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5月25日(土)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 】 東新町公民館にやってきました。ここに池田丹次郎という者の家があり、地域の有力者に聴いた「撃剣家・・・剣術の先生なら関根某という人がある」ということで、この家で関根という剣術の先生と手合わせした。難なく栄一が勝ち、その噂が近隣の人々の口から口へ伝わり彼を見る目が変わり人々が集まりだしたということが「渋沢栄一伝記資料」に記されている。 江原八景絵図を見ると旧山陽道の江原東新町に直線道が意図的に曲がったつくりで枡形とよばれる、城下町や宿場町などの入り口に造られた敵の侵入を防ぐため道路を直角に曲げた場所。ここに池田家があった。かなり広い屋敷だったようである。 旧山陽道を東新町から本新町を抜け神戸川まで戻る。橋を渡って右折し川沿いを進むと西江原郵便局、興譲館グラウンドが左手にある。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8 に続く】
2024.05.25
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5月21日(火)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その6】蓮華寺からすぐに国道486号を左折して信号を渡って蓮華寺からの延長線上の細い道、旧山陽道に進むと斜めT字路、くの字に曲がって左手に現在の「平成一ツ橋自治会」がある。 ここに幕末の頃、一橋陣屋の札会所があった。当地を訪れた渋沢栄一も立ち寄っただろうし、この建物の裏手に陣屋があったのだからこの周辺は農兵募集に苦戦していた頃にはイライラしながら歩き回っていだろう姿が思い浮かぶ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 に続く】
2024.05.21
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5月25日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8】 「一橋府江原役所跡」消えかかった木製の標柱が残るのみだがこの奥に広い陣屋があった。江原陣屋の守護神として勧請された正一位稲荷、俗に「館跡稲荷」と呼ばれ、鳥居には「文政十三年」「平木京助奉納」と刻銘されている。一橋領の時代には、2月の初午の日に陣屋の門扉が解放されて領民がお参りしていたという。江原陣屋は三方に濠をめぐらせ文政十二年に竣工し、歴代九名の代官が赴任した。その中でも弘化四年から十年在職した第六代友山勝次は経済・医療・教育に功績大きく名代官として有名。陣屋見取り図の北西にある稲荷は今も現存している。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その9 に続く】
2024.05.25
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5月24日(金)晴れ 最近、医者通いが異常に多くなった。井原市民病院&福山市民病院(心筋梗塞)、よしだ歯科(歯の脆弱)、平木眼科(白内障)、森本整形(指骨折)・・・なんとも情けない。 満身創痍のカラダだが、取り替えられるものではない。メンテナンスして1日でも長く自分のことは自分でやれる。ピンピンコロリの健康管理をしていきたい。 昨日、歯のブリッジ治療ができて昨夜から噛める幸せを感じている。 理想のピンピンコロリのための「医者はしご」、まずはしっかり咀嚼できる歯を取り戻せたのは嬉しい。 次は「左手のギプス」を外して不便な日常生活からおさらばしたい。 そして「白内障手術」でパソコンや本の文字が苦痛なく読めるようになりたい。 「心筋梗塞」は気長に付き合うしかないが来年の1月には丸5年だ。再発せず、体力の衰えも想定以上に持ち堪えている。 ピンピンコロリのカラ元気よりも「ユルユルコロリ」で自立したライフワークを楽しみたい。
2024.05.24
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5月15日(水)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4】 小田川に到着、江戸時代には芳井川と呼ばれ幕末になるまで橋を架けることが許されていませんでしたが、一橋領になり友山勝次が代官として赴任すると領内の産業振興のため橋の架設を願い出て日芳橋が架けられました。 橋ができるまでは水かさによって渡河運賃が定められ「七日市宿 川上がり場」が定められていました。 安政4年(1857)に木橋(幅約3.6m、長さ60m)が完成し、七日市と芳井川から1字ずつとって日芳橋と名付けられました。渋沢栄一がこの地を訪れたのが1864年ですから木橋の日芳橋を渡って当地の若者たちを説得したことでしょう。 現在の赤いトラス橋の日芳橋は、大正15年(1926)に完成して両端に街灯がともりモダンな設計です。大正期の鋼鉄橋は珍しく岡山県内には岡山市の京橋と同橋しかなく。「日本の近代土木遺産」に登録されています。 橋を渡って西江原町の川岸に「日芳橋碑」がある。興譲館館祖の阪谷朗盧が安政5年(1858)に日芳橋架橋の経緯を碑に残し、友山勝次の功績を顕彰している。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 に続く】
2024.05.15
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3】 本陣跡の石碑から90m、割烹料理一久の狭い脇道、これが笠岡往来笠岡小路だ。ここから南へ進むと笠岡の港へとつながっている。 渋沢栄一が農兵募集で訪れた時、興譲館の塾生や近隣の若者と笠岡沖で鯛網を楽しんだという記録が残っている。まさにこの道を栄一達も通った小路だ。今見ると細い道だが江戸時代にはこれが主要道だったんだね。 進行方向三目を向けると赤い橋が見える。これが日芳橋だが、旧山陽道は右に見える細い道であった。この狭い道を大名行列も往来していた。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4に続く】
2024.05.14
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5月17日(金)晴れ 本日、井原線ウォークの新章へのプレゼンをする。プレゼン資料は昨日体調不良の中で書き上げた未完成品だが今朝、そのまま市の観光協会の担当さんに委ねた。 3時半からの総会の時にプレゼンを薦められた。 「民」が新たな「井原線ウォーク観光響会」を立ち上げ、「官」がサポートする。それがより事業者や当事者にとって自由度の高い活動となり、地域の魅力を訪れる人々にも喜んでもらえる。 井原発の観光モデルが発足できるかどうか?は、本日の総会でのプレゼン次第だ。 ロマンチック313の髙橋孝一さんのアドバイスが思い出される。「岡田君は何もかも自分でやり過ぎじゃ、ええことをしょうるんじゃけぇ、ある程度実績ができたら”提唱者”になって、人に任せぇ~!」 少し実践期間が長すぎたかなぁ。
2024.05.17
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5月18日(土)晴れ 昨日の観光協会総会は「予想通り」の継続審議となった。やっぱり根回し不足?いやその前に「誰に、何を、どのように」という計画書自体の錬成不足だった。 予算ゼロ円というのは役所にとっては魅力のない取組なのだ。ボランティアボケしているように見られたようだ。 活動、コンテンツのよさは認識してもらえたと思う。 ボランティアだけでは持続可能な取組とは為り得ない。「誰もがいいね」「やっみたい!参加したい」と思ってもらえる事業計画にブラッシュアップしなければならない。 シャンシャンシャン会議に「?インパクト」を感じてもらえたら今回のプレゼンは大成功だ。 これからの求める答えは「3年後の明確な成果を出せる予算を必要とする計画でありそのロードマップだ」「地域を変えるほどの予算規模・・・大きければ大きいほどインパクトが大きい」。 面白い総会だった。
2024.05.18
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5月18日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 】 日芳橋碑から堤を下る、この細い道が旧山陽道、自動車修理工場の隣が山陽酒造、備中江原八景図にも描かれている酒屋さんだ。昔のお店の玄関だろう。一橋陣屋から近い酒屋さんということを考えると渋沢栄一が阪谷朗盧にお酒と漢詩を送ったという話を思い出す。 こちらの蓮華寺も絵図に描かれている。目をつむって通りに佇むと幕末の頃のこの備中江原の繁栄がしのばれる。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】
2024.05.18
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オールわらの古畳を解体し、古わらをリサイクルしてわらマルチに利用する。解体の仕方は、畳を裏返して横の部分からカッターナイフなどで10cmほど切り、畳縁と畳表を取り除く。横から切るのは畳縁と畳表を縫いつけている糸を切るためである。横部分からの処理が終ったら畳床の裏のタテ糸をカッターナイフで写真のように切ってひっくり返して畳床の表部分のヨコ糸を引っ張って抜くと縫い締められていたわらがバラバラのなり解体できる。解体の手間を考えると焼却処分されることが一般的だが、きれいに解体すると畑の畝に敷いてわらマルチに使うと雑草を予防できて乾燥を防ぎ地温を高くすることができる。さらには、土が柔らかくなり、最後には分解されて堆肥となる。無農薬で除草効果を期待して試行錯誤の結果やり始めたのが古畳のわらマルチです。
2019.04.13
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5月23日(木)晴れ 7月の井原線ウォークの『渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」』を7月15日(祝)に開催日を変更します。 これで最終確定し、会員のみなさまに周知します。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」〇とき:7月15日(祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約 利き酒オプション:300円◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.23
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その2】 井領堂から旧山陽道をしばらく進むと武速神社前の信号がある。この信号を左折すると笠岡往来の井原小路である。江戸時代には旗本池田家の井原陣屋への道であり梁瀬村の桜渓塾へとつながっている。 神社の西に脇本陣があった。本コースでは旧山陽道を直進する。 武速神社は平安中期に創建され、「天王様」とも呼ばれスサノオノミコトなどが祀られている。境内の椋木は江戸時代の絵図にも描かれている。 神社正面にも脇本陣があった。 武速神社から40mの道向かいに石碑があるここに七日市宿の本陣があった。現在は駐車場になっている。農兵募集で訪れた栄一もこの七日市宿で村人に声をかけていたのだろうか? 本陣東隣にも脇本陣があった。七日市宿には本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠権があったというから大変賑わっていたようだ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3に続く】
2024.05.14
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5月16日(木)晴れ 7月の井原線ウォークに山成酒造での「利き酒オプション」を追加する。3月の山成酒造ウォークはあいにくの雨で参加を見合わせた方にも再度楽しんでいただこうという趣向です。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」〇とき:7月14日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約 利き酒オプション:300円◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.16
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7月16日(日)晴れ 葡萄浪漫館の売り場が外テントに広がった。従来の屋内売り場は「箱詰めぶどう」だけで野菜やパック詰め葡萄はテントという配置になった。 テント入口にお客様の行列が始まった。いよいよハウス葡萄の最盛期の季節到来ということだ。
2023.07.16
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【 日々のつぶやき 2011 No.230 】 本日の“資源の日”トピックス。 廃食油の回収が始まりました。○回収日時 資源の日(毎月第2土曜日) 午前7時30分~午前9時まで○回収場所 資源の日の回収場所 ○回収対象 揚げ物に使う植物性の油 (例:菜種、コーン、べに花、ごまなど) 購入時の容器または1.5リットル、2リットルのペットボトルに 廃食油を入れてお持ちください。必ずキャップをしてください。回収した廃食油は、ディーゼル燃料などへリサイクルし、ごみの減量および二酸化炭素の排出を抑制するとともに、循環型社会の構築を推進します。資源の有効活用と環境負荷の軽減を図る取り組みにご協力ください。 ・・・とのことです。 資源としてこれらは回収していません。 「燃やすごみ」へ出してください。 ・毛糸の編物 ・革製品 ・綿入れ ・防水加工のしてあるもの ・靴下や下着などの小物 ・・・とのことです。(2011.5.14)『井原線まちおこし横丁』
2011.05.14
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5月15日(水)晴れ 昨夜というか今朝かな。鮮明な夢だった。 母が黙って私の後ろに座っていた。玄関に数人の見知った顔があった。親戚の人たちもいた。私には理解できない言葉で「父の亡骸を指さしながら私にも一緒にこっちへ来い」と言っているらしい。 父はもう10以上前に亡くなっている。親戚のおじさんたちもみんな今はこの世にいない者達ばかりだった。 昨年春に亡くなった母が背中の後ろでじっと亡者たちを静かにみつめていた。にらみつけていたのかもしれない。 母は何も言わないが「まだこっちへ来るな」と私に言っているように感じた。 久しぶりに母の姿を観られてうれしかった。私を守ってくれていることを感じられた。 目が覚めて血圧を測ると160を超えていた。しばらく深呼吸をして118に落ち着いたが、ここ数日の体調不良は危険領域だったのかもしれない。 母は「まだこっちへ来る時ではない」「現世でやるべきことがある」と諭してくれていた。 ライフワーク「ほほほのおと。」に専心しよう!
2024.05.15
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2月12日(日)曇り 今日は荏原地区まちづくり協議会主催の歴史講演会「井原の山城探訪」を拝聴した。講師は井原市教育委員会文化スポーツ課課長の高田知樹氏。 昨年発刊した山城ガイドマップ「井原の山城を歩く」について。 岡山県内には1126の山城があり井原市には46か所あるとのこと。西国街道やそこから地域を結ぶ往来を見張ったり戦いに備えたり見下ろす位置に築かれた。 その中で「高越城跡」と「高屋城跡」について解説された。高屋城は毛利氏と地元国衆の藤井氏の3カ月に及ぶ藤井氏の籠城の現場である。高越城は戦国の魁、北条早雲こと伊勢新九郎宗瑞の備中伊勢氏の居城だ。 今回の講演拝聴の目的は高越城にまつわる話だった。4月9日に行う「北条早雲ウォーク」の情報収集の一環だ。特に地域の方々のご尽力により高越城の出城である山上山城跡と横畑城跡へのルートも整備されるということで井原線ウォークのルートも変更した。さらには備中伊勢氏ゆかりの新九郎薬師だけでなく金切神社もコースに組み込んだことを受けて地元のたたらや刀鍛冶についても情報を集めたかったのだが、こちらは自分で調べた以上のことはわからなかった。 問題意識を持って情報収集する講演会参加は意義深いものがある。
2023.02.12
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6月24日(木)晴れ 果樹園の気になっていた雑草を午後、刈り払った。今日、草刈りした畑には栗やマカダミアナッツ、ウメなどを植えている。苗の周囲2畳分の古畳敷き藁があるので非常に刈り払いやすかった。 栗はすでに毬をつけている。刈った草と古畳の敷き藁だけで特に肥料は施していないが樹勢は旺盛だ。 古畳敷き藁プラスで有機肥料の効果が出せれば耕作放棄地での果樹栽培の有用性が確認できる。
2021.06.24
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11月14日(火)晴れ 昨日、装着した「ホルター型心電図計」を先ほど病院で取り外した。 もし、異常があれば早く連絡します。問題がなければ次の定期検査まで連絡なしで当日、通常検査の結果と一緒に説明されます。ということで便りの無いのは良い便りということだ。 今月初旬の体調不良後、生活リズムの改善に努めているので「無問題」ということになるような希望的観測もしているが、これからも健康第一で初心を忘れずリハビリに取り組もう。 取り外すと緊張から解き放たれふわぁ~っと軽くなったようだ。
2023.11.14
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・トイレの紙盗難相次ぐ (中国新聞 2013.3.15) トイレの紙 盗難相次ぐ 井原駅2か所 駅側(井原鉄道)一時撤去 井原署と監視強化 井原鉄道井原線の井原駅(井原市七日市町)のトイレ2カ所で、トイレットペーパーの盗難が相次いでいた。井原市所有の駅舎を管理する井原鉄道は対応に困り、被害のひどい駅舎西隣のトイレから2月にトイレットペーパーを撤去。しかし地域住民の苦情もあり、市は今月14日、1カ月半ぶりに取り付けた。井原署と連携し、監視を強化している。中国新聞エリアニュース、上記記事を読みたい人はここをクリックして下さい。 …まずはやっと昨日14日に再設置されたことにほっとする。 観光客の方々が張り紙を読まずにトイレに駆け込んで用を足した後、トイレットペーパーがないなんてことになれば井原の印象は最悪だ。用を足す前に読んだとしても切羽詰ってトイレまで来たのに使えなければ“なんじゃこりゃ~”と怒りさえ感じられる。 数年前、井原市の観光の玄関口として多額の補助金で新設されたトイレからトイレットペーパーが盗まれるからと言って撤去するというのは無策に過ぎる。観光に対する取り組みも疑われる。 そもそも普通のティシュペーパーや溶けにくい紙など流していたら詰まる原因になる。 唯、そもそものそもそもは利用者のモラルの問題なのだ。 心無いトイレットペーパーの持ち去りだが、これも列記とした窃盗だ。犯罪です。 井原駅にトイレットペーパーが戻ってきてよかった。 たかがトイレットペーパーされどトイレットペーパーでした。(気になる記事ヨミ 2013.3.15)
2013.03.15
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伊豆修禅寺の北条早雲こと伊勢新九郎から寄進された「摺り袈裟の版木」墨で真っ黒な版木が箱に納められています。元々は袈裟に印刷していたものだが、和紙に印刷して檀家さんや来訪された方々に功徳をひろめていた。これは版木が文化財指定になる前に和紙に印刷されたもの。今はもう墨を付けることはできないとのこと。お寺に残っている2つの「摺り袈裟」のひとつ。
2019.03.20
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☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「幕末明治に思いをはせる編」〇とき:7月14日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.12
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4月19日(金)晴れ お天気が心配ですが、少雨決行です。降雨量によってはコースを変更して「井原市北条早雲まつり」を皆さんで愉しんでいただくメニューを考えております。 「ほのぼの岡田さんのほほほのおと。」ではコースのチェックポイントを紹介します。 スタートは早雲の里荏原駅の陣羽織姿の北条早雲石像前です。 ここは、戦国大名の魁といわれ備中伊勢氏の所領、荏原の庄に生まれ青年期をこの地で過ごし京都の足利幕府で将軍の申次衆を務めた伊勢新九郎宗瑞の国盗り物語の始まりの地です。 早雲の里荏原駅からCP化成の工場に沿って進み井原ゴルフ倶楽部への山道を登る。野球場のT字路を左折して下っていくと右下に砦を思わせる城郭をのような回廊を有する備中伊勢氏の菩提寺、法泉寺がある。 法泉寺は、荏原郷の領主であった伊勢盛定が古澗仁泉を招いて開いた曹洞宗のお寺で伊勢氏のほか備中守護職である細川氏や地元の有力武士たちから土地の寄進を受け大いに発展し、備中・備後に末寺30ヶ寺を持つまでになる。 仁泉は、亡くなる年に弟子である3人の僧に法泉寺の住職を交代でするよう遺言しこの地で80歳の生涯を閉じている。 屋根には三つ鱗の北条氏の家紋が見える。 お寺の裏の墓地の一番奥に伊勢新九郎盛時(伊勢宗瑞=北条早雲)と父の盛定の供養墓がある。その横には歴代住職の墓もあり備中伊勢氏の菩提寺としての歴史がしのばれる。「北条早雲ウォークコース その2」 に続く
2024.04.19
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5月22日(水)曇り 本日は2カ月に一度の井原市民病院での定期健診。先日の転倒による骨折について心臓に対する直接の影響はないが、血液サラサラの薬の影響で出血しやすいので外傷だけでなく内出血しやすいので気を付けるようにとのことだった。 検査結果では中性脂肪と摂取食塩量の値の上昇が注意された。2つの値ともケガ以降の運動不足とプールでのサウナができなくなっていることが原因の一因とも考えられる。 運動と汗を流し老廃物を排出することは大切だ。そしてそれが減ってしまうならば食事も減らさなければ蓄積されてしまう。
2024.05.22
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『自然との対話 池田大作写真展』に行ってきました。井原市芳井町の芳井生涯学習センターで今日まで行われておりました。友人の三笠氏から「いいよ」と紹介されていた。会場に行くと外に男性1人、中に男性2人、受付に女性2人、会場に監視係の女性3人とスタッフ8人が詰めておられた。 順路を進むと「春の風」は咲き誇る花「夏の光」は自然・森の気配「秋の色」は紅葉景色「冬の明」は雪景色「富士」は静岡から、山梨から、東京から、空から「世界の風景」は池田氏が訪れた世界のまちや自然の風景 がコーナー展示されていた。 アンケートがあったので【 写真が「世界語」というのは可能性を感じさせてくれる言葉でした。池田大作さんが美しいと思ったものの姿を言葉以上に残して伝えている。】と記しておいた。 会場を後にする時に聞いたら私が490人くらいだったので4日間で2000人ほどの人が入場したんでしょうね。 スタッフの方々、ご苦労様でした。
2014.06.29
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♪畳屋 岡田産業でございます♪ もしドラ畳屋日記 古林畳店 “畳表と帆布の新バッグ” 要望に応え改良 本日の 山陽新聞 地方経済6面 で記事紹介されていました。。 新モデルはトート型(高さ26cm、幅33cm)。 ユーザーの要望に応え、従来品より大きくしポケットが追加されている。さらに明るい色合いのライトグリーンとブラウンの2色。 価格は15,400円。 社長の古林 斉くんは知己ですが、がんばっていますね。 うぅ~ん! やりますね。 私も頑張らなくてはね。よっしゃ~! ( 畳屋店長日記 )楽天市場『井原線まちおこし横丁』
2011.05.13
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昨夜放映された『崖の上のポニョ』、そのふるさとを歩きました。 鞆の浦の岬の高台にあるこの別荘で宮崎駿監督はポニョの構想を練った。 まさにこの丘の上から見る港や瀬戸内海の島々はポニョの世界だ。 ガイドさん曰く、 あれが宗介の家のモデルになったと言われる建物です。 別荘の対岸の傾斜地にあるオレンジ色の屋根の家。 鞆の浦の古い家並みの中にぽつんと建つ洋風の屋根です。
2015.02.14
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県主神社に到着。長い階段を登り切ると正面に本殿が在る。今日も何冊もの御朱印帳が積み上がっているそばでせっせと絵筆を走らせる禰宜さん。毎日毎日のおつとめで手が痛くなりませんかと問うと包帯を巻いた手を上げてみせてくれた。今月は七夕で牽牛と織り姫を描いている。今日は依頼して1時間半待ちだというのでのちほど受取に来ることとした。境内の摂社末社を説明しみんなで写真を撮って馬越恭平翁生家に向かう。
2019.07.30
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駒井農園の駒井篤さん裕子さん 来月の井原線ウォークの下見で訪れ打合せさせていただきました。 2015年に奥様のふるさと美星町に移住され、野菜をつくり、子どもを育て、地域に根を張ったニンジン農家。4種類のニンジンとブルーベリーを有機栽培している。 こちらも農薬を使わない農家なので雑草と闘い雑草と共生している姿は尊敬に値する。 1月ウォークでお世話になります。
2019.12.22
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5月2日(木)晴れ 明日の井原線ウォークは(予約 定員)について変更し、当日受付参加OKとします。☆シャクヤク花摘み体験ウォーク ○とき:5月3日(金・祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)12:40井原駅◆距離:約6km◆参加費用:1000円(資料・保険料) (シャクヤクの花10本収穫持ち帰り込)◆行程:井原駅~花野~高月佐能農園(シャクヤク花摘み体験)~井原駅◆内容:高月山は江戸時代、歌にも詠まれた景勝地、その山頂にあるシャクヤク農園が目的地です。井原市内の薬用シャクヤク栽培グループとのコラボ企画、芍薬といえば美しい女性の姿を形容する花ですが根は葛根湯などの原料になる生薬です。美しい花はイライラを鎮めてくれます。 芍薬農園de花摘み体験ウォークを一緒に楽しみましょう。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.05.02
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5月2日(木)晴れ おはようございます ウォーク日和に感謝! 本日の井原線ウォークは予定通り開催します。当日受付参加OKです。☆シャクヤク花摘み体験ウォーク ○とき:5月3日(金・祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)12:40井原駅◆距離:約6km◆参加費用:1000円(資料・保険料) (シャクヤクの花10本収穫持ち帰り込)◆行程:井原駅~花野~高月佐能農園(シャクヤク花摘み体験)~井原駅◆内容:高月山は江戸時代、歌にも詠まれた景勝地、その山頂にあるシャクヤク農園が目的地です。井原市内の薬用シャクヤク栽培グループとのコラボ企画、芍薬といえば美しい女性の姿を形容する花ですが根は葛根湯などの原料になる生薬です。美しい花はイライラを鎮めてくれます。 芍薬農園de花摘み体験ウォークを一緒に楽しみましょう。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.05.03
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5月3日(金・祝)晴れ 気持ちのいいウォーク日和だった。 9時10分井原駅集合で「シャクヤク花摘み体験ウォーク」が始まった。 めざすは「高月山頂のシャクヤク畑」、途中七日市町花野の「花山跡」で備中江原八景図の解説をして山登り開始、45分で目的地到着。 春爛漫、芍薬の咲き乱れるお花畑です。こちらはすでに咲きすぎでしょうか。 説明を聞いて花摘み開始。蕾の多く残っている防災無線等に近い畑に移動。 青空のもと花摘み体験、気持ちがいい。 井原放送の取材カメラを気にしつつも思いも思いに花摘みを楽しんでいただいた。 帰りは下り30分ほどで駅に到着。サポートの車で運んだシャクヤクの切り花を持って満足そうにお家に帰って行かれた。 「シャクヤク花摘み体験ウォーク」無事終了。楽しい企画だった。
2024.05.03
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5月10日(金)晴れ 草刈り日和。 除草剤が嫌いなのでせっせと草刈り機を担いであっちの畑こっちの畑と刈りまくる。 汗が吹き出てくる。汗がしょっぱい。心地よい振動が全身の毛穴を開いて体に溜まっていた毒素を吐き出していく。 水分補給にぬるま湯を湯飲み茶わんに1杯、炭酸水をコップに1杯、飲み干す。白湯が甘い。炭酸水が全身の血管を掃除していく。疲労感がおさまり心臓の拍動は少し軽くなる。 夕方までもうひと仕事草を刈ろう。明日も晴れ。畑全体を草マルチで覆おう。草が枯れ串たちや微生物たちが畑を耕してくれる。自然との共生のために人のするべきことは草を刈って彼らに草というエサをプレゼントするだけでいいのだ。
2024.05.10
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5月13日(月)雨のち曇り ハラハラドキドキの井原線ウォーク企画の決定。 6月に2回の白内障手術を予約しているため7月以降の予定を決めかねていた。現状パソコンの字も見えにくくなってきて趣味の読書も休止している。手術自体に不安も感じてウォークの開催を躊躇していたが、手術した友達数人から「手術はあっという間に終わるし、劇的に見えるようになる」というアドバイスを信じて7月以降の井原線ウォークを設定した。 ライフワークとしての「井原線ウォーク」のチャレンジを模索することにした。 手術の心配をするより術後のワクワクを考える方がいい。 「観光資源としてのウォークガイドブックとウォーク企画運営のシステムづくり」に挑戦するのは楽しいワクワクだ。
2024.05.13
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5月16日(木)曇り 早朝にはよく晴れてあったかくなってくれるのかと思いきや一日曇り、滅茶苦茶な強風に雨まで混じってひどい一日だった。 低気圧の通過に伴って体調不良に逆戻り。肩こりで押しつぶされそうだった。夕方にはタンスから冬物のダウンジャケットを引っ張り出して羽織った。 体調の悪い時につくった計画書は弱気になってしまう。本当なら余生をこれに賭けるくらいの強気で「井原線ウォーク観光響会(案)」を押し出すべきなのだが弱腰のまま一応プレゼン用の資料は作った。 明日、観光協会総会だ。晴れてあったかくなれば弱腰を払しょくできるか?
2024.05.16
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5月20日(月)晴れ 今日は昨日のケガの治療の方針を検討した。市民病院の主治医の先生に連絡をとる。心臓は転んだくらいでどうこうなるものではないようで、まずは中指の治療を優先するようにとのアドバイス。現在、井原市民病院には整形外科の常駐医師がいないので市内の民間整形外科を薦められた。 即、近所の整形外科を受診。診察室で診て、レントゲン撮影、診断。中節骨基部裂離骨折、骨の端っこの出っ張ったところに黒い筋がある。いわゆるヒビだがれっきとした骨折だ。中指のこの部分はよくあるケースらしい。このまま放置しておくと腱に引っ張られて指が曲がって手術が厄介らしい。 治療は、添え木を当てて固定するだけ。指を使うと剥がれて剥離骨折、裂離骨折となってしまう。1週間ごとにレントゲン撮影で剥がれていないか確認する。3週間はこのまま添え木ギプス固定とのこと。 骨折も早期発見早期治療が大切だ。ほったらかしちゃ~ダメだね。 プールでの水の抵抗は厳禁との注意。トホホ・・・。 汗を掻かず、動かさず、痛み止めは骨を修復に良くないということで処方なし。ただ時間という薬だけ。健康管理を根本から見直さねば。 生活を改めよう、ピンチはチャンスだ!
2024.05.20
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5月20日(月)晴れ 心筋梗塞によって3週間の入院でほぼ全身の筋力が弱くなり、今また若干握力の残っていた左手が骨折療養のため3週間のギブス固定をすることになった。 これで余生でできることがさらに狭められることになる。4年半前の心筋梗塞発症と入院でフレイルになったことを思うと何もせず放っといたら玉手箱を開けてしまった浦島太郎のように一気に老人になってしまう。 今回は前回の轍を踏まぬように治療と同時進行でリハビリをしなければならない。 老化を食い止めるためには脚力と腹筋力と肺活力を鍛えよう。
2024.05.20
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5月22日(水)曇り 沖縄奄美が梅雨入り、山陽地方はいよいよ夏本番だ。今年の冬は明確な休眠打破がなく桜の開花が狂いに狂った。積算温度では開花が早いはずなのに咲く時期を迷った挙句遅れに遅れて新年度を満開で愉しませてくれた。 太陽フレアが観測史上最大級ということは地球だけでなく太陽系全体が異常な温暖化の時期に突入したのだろう。太陽からの磁気嵐が地球のマントルを活性化して火山噴火や地震が起こりやすくなっているのかもしれない。 この夏、暑~い夏をどのように乗り切るか?「神は乗り越えられない試練は与えない」というが、じっと我慢してるだけでは乗り越えられない。「天は自ら助るものを助く」という。 神も、天も、生きるために自助しないものは助けてはくれない。
2024.05.22
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私は土器群にも興味を持ったが、発見者のお宅で話を聞くうちに見つけた1枚の写真にも興味を持った。下記の写真である。調べてみると実に面白い。明治政府によって回収されたというフルベッキ写真である。 調べてみると「フルベッキ写真」は政府に都合の悪い写真ということで現在で言えば「フェイクニュースの烙印」を押された一枚だ。現人神として神格化された明治天皇の肖像が世に出回ることを禁忌としたのか?賊軍となってしまった西郷隆盛が写っていたからか?あの時代にフェイク写真は作れないから写真は真実とすれば、撮影場所・撮影者をフェイクにして撮影時期を誤認させ葬り去ったということになる。 加治将一氏の「幕末維新の暗号」では、この写真はロスチャイルド家のエージェント?フルベッキが、イギリスの支援のもとに幕末動乱から明治維新を断行した群像写真だということ? フェイクとファクトのはざまで揺れる1枚の写真というところ?
2019.04.27
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