漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

2013.10.16
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カテゴリ: 手塚治虫伝






絵本













        手塚治虫伝 ・ やなせたかし大先生はいつしかたそがれて










手塚治虫先生が逝かれて4半世紀が過ぎ去ってしまいました。

社団法人日本漫画家協会の年次総会では元気もりもりでノリノリの、
やなせたかしさんは必ず毎年のようにお会いしては必ず親しく歓談してくださった。

手塚プロダクションのイベントが宝塚で催された時、
僕も漫画教室を担当しやなせたかし大先生は子供達の前で舞台に上っておおはしゃぎして、
お好み焼きのコテを両手で振り回しつつヤキゾバマンの舞踏を披露していらっしゃった。

僕の亡き母と同年の大正9年出生で亡き森光子さんとも同い年だった。

この絵本は著者謹呈本で御座いました。




                                    たそがれて
                                    わずかに  
                                    残る
                                    うすあかり



人生いつしかたそがれてさしたることもないままに終わりの時が近づいた
ここから先はオマケだし
愛欲煩悩の愁いもなく無邪気に咲いた花を見る

                         たそがれ
                         やなせたかし


もうお会いできる事がかなわなくなってしまったのだなあ。
















年賀状













年賀状がやってきた時はまだまだもっと大丈夫だと思っていました。


さほど年老いたとは感じられないあいかわらずのやなせたかし大先生でした。

阪神淡路大震災の頃日本漫画家協会の関西支部長だった時、
陣頭指揮を執って活発に漫画家なりのボランティアをフルスロットルで始めた時、



                             なにかのためにお使いなさい

という現金が10万円おくられてきました。

合計100万なにがしの寄付が出来ましたと夜半にやなせたかし大先生に報告しました。

やなせたかしさんは


                            「 あ それはよかったね 」

と申しておりました。
後日東京の漫画家さんたちは僕のミスをこう指摘してくれました。



                   「 玉地さんそりゃ違うよ
                     やなせセンセはね
                     支部長として何かと物入りだろうから
                     あんたに自由に使いなよって送ったんだよ 」

う~んそうだったのかもしれないな。










裏表紙













やなせたかし大先生は94才で逝かれた。
手塚治虫先生は59才で逝かれた。
園山俊二さんも石森章太郎さんも山根赤鬼さんも馬場のぼるさんももういらっしゃらない。

人生はなかなか覚めない長い永い夢を見ているのではないだろうかともおもっています。

ちばてつやさんが現在の理事長をなさっている。
僕も残されたオマケをそっと生きよう。



















社団法人日本漫画家協会会員

                                      玉地俊雄





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最終更新日  2013.10.16 10:01:29


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