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昨日は日記を書けませんでした。疲れてしまって、夜も10時半くらいに寝ました。いつもより平均3時間くらい早い・・・それで今朝は5時半起き。さわやかな朝☆すっきり~~♪ なはずが、(_△_;〃 ドテッ! となるメールが入っていて、よろよろ・・・ 気を取り直して返信メールをする私・・・そのドテッ! となったメールの主は なんとかドテッ! を脱したようで とりあえず、ほっ・・・。早起きすると今度は昼間が眠い・・・o(-_-;*) ウゥム… それでちょっとお昼うとうと・・・なんだか今日は一日覇気がないなあ・・・ まあ、こんな日もあるわよね。おなもみは以前からほしい筆箱があり、今使っているのがボロボロになったら買ってもいいよ と私から言われていました。今日、やっと念願かなって筆箱を買うことができました。2ヶ月ほど前から さりげな~く私の横で 筆箱を眺めながら「これ、もうここ、こんなになったし、あ、ここもこんなにひっこんで ここのところもこんなに汚れてる」 と”わざと”独り言をつぶやく日々をあきもせず毎日の日課のようにしておりました。昨日、やっと新しいのを買ってもいい と私からお許しがでて もう、小躍りして喜ぶおなもみ。今日、お店が開く時間を待ちかねて近所の文房具店に行ったおなもみは、しばらくしてこの世の終わりのような顔をして帰ってきました。「お店、今日お休みだった・・・」 と言うなり、涙がドドー!!゚・。.(><*).。・゚ わぁ~んハ~、仕方ないので車で少し走ったところの文房具店へ連れて行ってやり、ほしかった筆箱をゲットして、大満足で帰ってきました。もう、それからハイテンションのハイテンションで2時間くらい新しい筆箱と遊んで(?)いました。子供 って筆箱ひとつでこんなに幸せになれるのね・・・うらやましいわ・・・きてぃちゃんちの里奈ちゃん(おなもみと同じ小学三年生)が、『灯籠を作りたい』 と言っているということで、昨日、おなもみ匠は里奈ちゃんに灯籠作りの技を伝授しました。うちの二階で紙粘土で灯籠を作る二人。その部屋の真下にいた私、突然、「ドーン ドーン」というすごい音と響きにびっくり\(◎o◎)/!二人が二階で 灯籠の形を作るのに どうやら粘土を机の上にたたきつけている(あくまで想像)ようなのです。しばらく そのものすごい音と響きは続き、私はなぜだかおかしくて笑い転げていました。そして、素晴らしい かわいい灯籠ができあがりました。左が里奈ちゃん作、右がおなもみ作です。なかなか、いいでしょ? そして、今日はLIGHTを二つ、アップしました♪ ここではやる気満々な私。(* ̄ー ̄)v イエーイ一昨日 先日と、光のkimiさんの日記に感動しまくっている私で、つい先日にアップされた日記を取り上げて作ったのは LIGHTを作りだしてから 今日が始めてのことです。ここを訪れた方、ぜひ光のkimiさんの 『116日目 宇宙の心』と、できれば次の日の日記も合わせて読んでみてください。こちらです。(LIGHTからも飛べます)私もこのような宇宙の心を持ちたい と、心から思いました。さて、その『116日目 宇宙の心』 ですが、写真は眩く茜色に輝く朝陽の写真を選びました。すべてを許し、私たちを暖かく見守ってくれる太陽の荘厳な美しさは 言葉の世界を越えています。ぜひ、ご覧ください。そして、また、全く趣の異なる空の写真も、もうひとつアップしました。『41日目 ひとつ』 です。こちらは、目も覚めるような青い空に 美しい白い雲が浮かんでいるさわやかな写真です。おなもみがその写真を見て、「白鳥みたい」(バレエ、白鳥の湖のこと)と言ったので、写真のタイトルを ”雲のパ・ド・ドゥ” とつけました。こちらも、ぜひ、ご覧ください。そういえば上の灯籠の写真も 灯籠のパ・ド・ドゥのようです。*パ・ド・ドゥとは、二人の踊り という意味です。
2005.04.29
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今日はLIGHTをアップしたかったのに、できなかった・・・(T∇T) なんだか一日中、パソコンの雑用に追われる日でした。(それって何?って突っ込み入れないでね~ 説明しづらいわ・・・そのひとつがメールでもあるけど、まあ、いろいろと、あったのよ!)そうしたら、全然集中力がなくて、エネルギーも集まってこなくて、散漫な心 ってこういうのね ということをすごく体験した日でありました。昨日おなもみは、主人と一緒に 灯籠をいただいたお家に ”にんじん” をいただきに行って、ものすごい本を三冊ほどいただいてきました。その上に、大理石の大きな玉と、伊勢神宮のナントカと、どこかのお寺のありがたい数珠まで。(私が一緒に行っていないので『ナントカ』 と 『どこか』の詳細がわからない・・・)そこのお家は リッチなお家で、なおかつ、おなもみが喜びそうな摩訶不思議系なものがいっぱいあるのです。そこの奥さんは、使わないものは使ってくれる人にどんどんあげる という人で、以前小学生の子供さんがそのお家に遊びに行っていた時、大きなきれいなタイガーアイ(だったかな?)を 「きれ~」 と眺めていたら、「おばちゃん もうそれいらないから あげる。持って帰りなさい」 と言われて貰っていて 私は超羨望のまなざしでその子をじーーーー っと見つめてしまったのでした。う、うらやましいい~~~(~o~) って・・・でもでも、昨日おなもみがいただいて帰ったのはものすごい写真集三冊。総額15万円ほどのもの。(だいぶ古いから 今買えばもっとするかも!!)ひとつは『神々の原風景』 (片手では絶対持てない本)もうひとつは『空海の宇宙大伽藍』 (片手でやっと持てる本)最後に 『密教』 (両手でもなかなか持てない本)そこの気前のいいおばさんから 「何でも好きなの持って帰っていい」 と言われて、これらの本と 『大理石の玉』と、『ナントカ』、『数珠』 は おなもみが実際エネルギーを感じて「これがいい」と言ったのを、「ぜひぜひ持って帰りなさい」 と言っていただき ありがたくいただいてきたのでした。『神々の原風景』 は、もうそれはそれは荘厳の極みといえる写真集で、とにかく 圧倒される美しさです。写真集のはじめに 『一瞬を永遠にする』 と書かれてあって、とても感慨深く思いました。とにかくすばらしい写真集です!!(ああ、ボキャブラリーが貧困だわ・・・)『空海』 の写真集は、高野山の風景と 高野山での様々な行事の様子が余すところなく伝えられている写真集です。もうこれが写真集全体から、信仰の身震いするような気高さ、美しさと、その崇高さに感応するように 動きのある写真の中にも無音の静寂が漂っているのです。そして私は 一ページ一ページ めくるたびに浄められ、その静寂とひとつになり、心が静まりかえるのです。おなもみも、「この本、落ち着くねえ・・・」 と、私と一緒にいつまでも見ていました。さて、最後に 『密教』 の写真集ですが・・・まだ見ていません。。。☆ヽ(o_ _)oバタ何しろ、重くて持てないのです。(ほんとです)私が か弱すぎるの・・・?でも、にんじんをいただきに行ったはずなのに・・・
2005.04.27
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灯籠が完成しました!PAN!(o^-^)∠※.。・:*:・゚`☆、。・:*:・゚`★主人から、今日になったらダンボール紙を外してもいい と言われていたおなもみは、この日を心待ちにしていました。学校から帰ってさっそくダンボールを外して 「できてる!」 と大喜びして灯籠を組み立てました。おなもみ、ず~~っとニコニコで灯籠を満足そうに眺めています。(本当にうれしそう!)その様子を見て 灯籠が出来上がったことより おなもみのニコニコ顔を見てニコニコの私。「おかあさん、お散歩行ってくる チャッピーちゃんとこの灯籠と比べてくるね!」 と言って、近所のチャッピーちゃん(ホワイトテリアのわんちゃん)の家に灯籠を見に行っていました。おなもみが帰って来たので、「ねえねえ、これで灯籠、エネルギー来てる?」 と聞くと あっさり「きてるよ!」 ということ。「え!?さっそく?ホント?どんな?」 と興味津々な私。o(^-^o)(o^-^)o 「黄色のエネルギーがきてる」 「黄色!?ピンクじゃないの?」 (あれだけ以前はピンクピンクと言っていたのに・・・)「うん、黄色。黄色はね、めずらしいんだよ」 「へ~~ どんなふうにきているの?さっ て感じ?」 「ううん、今度はね、さああ~~~~ って」 以前は二度ほどピンクのエネルギーが 「さっ」 と来たのを見ただけだったらしいのに、「さああ~~~~」に昇格?そしてピンクが黄色に?o(-_-;*) ウゥム… あ!そうだ!今朝 おなもみが起きるなり 「すごい虹の夢を見た!」 と言っていました。クレパスで塗りつぶしたような 鮮やかな濃い色の それはみごとな虹だったとか・・・灯籠完成と何か関係があるのかしら・・・まあ、とにかく 私から見ても灯籠の形がびしっと決まったような、そんな感じがします。良かった良かった。(*^▽^*)写真は、左から ☆灯籠『水』の下側 ☆灯籠『水』の上側 ☆灯籠を組み立てるおなもみ ☆灯籠完成 です!
2005.04.26
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昨日制作した灯籠の 『水』 の部分ですが・・・とってもいいデキのようです!今日見て、びっくりしました!!もしかして、主人とおなもみは過去世で灯籠職人(?)だったのかしら\(◎o◎)/!・・・というくらい、なんというか ちょっとすごいです。ダンボール紙をはずしてみてどうか・・・ですね。成功していますように・・・( ̄十 ̄) アーメン・・・さて、話は変わりますが、満月の日以降は不要なものはどんどん処分するか手放した方がいい ということなので 昨日、ゴミ袋をいっぱい用意して 「さて、何から捨てよう」 と、しばしう~ん と考えていました。まず、これがなくなればかなり家の中はすっきりするであろう と思われたのが、私の衣類と本。衣類から手を付けていったのですが、これも着るかもしれない、あれも着るかもしれない、これは特に思い出があるから・・・と とってあった衣類をどんどんゴミ袋に詰め込んでいきました。あっという間にゴミ袋はなくなり・・・「うっそ~ まだいっぱい捨てるのあるのにい~」 と 自分の物持ちのよさ(?)に あきれてしまいました。今日、新たにゴミ袋をたくさん買ってきました。この調子で捨てていけばかなり家の中はすっきりしそう。o(≧∇≦)oでも、見るだけで気が重いのは 本 です。衣類以上に この 本 がなくなれば きっと我が家はすっきりすること間違いありません。つい数年前も100冊ほど捨てたのですが・・・ なぜにこんなに本の山・・・本棚を見るだけでも 「これを束ねるのか」 と思うとぞっとしますが、本棚以外にも家の中のあちこちに仮本棚があり、そこかしこに本が散乱している我が家・・・と、ふと気がつくと、家の中で幅を利かせている不用品 って私のものばっかりじゃないの!(爆)幸せそうに灯籠作りをしている主人とおなもみが、いちばん、アセンション最短距離組のようです。私も仲間に入れてもらえるよう、気合を入れて頑張ります!今日の LIGHT には、『雲の妖精 23日目 空っぽ』 をアップしました。青い空にぽっかり浮かぶ まるで妖精のような雲。本当に妖精が舞っているようです。私も いらない物をどんどん捨てて、それとともに意識も軽くして、最終的には空っぽにして、何にも囚われない、条件付けしない自由な目で、物事を見られるようになりたい と思います。また、ここ数日ネガティブに入っている私の大切なお友達に、早くあの雲の妖精のように 自由に軽やかに空を舞ってもらいたい という想いにも寄せて、今日の写真と文を選びました。
2005.04.25
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今日は一年に一回、私が住んでいる地域のとある場所でフリーマーケットが開催される日でした。私の友人のクレージュさんが、毎年 おいしいよもぎケーキを焼いてお店に出すので、売り切れないうちに・・・と、おなもみと一緒にケーキを買いに出かけました。散歩がてらにてくてく歩いて行っていたら、おなもみが、「おかあさん、道路のあっちを通ろうよ」と言うので、どうして? と聞くと、「あっちにいっぱい灯籠があるの」 という理由。「おかあさんに教えてあげる」 と言って 各家のいろんな灯籠を解説つきで案内してくれました。以前、おなもみには灯籠センサーがある と、この日記で書きましたが、今回もそれを実感。「ほら!あそこにあるでしょ?灯籠」 と指差されても、しばらく探さなければならないことの多いこと・・・。さすがに ぱっと見ただけでわかる大きな灯籠は別ですが・・・えー?あんなところの灯籠まで!? というような場所の灯籠を次々と教えてくれました。実は一昨日からおなもみは、うちの灯籠の足りないパーツを作る と、本格的に灯籠パーツ作りの計画を練りだしました。一昨日は、「こういうの、つくる」 と、紙に中台の絵を図に描いて、飾りまで描き込んでいました。昨日は主人とホームセンターへセメントを買いに行って、夜、灯籠を家の中に運び込んで 『火』 の部分の型を取り、これに対する 『水』 の部分の大きさはどのくらいがいいの、厚さはどのくらいがいいの、と、さかんに二人で論議していました。そして今日、主人がダンボール紙で作った型に いよいよセメントを流し込んで、おなもみはそのセメントが固まる日をわくわくして待っています。うまくできるといいのですが・・・今日はLIGHTに 『露草の誕生 103日目 名前』 をアップしました。静止した写真なのに、瑞々しい露草が今誕生する神秘的なシーンを スローモーションで見ているような そんな感じにさせてくれる写真です。先日までの暗闇を抜け、私も新しく誕生しました。今日提出の光のkimiさんのホームワークに取り組みながら、以前の私と全く違う私を感じました。まずは、ある状況によって 必ずといっていいほど出ていた思考の癖がなくなっていました。『私』 は、こうである と思っていたことが、どこにも消えてなくなり、その『私』 は いなくなっていました。新しい私がいました。過去の癖、思い込み、その他で条件づけられていた私は、まさに過去の私 でした。本来自由なはずである私が、長い年月 過去の記憶に縛られて不自由な私として生きてきましたが、自分自身を理解する ということをずっとホームワークとして取り組んできたことによってここにきてやっと、かなり解放されてきました。まだまだ囚われ、思い込みはたくさんありますが、囚われている と思っていることがまた、思い込みであるのですね。瞬間瞬間、白紙で生きていく ということの大切さを 今、心からかみ締めています。
2005.04.24
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明日は満月だそうです。月って、不思議な魅力がありますよね。皆、誰しも月が好きなのではないかと思います。月はどんな時も限りなく優しく私たちを包んでくれますね。私は小さい頃、大阪の下町の長屋に住んでいました。その頃の記憶で一番懐かしく思い出される風景が、下町の狭い路地と、夜 母と歩いている時に明るく私たちを照らしてくれる満月です。歩いても歩いても一緒についてくる月が、子供心にとても不思議でなりませんでした。そして、母に、「どうしてお月様 どこまでも私についてくるの?」 と聞くと、母は、「あなたのことが好きだからよ」 と答え、私はその母の答えにとても心の安らぎを覚え、大満足していました。満月を見る時、いつもあの小さかった時の私が一緒に、月を見ています。安らぎと共に・・・おなもみも、小さな頃、月が大好きでした。(今でも大好きです)月のことを書いた絵本を読んでやると 大喜びでした。外に月が出ているのを見つけては、大きな声で 「おきま!おきま!」 (一歳のころの片言。お月様と本人は言っているつもり) と まるですごい宝物でも見つけたように 私に抱っこされた腕の中で大きな声で何度も叫んでいたのを 先日のことのように思い出します。幼児って、本当にお月様が好きですよね。そして、月を書いた絵本も数限りなくあります。個人的な好みなのですが、有名な エリック・カールの「パパ お月さまとって!」 という絵本のビデオが、私もおなもみも大好きです。それがまた素晴らしく美しいビデオで、映像も美しいうえに音楽がすばらしく、見ているだけで癒されます。月、特に満月は、いつも私を浄化してくれます。夜、明るい満月を仰ぎ見るとき、心は静かに静まり、穏やかに安らぎ、意識は澄みきり、時は止まり、その清浄なエネルギーに自分が浄まっていくのを感じます。もう、9年ほど前になりますが、光のkimiさんがまだ東京で 光のセミナーセッションを行っておられた時 『光のネットワークツアー』 として 阿蘇山に光を降ろしに行かれたことがありました。私はその日は十五夜だと思っていたのですが、長い年月とともに記憶が曖昧になっていたようでその日は十三夜であったようでした。光のkimiさんが 「阿蘇に行けない方は、その満月の夜、自宅で瞑想してみては。 何か感じるものがあるかもしれません」 とおっしゃられていたので 月光浴をしてから kimiさんが光を降ろされる時間に 瞑想を始めました。私の身体は、瞑想を始めてしばらくして どんどん大きくなり、広がっていき、肉体の感覚が全くなくなり、すぐに宇宙に溶けてしまいました。意識は精妙になり、自分が宇宙である という至福の時を感じていました。阿蘇山に、白い美しい衣を身にまとったたくさんの天使達が優雅に舞うように降りてきて、火口を取り囲むように輪になって、阿蘇山を祝福しているビジョンが見えました。それは幻想的な美しい光景でした。あの時の光景は、今でも目を瞑ると はっきりと私の瞼に浮かんできます。浄化の光景です。満月を見ると、その時のビジョンがいつも思い出されます。今日、光のkimiさんの写真コンテンツ 『LIGHT』 に、昨日kimiさんが撮影された美しい月の写真をアップしました。”102日目 - イエス・キリスト - ” です。素晴らしい月のオーラです。そして、素晴らしい月のエネルギーを感じます。ぜひ、ごらんになってください。また、その同じ夜の昨日撮影された別の月のオーラの写真が、今日のナチュラルヒーリングのトップページを(こちら)飾っています。今夜10時に また違う月のオーラの写真に入れ替えされるようです。こちらもぜひ、ご覧になってください。光のkimiさんから、『満月から新月にかけては自我の解放。持っているものを手離すのがいい』ということを、教えていただきました。不要なものはどんどん処分するとか、手放した方がいい ということです。詳しいことが 昨日の光のkimiさんの日記後半に書かれています。(こちら)私たちの生命リズムに大きな影響を与えている月。何気なく見ている月をもっと感じてみることによって、素晴らしい気づきがあるかもしれませんね。
2005.04.23
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先週の週末からこちら、かなり神経のまいることがあり、過去最悪かもしれない と思えるほどの状態の落ち込みに入っていた私でした。以前、この一年間は私にとってものすごいスピードで変化した年であった と書いたことがありますが、変化が大きいがための自分にかかってくる物事の複雑さも その変化にまるでぴったりと比例するかのようでした。「よくまあ、これだけ」 と、今なら腕組みしてあきれることができますが そのくらい密度の濃いものであった と思います。ただ、今回ここまで苦しむことになったのは、過去世からの持ち越しもあったのでしょうけれど、過去世は過去世、今生は今生、その、変化の大きかった時に、未消化のまま問題を放棄して逃げ出してしまっていた ということが最大の原因でした。クリアーとは程遠い意識をこの数日間体験しました。自我が苦しいことも 思い込みや囚われや執着がどんなに不自由なものか ということも、イヤというほど体験できました。それとともに、以前の執着でいっぱいの私はこんな私だったのだということも改めて再認識でき、考えようによってはとても有意義な一週間でした。まだ、昨日の段階では その数日の中でも最悪だったのです。この闇はいつまで続くのだろう、トンネルの向こうの小さな明かりもまだまだ見えない 永遠にこのままの状態なのではないのだろうかと思える怖いほどの暗闇で、彷徨うことすらできずに、じっと身をかがめて震えていました。今朝、突然、その暗闇から抜けました。まさに突然でした。確かにトンネルの中にいたはずなのに、出口も見えていなかったはずなのに、瞬きをした一瞬の間に、私は外の明るみの中にいました。それはそれは明るい世界でした。クリアーであった と思っていた以前の私より より一層クリアーになった私がいました。外の景色は眩く愛の光で輝き、行きかう人々も木々の梢も 何もかもが、天上からの慈しみと祝福で守られているようでした。その美しさは感動的でした。私は光の世界にいました。昨日まであんなに囚われていた執着も、思い込みも、全くありません。時間の外に出ることができました。人はまさに今、この瞬間に、一瞬で変わることができる ということを体験しました。そして、しばらくお休みしていた LIGHT を作りたくなりました。美しい美しい 『光の世界』 の写真をアップしました。”45日目 ターニングポイント” です。ぜひ ご覧ください。きれいです。
2005.04.22
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読みにきていただいてありがとうございます。(伏)今日の日記はお休みします。『ピンクサファイア』マダムの皆様、そちらの方、今日は管理人不在とさせていただきます。皆様で盛り上がっていてくださいませ~m(_ _;)m ぺこん『LUCE』の皆様、今朝は皆様の昨夜の書き込みに七転八倒の笑いをいただきました。(ほんっと、おかしかったです!!最高でした!!でも、チケットGETは無理ですね。あれじゃ)いつも、明るい光をありがとうございます。こちらも、皆様で盛り上がってくださいませね。以上、お知らせでした。
2005.04.21
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今日 おなもみはご機嫌で学校へ行きました。昨日一日ゆっくり休んだのが良かったようです。月曜日はお地蔵さまを持っていきましたが、今日はそんなこと意識にも上らなかったようです。昨日、お友達のおかあさんにめだかを10匹ほどいただいて とても喜んでいました。寝るまで「めだかちゃん」の様子を何度も見に行っていました。今朝も、起きるなり「めだかちゃんにごはんあげなきゃ」と、ルンルン♪だいぶ機嫌がいいので、先日宝珠さんが調べてくださった灯籠の五つのパーツの意味を教えてやりました。「おなもみの家は ”水” がないの?お母さん、”水” は大切なの?」 と言いながら、『空、風、火、水、地』 を一生懸命覚えていました。「これから ”ざぶとん” って言うのやめて ”水” って言うね」と、おなもみ。先日、つくしさんが教えてくださった灯籠サイト(?)を毎日見ているおなもみです。「これは、ピンクのエネルギー、これは黄色いエネルギーがきてる、おかあさん、この灯籠は赤いエネルギーがきてるよ」 と言いながら。灯籠って灯籠であれば、どんな灯籠でもエネルギーが来るものかしら・・・???(半信半疑)それとも灯籠のオーラを見ているのかな・・・(よくわからない私)昨夜、「めだかちゃんにお家を作ってあげなきゃ」 と、ダンボールを切って工作をしていたおなもみです。煙突と天窓(?)が自慢のようです。ところで、おなもみはあっさり浮上しましたが、母の浮上はまだまだです。o( _ _ )oショボーン
2005.04.20
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土曜日からエネルギーのない私、昨日は最悪でした。意識がぼー っとして、体だけは動くのだけれど、意識は全く使い物にならない状態でした。別に体調が悪いわけでもなく、頭痛はしていましたが、それほどひどい頭痛でもなく、少し頭が重い程度。でも 自分がどこにいるのかつかめないような状態で、何も考えられないのです。人と話をしていると、ふ と動く意識が戻ってくるのですが、またすぐに意識に膜が張ってしまう。そんな私にシンクロするように おなもみも元気がなく、日曜の夜から学校に行きたくないと、とても神経質になっていました。昨日は、なんとか行きましたが、帰ってくるとふらふらになっていて、顔色も悪く 頭が痛いと言ってかなりつらそう。今日は、学校を休ませました。(不登校の前触れだったらどーしよーーー)心配していた友達もできたようで、昨日は休み時間に遊びに誘ってくれたらしいのですが、とても遊べる気分ではなく、断わって教室で一人でいたのだそうです。今現在のおなもみのネックは担任の先生のようです。おなもみ曰く、「怖い」 らしいのです。始業式の日は、「優しい先生でうれしい」 と言っていたので、「先生、優しいんじゃなかったの?」 と聞くと、おなもみ、「優しいのは最初だけだった」 私、「・・・え?そうなの?」o(-_-;*) ウゥム…おなもみは、学校で とても行儀がよく、怒られるようなことをする子でもなく、お勉強はいまひとつですが、先生にしてみれば扱いやすく、何も問題がない子だと思うのですが・・・(行儀がいいいのは 特におなもみが無理をしているのではなく、それがおなもみの素です。)そのおなもみが 「怒られる」 らしいのです。学校で怒られる ということに今まで免疫のなかったおなもみは それでなんだか かなりまいっているようです。新学年始めからこんなのでどうしよ~~(ーー;)というストレスも今現在エネルギーがない私にさらにかかってきて・・・今日は光のkimiさんの通信講座のホームワーク提出日でした。全く使い物にならない意識をなんとか見つめて提出しましたが、自分でも書いていることが何が何やらワケわかめになってしまいました。過去最悪の回答だあ・・・o( _ _ )oショボーン (よけいに鬱)いつ浮上するかな・・・おなもみ母子。
2005.04.19
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今日の日記は短いですよ。あ、喜んでる?いつも長い長い って言われるから・・・これでも気にしているのよ長くなると 「あ、申し訳ないな~」 ってでもね!私の日記が長いなんて言っていると光のkimiさんの日記なんて読めませんよー(>_
2005.04.18
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おなもみが言うには、うちの灯籠はパーツがひとつ足りないらしいのです。基本的に灯籠は 全部で下台をのけて五つのパーツでできているらしいのですが、おなもみの家の灯籠は、『中台』 がない・・・らしい。おなもみは中台のことを『ざぶとん』 と言っているのですが。 左の写真はおなもみが主人の友人宅からGETした灯籠。右はおなもみが自分で紙粘土で作った灯籠。どの部分が 「ない」 と言っているか、わかりますか?近所のうどん屋さんの灯籠がうちの灯籠と同じ灯籠らしく、先日、そのうどん屋さんに行った時のことです。おなもみが車からおりるなり、その灯籠のところに走って行きました。「おかあさん、見て!おなじでしょ?」 と叫ぶので 私もその灯籠を見に行くと、確かに、そっくり。それとも同じ?笠が少し大きいかな?食事を済ませて外に出たときも、真っ直ぐその灯籠のところへ駆けていくおなもみ・・・おなもみが、「でもね、おかあさん、この灯籠、ざぶとんの位置がちがうんだよ」私 「え?ざぶとんの位置 って・・・?」おなもみが言うには、ざぶとんは竿の上、火袋の下にあるものらしい。それが、そこのざぶとんは火袋の上、笠の下にあるのです。私はしばし 「へ~~そうなの?」 とその灯籠をまじまじと眺めていました。おなもみは、私に「これはね、(ざぶとん)ここに置くものなの。」 と説明してくれながら、突然ある行動に出ました!なんと!ざぶとんを置き換えようと、得意の灯籠分解を始めたのです!! ( ̄□ ̄ノ)ノ ギョッ。。すぐそばにはお店の大きな窓が・・・お店の中からおなもみの行動は丸見え!!私は 「やめてーー!」 と、おなもみを制御。「だって~~」 と、と~~っても不満そうなおなもみ。「よその灯籠だからね、もし傷つけたらここのお店にエネルギーが来なくなるといけないでしょ?」と、なだめて おなもみに「もう帰ろう」 と言って車に乗せました。車が動き出しても、ずーっと灯籠を目で追っているおなもみでした。(気になって仕方がない様子)家に帰って、「おかあさん、おなもみの家にはどうしてざぶとんがないのかなあ」 と言いながら 紙に、灯籠の絵を描き始めました。「ここにね、ざぶとんがあるはずなの。」 とブツブツ言いながら。「おなもみの家はざぶとんがないからあんまりエネルギーが来ないのかなあ・・・こうやってね、エネルギーがこないの」 と、紙にエネルギーが灯籠に降り注いでいるところを描いていました。「ざぶとんは関係ないんじゃないの?」 と言っても、「うう~~ん・・・」 と 納得がいかないようで、なんと、次の日、主人が帰ってきてから、灯籠をいただいた家に ざぶとんを探しに行っていました。庭中探したけどなかった としょんぼりして帰ってきていました。そして、主人と、コンクリートでざぶとんを作る計画を練っていました。ま、マジですか~~?<(゜▽゜;)>(母)おなもみの灯籠ブームはいつまでどこまで続くでしょうか・・・?よくわからないわが息子の思考回路に日々あきれながら楽しませてもらっている私です。
2005.04.17
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今日はおなもみの日記を紹介します。水曜日に、おとなりの友達がザリガニをおなもみにあげると言ってくれたらしく、おなもみは、ザリガニをもらえるのをすごく楽しみに待っていました。私の家のあたりは、田舎なのに結構不審者が多く 今までも事件になりかけたことが数度あるためおなもみには 外が薄暗くなってきたら家の庭から一人で出ることを許していません。おとなりの”みいちゃん”が、まだザリガニを持ってきてくれない と、何度も懐中電灯を持って外に出るおなもみでしたが、その日、みいちゃんはザリガニを持ってきてくれませんでした。次の日、ザリガニをもらって大喜びで水槽に入れたおなもみですが、ザリガニの元気がない とおなもみの顔は真剣な顔に変わりました。ザリガニに何をやったらいいのだろう と図鑑を出していろいろ調べてみるおなもみ。その間も、心配そうにザリガニを見ては 「大丈夫?今ごはんあげるからね、調べてるからね」 と一生懸命ザリガニに声をかけるおなもみでした。とりあえず、金魚のえさがあったのでやったりしていたのですが・・・夕方用事に出たあと、ザリガニのエサを買いに行きましたが、帰ってきたらザリガニは死んでいました。水槽の前で真っ赤な顔をして泣きじゃくるおなもみでした。そうとうつらいことだったらしく、おいおい泣いているのです。私に抱きついて わーわー泣くので、なんとかなぐさめようと話しかけていたら 最初は「うん うん」と聞いていましたが、「もうえびちゃんのことは言わないでーーー」 と、よけいに泣きじゃくりだしたおなもみ・・・火に油を注いだようです・・・ (あちゃー、やぶへび・・・)ごはんを食べている時に「明日えびちゃんのお墓をつくってあげる」 と言うので、私がまたなぐさめの言葉をかけると、しばしへの字口になって、「えびちゃんの話はしないでーーー」 と大泣きに・・・私の背中に回ってきて わーわー号泣。・・・は~ こういうときはどうしたらいいの・・・夜、私がパソコンに向かって日記を書いていたら おなもみが 「おなもみもえびちゃんのこと日記に書く」 と、紙と鉛筆を出して日記を書き出しました。自分の気持を書き出したことで 心の中がすっきりしたのか、「おかあさん、読んで 読んで」 と 私に日記を見せるおなもみ。主人が帰ってきたら 主人にもその日記を一番に見せていました。少し、気持の整理がついたようです。おなもみが真剣になって、こんな長い作文のような日記を書いたのは初めてなので、ここにぜひ残しておきたい・・・と、思ったので載せます。つらかった思いきのう、えびをつかまえました。虫かごに入れてそだてました。とつぜん、雨がふりました。みいちゃんとまりあちゃんは、虫かごをおいて、家に帰りました。虫かごに、えびが入ったままごはんもやってないのに、ぼくは、みいちゃんがえびをとってきてくれると思って午後7時までまっていたのに、えびをまっていたのに、みいちゃんはとってきてくれませんでした。おそくなったのでぼくはあきらめました。つぎの日学校についたら、みいちゃんと会って話しました。「ざりがにどうしたの?」 と聞きました。「ひみつきちにおいたまま」 と、みいちゃんが言いました。学校から帰って、みいちゃんちに行きました。みいちゃんと、ぼくと、まりあちゃんで、ひみつきちに行きました。見ると えびはちょっと弱っていました。けど、ぼくはがんばって育てるぞ と思いました。家について、えびにえさをやろうと思いました。やってから、めもちゃんちに行きました。めもちゃんちから帰ってきたら、えびはしんでいました。ぼくはなんどもなきました。わあわあなきました。ぼくは、こうかいしました。どうしてあのときにがしてやらなかったんだろう どうしてあのときじゆうにさせてやらなかったんだろう。ぼくは自分をせめました。いのちをとるなんてひどいと思った。ぼくは、これから生きものはじゆうにさせてやりたいと思いました。次の日、もとの河にザリガニを返してきて「おいのりしてきた」 と、おなもみ。そしてまた大泣き・・・今日も、この日記におなもみの日記を書いていいか ということをおなもみに話していたら、「えびちゃんのことは言わないで って言ったのにーー」 と、泣き出されてしまいました・・・は~・・・おなもみ、頑張れ!母は、なぜかおなもみの泣き顔が大好きなのだ。おなもみが泣いているとかわいくってしかたがない・・・ぎゅーっ と抱き締めたくなるのよね(~_~;)
2005.04.16
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今日は、おなもみの ”えびちゃん事件” を書くつもりだったのですが・・・(ーー;)ダメなのです。意識が遠くに行ってしまって現実的なことが全く考えられないというか、なんと表現したらいいのか。先日、サヌカイトのCDが心地よい と日記に書きましたが、今日 サヌカイトや水晶琴etc.のCDが数枚、我が家にやってきてくれました。(はるばるお越しを、ありがとうございます CDさん)そのCDを聴いていたら、もう心身ともにゆるゆるになり・・・(誰か様が温泉にお入りになったときもこんな感じなのかしら・・・) 桃源郷を彷徨うってこんな感じかもしれない・・・と思えるほど心地よくて心地よくて体の力が抜けていくのです。この世のものとは思えない美しい音色が、響きの残響が、私の中に、私のすべての中に浸透して、私を包み込んで、私はふわふわと浮いているようでした。まるで夢の中にいるようで 心地よい異次元に身を任せていたら、そうしたら今度は涙が出てきて とまらなくなって・・・ あとからあとから涙が出てきて、魂が震えて喜ぶのを感じて・・・その至福感が抜けていくのがいやで 現実世界に戻りたくなくて・・・何時間もそのCDを聴いて半瞑想状態の私・・・(とろとろなのです)なので、今日の日記はここで・・・今日は、光のkimiさんの写真館、『LIGHT』 のトップを全く新しく作り変えました。LIGHT という名前にふさわしく、光り輝くトップにしてみました。予定は未定 と言った 『光のショー 真朱』(83日目 カルマ) もアップしました。あまりにも美しい幻想的な茜色の光をぜひぜひ、ごらんください。素晴らしいです。
2005.04.15
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今日はおなもみ、ネガティブになることもなく、ごきげんで学校へ行きました。今日もお地蔵さまを手提げに入れて・・・私は過去、ネガティブな感情をいっぱいかかえて生きてきました。いつも自分のものさしを持ち、人の話を判断し、そして自分のものさしに合わないと不満に思い、自分で作った不自由に縛られて生きていました。今の私からは、自分自身でさえも想像もつかない と思えるほどですが・・・実際そうだったのです。そして、そんな自分が嫌で、聖なる本を読んだり、お祈りをしたり、瞑想をしたり、とにかく今の私をなんとかして変えたい と、そればかりに必死になっていました。このままではいけない 絶対にいけない と、いつも思っていました。これはずっとずっと小さな子供の頃からの感情で、少女の頃から 『きれいな心になりたい』 と そればかり毎日思って、神様にお祈りをしていました。誰がくれたのかシスターの人形の置物があり、いつもそのシスターの美しい顔を眺めては癒されていました。ある日、伝道に来た人から母がキリストのお話が書かれてある本を買いました。その小さなピンク色の本は、私の宝物となり、大切に大切にして 毎日読んでいました。自分から教会に足を運んで、「日曜の礼拝をさせてください」 と、そこの牧師様にお願いをし、しばらくの間、教会にも通っていました。教会で黙祷を捧げるときが 私は大好きでした。その時だけは、愛に飢えて、いつも満たされない、いつも不安だらけの私が、神様の光の中にすっぽりと包まれ、静かな静かな教会の中で 静かに静かに永遠の平安を感じる私がいたからです。あれは一種の瞑想だったのでしょうか・・・ 目を瞑っているのに、景色が見えるのです。その景色は光り輝いていて、愛と祝福に満ちて、あきらかに三次元ではない感覚でした。空気や 色や、ほほにあたる風の心地よさなど、それらすべてが、私にはあまりにも心地よく感動的で、私にとって黙祷の時間は至福のひとときでした。そのような至福の体験は実際私の宝物でしたが、同時にあまりにもその感覚が素晴らしいものであったため、この光の中で生きるためには 神の愛に準じなければいけない、とそればかり思っていました。神様の愛に準ずるように生きなければいけない。悪魔に魂を売ってはいけない。いつも清らかでいなければいけない。人に愛を感じられなければいけない。いけない、いけない・・・『いけない』 が私を縛り、至福を体験するはずの私は、ますます不自由に囚われていくようになりました。神様に向き合っているときは確かに光を見る自分がいるのに、その反対側にはいつも闇の自分がいました。光をいくら求めても、闇がぴったりついてくる・・・ 今から思えば、そういう感じだったでしょうか・・・今日、LIGHTにアップした文章は、『完全燃焼』です。(光のkimiさんの日記)この文章が書かれてある日記を読みながら(こちら)過去の自分を思いました。いつも愛を感じられなければいけない と思い込み、愛に執着し、愛を発することができないと、懺悔をして自分を責めていた過去・・・ 私はいつも、感情に囚われていました。「いけない」 ことなど何もないのに・・・そのつど気づけばいいだけだったのに。思考の奴隷になっていた私は、自由 ということが全くわかりませんでした。 自然に溶けていくものを 不自然に絡めとっていました。ここにきてやっと、いくら光を求めても自分を見つめることができなければ、求めるだけで終わってしまう ということに気づきました。今の自分を十分感じきって、その都度出てきたものを終わらせる。逃げないで・・・また、掴まないで・・・味わいきる。まだまだ中途半端な私ですが、できないことに囚われる私は もういなくなりました。できなければ、できない自分をまた感じきったらいいのですから・・そうすると、思い込みも、囚われも、どんどん外れていく自分を感じます。今まで どんなに神様にお祈りしても外れなかった感情が、するすると解けていくのを感じます。外に安らぎを求めても、結局は足元のおぼつかない拠り所であるということがわかりました。すべては自分。私が光である ということ。輝く神様がいるのではなく、私が輝くのだということ。そして、おなもみにも 何にも囚われない生き方をしてもらいたい と思います。人は、思い込みや幻想で生きすぎます。おなもみには軽やかに、自由に生きてほしい と思います。まあそれは、おなもみが自分の奥の意識で知っていることでしょうし、私よりよっぽど光り輝いていますが・・・(~_~;)でも、おなもみが何かあったときには、きちんとフォローができ、真理を伝えられる母でありたい と思います。今日は LIGHTに 『光のショー 黄金』(84日目 完全燃焼) をアップしました。素晴らしい光をぜひご覧ください。光のショーの写真がたくさんあるので、イメージで色の名前をつけていくことにしました。明日は ”光のショー 真朱” の予定です。(予定は未定)明日はこれ! と決めていても、その日の気分が やっぱりこれ・・・ になったり、この文章にはこの写真 と思っていても、次の日には 「ううん、こっちの方が断然いい」 なんて、ものすごくその日のインスピレーションに左右されているコンテンツです。 えへっ゚。(*^▽^*)ゞでも、どれもひとつひとつ、心を込めて真剣に 丁寧に 作っています。その日のベストで・・・
2005.04.14
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おなもみ、今朝もマイナーです。昨日はなんともなく学校へ行ったのですけどね・・・今日は起きるなり「学校行くのいや~」 私、ドキッ ( ̄▽ ̄;||| 「きた~!」 って感じ。私 「いやなの?どうして?」おなもみ 「お友達いないもん」私 「昨日は休み時間どうしてたの?」おなもみ 「一人で座ってたの」私 「・・・・・・」 (暗いやっちゃな~・・・)私 「ワークスペースに本でも読みに行けば?」おなもみ 「おもしろい本ないもん」私 「そんなことないよ。きっとおもしろい本見つかるよ。それに、ワークスペースでいたら誰かが おなもみを見つけて おなもみく~ん って言ってくれるよ。何~?って言ってその子たちの 遊びに入れてもらえばいいんじゃない?」 と、コアラ抱っこでずっと話をしていました。おなもみは涙涙です。「そのうち新しいお友達もできるよ。きっと、いいお友達が見つかると思うな~」 などと、あらゆる思いつくことをおなもみに言ってみる私。こういうときって 何をどう言ってやるのが子供にとってベストなんだろう・・・ と、私の頭の中はフル回転です。でも、いい言葉が見つからない~~(滅)これでもおなもみは オールマイティーに誰とでも仲良く遊べる 引っ込み思案とは程遠いキャラクターなので、全く心配はしていないのですが、実際こうして 「学校に行きたくない」 なんて言われると、ちょっと気になる母です。底抜けに明るい性格で、いつも笑っているおなもみですが、反面、とてもナーバスなところもあり、そのナーバスが前に出て来たときは、いつも底抜けに(?)沈んでいます。あと気になることは、おなもみはオーラが見えたり、違う次元に ふ と行ってしまったりするようなところがあるので、それで学校にいるときも時々不自由を感じているらしいのです。オーラも、いつもは自分で見ないようにしているらしいのですが、学校の授業中などにそれが解除されて 突然オーラだらけになって授業の妨げになったりするらしく、(だからお勉強いまひとつなのかしら・・・?なんて・・・)また、違う次元に入ったときは景色が遠くに行ってしまってとても不安になるらしいのです。私にはわからないそういう世界を持っているおなもみなので、私の経験と思考からひとくくりに対応するわけにもいかず、まあ、あとは私がおなもみを十分見守ってやって おなもみを信頼してやるしかないかな と思っているのですが・・・昨夜は「お地蔵さまと一緒に寝る」 と、お誕生日にもらったお地蔵さま(参考こちらの日記の下の方に画像があります)を自分の横において寝ていました。(全くの余談ですが、過去の日記をリンクはってみてびっくり! 私でもこんなにシンプルに日記が終わっていた頃があったのね!へ~・・・ 今では長くてすみません・・・みなさんから「長い!」 と言われるのですけど、書きたいこと全部打ったら こうなっちゃうのですよ・・・滅。でも、今日はいつもの日記より短いでしょ?)今朝は、話しているうちにだいぶ落ち着いてきて、少し顔に笑顔が浮かび、私の膝から離れました。いきなり、「おかあさん、お地蔵さま、学校に持って行ってもいい?」私 「ええ?お地蔵さまを?・・・うん、いいよ。そのかわり、誰にも見つからないようにねおもちゃだと思われてしまうよ。」おなもみは、うれしそうな顔をして、お地蔵さまを布の袋に入れて、そっと手提げ袋に入れました。夜、「おかあさん、お地蔵様、明日も持っていってもいい?今日ね、お地蔵さまがいたから学校楽しかったの。」 と、おなもみ。「そう~良かったね、今日はお地蔵様と遊んだの?」 と聞くと、「うん、お地蔵様にお昼ご飯を食べさせてあげたりしたよ。お昼休みは 運動場でみんなとドッジボールしたの。その時はお地蔵様にお昼寝しててね って言ったの。」 と、楽しそうに話してくれました。「今日はお友達と遊んだのね」 と言うと、「うん」 と、うれしそうにうなずくおなもみでした。まあ、何はともあれ、良かった と思う私でした。(お地蔵様、見つかりませんように・・・)今日はLIGHTに『姫蓮華』(34日目 ひとつのいのち)をアップしました。昨日は『誠蓮』をアップ。同じ 蓮 がついていてもこちらはお姫様なのね~(^_^)昨日の蓮は額田部皇女(読めます?)という感じだったけれど、こちらは可憐なお姫様の豪華なかんざしみたい~・:*:・(*´ー`*)ウットリ・:*:・黄色が鮮やかに、そして可憐に豪華です。ぜひご覧くださいね(^_^)v
2005.04.13
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今日は 母のことを書かせていただきます。母は 妹を溺愛して私をあまり愛してくれませんでした。妹には優しい優しい母でしたが、私には継母のように接する母でした。妹は何かにつけ優しい言葉をかけて、私には何かにつけ冷たい言葉をかける母でした。私は妹が生まれてから成人をすぎた頃まで 母のことをどうしても好きにはなれませんでした。もちろん、それでも、母として慕って心の奥ではとても愛していたのですけれど・・・妹は、いつも母から「優しい子だ」 と言われ、抱き締められて育てられていました。私はいつも母から「ひねくれた子だ」 と言われて、つきはなすように育てられました。妹は、本当に明るく優しい子で、私は暗くひねくれた子でした。自分も愛せない まして人を愛するなんてとてもできない私は 毎日が重く暗かったのです。私はずっと母を恨んできました。それはそれは根深い感情でした。でも、今では母を心から愛しています。そうなるまでの私を、昨日の光のkimiさんの日記に心打たれて 自分の感情を吐き出すように 光のkimiさんのBBSに書かせていただきました。そして、光のkimiさんからのコメントにまた心打たれました。いつか、母のことをこの日記に書きたい と思っていたので、昨日のコメントを書いたときの自分のエネルギーをそのままここの日記に貼らせていただきます。とても個人的な、自分のその時の気持をただ解放しようと感情のままに打った文章なので、読んでいただく皆様には大変申し訳ないのですが、その後に書いてくださった光のkimiさんの心打たれたコメントが、私だけではなく、すべての人々へのメッセージでもある と思いましたので、アップさせていただきます。私のコメントは読み飛ばしても、光のkimiさんのコメントだけは、読んでいただきたい と思います。今日の日記はまた、愛の原点のような・・・感動で魂が震えて、読んでいる私は 愛でいっぱいに満たされました。私はあまり母に愛されずに育ちました。母と愛を分かち合うことができたのは 二十二歳のころからです。急に母の、私を見つめる暖かさが違ってきました。暖かい、暖かい目で私を見つめるようになりました。なぜだか・・・(たぶん、母は死期が近づいていたから かもしれません)それまでの私は、正直、母のことが好きではありませんでした。嫌で嫌でたまらなく、いつも反発していました。でも、母が私に愛を向けてくれるようになって 私は母への反発がすっかりなくなりました。母がとても愛しい存在に変わりました。愛の力 って不思議ですね。どんな頑固なわだかまりも溶かしてしまう。愛を向けられると、愛を返せる自分になれる。一番愛してもらいたい母から十分愛してもらえず育った私は以前は自分を愛するなんて考えたこともありませんでした。でも、あるとき、ふと自分を見つめてあげた時・・・いつも両親の前で緊張していた私。家にいるときに 心の安らぎなど全くなかった私。つらい体罰を受けた時。母からひどい言葉をかけられた時。いつもつらくて満たされず心がひねくれていた私。毎日が不満だらけだった私。自分が、小さく縮こまっているもう一人の私を見ました。なんて、あなたは今まで頑張ってきたの。一人ぼっちだったのね。つらかったのね。誰も助けてくれないと思って 一人で、一人で、耐えてきたのね。私は私を抱き締めてあげました。なんて愛しい と思いました。涙があとからあとからあふれ出てとまりませんでした。もう大丈夫。あなたは一人じゃないのよ。いつでも私が抱き締めてあげる。私が私の存在に気づいて愛を注いで抱き締めてあげることができ、母へのわだかまりは一切なくなりました。そして、自分が心から愛しい存在となりました。母は母なりに私を愛してくれていたのでしょうね。今ではそんな母を心から愛しています。今では、母が私を見つめる優しい顔しか思い浮かびません。今日の光のkimiさんの日記で、私は愛するということを 深く再認識させていただきました。100日目に、こんな素晴らしい日記をありがとうございました。(伏)『大丈夫だよ』この最後のフレーズにどれだけ涙がでたことでしょうか・・・感動と、愛の光の涙でした。光のkimiさんからのコメントです。『愛の循環』>今ではそんな母を心から愛しています。>今では、母が私を見つめる優しい顔しか思い浮かびません。そのために、すべての経験があったんだね。ただ愛するために。それがすべてだ。それ以上の幸せはないものね。最後の仕上げに、おなもみ君まで来てくれてる。すべてが豊かな祝福だ。すべてのすべてが豊かな祝福なんだね。そう思えるようになるまでの、長い永い人生行路だね。人生の豊かさが味わえるようになると、幸せだよね。すべての経験が豊かになるのですよ。最後に愛に行き着きさえしたら。そうすると、自分も周りも幸せになる。幸せの循環だね。愛の循環。そういう世界に、これから近づいていくのですよ。読んでいただき、ありがとうございました。ただ愛するために すべての経験があった。すべては私が学び気づくためにあったこと。すべてのすべてが豊かな祝福。最後に愛に行き着けて良かった と心から思います。今日はLIGHTに『誠蓮』をアップしました。美しいピンク色の蓮の花です。ぜひご覧ください。すべてを解放するように満開に開いた花びらに 想いを馳せました。
2005.04.12
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先週の金曜日が始業式で、実質今日が新学期の始まりのようですが、おなもみは朝起きて少しつらそうです。まあ、新学期はいつものことなのですが、甘えん坊なので 長い休みの後は必ずこうなるのです。「おかあさんと離れるのはいや」 と言って・・・先日の始業式には、「何組になったんだろう」 と、3年生になった喜びもあり、うれしそうに家を出て行きましたが、今日は全くダメで、暗い表情のおなもみでした。「どうしたの?」 と声をかけてみると、「学校つまんない」 「仲のいいお友達が誰もいないの」 と言う返事。聞いてみると、今まで遊んでいたお友達は一人もクラスにいないのです。おなもみは、世間的一般的に見て少し変わっているかもしれない子供です。親の私は全くそうは思っていませんが・・・小さい頃から、争いごとが嫌いでテレビなども残虐なシーンなどがたまたま目に入ると パニックになったように泣いて怖がったり、人が死ぬシーンなども 全くダメ。今ではだいぶ免疫(?)もついてきましたが・・・なので、男の子が好んで見るような戦いものの番組も、一切本人が拒否して見ませんでした。今は右を向いても左を向いても ゲームを持っていない子供はいないような世の中だけれど、ゲームも戦いものが多いので おなもみはゲームを欲しがることもしません。そういうおなもみの性格が、学校という世間一般の代表のような枠の中に行くと、とても居づらいものであることは確かなようです。男の子の乱暴な遊びには全くついていけず、休み時間になるとゲームの話で盛り上がる輪の中には当然入っていけない。 その上に、「ゲーム持ってないの?」 とか、ゲームの話を聞いて、「それ何?」 と質問すると 「知らないの?」 とバカにしたように言われる。おなもみは素直なので、全く天然に「え~?知らないよ?何?」 「おなもみは指揮者になるからゲームはしなくていいの」 などと答えていますが・・・去年までは、クラスに仲のいい女の子がたくさんいて、その子たちと一緒に遊んでいたようで、特に、去年はたろうくんの中姫ちゃんと一緒のクラスだったので 一年間、「学校が楽しい」 と、心から楽しそうに 学校に通っていました。その中姫ちゃんも、転校してしまい、始業式の日も「中姫ちゃんがいないから寂しい」 とつぶやいていたおなもみです。今朝は、私の膝から離れず、学校に行くまで私もずっと抱いていてやりました。数分おきに時計を見ては、もう何分になった もう何分になったと、何度も出て行くまでの時間があと何分あるか気にするおなもみでした。大人ならば何でもないことでも、子供にとって学校でひとりぼっちというのはつらいものでしょうね。さっぱりあっさりした性格のおかあさんなら、大らかに笑って 「な~にを言ってるの!甘えたこと言ってないで新しい友達を作ればいいじゃないの。行ってきなさい!」 と ハッパをかけて子供を送り出すのでしょうけれど、私はあっさりさっぱりでは全くないので、それができないのですね。まあ、私は私なので、こういう場合はおなもみの気持をよーく感じてあげて、とにかくつらいんだ という気持を受け止めてあげて、出て行く時間まで抱き締めていてやります。心の中で「大丈夫だよ。おかあさんがいるから。見守っていてあげるから」 とテレパシーを送りながら・・・子供には、母親の存在は何物にも代え難いものだと思います。子ども自身にとって、外に出たときの世間の摩擦や、自分にないものを感じる時に、まだまだ一人では クリアーな心はとても傷つきやすいと思います。そういう時、いつも母親が大きな愛で 心からの愛で 子供を満たしてあげられていたら、そして、子供がその母の愛を深い意識の部分で受け止められていたなら、心の奥の大きな安心感はたとえどんなことがあっても、その子が、その子らしく 明るい光へと真っ直ぐに育っていくことを阻むことはない と思います。おなもみが生まれてきてくれて、私はおなもみから愛をたくさん、たくさん、もらいました。『無条件』 に愛する ということを、おなもみを愛することで 教えてもらいました。 そして、自分にとってかけがえのない存在が こんなに愛しい存在がいる ということを知ることは荒立つ心も静まり、至福の喜びを体験させてくれます。 私の仕事が終わり、やっとゆっくりおなもみと話せる時間ができました。学校のことが気になっていたので、さりげなく 「今日は学校どうだった?」 と聞いてみました。おなもみは、今日一日学校でした行事のことなどを淡々と報告してくれました。「休み時間は誰と遊んだの?」 と聞くと、「一人だった」 と一言言った後、疲れたのかそのまま すっと寝てしまいました。それから、光のkimiさんの今日の日記を読みに行ったら、愛 について書かれてありました。今日、私が書こうとしていたことと とてもシンクロしていて、光のkimiさんの日記が私の心の奥深く奥深くへと静かに静かに染み込んでいき、最後の 『大丈夫だよ』 のところでは 涙があふれ出てきて とまりませんでした。なんて、穏やかな深い愛。こんなふうに子供を愛せたら・・・こんなふうに子供を見守ることができたら・・・・こんなふうに子供を受け止めてあげることができたら・・・そして、こんなふうに自分を愛することができたら。こんなふうにすべての人を愛することができたら。愛の光はどこまでも優しく、限りなく優しく、その愛に触れると自分が愛の光で輝きますね。そして自分からも愛の光を 愛する子供に、愛する家族に、見知らぬすべての人へも 自然と送ることができますね。おなもみの寝顔に 「大丈夫だよ」 と そっと声をかけてやりました。かわいいかわいい、何度見ても見飽きない 赤ちゃんの時からずっと見ている寝顔。私のところに生まれてきてくれて 本当にありがとう。心から。おなもみ。今日の光のkimiさんの日記を、ぜひ読んでみてください。こちらです。子育てをなさっている人は必読だと思います。そして、子育てをなさっていない人にも、ぜひ読んでいただきたい と思います。心静かに、味わいながら 読んでいただきたい と思います。今日は、LIGHTに 『テリハノイバラ』 をアップしました。目に鮮やかに飛び込んでくる 美しい白と黄のコントラストをぜひご覧ください。自然は美しいですね。愛でいっぱいです。
2005.04.11
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今日のおなもみはいつも以上にハイテンションです。今日は、私の妹に連れられて、お寺の花祭りの行事に参加をしに行ったのです。実は、今日はお箏の合奏日でもあったので、お箏が大好きなおなもみは 合奏にも行きたい お寺にも行きたい で、迷いに迷っていました。両方行くことはできないだろうか と考えたあげく妹に電話して、お寺の行事が何時から何時までなのかを聞いていました。受話器を持って真剣に時間を聞いているおなもみ。突然、「ええ!?ほんと!?」 と、おなもみの大きな声が。「うん、わかった!行く!じゃあね~♪」 と電話をきったおなもみに、「どうしたの?お寺に行くことにしたの?」 と尋ねると、「うん!だってね、大きな大きな灯籠があるんだって!」 と、さっきまで「お箏にも行きたい どーしても行きたい」 と、必死で計画を練っていたおなもみの頭の中から 箏のことはもうすっかり飛んでいってしまっていたのです。(お師匠さま、ごめんなさい・・・)10時に妹が迎えに来て、11時からの行事に間に合うように出て行きました。お寺までは車で30分くらいかかります。妹は、お昼すぎには帰って来たいようだったのですが、結局帰って来たのは4時半でした。おなもみが帰らない と言って困ったのだそうです。帰りに泣き出したおなもみに 「じゃあ、公園に連れて行ってあげるから 遊んで帰ろう」 とご機嫌をとったりと かなり大変なようでした。(爆)お寺では、赤い毛氈(?)のような布の上にお箏が4面おかれていて、箏が演奏される中、外の桜の花びらが舞い散って入ってきたりと、とても美しかったのだそうです。おなもみは、袈裟と数珠をいただいて、阿弥陀如来に蝋燭をあげたのだそうです。その袈裟と数珠をいただいて帰って、「これだよ!」 と、袈裟を首にかけて数珠を持って見せてくれ、とにかくうれしそう。お昼ごはんをいただいて、お寺の庭で灯籠探索を・・・入り口には、「おなもみの家の天井くらいまである大きな灯籠」(おなもみ談)があるらしく、その他にも、合計14個の灯籠があったのだそうです。14個の灯籠、すべてにピンク色のエネルギーがきていた! と目をキラキラさせて話してくれたおなもみでした。そのうちの一つの灯籠がとっても気に入り、妹に「あれ、くれないかな?」 と真剣に相談するおなもみ。(爆!)妹がふざけて、「ください って言ってきてごらん」 と言うと、その気になってぶつぶつと 「すみません、灯籠、とても気に入ったのでください」 と、”ください練習”をしだしたらしのです!これは本気だ ヤバイ(>_
2005.04.10
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昨日は始業式。おなもみは3年生になりました。帰ってきてから、担任の先生が優しい とそればっかりずっと言っているおなもみ。よほど、先生のことを気に入った様子なのです。でも、仲のいいよく遊んでいたお友達は皆、違うクラスになったようで そのことは少し残念そうでした。「中姫ちゃんがいないから 寂しいなあ」 と、中姫ちゃんがいない寂しさを思い出したようです。先日、中姫ちゃんと下姫ちゃんから手紙と小さなきれいな石が届いて、おなもみは大喜び。おなもみは、石が大好きなのです。小さな頃から お散歩に出ては石を拾っていました。「きれいな石があった!」 と、毎日のようにどこかで石を拾ってくるおなもみなので、家中のあちこちに石が転がっています。よっぽど気に入っているもの意外は、様子を見て私が捨てていっているのですが・・・博物館のようなところに行っても、売店で買うのはいつも石。パワーストーンやクリスタルなどを、「これがエネルギー強そうだね」 などといいながら自分で選んでいます。石は、怖いものもある と聞いたことがあるけれど、大丈夫かな・・・特に、あちこちで拾ってくる石とか・・・どうなんだろう・・・o(-_-;*) ウゥム…先日も、「この辺に誰かいる ついてくる」 と、自分の横を手で示して、怖い と言っていたのですが、おなもみは 少しそういう敏感なところがあるので・・・”おなもみの神様” に、「誰かがついてきて怖い」 ということを相談したら、「優しい人だから大丈夫。見張っていてあげるよ」 と、言ってくださった とか・・・(母にはわからない世界だ・・・つくしさんにはよけいに未知の世界だね・・・)先日、光のkimiさんが日記で紹介されていた サヌカイトのCDを、(響きの宇宙)おなもみはすごく気に入って、毎日「石のCDかけて」 と言って聴いています。その石の音を聴いていると、本当に気持がいいのです。石がこんなに素敵な音を出すなんて・・・と、驚きです。あの、今日の日記のメインはこれで終わりです。今日は全くエネルギー使っていません。 えへっ゚。(*^▽^*)ゞ土曜日は朝から、仕事が途切れ途切れで一日あり、この日記も仕事の合間に書いています。こういう日は、スピリチュアルとは程遠く、でも、子供達相手の仕事なので 子供の穢れないエネルギーをたくさんもらって いつもとは違う自分になれる日でもあります。子供って軽くて本当にいいなあ・・・と 実感です。どの子もみんな、キラキラ輝いていてかわいい。いい仕事をさせてもらっているなあ と、感謝です。今日は、『LIGHT』に、野アザミの写真をアップしました。私は、この写真を見るまで、野アザミがこんなにきれいだなんて 思ってもいませんでした。なんとなく見過ごしている日常の自然にも、あちこちに美はこんなにもきちんと存在していて、美しい心を持った人にはその美を目に留めることができる という神様からの素晴らしい贈り物をいただけるのですね。そして、その贈り物をこうして分けていただいて、幸せです。自分でページを作りながらうっとりしてしまいました。(゚ー゚*)。・:*:・ポワァァン本当に美しいのです。ぜひ、見てくださいね。(*^_^*)
2005.04.09
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突然ですが、私の場合、日記を書く ということは、とてもエネルギーがいることなのです。何度も言っていますが、これは私の自己満足日記です。精神的なことを書きますので、とても内面的であり、特にメッセージを伝える というスタンスでもなく、はっきり言ってそのような個人的な日記を人様に読んでいただくというのは、申し訳ないような気持でいっぱいです。ならばどうして日記を書いているのか・・・ですが・・・もともと、物を書くことが大好きであったことと、日記を書くことは中学の時からずっと続いている日課でもあるので、生活の一部であったこと、等、挙げられるのですが・・・4月1日の日記(こちら)に書いたことにさらに付加しますと、日記を書くことによって、また、それをウエブに公開するという姿勢で書くこと、襟を正すことによって、表面意識だけで過ごしてしまいがちな日常から一歩はなれて、きちんと自分自身の内面を見つめることができ、自分を高めていけるのではないか と思ったのです。一人で日記帳に綴っている時とは全く違った緊張感で書くことは、自分自身をとても深く見つめ、感じ取ることができます。そして、それにより、日常生活の中での精神的な注意深さもかなり違ってきました。ですが、その日々の気づきをこうして文章にする ということは、かなり集中力と静かな意識を要します。内面の気づきはとても個人的なものであり、さらに心の内奥で湧き上がるものなので それをこういう形で、外に向けて表現するということは、ボキャブラリーの貧困さ、文章力の稚拙さ なども手伝って、かなりな至難さがあります。私の場合。(泣)意識の奥にある、言葉ではない感覚を表現しようとしますから、言葉を選ぶのもひとつひとつ真剣です。(これでも)でも、そのことをここ二ヶ月続けてきて、自分が少しずつ精妙になっていくのが感じられます。やればやるだけのことはあるのですね。(サファイアマダムの皆様、ど~こ~が~??なんて突っ込まないでね)(とても個人的なことですのでね・・・滅)ところでです!ここからが本題です!(え?・・・今までのは一体何?)・・・というふうに、とにかく日記に向かう時間は私にとってその日一日の精神統一の時間とも言えます。他のことで精神統一してしまうと、日に一度しか精神統一ができない未熟者の私は、日記にかけるべく精神的情熱を使い果たし、あとはボーー( ̄△ ̄;) なのですね・・・それが、ここのところ、先日のつくしさんへのメールからずっと続いているわけです。昨日も日記を書くつもりだったのに、どうしても書けなかった・・・o( _ _ )oショボーン 昨日は光のkimiさんの写真 『ルリハコベ』 に神経を注いでいたのです。先日日記には ささ っと作っているように書きましたが、アップするまでの道のりは険しく?8割くらいまで出来上がっていても、プレビューしてみたら納得がいかなくて作り直したり と、結構いろいろ大変なのですよ。(大きな声で)ルリハコベ も実はそういう感じで そして昨日はまさに一からの作り直しとなりました。でも、『これは特上』 と光のkimiさんからのお褒めの言葉をいただき 感激です☆o(≧∇≦)oとってもシンプルなのですが、何度もやり直しをした苦心作です。皆様、見てね~~~( ̄人 ̄)お願い…・・・そういうことで、(どういうこと?)日記が書けていない日は 「ぴあのさん、またボー( ̄△ ̄;)なのね」 と思ってやってくださいませね。m(_ _;)m ぺこんと、いうことが言いたかったのです。今日の日記は・・・
2005.04.08
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今日、おなもみの灯籠ネタの日記を書いていたのですが、やけにパソコンの画面がまぶしくて目がとっても疲れていることに気がつきました。目の周りもだんだん痛くなってきて・・・(ヤバイかな?)今日は朝から研修があったり 午後はずっと仕事で、時間的にはいつもの10分の1もパソコンに向かっていないのになあ・・・たまにこういうことがあるのですが。目の過労?かな・・・一日パソコンしていても全く平気な日もあるのに。でも、先日のげんさんとの朝までメッセ(こちら)は、次の日(その日?)さすがに目が死んでいました・・・(終日、目がしょぼしょぼでした)昨日は久しぶりにホームページビルダーを開いて、新しいページを作りました。と共に、以前のページを少し手直ししたり・・・今日も研修と仕事の合間に一ページ作っちゃいました。えへっ゚。(*^▽^*)ゞ昨日作った光のkimiさんの写真コンテンツ LIGHT に 大好きな 『幽玄』 をアップしました♪この流れる詩のような、『幽玄』 を読んでいると 自分が愛しくなり、人が愛しくなり、地球が愛しくなり、宇宙が愛しくなり、森羅万象の輝く命、一人一人、一つ一つの 尊い命を感じます。そしてその中の『ひとつ』である自分に、感動するのです。私は、光のkimiさんが今まで書いてこられた過去の日記を 時間さえあれば毎日読んでいます。何度も読んでいるはずの文章も、その日によって感動の仕方が違ったり、また、目に留まる一節も違ったり・・・交響曲などを聴いていると必ずそうなのですが、初めて聴く曲、また聴き込んでいない曲は、まず最初に、旋律が耳に入ってきます。そして、その旋律に心奪われ、美しい曲だな と感動して、何度も何度も繰り返し聴きます。すると、はじめ旋律以外漠然としか聴こえていなかった いわゆる伴奏である各パートが、次々と はっきり耳に入ってくるようになります。旋律の向こうにある音。または、旋律と共にある音。ああ、こんな複旋律が鳴っている とか、ここでオーボエがこんなふうにうたっていたのか とか・・・ 次々と新しい音の発見をするのです。そのうち、スコアに書かれてある細部の音まで聴き漏らさず、はっきりと聴こえてくるようになってきたとき、私にとってその曲は はじめ聴いたときとは 広がりも深さも全く違う曲になっています。次々と、新しいメロディーを発見する時、その曲に今まで以上の感動を覚えます。光のkimiさんが書かれていることも、そういう感動にとても近いものが 私にはあります。あれ?気がついたら、また長々と書こうとしている・・・性?(わかっていると思うけど、サガって読んでね)そうそう、それで、今日光のkimiさんの日記を読んでいたら 私がこの間 5000アクセスだ~!この日記も二ヶ月たったぞ~☆ と、めいっぱい喜んでいたけれど、光のkimiさんのサイトは二ヶ月で10000アクセスなのね~~!ってことに気がついた。( ̄∇ ̄;) ハー(ため息いっぱい)あれれ?目が痛くなくなってきた・・・しょぼしょぼも少しマシに・・・でも、この辺でやめておこう。また明日、快適なパソコンライフに浸るために。(~_~;)
2005.04.06
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先日の4月2日の日記に、光のkimiさんの写真と文をアップさせていただいたことがきっかけで、あのような感じで 光のkimiさんのコンテンツを作ってみたい と、ふと思い立ちました。昨夜、さっそくそのことを光のkimiさんにメールでお願いをし、快く承諾いただきました。私のサイトPink Sapphireにアップしてあった 光のkimiさんの写真のコンテンツも一緒に紹介させていただきたく、トップページにリンクをはりました。ぜひ 素晴らしい写真をご覧くださいませ。(伏)『PHOTOヤクジカと光の世界』 は、効果を用いてあり、「マウスであそぼう」というコンテンツになっています。画像をマウスでなぞってみてくださいね(*^_^*)『LIGHT』 は、私が個人的に光のkimiさんの言葉から魂に響いたものを抜粋させていただきます。私の感性を大切に、私の好きなもので自由に作っていい という、光のkimiさんから暖かい言葉をいただきました。こちらは(LIGHT)、まだまだこれからの作成になりますので、少しずつ内容を増やしていきます。どうぞ、楽しみにお待ちくださいませ。(伏)
2005.04.05
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今日は友人のつくしさんへ当てたメールをここに貼らせていただこうと思います。私は多くを語らない という部分があって、皆を信頼するあまりの説明不足というか私が皆を愛すること そのことが自分の中ではあたりまえすぎて、何かにつけひとつひとつを説明しようという気が起こらないのです。自分がわかっていれば 人もわかってくれると思ってしまう というか・・・うまく説明できないのですが・・・だから、人によっては 私がいろんな部分で冷たく思えてしまって誤解があるかと思うのですが、本人は そういうことを全く意識していないので、とにかくそういう人間だと思って付き合ってね。 と、つくしさんにはじめ、メールをしたわけです。そうしたら、これがまたつくしさんのいいところで、返信メールにつらつらと、まず、件名が 『(。>
2005.04.04
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昨日から4月。なんとなく4月というのは、改まって新鮮な気持になれる月ですよね。何かしらわくわくして、素敵なことが始まりそうで、心も軽くなるのは私だけでしょうか?個人的なことを書かせていただくと、一年前の4月は、私にとっては突然の、全く予想もしない急な変化があった月でした。詳しいことを述べさせていただくのは あまりに話が飛びすぎているので遠慮させていただきますね。(気になる?)ただただ不思議なことは、今現在、私がこの私であるために必要な出来事が、何年も前から 切れ目のないひとつの鎖のように、ずっと繋がり続けてきた ということです。あれがなかったら、これはなかった。そして、これがないとすると、このことは正にない・・・というような・・・ それは素晴らしいものであったり、悩み苦しむものであったり・・・様々な出来事。その繋がりは、この一年で思いもしない、全く想像もつかない方向に進んでいきました。何かの見えないエネルギーによって、ものすごいスピードで、どこかへ運ばれていく私がいました。そして、今現在の私に至るまでに、いくつもの奇跡のような偶然がありました。一瞬一瞬の偶然(実は私は偶然はなく、すべて必然である と思っていますが)が、私にとってはすばらしい贈り物となります。ただの何でもないような偶然の向こうに、いつも次の偶然に繋がる何かが潜んでいて、その偶然の向こうから、また次の偶然がやってきます。次から次へと私に届く贈り物。その贈り物はとても変わっていて、それは、後になって贈り物だったということに気づく ということです。その時には贈り物だと全く気づかない 不思議な贈り物です。贈り物は、私を反映するもの。とても素晴らしいものかもしれないし、全くその逆かもしれない。でも、私は、どんな望まない贈り物も、心静かに感謝の気持で受け取ろう と思います。 その贈り物は また次の贈り物に繋がるから・・・贈り物は 私を通してやってくるものだから。一年前の私には、今の私は想像もつかない私です。全くの別人です。自由です。不自由に、地球の重力に逆らわず、空を飛べるのは鳥だけだ と信じていた私が、今では、天女になって空を飛ぶこともできるのだ ということに気づきました。囚われから外れると自由ですね。”『私』は継続しない。一瞬一瞬の『私』が無限に存在するだけ。”ということを教えてくださったkimikimiさんに感謝します。4月1日に屋久島ナチュラルヒーリングのトップで紹介されたkimikimiさんの写真『太陽の虹』をここにアップさせていただきます。あまりに素晴らしい写真であったため、こちらでも紹介させていただきたく、kimikimiさんに写真をアップさせていただくことをお願いしました。 (屋久島ナチュラルヒーリングはこちら)この惜しみなく降り注ぐ 美しく神々しい光は、私達すべてを『愛』の波動で包み込んでくれます。そして、この宇宙の大きな愛の光に触れると、森羅万象、すべてのものが 『ひとつ』 であるということを正に実感し、魂が震えます。それから・・・これは、kimikimiさんに了承を得ていないのですが、私の大好きなkimikimiさんの言葉をどうしてもこの写真に添えたい と思いました。『すべての時計を外してごらん』 この流れる詩のような美しい語りかけが大好きなのです。(著作権侵害でしょうか・・・すみません(>_
2005.04.02
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昨日、私のサイトがアクセス5000に達しました!PAN!(o^-^)∠※.。・:*:・゚`☆、。・:*:・゚`★そして、昨日はこのサファイア日記を書き始めてからちょうど二ヶ月目だったのです。訪れてくださる皆様、ありがとうございます☆心から感謝いたします。m(_ _)m ぺこんアクセス数など全く気にしてはいませんが、やっぱりうれしいものですね(*^▽^*)そして、記念すべき5000アクセスを踏んだのはなんと!!光のkimiさんでした~~☆ \(≧∇≦)/キャー♪ ヾ(--;)おいおい ぴあのさん落ち着いて・・・なんだか、自分が他サイト様でキリ番を踏んだよりうれしいです!(って 踏んだことないけど)過去、他サイト様でキリ番を踏もうとちょっと頑張ってみたけど、ニアミス(?)でダメだった経験ありです。o( _ _ )oショボーン そして、そのサイトとはkimikimiさん(光のkimiさん)のサイトでした。アハハ "o(^▽^;)。o0○((私って、ヘン?)) 実は、この日記は私があまり考えることもなく、衝動的に作ってしまった日記です。(いきなり爆)(Pink Sapphireと同じですね・・・滅)でも、以前から おなもみのことをサイトでこういうふうに書いてみたいな と考えてはいました。そして、今年のおなもみの誕生日に、「そうだ!記念にブログ日記を作成しよう」 と、思い立ったが吉日のごとく決断し、実行に移した私の行動力は なかなか自分でもびっくりのエネルギーでした。(衝動的といえば衝動的でした)そして、私のこんなつたない日記を読みにきてくださる方のたくさんいることに感動し、楽天での出会いがあってリンクさせていただいた方々との交流も 私にとっては宝です。本当に感謝しています。それから、日記を始めてkimikimiさんのサイトをリンクさせていただいた時、kimikimiさんからも「リンクしようか」 と、ありがたいお言葉をいただきました。始めはとんでもない!と、お断りするつもりでした。kimikimiさんの 『あのサイト』 にリンクしていただくにはレベルも波動も違いすぎる。ご迷惑になる。それしか考えられませんでした。私のサイトなど比較にもならないほどのたくさんの人が真理を求めて訪れるサイト。でも・・・と、ふと考えました。もし、kimikimiさんの日記にリンクしていただくとすると、いい加減な日記にはできなくなる。これはもしかしたら、自分をよく見つめることのできる素晴らしいチャンスかもしれない。神様からの大きなプレゼントかも!?おなもみの誕生日に、神様が私にもプレゼントを贈ってくださろうとしているのかしら?そして、これは自分への挑戦かもしれない!と思い、思い切ってリンクをお願いしました。kimikimiさん、社交辞令だったかもしれないのにごめんなさ~~い。えへっ゚。(*^▽^*)ゞでも、素直なぴあのは(?)社交辞令かも・・・ ということは ”わざと” 考えないようにしました。ヾ(--;)ぉぃぉぃ (どこが素直・・・)図々しくリンクしていただくんだもんね!前向き前向き。結果、私は本当にこの二ヶ月 自分を、おなもみを、そしてあらゆる物事を、注意深く見つめ観察し、感じることができたように思います。表面的な意識だけではなく、深い意識であらゆる現象を観ようとする目が養われた と思います。kimikimiさんにリンクしていただかなければ、たぶん、もう少し(だいぶかも?)違った日記になっていただろう と思います。ただ、おなもみを通じての私の愛や、私の内面の気づきを日々書き綴るだけなので、読んでくださる皆様には、おもしろくもおかしくもない日記であると思います。そんな私のただの自己満足の日記を、皆様の貴重な時間を割いて読みに来ていただき、皆様から愛をいただいて、これ以上の幸せはありません。(本気です!)この場をお借りしまして、心からお礼を申し上げます。本当に本当にありがとうございます。m(_ _)m ぺこん×100(でも足りないくらい)さて、話は全く変わるのですが・・・昨夜8時に爆睡だったおなもみは、そのまま朝まで寝ると思っていたのにその一時間後の9時にぱっちりお目覚め。\(◎o◎)/!当然、寝るのは遅かったですね・・・はい・・・夜1時頃にはなっていたかなあ。で、今朝起きたのは11時です。(なんと・・・こんな生活でいいのかしら・・・)今日は、近くの農業大学に桜を見に行ってきました。ここは、私が今の家に引越ししてきた頃はお花見には最高の穴場だったのですが、桜の木も育って、今では週末などは大勢の人が訪れて 桜を見に来たのだか人を見に来たのだか という感じになってしまいました。今日は平日でもあり、桜はまだ2、3分咲きであったので、人はまばらで ゆっくりとお散歩するには最高でした。桜を見に行ったのですが、椿が満開で(桜の木以上に椿の木が多いところなのです)とてもきれいでした。大学の坂をずっと上っていくと、そのまま山になり、道沿いに椿の木がたくさん植えられているのです。毎年ここを訪れますが、山の上の方まで上っていくのは遠慮していた私、今年はおなもみとずっと上まで行くことに挑戦。一本一本の木を堪能して、「きれい~~♪」 と二人で声を上げながら、とても素敵な散歩ができました。それから、今日はとってもきれいな夕陽も出ていて、おなもみと夕陽を見に外へ出て、その流れでまたそのまま散歩。「向こうに今日行った大学の桜が見えるね~」などと話をしながら気持のいい空気の中、春を満喫した一日でした。おなもみは帰って、早速夕陽の絵を描いていました。5000アクセスを期に、そしてまた今日は素敵な春を満喫し、気分も新たにまた頑張ります。これからもサファイア日記をよろしくお願いいたします。(伏)
2005.04.01
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