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2021年04月03日
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カテゴリ: 国内旅行365
こんにちは。
本日は、久しぶりに、新刊 「​​​ おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編 ​​​​​​ 」からのネタです。



今回ご紹介するのは、第9章の『 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 』。
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
すべての記事は、​​ こちら ​​ですよ。
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
ちなみに記事は、 2018 12 月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。
1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 
 おもしろ歴史ウォーキング「相模・伊豆国編」も、いよいよ最後の章です。
ここまで、どの章にも城や館の話題を入れるべく努力してきました。海老名の章では、館の痕跡がなかったではないかと言われそうですが…。
そこで最終章では、誰にも反論ができないような城跡で締めようと思います。
トリを務めるのは、現在、城址公園として整備されている大庭城。神奈川県藤沢市に、大規模な遺構が残っているものの、詳細はわからないといった城ファンの琴線に触れる城のひとつです。
今から 20 年くらい前に行ったことがありますが、当時は、小高い丘の上に芝生広場が広がっているくらいの印象でした。
その後、さまざまな城を見て、知識も増えています。当時とは見え方が変わっているかもしれないと、再度訪問することにしました。
ウォーキングのスタートは、小田急江ノ島線の善行駅。
ここから大庭城に向かうのですが、歩いていくには少し距離があります。ピンポイントで行きたい人は、藤沢駅や湘南台駅からバスを使った方がいいかもしれませんね。
駅前から、商店街や住宅街を延々と歩き、まずは大庭城の近くを流れる引地川を目指します。


東京ガスの巨大なガスタンクを過ぎたところに、古い神社がありました。



ここは、大庭神社。この近くにも、同じ名前の神社が存在するそうで、江戸時代には天神宮、あるいは大庭大明神などと呼ばれていたらしい。
境内では、 1721 年に作られたという梵鐘が存在感を放っていました。


 大庭神社の石段を下りると、広々とした引地川(ひきちがわ)親水公園が目の前に現れます。



 遠くに見える緑深い丘が、大庭城址でしょうか。
 公園には、スポーツ広場や芝生広場のほか、子供が喜びそうなさまざまな遊具がありました。



 真冬なので、少し殺風景な印象ですが、藤棚やツツジの丘、桜並木などが整備され、それぞれの花の時期には多くの人たちが訪れるのでしょうね。

 冬でも楽しめそうなのが、木道のある湿性植物園。黄金色のススキが両側から迫ってくる様は圧巻です。



 昭和枯れすすきなど、ネガティブなイメージもあるススキですが、この公園ではゴージャスな主役に感じられました。
2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園
 引地川沿いの遊歩道を歩き、大庭鷹匠橋を渡って大庭城を目指します。住宅街をテクテク歩いていくと、前方に巨大な丘が現れました。



 これが大庭城址ですか。思っていたより標高があり、斜面も急峻。この上に郭が並んでいたのですな。
 お楽しみは後にして、先に向かったのは裏門公園。そのネーミングは、大庭城の裏門が、この辺りにあったかららしい。
 …と言っても、当時の雰囲気はあまりなく、現在は、野鳥観察用の公園として整備されていました。



 道沿いに、野鳥観察用ののぞき穴が開けられています。そこから中の野鳥を観察する、いわゆるバードサンクチュアリなのですな。公園の広さは、約 2.7 ヘクタールあるらしい。

 人が入ることのできない公園として話題になっているようですが、バードサンクチュアリなら納得です。
 のぞき穴から眺めてみると、眼下に谷間の沼沢地が広がっていました。



 当時の大庭城は湿地帯に囲まれていたのかと想像してしまいます。
 眺めていて、気になる一角が…。



 池が堀のように見え、そこには桟があるようにも感じます。
 もしかして、後北条氏の城の特徴である畝堀?
 裏門公園の先には、「二番構公園」があり、またその近くには、「駒寄」などの、大庭城が平地部分にも広がっていたのを伺わせる地名が残っているらしい。
 畝堀は、誰も話題にしていないから恐らく違うと思いますが、気になりますな。
3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城
北条の城だったように書いてしまいましたが、現在の遺構を誰が作ったのかはよくわからないそうです。歴史が好きな人は、大庭城の築城者として、大庭景親を連想する人が多いのではないでしょうか。



大庭景親は、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いで頼朝を撃破した人物。当時この辺りを領していたらしいですが、鎌倉時代の武将が、これだけの規模の城郭を作ったと考えるのは無理があるかも。
実際、その後の発掘調査では、鎌倉時代の建築物は発見されなかったそうです。やはり、この城は戦国時代でしょう…と思いながら、城址公園の入り口にある公園案内図を眺めます。


 解説板には、縄文、弥生、古墳時代から奈良・平安時代まで、大庭城のあった城山は、人々の生活の舞台になっていたと書かれていました。
 ほどよい高さで、頂上に広々とした平場を有する丘は、古代から中世までのセレブが住む一等地だったのかもしれませぬ。
 そんなことを考えながら、石畳のスロープを登ります。石垣は一目で現代のものとわかりますが、城攻めの気分を高めてくれました。


 スロープを登りきると、見渡す限りの芝生広場。戦国時代の城としても、これだけ広いワンルームの郭があっただけとは考えられない。当時は、所どころ空堀や土塁で区画されていたのでしょうね。


 実際、広大な芝生広場には、微妙な凸凹の部分がいくつかあり、当時の土塁や空堀があった場所をイメージすることができました。



 城内の解説板によれば、台地上を東西に横断する
3 本の空堀によって、 4 つの郭に分かれていたとあります。郭の周囲には、土塁の跡が部分的に見られ、東斜面には腰廓、西斜面には 2 段の空堀や帯状の腰廓が確認できるとのこと。
 台地の南端に主郭を配し、二等辺三角形を逆さにしたように、北に向かって郭の規模を広げていく形なのですな。
 各郭を区切る堀は、台地の上ではほとんど埋められていますが、 2 郭と 3 郭の間の空堀の一部はよく残っていました。



 その空堀の幅は 10 メートル近くあり、深さも 5 メートルくらいあって、当時の防御力の高さが伺えます。



 主郭は細長く、広さはそれほどありません。ただ、 3 郭や 4 郭の広さは、戦国時代の他の城と比べて、かなりの規模だと感じました。


4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか
 さて、誰がこんな大城郭を作ったのかという点が気になります。
(以下、 「​ おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編 ​​ に続く)
 大庭城を作った人は、ブログの一番わかりやすい部分に記されているので、おわかりの方も多いでしょう。
 戦国時代になってから、大庭城は北条早雲によって攻略され、小田原北条氏による改修でパワーアップされたそうです。
 ちなみに、当時は北条早雲ではなく、伊勢宗瑞(いせ そうずい)と呼ばれていましたので念のため。
 北条早雲が大庭城を攻撃した際の舟地蔵の伝説も興味深かったですね。なんと、大庭城の秘密が漏れるのを防ぐため、北条方が老婆を切り殺してしまったのですか。
 それはあくまで伝説で、誰がそんなネガティブキャンペーンを行ったのかも気になります。この点について、自称ミステリー作家が、本の中で推理を披露させていただきました。
 また、大庭城には鎌倉時代の建築物は発見されなかったと書きましたが、 大庭景親の居館があったと言われている場所も紹介させていただきました。
ご興味のある方は、是非、​​こちら​​をご覧いただければ幸いです。
(参考)
目次より
第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市
1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景
2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺
3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城
4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり
5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と 森と泉に~囲まれた天王森泉公園
6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎
第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市
1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山
2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島
3. 3 6 百の兵力で、 4 4 千の豊臣方の攻撃に約 100 日間持ちこたえる
4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城
5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面
6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸
7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門
8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸
第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市
1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道
2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉
3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構
4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵
5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所
6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡
7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡
第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市
1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース
2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺
3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地
4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳
5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚
6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」
7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡
第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市
1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市
2.三島駅徒歩 3 分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園
3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園
4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城
5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる
6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀
第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市
1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城
2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀
3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸
4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸
5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸
6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察
7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園
第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市
1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園
2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ
3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園
4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡
5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった
6.大正 7 年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある
7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社
第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市
1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係
2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城
3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城
4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園
5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園
第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市
1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園
2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園
3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城
4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか
5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵
6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院
7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園





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最終更新日  2021年04月03日 13時26分28秒
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