている。だから、あなたのことも、そのまんまの姿で抱きしめ、受け入れたい。】誰かをハグするというのは、そうした生き方が自然に形になって出た行為なのかもしれません。自分も、相手も、大きな愛でもって肯定する。太陽のあたたかな光のような、大きな愛で。逆方向から見れば、すんなりと受け入れられるはずです。【自他肯定の無いところに、ハグは生じない。】っていうことを。ちょっと、ご自分に問いかけてみてください。「...こんなダメな私からハグされたって、嬉しくないよね?」「この人、本当に私のこと好きなのか嫌いなか、よくわからない。だったら、ハグしちゃ悪いかな...。」「どうせ私なんて...ウジウジ、イジイジ(自己卑下のつぶやきが続く)。」あなたは、このようなじめーっとした、かび臭さを漂わせているような人物が、目の前で両腕を開き、近寄ってきた時に(そもそも、近寄ってくる可能性自体、極めて低いのですが...)、【ハグ】してもらいたいって思えますか???「いえ、結構です~」とだけ言い残し、とっとと逃げ出したくなる、でしょう???そして、今、経験した鳥肌ブルルッな体験を即刻deleteするため、太陽のようにあったかくて、すっぽりと包み込むような光のエネルギーを持った人の腕の中にどーんと飛び込みたい!って、思うでしょう???異性の身体に触れたいとかくっつきたいとかいう、アヤシイ下心でもない限り、そうした「私なんて...イジイジ。」型の人とは、「ハグ未遂」で終わるはずです。だって、誰だって、他人からはもらいたくないですもん。重~くて湿っぽい下向きのエネルギーなんて。「ハグ」のあるところには、必ず「私はOK。あなたもOK。(I'm OK. You're OK.)」という、大きな愛に支えられた【自他肯定感】がある。これは間違いない、と、自信持って言えます。今までにあなたが体験されたご自身の【ハグ体験】、もしくは、思わずほろりと感動させられた誰かの【ハグ】光景を思い出してみてください。そうすれば、上の【ハグのあるところには~】の部分の意味がおわかりいただけると思います。【I'm OK. You're OK.】の生き方をする人じゃないと、相手を本当に元気付けられるような、純粋な愛のこもった【ハグ】は生み出せないんです。そう考えていくと、自分のありのままの姿をどこかで否定している人、すなわち、【自尊心の低い人(=I'm not OK が基本姿勢。)】が多いような文化圏では、【ハグ】のようなボディーランゲージがあまり流行らなくても、それは当然なのかもしれません。...日本社会、大丈夫かな。別に【ハグ】だけが大きな愛の形、と言うつもりはないですよ。他人を思いやる、その心を表現するには、いろいろな形がありますからね。昔から日本人が得意とするノンバーバル(非言語)の交流...つまり、気持ちと気持ちとを通い合わせることで、【ハグ】のような身体接触が無くっても、また、言葉という形ではっきりと示さなくっても、ちゃんとお互いを支えあっていけるのであれば、それほど心配は要らないと思いますがね。でも......本当に大丈夫かな。ちゃんと気持ちと気持ちとを通い合わせて、お互いを支え合えているだろうか。日本社会。必要な人に、必要な時に、ほんの少しでもいいから、あたたかな言葉をかけてあげられているだろうか。言葉に出さなくても、すぅっと横から助け舟を出して、その人の支えになってあげられているだろうか。最近の老人孤独死や、若年層の自殺のニュースを耳にする度に、太平洋の反対側から気になって仕方がないのです。いくら気にしたところで、こうして文章にして外気にさらすより他には、どうすることもできませんが...。とまぁ、あれやこれや考えていくうちに、昨日書いたコメント、ハグへの「邪気注入」といった表現は一旦取り消した方がいいかな、という結論にたどり着きました。前言は撤回させていただきます。「ハグ」と、「邪気注入」は、基本的に両立しない、と思いますので。(ペコリ。)今日は「ハグに邪気注入」なんて発想をした我が身の底意地の悪さ、神妙に反省しております。あ、でも、外部に「いい人」アピールするための、心が全くこもっていない偽ハグだったら、話はまた違ってきますね。そういう「偽ハグ」をするのに良心の呵責を何も感じないような人物であれば、たとえ抱きしめられてたとしても、後味はあまり良くないに違いありません。そういうハグは、要らないです。物でも人でも、「偽~」で始まる何かと係わり合いを持って、良い結果に終わった試しはありませんからね。そういう「偽ハグ」からは、するりと身を交わして逃げるのが賢明だと思います。「偽ハグ」だったら、イラナイヨ~って心の中でつぶやいて、後は脱兎のごとく逃げるのみ!...これが一番、自分にも、他人にも、しこりを残さない対処法かなぁ。そう。大人も、子供も、み~んな欲しいのは、不純物の入らない【ほんものの、あったかい気持ちがギュッと詰まった、ハグ】だけ。たとえば、こういうの。何度見ても思わず顔が緩んでしまいます ♡(テレタビーズ、大大大好きなんです~~~~!踊りがファンキーな黄緑色のディプシーが特に。)(flowergreen8さん、いつもいつも、考えるための貴重な種を提供してくださってありがとう!)***************************************十数年前、仕事で交流分析Transactional Analysis (略称・TA)に基づく心理テスト・エゴグラムを扱う必要があり、かなりの数の本を読み漁ったことがあります。この、トーマス・ハリスの本も、確か買って読んだはずです。刊行から随分経ちますが、アメリカでは今なおロングセラーとして静かに売れ続けています。この"I'm OK, You're OK"の本、最近、本屋の棚でチラチラと目につくんですよね。こういう時は、素直に「これを読め!」との直観メッセージに従うと、現実世界で何かいいことが待っているみたいです。だんだん、そういう仕組みが体験的にわかってきました。早速地元の図書館で予約しよっと。【送料無料】I'm Ok--You're Ok [ Thomas Anthony Harris ]TA/交流分析の創始者エリック・バーンEric Berneが今から40年以上も前(1964年)に書いたベストセラーの方は、どうやら邦訳が絶版となってしまったみたいですね。アメリカの大衆文化を知らない外国人には理解しにくい表現や、舞台設定が多かった(と、いう印象がぼんやり...。)からなのかな。【送料無料】GAMES PEOPLE PLAY [ ERICK BERNE ]日本人向きに書かれた書籍としては、こんなところを。昔、杉田先生と、先生が中心的存在となって関わっていたチーム医療の本は何冊か読みました。初心者にも分かりやすく、日常的な場面や、職場の人間関係への応用の仕方が紹介されていたように記憶しています。【送料無料】交流分析のすすめ [ 杉田峰康 ]
2013.02.26
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少し前の3月23日、こちらのブログにて、「長文アレルギー寸前の日本 vs 読みまくれ!書きまくれ!のアメリカ」のタイトルで、日米両国の国語教育について考えを巡らしてみました。http://plaza.rakuten.co.jp/BacktotheEssence/diary/201203230000/続きはこちら。「『本を読むこと』は、まず運動神経」(安野光雅)http://plaza.rakuten.co.jp/BacktotheEssence/diary/201203290000/いずれの日記にも、いつもこちらを訪れてくださっているflowergreen8さんが、興味深いコメントをたくさん書き込んでくださいました。文字びっちり・長文大好き~!な私とは少し異なり、詩人風・短文ひらめき型(←勝手に名付けてしまいましたが...)のスタイルを好まれるflowergreen8さんの物の見方が加わることで、いささか暴走気味だった本文にやんわりとブレーキをかけることができたのではないかな...な~んて、都合良く解釈し過ぎでしょうか...。あれから折に触れて「人により異なる、さまざまな【知性】のカタチ。」について考えてみました。長文ガッチリ型、詩人のひらめき型、それから、バリバリ理系のロジック構築型...うぅむ。この辺までは素人なりにカテゴリ化できるんだけど、その先が続かない...。(←おいおい、たった3種類かぃ!!!)こんないい加減な分類で全てが説明し尽くせるはずはありませんよね。そこんとこ、誰か専門家がきちんと分類・説明してくれてはいないだろーか??? 今、流行りの脳科学の先生とかが...。じゃーん♪ありました!!! 脳科学者ではなく、アメリカはハーバード大学の認知心理学者の先生が唱えている説なんですけれど。今を遡ること約30年前(正しくは1983年)。ハーバード大学教育学部大学院の、ハワード・ガードナー(Howard Gardner)教授が、著書"Frames of Mind: Theory of multiple intelligences"にて、最初に提唱した 「多重知能」もしくは「多重知性」Multiple Intelligences...略して【MI】。 というのが、それ。3つどころじゃありませんでした(苦笑)。8種類、もしくはそれ以上ある、んですって。教授の研究は今なお現在進行形ですので、この先もっともっと出てくる可能性は大、です。【送料無料】MI:個性を生かす多重知能の理論じゃぁ、多重知性/知能、ってどういうことでしょう?(※以下、紛らわしいので、本文では「多重知性」「知性」に訳語を統一します。)ガードナー教授曰く...人間には、誰でも多重(multiple、つまり、たった一つの種類ではない、複数の。)知性が備わっている。どの知性が発達しているか、また、どの知性があまり用いられていないか、は、人によってそれぞれ違う。肌の色・髪の毛の色や質、目の形などの身体的特徴が違うのと一緒で、どれが良いとか悪いとかを決めることはできない。人間ならば誰でも一つや二つ、好き/得意 と感じる知性の分野がある。そして、それとは逆に、伸び悩んでしまい、「苦手だな~」「嫌い...」と自覚している知性の分野も必ずあるはず。...なのだそうです。では、その8つの知性を、代表的なものから順に見ていきましょう。ダイヤモンド・オンラインの記事によくまとまった表がありましたので使用させていただきます。(太字部分)(DIAMOND ONLINE 「神田昌典氏が心理ノウハウの極意を伝授 ビジネスへの倫理観なき活用は危険!」)http://diamond.jp/articles/-/3259?page=4★言語的知性 表現したり、他人と理解し合う ...言わずと知れた、「言葉の力」。しゃべるのも、書くのも、読むのも、この知性が発達することで、得意にもなれば、好きにもなります。★ 論理・数学的知性 論理的・数学的な思考をする ...単に計算が得意、といった次元にとどまらず、「これを動かすことで、結果的にどのような変化が生じるだろうか。」といった因果関係に興味を抱く。また、物事の背後に存在する法則や規則といったものに、目ざとく気付きます。★ 空間的知性 物の位置関係を把握する...図や絵を描くことで、パッとイメージ(画像)化して理解するのが得意です。立体的な物づくりや、設計といった作業を通じて、自分の考えを形にすることを好みます。★ 社会的知性 人間関係を理解して行動する...このタイプ、「空気読めよ!」という言葉とはおそらく無縁でしょう。他人の気持ちを表情や言葉から察知するのが上手。少し前に流行したダニエル・ゴールマンの「エモーショナル・インテリジェンス~こころの知能指数~(EQ)」は、この知性と大きくかかわっていますね。★ 音楽的知性 音楽を記憶したり演奏する...「のだめカンタービレ」の主人公・野田恵は、間違いなくずば抜けた「音楽的知性」の持ち主じゃないでしょうか。楽譜を読むのは大の苦手なのですが、耳コピした曲は一発で完璧に仕上げてしまう。これは単に記憶力の良し悪しでは片付けられない、何か特別の「知性」が関係していると信じたくなります。「絶対音感」も、こうした知性の範疇でしょうね。★ 身体運動的知性 身体の運動を記憶しコントロールする...一流のアスリートには、一流の身体運動的知性が備わっている。そりゃそうですよね。残念ながら、いまどきの学校教育の枠内だと、ちょっと居心地が悪い(いわゆる「スポーツ名門校」でもない限り。)かもしれません。身体運動的知性が突出した人は。浅田真央ちゃんのようなトップレベルのフィギュアスケート選手や、故・マイケル・ジャクソンのような超一流のダンサー。こうした人達の動きを目にすれば、誰だって「あぁ。この人たちの身体には、超一流の知性が宿っているなぁ。」と思わずにはいられませんよね。イチロー然り。マイケル・ジョーダンも、また然り、です。それから、ダイヤモンドの記事中・「感情的知性」よりも説得力があるように思いましたので、こちらの用語を採用しましょう。★ 自己観察・管理知性 自分という人間を把握し、内省する ...上の「社会的知性」が、他の人に向けられているのに対し、こちらの知性は自分自身の内面へと興味・関心が向かう。自分をコントロールすることに長け、心の動きにも敏感でいられる。★ 自然共生知性 生き物や自然と慣れ親しむ 小さい頃から「昆虫博士」だったあなた、素晴らしいお庭作りでご近所の憧れの的となっているあなた。自他共に認める「ナチュラリスト」なあなたは、きっとこちらの知性の持ち主に違いありません。(上の二項目は個別指導学習塾のTOMASさんのHP中、「MI理論とは?」を一部引用させていただきました。)あと、中学受験塾の日能研が運営するウェブサイトにも、この多重知性(MI)について、とてもわかりやすい解説が載っていました。「知性」ではなく、「知能」という訳語を使っているなど、上の用語・分類とは少し異なりますけどね。気軽に試せるMI判定テストも付いていて、おススメです。「"8つの知能 MI" で自分の可能性を見つめ直す」 http://www.nichinoken.co.jp/np5/nnk/multiple_intelligences/mi/mi.html例えば、私自身、こちらの解説を読んだ瞬間、「あ、これだ。」と、すぐにタイプを特定できました。「言語・語学知能」で間違いない、と思います。【植物の名前、昆虫の名前、地名、人名、年号、人の誕生日などを覚えるのが得意。また、授業中の先生の雑談や友達の話に出てきたちょっとしたエピソードなども覚えていて「なんでそんなことを知っているの?!」と驚かれることもあります。】...特に後半部分、ビンゴ!!!でした。子供の頃に見たテレビ番組や、芸能人のエピソード、はたまた高校の授業中に先生が言った小話、1984年に一発ヒット放って消えてしまったバンドは今、どこで何をしていて、ギタリストの名前は何だったか...等々...ど~でもいい話を覚える能力だけは人一倍ある!と、自負しています。あまり役には立たないのにねぇ...。実は私が今日、このMIについて書いているのは、全て日能研さんのおかげなんですよ。(小学生がおりますもので...。)今朝、たまたま日能研から来たメルマガのリンクをランダムにたどって行ったところ、こちらの「"8つの知能 MI" で自分の可能性を見つめ直す」に行き着いたのです。で、「これだ!私が探していた【様々な形の知性】は、この【8つの知能=多重知性 MI】のことだったんだ!!!」...と、しばし大興奮。それからはネットで記事を次々に読みまくり~(←ちょっと、部屋、片付けなさいよー)...勢い余って、とうとうブログにまでなだれ込んだ、という次第です。ゼエゼエ...。性格タイプや、心理療法寄りの心理学本は昔から好きでいろいろかじっているんですが、認知心理学や教育学といった分野にはどうも食指が動かなくって...。とんと無知でした。まぁ、いいんです。昨日知らなかったことを、今日、知ることができた。しかも、ひょんなきっかけでもって。その出来事の連鎖が何ともうれしいのです。ん~、今日はいい日だ!8つの知性、お互いに尊重し合いましょう。(すてきなイラスト、そして押し付けがましくない涼やかな朗読で気に入りました。)
2012.05.14
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前回の日記を書いて以来、いろいろな考えが頭の中を走馬灯のように走り抜けて行きました。久々に、自分の過去へ遡っての脳内旅行にでも出かけてみますか。その昔、私は世間の皆さんと比べて、いささか長めに「学生」をやっておりました。今は、ごくありふれた日本人家庭のおか~さん・兼・送迎運転手@米西海岸、そんなところです。ま、自分としてはそれよりも自称・素人心理研究家+精神世界のワンダラ~、という側面の方が中核部を占めているような気がしますけれど...。元々がボヘミアン気質とでも言いましょうか(←物は言いよう...。)、大雑把で、束縛を嫌う人間です。なので、「長い文章を、理路整然と、業界のフォーマットにきちっと沿うような形で書ける」という能力の持ち主には、無条件に敬礼!!!したくなります。そうした能力を(努力の末に、もしくは優れた遺伝子の助けによって)獲得した方って、純粋に素晴らしい!!!あんたはエライ!!!...と思います。大真面目に。この際だから、はっきり言ってしまいましょう。私、ずーーーっと長い事、 「学術論文をまともに書ける人」になりたかったのです。 今でもたま~に、いつかそうなれたら嬉しいなぁ~...なんて、ちょっと未練がましく思うことがあります。その頻度は徐々に減りつつありますけどね。(年のせいか?)いわゆる「エッセイ風」の駄文、くだらない感想文、それから日記に手紙文...といった類の、フォーマットにはまらない、無手勝流な文章はいっくらでも長々と続けられます。いくらでも。でも、【学術論文】となると、どういうわけなのか、身体も脳味噌も硬直化してしまい、筆が一向に進まない。金縛りにあったような、という表現そのものの状態に陥るのでした。推測するに、私はきっと、前世のどこか(ヨーロッパ圏内希望)で学者業をやっていて、くどくどと余計なことを細かく書き過ぎたため、当時の為政者や教会の上層部などの怒りに触れてしまい、それが原因で命を落とすようなことがあったんじゃないでしょうか(笑)。...そんな前世をでっち上げたくなる程、あの頃の私は「理詰めで書く」&「他の人が書いた、面白くもない先行論文・先行研究をコツコツと満遍なく読む」ことが大嫌いでした。【あのー、これ、研究者の卵としては、言語道断!あり得ない!なんですけど~。】でも、論文の締切日を前にして、学生仲間のみんながそうした金縛り体験をするか??? と言うと、勿論、そんなことは決してありません。だって、「長々と学生やりたがる連中」っていうのは、元々論文を書くという作業がちっとも苦にならない、そんな人が大部分ですから。(持てる能力や適性を無視して、分不相応な世界に入り込もうとした当時の私は、傲慢と劣等感のカタマリでした。天は、「金縛り」という形でもって、そんな私の生き方に警告を発していたのですね。今だからわかります。)友人の中でも、特に秀才の誉れが高かった一人(英語圏出身)は、こう言っていました。「締め切りが近付くと、論文執筆のために揃えたこっちの研究書、あっちの論文が段々と憎たらしくなってくる。そして、『よくもここまでつまらない文章で、自分の時間を盗んでくれたなっ!何としても、仕返ししてやらねば、この怒り、治まらないっ!!!』...といった具合に、徐々に自分を奮い立たせていく。【←うぅむ...これって、試合開始前、戦闘意欲を徐々に高めていくボクサーのようですね。】先行研究? うん、もちろん、自分の専門分野の【権威】と言われるような学者の仕事には満遍なく目を通すよ。だって、『えい!これでもか!これでもかっ!』と、自分なりの論旨展開でもって、その【権威】の言い分をバッサバッサと切り捨てるのが痛快だからね。」これを聞いた時、「私には全くあり得ない発想だぁ...。」と、ただ、ただ、驚くことしかできませんでした。【権威】と呼ばれる人に、一矢を報いるのが痛快、とはねぇ...。 それに引き換え、つまらない論文や本は「不都合な真実☆」と軽視し、期限ギリギリまで接触を先延ばしにしようと試みる(←それがマズイんだってば!!!)私・黒犬べーやん...。要するに、「学者」「研究者」という仕事には、少しも向いていなかったのです。大学卒業後の進路を決める時、「好きな本がたくさん読めて、それをきっかけとして色々な人と語り合えることができるような、そんな仕事がしたい。」で、出した結論。「大学の先生がいいんじゃない?」...このお目出度さ加減には、父ちゃん情けなくって涙出てくるわ(←あばれはっちゃくの東野英心さん風で)。前回書いた通り、「長文をガンガン読めるようになると、いいことがいっぱいある!」この信念は変えるつもりはないです。実際、私の人生にもいいこといっぱいありましたし。でも、「長文を多読できる能力 イコール 知力が高い」の図式は、必ずしも成り立たないですよね。それは強調しておかねばなりません。だって、ロマンス小説が大好きで、月に二十冊は軽く読んじゃう、というその辺のおばちゃんが「知力高い」とは、誰も思わないでしょ?量を読めばいい、ってものでもないのです。読み物の質はちゃんと選ばないといけません。 「詩人のひらめき的知性」と呼ばれる、知性のはたらき...。こちらだって、世界の歴史・日本の歴史を広く見回してみると、随分多くの貢献を果たしてきました。芸術、特に短めの詩歌などは、こうした知性無しでは生き延びてこられなかったでしょう。そう。知性にも、いろいろな形があるのです。一概に、「こっちが上!」とは言えませんよね。そうは言っても、【詩人のひらめき的知性】だけではど~にもこ~にも勝負できない、そういう分野は、現代社会に数多く存在します。これは厳然たる事実です。残念ながら。学問・研究の世界はまずその典型ですね。国際間の政治や、ビジネス上の駆け引きも、また然り。言葉の力でもって相手をねじ伏せることができない人は、「敗者」となります。将来、海外へ飛び出して、現地の学生に混じって専門的な勉強をしたいと思っている方。そういう若い方ならば、外国語でもって読み、書き、意見を戦わせる力は、その後の全人生を左右すると言っても過言ではありません。少しでもそうした進路に進む可能性のある人(今後、大量に出てくると思います。)には、、「できるだけ若いうちから、長文を大量に読みこなせるだけの力を付けておいたほうがいいよ。まずは日本語の本で基礎体力作りをしておこうね。外国語はその後で!」って、言葉をかけるでしょうね。もし、自分はあまりそういった事が得意でない、と気付いても、それはそれ。あなたには恐らく他に得意なことがあるでしょう?そちらにエネルギーも、時間も、傾ければいいだけのことです。【長文読解+論理的思考+長文執筆】の陣営とは全く反対の方向で、自分の才能を見つけましょうよ。私みたいに、いつまでもウジウジと「あれもできなかった、これもできなかった...。」なんて引きずるなんて、ナンセンスです。悩んでいる暇があったら、他に自分には何ができるどうか、それを積極的に探した方がいいんじゃないでしょうか。「書を捨てよ、町へ出よう」と言い切った寺山修司は偉大だわ(笑)。さすが詩人。さて。タイトルに掲げておいて、ここまで引っ張るか~!?(笑)と思うのですが、そろそろ出すとしましょう。元・小学校の図工の先生(しかも数学大好き!)でもあった、画家の安野光雅さんが、面白いことをおっしゃっていたので、それを最後に紹介したいと思います。【送料無料】はじめてであうすうがくの絵本(1)【親子で愛読しているシリーズです。親戚の子ども達にもプレゼントしました。】対談の相手は、教え子であり、数学者でもあり、故・新田次郎&藤原てい夫妻の(二人とも作家)ご子息でもある、藤原正彦さんです。【送料無料】世にも美しい日本語入門「安野 むかし教員をやっていた頃、ローマ字の教科書があって、私にはすらすら読めないし、こんなものやらない方がいいと思っていました。それなのに、子ども達はなんと、ローマ字で印刷したものを、平仮名を読むのと同じ速さですらすらと読むんです。『本を読む』ということは、まず運動神経なんだな、とつくづく思いました。 小学生のような柔軟な時代に、目の運動神経で文字を早く、いっぺんにパッと読めるように慣れていくということが大事ですね。慣れていない子は一字一字読むから遅いんです。でも慣れれば日に日に、どんどん早くなっていきます。」(安野光雅・藤原正彦「世にも美しい日本語入門」、ちくまプリマー新書、2006、p.28.)...この一節で、パッと目の前の霧が晴れたような気がしました。運動神経!そうか!アメリカで、「読め、読め、読め!」をさかんに推奨する先生方は、そうした「読書は運動神経」という説の信奉者だったのですね。な~るほど!それから、少し後に登場する藤原先生の発言には、まさに「我が意を得たり」の思いでした。「藤原 私が安野先生に教わったのは昭和二十年代末ですが、はるかに[黒犬べーやん注:小学校の国語の時間数が]多かったですね。国語が二時間ある日もありました。いまは二十年前の一九八〇年に比べても半分です。このように急坂を落ちるように減っています。それに伴って思考力も落ちていく。情緒力も落ちていく。そのうちに人を深く愛すことすらもできなくなってしまうのではないでしょうか。それくらい落ちてきています。(...)」(前掲書、p.31)「ちくまプリマー新書」は、基本的に中・高生を読者層と考えているようですが、むしろこれは大人の方、特に子どもと関わる機会の多い方にこそ、ぜひ、読んでいただきたいですね。
2012.03.29
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一ヶ月程前のことです。Yahoo!Japanのニュース欄で、とあるウェブマガジンから転載された記事を読む機会がありました。気になったのは、文章について寄せられた否定的なコメントの多さです。「長過ぎる」(←同様意見、圧倒的多数)「読みにくい」「だらだらとまとまりがなく、何を言いたいのかわからない」これ程にまでボコボコに叩かれた元記事、どうにかしてリンク貼りたい、と、昨夜頑張って探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。ちなみに、原文が掲載されていたのはこちらのウェブメディアです。(BizMedia 誠)http://bizmakoto.jp/文章長めになりがちな人間としては、この日本人読者からの否定的な反応は見逃せないな、と思いました。なぜ、その記事があそこまで「長過ぎる」と叩かれたのか。理由を勝手に推測します。 1.ネット上でニュースを仕入れる人の多くが、携帯電話やスマートフォンなどの 「小さな画面」上で字面を追っている。なので、物理的に長い文章だと読みにくい。 2.たまたまこの記事を読んだ人の中に、ツイッターや携帯メールの短さに慣れて しまった「アンチ長文派」が突出して多かった。一方、「長文OK派」の人たちは、 特にコメントする必要も感じることなく、そのままスルーか、ざっと流し読みしてから 他のページへと移っていった。 3. そもそも記事を書いた人に、物書きのプロフェッショナルを自称するだけの 文章力が備わっていなかった。まず、仮説1。おそらくは、この立場が圧倒的多数なのでしょう。先日、横浜の義母が「電車に乗っても、携帯電話でピコピコしている人ばかり。珍しく本や雑誌を手にしている人がいても、顔見ると大抵は年の行った人ね~。」と嘆いていました。でも、そのようなご時勢だからと言って、ウェブマガジンの作り手に対し、携帯端末やスマートフォンで読み易い「短文のみ+短い記事」を書け!と要求するのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、って気がします。仮説2.についても、「イヤなら、読まなきゃいいじゃないか。」を実践していない人がたまたま多かった、というだけのことだと思います。何か私生活でムシャクシャする場面が続いて、ちょっと毒づいてみたかったのかもしれません。仮説3.については...原文が見つからないので、詳しくコメントはできませんけれど。でも、「ちょっと冗長だけれど、別にそこまで叩かれる程ひどくはない」と、私は感じました。(ガラスの家に住む者は石を投げてはいけない...って奴ですよ。アハッ☆)【送料無料】グラス・ハウス(↑私は70年代の「ニューヨーク52番街」以前の、ビリー・ジョエルの作品群が好きなので、ロック調に走ったこの一枚は「微妙...」かな。やはり彼にはピアノマンでいて欲しい!)一番心配になったのは、「ひょっとしたら日本人は、若い世代から順番に【長文アレルギー思考拒否状態】へと緩やかに下降しつつあるのかも。」ということです。まさかそんな、と笑い飛ばせればいいんですけど...でも、アメリカの、そこそこ裕福で教育熱心な地域に暮らし、現地小学校での教育事情を目の当たりにしてしまうと、どうしても不安になってしまいます。うちの小学生の子供、ESL(第二外国語としての英語)のクラスに籍を置きながらも、ようやく学年の他の子が読むような物語本をスラスラと読みこなせるようになってきました。それに伴い、親である私も、英語で子供達とやり取りしてもそろそろ大丈夫かな、と図々しくなってきましてね。で、昨年9月の新学期からは週一でスペリング小テストのお手伝いをしています。コピー取りや、絵画の掲示など、裏方仕事から勇気出してのカミングアウトです。毎週水曜日、朝8時半の始業時から、多い時で2時間近くの間、教室とコピー室とを往復して、仕事が一段落したら、スーッと帰ります。そんな中、徐々に見えてきたことは、「アメリカの教育は、読書に始まり、読書に終わる。」ということ。 とにかく「読め!読め!読め!」と、多読を推奨されて育つんですね。それも、日本流にクラスで「いっせーの、せ!」と、一つのテキストを読む、わけじゃないのです。「全員が同じ国語の教科書をちんたらちんたら繰り返し読み、『主人公の気持ちは~』なんてしょーもない問いに、無難な答えで返す。それから、各段落の最初に番号なんか振ったり、『それ』が指すものは何か、の答に傍線引いたりしたりする。」...これが、日本流。いや~、頭では「アメリカの(大)学生は大量に本を読まされる」とわかっていたものの、まさか小学校の段階からこれ程徹底して「読め、読め、読みまくれぇっ!」の教育を行っているとは。物凄いカルチャーショックですよ。毎朝、子供達は好きな本を一冊選び、始業後すぐに始まる"Reading"の枠内にガンガン読みまくります。担任の先生が(時に自腹を切って)揃えた学級文庫の棚から取ってくるのも良し。はたまた、週に1~2回巡ってくる「図書館」の時間中に借りてきた本をロッカーに入れておいて、それを読むのも良し、です。これが午前中に約1~2時間程。時々おしゃべりも出ますが、大半の子は夢中になって読みふけっています。自分で選んだ本、っていうのがポイントでしょう。男の子だと、ポケモンやスターウォーズのノベライズ版を選ぶ子もいるのですが、先生は特に何もおっしゃいません。好きに読ませます。週5日間、毎日それの繰り返しです。読むスピードの速い子だと、一日の授業時間内で薄いペーパーバックの物語本一冊は軽く終わらせたりします。うちの子の学年(中学年)だと、最近日本でも映画が公開された「マジックツリーハウス」などは、朝読み始めて、下校時までに読破!というレベルの子がざらにいますね。それで物足りない子は、更に分厚く、難易度の高い本へと挑戦していきます。生徒が読書にいそしんでいる間、担任の先生は生徒一人、もしくは数人のグループを教室傍のコンピュータコーナーに呼び出し、個々の習熟度に合わせた読解テストをパソコンで解かせます。隣同士の子といえど、一人は説明文、もう一人は物語文、と、全く違う問題に取り組んでいることは珍しくないです。バラバラです。週に何回か、私のような保護者ボランティアがやって来ては、ミニ読書会といった趣のグループを指導することもあります。こちらのボランティア(英語ネイティブの人が大半ですが)は、先生の指令を受け、学力レベルの近い子達を5~6人のグループにまとめ、廊下へと連れ出します。そして、そこに備え付けてある円卓を囲んで、ちょっとしたディスカッションを繰り広げます。クラス全体での一斉授業ではなく、小人数で全員が意見を述べ合う訓練を、低学年のうちから始める。この辺はいかにもアメリカだな~、と、感心させられました。とにかく、小学生の時から「本をガンガン読みまくれ!」なんですよ。ここの教育は。でも、これって、きわめて優れた教育法だと思いませんか?大体、読むことが楽しい、本が大好き、っていう気持ちって、多読・乱読によってしか培われないと思うのです。ある程度の数をこなさないと、本当に「これだ!」と、好みのツボにドンピシャリとはまるような(自分にとっての)大傑作には出会えないのではないでしょうか。こうして読書能力を高めた子供は...☆ 長文を恐れないようになる。速読・多読が得意なので、情報処理能力も高くなる。☆ 将来、大学へ進学しても、あのアメリカ特有の電話帳並みに分厚い、ハードカバーの教科書をガンガンと読み進めていくことができる。 ☆ 色々な方向に興味のアンテナを張って、ピピッと適切に反応することが できるので、「無趣味」「無教養」「無感動」の三無地獄にはまりにくい。...そして、何といってもこれが一番大きなメリットだと思うのですが、☆「長文を読む力」/「長文を理解する力」 =「長文を書く力」につながる。うちの夫と良く話すのですが、アメリカ人にはとにかく「よく書く」「長い文章を書きまくるのが全然苦にならない人が多い」、といった印象があります。理系人間だらけの職場の同僚にしてもその傾向は強いそうです。また、ネット上を見回してみても、同じテーマを扱った日本人の文章と比べて、一定以上の教養を身に付けたアメリカ人の書く文章は、分量も多く、内容も濃い場合が多い、と感じます。情報がいっぱい詰まっていて、読んだ後に「お得感」がありますねー。(←まぁ、アメリカ人と言っても、教養レベルはピンキリですがね~。)彼ら、読み手に対しての「これだけは伝えたい!」「自分の主張を理解させたい!」という欲求が日本人と比べて格段に強いんでしょうね。それが西洋流教育の目指すところなのでしょう。日本人だと、そこまで押しが強い書き手は逆に敬遠され、あまりウケないかもしれません。まぁ、この辺はギリシャ・ローマから脈々と流れる西洋哲学・論理学の伝統に負う部分が大きいのだと思います。そっち方面の話はあんまり得意じゃないので、深入りはやめましょう。。...でも、アメリカの学校、教育、全てがバラ色!などと言うつもりは 毛頭 ありません。例えば、学校給食。水準の低さでは有名ですよね。残念ながら、折からの不況→税収の低下→教育予算削減の流れは依然として強く、一向に改善の兆しは見えてきません。経営再建中につき経費削減しまくり~、のエアラインで出される機内食レベル...と書けば、雰囲気が伝わるでしょうか。(ご飯党のうちの子は数回食べてギブアップしました。以来、毎日弁当持参です。)百聞は一見にしかず。まずは下の動画でお確かめください。メディアでの報道を信じるならば、これでもごく標準的なレベルみたいです。そう。アメリカの学校にだって、問題はたくさんありますよ。当たり前ですが。それでも「読む力を養う教育」に関しては、残念ながら日本、完敗...じゃないでしょうかねえ。少なくとも、日本式の読ませる教育があまり効果を挙げているようにはとても思えないのです。これ以上、若い世代の日本人に【長文アレルギー】を増やさないよう、われわれ大人世代もできるだけのことはしていきたいものです。【読むのヤダ~】 イコール、【考えるのヤダ~】ですからね。放って置けませんよ。
2012.03.23
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久々の更新です。タイトルで言い尽くされていますけど、今年の夏休みのハイライトとして、家族旅行でサンディエゴに行ってきました!子供の行きたいところばかりでメニューを組んだので、行き先といったら、まずシーワールド。サンディエゴ動物園(パンダで有名ですね)。この日は2匹が外に出ていました。何てまぁ、幸せそうにバリバリと笹をむさぼっているのでしょうか...。さすがに他の動物と違い、パンダだけは「交通整理」のような感じで、一列に並んで順番に通路を歩いて行くという観覧方法が取られていました。それにしたって、フェンスにもたれかかりながら、人の頭が視界に入るのを気にすることなく心ゆくまでシャッターを切りまくれるんですから、贅沢ですよねぇ。(ちなみに、これは金曜日の午後の話です。土日だったら、もっとすごい事になっていたかもしれません。)上野だったら、じわじわと後ろから人並みが押し寄せてきて、とても一箇所で立ち止まってなんていられませんから。自然史博物館(恐竜の展示がお目当て。でも、地下の特別展示の宝石・鉱物コレクションが予想外に良くて、得した気分になりました。目の保養、してきましたよ~。)それから、我が家はそろそろ年齢的に限界近いかな~?って感じの究極のお子ちゃま楽園・レゴランド!写真は、アメリカの代表的な都市をミニチュア化したレゴブロックの街・《ミニランド》にて撮影したものです。これはニューオーリーンズの街角なんですって。雲ひとつ無い快晴の日が続いたため、4泊5日の歩け歩けの旅は、運動不足+ちょいメタボな大人達にとっては、紫外線とのどの渇きとの闘いが続く、相当過酷なブートキャンプとなったのでした。 しかも、どこの観光地も、型で押したように、飲み物食べ物が高すぎる。シーワールドで買ったホットドッグなんてですねぇ、コストコ(Costco)ホットドッグの3分の2の大きさでもって、お一つなんと$5.99ですよ、$5.99!!! ピクルスもオニオンも付いて来やしないというのに...。不条理な観光地価格そのものです。...で、最終日の夜、安くてお腹いっぱい食べられるアメリカン・チャイニーズ(全体的に甘目の味付けが多い)のバフェレストランで、生牡蠣を一個だけ食したところ、...自宅に戻って丸一日経ったところで、見事にノロウィルス感染の症状が出ました。突然夜中に(勿論、睡眠中デスヨ)猛烈な吐き気が襲ってきたのに目を覚まし、それから後は...ご想像にお任せします。いや~、安い店で、それもこっちの体調がヘロヘロなところに、生牡蠣なんて食べるもんじゃないですね!(それにしても、発症したのが旅先とか、帰りの飛行機の中とかじゃなくて、本当にラッキー!!!あの苦しさを機上で...な~んてシナリオ、あまりにも恐ろしすぎて、ちらりと頭をよぎっただけでも全身石になりそうです。)一家内でウィルスを仲良く分け合ってしまったもので、ようやく体調が元に戻るまで10日以上を要しましたよ。ノロウィルス、噂には聞いていましたが、こんなに辛いものなんですね。今までかかったことが無かった私達親子は、きっと運が良かった方なのかもしれません。いやはや、貝はやはりちゃんとした店で食べなきゃダメですね。ウィルスのおかげで、しばらくは食に一切興味が持てない日々が続きました。でも、サンディエゴで美味しい物を食べてきたうれしい記憶があるからこそ何とか乗り切れた、というものです!まず、初日の夜、意気揚々と乗り込んだ Sushi Otaさん (http://sushiota.menutoeat.com/ )のちらし寿司(上)。事前にあちこちのウェブサイトで情報を確認していたので、かなり期待できるとは思っていましたが、本当にその期待を裏切らない、良質の魚と、満足の行くボリュームで、幸せいっぱいになりました。チップが20%近く加算されますので、大体3000円程度、ってことになりますかね。あぁ、今も、あの口に入れた瞬間、まろやか~♪な至福がバーストする大トロの味わいが懐かしく思い出されてきます...。どうしてあれを毎日食べられないんでしょうかねぇ...。(←そんなに食べたら、ありがたみ無くなっちゃいますよぉ!)確か、上ちらしは$25でした。こちらのお店、イチローがサンディエゴで対パドレス戦に出る日によく食事で訪れるそうですよ。うん、確かに「イチローも合格点付ける味」でした! そして、2日目&最終日、と、2回も足を運んでしまったのが、山頭火らーめん。ミツワ(日本食スーパー)サンディエゴ店入り口・フードコートにあります。クレジットカードは使えないので、くれぐれも現金持参で行ってくださいね。このミツワと同じショッピングモールには、ブックオフの大型店舗もあります。山頭火、我らが住む街には残念ながら無いんですよね~。下は懐かしい塩らーめん&いくら丼のセットです!私自身はなんとなーく味噌が食べたくって、そうしましたが、やはりここではメインの塩を頼むのが正解だったようです。それにしても、こんなレベルの高い日本食をフツーに食べに行けて、日系スーパーも一つの街だけで3つも揃っているような南カリフォルニアって、いいなぁ。やはり日本人がたくさん集中して住んでいるのにはそれなりの理由があるのですね。まぁ、日本人人口が多すぎることで生まれる悩みもありますから、どこへ住もうが結局は自分の「そこそこ楽しんでます♪」という晴れやかな気持ちが肝心なのだ、と、住み慣れた街に戻ってきた今は思います。その気持ちさえあれば、どこにいようが、誰と出会おうが、「そこそこ」充実した日々になるのでしょう。...でもやっぱり、日本のごはん、最高ですっ。...
2011.07.09
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海外で暮らす日本人の子どもは、超多忙!土曜日の日本人学校でわんさか出される宿題、習い事、その他、プラスαの自主家庭学習などに時間を取られてしまうので、平日、学校から帰ってきてもアメリカのテレビ番組なんて見ている暇は無いです。貴重な自由時間、どうせなら自分が本当に好きなことに使わなくてはもったいない。まず、アニメでは「ケロロ軍曹」ですね。漫画は、「ドラえもん」や「オバQ」などの藤子不二雄作品!親も時々読んでいます。その他の本は、たとえ英語版が身近で調達可能な場合でも、極力日本語版を取り寄せて最初は日本語で読ませる!本の世界に入るなら、漢字があって当たり前、と思えるよう習慣付けるのが肝心なのです。時にはドリフの「8時だよ!全員集合」のDVDなんか見て、親子一緒にゲタゲタ笑う日もあります。くそマジメなだけじゃ、長持ちしませんからねぇ。うちの子供は、自ら選んでこのような選択肢にたどり着きました。親からは多少の誘導、そして多額の出資はありましたが、決して「これ読め、あれ見ろ」という押し付けはしていません。今のところ、我が家ではこれでうまく行っています。鬼母だ、教育ママゴンだ、と他人様から叩かれようが、知ったこっちゃありません。似たような境遇で、似たような目標をお持ちで、似たような苦労をなさった先輩方からのご意見は、喜んで参考にしたいと思っていますけどね。幸い、夫の親戚に、長年海外で子育てをし、日本語教育を続ける上での苦労を一から十まで味わい尽くしたおば様がいるので(当時はネットなんて無かったんですよ!どれほど大変だったことか!)、我が家には百万の援軍が控えてくれているも同然です。ありがたい理解者の一人です。うちはうち、よそはよそ。その割り切りが出来ないと、本当に何を達成したいか見失いそうで、非常に危険です。足を引っ張ろうとする人、ロングバケーション気分で駐在に来ていて「そんなにあくせくしなくたって~、お子さんがかわいそう~」と、善意(?)でアドバイスしてくれる、ありがたい日本人の奥さんたち。...いろんな人がいます。いちいち真に受けていたら、きりが無いです。そんなアドバイスをホイホイ聞き入れて、うちの子の日本語がだんだん怪しくなってきて、漢字練習もイヤだ~、土曜日に活動するスポーツチームに入れないから日本人学校も辞めたい~、英語で読むほうが内容が頭にスイスイ入るから、日本語の本も読みたくない~、親が日本語で話しかけてきても、メンドイから英語で答えちゃおう~...。こんな風になったら、あなた、責任取ってくれます?上のように、「母国語もいまいち、第二外国語もいまいち」の、中途半端な言語能力で止まってしまった人のことを、「セミリンガル」と呼ぶそうです。「バイリンガルになりきれなくて、どっちの言葉もセミsemi(準-)の水準でしか使えない」...そんな子どもたちが、今、着実に増殖中らしいですよ。海外在住の子どもだけでなく、日本で早期英語教育に毒されすぎちゃった子どもの中にも!私は、この恐ろしい「セミリンガル」という現象を次の本で知りました。(品切れ入手困難...またぁ!?)【送料無料】英語を子どもに教えるな価格:798円(税込、送料別)慣れない海外生活、子どもを不憫に思うあまり、「今は日本語はちょっと手抜いても構わないから、まずは英語を。」と、片方に大きく振れる。それでもって、しゃべる日本語がだんだん怪しくなってくると「やっぱり日本語やらないと。」、と、逆方向へ慌てて引き戻す。日本語が少し安定すると、親もすぐに気を抜いてしまって、「どうせ日本に帰るんだから、せっかくのアメリカ暮らしを楽しまなくっちゃ!」と、またもや観光客気分に逆戻り。そんな振り子運動を繰り返すうちに、比較的短期(3年程度)の駐在組だと、そろそろ日本に帰国の時期ですね。さすがに最後は「ちゃんと日本の学校についていけるかどうか心配」「うっかり英語が口を突いて出たらいじめに遭うかも」と焦りが出てくるので、日本語の側に大きく揺れてフィニッシュとなります。でも、一旦日本に帰ってしまえば、子供なんて順応性の塊のようなもの。後は「日本の子供」としてつつがなく成長していきます。で、当然、英語の方は「あっという間に忘れる」、と。えぇ~、勿体無い~!との声も多いでしょう。特に、今、手間も暇もお金もた~くさん注ぎ込んで、早期英語教育に走っているお母様方。あなたも、この本のターゲット読者層に入ってますよ!しかし、後述する恐怖のシナリオと比べれば、失う英語の知識なんて、惜しくも何ともありません。英語なんて、誰でも中学に入ればやらざるを得ないですし、また、そこから再スタートしたって何とかなるものです。短期駐在の子どもと違い、海外滞在が長期にわたる子供たちの場合、上の例のように場当たり的な語学学習では、まず数年で大きな壁にぶつかることになります。それが「セミリンガル」の恐怖。トロント大学名誉教授の中島和子氏の「バイリンガル教育の方法 増補改訂版 12歳までに親と教師ができること」(アルク、2001)では、「ダブル・リミテッド・バイリンガル(Limited bilingualism)」、簡単に言うと「二言語低迷型」、という定義が採用されているので、最近ではこちらが正式な呼び名とされているのかもしれませんね。「日本語も英語もぺらぺら」なんていうバイリンガル能力は、大多数の人にとってはただの幻想です。可能だとしたら、それは両親が自分の母語で四六時中話しかけ、両方の言語で等しく教育を受けられるように手配し、読みも書きもばっちり磨く、か。...もしくは、子どもがモーツァルト並みの神童として生まれる、か。そういう特殊条件下において、でしょう。モーツァルトとはほど遠い大半の子にとっては、まず、母語(第一言語)の能力をしっかりと固めて、基礎を磐石にすることが何よりも大切です。海外で暮らす場合、昼間はどうしても学校という外国語環境に拘束されますので、これはなかなか困難です。それでも、どうにかして母語をしっかりさせておかないといかんのですよ。第一言語という、揺ぎない土台があって、はじめて、その上に第二言語(うちの場合、英語)という建物を載せることが可能となるのですから。。言語学で俗に「十歳の壁」と言われているのは、こうした「カンタン英語(一時的ことば)から、難しめの英語(二次的ことば)へと切り替わる時期...おおむね、十歳頃...に、うまく移行できず、第二外国語の能力が伸び悩む」という現象のことを指します。なぜ十歳なのか?それは、日本語、つまり、子どもの母国語発達においても、同じような「カンタン→難しめの日本語へ」の切り替えが起こる時期だから、です。第一言語でスムーズに切り替えできないのに、第二でうまくやろうと目論んでも、そうは問屋が卸さないのですヨ!豆腐のようにふにゃふにゃな土台に、しっかりした建造物が建つわけがありません。だから、将来的に日本語力を大学進学レベルにまで引っ張っていきたいのであれば、絶対に第一言語・すなわち日本語力を伸ばすべくとことん頑張る必要があります。そうすれば、母国語で培われた読解力、論理展開、抽象的な思考の理解などが、自然と第二言語(うちの場合英語)の伸びを後押ししてくれる、と。あっちにふらり、こっちにふらり、と、親がブレまくっていては駄目です。そうしたことで一番被害を受けるのは、子どもたちなのですから。何はさておき日本語教育です。これが著者・市川 力氏が一番訴えたかった点だと思います。1990年から十年以上、シカゴやコネティカット州グリニッチといった、日本人駐在員とそのの家族が多数暮らす地域で、子どもたちの学習指導に携わってきた方の肉声だけに、ものすごい説得力があります。見かけだけは普通の日本人成人なのに、改まった場に出ても「チョ~ムカツク」「だってうざいし~」「やばいやばい」「全然いいじゃん」(←良くないよ!)といった、あまり品の良くない小学男児程度のボキャブラリーしか使えない、また、その程度のやり取りしか理解できない。当然、敬語はめちゃくちゃだし、日経新聞読むなんて夢のまた夢!...自分の子どもがそんなセミリンガルの大人になってしまったら、どうします?へたなホラー小説より余程怖いです。だから、うちはうち、よそはよそ、で行くしかないわけで。現に、英語・日本語のうち、どちらを重視するかはっきり打ち出さなかったために、自然と子どもの第一言語が英語になってしまい、今とても悔やんでいる日本人家庭の親御さんを知っています。それも、複数。(※アジア系の言語と英語とがかち合うと、子どもって、ほぼ確実に言葉の構造や表記が楽な英語に流れるそうです。逆はまず無いらしいです。)あるいは、渡米してほんの数ヶ月なのに、「日本人学校の宿題があまりにも多くてかわいそう」と、半端な情けをかけたため、日本語学習がどんどん学年レベルから遅れてしまい、もう、恐らく二度と日本の公立学校に復帰することはできないだろうな~と思われる、気の毒なお子さんも知っています。しつこいですが、うちはうち、よそはよそ。タフにならねば初志貫徹はできません。現地校で、まぁそこそこの成績を取りつつ、漢字力付けて、学年相応の作文・エッセイが書けて、英語チャンポンのなんちゃって日本語ではない、きちんとした話し言葉でやり取りができる...。高校を卒業する頃までには、このレベルに到達して欲しいなぁ、と、親はひそかに願っています。究極の目標は、「大学進学を考えるとき、子ども自身が一番行きたい学校を、英語圏・日本語圏の両方から選択できるように、高いレベルの日本語を身に付けさせること。」後は、アメリカや英語圏の大学に行こうが、帰国生入試を受けて日本の大学に行こうが、本人が望み通りにすれば、それでオーライです。子どもの人生ですから。家計の許す範囲内で応援します。去年、車を運転している時にふと、こんなフレーズが脳裏に浮かんできました。「人並みの事しかやれていないのに、人並み外れた成果だけを期待するのは、あまりにも虫が良すぎるというものだ。」誰のつぶやきなのかはわかりません。きっと、私の心の奥底に住んでいた、鬼軍曹のビリー隊長ではなかったかと思います(自爆)。その日から、ずっとこの一言をかみしめながら今日まで来ました。どなたかは存じませんが、あの時ささやいてくれたことに、とても感謝しています。
2011.06.09
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flowergreen49さんが前回の日記に寄せてくださったコメントから、いろいろと考えてみました。私自身の言葉の足らなさから、誤解を招いてしまうといけないので、ここはひとつ、アメリカの住宅地について簡単に触れておきますね。やっぱり!外国の魔界人はさほどいなさそうですよね~恵まれた人が多い(余裕がある)という事もポイントですね。「魔界人が少ない」というよりも、単に私の周り(私の家の周りの地区)に少ない、んだと思います。きっと、アメリカにも、西洋諸国にも、実はたくさ~んいるのではないでしょうか。前回書いたような「エモーショナルバンパイア・その傾向と対策」って感じの本が何冊も出版されていて、しかも相当売れているっていうことが、良い証拠ですよね。それと、私の「何だかんだ言っても、所詮はガイジン英語力」では、魔界人の本性が明るみに出るようなディ~プな話題や、ドロドロの人間関係にはまず入っていけない、っていうのも大いにありますね!日本の皆さんだって、やはり外国から来た人にはある程度距離を置いて「善良なニッポン人」の顔で接しますでしょう?それと同じだと思います。アメリカに住み始めてかれこれ12年目(間に1年半程日本で過ごしましたので)になりますが、一番「ほぉ~、なるほど!」と感心したのは、「土地の住み分け」システムが日本とは全然違う、という点です。★アメリカの郊外住宅地では、その地域の学校のレベルの高低によって家の値段や賃貸物件の家賃が決まります。★「駅に近い」「買い物便利」といった条件は二の次です。(車社会ですからね...。)※NYのような人口密集地では事情が異なるかもしれません。でも、子供のいる家庭は大体マンハッタンの繁華街ど真ん中なぞには住みたがりませんよね、普通。どういうことかと言いますと...。例えば、同じ35万ドル(今のレートだと日本円で大体2800万円弱...うわぁ、涙出る程のドル安だわ)の物件が、同じ市内で2件売りに出ているとします。築年数や庭の面積、交通や買い物の便は大体同じ、と考えましょう。A物件は、5BRの3BA+Den。リビングルームやキッチン・ダイニングスペースの他に、寝室が5つ。そして、バス(一部はシャワーブースのみということもアリ)・トイレも3つあります。おまけに、Denと称される、小部屋まで。パパの書斎にしてもいいし、ママの在宅ワークオフィスにしてもいいし、夢が広がりますねぇ。4DK以上の家に住んだことない私にとっては、「ウワァオ!」もの物件です。A物件の指定小学校、中学校、高校は、いずれも全国ランキングでは3~4程度(10点満点)のところをウロウロしている、「やや難あり」といった顔ぶれ揃い。高校(こちらは義務教育なので無試験です)では、ドラッグにはまる子も少なくなく、中退率が高いのが気になります。家庭に問題のある生徒が多いばかりか、英語を母国語としていない移民の子供が多いので、どうしても「吹き溜まり=ギャング活動に走る」傾向にあります。家の周囲を歩いてみても、きちんと手入れされていない庭や、壊れたまま放置されている中古車などがちらほらと見られる。あまり教育熱心でない父兄が多いので、小学校にボランティアに来る人はほとんど皆無。(※こちらの学校ボランティアは、コピー作業や小テストの〇付けなどだけでなく、さまざまなイベントの企画・設営など、日本では考えられない程幅広く学校運営にかかわっています。)慢性的に人手が足りず、生徒達の学力も伸び悩む中で、学校の先生達は常にヘトヘト・息切れ状態。良い授業をやりたくても、それをやるだけのエネルギーも、受け取る側の意欲も、無い。対するB物件。間取りは3BR。Aに比べると、やや小ぶり感が否めません。子沢山の家庭では、ちょっと手狭かも。ただし、B物件の学校区は、小・中・高、いずれも全国ランキングで常に9~10の評価を得ている、優良校ばかり。親自体が教育水準の高い、もしくは、自分はできなかったけれど、子供には是非良い教育を受けさせたい、と強く願う人たちが多いので、子供達の四年制大学進学者はA物件の地区よりもはるかに多い。当然ですよね。学内での競争は激しくなるが、その分、下流志向の悪友に足元をすくわれる心配も少なくなる。(完全に無くなる、とは言いませんが...。どんな場所にもグレる子はいますよね。)また、父兄のボランティア活動も非常に熱心で、多忙な先生達がなかなかできないような、「芸術鑑賞講座」「ゲーム感覚で世界地理を学ぼう」「理科・自由研究フェア」など、父兄主導のプログラムが常時何種類か開催されている。その間、先生は浮いた時間を教材研究や、研修に充てることができる。放課後も、学習塾(日本よりは拘束時間少ないですョ!)や、習い事に通う生徒が多く(つまり、それだけ教育にお金と手間ヒマをかける余裕がある、ってこと。)、結果的に学校全体の学力をさらに押し上げる形となっている。…ざっとこんな違いがあります。価格と家の広さだけで比べれば、A物件の方が一見、お買い得に見えます。でも、子供の将来を真剣に考えるのであれば、★まっとうな★人の子の親なら、十中八九B物件を選ぶでしょう。たとえ、兄弟二人が相部屋・二段ベッドでガマンしなきゃいけないとしても、それでも、やはり「買い」はB物件!...これが、アメリカの不動産業界での常識です。で、そういう優良校っていうのは、常に「学区外なんだけど、通えますか?」という問い合わせが来るものです。いちいちそれに対応して、例外を許していては、学校だってパンクしてしまう。だから、学校側の方でも「道一本でも学区を外れたら、絶対ダメ。」というルールを徹底せざるを得ません。この学校に通いたい?だったら、通学区域内のどこかに家を買うか借りるかして、合法的に通いなさいっ!...それしか方法は無いです。「朱に交われば赤くなる」。この基本原則にのっとって、人は住む地区を決め、通わせる学校を決め、それから個々の物件を絞り込んでいくのです。学校区、それが全てと言っても過言ではありません。日本にも確かにいわゆる「ブランド住宅地」っていうものはありますが(神奈川方面だと東横線・田園都市線沿線とかね。最近じゃ港北ニュータウンもそうかな。)、私の経験上、アメリカの住宅地の方がはるかに徹底して自分達とは相容れない"人種"との住み分けを図っている、という気がしますね。そうできるのは、アメリカの中古住宅市場が非常に活発で、築何年経とうがあまり価格が落ちない、という、日本とは全然違った現実があるからだと思います。「希望の地区に住めるのなら、中古でも何でも一向に構わない。」...というか、目当ての学校の通学区域にはそもそも中古物件しかない、ってことがほとんどなんですよ。「中古でもいい、この地区に住みたい」という人が常に大勢いるのであれば、需要と供給の法則が働いて、価格だってそんなに下がらないというものです。買った時よりもじわじわ上がっていく、ということだって十分ありえます!(最近は不景気でそんなうまい話にはならないみたいですけど。)新築を買って、入居したその瞬間に「半値まで落ちる」と言われる、「新築至上主義」の強力な日本社会とは、その辺が全然違うんですね。日本では、「一度買ってしまったら、一生そこに住み続けなければいけない」という、「一戸建て購入=終の棲家」的発想が多いですよね。自分達が買ったのでなくても、親から相続しちゃったから、という理由でそこに住み続ける人も多数います。でも、そうやって「持ち家という牢獄」に縛られてしまうと、時代と共に地域の雰囲気が悪くなってきたとしても、簡単に逃げることができませんよね。そうなると、地元の学校に子供をやりたくない、となった場合、塾に通わせて夜遅くまで勉強させて、何とか私立に合格させる、というより他に方法が無くなってしまいます。困ったもんです。我々一家が日本にしばらく住んだ時、夫実家のすぐ近くに居を定めたのですが、その地区も「何でもあり」の地区になりつつあるところでしたね。古くから家を相続して住んでいる人たちと、相続税が払えなくて売った土地をまたまた細分化して、ミニミニ一戸建てにして売っている、そんな住宅が混在しているようなところです。ある日のこと、近所の生協に買い物にいったところ、私達のレジのすぐそばから「オォラァッ!ボヤボヤしてんじゃねぇーよっ!さっさと歩けよー!」...信じられますか?これ、母親のセリフです。幼稚園の年長さんか小学1年くらいの男の子に向かっての。背筋凍るかと思いましたもん。「この子供、一体この先どうなっちゃうんだろう...。」と、不憫でなりませんでした。と同時に、「ひょっとしたら、この子、うちの子供と同じ学校に通う...ってわけ?」という、何とも不気味なゾクゾク感が...。結局、我々はその後、幸か不幸かアメリカに戻ってきてしまいましたがね。意識の高い人たちの多い、恵まれた教育環境の中、魔界人とそれ程会わずに暮らせるのは確かに幸せなことなんだけれど、やはり日本人としては日本人の、特に子どもたちの将来が下流スパイラルに巻き込まれていくのは、黙って見ていたくないです。でも、きっと、先の「ボヤボヤしてんじゃねぇーよっ!」のような母親は、誰が何と言おうと、自分が子どもに放っている言葉がおかしいとか、きたないだなんて、認めないんじゃないか、って気がします。第一、「どういう言葉が子どもにとってふさわしいのか」なんて、考えたこと無いのかもしれないし。どうしたらいいでしょう。ただ手をこまねいて見ているしかないんでしょうか。昨日、久しぶりに江原啓之さんの「子どもが危ない!」を読みながら、「どうやったらこの国の人々に、日本が本来豊かに持っている【真・善・美】をもう一度取り戻すことができるだろう。」と、考えていました。【送料無料】子どもが危ない!結局は、一人ひとりが、「頑張って、最良の自分に一歩一歩近付くよう心がける。」しかないのでしょうけどね。
2011.05.13
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【送料無料】のだめカンタービレ(23)昨日の日記に添えたかった、「のだめカンタービレ」23巻のリンク、一応貼っておきます。もはや紹介するまでも無いほど、知名度ダントツのマンガだと思いますが…。もし、世界が「一律、総凡人の集合体」だったら、一体どんな場所になっているだろう?一度見た瞬間から脳裏に焼きつく古今東西の名画も存在せず、世界中でオーケストラの定番レパートリーとなるような 名曲も存在せず、心の底から揺さぶられるような感動を与えてくれる物語も、映画も、芝居も無く、街中どこを見渡してみても、無機質な機能一辺倒の壁と道路が広がるばかり。そんな味気ない、面白さのかけらも遊び心も無い、ドブネズミ色の世界に住むのなら人間やっている意味なんて 一体どこにある?今、私たちの世界に 彩りとうるおいがまだ残っているのは数えきれない程多くの「才能ある人々」が天界から預かった魔法と、人一倍の努力とを合わせて素晴らしい作品を形にしてくれたおかげ。「人より抜きん出ているから、足を引っ張ろう」「出る杭は打って構わない」自分のちっぽけさを見せ付けられる苦痛が我慢できないそんな下らない理由で よこしまな思いを抱くのは もうやめよう一人一人の妬み、そねみは些細な量でも、それが積もり積もれば 大変な負のエネルギーとなってしまう手が付けられない程に巨大化 凶悪化した 嫉妬爆弾が人類全体の幸せにとってどれほど罪深いことなのかちょっとだけ想像力をはたらかせればすぐにわかるはず。私たちの毎日に光を与えてくれてありがとう…孤独に押しつぶされそうな時も、そばにいてくれてありがとう…周囲の人間たちには理解してもらえない、この気持ちを文章にしてくれてありがとう…「真・善・美」のあるべき姿を思い出させてくれてありがとう…世界中の、ありとあらゆる分野の「才能ある人々」に、心からの感謝を贈ります。あなたたちがいてくれるから、あなたたちが頑張って「より上」を目指してくれるから、あなたたちが 気前良く 天からの贈り物を世界と分かち合ってくれるから、私達は明日へのエネルギーを自分の中から振り絞り、一歩、一歩、進んでいけるのです。
2011.04.20
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