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ピザ屋本とあるサイトで紹介されています。 誰つながりかわかりませんが(身内ネタではない、ということは確認 してます)、出版社も記事広告出したわけではないので、奇特なお方が いるものだと思います(笑) 記事書いて下さった方ありあとうございます。 ちょっと引用すると・・・ 本書はビジネス書が楽しいと思える一冊である。 私も読みながら、何度もうなずき、時に笑い、そして楽しいと感じながら読めたのはビジネス書とて、久方記憶にない。 誰にとっても受け入れやすい一冊ではないだろうか。 著書はコーチングコーチと、薬学博士・薬剤師によって書かれた共著であり、分野が違う二人が手がけたからこそ、多面的に書かれているのも、本書の特徴である。 自分のビジネスについて、これまで以上のものを作りたいと思ったり、今の状況を打破したいと思う方に、特にお勧めの一冊である。 http://www.ohmylife.jp/life/art/ohmylife_taiken/580 ありがたい限りです。
2009.02.11
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謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年も宜しくお願い申し上げます。
2009.01.01
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アマゾンで情報が掲載されました。 なぜか、近藤だけが著者になっているのですが(汗)、共著の岩堀さんも掲載されるようにいま修正作業しておりますが、とりあえず、情報だけ。 「医療コミュニケーション」 というタイトルです。ぜひご一読下さいませ.
2008.12.01
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本日の日経新聞の日経Plus 1にインタビュー(の結果)が掲載されました。 内容はあまりコミュニケーションのコアでもないですが、よくまとまってますね
2008.11.22
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11月26日(水)付の朝日新聞 『ブックタイムス』というところに 広告が出るそうですので、もし、朝日ご覧の方はご一読願います。 「ピザ屋を読んだらそのまま帰すな!」 はこちらをご参照下さい
2008.11.21
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初冬の候、益々ご清栄の事とお慶び申し上げます。さて、この度、拙著6冊目となります書籍を上梓いたしました。題名は、「ピザ屋を呼んだら、そのまま帰すな!」(近藤直樹・岩堀禎廣 著 出版社、Transworld Japan)というおよそビジネス書には珍しいタイトルにいたしました。本書は、「学習する組織」という組織にとっては、如何に職場が「創発的な場」となるか?というきわめて、難解なテーマに沿って学術的に難しく展開するのではなく、日常的にあり得るエピソードをもとに展開しております。ご興味ご関心をお持ちになった読者の方が、本格的に「学習する組織」構築に第一歩を踏み込んでいただければ、と思いました。近年、「対話」が欠けているといろいろなところで伺います。また、ジェネレーションギャップももちろんそうですが、日本には徹底的に「対話力」が欠けているのだと実感します。組織力とは、つまるところ「対話力」だと実感しております。個人の能力がどれだけ高まっても(そして、それには限界があります)、それが組織力にならないのは、集団が集まったのが一つの「知恵」として昇華する力、つまり、集合知のつくりかたに課題があるのだと思います。その集合知の一助となるために、この度の本を執筆いたしました。単なる、効率的なホウレンソウにとどまらない本質的な対話力を活かし、チーム力、組織力を如何に高めるか?が本書のテーマでございます。さて、この度、出版パーティーを行おうとしておりましたところ、なんと、「学習学」の(日本コーチ協会理事でもある)本間正人先生がゲストとして参加してご協力下さることになりました。(本間先生の詳細は、http://www.renaissance-eyes.com/request/2007/09/post_175.html をご参考下さいませ)まじめに、また、砕けた学習会とパーティーが半分づつのイベントになる予定でございます。テクノブレーン社様のご協力により、渋谷の中心部を見下ろせる、とてもきれいな場所で開催させていただきます。お忙しいとは存じますが、ぜひ、ご参加いただきますよう宜しくお願い申し上げます。 記日時:12月13日(土) 17:00-21:00ごろ(開場16:45)場所の詳細は、お申し込みいただいた方にお知らせ申し上げます。内容:17時から、本間先生、近藤・岩堀3名がファシリテータを務めさせて頂きワールドカフェ・ダイアローグを行います。ダイアローグの区切れがいいところで、適宜、立食パーティーに入ります予定でございます。会費:4000円(会場にてお願いします)恐れ入りますが、ご参加いただける場合は、会場の都合上、12/6頃までに以下の3点をご記入し、nao宛メッセージにてご連絡を願います。また、未確定の場合はその場合でも承りますので、その旨お伝え下さいますと幸いです。1.お名前2.ご職業(役職)3.一言メッセージでは、お会いできることを楽しみにしております。
2008.11.20
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なんか、ほんとーにいろいろ書きたいことがあるけど、ほんとーに! でも、なんか、いまふっと沸いてきたのは、とても楽しい場だったし、なんというか「違う世界の人が一つに交わる」感が良かったなーと思います。 感謝するとか、ありがとうと言う言葉が陳腐なぐらい、違う時間、違う流れが、同じ場所で一つの接点になる、そんなことがとても楽しいです。 いつでも、どこでも、出会えるし、そこから何かを始めることができる。 ものすごい盛況でした。用意してきた本がなくなりました(最低、48人来たってことですね)でも、人が何名来たかなんかよりも、新しい出会いになったらいいなーと思います。過去最高とか、そんなのは、陳腐なことだなって思う。(人が多くくることは単純にうれしいことですが) めんどくさくて、今回は、「直感的に」しか誘っていなかったですが、でも、なんというか、「まさに必要な時に」そういう場に居合わせるのだと思います。 昔から知っている人、最近知った人、長い間知っている人、出会ったのは古いけど、あまり会ったことがない人、しょっちゅう会っている人、本当にいろいろな人と「再会」できました。そして、新しく出会えた方も多くいらっしゃいます。 本当に祝福されていたことがとても光栄でした。 ここから何か生まれていくような場であるようなそんな感じはします。 なんか長くなってきましたが、でも、まだ言い尽くせていないと思います。個別にお話しさせていただいたことのすばらしさに比べれば、ほんの序文以上のものではない!!! 新たな視座に向かって、スタートを切る、そんな時間でした。 参加された方、今回は参加できなくなった方、突然参加された方、一部の時間だけ参加された方、いろいろな参加の仕方がありましたが、とても光栄でした。 本当にびっくりだし、そして、愛情をたくさん受け取りました。 ありがとうございました。
2008.09.12
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子育て本アマゾンで購入可能になりました。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862800858?ie=UTF8&tag=beatworkcom-22&link_code=as3&creativeASIN=4862800858&creative=3999&camp=767
2008.07.15
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なんか、ここ数日いろいろ起きています。(笑)研修もかなり深いことやれましたし(今までとより深い感じ)、また、この業界として「神」のような人とお会いしましたし、飲み会・・・でもいろいろ楽しめました。うむ。・・・最近、神ネタおおいな(笑)まあ、でも、何というか、共通するセンスとして「おお」ってのがわかりました。「神」っぽいのは、これがあるからだ、という仮説も成り立ちました。ワニ脳のざわめきを静めるのと、何というか、静かに、そして軽やかに、すっとはいっていく。「真理は自己主張しない」というのは、誰かが言っていたような言葉ですが、そんな感じです。ただ、浸透していくだけなのです。圧倒的、そんな感じですが、そうは見えないです。すごい人はすごく見えないものなのです。後から、じわじわと「どきゅーん」みたいだったり、「がーん」だったり、「すっ」だったり、いろいろな物が自覚できる(ステゴザウルスかわしは。。。汗)というか、何というか、斬る方法も軽いのです。最近「浸透」系はテーマなのですが、すごい。あとは、なんというか、透明な感じで「神」は存在しているので、結局、それがいい影響を与えます。その人の静かな音楽を聴いている。。。偉大な人はそんな印象を得ます。大げさだけど、優れたコーチは「世界が自分だということを附に落とさせる」技術がなければ、コーチではないのです。それはもはや技術ではなくて、「存在そのもの」だと言えます。(自己主張しないという意味はそういうこと)そして、とてもえぐい話しなので、日記に書くのはどうかとも思いますが、欲しかったものが手にはいることになりました。しかも、なんというか、この分野のことやっててよくいわれることですが、ほんとに素敵なことは「手に入れて欲しいと気づいたこと」すなわち「得てみて欲しいとわかったこと」がかなり深いのですが、そんなことが手に入ることになりました。突然の国際電話から、本を書けた話しは、私の講座に参加した人にはお話ししているのでご存じかと思いますが(まあ、企画書も大事だがという文脈で話しをしている・・・・)ある意味、それをも凌駕するというと大げさですが、本当に物事が起きる場合は、時にはとても激しい現象が起きても、あることは起きるっていうんでしょうか。。。。なんというか、世界に自分を開いていると起きる出来事の予測は不可能です。また、とても、自分は愛されていると感じる瞬間がとても多く起こりました。愛されている、貢献されている、そんな感じです。自分がどうやってそういった愛に応えられるか?しか今は興味ないっす。とても大きな贈り物を頂いた数日間でございます。(なぜか丁寧語)
2008.05.24
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。。。アウトレイジャスなあさのはじまり汗
2008.05.23
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と思う今日この頃です。自分のスタイルは。
2008.05.22
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が同時に起きる感じ。 様々な角度の入射角の、段階の違う世界が同時多発的に起きる感じ。
2008.05.21
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ということ大事だと思います。繊細に、かつ、大胆に。
2008.05.20
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・・・思わせぶりなタイトルですいません。 明日の研修に関してはかなり迷いがあったが、これでフィックスした。 迷ったまま何かをするのも悪くはない。 昨日の自分も明日の自分も、今はここにはいない。 今は、いまここにいる自分だけ。 世界がコミュニケーションしていることに心開いているかどうか、である。
2008.05.19
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のパートの訳が終わりました。内容は実は意味がつながっていないところが数カ所ありますが、全体としてはわかるような内容です。 まあ、でも、なんというか、この息づかいいいなと思いますね。 6階層ぶっとばして電話してくる技術者の話なんかなんか笑える。 「本当に学習がはじまってい」なければ、多分、こんな異様なコミュニケーションしないでしょうね。 フィールドブックやはりちゃんと読もうと思いましたです。おそるべし。。。
2008.05.18
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しました。あとは、10万めざしまする。
2008.05.17
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学習する組織(Learning Organization)のPeter Sengeの日本語訳は数冊ありますが、そのうち一番理解に役立つと思われる「最強組織の法則」(徳間)と、「フィールドブック:5つの能力」の訳を少し調べたら、かなり省略されていることがわかりました。 まだ不要な部分をカットだけなら問題ないのですが、どうも、「必要なところ」もカットされているようです。 そこで、改訂訳をだしたいところですがそれは結構大変なので、少なくとも「この文章が抜けてるよ」っていうレファレンスをつくろうとおもっています。 いまのところ数名の人でやろうとしていますが、この手の作業は分担した方が楽なので、協力してくれる人を募集します。 また、逐語訳はやりませんが、日本語テキストと、英語原書を比較するので、ある程度英語は読めた方がいいです。 メールでやりとりできる人(メッセでもいいです)であればどなたでもOKっす。役割分担を決めたら自分のパートをちゃんとやってくれる人だとありがたいですが、なにぶん、ボランティアベースの取り組みなので、1週間後に終わらせるという約束が2週間後になったからといって誰も怒る人はいない・・と信じよう。 最初はフィールドブック5つの能力からやります。 ご関心ある方はnaoまでご連絡下さい。 テキストはご自身でご調達してください。 委細はご相談ください。
2008.05.16
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という感覚は最近とみに多くなっている。 あるいは世界を呼んでいるのだろうか? このはざまがなんというか、心地よい。 私はあなた。あなたは私。私の中にあなたがいて、あなたの中に私が居る、ということを言えるときに、「私」は存在する。 「私」が存在する証明は、関係性の中にしかない。 君がそこにいてくれてよかった、という感覚である。 「偉大さ」は特別な人についての言葉ではなく、多くの人が持っていると信じている。 今日は、自分は、世界と対峙してきたのだろうか? 明日は対峙するのだろうか? そのこと以外に興味ないというと言い過ぎか? ・・・なんか、文章キレがないがそれはそれで。
2008.05.16
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とはよくいいますが、全体的に、「つながっていく」過程で、 いろいろな側面が見えてきます。 自分の人生に誰かがいるし、誰かの人生に自分がいる。 その相互の作用が多分「他者」という謎を解き明かすとは思います。 何か人生(大上段にいうと)が「収束」していく感じが楽しいなと 思う今日この頃です。 ところで、「引き寄せの法則」が、「現象としては正しいとは言えない」ということがわかりました。引き寄せの法則自体は正しいのかもしれませんが、要は、「制御できない」という話しです。 まあ、もっとも、あまり言うと、自分が言っているコーチングも、 引き寄せの法則を含むから破綻する危険もある。(笑) まあ、うだうだいってないで、原著を精査してみるかを見てみます。 「興味深い現象」だとしても、それを扱えなかったら、ただの「不思議なこともあるもんだ」で終わってしまう。 3次元的な現象としてコントロールするには、そもそも、物理次元にないよ、って話しだとしても、「じゃあ、どうやって扱うのか?」という謎が残ってしまいます。 「間違っている」とは思いませんが、これら不思議現象に関しては、「どう扱うか」あるいは「どうやって使えるようにするか」というのは、結局のところ、経験論的になってしまうのですが、しかし、法則といってしまうのならば、「いつでも使える」ということになり果たして・・というのは疑問ではありますね。 「引き寄せの法則」マニアは結構多いのですが、自分が興味有るのは「それって使えてるの?」しかあんまり興味ない。ただの知識バカじゃんとか思ったりひねてみたりするのであります。 じゃ。
2008.05.15
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と、最近思っていますが、ほんとにそうだと実感します。 自分自身の研修のシステムの再構築の必然性に駆られています。 いままで、ごにょごにょ言っていたのが、実は、かなり整合性がある 説明が可能になったのであります。(中身は言わない・・みたいな汗) 前も似たようなことを書いたけど、 「私」が世界に起こしているのか、「私」の世界に起きているのか、 「私」が世界から起きていることに対応しているだけなのか?どれでもいい気もするし、呼応しているような気がします。ほんとうに。 多分、仮説ですが、まだ見えてないだけで、精緻に世界と自分は一致しているのではないか?とすら思えてきます。 「引き寄せ」というと、世界と自分に分離感がある言い方だ。 なぜなら、世界より自分が小さいから「引き寄せる」必要があるからだ。もし、「ひきよせられている」のが自分の一部だとしたら(つまり世界は自分の中にあるという意味でもあるが)、わざわざ引き寄せなくても、「もともとあったこと(もの)に気づく」だけだとも言える。 そのまま語るとあやしくなるのですが(汗)、しかし、起きることはどうみても「仕組まれている」としか思えないようにしか物事は起きない。無理やり起こしても、すぐに消える。多分それは何かのフェイクだからである。 そんなふうに思うと、世界にどれだけ応えるか?だけだと言い切ってしまいたくもなる誘惑に駆られる。 しかし、確定と仮定との間に自分を置いておくのが一番前進になるような気もする。世界には謎があった方が楽しいからである。 「私」という現象がそれが全てだとは言わないにしても、かなり「私」を拡張しなくてはならなくなるような部分(多分、通常の認識で「世界」と言っているのが私である)まで「私」だと言ってもいいと思います。 さて、そういうグランドデザインとして、世界をどう楽しむか?ということの方が健全なんだろうと思います。 ・・・なんか、あまり新しいこといってなくてすんません。
2008.05.14
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と、ようやく思えるようになってきました(笑) まじめな自分もいるし、不真面目な自分もいますが、まあ、よほどひどいことでもしない限り、まじめなんだと思う今日この頃(笑)。 ところで、昨日は、某氏と某氏とを引き合わせて盛り上がりました。 多分、仕組まれているように時間もアレンジされているという。。。 不思議なもんだなと相変わらず思う。(まあ、偶然だとも言ってしまえばしまえますが・・・) 自分自身「つなげる」「つながる」がなんかのテーマなんですが、そこに、「貢献」とかあると結構うれしいっすよね。 ひとつ前進しただけでもうれしいですね。。次は何を起こそうか・・・とたくらんでおります。(悪巧み系 笑) どれだけつながれるか?はテーマだと思います。
2008.05.13
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世界と対峙する。
2008.05.12
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以前、自著を出したときに出版パーティーに来ていただいたたまきさんという方の出版パーティーのお誘いがあったので行ってきました。 女性がとても多く、なんか、めんくらっていましたが(いちおう読者層が、シングル女性ということでしたので・・・)いろいろな方と話しができて、とても楽しめました。 ちなみに、本は 「開運マンション選び」柏木 珠希 著 すばる舎 http://www.amazon.co.jp/%E9%96%8B%E9%81%8B-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E9%81%B8%E3%81%B3-%E6%9F%8F%E6%9C%A8-%E7%8F%A0%E5%B8%8C/dp/4883997081/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=books&qid=1210439033&sr=8-1 です。私は「シングル女性」ではないですが、ざっとみた感じなかなかおもしろいです(笑)開運か。。。 ところで、帰り際、スクラッチくじをいただきまして、なんと3等があたりました。すごいすごい。最近、この手のくじ運っていいですね。ちょっと前は、コンサートいったら、CDがあたるし、うれしいっす。 ぜひみなさん、マンション興味あるひとは、上記の本買って下さいませ。
2008.05.11
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なんか、最近メールやらメッセで深い話しをする。 メールでは限界があるとは思うのですが、「その人なりの何か」は感じることができる場合もあると思います。 いわないことで何かを伝えようとしているひともいる。 逆にこちらから何かを伝える・・・もありまする。 さて、昨日はとても素敵な場にさそわれていってみた。 よくよく考えてみると、あまり「こういう場」(うまくいえないが)に いくのは機会がないのですが、「シングル女性向けの本」ということで行ってみたのですが(シングル女性じゃなくてもいいのかな?ともおもいつつも)なんか、普段自分がいくような場とも違う。おもしろいっす。 とても感謝でありまする。
2008.05.10
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出来事は次の出来事をうむ。 生きるとは「出来事することだ」ととある「偉大な」コーチの言葉を借りて言ってみよう。 寝るがあったり、1億円もうけることだったり、誰かをだますこと。。。。ちょっとまて。何でもってわけじゃないだろう。 でも、この大きいことだったり、小さな事だったり、いろいろなベクトルが自分の中で一つになる。 どれだけ些細なこの小さな出来事でも、愛し続けることなのか?が 自分の生きる証なのだろう。 to be or not to be...みたいなものだと了解されたし。
2008.05.09
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午後1で、医療本のMTGと、次の本の企画の素案のブレストを行った。 会話していて思ったのは、本筋とは関係ない背景的な会話が実は 一番前進させるのかな~とも思います。 なんとなくですが。 午後、定期的な「アサジョーリの会」(正式名称はない)の定期的 MTGをしました。思うのですが、かなり異色な組み合わせ。。。 私はこの場はこの場で好きですね。自分をみる機会になっています。 思うのはいままで、コーチングは理論ではなくて実践を重視してきました。 しかし、実践はときには、自分が「はまる」ときは抜け出られなくなります。 「できれば、語れる」は何でもそうでしょう。自転車に乗れる人は、 少なくとも乗れたことの「理屈」を語れる。理屈をしっていれば決して自転車を乗れるわけではないですが、「はまっている」ときは、「この失敗は先ほどと同じ性質のか、全く異質か」ということを見定められれば学習は進んでいると言えます。 理論ばっかりで頭でっかちになっても無意味ですが、しかし、理屈なしの体感だけ重視というのもどうかと思います。 欠点だけを言えば、 感性派は、過去の継続をつくりだしやすい。 理性派は、現実での行動が置きにくい という特徴があります。しかし、右脳派と左脳派のように、どちらを 使えばいいということでもないと思います。 比較的左脳派が多い世界だと右脳も使えるとうまくいきますが、しかし、たとえば素人が音楽を聴くときは左脳で聴くとうまく歌えるのです。(リズムにのれる、楽器がよくきこえる。。。) どちらか?ではなく、両方を統合的に使うのがいいと思うのですが、右脳だけだとこのバランスが極端過ぎると思います。 この行き来大事だと思います。 なんかかんじとして、「ゴールはもうすぐだ」というかんじがします。 本だけじゃなくて。
2008.05.08
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いま統一場心理学のコミュでいろいろな対話をしておりますが、 これがおもしろい。「あつい」とか言っておきながらコミュが暑いのではなくて、自分が勝手に、あついだけかもしれないです。 一人地球温暖化状態っす(って、別のところでウケタ方いらっしゃるでしょうね。。。自爆系かなり勇気あるギャグ) かなり「お金とれるんじゃないの?」的なつっこんだ話しも展開しております。お暇な方か、コーチングと心理学のとーごーをみたい(ゴルゴ13ではない)方は、ぜひ、どうぞ! 統一場心理学 | 仮説 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30583786&comment_count=24&comm_id=722064
2008.05.07
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なんとヌースフィアがつぶれます!最後に一度ヌースフィアいってみて下さいませ!http://www.noosphere.co.jp/index.html下記参照:こんちには。お元気ですか。 田町にあるダイニングカフェ・ヌースフィアが閉店します。 2003年から第一水曜日には毎月そこで会食をしていたのですが、 今度の5月7日(水)が最後になります。 そこでいままでに第一水曜日にいらしたみなさんに こうしてお声をかけています。 もし5月7日(水)の夜の予定が空いていましたら ぜひいらしてください。 最後の第一水曜日を一緒に過ごしましょう。 ご返信お待ちしてます。
2008.05.06
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昨日、最強のエコマラソナーである西一(にし・はじめ)さんと再会した。一時期彼のワークショップを手伝っていたこともあり、また、HPもリニューアルされる前にかなり深くコミットしていたのもあり、すごくひさびさだった。ちょっとしたきっかけで連絡をとったら、なんと本日(昨日から見たら「次の日」)にバンコクへ経つというご連絡を頂き、「あ、じゃあ、いまから行きます」というご連絡をしてあわてて佐倉の実家(成田が近いので)にいった。なんと、衝撃だったのは59才になって、543ものフルマラソン(一部100マイルとかヒマラヤのマラソンとかすごいのがある)を走っているという事実と、一昨年72もの(1年間に!)マラソンを走ったとう出来事であった。しかし、彼曰く、数は問題じゃない、といつもいっている。数は結果であって、走っていったら数は増える。ギネス記録も勝手についてきたようなものであって・・・インスピレーションをどれだけの人に与えているかどうか?が大事なのだそうだ。昨年にRunner's Worldだかの雑誌に3ページにもわたって掲載されたそうで、「エコロジー」と「マラソン」のつながりをようやっと人々が認識してきた、という話しを伺いました。20代前半ばに、ブラジルで建築の仕事をして(デザインだったか?)、ドルを国外にあまり持ちさせないため、化石に変えて、博物館に売ったとか、ビデオ通販で日本一になる仕事をしていたとかいろいろな伝説があるのですが、今は走ることを「ミッション」と言っていろいろな国を走っている。昨年レントゲンをとってもらって、手術するまで(ザグレブマラソン後)に、年間40ものマラソンを走ったそうだ。(つまり57才と58才の年に全部で怪我の前に、120近く走ったということですね)いま、543回、500種類(リピートなしという意味)のマラソンを走ったそうですが、これから残り500を走るのには休養が必要だったと言っている。おそろしいオヤジだ。いつも、西さんとお会いするたびに人の可能性の大きさに気づかされる。ちまちましていることがばかみたいに思えるのである。
2008.05.06
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を解消する。今の現実を前進させるため
2008.05.05
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よくよく考えてみると、思考をゆっくりとしてみると、ここ数日の「結果」はものすごいものでした。とはっきりと言える。 木曜日のダイアローグは近年ないぐらい(?)の場のつくりかたを見せた。 つまり、通常、私自身のやり方として「明確化系(通じる人には「分別系」と言う)=行動系」のコーチングを得意としていると思っていたのだが、実は、明確化=行動系のコーチングは、限界がある。 つまり、目標やら方向性がぴったりきていないと、付け刃的になる。 「コーチング」に限らないが、人を深く見ていると、とてもじゃないけど、表層をいじっても何にも無意味である。 newbeeというか、初心者には「行動力」でいい。しかし、ほとんどの人は、行動ができない、とか「やれば成果でるんだけど、いまいち・・・」とか「疲れた」などの反応に負けることもある。 それが、従来的な、weekな方向性だと「そういうときもあるさ」などと優しさが機能する場合もあるが、それはそれで、「優しさ」から、人の力を奪うようなコンテクスト(=あり方=パラダイム=枠組み=聴かれる場=背景=器・・・なんでもいいけど)になるのであります。 癒しが持続しないのは、「癒しのツボ」がずれると、その人を止める道具になるのであります。 そんなわけで、「明確」系のコーチング(いわゆる方法論はこの類ですな)が機能しないのは、背景がどうのというのを考慮なしに無理にやるから、一回はうまくいくが持続しない。 そこで、機能するのが「創作系」のコーチングなのだが、これがとても伝えるのが難しい。「これが創作だ」といった場合、その瞬間に相手は「そういうものだ」と理解脳が働き、その瞬間に創作ではなくなる。なので、よくやるのは、まず、無意味にやらせてみて、体感してもらい、そこを理論を見せるという方法論があるのだが、これは相手の真摯さを要求する。また、コーチ自らも、いる場所をしょっちゅう動かないと、自己欺瞞の罠にはまる(ここらへんは、アバターの教科書に明解に書いてある内容でもあるが)。そういう意味ではリクルートという会社はしょっちゅう動かしているから、とても「創作」には役に立つ。この創作をつくる場のことを「混沌」と言ってみたりする。 さて、それを前提に(最近長文だとレスがなくてさびすぃ)すると、 木曜日のダイアローグは、敢えて、その明確化と混沌を同時に入れた(そして「許容」を創作したわけでもなく)ような場をつくってみた。 とある人に私のスタイルを評してもらったときに、「染み込むように働きかけ、心の土台から変身させてしまう」という表現をして頂いたが、まさに、そういう場をつくることに成功した。 結果的に、意図的に「明確しない」ことを選択したというか、あるコンテンツをコンテクスト化することで(さらに、もう一枚かますことができた、と敢えて言おう)そのコンテンツが勝手に変容した。 簡単に言うと、創作系の場合は、人の現れ方が変わるので、本質的に何もしなくても前進するのである。(ま、おどってればいいって感じでしょうか)必要なものが場から取り出せるような構造ができる。 その「場」の構造を持ち歩いて、金曜日は午前中セッション! 内容は主催していただいた方の内容をご参考下さい Kawamuraさん | マイミクのnaoさん、ありがとうございましたm(__)m http://mixi.jp/view_diary.pl?id=794133874&owner_id=477524&comment_count=1 (mixiのIDないとごめんなさい汗)場として、木曜日のダイアローグの場をいい感じでひっぱってきた感じ。場は伝播する。 午後は、マイミクの人とお会いして話しがもりあがる。 なんと、自分がよく講座で話しているネタに関係有る場面に出くわしていた。「ビジョンがとても明確なある会社のすごい部長の話」を時々するのですが、なんと同じ部長に面接受けていたという。。。ことでした。マイミクの元部下の人でしたが、とても、おもしろい「ナイス」な偶然でした。 夜は、午前中のセッションの人と飲みながら、フォローしながら、とある人の真剣さを頂く。 なんというか、元気さというか、パワフルな人といるとこちらもパワーがでてきてうれしいですね。。。 土曜日は、姪っ子に初めて会う(1.5才)これが、元気な娘で、じっとしていられなくなり、すぐに、「旅に出る」(笑)最初は怪訝そうな感じで、抱っこすると、あからさまにいやな感じだが、だんだん、なつく。(後ずさりはする汗)最後に抱っこしてもいやがらず。。。次は、「あ!」とかいいながら、何かを要求される伯父になろうとおもう。(笑) 今日は、とある人のリクエストで、世界の543ものフルマラソンを「エコマラソン」として走っていた西さんに「南アフリカの情報ないっすか?」などとメールを送ったら(習慣的に、西さんは、海外にいることが多いので、英語でメールを書いてしまう・・・)すぐに返事が来た。実は去年の10月以来(ってそんなにたってないじゃん)怪我をして、マラソンを控えているそうです。(ザグレブマラソンのあとに、ポルトガルのポルトで医者にレントゲンをとってもらったところ、いまは休養することになったらしいです)なんと、60才近くで年間に50ものマラソンを走る(543のマラソンのうちほとんどが、40才を超えてからの偉業だ)というのもすごいおじさんですが、彼に初めて、ギネス記録の認定証(certificate)を見せて頂いた(もう破られているが、元ギネス記録保持者なのだ)。近々お会いしようと思います。 これから何人の人とお会いできるかわからないけど、これからももっとパワフルな人といっしょに仕事をしていきたいと思う今日この頃でした。
2008.05.04
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ほうが本質的なような気もします
2008.05.03
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勇気づけの中で、育ち、光栄さと感謝の中で成長する。 午前中元気な明るい集団で、普段やらないようなチャレンジをしました。「お互いに」 このことは、自分の中でも、まとまっていないながらも本質に「入り込む」ことができたと思います。情報量は半端じゃないです。ほんとうに。 午後、某氏と会食しながらいろいろ話す。。。午前中の勢いを引きずっていたため自分が話しすぎたため、反省。 夕方、元気な集団との飲み会。でも、何かサイクルが閉じた感じがします。いまは、奇跡を創作するのみです。
2008.05.02
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いらした方は、何かメッセージをお残し下さい。
2008.05.01
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どこかに落ち着こうとする自分と特別であらねばという自分に感謝しつつ手放す。
2008.05.01
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うまくっているほど完了を創作するべきである 次をつくるために、一度からっぽにする必要がある。 何気ないひとことが寂しさを産んだり継続性をつくったりするのであるが、しかし、このことは喜ぶべきである。 「アルケミスト」の王様が、羊飼いに邂逅して神に祈る言葉のように、 私は叫ぶかもしれない。 命がけのレースは次をつくった時点で一度手放す。 ありがとうという言葉は「有る」ことが「難しい」と書く。 このバランスともいうべき狭間を歩いてきたことがまさにチャレンジそのものである。何かができるか?なんてことは問うべきですらない。 本当にありがとう。 成長を約束して、完了を創作する そう、奇跡は予言しかできないのである。
2008.04.30
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人が自分の人生にリアルな実感をもって「現れる」キーワードとしていろいろなことがいろいろ言われている。 中でも、「広告を出す」とか「マーケティング」は、あまり実は些末なことではないか?と思っている。 かなり前に師匠に「プレゼンス」が大事だと言われたことがある。 プレゼンスとは、存在感とか、「今にいる」ということであるが、 誰かが自分の人生に入ってくる、あるいは、自分がその人の人生に入っていく、ということが起きる背景として、存在している、ことが大事である。 コーチングのセミナーをやっているのに、出前の注文が来たら、やはりおかしいとは言える。(笑)しかし、気づいてはいないが、私たちは、思考のフィルターに囚われることによって、出前の注文が来ていることに気づかない。そして、下手すると自分が出前をしているのだ(汗) 自分の周りに起きている存在や会話、プロセス、いや世界そのものが、自分だ、と仮定してみると、私たちは、「無力だ」と自分を洗脳し続けてはいるものの、実は自分が対処するべき事の大きさに気づくだろう。 時まさに至ったときの考え、という言葉がユーゴーにあるそうだ(孫引きで申し訳ないが)。そして、いま、その感覚が自分にはリアルである。 何かを始めるのにはいいタイミングだし、いい人が集まってきている。 「私」は周りの人との相対的な関係での「私」しかないとしたら、世界に起きていると思えるのも実は「私」の反映だといえるかもしれない(本当は「一部」と言い切りたいところだが、他社性はどうしても課題としてあるのだ) 私はどこにいるのか?ということの質問については、シンプルである必要がある。
2008.04.29
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・・・といっても、Raymond Carver ではない。 物事が動くときはいっきにうごくということをあらためて感じた。 コミュニケーションの動かし方が尋常じゃなく、そして、意味があるような形をもって、一気に方向づく。 だらだら&ハイスピードを交互にやるとだれる。 全てを再構築する時期だとほんとに感じる。 voyager1&2は、ものすごいスピードで惑星をすり抜ける。そして、 そのものすごいスピードのまま映像を地球におくってきた。。。その話しも20年以上も前の話。冥王星が海王星の内側にはいる前に。 人と人が関わるのは、この軌道が交わるほんの一瞬だけなのかもしれません。
2008.04.28
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先週末、Paul Winterという人のコンサートを聴きにいった。 たまたま、とある人にご招待されて言ったという話しはいつぞやの 日記で書きました。 そこで、アンケートを書いたら、CDが当たるという幸運に恵まれて、 CDを聴いている。 For the Beauty of the Earth.というタイトルだ。 サックスは、人が話しているような感じがして、とても気持ちが良い。 鯨の声が入っていたりもして、楽しくなってくる。楽しく、優しく・・・・バリエーションがかなりある。 聴いているだけでいろいろ忘れられる。
2008.04.27
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学者は、時に頭でっかちになって珍理論を言う人がいる。 仮説なら全く問題ないし、そこから未来が開かれることもある。 しかし、昨日のTBSのR30の武田氏の話はなんか、論理的な話しとしても危険だなーと思う。 細かいデータの反論は下記を参考にしていただくとして、お伝えしたいことがあるのは・・・ http://www.news.janjan.jp/culture/0707/0707018158/1.php 全体像が見えているか?「南極の氷が溶ける溶けない」という議論はあるが、それも規模も違う地球規模になると、予測できなかったりする。 上記の鉄田さんのブログによると、そもそも、ねつ造されているらしいというのは、そもそもとして論外なのだが、しかし、些末な微妙なデータにこだわるからあっちこっちにいくのかなとも思う。 昨日、えーと素直に思ったのは、恐竜時代の平均気温と比べてどうのこうのという話しだが、それも、結局、化石などからみた間接的な証拠を集めた「仮説」しかないのと、あとは、「短期間でこれだけ上昇するといろいろな悪影響がある」という話しではないでしょうか。 「日本では、温暖化でいい影響がある」などと平気で言う氏には腹立たしさを超えてあきれてくる。クラゲが巨大化して漁業に悪影響がでているというのは、「日本はいい影響がある」などと言えるのか?と思う。 全く世の中で起きている出来事も知らずに・・・・と思います。 なんで、こんなインチキ教授TVに出すのだろうと私は思ってしまう。 議論もよくよくみると、些末なことが一般的な話しのようにすり替える詭弁であるように見える。
2008.04.26
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セミナーでよくいう形のメッセージで、「この**を学べば、あなたは年収*千万円になります」などと言ってみたり、そこまで、金の亡者的なメッセージではないにしても、「あなたは、このセミナーを受講することで、**ができるようになる」というメッセージがあります。 このことを一般化して言うと、 「この特別なスキルを身につけると、あなたは、特別になれます」ということであります。この特別の中にてきとーな何かを代入すれば方程式のできあがり(もとい、これ自体が方程式だ)です。 さて、メンタルモデルといっても、コンテクストといっても、あり方といっても、信念といっても、信念体系(A-B-C理論とか懐かしいな)といっても、器といっても、背景といっても、パラダイムといっても、何でもいいですが(さらに付け加えると、枠組み、「聴かれる場」、Be、Beingなどがある。。。いま思いつかないが10や30は軽く出てくるでしょう。。。。機能するセミナーの言葉を使えば!)、そのメンタルモデルあるいはコンテクストにあるのは、「特別なことを身につけると特別になれる」ということでわかることは、背後に隠れているのは「あなたは特別じゃない」ということだ。 莫大なセミナーがあり、そして、そのセミナーによってはちゃんと全部のコースを習得するまでに、何百万もかかるのもある。いや、一回は3,40万円だとしても、それに何度も数年間通っているうちに、いつの間にか、200万円とか300万円とかお金を払っているというふうになるのもある。 しかし、なぜ、セミナーという場ではうまくいくワーク(エクササイズ)が娑婆にいって通用しなくなるのだろうか?(娑婆:セミナーじゃないところ、たとえば会社で、とか家庭でという意味合い)ということに対する答えは、「セミナーがだめだめ」というケースもあるでしょうが(ほんとにひどいのもあるしな~ 汗)しかし、そうではなくて、むしろ、そのセミナーいやいわゆる「セミナー」というものがもつコンテクスト(メンタルモデル)の抗しがたい枠組み(こういうとパラダイムちっくですね)があり、その枠組みの中での作業だからではないか?と思われる。 つまり、セミナーとは、一般的に「このセミナーの中で話されることは『特別なことだ』」というコンテクスト(メンタルモデル)を持っている。 つまり、日常生活では「ごくありふれた」或いは「普通である」というコンテクストがあるのだが、セミナーの「特別だ」というコンテクスト相反する。正確に言いましょう。やや理屈っぽくいうと、「特別だ」は、実は、コンテクストではなくて、コンテンツ化するのである。 コンテクストの上で、あるコンテンツは機能するが、そのコンテンツの土台がないまま、セミナーで「特別なこと」を教えられても、「普通」というコンテクストでは通用しなくなる。普通というコンテクストの中に、「特別」というコンテンツが存在する。 これがひどくなると、頭でっかちあるいは、「知っているだけ」「口だけ番長」状態になる。そこまではさすがにいくと、誰でも「だめじゃん」と気づくのだが、少なくとも『知っている』と何かできる、というメンタルモデルがあるので、それはそれで、気づかない構造ができている。 「私はあなたに知らないことを教えて差し上げましょう」という講師のコンテクストは、多かれ少なかれ受講生に、知識だけの人を創り出す。(講師がコンテクストだとすると、受講生がコンテンツになっている) ただし、ときどき、受講生でそれなりに機能するコンテクストを動かせる人がいるので、「知識だけ」とみなさんが気づかないのは、それなりに成果を出す人が数十人に一人だけいるからである。極端に言えば、50人受講して、1人だけうまくいったとする。そして、うまくいった1人は声高に「私はこれで年収*千万円いきました」などとかたる。そうすると、49人の失敗例は無視される。(確率論的に言えば1/50だが)または、「成功した1例になればいいや」というふうになる。実はその1例は例外とも言えると思うのですが、しかし、そんなことは誰も気にしない。 うまいこと伝えられませんが、ようは「特別」というコンテクストを持っている場、あるいは、講師、あるいはセミナーの宣伝文句を見るたびに、私は「やばいな~」と思うのです。もちろん、セミナーの宣伝は誰もが「私のセミナーは世界の問題を全部解決しました」などというのであるから、それはそれでしょうがないとも言えるのだが、しかし、時々、「うそじゃん」みたいな人もいるからどうかなと思うときもあります。 実は、これはセミナーだけじゃなくて、ところどころにある「特別」VS「普通」のコンテクスト(メンタルモデル)の対立の構図ではあります。 特別さは、相手に「できない人」というコンテクストの上にのっける。あるいは、メンタルモデルを伝播する。 普通のメンタルモデル、あるいは、普通ということの背後にあるコンテクストについての探究が整地に行いたいところであるが、そこには、「人を信頼する」というのが含まれていると思う。
2008.04.25
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何がとても大事かというと、多分、「その人にふれた」瞬間である。 それ以上のことは、ないし、多分、それが楽しいから「人とやる」ってことをやり続けるのだと思います。 今日は(昨日か)、その人の深さにふれた瞬間がありました。 セッションじゃなくても、その感覚がある。 とても大事な瞬間です。暖かさや優しさが伝わってくれば、何というか、言い方変だけど、何でも協力するモードになってしまう自分であります。 何か特別なことがなくても、でも、その人と人生で邂逅する瞬間のために生きているとも言えます。今日は多くの「流れ」が交わりました。 明日はどのぐらいの人と「関わる」ことができるのか?と思います。 「どうでもよさ」とも取られかねない日常的な出来事がとても、そして、すばらしく、暖かく感じられる今日この頃である。小さな自分がバカみたいに思える(汗)。 何かが進行するときは、こんなに、静かに動くのだと思います。 呼応する言葉、文章が自分の中に浸透してくるこの流れの中に自分がいる。(ちょっと鈴木やすひろ風に) 失ったものを嘆いても何もはじまらない。きっと15年もしたらまた出会える瞬間があるのだと思う。時まさに満ち足りた時に、世界が現れる。 「いま、ここに」いる人といっしょに始めることから始めよう。
2008.04.24
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昨日は「学習する組織」のメンタルモデルであった。 メンタルモデルとは「心に地図」と言われたりもするが、単に 「心」というくくりで片付けられない、その人の行動原理や「世界」が どう現れるかを決定するようなそんな「背景」である。人材系の人で通じる人に対しては「コンテクスト」といってもいいでしょう。 そのメンタルモデルはその人が「どう感じるか」を決定している。 だから、何をしゃべっているか?も実は、メンタルモデルが主導している、と言える。つまり私たちは「私が考えたから」と自然におもっている自由さが実は構造化された中にいるから、「そうおわされた」にちかいような、感じになっているのである。 参加者の一人で、とある会社の社長さんが話しをしていたが、その話しがリアルにいい。教科書のお手本になるような「メンタルモデルの発動の仕方」が見えた。いやーべんきょうになりますね。4つぐらい同時に(正確には、一言一言で変わってくる)見えたのですが、それがおおって感じました。 ダイアローグはこういったメンタルモデルを浮き彫りにする作用がある。つまり、ゆっくりと自分のプロセスを語ることで、そのメンタルモデルの構造そのものを浮き上がらせるのだ。 結局のところ、コーチングはメンタルモデルの再構築だともいってもいい。そこに手をつけなければその人の行動原理が変わらないから付け刃的な変化なら可能であるが、本質的には変わらないのである。(まるで別人になったように見えますけどね) そんなことで、様々なメンタルモデルが発動したのはとても興味深く聴いていた。 風邪気味の自分としてはまあ切れが良かったといえよう。じゃじゃーん(無意味な擬声語)
2008.04.23
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自分のこと、場の空気のこと、伝えていること、存在。 過去について。今について。 いま、「どこ」にいるのか?自分自身の誇り。 様々な角度から様々な観点を見ている。 条件からではなくて、意図から世界をつくること。 自分自身は何があっても、助けてくれる人がいる。 そういうことを実感した1日でした。
2008.04.22
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土曜日: 午前中プレゼンをしました。プレゼンというかセッションにかなり コアなところに入ってしまいました(場と言うよりも、対個人的に なりがちですね。。。まあ、それはともかく)が、かなりふかい感じでした。自分の一番追求したいテーマなのでかなり盛り上がりました。 午後:元春コミュの人とカラオケいきました。 これは、自分自身、しばらく遠ざかっていた「元春」(曲は聴きますが)ネタですが、今年に入ってから復活して、「好きなことはやろう」という方針でいろいろ、あれこれやっていることのひとつでしたが、思わぬ自分自身がパワーをいただいている感じ。場ができているとあとは何やっても機能するって感じですよね。(たとえ、幹事である自分がダメダメでも汗)元春の歌で「そこにいてくれてありがとう」という歌がありますが、そんな心境ですね。 そもそも、昼飯も食べないで6時間歌いっぱなし(終わったのが21時ぐらい・・・まだ2次会にいったかたも多数いましたが)というのも恐ろしいと思います。おなかへらないんでしょうね(汗) 日曜日: ポール・ウィンターさんのコンサートにご招待されたので聴きに行く。 すごいすごい。全ての曲がジャンルがちがうよう。 明るい曲静かな曲全てはいっている気がする。 おまけに、アンケートを提出したらCDもただでもらえてかなりらっきなー日でした。 ではでは。
2008.04.21
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固定電話の回線が故障しました ある意味、いままで電話機が壊れても回線がダメになったなんて ことは初体験でしたが、これが、焦りましたです。はい。 現象その1.突然電話が鳴るも相手がでない。幽霊回線かよ!的な 感じでした。当然着歴なし。一本だけだったら、まだしも、2回もなるとさすがに?となる。 現象その2.別回線(自宅用)に掛けようとするも、かからず、 というか、ふつう「つー」となるのが鳴らない。げげげ。こりゃおかしい。 現象その3。別回線から壊れていると思われる方にかけるも「話し中」モードになっている。お金引き落としのが空だったか?(ちゃんとお金払っているはずなのに。。。)などと心配になる。 しょうがないので予定を一本キャンセルして、113に別回線から電話する。 そのときはわからなかったが、どうやら、モジュラージャックを抜いてまたさしてなどとしてみると、いちおう、117がかかる。 「あ、治りました」と言って、とりあえず、やめる。 しかし、念のため別回線から該当回線からかけてみるとまた話し中モードになっている。しかも、幽霊電話のように、時報がまだ生きている。。。げげげ、ハードが壊れたか?まだ数ヶ月しか経っていないのに。。。パイ***許すまじ。 いちおう、もういちど113にかけてみて回線調査を依頼する。 どうやら、回線そのものがおかしい可能性がある、とのこと。 1時間後にはこれるという連絡がある。 それで、待つこと1時間、突然、だめだった番号に電話がなり、「すいません、元のマンションのがだめになっていたようで、いま、直しました」とのこと。 回線そのものがだめになったなんてある意味貴重な体験だが、電話機新しいのを買わなくてよかったっす。 あまり固定電話そのものは使わないとはいえ、最後の砦的な部分があるので、壊れて欲しくはないっすね。 激しい雨の影響なのかな。。。。
2008.04.20
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いつから思ったのかは忘れましたが「喚ばれれば応える」というのが自分の信条になっている気がします。 いやだなと思えることにも微笑みで返せるようになりたいとは常々思ってはいるのですが、しかし、毎回でもなく、そのたびに自分の小ささや姑息さに直面します。「何でこんなに自分は小さいのだろうか?」と 思うことしばしばです。 しかし、きょう一回微笑めたような気もします。 とても大事なことを私はなくしていたことを取り戻した、そんな気もします。
2008.04.19
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なんか頻繁に「最近シンクロが起きて・・・」といっているとさすがに、あまりにも慣れてくると、「シンクロ」とも思わなくなってきている。 先ほど、とある人にメールを送って返事待ち。。。。すぐに返事が来ないでしばらく放置。しばらくたって、「今何時かな?」と携帯をみて、ポケットに携帯をいれたら、すぐに連絡が来る。。。。そういえば、カスタマーサポートに電話をして、「コールバックします」と言われたあと、1時間ぐらいたって「そろそろ返事こないかな?」と思って携帯を取り上げた瞬間になったということも起きた。おそるべし。 電話したら「いま電話しようと思っていた」とか「いま、naoさんのmixiの日記を久々に見ていたところ」とかいうのも頻繁に起きる。 このこと自体に何か意味があるとは思えないのだが、このシンクロ的な現象には興味がありまする。「なぜ起きているか?」ということはわかりませんが、しかし、何らかのプロセスの特徴があるのかなーとも思う今日この頃。
2008.04.18
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あれこれ。 昨日久しぶりに電話をして話をしていたら、「ゴシップ」について質問された。そういえば、日本では「ゴシップ」はおろか責任も変なふうに扱われている。。。。おそるべし。リーダーシップ。 また、1年ぶりぐらいにとある人から電話があって、以前私が責任者をやっていたプロジェクトについて質問をうけた。思い出して、プロジェクトのブレイクダウンって必要だなとおもいましたね。今更ながら。ブレイクダウンを意図的に創り出す。 それから、コーチングの国際大会の話しを聴く:結構いい場だった。場がつながる感じがいいっす。Peter SengeがKeynote Speechをするそうです。私はいかないとおもうがおもしろそう。 今日は、出版企画の元間のブレストをしました。形になるかも。ここからが結構大変ですけどね。まあ、なんというか、雰囲気が読めてきたというか。。。 では。
2008.04.17
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少し前まで、じぶんの中で、伝説的な・・・というフレーズが流行っていた。 伝説的なレジメ、伝説的なセッション、伝説的な講座、伝説的な関係性・・・・あんまり伝説とかいうと、少し安っぽいが、しかし、その「伝説的な」はよくよく考えると、しょっちゅう起きているからであった、ということができる。 昨日は、伝説的なセッションを行い、イメージとして何も用意せずに方向付けないで話しをしていたら勝手に前進したり(そもそも、クライアントが伝説的に前進しているのでそれでいいのかもしれない)、先々日は、伝説的なダイアローグの場であった。その前は、普通に話しをしているだけで、勝手に、講演の依頼がくるような伝説的な対話の場であった。。。。なんか、こう書くと、すごいようにも思えるが、多分、誰の世界にでも、毎日のように「伝説的な・・・」が起きているのだと思います。ただそれを認めていないだけ、だと思う。 人生が交わる結節点にいるだけでも幸せだと思う。
2008.04.16
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