コミュニケーションの達人への道その2

コミュニケーションの達人への道その2

2008.01.13
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カテゴリ: 仕事・ビジネス
コーチって立場で仕事をしていると普段日常的な発想とは違うことで
物事を検討したりする。

たとえば、「起きていることは、自分に源がある」という発想だ。
これは文字では伝わりにくいが、「***のせい」という感覚とは
ちょっと違う。

たとえば、筋肉トレーニングをすれば筋肉がつくというのは自明のこと
だが、それぐらい自明で起きていることの源が自分だということだ。
「理由が自分だ」というのもちょっと感覚とは違うのだが、筋トレの
比喩でいくと、腕を鍛えるための筋トレをしていたら、腕に筋肉が

そういうふうに、適切なことを行うと適切なことが起きる。
しかし、自分を取り巻く環境はそういった筋トレのようにシンプルではないか、あるいは、正確には「何と何がつながっているか?」が誰も正確に言い当てられないので、何に手をかけると何が起きるということは
なかなか言えない。

しかし、一般的に、こうは言える。
コーチをしていて感じるのは「その人が言っていることがその人自身だ」ということだ。
たとえば、ある課長が「私の部下はみんなバカだ」と言っていたら、実際に、部下がバカの場合もあるだろうが、それが1人や2人ではなくて、10人だったら、と類推してみれば多分それは部下の問題ではなくて、上司の問題である。実際は数の問題ではなくて、「人がどう見えるか?」ということは自分の方にポイントがある。

だから、他人と過去を変えることはできない、とは言うものの技術的には、自分を変えさえすれば、他人は変わる、ということは言える。

コーチングのおもしろいところは、自分を扱うと他人、いやそれどころか、「世界が変わる」ように見えることだ。

そんなのが簡単なコーチングの原理でありテクノロジーなのだが、
最近、とあるコーチングを習っている人と話をしていたら、何というか
「自分が源」というのを使って、都合のいいことを言っている、人がいるな、と思った。


そこで、私は、二つの視点を持つ。「その人が自分で自らコーチングを使って成果を出した」ということだ。そして、「その人に影響を与えられた自分のことをほめてあげよう」という二つの視点だ。
もし、「コーチング」が結果を出したのなら、あるいはコーチングをしているコーチが相手に結果を出したのなら、その結果を出した人は、相手に依存して、また何度も何度もコーチを依頼しなくてはならなくなる。
果たして、それが「ある能力が開いた」とか「技術を習得した」といえるのだろうか?ということなのである。
そもそも、その人に何か自分の殻を破って、いままで予測すらしなかった結果を出す能力が備わっていなかったら、多分、いろいろなことをしても無駄だろう。「成果を出す」という遺伝子はないはずだ。
特徴はあるかもしれない。たとえばじっくり物事に取り組もうというタイプやとにかく動こうというタイプやいろいろな人がとにかくいる。それで、その人のやろうとしていることとその人の特性がうまく絡み合っていなかったら、そこを調整する必要がある。

しかし、どうであれ、本人が成果を出す、という前提が欠如したら、そもそもコーチングなんか成立しようがないはずだ。
ある流派では「起きていることの源が自分だ」という前提がある。また、ある流派では「人は完全だ」という前提がある。
流派によって特徴はあるものの、その前提がいつのまにか、信仰の対象というか、盲目的に受け入れるだけで検証するとか試してみるという姿勢が失われると、違和感が残る。

最近、コーチングをしている人ほど、宗教っぽいなと感じることがある。(もっとも自分も相手にそうおもわれているかもしれませんが)もっとシンプルに考えればいいのに、通じないあるいは違和感のある言葉でしゃべっている。それでたいてい部外者は引く。汗
大事なのはその格言(源とか完全とかの)の背後にある精神というか、姿勢というか態度というか(ちなみに、コーチング畑のの人は、beとかbeingとかあり方などと呼ぶ)それが大事なのに、その精神を体現しないで言葉だけを信じていると、危険なことになりかねない。

最近、とある流派の人と話をしていると、「都合がいいな」と思えることがよくあるように感じた。その構造がわかってきたのは、何十行か前に書いた「相手が自らの力で結果を出した」というのが欠けている人は、「自分が相手に結果を出した」というふうに考えているのだ。
たとえば「源泉が自分だ」というのも、間違えると、根拠もなくて、自分が何にもやっていないのに、「私がやった」と言えなくもない。
たとえば、自分があるチームで働いていてそのチームで成果をあげたときに「私の手柄です」と言ったら多分ひんしゅくを買うだろう。(笑)
しかし、コーチングをしている人は往々にしてこういう発想をする。もちろん、自分が自分をほめてあげるために「自分が結果を出したのだ、やった」とかいうのならそれはそれですばらしいし、自己承認だとは思うのだが、しかし、だんだん解釈がねじまがってきて「えーそれはただそうなっただけで、源泉とかそういうはなしか?」と思える人もいる。
構造として「結果を出した」と敢えて言わなくてはいけないぐらい結果を出していない。つまり言い方が悪いけど、弱い犬ほどよく吠える、のだ。

この都合のよさが自己承認に結びつき自信になって、それで行動が促進されて、本物の結果になれればいいし、またそういう人もいるだろう。しかし、そこに私が聞き取るのは、他人を利用してやろうというか、「自分を中心に世界が回っている」ということを生きている人は、往々にして、周りは自分の駒としてしか見ていないというふうにみえるということだ。

成功している人はそういう発想している人もいるかもしれないが、自分はそういう生き方いやだなーと思う。

コーチが有名になると言うのは本当はおかしいのかもしれない。コーチは自分がコーチした人が有名になることで喜びを感じるぐらいがちょうどいいのでは?しかし、人によっては(自分もそうか?汗)、「コーチです」と名乗るのは誰でもできるので、そう名乗ることで自分のアイデンティティーを持っている人もいるようだ。

コーチは結局クライアント(プレイヤー)によってコーチと認められなければコーチであるはずがないし、クライアントが結果を出すことを通じて自分の喜びを得るという「支援者」としての特性が強いのに、どこかで、プレイヤーより目立ったりするというのも変な感じもする。(商売的にはともかく)

単純に自分が目立ちたい人は他人を通じてというか自分が目立つためのことをすればいいと思うのです。自我のインフレーションが起きるのはどのような分野でもあり得ることだが、しかし、本来的にこの分野のこととはかけ離れていると思います。





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最終更新日  2008.01.16 11:15:12
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