失われた【本質~The Essence~】を求めて

失われた【本質~The Essence~】を求めて

PR

Free Space

移転しました!

お引越し先は


「失われた【本質】を求めて、今。」
http://backtotheessencenow.blogspot.com/


こちらの楽天ブログの過去記事も、順次新ブログに転載していきます。

Calendar

Archives

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

匿名太郎@ Re:駐妻社会という名のカルト教団。負けないで! 〜ミナさんへの私信。〜(11/24) 駐在員というのは多くの場合には外国のス…
黒犬べーやん@ Re:青春のデイブ(≧∇≦)(04/10) ハシビロコウさん、 ひゃー。ずっと前に…
ハシビロコウ@ 青春のデイブ(≧∇≦) 私は13〜進行形で大好きなデイブ(≧∇≦) …
yab@ Re:君は見たか?「おはようおじさん(ポンポンおじさん)」を。(03/16) 「おはようおじさん」を突然思い出して検…

Favorite Blog

まだ登録されていません
2011.05.13
XML
カテゴリ: 比較文化論101
flowergreen49さんが前回の日記に寄せてくださったコメントから、いろいろと考えてみました。私自身の言葉の足らなさから、誤解を招いてしまうといけないので、ここはひとつ、アメリカの住宅地について簡単に触れておきますね。





「魔界人が少ない」というよりも、単に私の周り(私の家の周りの地区)に少ない、んだと思います。きっと、アメリカにも、西洋諸国にも、実はたくさ~んいるのではないでしょうか。

前回書いたような「エモーショナルバンパイア・その傾向と対策」って感じの本が何冊も出版されていて、しかも相当売れているっていうことが、良い証拠ですよね。

それと、私の「何だかんだ言っても、所詮はガイジン英語力」では、魔界人の本性が明るみに出るようなディ~プな話題や、ドロドロの人間関係にはまず入っていけない、っていうのも大いにありますね!
日本の皆さんだって、やはり外国から来た人にはある程度距離を置いて「善良なニッポン人」の顔で接しますでしょう?それと同じだと思います。

アメリカに住み始めてかれこれ12年目(間に1年半程日本で過ごしましたので)になりますが、一番「ほぉ~、なるほど!」と感心したのは、「土地の住み分け」システムが日本とは全然違う、という点です。

★アメリカの郊外住宅地では、その地域の学校のレベルの高低によって家の値段や賃貸物件の家賃が決まります。★

「駅に近い」「買い物便利」といった条件は二の次です。(車社会ですからね...。)

※NYのような人口密集地では事情が異なるかもしれません。でも、子供のいる家庭は大体マンハッタンの繁華街ど真ん中なぞには住みたがりませんよね、普通。

どういうことかと言いますと...。


築年数や庭の面積、交通や買い物の便は大体同じ、と考えましょう。

A物件は、5BRの3BA+Den。
リビングルームやキッチン・ダイニングスペースの他に、寝室が5つ。そして、バス(一部はシャワーブースのみということもアリ)・トイレも3つあります。おまけに、Denと称される、小部屋まで。パパの書斎にしてもいいし、ママの在宅ワークオフィスにしてもいいし、夢が広がりますねぇ。
4DK以上の家に住んだことない私にとっては、「ウワァオ!」もの物件です。

A物件の指定小学校、中学校、高校は、いずれも全国ランキングでは3~4程度(10点満点)のところをウロウロしている、「やや難あり」といった顔ぶれ揃い。高校(こちらは義務教育なので無試験です)では、ドラッグにはまる子も少なくなく、中退率が高いのが気になります。家庭に問題のある生徒が多いばかりか、英語を母国語としていない移民の子供が多いので、どうしても「吹き溜まり=ギャング活動に走る」傾向にあります。

家の周囲を歩いてみても、きちんと手入れされていない庭や、壊れたまま放置されている中古車などがちらほらと見られる。

あまり教育熱心でない父兄が多いので、小学校にボランティアに来る人はほとんど皆無。

(※こちらの学校ボランティアは、コピー作業や小テストの〇付けなどだけでなく、さまざまなイベントの企画・設営など、日本では考えられない程幅広く学校運営にかかわっています。)

慢性的に人手が足りず、生徒達の学力も伸び悩む中で、学校の先生達は常にヘトヘト・息切れ状態。良い授業をやりたくても、それをやるだけのエネルギーも、受け取る側の意欲も、無い。

対するB物件。
間取りは3BR。Aに比べると、やや小ぶり感が否めません。子沢山の家庭では、ちょっと手狭かも。


親自体が教育水準の高い、もしくは、自分はできなかったけれど、子供には是非良い教育を受けさせたい、と強く願う人たちが多いので、子供達の四年制大学進学者はA物件の地区よりもはるかに多い。当然ですよね。
学内での競争は激しくなるが、その分、下流志向の悪友に足元をすくわれる心配も少なくなる。
(完全に無くなる、とは言いませんが...。どんな場所にもグレる子はいますよね。)

また、父兄のボランティア活動も非常に熱心で、多忙な先生達がなかなかできないような、「芸術鑑賞講座」「ゲーム感覚で世界地理を学ぼう」「理科・自由研究フェア」など、父兄主導のプログラムが常時何種類か開催されている。その間、先生は浮いた時間を教材研究や、研修に充てることができる。

放課後も、学習塾(日本よりは拘束時間少ないですョ!)や、習い事に通う生徒が多く(つまり、それだけ教育にお金と手間ヒマをかける余裕がある、ってこと。)、結果的に学校全体の学力をさらに押し上げる形となっている。



価格と家の広さだけで比べれば、A物件の方が一見、お買い得に見えます。

でも、子供の将来を真剣に考えるのであれば、★まっとうな★人の子の親なら、十中八九

B物件

を選ぶでしょう。
たとえ、兄弟二人が相部屋・二段ベッドでガマンしなきゃいけないとしても、それでも、やはり「買い」はB物件!...これが、アメリカの不動産業界での常識です。

で、そういう優良校っていうのは、常に「学区外なんだけど、通えますか?」という問い合わせが来るものです。いちいちそれに対応して、例外を許していては、学校だってパンクしてしまう。
だから、学校側の方でも「道一本でも学区を外れたら、絶対ダメ。」というルールを徹底せざるを得ません。この学校に通いたい?だったら、通学区域内のどこかに家を買うか借りるかして、合法的に通いなさいっ!...それしか方法は無いです。

「朱に交われば赤くなる」。
この基本原則にのっとって、人は住む地区を決め、通わせる学校を決め、それから個々の物件を絞り込んでいくのです。学校区、それが全てと言っても過言ではありません。

日本にも確かにいわゆる「ブランド住宅地」っていうものはありますが(神奈川方面だと東横線・田園都市線沿線とかね。最近じゃ港北ニュータウンもそうかな。)、私の経験上、アメリカの住宅地の方がはるかに徹底して自分達とは相容れない"人種"との住み分けを図っている、という気がしますね。

そうできるのは、アメリカの中古住宅市場が非常に活発で、築何年経とうがあまり価格が落ちない、という、日本とは全然違った現実があるからだと思います。

「希望の地区に住めるのなら、中古でも何でも一向に構わない。」
...というか、目当ての学校の通学区域にはそもそも中古物件しかない、ってことがほとんどなんですよ。「中古でもいい、この地区に住みたい」という人が常に大勢いるのであれば、需要と供給の法則が働いて、価格だってそんなに下がらないというものです。買った時よりもじわじわ上がっていく、ということだって十分ありえます!
(最近は不景気でそんなうまい話にはならないみたいですけど。)

新築を買って、入居したその瞬間に「半値まで落ちる」と言われる、「新築至上主義」の強力な日本社会とは、その辺が全然違うんですね。

日本では、「一度買ってしまったら、一生そこに住み続けなければいけない」という、「一戸建て購入=終の棲家」的発想が多いですよね。
自分達が買ったのでなくても、親から相続しちゃったから、という理由でそこに住み続ける人も多数います。

でも、そうやって「持ち家という牢獄」に縛られてしまうと、時代と共に地域の雰囲気が悪くなってきたとしても、簡単に逃げることができませんよね。そうなると、地元の学校に子供をやりたくない、となった場合、塾に通わせて夜遅くまで勉強させて、何とか私立に合格させる、というより他に方法が無くなってしまいます。

困ったもんです。

我々一家が日本にしばらく住んだ時、夫実家のすぐ近くに居を定めたのですが、その地区も「何でもあり」の地区になりつつあるところでしたね。
古くから家を相続して住んでいる人たちと、相続税が払えなくて売った土地をまたまた細分化して、ミニミニ一戸建てにして売っている、そんな住宅が混在しているようなところです。

ある日のこと、近所の生協に買い物にいったところ、私達のレジのすぐそばから

「オォラァッ!ボヤボヤしてんじゃねぇーよっ!さっさと歩けよー!」

...信じられますか?これ、母親のセリフです。幼稚園の年長さんか小学1年くらいの男の子に向かっての。

背筋凍るかと思いましたもん。

「この子供、一体この先どうなっちゃうんだろう...。」と、不憫でなりませんでした。と同時に、「ひょっとしたら、この子、うちの子供と同じ学校に通う...ってわけ?」という、何とも不気味なゾクゾク感が...。

結局、我々はその後、幸か不幸かアメリカに戻ってきてしまいましたがね。

意識の高い人たちの多い、恵まれた教育環境の中、魔界人とそれ程会わずに暮らせるのは確かに幸せなことなんだけれど、やはり日本人としては日本人の、特に子どもたちの将来が下流スパイラルに巻き込まれていくのは、黙って見ていたくないです。

でも、きっと、先の「ボヤボヤしてんじゃねぇーよっ!」のような母親は、誰が何と言おうと、自分が子どもに放っている言葉がおかしいとか、きたないだなんて、認めないんじゃないか、って気がします。第一、「どういう言葉が子どもにとってふさわしいのか」なんて、考えたこと無いのかもしれないし。

どうしたらいいでしょう。ただ手をこまねいて見ているしかないんでしょうか。

昨日、久しぶりに江原啓之さんの「子どもが危ない!」を読みながら、「どうやったらこの国の人々に、日本が本来豊かに持っている【真・善・美】をもう一度取り戻すことができるだろう。」と、考えていました。


【送料無料】子どもが危ない!

結局は、一人ひとりが、「頑張って、最良の自分に一歩一歩近付くよう心がける。」しかないのでしょうけどね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.05.14 03:13:10
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: